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 3月31日(

   
今日は平成最後の年度末の3月31日になりますが、本当の平成最後の日は来月4月30日ですから、何となく落ち着
  かない感じですが、何年か後には4月30日が来る度に今日はこういう日だったと言うと思います。
   今朝は午前6時半に起きて階下に行くと、まだ孫2人は起きていませんでしたが、家内も一緒に起きていたので、

  のmn実
は直ぐに起きて来ました。私はコーヒーを淹れ、家内がパンを焼いて、リンゴを用意している内に下のnt実も起
  きて来たので孫と一緒にみんなで食べました。
   午前10時半過ぎから孫2人と一緒に家内が買い物に行くと言うので、アッシーとして私が車を運転して3人と一緒に
  最初に
「六軒屋ナフコ」に行きました。今夜の夕食は”すき焼き”と決めたので、家内は割引になっているお徳用の牛肉
  のパックを選んで買い、他の具材も買ってから
「フィール」に行き、お昼のお好み焼きを”さくら”で買いました。
   お昼をみんなで食べている時に止んでいた雨が急に降りだしましたが、間もなく止んで晴れ間が出て来たので、今
  の季節は本当に目まぐるしく変わると思いました。午後からも同じように雨が降ったり晴れ間が見えたり大変でした。
   午後3時過ぎに
娘婿のnao君が来ましたが、お父さん大好きの孫達も「いらっしゃい」と一言言って、また、家内と何
  かをして遊んでいて、こちらの方には来ませんでした。
   今日は一日、孫2人が家政婦になって、食事の用意や終わった後の片づけを手伝っていましたが、家内も根気よく
  孫に付き合ってやらせていましたが、本当に上手に教えながらやらせているのを見ていると、孫2人がおばあちゃんの
  傍を離れないのが分かります。
   午後5時半過ぎから夕食の用意をしていましたが、2人ですき焼きの豆腐を切ったり、みんなの卵を割って、容器に入
  れて、テーブルの上に置いて準備をさせていました。午後6時過ぎから食べ始め、午後7時に夕食が終わってからも、も
  う少し遊びたいと言うので、午後7時半まで一緒に遊んで帰る事にして、孫2人は家内と和室に行って何かをして遊ん
  でいました。
   午後7時半過ぎになり、ご機嫌で車に乗って帰って行きましたが、家に帰ってから
Skypeが来て、家内の顔を見た、
  の孫のnt実
が泣き顔になっていましたが、家内と話していたら笑顔になっていたので、さすが子供扱いはプロだと思
  いました。
  

 3月30日(土)
 
  午後12時30分に家に着くと、昨日から春休みで娘と孫2人が2泊3日で遊びにきていましたが、孫2人にとっては私
  が居なくても、おばあちゃんの家内が居れば十分ですから、私が家に帰っても「おかえり」と言って、自分達の遊びに
  熱中していました。
   お昼にラーメンを作ってもらって食べましたが、麺はやっぱり日本製が良いと思いました。昼食後、少し経つと朝が
  早かったせいで、眠くなったので、30分だけ昼寝しようと思って寝ました。
   午後からは天気予報通り雨が降り出しましたが、思ったより雨が多かったので、中国旅行中は雨とは縁がなかった
  ので、今考えてみると、旅行中に雨が降らなくて本当に良かったと思いました。


 3月23日(土)~3月30日(土)
   「旧満州国の足跡をたどる中国東北懐旧の旅8日間」
(クラブツーリズム五千年倶楽部)のツアーに参加してきまし
  たが、中国には十数回行ってますが、東北部の遼寧省、吉林省、黒龍江省には縁が無くて、一度も行ってなかったの
  で、元気な内に行きたいと思っていたので、今回、やっと実現しました。

  
23日(土)午前7時20分に家内に春日井駅まで送って貰い、いつもの様に中央線と金山から名鉄で中部国際空港に午
  前8時36分に到着しました。クラブツーリズムの受け付けに行き、今回の
添乗員S.Tさんからeチケットと向こうで使う
  イヤホンガイドを貰って、中国南方航空の搭乗受付に行くと、こちらも午前11時40分の出発時間だから2時間前の午前
  9時40分からの受け付け開始になっていて、十数人の人が並んでいたのでその後ろに並びました。
   日本の航空会社は早目に始まりますが、中国の航空会社は乗客が並んでいても、時間になるまで暇そうにしている
  ので、イライラしますが、仕方がないので待っていると、時間になって始まり、取り敢えず、通路側の席を確保できたの
  で、その足で安全検査を受け、出国手続きをしに行くと、今は機械にパスポートを置いて、顔をセンサーで確認してOK
  になっていたので、簡単に済み、午前10時20分には場内に入れました。いつもの同じで免税店で次男のタバコを買い、
  お茶と今回はおやつ類を少しだけ買って、16番搭乗口に行きました。
    
   午前11時10分から搭乗開始になり、中国南方航空CZ620便は満員の乗客を乗せて、定刻通り、午前11時40分に出発
  しました。出発して30分程して昼食が出て、途中の飛行は快適でしたが、大連空港に着陸する直前に風で飛行機が揺
  れ、乗客も顔を見合わせましたが、何とか定刻の現地時間午後1時20分の着陸しました。
   入国手続きも指紋認証というのがあり、時間が掛かっていましたが、70歳以上は指紋認証は免除になっているので
  私や他の70歳以上の人はスムーズに手続きが終わりました。
    
   
現地ガイドの娄(ロウ)さんの迎えを受け、バスで5年前に出来た新幹線「大連北駅」に移動しました。この駅は建物
  の入口は検査なしでしたが、チケットを貰って、場内に入る時に荷物検査がありましたが、時に問題なく全員通過でき
  ました。何処の駅もそうですが、新しく出来た駅は本当に広く、さすが大きなものが好きな中国だと思います。
   チケットを見ると大連からハルピンまでの料金が403.5元でしたから日本円にすると7,000円前後ですから値段が
  高いと思いましたが、名古屋から博多までの料金だと考えると安いかも知れません。
    
   満員の乗客を乗せた高速列車は、午後3時35分の定刻に発車し途中、今回の観光コースになっている遼寧省の省都
  瀋陽や吉林省の省都長春を通過して午後8時5分に黒龍江省の省都ハルピン(哈爾濱西駅)に到着しましたが、瀋陽を
  過ぎて間もなく、夕日が見えましたが、満州平野に落ちて行く夕日とはいきませんでしたが、建物の向こうに落ちて行
  く夕日も中々印象深いものでした。
    

   ハルピンではここでの
ガイド陳さんが今夜から明日の出発まで付いてくれるそうです。最初に夕食会場の店「関東
  鉄鍋炖」
に行きましたが、中国東北料理という事でしたが、きしめんの様なビーフンの麺料理や湯葉のような料理が
  それかなと思いましたが、他の料理は中国では普通に出て来る料理でしたが味付けは美味しい料理でした。
    

   午後9時20分に夕食会場を出て今日の宿泊先
「哈爾濱香格里拉大酒店」(ハルピンシャングリラホテル)に向いまし
  たが、15分程で到着しました。今回のツアーはプレミアムステージの旅という事で、Aランクのホテルばかりだと聞い
  ていましたが、「哈爾濱シャングリラホテル」はなかなかのホテルのようでで上の階に行くにもルームキーを差し込ま
  ないと行けないようになっていました。
    
   今日は観光も無く、移動だけでしたが、飛行機で2時間40分、新幹線で4時間20分の移動をすると、何もしなくても
  疲れるのか、午後11時前に寝ました。
   

  
24日(目が覚めたら午前6時20分だと思って起きたら、中国時間の午前5時20分でしたが、明るくなっていたので
  そのまま起きて、午前6時からの朝食に行きました。
   午前6時過ぎに1階のビュッフェ会場に行くと、中国では珍しく、まだ1人しか食べに来ていませんでした。北京や上海
  のホテルだと開場前から来て待っている人がいるのですが、一流ホテルだからなのか、地方だからなのか分かりませ
  んが、ゆったりした感じがしました。ビュッフェのメニューはシャングリラらしくと言うか、パンの種類が多くあり、麺コー
  ナーも早々と準備が出来ていて、私はいつもの様にビーフンの麺を注文しました。パンコーナーのクロアッサンが美味
  しそうだったので、こちらも味わいましたがまずまずのパンでした。20分程するとツアーメンバーや他のお客さんも来
  ていましたが、私は早目の食べ終わって、ホテルの表に出て見ましたが、日本の2月の感じで零下1,2℃の気温かなと
  思いました。1週間前に降ったと言う雪が残っていましたが、日曜日のせいか車の量はそれ程ではありませんでした。
    

   午前8時30分にホテルを出て、最初に
「旧東清鉄道本社跡:旧満鉄哈爾浜支社(現ハルピン鉄道局)に行きましたが
  、今でも使われている建物の前には毛沢東の像が建っていて変な感じでした。近くに昭和13年製造の旧満鉄の車両や
  や川崎重工製の機関車が置いてありました。
    
   次に
「聖アエクセーエフ教会」に向いましたが、ツアーメンバーの希望で今回は内部工事中で観光予定に入ってい
  ないハルピンを代表するロシア正教の大聖堂でロシア建築の代表「聖ソフィア大聖堂」を外から見る事になりました。
   午前9時過ぎに近くまで行きましたが、下車が難しいので車内から写真だけ撮りましたが、優雅な姿は素晴らしいと
  思いました。10分もしない内に
「聖アエクセーエフ教会」に着きましたが、こちらも外から見る姿は甲乙つけがたいと
  思いましたが、1935年に出来た建物はロシアバロック様式ですが、元はギリシャ正教の聖堂で今ではカソリックの教会
  として使用されているそうです。

   次にハルピンの
「旧ヤマトホテル」向い、午前9時50分に着いたのですが、現地ガイドの陳さんが外で説明して、中に
  入れないと言うので、どうしてかなと思ったら、宿泊客を連れて行かずに、トイレを借りて、中の見学だけさせるので
  ホテルの人間が嫌な顔をするから、中は皆さんだけでトイレを借りて、見学してくださいと言われたので、そうする事
  になりました。1903年に建てられた建物は中に入ると木造の雰囲気の良い感じで、今でもホテルとして使われている
  そうですが、こういうホテルに泊まってみたいと言う人もいました。
   午前10時過ぎに
「旧ヤマトホテル」を出て、昔の日本の建物(小学校や宿舎)が残っている所を通りながら、松花江
  沿いにある
「スターリン公園」に着きました。もう少し遅い時期には”松花江遊覧”と言う船に乗って遊覧する事も出来
  たのですが、今はまだ川が凍っていて、遊覧は出来ないのですが、希望者は160元で川の中州の
「太陽島」までロープ
  ウエイで渡り、島の観光をすると言うので10人の希望者で行く事にしました。
「太陽島」は昔から別荘地だった所で戦
  前は旧満鉄の幹部が別荘として利用していたそうです。
    
   ロープウエイは松花江を横断して島まで行くのですが、ロープウエイから見た半分凍った松花江は長白山を源流に
  してアムール川に流れ込む最大の支流で全長1927kmあるそうです。「太陽島」は今は何も無く、小さな区域を仕切っ
  て、ロシア人が別荘地の建物で土産物屋や飲食店をしているそうですが、今の時期はロシアに帰っているそうです。
   午前11時半前に島に着いて、展示室のような所で島の歴史の様な展示を見て、10分程歩きましたが、特に見る所も
  無いので、再びロープウエイで
「スターリン公園」に戻り、「中央大街」を通って昼食会場に向いました。

  
「中央大街」はハルピンを代表する歴史的な大通りで、全長1450mにはロシア統治時代の建物が多く残され、”東方の
  パリ”とも言われる西洋風の街並みが一直線に並んでいて、石畳の通路は1924年に花崗岩の石柱(高さ30cm)を埋め
  込んで作られているので、いまだに使われているそうです。
    

