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 3月31日(木)
  今日はKO大学を卒業して50周年のクラス会があり、明日は卒業50周年を記念して大学が平成28年度入学式に
  招待してくれたので、1泊2日の予定で上京しました。
  午前7時過ぎに家内に春日井駅まで送ってもらい、ひかり508号(ジパング利用の為)で東京に着き、その足で上
  野に着いたのは午前10時半頃でした。クラス会の会場が上野駅から15分の所にある
「水月ホテル鴎外荘」なので
  、チェックインの午後3時迄は時間があるので、テレビでしか見た事の無い
”上野公園の桜と花見”の様子、「国立
  博物館」
の特別公開”国宝土偶 縄文の女神”を見たいと思い、早目の東京入りになりました。
  電車を降りて公園口の改札に行くと、平日にも拘わらず、降りる人でいっぱいなのにまず驚かされました。公園
  に入って桜並木の所に行くと、多くの人が今が見頃の8分咲きの桜を見ながら写真を撮っていましたが、近くの
  側道や脇道には青いビニールシートを敷いて場所取りをしている人や既に宴会を始めているグループもありま
  したが、外人ばかりのグループもあったのはさすがに国際都市東京だと思いました。
   

  30分程ブラブラして、国立博物館に向かいましたが、平成館の特別展「生誕150年黒田清輝展」を見れば1,600円
  ですが、それ以外だけなら620円ですから、国宝が沢山あって、この値段は本当に安いと思います。
  最初に今回、特別公開になっている平成4年、山形県西ノ前遺跡の発掘調査で見つかり、平成24年に国宝に指定
  された山形博物館の
”縄文の女神”と名付けられた土偶を見ましたが、高さ45cnもある大型土偶で以前に見た
  ”縄文のビーナス”や”合掌土偶”とは違う造りのように見えましたが、品の良さを感じる土偶だと思いました。約
  4,500年前の縄文中期の作とのことですが、無駄のない素晴らしい作品だと思いました。(*何故か撮影禁止)
   
  その後、2階の「日本美術の流れ」の縄文・弥生・古墳の埴輪や銅鐸を見て、お昼になったので食事をホテルオー
  クラレストラン
「ゆりの木」で食べようと思いましたが、かなり、待たされそうだったので、場内に来ていた屋台
  の麺屋でかき揚げ蕎麦700円を食べましたが、昔の立ち食い蕎麦を思い出して懐かしく感じました。
  昼食後、前に来た時は良く見なかった東洋館をじっくり見てから、午後2時に本館に戻り、ボランティアガイドによ
  る
”本館ハイライトツアー”に参加して、選ばれた展示作品の解説を聞きながら鑑賞しました。作品の制作方法や
  作者の人となり、時代背景などを聞きながら作品を見ると、知らなかった事が多く勉強になりました。
   
   
  午後3時前まで博物館を堪能して、今日のクラス会の会場であり宿泊先の
「水月ホテル鴎外荘」に向かいました。
  このホテルは
明治の文豪「森 鴎外」の旧居跡に建てられて、館内には名作”舞姫”を執筆したという旧居が残っ
  ており、なかなか風情のある庭もありました。案内された6階の部屋から見える風景は高層のビルが遠くに見え
  る一方、東京の下町を感じさせる建物が連なっている所もあり、上野という土地柄を感じさせます。
   

  午後6時から始まった
「卒業50周年クラス会」はさいたま市在住、今回幹事のN.T君の心遣いで膝腰を痛めてい
  る人の為に椅子席になっていて、出席者23名は楽に過ごせたと思います。全員の集合写真を撮った後、くじで引
  いた番号の席に座り、今回のクラス会に色々気を使ってくれた新潟県妙高市から来たM.T君の開会の辞の後、九
  死に一生を得た浜松市三ケ日町のK.M君の乾杯で懇親会がスタートしました。
  前回の金沢から4年振りのクラス会ですが、前回、前々回も欠席し、10年ぶりに会った人や何時以来か分からな
  い人位久し振りの人もいて、皆さん、大いに語り合っていました。会の途中から1人1人近況を話しましたが、この
  年になると、やはり、健康の話が多くなるのは必然の様な気がします。
   
  楽しい時間は経つのが早く、午後8時過ぎに石川県羽咋市の現職県会議員I.T君の締めの挨拶と一本締めで卒業
  50周年クラス会はお開きになりました。2次会は特になく、私を含め14人の宿泊組は思い思いの部屋で語り合う
  事になりましたが、乾杯の音頭をとったK.M君が食べ足りなかったのか、館内の食堂に寄ったら閉店で、このまま
  ではお腹が空いて寝られないかもしれないと、コンビニに買い出しに行き、カップラーメンを山ほど買って来て、
  1度に2個も食べたのには部屋にいた全員が驚いていました。
  午後11時頃まで話して寝る事になり、6畳の部屋に5人が寝たのですが、この年になって、久し振りに修学旅行に
  来たような気分になり、懐かしい気がしました。



 3月29日(火)
  昨日、「桃球会」のコンペで優勝し、優勝者はいつもお茶を飲むメンバーにコーヒーをご馳走する事になっている
  ので、午前9時前にモスバーガーの店に行ってコーヒーの回数券を買い、店に預けておいていつものメンバーが
  来たら、順番にチケットでコーヒーをご馳走しました。
  1時間程、昨日のコンペやそれぞれのショットやパットの評価や反省をして、昨日のコンペの
幹事K.Kさんから引き
  継ぎの書類を受け取りました。その後、お開きになってから、
K.KさんM.Nさんと一緒に入院中のゴルフ仲間M.K
   さんのお見舞いに行きましたが、リハビリに行く所だったので、落ち着いて話は出来ませんでしたが、昨日、造影
  剤を注入して検査をしたら、椎間板が狭くなりすぎて造影剤が入って行かない箇所があるので、その辺の神経
  が圧迫されたのが歩けなくなった原因かもしれないようでした。
M.Kさんは先生が手術になるだろうと話してい
  たと言ってましたが、手術がうまくいって、リハビリで早く歩けるようになると良いと思いました。



 3月28日(月)
  今年、第1回の「桃球会」のゴルフコンペがあったので参加しましたが、私自身が今年の初ラウンドで、この所、中
  国旅行や孫達の相手で練習もしていなかったので、自信は全くなかったのですが、ドライバーが普通に当り、ア
  イアンが悪かった分、パターは1番ホールから
連続5ホールも1パットで入り、我ながら驚きました。
  お蔭で普通ならアウトは50を超える所が
47で納まり、インもアイアンが悪い分、パットでカバーし、やはり、5ホー
  ルが1パットで何とか
45で上がり、トータル92というスコアは自分としては練習もしてない現状では、まずまず
  だと思っていました。しかし、一緒に回った近所の長老、
85歳のK.Kさんがアウトは54でしたが、インに入ると調子
  を取り戻して43を出し、
トータル97で上ったのは大したものだと思いました。
  結果としてはハンデキャップ戦でハンデ22と恵まれた私が
ネット70の2アンダーで久し振りに優勝する事が出来
  ました。本来なら胸を張って喜びたい所ですが、練習もあまりしていない初ラウンドで優勝したのは毎日のよう
  に練習している人に悪いような気がして素直に喜べない感じです。次回は練習の成果が出て優勝できたと言え
  るようにしっかり練習して参加したいと思います。


