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②食事編
 トルコ10日間 ①紀行編
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オーストラリア11日  アンコール遺跡6日間 
 台湾4日間 ①紀行編 
②食事編
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②食事編
 中国麗江・玉龍・梅里雪山7日間  ①紀行編 
②食事編
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  バンコク・アユタヤ5日間 ①紀行編  ②食事編 
 
中国三清山・龍虎山7日間 ①紀行編  ②食事編
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  中国黄山・屯渓5日間 ①紀行編 ②食事編
  
北海道サハリンクルーズ10日間  
 
中国泰山・曲阜5日間①紀行編  ②食事編
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  瀬戸内海・釜山クルーズ8日間
 
中国張掖丹霞・チャカ塩湖8日間①紀行編  ②食事編
 
中国武夷山・福建土楼7日間①紀行編   ②食事編

     
家内の写仏画    家内の日本画
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 1月31日(水)
  今朝も-4℃と冷え込み、家内の好きなシモバシラにいつもと同じくらいの霜柱が出来ていました。
ここ1週間以上
  寒さが続いていますが、こんなに長く寒い日が続くのも異常気象なのかもしれません。
  今日は第5水曜日ですが、今月は第1水曜日の稽古が無かったので、家内はフルタイムの稽古で、午前9時過ぎにお
  茶の稽古に出かけて行きました。午後からは日本画がありますが、ずっと、構想を練っていた、イワシの大群のトル
  ネードに取り掛かろうとして、今日は先生に構図や描き方を聞く積りのようです。
  私は手先の事が全く駄目なので、せいぜい、家内の描く題材の提供や環境を整えて、協力してあげる事なので、
  資料集めや参考になる物を探してみようと思っています。
  夕方、家内が帰って来て、来月
「茶婚式」の手伝いをする事になったと言ったので、「茶婚式」と言うのがどんな式
  なのか、調べると、家族親戚だけの少人数の結婚式に用いられている事を知りました。
  葬式も
「家族葬」が多くなっている時代ですから、今後は「茶婚式」のような家族を主体にした結婚式が多くなる
  様な気がします。



 1月30日(火)
  今朝も-3℃でしたが、ここ1週間くらいは、ずっと、最低気温は零下が当たり前になっているので、温度計を見て
  も当然のように思えます。
  家内は午前9時過ぎに
「誠武館」に稽古に出かけたので私は旅行記の仕上げをしようと始めましたが、最近は集中
  力が続かなくて、30分もしない内に休憩しようと思って、コーヒータイムにしました。
  午後3時から50日振りに
「市民プール」に行きましたが、さすがに連日の寒さで、来ている人は少なくて、午後4時
  から歩いた流水プールは30分以上、2人だけで25mプールにも5人しかいませんでした。いきなり、長く泳ぐのもど
  うかなと思っていましたが、空いていたので、いつの間にか700m位泳いでいました。水中ウォーキングも人がい
  ないので、ゆっくり歩くようにして40分程で上がって来ましたが、久し振りの割には疲れは感じませんでした。



 1月29日(月)
 
 今日は家内が義母の所に行く日ですが、義妹が長女の夫の父親が亡くなり、今日、午前10時から葬式があるので、
  来られないだろうという事で、私が一緒に行く事にして、午前10時前に家を出て、
「アピタ千代田橋店」で買い物
  をして、午前11時半過ぎから、アピタの中のイタリアンバイキング
「パパゲーノ」で早目のお昼を食べて、午後12時
  半過ぎに義母の介護付老人ホーム
「生楽館」に行きましたが、来られないと思っていた、義妹も、葬式を終わって、
  マンションに帰って着換えてから来たと言いながら少し遅れてきました。
  私達が着いた時には寝ていましたが、午後1時前にお風呂を入れに来た人が、午前中、興奮状態だったから、鎮静
  剤を飲ませましたと言いながら、義母を起こした時に義妹が私の事を
「誰か分かる?」と聞くと、義母が私の顔を
  見て、笑顔で
「makotoさん」と大きな声で行った時には家内も義妹も驚いていましたが、何より、私が一番驚きまし
  た。最近の状況を聞いていたし、半年くらい前に来た時には、私を見ても無表情で全く反応しなかったので、今日も
  変わりはないだろうと思っていたので、まさかという気持ちです。
  家内や義妹は毎週来ているので、まだしも半年以上来ていない私の顔が分かると言うのは、興奮状態になると脳
  が活性化して、
頭がシッカリして来るのかなと思いました。
  午後1時半過ぎにさっぱりした顔をしてお風呂から帰って来た義母に家内がおやつを食べさせましたが、最初にプ
  リンアラモードにクリームパン、ゼリーを続けて食べ、オレンジジュースを飲んでいるのを見ていると、やはり、義母
  のどこかが違っていると思いました。
  一段落すると、満足そうな顔をして気持ち良さそうに寝ていましたが、午後3時半頃のおやつの時間にぶどうジュ
  レが来たので、義妹が声を掛けると、義母は目をあけて、口を開いて、あっと言う間に食べ終わって、家内が渡した
  、大きくて長いポッキーを自分で食べていましたが、食べ終わると、もう無いのかという顔をしたので、家内が
「こ
  れで終わりよ」
と言いながら、次のお菓子を渡したら、それも、直ぐに食べ終わりました。家内の顔を見るので、家
  内が
「もう無い」と言うと、再び眠ってしまいました。
  義母がここに入って5年余りですが、自分一人で生活していれば、こんな事にはなっていないと思いますが、あれ
  だけしっかりしていた義母が、毎日、何もしないで人の世話になっていると、こうなるのかと思うと、如何に自分で
  自分の事をやる事が大切かを実感させてもらっている気がしました。
  午後4時過ぎに
「生楽館」を出ましたが、帰りの車の中で今日の義母の様子で、私が分かった事の驚きと、いつもと
  同じ状態に戻った事を考えると人間の脳の働きの不思議さを考えさせられましたが、それが人間の持っている力
  だと思えば、当然の事があっただけかもしれません。