   午後12時20分に待機していた5人と合流し、
「中央大街」裏の昼食会場「欧夢巴西餐庁」に着きました。中に入ると、
  今まで、中国に来て入った事の内容な店の雰囲気で、ボックス席にフルコースを食べる様なテーブルセッティングがあ
  ったので、何が出るのだろうかと思いました。昼食はロシア料理となっていたのですが、見せ皿を下げたと思ったら、
  野菜サラダと前菜が出て、食べ終わった頃に、名前は分かりませんが、チキンを揚げた物と野菜を煮込んだシチュー
  ような料理が壺に入って出てきました。続いて、同じような感じの豆腐を揚げたシチューのような料理が出て来て、次
  に魚料理が出て、最後にスパゲティミートソースが出て来た時には皆さんお腹いっぱいだと言いながら、味が良いと
  食べていました。
    


   午後1時半にレストランを出て、バスで20分程で
「哈爾濱駅」に着き、同じような手荷物検査を受けて、構内に入りま
  したが、ここで2人の女性がハサミでスーツケースを空けさせられましたが、大連からの
スルーガイド・ロウさんが話し
  て、何とか返してもらえましたが、駅によって対応が色々あるようです。
    
   午後2時33分発の列車で長春に向いましたが、こちらも車内はいっぱいでしたが、特に問題なく、
「長春西駅」に午
  後3時57分に到着しました。ここでも長春の
現地ガイド祁(き)さんの迎えを受け、最初に市内にたくさん残っている日
  本統治時代の建物を見学しましたが、
ガイドの祁さんのマイクの調子が悪く、何を見たのかあまり記憶に残っていませ
  んが、昔の病院とか経済部の建物について熱心に話してくれるので、皆さん黙って聞いていました。

   午後5時30分に夕食会場の
「向陽屯」に着きましたが、この店は鍋料理の店だと聞いていましたが、鍋料理と言って
  大きい鍋で調理した料理を出すと言う事で、出て来る料理は普通の皿に盛ってあるので、特に変わった料理ではあり
  ませんでしたが、味付けは良いと思いました。
    

   午後6時半過ぎに店を出て、午後7時に今日の宿泊先
「長春シャングリラホテル」に着きましたが、ここは昨日のホテ
  ルと同じシャングリラですが、こちらの方が雰囲気が良さそうです。1階レストランの入口には見事なデコレーションケ
  ーキ(1個168元:約3,000円)がありましたが、今年の中国の干支の豚がユニークでした。
    

  
3月25日(月)昨日の朝と同じ位の午前5時半頃に起きて、外を見ると今朝も晴れの天気でしたが、やや、靄っている感
  じでした。今朝は出発が午前9時なので、朝食はゆっくりと言われていましたが、15分だけ遅れて1階に行きました。
   午前6時15分に朝食ビュッフェ会場に行くと、まだ2,3人しかいませんでしたが、料理は揃っていて麺も直ぐに出来そ
  うでしたが、一回り、料理を見てから、いつもと同じように、麺を注文して、目玉焼きと料理を少しだけ食べました。
    
   午前7時にホテルの外に出て見ましたが、寒さは思った程気温は下がっていなくて、0℃前後かなと思いましたが、
  
陽が射していたので、実際はもう少し低いかも知れません。外からホテルの写真だけ撮って帰りましたが、道路の車の
  量は南の方の町とは違って、省都と言ってもそれ程多くないと思いました。
    
   午前9時にホテルを出て、最初に
「旧関東軍司令長官邸」に行きましたが、今はホテルの敷地になって、建物は普通
  の会社(サラ金の会社?)の事務所として使用されているそうですが、小高い丘に松林があり、その中にある屋敷は
  昔は立派な建物だったと想像は出来ました。その後、
「旧関東軍司令部」の建物を車窓から見ましたが、遠くから見る
  と屋根はお城の様な幹事に作ってあり、当時の関東軍が威光を表すためにそういう作りにしたのかなと思いましたが
  、今の私達から見ると、センスを疑う造りだと思いました。それでも、中国人も似た考えなのか、今では、
”中国共産党
  吉林省委員会”
の建物として使用しているそうです。中国では省委員会の書記が一番偉いそうですから、この地方の
  最高権力者がいる所になります。
    
  その後も当時の工場だった所が今ではショッピングモールになっている建物を見て、午前10時に
「偽満皇宮博物院」
 
 に行きました。ここは”ラストエンペラー”で有名な清朝最後の皇帝で満州国の傀儡皇帝になった「愛新覚羅溥儀」
  満州国の宮殿だった所です。溥儀は1934年にこの宮殿内で即位し、満州国皇帝になり、日本の敗戦とともに戦犯とし
  てロシアに抑留され、その後、中国に引き渡され、波乱万丈の生涯を送る事になります。
    
    
   現在では博物館として保存され、内部が公開されていますが、溥儀の居室や4人の夫人の部屋などを見学しました
  が、北京の故宮(紫禁城)とは比べ物になりませんが、溥儀がどんな思いで暮らしていたのだろうかと思いました。

   午前11時に
「偽満皇宮博物院」を出発し、30分程で昼食会場の「向陽屯老店」に着きました。この店は長春料理と言
  う事ですが、大学イモやビーフンの料理、玉子を使った料理は、今まで中国に来ても食べたことが無かったので、これ
  が長春料理と言うのか、中国東北料理かなと思いました。
    

   午後12時半に店を出て、昔の日本の建物だという
ガイドの祁さんの話を聞いていると、長春には本当に日本の建物
  が沢山残っていると思いますが、戦争に勝っても日本統治時代の建物を壊さずに再利用している中国は凄いと言うか
  、たくましい民族だと思います。

   ガイドの祁さんが日本で有名な人が住んでいた家が残っていると言うので、誰かなと思いながら、案内してもらい
  ましたが、
「岸信介元首相」が役人時代に住んでいた家で、今でも省の役人の偉い人の官舎になっているそうです。
    
   そこから、歩いて行くと、公園の中に大きな瓦屋根の建物がありましたが、今でも学校の行事で使っていると言う話
  でしたが、昔、何の施設だったのかは聞き漏らしました。
   午後1時50分に
「旧新京ヤマトホテル」(現長春友誼賓館)の前で写真だけ撮り、(宿泊も飲食もしない人は入場禁止
  になっている)5分程で
「長春駅」に着きました。ここで長春のガイドの祁さんとは別れて、構内に入りました、昨日とは
  違い簡単に終わり、何も言われませんでした。

   午後2時52分発の列車は午後4時17分に瀋陽に到着しましたが、途中、車窓から見るとこの地方は平屋の一軒家が
  多いのが目につきましたし、風力発電もやっていて、多くの風車と言うかプロペラの塔が見えました。
    
   駅のホームを出ると、瀋陽の現地ガイド王さんに迎えられ、夕食の時間には早過ぎるので、夕食の「老辺餃子店」
  着いてから20分程
”中街”自由散策をしてから午後5時10分店に入りました。
   この店は190年の歴史があり、今日は普通の料理の他に6種類の餃子が出てきましたが、中味の説明を聞いても味
  の差は良く分かりませんでしたが、美味しい餃子だという事は分かりました。今では日本の新宿に支店を出している
  と言ってましたが、帰りに他のテーブルを見ると焼き餃子を注文している人達もいましたからこの店はメニューにある
  んだとと思いました。
    
    
   午後5時20分に店を出て、今日の宿泊先
「クラウンプラザホテル」に10分程で着き、オプショナルツアーに参加する
  人は午後7時ロビー集合という事で部屋にスーツケースを置いて、再び、ロビーに行きました。
「瀋陽夜景観賞と屋台
   散策」
という事で7人の参加でしたが、興味深かったのは”コリアタウン(西塔街)”で通りを挟んで左側が韓国系の店
  で右側が北朝鮮系の店に分かれていて、ネオンも左側の韓国側の方が明るい感じがしました。入口の所に北朝鮮直営
  の
「平壌館」と言う店は入口に女性が立っていて、お客さんが来るとドアを開けるのですが、写真を撮る事は駄目です
  から、離れた所から分からないように撮ってくださいとガイドの王さんに言われました。
    
   次にテレビ塔のすぐ傍にある
”屋台街”に行きましたが、道路の両側に小さな同じ様な大きさの屋台がずらりと並ん
  で色々な物を売っていて、面白かったのですが、帰る頃に1人の人が写真を撮ったと文句を言われたので、私も気を付
  けなければと思いました。

   最後に、以前、北朝鮮脱北者の駆け込み事件で話題になった瀋陽の
「日本総領事館」に行きましたが、ここは撮影禁
  止でお願いしますとガイドの王さんから言われましたが、監視カメラがあり、写真を撮っているのが分かるとうるさい
  と言ってました。高い塀の上には鉄条網らしきもので乗り込めないようにしてありで囲まれた、以前は道路だった所は
  通行禁止になっていました。入口には中国人警察官2人が24時間体制で立っているそうです。領事館の入口の対面に
  居酒屋と言う看板の店があったのは面白いと思いました。
   観光の予定が終わってホテルに着いたのは予定より30分遅れの午後9時30分でしたが、
ガイドの王さんも話だすと
  止らないようで、ついつい時間オーバーになりがちでした。

  
26日(火)午前5時半過ぎに目が覚めて、窓の外を見ると、日陰になっていましたが、空気は澄んでいる感じで、遠くの
  建物も綺麗に見えていました。午前6時過ぎに朝食ビュッフェ会場に行くと、外人の夫婦が来ていましたが、このホテル
  は外人が多いのか、パン種類が多く、他の料理のメニューもスタッフも多いと思いました。
   私はいつもと同じで麺を注文して他の料理を少しだけ食べましたが、同じツアーのIさんと同じテーブルで食べまし
  たが、Iさんは健啖家で色々な料理の他にフルーツを皿の上に沢山乗せて持って来ていました。1人で旅行する人はしっ
  かり食べる人が多いのは確かだと思います。私はいつも同じ様に麺と料理を少し食べました。
    

   午前8時30分にホテルを出発し、最初に50kmほど離れた撫順に向いましたが、1時間と言って、最初に着いたの午前
  10時に
「撫順友誼賓館」でのトイレ休憩でした。10分程で本来の目的の露天掘りの現場に向かいました。
   午前10時20分に
”撫順西露天坑”の展望台に到着しましたが、東西6.6km、南北約2km、深さ約200mの巨大な露天
  掘りの現場は遠くは霞んで写真に撮る事は無理だと思いました。この炭鉱は日本が日露戦争で得た
”満州権益”に炭鉱
  の採掘権があり、当時の満鉄が撫順に100m以上の石炭層を発見し、1941年から
「撫順炭鉱」の本格的な採掘が始まり
  、満州最大の炭鉱になったそうです。
    
   敗戦と共に中国のものになり、今でも6000人の人が働いているそうですが、今は露天よりは200m下の炭鉱口から
  網の目の様に坑道が掘られて採掘しているそうです。

   午前10時40分に露天堀り炭鉱を出発し、20分程で
「撫順戦犯管理所」に到着しました。昭和11年に日本が”撫順典獄”
  として建設したのですが、昭和25年、中国が
「撫順戦犯管理所」として日本軍将校や満州国要人などを収容し、思想改
  造を行ったそうですが、ソ連の抑留から帰った
満州国皇帝”愛新覚羅溥儀”や一族もここに収容されていたそうです。
    
   日本語の説明が出来る女性説明員が一緒に回って説明してくれましたが、日本戦犯陳列館では淡々と説明し、余計
  な事は言わず、その当時の事実を話していた感じですが、展示されている内容はひどい事をした軍人と、その後、改心
  して日中友好に尽した人たちを褒めている感じですが、日本人にとっては重い内容もありました。
    
  この地方に何処の行っても
”愛新覚羅溥儀”に関する事が多くありますが、ここでも、”溥儀”の収容されていた部屋や
  生活ぶりが展示されていました。

   午後12時に瀋陽に帰る事になりましたが、来る時より少し時間が掛からないと言ってましたが、確かに、予定より早
  く、午後1時20分に昼食会場の
「在水一方酒店」に到着しました。店に入った時、私が今回の満州旅行で瀋陽にしかない
  と言う
白酒「河套老害」が店に置いてあったので、値段を聞くと250mlの瓶が128元と言われ、500mlが120元程度と
  思っていた値段の2倍だったので、酒店に行けばもっと安いと思い買うのはやめました。
   この店も東北料理と言う事でしたが、どの料理も味付けの良い料理で珍しくエビの蒸したものが出ましたが、薄味
  で美味しいと思いましたが、数が無いので好きなだけ食べるわけにいかなくて2匹だけ食べました。
    