 3月27日(

  午前6時半に起きて行くと、丁度、娘と上の孫が起きた所でした。ここ2,3日は朝の気温が0度から2℃と冷え込ん
  で桜の開花はブレーキがかかったようになっています。
  午前中、家内は団地の
「社会福祉協議会」の総会があったので出かけ、孫2人は昨日
  の公園の遊びが楽しかったのか、ブランコ乗りを両親に見てもらいたいと4人で公園
  に出かけて行きました。
  午前11時頃に偶然一緒になったらしく、家内と4人が帰って来て、家内は娘一家の夕
  食の用意をする都合があるので、娘一家にはお昼に食べるお好み焼きを買いに行か
  せましたが、この頃から孫2人は何時に帰るのか盛んに気にしていました。
  お昼を食べてから、2人は自分で作ったお菓子の粘土の作品を家内に見せて得意そ
  うな顔をしていたので写真に撮ってやりました。
  午後2時過ぎに帰る頃になると、
下の孫のnt実が泣きながら帰る用意をしていましたが、4月から2年生になる
  
上のmn実は以前のように我慢をしている様子もなく、普通だったので、やはり、少しずつ成長していると思いま
  した。



 3月26日(土)
  午前9時過ぎにいつものようにモスバーガーの店に行くと、常連の1人、M.Kさんが4日前に朝起きると急に腰が
  抜けたようになり、下半身に力が入らなくて、歩けなくなり、救急車で春日市民病院に運ばれ、そのまま入院し
  たと聞かされました。両足に痺れはなく、つねると痛みは感じるのに足に力が入らなくて歩けない状態が続い
  ていて、病院でも検査しても原因が分からなくて困っているようです。
  
M.Kさんは私より1つ下ですが、いつも元気で、ドライバーの距離もメンバーでも1,2を争うような飛ばし屋です
  が、まさかこんな事になるとは思いもよらなかったので、一日も早く回復して、元の元気な姿を見せてほしいと
  願っています。こういう話を聞くと私自身、腰が悪いので他人ごとではないような気がします。
 午前11時半頃に
婿のnaoくんが来て、娘と2人でお昼を食べがてら、
 土岐のアウトレットモールに買い物出かけたので、私と家内は孫2人
 を連れてお昼と夕食の買い物に行きました。
 午後2時過ぎから家内と次男が
上のmn実下のnt実を連れて団地
 内の公園に遊びに行きましたが、私はする事があり、後から行った
 のですが、途中で団地内の桜で咲き始めている木が何本かありま
 した。去年までは、先日、伐採された元富士寿しの桜の木が私の開
 花の基準になっていて楽しみでしたが、今年は少し淋しい気がして
  います。団地内の中央公園に行くと孫2人はブランコに乗って、次男に押してもらいご機嫌に遊んでいましたが、
  
上のmn実は怖がりで、大きく押されると嫌がりますが、下のnt実は次男に大きく押されると喜んでいました。同
  じ姉妹でも顔かたちが違うように性格もかなり違うようです。



 3月25日(金)
 
 いつもは早く目が覚めると2人分のコーヒーを淹れて、リンゴ1個を半分づつにして、自分の食パンを焼いて食べ
  れば、朝食は終わりですが、今朝は孫が来ているので、みんなが起きてくるまでにコーヒー3人分を淹れて、リン
  ゴ2個を切っていると、午前6時半過ぎに
上の孫のmn実と娘が起きてきました。
 家内が午前7時頃に起きて来て、
下の孫のnt実が最後に起きて来て
 朝食が終わると、2人が家内にくっついて後を追いかけています。
 午前10時前に家内が
「サティのバーゲンに行きましょう」と言うので
 、みんなを車に乗せて一緒に出かけました。
 バーゲンと言っても私にはあまり関係ないので、家内と娘が買い物
 をしている間に3階の本屋で時間をつぶして過ごしてから、みんなと
 合流して、帰りにフィールに寄って晩御飯の買い物をして、お昼を寿
 がきやで食べて帰りました。家に帰ると家内が毛糸を出して来て、2
  人に毛針を使って編み方を教えると2人が夢中になってやっているのを見ていると、やはり、女の子だなあと思
  いました。その後、2人が自分が作った作品を持って写真に得意顔で納まっていました。



 3月24日(木)
  
午前10時から「東部中国語同好会」があり、会場に行くとO.M先生が去年6月に同好会をやめたM.Mさんが亡く
  なったと旦那さんから連絡があったと言われました。詳しい病名や状況は分かりませんが、去年、M.Mさんが続
  けるのが難しくなったと言われた時には、何か他の習い事でも始めたのかなと思っていたのですが、今、考え
  てみると病気になって辞めざるを得なかったのだと理解できました。
  私より3つ下で、いつも元気そうだったので、病気とは縁が遠い人だと思っていただけに先生もショックだった
  ようです。私達の歳になると元気そうに見えても何時何があるか分からないので、一日一日を大切にしたいと
  思い、
M.Mさんのご冥福を祈りたいと思います。
  午後2時前に今日から泊まりに来る娘と孫2人を家内と一緒に迎えに行きましたが、孫2人は今日はスイミング
  スクールがあると言うので、一緒に行って見学しました。習い始めて半年くらいになるそうですが、2人共やっと
  水に馴染んで怖がらなくなってプールが楽しくなって来たのか、一生懸命にやっている姿は微笑ましいと思い
  ました。午後4時半に終わってから我が家に来ましたが、いつもの様に2人が家内にまとわりついて、家内も2人
  を相手に遊んでいましたが、本当にこまめに面倒見る姿には感心します。



 3月23日(水)
  1週間ぶりに庭を見るとピンクのツバキが今が盛りと咲き誇り、ユキヤナギも負けじと咲いています。ボケも赤
  い蕾を付けて、
利休梅が咲き始め、ハナズオウもあと少しで咲きそうです。家内が私を破れ傘が出て来たから
  見てほしいと言うので、行ってみると、あちこちから
破れ傘が地面からむくむくと出て来ていました。
  中国でも菜の花だけでなく、杏子や桃、ナシの花も咲いていて春真っ盛りと思っていましたが、日本に帰るとテ
  レビで桜情報が流れて、あと1週間もすると各地の花見の様子が放送される時期なったと思いました。
   

 
 午後3時過ぎからプールに行くと明日から春休みの子供達が元気に遊んでいる姿を見ると、子供達のとっては
  宿題のない春休みが一番気楽で楽しめたような記憶が蘇ってきました。



 3月16日(水)~3月22日(火)
クラブツーリズム五千年倶楽部で「麗らかなム源と絶景の世界遺産三清山・龍虎山
   陽春の江西省7日間」
に出かけました。今回は男性1人旅7人という今までで初めてのツアーでした。

  
16日(水)午前4時過ぎに起き、朝食を済ませてから家内に春日井駅まで送ってもらい、金山駅午前6時5分発の
  ミュースカイで午前6時31分に中部国際空港に着きました。今回の
添乗員H.Tさんから書類を受け取り、男性7人
  だけの団体になった事を知りました。
  午前7時に中国東方航空のカウンターで搭乗手続きをして、その足で手荷物検査、出国手続きを受け中に入り、
  免税店で次男に土産のタバコを買ってから19番搭乗口に行きました。
  午前8時20分から搭乗開始、機内は80%位の感じで、後部座席だった私の3人掛けの真ん中の席は空いていま
  した。MU292便は定刻より少し早く午前8時50分に出発し、30分程して機内食が出ましたが、珍しくご飯が赤飯
  だったので、何かのお祝いかなと思いましたが理由は分かりません。
  飛行は順調で定刻15分間の午前10時20分に浦東空港に着陸し、バス異動でターミナルに入り、入国審査の所も
  ガラガラでスムーズにいったのですが、手荷物受取りで荷物が出て来なくて30分以上も待たされました。
   