   午後2時にに店を出て、20分程で
世界遺産「瀋陽故宮博物院」に到着しました。ここは清朝初期の皇宮で1625年に清
  朝の建国者
太祖ヌルハチが創建、2代目太宗ホンタイジの1636年に完成したそうですが、3代目の世祖順治帝もここ
  で即位したそうです。
    
   北京の故宮(紫禁城)には規模も建物大きさも及びませんが、瀋陽と言う場所に建てられている事に意義があると
  思います。
ガイドの王さんの説明を聞きながら回りしましたが、八角形の「大成殿」や3階建ての「鳳凰楼」等は印象深
  い建物でした。奥の方に会った女性の建物群(清寧宮他)は正面に第1夫人、東になる右側に第2夫人、左側に第3夫人、
  右下に第4婦人、左下に第5夫人が住んでいて、建物の大きさも少しずつ差があるのも面白いと思いました。また、当時
  の祭祁用のカゴや御車が残っているのも興味を引かれました。
    
    

   午後3時45分に
「瀋陽故宮」を出発し、第2代皇帝の”太宗のホンタイジ”と”孝瑞文皇后”の陸墓世界遺産「昭陵」
  ある
「北陵公園」に行きましたが、政府要人が来ているから見学出来ないので、一端、ホテルに帰って、夕食会場に行
  く事になりました。ホテルに帰る途中、
「旧奉天駅(瀋陽駅)」の前を通りましたが、東京駅を思わせる様な建物の設計
  者は東京駅の設計者辰野金吾の教え子になる人達だと聞いています。
    

   午後5時にホテルに帰り、改めて、午後6時に集合する事になったので、私はその時間を利用して、
白酒「河套老害」
  を探しに行きましたが、小さなスーパーと言うかコンビニを5軒ばかり回りましたが、何処にもなかったので、もっと、
  大きなスーパーか酒店でないと無理だと思って諦めました。
   午後6時にロビーに集まり、今日の夕食会場
「旧ヤマトホテル」(現遼寧賓館)にバスで行きましたが、歩いても10分
  も掛からない場所にありました。中に入るとハルピンの「ヤマトホテル」よりは立派な感じで、ロビーも広くて、エレベー
  ターホールも広く3基ありました。夕食会場の部屋も大きな丸テーブルで15人が十分座れる大きさでした。
    

   出て来た料理も今まで中国に来た中では一番種類が多く、前菜も含めると21種類の料理が出ましたが、残念だった
  のは数が分かっている料理で15人分無いのがあり、、早い者勝ちではありませんが、10枚しかない焼き餅や12個しか
  ない饅頭等は最初に取り始めた人から10人か12人で無くなるので、偶然、最後の方だった私まで残っていないものが
  あったので、豪華な中国料理と言うのなら、その辺は考慮すべきだと思いましたが、他に出て来たヒラメの魚料理や
  豚の3枚肉の料理は味付けも良く美味しい料理でした。
    
   食事の前に
添乗員のS.Tさんから昭和15年生まれの名古屋市中川区から来ているHさんに乾杯の音頭をお願いした
  ら、
Hさんが自分は満州に来たいと思っていて、今回、念願の満州に来られて幸せに思っているが、ここに来ている皆
  さんも幸せだと思いますと言って乾杯しましたが、その後、食事終わる頃に
Hさんが、今回のツアーの参加者で最高齢
  の岡崎から来ている
女性Sさんに挨拶してほしいと言われた、Sさん「私は1929年生まれで今年90歳になります」
  行った時には私だけでなく、皆さんが驚いていましたが、90歳で女性で1人で参加するという事だけでも驚きですが、
  多少、ゆっくりでも皆さんと同じ様に歩いて、一緒に行動しているのですから本当に大したものだと思います。
   食事が終わった後で、もう一度、
添乗員のS.Tさんが今回のツアーメンバー15人の内、2人がツアー期間中に誕生日
  を迎えるので、プレゼントを買ったので送りますと言ったので、ハッピーバースデイを歌ってみんなで祝いましたが、1
  人は桑名から来たIさんで昭和23年生まれで71歳、もう1人は奈良から参加しているYさんで昭和27年生まれで67歳に
  なったと言ってました。午後7時半にお開きになったので、もう一度、大きなスーパーか酒店で白酒「河套老害」を探そ
  うかと思いましたが、無理して探すのは止めようと思ってホテルに戻りました。
   部屋の帰って、シャワーを浴びて、テレビを見ていたら、疲れているのか、眠くなったので、午後9時半過ぎに寝る事
  にしました。

  
3月27日(水)昨日、早く寝たせいか、午前4時に目が覚めたので、そのまま起きて旅行記の整理をしましたが、年々、
  思うように書く事が出来なくなっているので、いつまで続けられるかなと思っています。
   今日は丹東に移動ですが、昨日、見られなかった
世界遺産「昭陵」のある北稜公園に行くので、午前6時にビュッフェ
  会場に行き、急いで朝食を済ませ、部屋に帰って薬を飲んだりトイレを済ませて、午前7時20分にロビーに行きました。
    
   午前7時30分にホテルを出発し、途中、瀋陽一と言うか、遼寧州一と言う88階建て350mのビルの傍を通ったり、渋滞
  にあったりしましたが、午前8時過ぎに「北稜公園」に着きました。

   入口から入って直ぐに有料カートに乗って、「昭陵」の手前で下りて、歩いて
「昭陵」の入場門まで行きましたが、オー
  プンが午前8時30分からなので5,6分待って、門が開いてから入場しました。
    
   
「昭陵」は1643年に造営が始まり、1651年に完成した”清朝2代目皇帝太宗ホンタイジ”夫婦の陵墓で、「正紅門」
  を潜ると、神道の両側には獅子や麒麟等の石像があり、正面に
「神功聖徳碑亭」があり、4代乾隆帝の建立で自筆の文
  が刻まれているそうです。更に北に行くと方城の
「隆恩門」があり、方城の中に入ると中央に「隆恩殿」があります。
  壁の四隅には
「角楼」があり、方城の後方にホンタイジと孝瑞文皇后の埋葬されている「宝頂」があり、代々の皇帝の
  墓の中では珍しく盗掘に遭っていない陵墓で多くの遺品は遼寧省国立博物館に収蔵されているそうです。
    

   午前9時20分に見学を終わり、瀋陽の
ガイドの王さんとはここで分かれ、鞍山に向い、20分程で三台子インターから
  
高速道路に入りました。午前10時30分に
「井泉服務區」でトイレ休憩を1回取り、午前11時40分に「旧昭和製鉄所」(現鞍
  山鋼鉄工場)の入口に到着しました。この製鉄所は1919年に完成し、1931年~1932年頃は満州国内の生産量の約半分
  の50万トンを精錬していたそうですが、今でも中国国内では有数の製鉄所で従業員が12,3万人もいるそうで、
ガイド
  の娄(ロウ)さん
が驚いているくらいでした。
    
  10分ほどいて表から写真を撮って、午後12時に鞍山駅前に行き、駅から伸びる昔のメイン通り”大正通り”に行きました
  が、角にある
”郵便局跡”(今では郵便局と銀行に建物)は雰囲気が残っていましたが、通りは新しくなっている所が多
  く、昔の面影はありませんでした。その後、旧日本人街と言うか、日本人の住んでいた住宅街に行きましたが、今でも住
  んでいる人達がいて、昔は高級住宅街だったかもしれませんが、今では普通の家が建っている感じで、1軒は日本食レ
  ストランらしい家がありました。次に食事会場の隣にある
「旧鞍山満鉄病院」(現鞍山鉄鋼病院)でトイレ休憩を兼ねて
  中を見学しましたが、日本の病院と大きな違いは感じませんでした。

    

  
 午後12時50分に隣の昼食会場「天津包子舗」に行き、お昼を食べましたが、郷土料理と言ってますが、この店の料理
  も味が良いと思いましたが、包子が売りだと言ってましたが、私は高野豆腐の薄い皮のようなものに豚肉だけのチン
  ジャオロースを巻いて食べる料理や小さい海老の唐揚げの方が美味しいと思いました。
    

   午後1時35分に店を出て、200km離れている丹東に向いましたが、30分程の
「首山站」から高速に入り、入って間も
  ない午後2時30分に「首山服務區」でトイレ休憩を取り、その後、もう1回トイレ休憩をして、午後5時15分に丹東ICを通
  過して午後5時30分に夕食会場の
「江都酒店」に着きましたが、北朝鮮との境界を流れる鴨緑江の川沿いにある店で
  川の向こうが北朝鮮と言ってました。
    

   今日の夕食は朝鮮料理という事で昨日ほど豪華ではありませんが、大きなテーブルのある部屋に案内されました
  が、昨日ほどの料理ではありませんが、朝鮮料理と言っても中国料理との差は無いように思いましたが、違うと言え
  ば前菜にキムチがあったことぐらいだと思いました。ビールは北朝鮮の
”平壌ビール”があると言うので、注文しました
  が、頼んだのは私1人でしたが
小瓶で40元と言うのは高すぎると思いましたが、思い出だと思って頼みましたが味は
  普通のビールと一緒ですが、アルコール4.2%は中国ビールよりは高いビーでした。食事が終わる頃から北朝鮮から来
  ていると言う大学生の歌と舞踊のショー?がありましたが、私は黙って2枚写真を撮りましたが、写真を撮って良いか
  と聞くとNOの返事でした。愛想も何もない歌と舞踊のショーでしたが、これがショーと言えるかどうか疑問です。
    

   午後6時45分に店を出て今日の宿泊先
「福瑞徳大酒店」(旧クラウンプラザ)に向いましたが、歩いても行ける距離
  で直ぐに到着しました。このホテルは期待以上のホテルの感じで、3階までの吹き抜けの明るいロビーで、部屋に入っ
  た感じも良く、シャワールームも別で直ぐにお湯が出て、温度調節も問題ありませんでした。
    

  
3月28日(木)午前5時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きて、少し旅行記を書いて、午前6時30分からの朝食に行き
  ましたが、私の思っていた通り、このホテルの朝食ビュッフェは早朝から料理は揃っていて、他に目玉焼きや麺コーナ
  -の他に何かを焼いている人がいたりと大勢の人が働いていました。
    
   私はいつもの様に麺と料理を少し食べましたが、後から焼いていた餅が気になったので、1枚ずつと1巻きを皿に取
  って食べてみましたが、思ったような味ではありませんでしたが、これも経験だと思いました。

   午前7時過ぎに食べ終わって、表に出て見ましたが、冷たさはありましたが、気持の良い天気で、川沿いの散策路で
  は近くのお年寄りが三々五々歩いたり体操を個々にやっていました。鴨緑江の向こうは北朝鮮だと思うと変な感じで
  すが、何も知らないと、普通の風景で、建物もそんなに粗末な感じはありませんでした。国境だからそれなりの家が建
  っているのかもしれませんが、政府は別として暮らしている人達は普通の人達だと思うと、私達が意識し過ぎかなと
  思いました。
    

   午前9時にホテルを出発し、最初に
「鴨緑江断橋」に行きましたが、この橋は1909年に日本が建設した鉄橋で、全長
  944m、幅11mで中央の部分が90度回転の開閉橋になっていましたが、朝鮮戦争の最中、1950年(昭和25年)、アメリカ
  のB29によって中央が破壊されました。隣の今では
「中朝友誼大橋」と言われている鉄橋は無事で、現在、中国(丹東)
  と北朝鮮(新義州)を結ぶ、唯一の鉄道橋で列車と車が時間を決めて一方通行として利用されているそうです。私達
  が見ている時もトラックや観光バス(審議州1日観光)が中国側から北朝鮮に渡っていました。
    
   
「鴨緑江断橋」を歩いて横断部分まで行くと、北朝鮮側が良く見えますが、ガイドのロウさんの話では10年前は何も
  なかったのが、最近は10階建以上の建物が結構立っていて、20階建以上のホテルの様な建物が建築中でした。そうは
  言っても鴨緑江の真ん中辺りから北朝鮮側と中国側の写真を撮ると明らかに建物の数も景色も違います。
    

   午前10時10分に丹東市の北25kmの所にある
「虎山長城」「一歩跨」の場所に向いました。途中の鴨緑江沿いには
  鉄条網を張り巡らしている所もありましたが、所々、切れている所があったので、効果はあるとは思えませんでした。
  30分程で到着し、最初に
「一歩跨」に行きましたが、ここは中朝国境が僅か数メートルの川を挟んでいる場所なので
  「一歩跨」
と言うようですが、十数メートル先には北朝鮮の監視所があり、人が数人いるのが見えました。
    
   次にすぐ傍にある
「虎山長城」に行きましたが、この長城は明代の1469年から女真族(ヌルハチ)から防御する為に
  着手したものですが、ヌルハチが清朝を興したので、必要が無くなり、破壊されていた物を、1992年に修復し、今では
  7つの石楼と戦台があるそうですが、時間が無いので少しだけ歩いて引き返してきました。長城から覗けばすぐそこ
  に北朝鮮の監視所や農地が見えました。
    
  午前11時半前に出発し、午前11時50分に
「錦江山公園」に着きましたが、ここは丹東最大の公園で日本時代には”金毘
  羅宮”
”安東神社”があったそうですが、今では何もなくなっていて、ここにありましたと言う跡地見学で、大した事
  はありませんでした。30分ほど散策して、鴨緑江沿いにある昼食会場の
「双生漁港」に10分程で着きました。
    
   「双生漁港」は本来は海鮮料理店のようで、入ってきたお客さんが入口にある魚介類を見てメニューを見ていました
  から、材料と料理法を指定して食べるのかなと思いました。私達は普通の中国料理でしたが、唯一、出て来たのは鴨緑
  江の白魚の天ぷらでしたが、揚げたてで美味しい天ぷらでした。名前が不明の魚も美味しいと言う人達もいました。
    

   午後1時半に店を出て、10分で
「丹東駅」に着きましたが、駅前に毛沢東の像があったので、撮りたい人の為の撮影タ
  イムを少しだけ取ってくれましたが、私は色々な所で撮っているので、ここでは撮りませんでした。
  いつもの様に荷物検査を受けて、構内に入りましたが、ここでも、女性が1人小さいバッグを開けろと言われ、調べられ
  ましたが、何も出てきませんでした。場内に入って、乗車を待っている時に
90歳のSさんが切符が無いと言い出し、
  地ガイドのロウさん
が出入口に探しに行きましたが、Sさんの勘違いで出てきたので、添乗員のS.Tさんが探しに行った
  ら、ロウさんが出る時は出られますが、駅構内に入る時には身分証が無いと入れてもらえないのですが、慌てていて
  自分のバッグを置いたまま出たので、中に入れないと
S.Tさんがバッグを取りに来ました。すったもんだがありました
  が、無事に午後2時47分発の列車に乗り込み、午後5時16分に
「大連北駅」に到着と言うか、帰って来ました。
    

   午後5時30分に
「大連北駅」を出て、市内の夕食会場に向いましたが、渋滞で30分の所が1時間掛かり、午後6時30
  分に夕食会場の全季酒店のなかの
日本料理店「大江戸」に着きました。事前に”豚カツ定食””さばの焼き魚定食”
  予約してあったので、私は
”サバの焼き魚定食”を頼んでいましたが、注文は半々のようでした。堀こたつ式の部屋の
  テーブルの上に用意された、
”豚カツ定食”は注文した人がいずれも「薄いとんかつねえ」と言ったましたが、ハムカツ
  か小さなわらじカツの感じでしたが、
”サバの焼き魚定食”は普通だと思いました。
    

   今夜のオプショナルツアーが変更で私の申し込んでいた
”大連夜景観賞と夜市、路面電車体験”が今日になったの
  で、大急ぎで今日の宿泊ホテル
「大連シャングリラホテル」にチェックインをして、荷物はフロントに預けて、午後7時30
  分に
現地ガイドのロウさんに連れられて出発しました。
  
   最初に
”路面電車体験”で始発停留所の”華楽広場”に行きましたが、電車はいたのですが、運転手がトイレに行って
  るが、午後7時50分に出ると言ってましたが、運転手が帰って来て、早目に乗車させてくれました。本当の昔のチンチ
  ン電車の感じで座席も木製で立っている人の持つところも革製で、車内には昔の大連の写真が展示してあり、貴重な
  感じでした。20分ほど乗って
"民主広場”の停留所で下車しました。
    

   
”民主広場”の周囲にも昔の建物があり、元警察や市役所、東大の安田講堂に似た建物があり、現在もそれらと関わ
  りのある警察本部や大連市役所、裁判所として使われているようです。トイレに行きたい人がいて、近くの公衆トイレに
  行くと、閉まっていたので、ガイドのロウさんも困ったものだと言ってましたが、夜になると閉めると言うのは中国らし
  いかもしれません。
    

   夜市に行けば公衆トイレがあるはずだと言うので、バスで移動して夜市に行きましたが、ここでも閉まっていたので
  
ガイドのロウさんがお詫びに市場でミカンを買ってくれましたが、小さな粒ですが、種も無く甘いミカンでした。
    
   次にここなら絶対大丈夫だという
”星海広場”に行き、トイレを済ませてから観光を続けました。”星海広場”は夜では
  分かりにくいのですが、もの凄く広い広場で気候が良くなると市民の憩いの場所なっているそうです。前の海に掛か
  っている
”星海大橋”は全長が6.9kmもありますが、ライトアップされ、色々な色に変化していました。

   次に大連市内を見渡せると言う展望塔のある小さな山に行きましたが、20分程走ると、今は火事で使われなくなっ
  た”展望塔”のある場所から見る大連市内は中々のものでした。最後に”元東本願寺”だった建物を見て、ホテルに帰り
  ましたが、ホテルに着いたのが、午後10時10分でしたから、2時間半以上も掛かって案内をしてくれたのは
ガイドのロウ
  さん
の誠意かなと思いました。
    
   フロントでスーツケースを受け取って、部屋に行きましたが、このホテルもなかなかの部屋で、今回のツアーの部屋
  はどのホテルも良いと思いましたが、寝たのは午後11時半過ぎになりました。

  
3月29日(金)昨日は遅かったのですが、午前5時半に起きて、窓の外を見ると、大連の町はさすがに都会だなと思う
  ような高層ビルが見られ、屋上になにか施設が見えました。午前6時過ぎに朝食ビュッフェに行きましたが、このホテ
  ルは麺コーナーが手打ちの麺を打っていたので楽しみにしていましたが、いつまで経っても出来上がらないので、諦
  めて、他の料理や作って貰ったオムレツや焼きビーフンを少しだけ食べました。今朝は
90歳のSさんと一緒に食べまし
  たが、この歳まで源に旅が出来ると言うのは良く食べる事だと思う程、朝から食欲旺盛で凄いと思いました。
    

   午前8時30分にホテルを出発し、最初に
「中山広場」に行きましたが、この広場(ロータリー)は大連の代表的な広場
  で、円形の広場の周囲には日本統治下で建てられた
「旧ヤマトホテル」をはじめ8棟の建物が残されているそうです。
  大連は日本企業が多く進出して、日本人が数多く住んでいる事もあり、多くの日本人観光客が来ている様で、今朝も
  私達の他に広島から来たと言う家族連れの人達が来ていました。
    

   次に何カ所か残っている
「旧日本人街」の1つ”南山地域”に行きましたが、ここはきちんと整備されている高級住宅
  街で道路も広くゆったりした感じでいかにも豊かな人が住む感じの所でした。
    
   午前9時20分に出発し、今回のツアーで初めての土産物店
「龍源工芸品友諠商店」に行きました。この店は琥珀関連
  の店ですが、お茶やはちみつ、工芸品、骨董品も扱っている様な店ですが、奈良から来ているHさんは奥さんから頼ま
  れた”人参入り鉄観音”があると1缶(150g程度)220元(3,850円)を2缶買っていました。他にはちみつやお菓子等を
  買っていましたが、90歳のSさんが琥珀か他の宝石を買ったようですが、おしゃれをしようと言う気持ちも大事なのか
  なと思いました。

   午前10時半過ぎに店を出て、今日の観光目的地
「旅順」に向けて出発しましたが、昨日の夜に見た「星海大橋」を通
  り、橋の方から
「星海広場」や海水浴場を見ましたが、遠くから見るとなかなかの景色でした。
    

   午前11時45分に旅順最初の目的地
「東鶏冠山北堡塁」に到着しました。ここは日露戦争の時のロシア軍の防御要塞
  で、1904年8月の日本軍の第1回総攻撃でこの要塞の事を認識しなかったために全滅の憂き目に遭いましたが、その後
  、要塞対策を練り、トンネルに穴を掘って地下から爆破させる作戦で何とか陥落させたそうですが、この戦いで日本軍
  は9,000人の死傷者が出たそうです。堡塁に入った時にリスの1種のような小動物が私達に気が付かないのか木の実
  を一生懸命食べている姿が可愛らしく、皆さんずっと見ていました。
    
    
   午後12時20分に出発し、昼食会場に向いましたが、10分ほどで
「水師営」の中にあるレストランに到着しました。店の
  名前が出ていなかったのですが、中に入ると貝や魚が置いてあり、メニューもあったので、やはり、指差しで注文する
  のが本来の注文の仕方かもしれません。私達は普通のコース料理だと思いますが、それでも魚のフライや北京ダック
  を巻いて食べるような皮に味噌とネギ、もやし炒めを巻いて食べるの料理が珍しいと思いました。
    

   午後1時20分に隣にある
「水師営」に行きましたが、ここは1905年203高地の陥落に伴い、1月5日に日露戦争終結に
  向けて乃木希典将軍とステッセル中将が会見した場所で、当時の写真が残っていました。印象深かったのは会見に使
  われたイスや机が粗末なものだったのと、戦勝国の日本側のイスの高さが敗戦国のロシアより少し高かったと言うの
  は聞いて初めて分かりました。前には資料館があり、日露戦争当時の写真や実際に使われた物が置いてありましたが
  、資料によっては値段が付いている物があり、
「水師営」維持のためだと言ってましたが、中国ではよくある経営方法
  かなと思いましたが、東京から来たHさんは父親が満州を懐かしがっているからと高い資料を買っていました。
    

   午後1時45分に出て、日露戦争最大の激戦地で有名な
”203高地”に向いましたが、午後2時15分に到着し、入口から
  電動カートで中腹まで行き、そこから歩いて行きましたが、事前に聞いていたよりは全然楽に上れましたが、日露戦争
  の時に日本軍が第1回総攻撃の時に15,000人もの死傷者が出て、第2回総攻撃の時に乃木将軍の次男が戦死する等
  したものの1904年12月5日についに陥落に成功したそうです。
   旅順港を見渡せる頂上には戦死者を慰霊する為に戦争に使われた砲弾の破片を集めて砲弾型の慰霊塔(爾霊山)
  が乃木将軍によって建てられています。
    
    

   午後3時10分に
”203高地”を出発し、川島芳子(東洋にマタ・ハリ)の旧居「旧粛親王府」を見てから、「旅順ヤマトホ
  テル」
を見ました、今まで見たヤマトホテルでは一番見劣りしました。却って、その近くにあった当時のロシア建築の方
  が立派に見えました。その後、
「旅順駅」に行きましたが、「旅順駅」は帝政ロシア時代に建てられた東清鉄道の終着駅
  でロシア教会風の塔がある駅舎は異国情緒がありました。
    

   午後4時に見学が終わり、大連に向けて出発しましたが、
添乗員のS.Tさんから、今回のツアーの観光は全て終わり
  ましたが、8日間付いてくれた
現地ガイドのロウさんが希望者がいれば「大連港」「旧満鉄本社」に案内しますと言っ
  てると言うので、希望を取ると12名の人が希望したので、3名の人をホテルに降ろしてから見学する事になりました。
    