  午前11時15分にやっと荷物を受け取り、
現地ガイド候さんの出迎えを受け、そのまま、飛行場内の3階の中華レス
  トラン
「慶吉」でお昼を食べました。
  この店は空港内の店だけに照明も明るく、雰囲気は良い店の上に料理の味も良く、最初に出て来た黄ニラと玉
  子炒めや白身魚や鶏肉の料理は珍しくおいしかったので、初めからこんな料理を食べると後が心配だと皆さん
  笑いながら話していました。
   
  午後12時半に食事を終わり、空港を午後12時45分に出発しましたが、今回のツアーメンバーが7人と少ない為
  に20人乗りのマイクロバスでの旅になった為、乗り心地も悪く2人席を全員が利用でき無い為、私は初日の今日
  は1人席に座りました。本来なら屯渓まで飛行機で行く予定だったのが、飛行便が無くなった関係で500kmをバ
  ス移動する事になり、キャンセルが出て7人と減った為に大型バスがマイクロのバスになったという2重のハプ
  ニングが出た今回のツアーなので、この先、どんなハプニングが待っているのか少し心配です。  
   
  天気は晴れで上々の天気ですが、相変わらずスモッグがあり、遠くの景色は少し霞んでいますが、これ位なら中
  国では良しと思います。気温も18℃と言ってましたが丁度良い感じで、高速道路も渋滞は無く、途中、2時間おき
  にトイレ休憩で”徳清SA”と”龍崗SA”で10分間の休みを取って、午後6時30分に黄山区の屯渓南ICを通過しま
  した。高速道路の両側には今が盛りと菜の花が至る所に咲いていました。
   

  車は、そのまま、今日の夕食会場の屯渓老街の入口にある
「老街客棧」に午後6時45分に着きましたが、食事前
  に
”屯渓老街”を散策する事になりました。ここは800年前からある街で小さな店屋が並んでいてなかなか風情
  のある老街でした。屯渓はお茶が有名なので地元にしかない
「太平猴塊」「黄山毛峰」に世界3大紅茶の1つに
  なっている
「祁門紅茶」を買いましたが、味の方は?かもしれません。
   
  午後7時30分に
「老街客棧」に戻り夕食を食べましたが、この店も思ったよりはるかにおいしくて、昼の空港内の
  
「慶吉」と同じ位美味しく感じました。午後8時15分に店を出て10分程で今日の宿泊ホテル「黄山国脈大酒店」
  着きましたが、チェックインと言うよりカードキーが調子が悪く、なかなか部屋に入れず、キーを交換して部屋に
  入ったのは午後9時前でした。部屋もシャワーは何とかなりましたが、エアコンは空気は出ているのですが、一
  向に暖かくならずそのまま寝ました。
   


  
17日(木)昨日の疲れか、早く寝たにも拘わらず、目覚ましが鳴るまで寝てしまい、午前6時15分に起きました。午
  前6時半から朝食が出来るとの事だったので、6時半過ぎに行くと中国人の団体で賑やかでした。
  朝食ビュッフェは種類は多くありませんでしたが、一応、パンもコーヒー(カフェオレ)もある上、目玉焼きと麺は
  コックが目の前で作ってくれるので両方を食べました。出来立ての万頭が来たので食べたら餡入りでデザート
  用だったかもしれません。
   

  午前8時にホテルを出発し
”ム源観光”に向かいました。午前8時40分に高速道路を降りてから日本の山道と同じ
  ような曲がりくねった道を30分程走り、菜の花畑が綺麗に見える所で、一度、写真休憩を取り、午前9時15分に
  出発し午前9時40分に最初の目的地の
「篁嶺風景区」の駐車場に到着し、ここからロープウエイに乗り、古い田
  舎町の風情を残している昔の篁嶺村に行きました。
   
   
  
ガイドの侯さんの話によると、この地区は昔の徽州建築様式(木造作り)を残していますが、貧しい為にある財閥
  が村ごと一山買い取って、住民には山の下に住居を用意して引っ越しさせ、元の村を観光地として整備して、今
  のように観光客が来るようにしたそうです。ロープウエイで上駅まで行き、そこから歩いて見学するのですが、
  展望台から見えた菜の花の段々畑はなかなか見事なもので、日本では見る事が出来ないと思いました。
   
  村の中央にある建物は800年前からあるそうで、結婚式や葬式も行える村の集会所のような役目を果たしてい
  たそうです。午前11時30分頃に再びロープウエイで下駅まで戻り、午前11時50分に出発しましたが、この頃から
  心配された小雨が降りだしましたが、幸い、大した雨にはなりませんでした。

  午後12時半にお昼を食べる
「老邸農家山荘」に到着し、案内されたテーブルに行くと茶碗1個の上に箸が置かれ
  ているだけなので、周囲を見ると中国人はほとんどの人が茶碗にご飯を入れて、その上に取って来たおかずを
  乗せて一緒に食べているのが分かりましたが、日本人はそれが出来ないからと言って、茶碗をもう一つ貰って
  湯のみ代りの小さなプラスチックのカップにお茶を入れて済ませましたが、日本で食べる様な料理もある、本
  当に田舎の食堂でした。
   
  午後1時10分にレストランを出て、すぐに
「李坑村」に着きましたが、ここは中国一美しい村と言われているそう
  ですが、昔は小川の両側に家が並び何とも言えないような風情があったそうですが、今では近くに新幹線が
  通り、住民の金もうけのために店を出したりして、雰囲気は台無しになっているそうです。その上、入場料まで
  取っているのですから、すくい様が無いように思います。
   
  午後1時20分に入場し、歩いて行くとガイド侯さんの言ったとおり、写真にとると雰囲気があると思いますが、実
  際に歩くと一部の場所を除いて全く風情のない土産物屋ばかりになっている感じで、これではあと何年持つの
  か分からないと思いました。
  午後2時50分に見学を終わり、出口まで行き、
イドの侯さんはここから電動カートで駐車場まで帰るつもりだ
  ったようですが、料金が普通なら2元なのですが、雨が降りだしたからと急に5元に値上げしたので、さすがの
  侯さんも頭に来たようで、それなら歩くという事になり、駐車場まで歩きました。
  午後3時15分に出発し景徳鎮に向かいました。途中”婺源SA”でトイレ休憩し午後4時40分に黄山区の屯渓南IC
  を出て午後5時10分に景徳鎮のホテル
「開門子大酒店」に着きました。今日はカードにも問題なく午後5時20分
  には部屋に入れました。午後6時15分にロビーに集合し夕食会場に向かいましたが、今日の夕食は
「文苑商務大
  酒店」
の2階にあるレストランで食べましたが、昨日の昼夜と同じような味で、この店では今まで食べた事の無
  いようなかぼちゃご飯や春雨と白菜炒めのような料理が出ました。
   
  午後7時半に夕食が終わり、15分程でホテルに着き、部屋入るとエアコンが効いて暖かくなっていたので昨日の
  ホテルとは大違いだと思いましたが、
添乗員のH.Tさんによると今回のツアーで一番良いホテルとの事でした。


  
18日(金)今朝は昨日も早く寝たせいか、午前5時30分に目が覚め、そのまま起きて旅行記の整理をしました。
  午前7時から朝食に行きましたが、ホテルの感じからビュッフェも充実していると思いましたが、思った程ではあ
  りませんでした。それでも目玉焼きと麺はその場で作ってくれるので文句は無いし、他の料理もそれなりに有り
  、点心類は珍しく焼き餃子もありました。
   