   午後5時30分にホテルに3人を降ろして、最初に
「大連港」に行きましたが、港の近くが再開発地区にでもなっている
  のか高層ビルが林立している感じで驚きました。
  大連港と言っても数多くあり、私達が行った所は、昔、日本の船が出入りしていた埠頭で今でも貨物船が使用している
  そうです。最後に
「旧満鉄本社」に行きましたが、うす暗くなっていて、やっと見える感じですが、なかな立派な建物だ
  と思いました。

   午後6時30分にホテルに戻り、待機していた3人を乗せて夕食会場の
「天天漁港」に行きました。この店は海鮮料理
  では有名人気店らしく、私達が行った時にも既にお客さんが結構来ていました。私達は1部屋の大きなテーブルで食べ
  ましたが、従業員の対応も良く出来ている店で料理の出し方も丁寧でした。
    
   料理も今回だけでなく、今まで中国で食べた事のない刺身を初めて食べましたが、ここの
ヒラメの刺身は美味しい
  と思いました。他にもニラとタコの炒め物やげその野菜炒め、レンコンのはさみ揚げ、貝柱とジャガイモの料理など今
  までの中国旅行では食べた事に無い料理が沢山出て来て、今回のツアーを通じても一番だと思いました。
   午後8時前にツアー最後の食事を終わり、ホテルに帰り、明日の朝が早いので、スーツケースの整理をしっかりして、
  忘れ物のチェックをして寝ました。

  
30日(土)午前4時半起きて、髭剃り、洗面、薬を飲んだりしてから、スーツケースに最後の荷物を入れ終り、午前5時15
  分に部屋を出てロビーに行くと、既にかなりのメンバーが集まっていました。ロビーでホテルの用意してくれた弁当を
  貰い、午前5時30分にホテルを出て、バスで
大連空港に向い、車中で朝食を済ませ、20分ほどで空港に到着し、建物の
  中に入りましたが、空港ロビーには午前6時からしか入れないので、大勢の人がロビー入口で行列していました。
    
   午前6時に入口が開いて、中に入り、最初の荷物検査を受け、中国南方航空の受け付けカウンターで搭乗受付をして
  から、出国手続きをして、最後の手荷物検査を受けましたが、それまでは簡単だったのが、ここではポケットにあるティ
  ッシュペーパーや紙幣のお金までトレイの中に出してX線検査を受けたのは初めてでした。女性のハイヒールは脱がし
  て別の所に持って行って検査をして返していました。
   それでも40分程で全部が終わり、午前6時40分には場内に入れましたが、時間的にまだ混んでいませんでした。大
  連空港は中国の主要都市としては思ったより小さく、免税店や店舗も少なく、人口を考えるともっと大きくても良いと
  思いますが、
ガイドのロウさんが言うには、今は刑務所にいる大連出身の”薄熙来”が市長や党の要職にあった時は北
  京・上海に続く大都会になる予定だったのですが、権力争いに敗れて失脚した影響で、大連は今は少し”習近平”から
  冷たくされているので、発展のスピードが遅くなっている影響だと思うと言ってました。

    
   午前7時過ぎから搭乗が始まり、CZ619便はほぼ満員で定刻の午前7時30分に出発し、途中、機内食が出ましたが、
  来る時と同じ感じだったので、今度はビーフを注文しました。朝食は弁当を食べたので、お腹は空いていませんでした
  取り敢えず、開けて見ましたが、やはり、来る時と同じ中味でした。1口だけ食べてみましたが、味は普通ですが、温か
  いから良いと思いました。時計を1時間進めて、日本時間午前10時40分に無事にセントレアに着陸しました。

   スーツケースを受け取り、ツアーメンバーに挨拶をして、11時17分の電車で帰路につき、家内に迎えに来てもらって、
  午後12時半に自宅に着きました。
   今回のツアーは10年以上前に中国語を習い始めた時に
「南部中国語同好会」O.E先生の故郷が大連だと聞いてい
  たので、早い機会に行きたいと思っていたのですが、シルクロードや他の世界遺産を訪ねる事が多く、今回は良い機会
  だと思い参加しましたが、日本と縁が深い所が多い上に当時の建物が残っていて、参加して本当に良かったと思いま
  した。15名のツアーメンバーの内、2名の方が、かって一緒にツアーに参加した人で馴染みがあり、その上、90歳で1人
  で参加されている女性も一緒だった事は自分自身の励みになりました。
   今回の
旧満州国の中国東北部を回った事で、およそ、中国全土を回った事になり、今後は機会を見て、まだ自分の
  行ってない所で良いコースがあれば行きたいと思っています。



 3月22日(金)
 
  昨日、遅かったのですが、午前6時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きましたが、外に出ると暖かいと思いました。
  朝のモーニングショーは、昨夜、思った通り、引退を発表したマリナーズの
”イチロー選手”の話題に集中していました
  が、それだけ影響力のある実績を残してきた選手だと思いますし、地元豊山町出身で、愛工大名電卒業ですから、こ
  の地方の人達からすると、本当に淋しいと思っている人は多いと思います。
   本格的な春が来たと思ったら昼前から強風が吹き始めましたが、名古屋と岐阜では桜の開花情報が昨日の東京に
  注いで出たので、私は明日から
中国満州に行きますが、私が帰国する30日頃には桜が満開になっていそうです。
   お昼を食べてから家内は夕食の買い物に出かけたので、私は昨日買った安いズボンが良かったので、色違いがあれ
  ば買いたいと思って、昨日に続いて
「春日井イオン」に行きましたが、同じサイズの色違いが無かったので、他のズボ
  ンを買う事も考えましたが、安くて良いものが無かったので、諦めて帰って来ました。
   午後3時からプールに行きましたが、今日が終業式だったせいか、小学生が結構泳ぎに来ていましたが、他に25m
  のフリーコースにお年寄りの10人位のグループが水中ウオーキングに来ていましたが、どういったグループなのか気
  になりました。と言うのは、水の中では分かりませんでしたが、プールから上った時に歩くのもおぼつかない感じの人
  もいて、リハビリを兼ねて来ているのかなと思いました。



 3月21日(木)
春分の日
   
朝から雨の降ったり止んだりの「春分の日」になりましたが、昨日と同じ様に暖かい日で”暑さ寒さも彼岸まで”と言
  うのがピッタリの日だと思いました。日の長さは4日前の17日(月)が昼と夜の長さが同じで、これからは昼が長くなる
  ばかりですが、気温も多少寒くなっても零下になる事は無さそうです。
   午前11時頃に家内が
「春日井イオン」に入っている店のバーゲンセールに行くと言うので、私も一緒に行きましたが
  、祝日で混んでいると思ったら、雨のせいもあるかもしれませんが、思った程混んでいませんでした。店内に入り家内
  と別れて、紳士用品の売り場を見ていたら、私の穿いている冬物のストレッチ素材のズボンと同じような物が半額で
  1,000円だったので、明後日からの中国旅行に良いと思って買いましたが、今、穿いているズボンが定価6,000円でし
  たが、40%引きになっていて、良い買い物をしたと思っていたら、同じような品物が1,000円だったので、物の値段が
  どうなっているんだろうと思いました。今日、買ったズボンが直ぐに駄目になったとしたら、値段の差だと思えますが
  、ずっと、穿けたら、どう考えたら良いのでしょうか。家内は自分の物は何も無かったと言いながら、娘用に厚手のショ  -ルが安かったから買ったようですが、家内にとって幾つになっても娘は子供という事のようです。

   夜のテレビで
「フィギアスケート世界選手権」とメジャーリーグの「マリナーズ対アスレチックス」の中継を交代で見
  ていましたが、フィギュア男子ショートプログラムでは
羽生結弦選手宇野昌磨選手が共にジャンプを失敗し、3位と
  6位でフリーに臨む事になり、野球では
”イチロー選手”が引退を発表すると言う事が発表されました。
 日本テレビが9時で中継が終わった後はCATVで野球中継を見て
 いたら、イチロー選手が4打席目が終わった後の8回の守備に就
 いた後、交代を告げられた時に守備に就いていたマリナーズの
 選手がベンチ迄戻って、イチロー選手を迎えた時にこれが引退の
 セレモニーかなと思いました。
 その後、延長戦になり、12回でマリナーズが勝利し選手が引き揚
 げた後も観客が帰らず
”イチロー”コールが沸き起こり、20分後に
  グランドに姿を現し、球場を一周してファンに挨拶をしたのは今までのプロ野球選手では考えられなかったと思いまし
  た。午前0時頃から記者会見があり、イチロー選手らしい受け答えだと思いながら見ていましたが、いつまで経っても
  終わりそうにないので、私も午前1時に寝ましたが、明日のテレビはイチロー一色になるだろうと思いました。



 3月20日(水)
   今日も朝から綺麗な青空で、気温は4℃とやや冷え込みましたが、日中はかなり温度の上が
  る日になりそうですが、家内は第3水曜日で午前9時過ぎに午前の部のお茶の稽古に出かけて
  行きました。
   今日は20℃位まで気温が上がると聞いたので、私は午前11時過ぎにゴルフの練習に行こう
  と思って、我が家の温度計を見ると、18℃を指していましたが、1時間で200球程打って帰って来
  た午後12時半には21℃を超えて、
21.5℃を指していました。
   お昼を食べて、一息ついている時に、今週末から行く
「旧満州国の足跡をたどる中国東北懐
  旧の旅8日間」
のクラブツーリズムの添乗員S.Tさんから電話があり「日本は春ですが、向こうはまだ冬だと思って下
  さい。」
と言ってました。今まで中国に十数回行ってますが、中国東北部には行った事がないので、今回、初めて行く事
  になり、天候よりは対日感情が気になっていて、服装は大雑把に冬支度で大丈夫だろうと用意したので、変更は必要
  ないと思いましたが、もう一度、点検だけしておこうと思いました。



 3月19日(火)
   今朝は昨日までよりかなり暖かく、温度計を見ると曇っているせいか6℃でしたから、この所に寒さは一休みの感じ
  で、日中も16℃まで上がっていました。
   家内はいつもの様に午前9時半頃に
「誠武館婦人剣道」に出かけて行きましたが、私は家内が出かけた後、午前10
  時過ぎから
「皿貝接骨院」に行き、腰と首の治療をやってもらいましたが、私が行った時には患者さんが1人しかおら
  ず、その人が帰った後は、ずっと、私一人でしたが、こういった治療院も常連さんの高齢化で患者さんが減っているの
  かなと思いました。
   家内は剣道の稽古が終わった後で
稽古仲間のH.Kさんと一緒に今池の「伊藤繁吉商店」に竹刀を買いに行くからお
  昼は途中で食べると話していたので、私は一昨日の鍋の残りでお昼を済ませました。
   午後3時からプールに行きましたが、今日の暖かさに釣られてなのか、思ったより泳ぎに来ている人が多かったの
  ですが、それでも数はしれていたので、いつもと同じ様に泳いで歩いて帰って来ましたが、帰りに
「酒のリカマン」
  寄って、関税廃止セール中のワインを5本まとめて買って来ました。



 3月18日(月)
   
午前6時半に起きて、階下に行くと、昨日、今朝は早く仕事に出ると言っていた次男は出かけた後でした。今朝も温
  度計は0℃と冷え込みましたが、日中は15℃以上まで上がると言ってましたから暖かくなると思います。
   家内は午前9時半頃に義母の所に出かけて行ったので、私は団地内の郵便局に中部大学の受講料を払込みに行き、
  そのまま、ウオーキングの積りで少し歩きましたが、風もなく気持の良い日になったなと思いました。
   家内が出かける前にお隣との間の
スイセンが咲いていると言ってたので、見に行ったついでに何が咲いているか
  なと思って、良く見ると、赤い蕾がいっぱい付いていた
ボケが一輪だけ咲き、ユキヤナギも白い花を咲かせているし
  、
ムスカリもあちらこちらから芽を出して、青紫の花を咲かせていました。一時より朝晩は寒くなっていますが、庭には
  とっくに春が来て木々は新芽を出し花を咲かせています。
    

   今日は朝から、昨日、79歳で亡くなったロック歌手の内田裕也の事を取りあげた番組がテレビ各局で放送されてい
  ますが、本人の破天荒な行動と共に、昨年9月に亡くなった女優樹木希林との夫婦関係を中心に取り上げている番組
  が多く、その内容を見ていると、夫婦の関係も色々あると考えさせられました。



 3月17日(

   昨日、ワインを飲み過ぎて、午後10時前に寝たせいか、今朝は午前5時過ぎに目が覚めたのでそのまま起きました。
  今朝も1℃と冷え込み、天気も晴れたり曇ったり雨がパラついたりと忙しい日になりましたが、気温は一日中低く、寒
  い日でしたが、家内は午前9時過ぎに鷹木公民館の公民館まつりに出品している
「鷹美会」の日本画を見に出かけま
  したが、1時間程で帰って来ましたが、特に目立った作品は無かったようです。
   午前11時過ぎに
市会議員のH.Nさんが訪ねて来て、今回、立候補を止めた理由の体調の事を聞きましたが、昔、痛め
  た左膝の靭帯が4年前から又痛み始め、左足をかばって歩いていたら、去年位から右足と腰に来て、それが原因かど
  うかは別として頸椎管狭窄症で右手に痺れが起こり、今後の事を考えて引退する事にしたようです。
   30分程、門の前で話して、
H.Nさんが帰る時に近所のK.Kさんの家の前に人が数人いて、良く見るとK.Kさんが居た
  ので、H.Nさんが帰った後で
隣のI.Kさんにも教えてあげて、その足でK.Kさんに話をしに行きました。K.Kさんは今日と
  明日2日間だけ帰って来たそうで、暫くは一緒来ていた娘さんの所にいて、その後、桃花台にあるケアハウスに奥さん
  と一緒に1,2ヶ月住んでから、こちらの家に帰って来る予定にしているそうです。骨折した股関節は痛みも無くなって
  いるそうですが、歩く時にビッコのクセが付いているので、普通に歩けるようにリハビリをしていると言ってました。
   私達夫婦と
I.Kさん夫婦で待っているから早く元気になって、奥さんと一緒に帰って来るのを待っていると伝えて励
  ましましたが、88歳と86歳のご夫婦が、早く自分の家に帰りたい気持ちを考えると、何とか実現する事を祈らずには
  いられません。



 3月16日(土)
 
  今朝も午前6時過ぎに起きましたが、今日は昨日よりかなり気温は高いと思いました。午前中は雨の予報でしたが、
  早目に降ったのか、起きた時には雨は止んでいて、陽が射し始めていました。今日は燃えるゴミの日なので、昨日、剪
  定してもらった枝や葉っぱが、かなり、あったので、早目に出しておきました。
   午前9時過ぎにいつものモスバーガーの店に行きましたが、今日も退院した
K.Kさんは来ていませんでしたが、常連
  のH.AさんやO.Jさん、M.Nさん、M.Kさんが来ていました。話しを聞いていると28日(木)の
「桃球会」のコンペは参加者
  が減って、4組16名になったと言ってましたが、平均年齢が76歳になると、欠席する人も多くなり、今後もこの程度の
  人数が当たり前になりそうな気がします。

   午前10時前に解散して、私は給油しようと思って、いつものガソリンスタンドに行くと、何故か待っている車が行列し
  ていたので、後にしてカー用品の
「ジェームス守山吉根店」に粗品(卓上用ライト)を貰いに行きましたが、この店は1階
  はカー用品ではなく、アウトドア用品がメインでテントや寝袋、バーベキュー用品などが置いてあり、若い人達が来て
  見ていたので、今の流行なのかなと思いました。
   午前11時半頃に、もう一度、スタンドに戻ってみたら、2台待っていましたが、給油する所が5ヶ所あるので、直ぐに空
  くと思って待っていたら、5分もしない内に空いたので給油して、粗品の先の曲がるライトを貰って帰りました。
   家内は早目のお昼を食べて、午後12時過ぎに春日井体育館である
「春跳会」に出かけましたが、この会は中部大学
  の剣道部の学生が春日井市内の小中学生を相手に剣道を教えるという目的で、家内達は後見役で見守っていれば良
  いと言ってました。
   午後4時にプールに行くと、
「春跳会」のせいか、駐車場がいっぱいで諦めて帰ろうとしていたら、運良く1台だけ車
  が出たので、そこに駐車してプールに向っていたら、偶然、帰ろうとしていた家内とすれ違いました。プールの方は土
  曜日にしては空いていたのでいつも通りに泳いで、逆流ウオーキングをして帰って来ました。



  3月15日(金)

   今朝は午前6時に起きましたが、昨日より更に冷え込んでいると思い、我が家の温度計を見
  ると、
0℃を少し下回っていたので、2月2日(土)の-2℃以来の0℃以下になったと思いまし
  た。と言っても、風も無く雲1つ無い天気で、陽が出て午前8時には6℃になっていましたから
  日中は暖かくなると思いました。
   今日はシルバー人材センターに庭木の剪定をお願いしていたので、次男が仕事に出かけて
  から私の車を移動しておいたら、午前8時過ぎにシルバーの方が来たのでグッドタイミングで
  した。
シルバーのI.Tさんには”フクラの木”が引き込みの電線に掛からないようにしてほしい
  とお願いして、後の木はお任せしますと言っておきました。
   午前10時前に家内は写仏画(蓮華会)が中央公民館であるからと、出かけて行く前にお茶を出してくれたので、私も
  一緒にお茶をしながら話しましたが、
I.Tさんは高蔵寺に住んでいて、シルバーの剪定に登録しているそうですが、草
  刈りで登録している人もいて、体力的にはそちらの方がきついと思うと言ってました。私も若い時に団地のソフトボー
  ル仲間と団地の空地の草刈りを市役所から1㎡いくらで請け負って、飲み代にしていた時期がありますが、草刈り機を
  使っている途中で小石が目に当たりそうになったり、終わった後は手が震えて困ったりした事を思い出しました。
   お昼を食べて、家内が帰って来たので、午後12時45分に家を出て、
「坂下パソコン同好会」がある坂下公民館に行
  きましたが、今の時期は年度末のせいか、他の団体が活動しない様で駐車場も楽に停められました。同好会では今回
  を最後にここで教えているK.N先生が東部公民館でも教えているので、地理的の近いからと、そちらに移るメンバー
  が最後の挨拶をしていました。
   午後3時半過ぎに家に帰ると、庭の剪定は終わって、
シルバーのI.Tさんは帰った後でしたが、今回は最初だったの
  で、こちらの意向を考えて剪定をしてくれたようですが、次回から樹木の形を整えて行くと言って帰ったそうで、10月
  か11月に次回の剪定を
前の家のO.Nさんと一緒に頼む事にしました。私は枝を切ったフクラよりもツバキがスッキリして
  風通しが良くなり良かったと思いました。
   



 3月14日(木)
   午前6時半に起きて、新聞を取りに表に出ると、昨夜のような強い冷たい風は吹いていま
  せんでしたが、温度計を見ると、久し振りに
2℃を指していて、冬の寒さを感じる朝でした。
   午前10時から
”グルッポふじとう”「東部中国語同好会」があるので、午前9時半に家を
  出ましたが、家を出る時に8℃だったので、お昼頃には10℃は超えるかなと思いました。
   オープン以来いつも賑わっていますが、今日も何かの団体の集まりがあるのか、裏の駐車
  場がいっぱいだったので、100m程離れた砂利の駐車場に停めましたが、歳をとって大きな荷
  物があるような時には大変だと思いました。
   今日も中国語のヒアリングから始まりましたが、自分ながら情けないくらい聞き取れないのが多くて、耳も遠くなっ
  たのと、右耳しか聞こえないので
”ふぁ””ぱ”に聞こえたり、”り””い”にしか聞こえなくて、元々、不勉強で単語力
  が無いので、文章自体が違った意味になってしまい、先生が書いた単語を見て、初めて理解が出来る始末です。
   O.M先生はやさしくて
「老化防止の積りでやって下さい。」と言ってくれるので、その言葉に甘えて続けるつもりです
  が、終わった後はもう少し頑張って単語力を上げようと思うのですが、次の日になると忘れるので、一向に力は付き
  ませんが、
”継続は力なり”の精神だけは忘れずに続ける積りです。
   お昼を食べた後、家内が今日の健康体操のお別れ会用に作ったケーキの余りが置いてあったので、デザートで食べ
  ましたが、なかなか美味しく出来ていました。
   午後3時からプールに行きましたが、今日はプールに通い出して、初めて
1,000m泳ぎました。と言っても、私の場合
  は連続して泳いだわけではなく、25mを1往復50m泳いで、小休止して、また50m泳ぐと言うやり方で泳いだ距離が
  1,000mになったのです。今までは頑張っても800m前後だったのですが、今日は同じレーンに1人若い女の子が泳いで
  いて、その子のペースにつられて泳いでいたら、結果として1,000mになったので嬉しい限りでした。その後の逆流ウ
  オーキングも気持ちが乗っていたせいが、いつもは30分の所を40分歩きました。



 3月13日(水)
   朝から雨が降ったり、青空が見えたりと忙しい天気になりましたが、思ったほど冷え込む感じは無く、もう春だと思
  いましたが、午前中は陽が欠けると寒くなり、陽が射すと暖かい日でした。
   家内はお茶の稽古で午前9時過ぎに出かけたので、私は午前10時頃に家を出て
「皿貝接骨院」に行き、いつもと同じ
  ように首の牽引と電気治療、マッサージを受けて帰って来ましたが、首の調子が一向に良くならないのが憂鬱ですが
  、MRIを撮って貰う程悪くないので、もう少し様子を見てから考えたいと思っています。
   午後からは冷たい風が吹き始め、午後1時頃にお茶から帰って来て、お昼を食べて、午後3時過ぎから買い物に行っ
  た家内が帰って来た時には真冬が戻ったような寒さで、気温も3℃とかなり下がっていました。


 3月12日(火)
 
  家内は午前9時半頃に「誠武館婦人剣道」に出かけて行きましたが、この所、春らしい天気と言うか、気温も上がっ
  て来たので、稽古も寒さがなくなり楽になったようです。
   私も昨日に続いて、午前10時過ぎに郵便物を出しがてら歩きましたが、速足で少し歩くと汗ばんで来る感じですか
  ら、すっかり、春になった感じで、このまま暖かくなっていくような気がしますが、明日から寒くなると言う予報もある
  のでどうなって行くのか気になります。
   お昼を食べ終わった、午後1時過ぎに家内が剣道から帰って来て、
剣道のK.M先生のお兄さんが先月の私達の乗った
  ダイヤモンド・プリンセスの
「沖縄・台湾クルーズ」に乗っていたらしいと言ってましたが、もし朝食やお昼をたべる時に
  話す機会があって、そう言う事が分かれば楽しかったと思いました。
  旅やクルーズの楽しさの一つは観光や食事ですが、私は人とのご縁がもう一つの楽しみだと思っていて、船の中で
  話した人が私の友人の親戚だったとか、北京のホテルで同じ町内の人に会ったり、旅館の温泉で知人と一緒になった
  り、中国旅行では同じ人と2度、3度と一緒のツアーで会う事もあり、人とのご縁は色々な形で出来るので、これからも
  色々な所に行って、多くの人との良い出会いがあればと思っています。



 3月11日(月)
   昨日からの雨がまだ降っていましたが、家内は午前9時過ぎに義母の所に出かけたので、
  私は午前10時頃にウオーキングを兼ねて郵便局まで歩いて行き、後期高齢者医療保険料の
  払込みをして、安全協議会に現金が無いので預金の引き出しをしました。
   郵便局の駐車場には、丁度、
「清水屋」”移動スーパー道風くん”が来ていて、近所の人
  が何人か買い物来ていましたが、雨の中でもこういった移動スーパーーが来てくれると、
  車が無かったり、運転免許を返上したような買い物難民になっている人には役に立っている
  と改めて実感しました。買い物に来ている人達を見ていると、この
”移動スーパー道風くん”
  が長く続いてくれると良いと思いますが、一日の売り上げがどの程度なのか、採算が取れているのか、気になります
  が、何とかみんなの力で長く続けてくれる事を願うばかりです。
 お昼を食べて一休みして、午後3時過ぎに、昨日、家の中で
水銀体温計を落として割れたと思った
 ら、割れなくて良かっと思ったら、中の水銀が分離していて使い物にならなくなっていたので、新
 しく1つ買っておこうと思って「B&G
ドラッグストアー」行って水銀体温計を探しましたが、見当たら
 ないので、店員さんい聞くと、今は水銀が危険だからと水銀体温計は製造していないと言われた
 ので、仕方なく、
デジタル体温計を買って来ました。
 家に帰ってから、早速、体温を計ってみましたが、数字が出て来て、老眼鏡が無くても読める大き
 さの表示なので、良いとは思いましたが、私にすれば何となく水銀体温計の方が馴染みがあって
  良かったと思っていたら、家に帰って、23日(土)からの中国満州旅行の用意をしていて、旅行用の薬バックを見たら、
  