  午前8時30分にホテルを出発し、最初に
「景徳鎮民窯博物館」に行き、ガイドの侯さんから磁器についての説明を
  受けながら、宋時代や明清時代の出土品を見てから、傍にある
「湖田古磁器遺跡」に行きましたが、去年の11月
  から再調査を始めたので入場禁止になっていました。代りに磁器の製造を見たいという人がいたので、
侯さん
  が知り合いの磁器製造工場に連れて行ってくれました。
   
  午前10時10分に着いた
「隹洋陶瓷」は昔の宋や明清時代の博物館級のコピー商品を作っている工場で、2階の
  作業場では黙々と絵付けをしている人達がいました。出来上がった製品を売っている店があるので、そちらに
  行って「北京故宮博物館」にある”明成化年製闘彩鳰缸杯”を買う積りでしたが、手描きは高かったので貼り絵
  の商品で我慢し、別の手描きの杯を1つ買いました。
   

  午前11時に「隹洋陶瓷」を出て、陶器自由市場
「金昌利陶瓷商城」に行きました。ここは3階建てのビルの中が全
  て陶磁器を売っている店ばかりで、主に個人経営のような、小さな店が入っているそうです。上から下までざっ
  と見ましたが、若い女性の作家が出している店で、可愛い童子を描いた急須と湯呑4個のセットがあり、絵の描
  き方も品が良く、上手だった上に値段も600元まで下げると言ったので、買いたかったのですが、その前に買っ
  たばかりなので泣く泣く見送りました。
   
  午後12時に出発し昼食会場に向かう途中の橋の欄干に陶磁器に関係のある像がいくつかあり、街灯の支柱も陶
  磁器でなかなか面白いと思いました。お昼は
「伊龍大酒店」のレストランで食べましたが、食べた事が無いよう
  な料理もあり、まずまずの味で良いと思いました。
   
  昼食後、午後1時10分に出発し、鷹潭市(ようたん)に向かう為に高速道路のインターチェンジに向かって走って
  いたのですが、30分程走ると道路が工事中で、マイクロバス以上の大型車は通行禁止になっていたので、仕方
  なしに同じ道を引き返し、午後2時に景徳鎮ICからやっと高速に乗れましたが、これも最初に思った今回のハプ
  ニングの1つかなと思いました。それでも、途中、”月亮湖PA”と”龍虎山SA”でトイレ休憩をして、鷹潭市内に入り
  ましたが、ここでも新築中の高層マンションが多く、本当に売れるのかなと思いながら走って、午後5時には今
  日の宿泊先の
「華盛大酒店」に着きました。
    
  夕食はホテル内のレストランで午後6時30分からだと言われたので、早目にシャワーを浴びて、すっきりした気
  持で夕食に行きました。このホテルの2階の
レストラン「龍軒」もなかなかの店で品数は9品でしたが、運んで来
  る女性従業員も感じよくて、出て来る料理も美味しいと思いました。
  午後7時30分に解散になったので、少し街をぶらついてみようと思いましたが、このホテルは鷹潭駅前で賑や
  かですが、特に見る所もなさそうなので直ぐに引き返してきました。
   
   

  
3月19日(土)今朝も5時半に起きましたが、昨夜は何故か何回かトイレに起きたので寝覚めがすっきりしません。
  少し旅行の写真の整理をして、午前7時に朝食ビュッフェに行きましたが、種類があり、なかなか充実していると
  思いましたが、かと言って、食べるのはパンとコーヒーに目玉焼き程度で少しなのが我ながら残念です。
  午前8時にホテルを出て、
世界遺産"中国丹霞・龍虎山”に向かいましたが、出た時は小雨が降って、霧が出てい
  たので最悪の天気だと思ったら、
ガイドの侯さんが霧が出ているから天気は大丈夫だと思うと自信満々に言っ
  たので、本当かなと思っていたら、午前8時30分に龍虎山観光の駐車場に着いた時には雨は止んで、霧も薄く
  なってきていました。そこから龍虎山風景区の入場口まで車で行き、中に入ってからグリーンバスに乗って筏乗
  り場の入口まで移動した後、歩いて筏乗り場に行き、午前9時40分に芦渓川の
”いかだ下り観光”の始まりです。
  (
丹霞地形とは赤い砂礫岩の集中した地球の進化プロセスを示すカルスト状地形の事を言う)
   
  川の両側にはカルスト地形の断崖が山水画を思わせるように聳え、観光客を乗せた筏が川を下って行く様は本
  当の山水画を彷彿させますが、切り立った崖の岩肌にポッカリと穴が開いて洞窟の様になっている所には棺が
  置かれているそうです。
   
  
”崖墓(がいぼ)”と呼ばれ、2,600年前の古越族の墓で、1本の丸太を刳り貫いて遺体が収められ、大小さまざま
  大きさの木棺が自然の風化によって出来た、高さ90m~100m位の洞穴の中に安置されているそうです。
  揚子江流域から中国南部、東南アジア、太平洋諸島でも見られる風習は、その理由や目的ははっきりせず、洞穴
  に木棺を入れる方法も何通りか考えられているそうですが、未だに結論は出ていないそうです。
  この川では両岸に洞穴がありますが、棺があるのは左岸側だけで、理由としては太陽が良く当たるのが左岸だ
  からだと船頭さんの説明がありました。川下りの途中にはそれぞれ名前の付いた岩山もあり、中国語で一生懸
  命説明してくれましたが、残念ながら、所々しか聞き取れませんでした。

  午前10時10分に筏を降りて、崖墓が見やすい所まで急な階段を上って見に行きましたが、見れば見るほど不思
  議な感じがします。場所が高い所ほど副葬品が多いそうですから、お金持ちや偉い人が上の方に納められたと
  いうのは、昔の人がどんな思いでやったのか聞いたみたい気持になります。
  午後12時から棺を洞穴に納める模様を再現するショーがあるので、それまで休憩して待ちました。この頃になる
  とガイドの侯さんの言う通り、気温も20度以上になっている感じで暑くなりました。午後12時の
「納棺ショー」
  前に
”鵜飼”の実演があり、鵜を4,5羽乗せた小さな竹の筏が5艘、川の中ほどで鵜を泳がせ、実演をして見せま
  したが、何羽かの鵜が大きな魚を捕まえていました。
   
  その後、納棺ショーが始まりましたが、岩山の上からロープが降ろされていて、そのロープを伝って男が下りて
  来て、洞穴に入り、続いて2人目の男が入ると、別のロープに縛られて船に積まれたお棺が、洞穴の上の方に差
  し込まれた丸太を滑車にして、地上にいる5,6人の男が引き挙げて、洞穴の位置に行くと、先に入っていた2人が
  お棺を洞穴の中に入れると言うやり方でした。2,600年前からこの方法だったかどうかは分かりませんが、良く
  考えたものだと思いました。
   

  午後12時15分にショーが終わり、歩いてグリーンバス乗り場まで行き、バスで入場口まで戻り、そのまま、歩いて
  昼食会場の
「郷村厨子」に行きました。案内された個室に入るとテーブルの上には8皿の前菜が出ていました。
  昼食は
「天師八卦宴」となっていたので8種の前菜がそれを意味しているかどうかは確かめていませんが、料
  理の内容は田舎のレストランと思っていたら、食べた事の無いような料理が出て来て感心しました。
   
  午後1時50分に店を出て、最初に
「上清宮」に行きましたが、ここは”水滸伝”の第1話の舞台で有名らしく、1317
  年に出来た”老街”は当時のものらしいのですが、あとは2000年に建物の一部が再建され、今後も計画がある
  ようです。奥の
”伏魔殿”には108の星が逃げた井戸があるそうですが、今は蓋が置いてあり何も見えません。
   

  次に
「天師府」に行きましたが、ここは歴代の張天師が住んでいた場所で道教の一番格の高い所です。”玉皇殿”
  は
”玉皇大帝”が祀られている所ですが、”玉皇大帝”は神の中の最高の地位の神であり、道義では最高主宰神と
  して祀られているそうです。
   

  午後3時に見学が終わり、その足で傍にある
”上清古鎮”を歩きましたが、町全体は新しく作られた感じですが、
  ここの狭い通りを歩いていると、野菜を売っている人がいたり、街中でトランプを楽しむ住民がいて、昔の町は
  こんな感じだったのかなと思いながら散策しました。
   

  午後4時に全ての見学を終わり、今日の宿泊地上饒市に向かいました。途中、「上饒SA」でトイレ休憩し、午後7時
  に
「沐シン城市酒店」着きました。
   
  チェックインだけ済ませ、午後7時15分からホテルのすぐ傍にある
「食味鮮」で夕食を食べましたが、この店も昼
  の店と同じように今まで食べた事が無いような”アヒルの舌”とか”草魚の甘酢掛け”の他にも知らない料理が
  出て来て、今回のツアーは食事が充実していると皆さん今日までは思っているようでした。午後8時15分に食事
  が終わり三々五々ホテルに引き上げましたが、スーパーに買い物行く人もいました。
   
   

  
3月20日(午前7時からの朝食ビュッフェは昨日のホテルよりも種類が多く、なかなかのものでしたが、目の
  保養だけで食べたのはいつもと同じでパンとコーヒー、ゆで卵とフルーツ(スイカとパイナップル)でした。
  ホテルの前の道路の状況は午前7時半過ぎなのに車はガラガラで、やはり、日曜日のせいかなと思いました。
  天気は霧雨が降ったり止んだりでしたが、午前8時に今回の私の旅の目的地の1つ
”世界遺産三清山”に向かって
  出発し、ここでも建築中のマンションを見ながら15分程で高速に乗り、三清山西SAでトイレ休憩を取り、九十九
  折の坂道を登って、午前9時50分にロープウエイ(外双渓索道)の駐車場に到着しました。
  そこから索道下駅まで行くのですが、急こう配を500m位、今日の1泊分の荷物を持って登って行くのですが、結
  構、きついと思いました。日曜日なの去年の武陵源の様に2時間も並ぶのかと思っていたら、
”世界遺産三清山”
  
は今のところそこまで人気が無いのか、ほとんど、待つことなくロープウエイに乗る事が出来ました。
   
  全長2,426m、標高差593mのロープウエイからの眺めは最高だと言われているそうですが、生憎の霧で遠くは
  全く見えませんでした。それでも近くに見える岩の山々は迫力があり、上に登ってから散策しながらの景色が
  楽しみでしたが、上に行くほど霧が出て来て視界が悪くなるので心配が大きくなるばかりでした。
   
  15分程で索道上駅に着き、そこから、今日の宿泊先
「日上山庄」まで800段の階段を上がって行くのですが、こ
  れが最初の試練でしたが、まだ雨が降っていないだけ良かったと思います。午前11時に
「日上山庄」に着き、チ
  ェックインをしようと思ったら、部屋が3つしか用意できていないと言うので、
添乗員のH.Tさんの部屋に荷物を
  置いてロビーに行きました。
   

  午後12時からの昼食の予約を早めてもらい、午前11時30分からお昼を食べましたが、ガイドの侯さんがこのホ
  テルは星1つのホテルだが、値段は星5つのホテルと同じと言うように食事も本当に質素でしたが、食べられる
  だけましだと思って食べました。ホテルの食堂は日曜日とあって、日帰りの中国人もお昼を食べ来ているのか、
  なかなか盛況でした。
   
  午後12時15分に散策というより
”階段ハイキング”にしゅっぱつしましたが、出る頃には霧雨がわずかに降ってい
  ただけですが、視界は全く不良で貰った資料に出ている名前の付いた岩や木は何処にあるのかも分かりませ
  んでした。最初の30分間はひたすら階段を上り、標高1524mの西霞港まで歩いて休憩を取り、その後、平らにな
  ったと思ったら、所々に登ったり下ったりの階段がある中をひたすら歩き、名所らしいところでは霧に向かって
  写真を撮りながら歩きました。
   
  午後2時頃からは本降りになり、私の100円ショップで買ったポンチョは防水になっているのかいないのか、ダ
  ウンのチョッキを通ってセーターにまで滲みてきてました。そんな中でも駕籠に乗っている人がいたのは驚き
  でした。   
  午後2時半頃にホテルに戻るコースと更に外回りを歩くコースの分岐点に差し掛かった時に、意見を求められ、
  私はホテルに戻るコースにしたのですが、外回りのコースに行きたい方が3人いたので、その人達はガイドが案
  内し、私を含めた4人が添乗員と一緒にホテルに戻るコースになりました。戻るコースと言っても楽ではなく、ひ
  たすら急な階段を30分近く降り続けてやっとホテルに戻りましたが、それでも2000段以上の階段を上り下りし
  ていると思います。
   
  午後3時過ぎに部屋に入りましたが、このホテルは最初から暖房は無くて、電気毛布1枚が暖房の手段と聞いて
  いたので覚悟はしていたのですが、床もモップを掛けて濡れたままの状態なので、荷物もツインの使わないベ
  ッドに置きました。室内はゴム草履のつっかけがスリッパ替わりに置いてありました。
  取り敢えず、来ているものや靴を脱いで、パジャマに着換えてから、ドライヤーがあったので、全てものをドライ
  ヤーで乾かしました。湯沸かしポットがあったのでお湯を沸かして、昨日のホテルに置いてあったインスタントの
  ネスカフェコーヒーやお茶を持って来ていたので、それで一息つきました。
   
  午後6時半からの夕食も昼間と同じ場所で食事しましたが、今日は札幌から参加している
ISodaさんの66歳の誕
  生日だ
という事で最初にハッピーバースデイを歌って、添乗員のH.Tさんが苦労して持って来たバースデイケー
  キでお祝いをしました。私はツアーの1日目・2日目で皆さんの年齢や何処から来ているのか聞いた時にIsodaさ
  んが札幌から来ている聞いて驚きましたが、彼は五千年倶楽部が札幌にないので、自分の行きたい所があれば
  東京でも名古屋で参加していると言ったので、中国の好きな人は徹底していると思いました。夕食の料理自体
  はお昼と似たような1つ星ホテルの料理でした。
   

  
21日(月)本来の予定は午前4時45分にホテルを出て、1時間位歩いて”玉清台”と言う所から、午前6時15分の日
  の出鑑賞だったのですが、昨夜の天気予報で今朝は小雨で日の出は無理だと思い、私は日の出鑑賞はパスし
  ました。2人の方が出かけたようなので、気になって午前6時に起きた時にホテルの外に出て見ると、雨は降って
  いませんでしたが、視界は霧が出てない分、昨日よりかなり遠くまで見えていましたが、日の出はとても無理
  だと思いましたが、昨日見えなかった名所の岩山が見えるかなと思い、日上山庄の前から撮りました。
   
  部屋に戻って休憩し、午前7時30分の朝食に行くと日の出鑑賞に行った2人が帰って来ていました。様子を聞く
  と”玉清台”には他に誰も来ていなくて、日の出も見られなかったそうですが、帰り道は視界が良かったので良
  い景色が見られたと言ってましたが、彼らがホテルに帰って来てから雨が降りだし、朝食を食べている時には
  かなりの雨が降っていたので、朝の散策もあきらめて部屋で過ごしましたが、テレビの天気予報では中国南部
  の暴風雨警報を報道していました。
   