水銀体温計が2本入っていたので、直ぐに1本は居間に持って行って使う事にしました。


 3月10日(

 
  午前5時半前に目が覚め、トイレに行ってから寝ようとしましたが、寝られそうにないので、少しベッドで横になって
  から、午前6時前に起きて新聞を取りに行きましたが、曇っていたせいか、まだ夜が明けてない感じでした。
   午前9時過ぎからテレビで
「名古屋ウイメンズマラソン」の中継をやっていたので、1月の「大阪国際女子マラソン」
  で転倒・棄権した福士加代子選手がどうなのか、注目していましたが、結果は日本人2位になり、9月のMGC出場権を
  獲得したので良かったなと思いました。今日も給水の時に転倒した選手がいて心配しましたが、特に混乱も無かった
  ようなので安心しましたが、本来の走りではなく、他の事で自分の力が発揮できなかったら可哀想だと思います。
   今日は午後からも男子の
「びわ湖毎日マラソン」の中継があり、こちらでも、雨の中のレースでしたが、新たに2選手
  が9月のMGC出場権を獲得していましたが、少し淋しく思ったのは、優勝争いはどちらのマラソ大会も外国人選手同士
  で、日本人選手は優勝争いとは縁が無いので、トップ画面がMGC出場権が取れるかどうかの選手のアップが多く、本
  来の優勝争いの画面がおろそかにされていて、テレビ局の思惑が出過ぎて残念に思いました。
   午後4時前に、昨日、ガソリンスタンドから明日からガソリン価格が値上げのメールが来ていたので、プールに行く前
  に入れておこうと思って、行って見ると、3台も並んで待っていたので、給油はやめて、そのまま、プールに行きました
  が、プールも今日は水泳大会で一日使用禁止になっていたので家に帰って来ました。



 3月9日(土)
 
  午前8時半頃に、昨夜、電話をして私が午前9時前に行く事になっていた、安全協の幹事K.Mさんが申し訳ないから
  と、領収書を持って来られたので、その分のお金を
K.Mさんにお渡ししました。今年の安全協議会の予定も終わったの
  で、これで今月末まで出金予定はなく、会計の私としては今日の役員会で今年の収支報告をする積りです。
   午前9時過ぎに、1ヶ月ぶりにゴルフ仲間の集まるモスバーガーの店に行きましたが、今週火曜日に退院したはずの
  
K.Kさんが来ているかなと思いましたが、まだ出かけるのは早いと自重しているのか、姿は見えませんでした。82歳
  の
F.Jさんが来ていて、東京の孫が現役で第1志望の大学に合格したと喜んでいましたが、出来の良い孫だとそんな
  話も出来ますが、そうでないとなかなかできないと思います。
   地元で79歳の
H.Aさんからは来月の市会議員選挙にこの地区から出る候補者のハガキを渡されましたが、3期出た
  H.Nさん
が体調が悪く、今回は出馬しないので後継者としてH.Aさんの友人の息子が出る事になったそうです。H.Nさ
  ん
は最初に出た時からご縁があり、家内も良く知っていたので、淋しくなりますが、若い人が出て頑張ってくれるのも
  必要な事だと思っていますから、世代交代と思って次の人を応援したいと思います。

   午前10時前に解散し、
「清水屋」に行き、靴下とズボンを買いましたが、ズボンは定価26,000円が7,000円になり、
  その30%引きで、消費税を入れても5,200円強で買いましたが定価を疑いたくなります。
   その後、JTB春日井支店に寄り、新しい
”プリンセス・クルーズ”のパンフレットを探しましたが、無かったので、窓口で
  確認すると、まだ出ていないと言われたので、取り敢えず、来年2月の横浜発着のクルーズを予約しておきましたが、
  詳細は新しいパンフレットが出てからでないと分からないと思いました。
   午後4時過ぎに家内が
”シルバー通信”を発行している民生委員のI.Tさんに原稿が出来たので持って行きましたが
  、家内の1週間の生活の様子を綴っていますが、改めて、見てみると、本当に忙しくしていると思いますが、その中で
  も自分の出来る事があれば、他の人の為にやってあげる姿勢は凄いと思います。家に帰ってから、直ぐに胴着に着換
  えて、子供達を教える為に
「誠武館」に出かけて行きました。

   私は午後6時から
「安全協議会」の幹事会があるので、10分前に老人憩の家に出かけましたが、今日は風もなく、昼
  間が暖かかったので、ダウンウエアーは置いて、安全協のジャンパーで行きました。最近は幹事会も10名程度の出席
  者になり、淋しくなっていますが、80歳を過ぎても頑張っている先輩には頭の下がる思いです。今日の議題は今年度
  の総会を4月21日(
)に開くのですが、総会の資料を副会長のI.Tさんが作成し、来年度の活動方針を会員の健康管
  理と負担軽減を優先し、安全活動を2次的にする事に対して、それでは安全協議会の意義が無くなると言う意見が出
  て、最終的には安全活動をしていく中で健康管理や負担軽減も考えてやって行く事で決着しました。
   午後7時からの安全パトロールには、今朝、お茶を一緒に飲み、孫の大学合格を喜んでいた
82歳のF.Jさんが先月に
  続いて参加していたのに感心しましたが、パトロールを終わり、帰って一杯飲めると嬉しそうに話していたので、本当
  に元気だと思いました。



 3月8日(金)
   午前6時過ぎに起きて階下に行くと、昨日、明日は早いと言っていた次男が出かける用意をしていたので、本当に早
  いなと思いました。新聞を取りに表に出ると、かなり、冷え込んでいると思って温度計を見ると、2℃でしたから、この
  所、暖かい日が続いていたので、寒く感じるのかなと思いました。
   午前10時半過ぎに家内と一緒に出かけ、家内がアルバムを買うと言うので、最初に「カーマ」に行って見たら、以前
  、買ったアルバムがあったのでそれを買いました。ついでにボディシャンプーと柔軟剤が広告の品だったので買って
  いました。次に明日のパンを買う積りで、車を走らせていて、話に夢中でパン屋を通り過ぎてしまいましたが、家内が
  
「清水屋」で買うから、そのまま、進んでと言うので、「清水屋」まで行きました。
   
「清水屋」は春まつりで”きてみて帳”を使った催事をやっていて、冬物最終セールの感じで何かあればと思いまし
  たが、時間が無くなったので、明日でも出直す事にして帰って来ました。



 3月7日(木)
 
  午前6時半過ぎに目を覚ますと、昨夜からの雨も上がったばかりのようで、地面は濡れてい
  ましたが、空は青空が見え始め、風は少しありましたが、陽が射していました。
   私が庭を見ていたら、家内がお隣と我が家の境の所のスイセンが咲いたと言うので、行って
  見ると、”ラッパ水仙”が1輪だけ咲いていましたが、他はまだ蕾も無かったので、1輪だけが先
  に出て来て咲いた感じでしたが、これからはまだ幾つか花を咲かせてくれると思います。
   午前10時前に家内は健康体操に出かけたので、私は午前10時半頃に今日の暖かさに吊られ
  て、久し振りに
「王子ゴルフ練習場」に行きました。今日は木曜日で会員は入場料200円が無料
  なので、私が着いた時には駐車場がいっぱいで、辛うじて奥の方に3台分くらい空いていたので、何とか駐車できまし
  た。この調子だと、かなり待ち時間があると思ったら、1階打席で待っている人ばかりだったので、私が入った時に2階
  打席が1つだけ空いたので、直ぐに、2階で練習が出来たので良かったと思いました。
   風は少し強く吹いていましたが、寒いと言う程ではなく、練習には差し障りありませんでした。私に打った43番打席
  の近くの5打席にはヘッドスピードや飛距離の分かる器械が付いていて、私が打つと
ヘッドスピード33.7m/秒飛距離
  167ヤード、ボール初速46.5m/秒、ミート率1.32とか、
ヘッドスピード33.2m/秒、飛距離165ヤード、ボール初速47.0、ミ
  -ト率1.37という数字が出たので、今の現状が分かって納得しました。
   元々、私は力が無いので、若い時でも、普通の人が40m/秒を超えていても、私のヘッドスピードは37m/秒前後がせ
  いいっぱいでしたから、今ならこんなものかなと思いました。
   1時間500円300球のコースで、頑張って220球を打ちましたが、器械があると何となく意識をして打つので、力を入
  れずに打とうと思うのですが、どうしても意識してしまうので、次回からはここ以外で練習しようと思っています。

   午後3時からプールに出かけましたが、駐車場からプールに行くまで、10m以上の強い風で前にあるのも大変だった
  ので瞬間的には20m位の風が吹いていたと思いました。プール内は相変わらず空いていて、ゆっくり泳げて良かった
  のですが、こんなに利用する人が少ないと維持する費用が大変だと心配になって来ますが、私には有難い事なので
  この状態が続いてほしいと願うのは人間の身勝手さだなと思います。


 3月6日(水)
 
  午前8時半に「石川内科クリニック」に診察券を出しに行くと、今からだと午前9時半過ぎの診察になると言われた
  ので、一度、家に帰って出直す事にしました。
   家内は今日は午前茶道・午後日本画の稽古日なので、午前9時過ぎにおにぎりを作って、お茶の稽古に出かけて行
  ったので、私は
「石川内科クリニック」に出かけ、10分程、待って診察になり、特に変わりないので、いつもの薬を処方
  箋薬局で貰ってから、先月、
「ケアハウス・グレースフル春日井」に入居したと通知の来た、K.Rさんに電話しましたが、
  
K.Rさんは電話に出なかったのですが、取り敢えず、行って見ようと思って施設に向かいました。

   
K.Rさんは昭和11年生まれで、私の会社の先輩であり、昔の岡山県柵原町(現美咲町)出身で、私は岡山市出身です
  が、郷里が同じ岡山県という事で、お互い現役時代から何となく親しみがありました。会社を退職後はOB会や会社の
  創立記念ゴルフコンペで顔を合わせると、お互いの近況を話していましたが、去年のOB会とゴルフコンペを欠席した
  ので、気になっていましたが、年賀状が来たので安心していたら、先月、
”終の棲家を見つけ転居しました。”「ケアハ
  ウス・グレースフル春日井」
に入居したと転居通知が来たので、どうしてかなと気になっていました。