  結局、今回の私のツアーの目的の2つの内
”龍虎山”は最高の形で見る事が出来ましたが、”三清山”は最悪のパ
  ターンになりましたが、その厳しさを知る事が出来たのは良かったと思っています。
  午前10時10分に今日の目的地杭州に向かって出発しましたが、まず下のロープウエイの駅まで下り階段を歩き
  、午前10時30分にロープウエイで麓に降りてから、地元の
「幸福酒家」で早めの昼食を食べましたが、田舎の食
  堂の割には上のホテルよりはましで、地元料理もありました。
   

  午前11時40分に三清山を出発しましたが、皮肉な事にこの頃には雨がやんでいました。午前11時40分に食堂を
  出発しましたが、この辺では自由にお墓を作れるらしく、高速道路脇の斜面に点々とお墓がありました。
  午後1時に三清山SAでトイレ休憩しましたが、ここの売店で気になっていた”四特酒”と言う52度の地元
  の白酒の小瓶100mlを買いました。その後、午後3時に「龍游SA]でトイレ休憩し、新幹線の工事中の現場と並行し
  しながら一気に今日の杭州の夕食会場
「百合花飯店」に午後6時10分に到着しました。
   
  この店は日本人のツアー客が良く来る店らしく日本語の話せるウエイトレスが付いて料理の説明や自分の店の
  製品を売ろうとしていました。料理の方は名物の”こじき鶏”や”龍井蝦”が出ますと自慢そうに言ってましたが、
  大したことはありませんでした。午後7時に店を出て、今日の宿泊先
「海外海百納大酒店」に向かいましたが、距
  離は15km程ですが、信号が多いせいと渋滞で、ホテルに着いたのは午後8時10分でした。
   

  
22日(月)『春分の日』ツアー最終日になりましたが、午前6時30分から朝食ビュッフェが開いているというので
  その時間に行くと、既に中国人や日本人のツアー客がかなり来ていました。今までほとんど聞かなかった日本
  語の会話を聞くとホッとします。
”杭州西湖”は2011年に世界遺産になっているので、上海ツアーに組み込まれて
  いる事が多い関係で日本からの観光客も結構いると思います。
   

  午前8時30分にホテルを出て、
世界遺産”西湖”に向かいましたが、杭州市内は各所に花木があり、綺麗な所も
  ありますが、6月にG20国際会議が開かれる関係で、至る所が工事中で渋滞しているので、昨夜と同じで信号と
  渋滞で西湖遊覧の船着場に着いたのは午前9時50分でした。当初の予定では中国で関羽と並び称されている
  英雄岳飛の
「岳王廟」が直ぐ近くにあるので、行く予定になっていましたが、空港に行く時間の関係で直前に観
  光が中止になり、悔しい思いがあったのですが、トイレに行く途中で
「岳王廟」の前を通ったので入場門の写真
  を撮れたのがせめてもの慰めになりました。
   
  午前10時20分に遊覧船で西湖を一周し、曇り空で靄っていたので、2002年に復元された
”雷峰塔”も霞んでいま
  した。写真を撮るために戸を開けると、前にいた中国人ツアーのおばちゃんが文句を言うと、私の隣に座ってい
  たガイドの侯さんが何か言い返して口論になりましたが、中国人ツアーのガイドがおばちゃんに前方の席が空い
  ているからと言い、そちらの席に移ったので治まりましたが、滅多に経験できない面白い場面でした。
   

  午前10時50分に遊覧船を降りて、バスの駐車場まで20分程歩き、駐車場から昼食会場まで2,3kmなのですが、
  渋滞で30分近く掛かりました。11時45分にからお昼を食べた
「香都楼」は見かけによらず、おいしい料理でした
  が、飛行場への出発時間が気になって、出て来たら直ぐに食べると言う感じで、ゆっくり味わう事が出来なかっ
  たのが残念でした。
   

  午後12時25分に店を出て、220km先の上海浦東空港に向かいました。途中、”嘉善SA”でトイレ休憩をして浦東
  空港第1ターミナルに着いたのは出発時間2時間前の午後3時50分でした。順調に走行してこの時間ですから、
  渋滞や事故でもあれば大変だったかもしれません。
   
  チェックインカウンターで少し時間がかかりましたが、午後4時40分に現地ガイドの侯さんに見送られ、出国手続
  きと手荷物検査を受けて中に入ったのは搭乗時間の15分前の午後5時でした。
  午後5時15分から搭乗開始、機内は思ったより空いていて、私は最後列の席でしたが、3人席は私一人だったの
  ゆっくり出来ました。MU291便は定刻午後5時55分に出発し、セントレアには10分前の午後9時に到着しました。
  入国手続きをしてスーツケースを受け取り、午後9時37分のミュースカイに乗ってセントレアを出て、家内に春日
  井駅に迎えに来てもらい、我が家に着いたのは午後10時40分でした。
  

  今回の「麗らかなム源と絶景の世界遺産三清山・龍虎山 陽春の江西省7日間」の旅はム源の菜の花の段々畑と
  
世界遺産”中国丹霞・龍虎山”までは良かったのですが、メインの”三清山”観光が雨で見られなかったのが残念
  でしたが、それでも三清山の厳しい階段を体験できたことは良かったと思いました。ツアーメンバーが男ばかり
  の1人旅が7人という初めての経験でしたが、こんな旅も有りかなと思いました。ただ、中国の道路事情を考え
  ると普通のマイクロバスは座り心地が悪く、悪路は腰や頭に響くので勘弁してほしいと思いました。


 3月15日(火)
  朝起きると昨日とは打って変ったような雲1つ無い青空でしたが、冬の様な冷たい風が吹く一日になりました。
  それでも、庭を良く見て回ると白やピンクの
ツバキが咲いては落ちているのがあり、スイセンも咲き始め、ムス
  カリ
があちこちの地面から姿を現し青い花を咲かせ、アブラチャンも小さな可愛い花をあちこちの枝に付け始
  めていました。去年、家内がバッサリ切ったユキヤナギも細い枝に白い花を咲かせ、紫陽花も切った先から葉が
  出始めています。やはり、春はそこまで来ていると実感する事があちこちに見えます。
   


  午後3時過ぎから市民プールに行きましたが、冷たい風の吹く日のせいか、いつもよりは来ている人が少ない
  と思いましたが、私にとっては泳ぎやすいので有難い事でしたが、午後4時過ぎには監視員より泳いでいる人
  の数が少ない状況というのは余りにも淋しいと思いました。

  明日から「麗らかなム源と絶景の世界遺産三清山・龍虎山 陽春の江西省7日間」に出かけますが、2日目の婺源
  (ムゲン)では菜の花畑が一面に広がっている所をロープウエイから見られるそうなので、一足早く春を感じら
  れるかも知れません。



 3月14日(月)
  朝から冷たい雨の降る冬に戻ったような、一日中寒い日になりました。家内はいつもの様に義母の所に出かけ
  て行きました。私は午前中、
「東野内科クリニック」に行きましたが、壁にお知らせが貼ってあり、先月に続いて、
  来月も先生が入院手術するので1週間休院するとありました。
  先月は以前からの食道がんの治療でしたが、今度は
”頸部頸動脈狭窄症”の手術だと言ってましたが、脳へ血液
  が行かなくなると脳卒中が起こるので、その予防処置として行うのですが、頸動脈を開いて行うか、ステントを
  入れるかはまだ決まっていないそうです。
  私は先生の80歳近い年齢を考えると、開いて除去する方法になると思いますが、いずれにしても、先生には手
  術の方法や様子をしっかり確認しておいて、退院してから教えてほしいとお願いしておきました。



 3月13日(

  朝の気温が2℃と冷え込みましたが、日中は風も弱く、マラソンには絶好のコンディションだと思い、午前9時過
  ぎにテレビを点けて、日曜美術館やサンデーモーニングを見ながら、時々、
「名古屋ウィメンズマラソン」を見て
  いましたが、午前10時半過ぎからテレビにくぎ付けになりました。
  というのは
”リオデジャネイロ五輪”の3人目の枠がこのマラソンで決まるのですが、2位争いを田中智美選手
  と
小原怜選手が並走して争っているのを見て、田中選手は昨年の世界選手権に選ばれてもおかしくなかったの
  が落選しているし、小原選手は私の出身地、岡山天満屋の所属の選手だし、スタート前はどちらかが勝てば良い
  いと思っていた2人が競って走っているのですから、どちらも応援したい気持ちで目が離せなくなりました。
  結果はゴール手前の直線130mの争いで
田中智美選手(第一生命)が1秒差で勝ちましたが、本当に手に汗を握る
  とはこの事だと思うと同時に、たった1秒の差でオリンピックに行けるかどうかの分かれ目になるという勝負の
  厳しさを目の当たりにしました。
  負けた
小原怜選手「これで終わりではない」と1万メートルで”リオデジャネイロ五輪”を目指すと言ってるので
  、頑張ってぜひ代表になってほしいと思っています。



 3月12日(土)
  午前9時過ぎにゴルフ仲間の集まるモスバーガーの店に行くと、最近には珍しくかなり混んでいました。既に卒
  業式が終わり、春休みになっている人達が親と一緒に来ているのか、若い家族が何組かいました。
  私達のグループはいつもと違う席に8人が陣取って話していましたが、今日はゴルフ談議は置いといて、
”物忘
  れ自慢?”
が話のメインでしたが、2つの事をしようと思って2階に上がっても1つの事しか出来ず、1階に降りて
  から、もう1つの事を思い出して、再び2階に行く事が多いとか、車で出かけて途中で入れ歯が入っていない事
  に気が付き、家に戻ったとか、お互い顔は分かっていても名前が出て来なくて
「ほら、あの人、髪の長い、・・・・・」
  と言うのが精一杯だというような話で盛り上がりましたが、今日集まったメンバーの平均年齢が75歳ですから
  当然と言えば当然だと思いました。
  夜の団地内の
”安全パトロール”でも元ソフトボール仲間の78歳のB.Nさんと話していたら、同じような話が出て
  、
B.Nさんが家の中でも外でも同じ事をやっても1回で済むことが少なくて、繰り返す事が多いので運動量が増
  えたと言うので、今朝のゴルフ仲間の話をしたら、本当にその通りだと納得していました。



 3月10日(木)
  午前中、「東部中国語同好会」に行きましたが、今日はたった4人の出席者しかいませんでしたが、メンバーが7
  人になったので、1人2人欠席すると淋しい同好会になると改めて実感しました。
  午前11時半に終わり、家に帰る時に県道から国道19号線を通るのですが、途中、側道から19号線に入る場所で、
  時々、
”一時停止”の取り締まりをしている事があるのですが、今日は10日という事もあって、私がやっているか
  なと思って見たら、丁度、1台の車が一時停止をせずに、そのまま19号線に進入して捕まっていましたが、自業自
  得とはいえ、あの場所で捕まるのは少し可哀想な気がしました。
  と言うのもその場所は一時停止の標識が手前にあり、19号線に進入する時は50m位走る間に入ればよいので、
  どうしても一時停止の標識を通り越して、19号線に入る所で停まる車があるので、取り締まりをやっていると、
  結構、捕まっています。警察もそれが分かっているからそこで取り締まるのだと思いますが、私は事故防止が目
  的なら、標識の所に警察官が立って指導した方が良いと思います。



 3月9日(水)
 
 昨日と打って変わって冬に戻ったような肌寒い天気になりました。家内が着物に着換えてお茶の稽古に出かけ
  た後で
「団地安全協議会」D.N会長が来られ、来年度の役員人事の件で相談され、役員も高齢化や個人の事情
  で辞退される方が何人か出て来た関係で、会計を担当していた
T.Kさんが副会長に就任する事になったので私
  に会計をやって欲しいと言われました。
  私が何かと雑用が多い上に他の同好会や春日井まつりにも関係している事はご存じですが、何人かの人にお
  願いして断られた結果、私の所に来られた事情を聞くと、
D.Nさんが日頃から安全協議会の活動に一生懸命取り
  組んでいる事を知っている私としては首を縦に振るしかなく、来年度から会計をやる事になりました。
  自治会と違って大きな金額を扱う訳ではないので、気は楽ですが、それでも自分のお金ではないので、間違い
  の無いようにしっかり役目は果たしたいと思っています。


 3月8日(火)
  家内は「誠武館婦人剣道部」の稽古があり、道場を開ける為に午前9時半頃に出かけて行きました。私は昨日の
  ゴルフの練習のせいか、腰の調子が悪い(腰が伸びない)ので
「皿貝接骨院」に行き、牽引と電気治療、マッサー
  ジを受けましたが、1時間近くの治療を受けて代金が1割負担で170円ですから申し訳ない気がします。
  昨日、家の前の
”一本桜”が伐採されたのですが、今日は傍にあるブロック塀の撤去を行う為にコンクリートカッ
  ターとブレーカーを使って仕事をしていたので、一日中、うるさいと思い、午後からも早めにプールに出かけま
  したが、日中は初夏のような感じだったせいか、プールも先週あたりより人が多く来ていました。やはり、暖かく
  なるにつれて人間は動きたくなるのかもしれません。


 3月7日(月)
  午前9時頃、我が家の前の「元富士寿し」”一本桜”を伐採に業者の車がきました。先週、今日から伐採しますか
  らと挨拶があったのですが、朝から雨が降りそうで天気がはっきりしないので、どうするのかなと思っていまし
  たが、予定通り、今日やる事にしたようです。
  午前9時過ぎからリフト車に乗った職人さんがチェンソーで枝を切り始めた頃に、家内は義母の所に出かけて行
  きましたが、今日は先週月曜日に出産した義妹の3女が退院する日で、彼女はそちらに行ってる関係で、家内は
  一人で義母の相手をしなければならないので、義母の調子が良い事を祈りながら出かけました。
  私は午前10時過ぎにゴルフの練習に出かけ、1時間700円のコースで200球程打って帰って来ると、大きな桜の
  木は主な幹を1本だけ残して、ほとんど伐採が終わりかけていました。
  昼食後、午後3時前にチェンソーの音が止んだので、外を見ると桜の木の姿は完全に無くなっていました。本来
  ならあと3週間もするとピンク色の花を付けて私達の目を楽しませてくれるはずでしたが、今はそれも夢となり
  ました。40数年前に植えられ、ここ十数年は、毎年、楽しませてもらいしたが、最近は大きくなりすぎて、大型車
  の通行を妨げるようになり、今回の伐採と言う処分になりましたが、桜の木には責任は無いので、植物と言えど
  も可哀想な気がします。
   