 転居通知が
「沖縄台湾クルーズ」直前だったので、気になっていましたが、帰ってからもタイミン
 グが合わず、今日になりました。
 「ケアハウス・グレースフル春日井」
は名前は色んな所で聞いていましたが、訪ねた事が無かった
 のですが、大きな建物が3棟あり、手前は”デイサービス”の建物、真ん中に”交流センター”の建物
 があり、一番奥に5階建ての建物があり、それが「ケアハウス・グレースフル春日井」でした。
 建物に着いて、1階の受付で
K.Rさんに会いに来たと言うと、面会票を書いて、許可証を貰い、エレ
 ベーターで5階に行きました。
   K.Rさんの名札のある部屋に行くと鍵が掛かっていて、不在だったので、1階の受け付けに戻り、不在なので外出して
  いますかと聞くと、ハウス内にいるはずだと、心当たりに電話をしてくれ、探している内に本人が、偶然、1階に現れた
  ので無事に面会できました。
   この建物は2階3階は
「特別養護老人ホーム(特老)」で4階5階が「ケアハウス」なので、もう
  一度、5階まで上がり、一番奥の
K.Rさんの部屋に行く途中、女性が出て来て挨拶されるので、
  聞くと、K.Rさんの奥さんで近くの別の部屋に入居しているそうです。
   ここには夫婦用の部屋は1室しかないそうで、夫婦一緒という事を認めてもらって、それぞ
  れ個室に入っているそうです。
   お二人に話を聞くと、
K.Rさんは去年まで健康に自信があったのですが、6月頃に体調を崩し
  て、それ以降、自分達夫婦の将来を考えて、今まで住んでいた多治見市のマンションが不便で、
  歳をとった時の事を考えると、何がベストなのか考えて、ケアハウスに住む事を決断したそうです。
   私の理解が正しいかどうか分かりませんが、ケアハウスと言うのは、自立して生活できる老人用マンションで一時
  金は必要なく、入居時に保証金として20万とか30万を払い、毎月の費用は入居者の年金額(収入)によって決まるそ
  うですが、
K.Rさんの場合は食費を含めて9万円プラス自分の部屋の光熱費が施設に払うお金で、後は自分の衣服や
  嗜好品は個人のお金で買うのですが、毎月の負担額が受給年金額以内ですから、経済的に楽だと思いました。
   風呂はワンルームの部屋にも小さな湯船とシャワーがありますが、ケアハウスに大浴場があるので、そちらに入り、
  買い物は月5000円の駐車料を払って自分の車を持って来ているので、自分達で買いに行っても良いし、施設から毎日
  、病院や買い物に行くバスが出ているので、そちらを利用しても良いそうです。

   1時間20分程話し、帰る事にしましたが、
K.Rさん夫婦もまだ住み始めて2ヶ月なので、これから、色々な事が分かっ
  て来ると思うので、次回お邪魔した時にケアハウスの長所欠点を聞いて、自分達の老後の参考にしたいと思います。
   夕方、帰って来た家内に
K.Rさん夫婦から聞いた話をすると、良く決心できたと感心していましたが、自分達にその
  決断が出来るだろうかと考えた時に簡単に結論が出せるとは思えないが、考えておく必要はあるかも知れないと言
  ってましたが、なかなか難しいだろうと思いました。


 3月5日(火)
   
家内は午前9時半頃に「誠武館婦人剣道」に出かけて行きましたが、先週はまだ体調が戻っていなくて、休んだので
  、4週間ぶりの稽古だと言いながら胴着を着て車に乗って行きました。
   私は思う所があって、午前11時過ぎにJTB春日井支店に電話して、先日と同じコースの来年2月の名古屋発着のクル
  ーズの状況を聞きたいと
担当者のMさんに言うと、折り返し返事をしますと言われ、30分程して連絡があり、昨年発行
  の
「ダイヤモンド・プリンセス」のパンフレットには出ていた名古屋発着は無くなり、横浜か神戸発着のコースしか無く
  なり、神戸発着は満席で横浜発着なら残っていますと言われました。
   去年今年とあった名古屋発着クルーズが無くなったという事は、やはり、名古屋から参加する人が少ないから、い
  わゆる
”名古屋飛ばし”がこんな所にも出ているのかなと思いました。
   我が家の温度計は朝は4℃と低い気温でしたが、日中は18℃と暖かくなり、午後1時過ぎに剣道から帰って来た家内
  は汗びっしょりになったと言って帰って来ましたが、小学校ではまだインフルエンザが流行っているらしく、孫が学級
  閉鎖になって家にいると話していたら、今日の午後から学級閉鎖になるので、孫が帰って来るからと、早々に家に帰
  た人もいたそうです。花粉がひどい上にインフルエンザが流行っていると言うのは、何かおかしいと思いますが、今
  は本当に何でもありの時代なのかなと思いました。
   午後3時からプールに行きましたが、今日も人は少なく、自分のペースでしっかり800m泳いで、40分の逆流ウオー
  キングをしっかりして帰りました。



 3月4日(月)
  
 今朝は何故か午前5時過ぎに目が覚め、眠れそうにないので、午前5時半に起きましたが、新聞も休刊日でないの
  で、BSでPGAゴルフの
”ホンダクラシック”を見ていましたが、途中まで私達には馴染医深いベテランのビジェイ・シン
  が頑張ってトップ争いをしていましたが、優勝には届かなかったようです。
   午前6時過ぎに今日は早出なのか、次男が起きて来て朝食を食べ、午前7時過ぎに出かけて行く頃に家内が起きて
  来ました。家内も今日は義母の所に行く日なので、午前9時過ぎには小雨の中を出かけて行ったので、私は午前10時
  に家を出て、中部大学に
「2019年春学期オープンカレッジ」の申し込みに行きました。
   今は春休み中で構内は閑散としていましたが、中で1ヶ所の食堂だけ人がかなり出入りしていたので、何事かと思っ
  て、近づいてみると
「学内企業説明会」と言う看板があり、来年の就職活動の参考なのか、内容はわかりませんが、学
  生らしい連中が入って行ってました。今は3年生の時から就活をすると言う話は当たり前のようですが、学校側も会社
  側も色々と気を使って大変だと思いました。
   オープンカレッジは通い出して10年以上になりますが、年々、受講したい科目が減っている様な気がしますが、止め
  るのも淋しいので、取り敢えず、2科目申し込みましたが、希望者の多い科目は抽選なので、来週の月曜日に結果が分
  かりますが、駄目でもボケ防止の意味でどんな科目でも1つは受講しようと思っています。
   午前10時半に申し込みを終わり、久し振りに
「皿貝接骨院」に行き、首の牽引と腰の治療を受けて帰って来ました。お
  昼は昨日のちらし寿しの残りの一部と一昨日の卵とじカツを食べて、寿司の残りは明日”ぬく寿し”で食べる積りです。
   夕方、家内が義母の所から帰って来て、今日は看護師さんから認知が1段階進んだと言われたそうですが、食べる
  意欲はあるので、体の方はまだまだ大丈夫のようです。



 3月3日(

   
午前6時に起きて、朝食を食べ終わった午前6時半過ぎに、家内にボツボツ起きる様に声を掛けました。と言うの
  は、今日は家内は
お茶のI.M先生がやっている「レディアン春日井」”初めてのお茶”のお手伝いで午前8時40分
  までに会場に行く事になっていると聞いていたので、着物を着る時間と食事の時間を考えて声を掛けたのです。
   家内は朝食を食べて着物を着て、午前8時15分に出かけて行きましたが、家内が出かけた後に娘の所から
Skype
  があり、
上の孫のmn実はおばあちゃんの家内に、昨日、”いちご狩り”に行った事を話したかったようですが、相手が
  おじいちゃんの私だったので、早々にお母さんの娘に代わりました。
   娘の話だと知多半島には
”いちご狩り”の場所が沢山あるそうですが、昨日は今がシーズンなのか、いっぱいの
  所が多く、常滑のいちご園が空いていて、そこに行ったそうですが、
下の孫のnt実は一杯食べられて満足だった
  ようで、帰り道に
「今日は良い日だったねえ」と楽しそうに言ってたそうですが、そういう話を聞くとこちら迄幸せ
  な気分になります。
 今日は3月3日で日曜日の
”桃の節句”(雛祭り)ですから、娘の所も”ちらし寿し”を作るよう
 な話をしていましたが、お昼に帰って来た家内が今日は
”ちらし寿し”を作るからと、私が新
 しく3合を炊こうとスイッチを入れたばかりの炊飯器に昆布を入れてスイッチを入れ直して
 いました。
 夜は久し振りに家内のちらし寿しを食べましたが、家内の作るちらし寿しは、いつ食べても
 美味しくて、何故か、亡くなった母の味に似ている様な気がして、ちらし寿しを食べると母
 を思い出します。
   今日、食べきれなくて残ったお寿しは明日の私のお昼の楽しみで、そのまま食べるか、温めて
”ぬく寿し”にして食
  べるか迷いますが、明日の楽しみです。



 3月2日(土)
 
  午前6時過ぎに起きて表に出て見ると、東の空が明るくなっていたので、日の出時間を見ると、午前6時20分にな
  っていました。気温は3℃でしたが、空気が澄んでいる感じで気持のよい朝になりました。
   今日は午前11時から
「安全協議会」”意見交換会”があるので、午前10時半頃に会場の「老人憩の家」に行くと、
  既に早目に来た人達で会場の設営は終わっていたので、時間が来るまで待機していましたが、今日は交流会の後
  の食事の時にカラオケが出来るように、カラオケ同好会の人にお願いして、機械をセットしてもらっていました。
   午前11時になり、出席予定者の35名が全員出席の中、
D.N会長の挨拶と新入会員の紹介で
  
”意見交換会”が始まりました。日頃、”児童見守り””夜間パトロール”をしている人が自分
  の感じている事や思っている事を話してもらうのが目的で、活動に参加している人達の慰労
  会も兼ねています。
   
”児童見守り”の人からは子供達に「お帰り!」と言ったら、「お帰りは家に帰った時でしょ
  う」
と子供達に言われたので、それ以来”こんにちわ”と言うようにしたら、子供達も”こんに
  ちわ”
と返すようになったと言う話とか、中学生にも毎日声を掛けていたら、返事が帰って
  来るようになったと言う人もいました。
 
”夜間パトロール”の人からは最近は街灯がLED電球に変わってから球切れもなくなり、駐車違
 反も少なくなったので楽だが、独居老人の見守りに関して、施設に入ったり、子供の所に行った
 りした人の情報があれば、その家の安否確認をしなくても良くなるので、分った時点で情報を
 流してほしいと要望がありました。
 多くの意見は出ませんでしたが、自分が思っている事と同じ事を思っている人がいたり、違う意
 見が参考になったと言う人もいて、
”意見交換会”を開催してそれなりに意義があったと思いま
 した。
   その後、お昼の寿司を食べながら、カラオケや歓談をしましたが、時間の関係で多くの人の歌は聞けませんでし
  たが、何処に行ってもカラオケ好きがいる事が分かる程、次から次へと歌う人がいて、中には会員同士でデュエット
  する人達もいて、かなり、盛り上がっていました。


 3月1日(金)
 
  早いもので、年が変わったと思ったら、もう今日から3月になりますが、あと2ヶ月すれば、新天皇のご即位があり
  、どういう元号になるのか分かりませんが、5月1日から新しい時代が始まります。
 今年は暖冬になると言う気象予報士の予想がこの地方では当たってい
 たような日が続き、2月も我が家の温度計が零下になったのは、ほとんど
 ありませんでしたが、零下でも凍り付くような寒さは無く、日中は暖かい
 日が多かったと思いますが、ここ数年では初めての様な気がします。
 月初めの庭を見ると、今の時期は椿や梅がメインですが、今年は暖冬の
 せいで、梅は1月に咲き始め、2月のクル-ズから帰って来た23日には殆
 んど散っていました。椿も先月の終わりにはピンクの椿だけでなく、他の
  赤も白のツバキも咲いたので、3月1日の庭には家内の見つけた
シラユキゲシ以外には花ではありませんが、赤い
  実を少しだけ付けた
センリョウが庭の色どりを何とか保ってくれていました。

   家内が
「清水屋」”ワンデーサービス”に行こうと言うので、一緒に行きましたが、何点か迷った上着やセータ
  -があったのですが、半額の半額でも値段を見たら、躊躇して止めてしまいました。家内もこれと言う物が無かった
  らしく、早々と食料品売り場に移動して買い物をしていたようです。

   午後1時15分から
「坂下パソコン同好会」があり、今月から会場を再び”グルッポふじとう”から「坂下公民館」
  戻したので、1人2人間違えて向こうに行く人がいるかなと思っていたら、全員、揃って公民館に来ていました。私は
  前回休んだので、途中まで出来た資料をUSBで入れて、プリントを貰って講習を受けましたが、エクセルの表の使い
  方や関数を使った式が私の知っている関数だったので、今日は気分的に楽でした。
   午後3時15分に終わって、表に出て来た時に、このまま、春になるのだろうかと思えるくらい暖かい日になってい
  ましたが、今年は本当に寒さを感じる事が少ないと思いました。


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