 3月6日(

 
 昨夜のテレビでは朝から雨の降る天気予報でしたが、朝起きてみると、少し薄日の射す暖かい日になりました。
 この所の暖かさで赤やピンク、白の椿が沢山咲いていますが、花が
 咲くとすぐに小鳥に突かれるせいか、綺麗な花を見つけるのが難し
 いのですが、今朝、庭に出てみたら、
赤い椿の花が隅の方できれい
 に咲いていたのが見つかり嬉しくなりました。
 お隣との境の
ラッパ水仙も2輪だけ咲いたと家内が言ってたので、
 見に行くとこちらも綺麗に咲いていました。
 家内は団地内の
「老人の家」の各同好会の使用についての割り振り
 があるからと、今年から健康体操の代表になったので、午前10時前
  に出かけて行きました。団地内の同好会も健康体操や踊り、民謡や太鼓、囲碁、太極拳、パソコン等、多方面にわ
  たって活動している人達がいますが、そんなに揉める事も無く割り振りは終わったようです。
  午後から雨が降りそうで降らないので、ウオーキングに行きましたが、1時間近く歩いて帰ると、久し振りに汗び
  っしょりになりました。



 3月5日(土)
  朝からどんよりした曇り空でしたが、気温は高く、春はそこまで来ている感じでした。生ごみを出してから、午前
  9時過ぎにいつもの店にお茶をしに行きましたが、暖かくなると出だしも早く、皆さん既に揃っていました。
  1時間程、私は参加しませんでしたが、皆さんで先日のコンペの反省やアプローチの事について話して家に帰る
  と、家内がお雛様を片付けて、五月人形を出していました。
  40数年前に長男が生まれた時には家内の実家や親戚から立派な五月人形や鯉のぼりを頂いたのですが、お雛
  様と同じで、いつの間にか大きな人形は奥に仕舞ったままになって、最近では小さな可愛い人形がほとんどに
  なってしまいましたが、それはそれで見ていて癒されるので良いと思っています。
   



 3月4日(金)
 
 午前中、「南部中国語同好会」があり、O.S先生が見学の女性を連れて来てくれました。O.S先生は月に一度、中
  国茶のお茶会を開いているのですが、その会場に来ている方で、今日も先生から少し読むように言われて、臆
  する事無く、直ぐに読めましたから、私なんかより出来そうな感じでした。
  私の参加している中国語同好会は東部も南部もメンバーが7人に減っているので、1人入会してくれると会費的
  にも助かるので、何とか入会してほしいと思います。
  お昼に家に帰ると、後から写仏画同好会の
「蓮華会」に行ってた家内が帰って来て、「新しい人が入会した。」
  嬉しそうに言ってました。
「蓮華会」も会員不足で苦労しているので1人増えると助かるのは一緒です。
  午後からは
「坂下パソコン同好会」に行きましたが、こちらは前にも書きましたが、例外的な同好会で会員がや
  めても、次の方が直ぐに入って来るので、目下の所、会員不足には縁がありませんが、この状態がいつまで続く
  のかは分かりませんが、パソコン関連はまだまだやりたい人がいるようなので大丈夫そうです。


 3月3日(木)
  今日が本来の”桃の節句”ですが、朝は-2℃と昨日より更に気温が下がりましたが、日中は本当に春の陽気に
  なったので、ゴルフの練習に行ってから
「皿貝接骨院」に腰の治療に行きました。我ながら矛盾した行いだと思
  いますが、ゴルフの練習も少しはしておきたいし、明日になって腰痛で動けなくなっても困るので、精神安定剤
  として念のために接骨院で治療をお願いしています。
  お昼は月曜日に義母の為に家内が作ったちらし寿しの残りを食べようと楽しみにしていましたが、家に帰ると、
  次男が食べて無くなったので、久し振りに家内と一緒に
そば処「三心」に行きました。いつも食べる”穴子天丼と
  蕎麦”1,130円のランチは売り切れだったので、私は本日のお薦めの
”ヒラメ天丼と蕎麦”1,340円、家内は”とろろ
  丼と蕎麦”
1,000円を注文しました。
  蕎麦はざる蕎麦を食べましたが、この店の蕎麦はいつ食べても喉越しの良い蕎麦で蕎麦つゆとのバランスも良
  いので私も家内も大好きです。セットになっている丼はミニ丼なのですが、私や家内にとってはざる蕎麦を1枚
  食べた後では量が少し多いのですが、私は完食し、家内は申し訳なさそうな顔をして、ご飯だけを少し残してい
  ます。



 3月2日(水)
  今朝も-1℃と冷え込みましたが、日中は昨日よりは風が弱かった分、寒さは少し和らいだ感じでした。今日は
  家内は午前午後のフルタイムでお茶の稽古と日本画同好会があるので、ちらし寿しのおにぎりを作って、午前
  9時過ぎに出かけて行きました。
  私は午前中、家内に頼まれた手紙を出しがてら、団地内のウオーキングをしましたが、所々に春を感じさせる梅
  の花やツバキが咲いているのが見られました。
 今日は午後6時から春日井まつりの
「全国お国巡り物産展部会」
 懇親会が市役所前の
「黒潮」であったので、若手2人と3人で出席し
 ました。今年の懇親会は部会員の各県人会が頑張って複数の参加者
 を連れて来たので、総勢20人の賑やかな懇親会になりました。
 今年度の部会長の徳島県人会のKさんの開会の挨拶で始まり、途中
 、各県人会のお国自慢を兼ねた紹介があり、最後に来年度の宮崎県
 人会のMさんが名古屋式手締めの3・3・2・3拍子で締めて午後8時に
 お開きになりましたが、若手の
S.KさんU.Hさんが今後の春日井ま
  つりについて話したいと言うので、近くのデニーズでお茶を飲みながら話しました。
  彼らが春日井在住の岡山県人会の人達と顔合わせを兼ねた食事会を企画してほしいと言ったので、良い事だ
  と思うので、一度、皆さんに声を掛けてみると約束しました。
  午後9時頃に家内が迎えに来てくれたので、私は先に帰って来ましたが、若い2人はもう少し話してから帰ると
  言ったので、春日井まつりを2人でやるという前向きな話になればと思い帰って来ました。


 3月1日(火)
  今日からいよいよ3月ですが、2月も平均気温は平年より暖かったと言ってましたが、今朝はそれが嘘のような
  寒さになり、一日中、冷たい風の吹く冬に戻った感じでした。
 それでも庭を良く見ると白い椿が1つ2つと咲いているのを見ると
 春もそこまで来ていると思います。午前9時半過ぎに家内が
「誠武
 館婦人剣道」
の稽古に出かけたので、私は”2016年度オープンカレ
 ッジ春学期”
の申込みに中部大学へ出かけようとしていた時、サイ
 レンを鳴らしたパトカーが我が家の方に来て、サイレンを止めて我
 が家の前を通り過ぎ、一回りしてから再び我が家の駐車場の前に
 停まったので、前の家の
O.Nさんと何事だろうと顔を見合わせて、
 
「何かあったのですか?」と車から降りた警察官に聞いた所、「不
  審車が停まっている。」
と春日井警察に電話があったので来たと言ったので私とO.Nさんは納得しました。
  と言うのは、我が家の斜め前の家の人が消火栓があるにもかかわらず、路上駐車する事が多く、注意されても
  聞かないので、誰かがしびれを切らして警察に電話したのだと思いました。駐車場に入れれば済むことが面倒
  なのか、度々、そういう事が繰り返されるので、お灸をすえる為にやったと思いますが、近所の人達は内心喜ん
  でいると思います。実際、そこに駐車されて車の出入りや通行に困っていたのは我が家の他に
お隣のI.Kさん
  近所の人達ですから、これを機会にきちんと駐車してくれることを願っています。

  先月から家内が出していた可愛い9組のお雛様達もあと数日というか、明後日が
”桃の節句”なので、終わった
  後は家内が急いで片付けますからあと僅かの楽しみになります。
  
 
  
 
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