 1月28日(

  午前6時過ぎに起きて、外に出ると、そんなに寒く感じなかったので、今日はマイナス温度にはなっていないと思っ
  て、温度計を見たら、
-5℃だったので、寒さが続いている分、自分の感覚が寒さ慣れしたのかなと思いました。
  家の前の道路の日陰部分は雪と言うか、氷になったままで、全く溶ける様子も無く、昨日と同じ状態で、車も恐々
  で走っている感じです。
  お昼を食べてから、家内は隣の
I.Kさんの奥さんと近所のH.Tさんの奥さん、3人でK.Kさんの奥さんの見舞いに行
  きましたが、帰って来て、様子を聞くと、思ったより元気で、コルセットのお蔭で痛みも軽いようで、話も普通に出来
  たと言って帰って来ました。私達から見ると、自分の家に帰って来て、ゆっくりするのが一番良いと思いますが、家
  族からすると、いろいろ考える事もあるようですが、本人第一に考えてあげると良いと思っています。



 1月27日(土)
 
 今朝も午前7時に起きて、新聞を取りに行った時に温度計を見たら、-6℃と一昨日と同じでしたが、一昨日は雪で
  隠れていた
シモバシラを見に行くと、立派で大きな霜柱が出来ていました。触ってみると、氷ではなく霜の塊りの
  感じで、触ると脆く直ぐに壊れてしまう感じです。従って、太陽が出て陽が当たると雪は気温が低いと長く残って
  いますが、霜柱はそんなに長く持たないようです。午後4時過ぎにもう一度見に行くと、近くの雪は残っている所
  もありますが、霜柱は跡形も無く溶けてなくなっていました。
   

  午前9時過ぎに先月の健康診断の結果と定期検診で
「石川内科クリニック」に行き、受付して午前11時半頃の診察
  になると聞いて、いつものモスバーガーの店に行きました。奥さんが交通事故に遭った
K.Kさんに様子を聞くと、骨
  折の方はコルセットを装着したので、何とか落ち着いたようですが、転んだ時に打った頭の状態がなかなか回復せ
  ず、事故当時の記憶が戻らず困っている様でした。
  病院の方は薬の処方は無いので、早く退院して自宅に戻るのが、一番の薬と言ってるようですが、KKさんとしては
  もうすぐ、87歳になる自分が面倒を見る事は無理なので、どうしたものかと娘さんと相談しているようです。
  家に帰ってから家内にこの話をすると、他人事ではなく、自分達も考えておかなければならない問題だと真面目
  に言ってましたが、私も家内の言う通りで、人ごとではないと思っています。
  午前11時半前に家を出て、もう一度、
「石川内科クリニック」に行きましたが、直ぐに、呼ばれて血圧を計った後で先
  生から健康診断の結果を聞きましたが、
PSA(前立腺がん検査)が4.1で規定値の4.0以下を超えているので、心配
  は無いと思うが、泌尿器科に行って診察を受ける様に言われましたが、それ以外は心配ないとの事でした。



 1月26日(金)
  今朝も起きて外を見ると、昨日、溶けた屋根の上に雪が少し積もっていましたが、大した事はなさそうですが、次
  男が道路の凍結を心配しているので、もう一日、家内の車で行かせました。温度計は-3℃でした。
  朝の内は昨日より暖かく感じて、居間の日の当たる所にいるとポカポカしでしたが、床暖房のせいもあったかもし
  れないと思ったのは、庭の温度計が午後2時でも2℃しかなくて、午後5時前には早くも-1℃になっていましたか
  ら
最高気温が2℃以上に上がらなかった事になります。
  家内は夕方から市長のパーティがあり、受け付けを頼まれているからと、4WDになるエクストレイルで、午後4時半
  過ぎに、一緒に受け付けをする
S.Tさんを迎えに行って、会場の「ホテルプラザ勝川」に出かけて行きました。
  
”伊藤太市長”は今年の5月の選挙で4期目の立候補をすると昨年表明したので、今日はその披露パーティだと思
  いますが、共産党が対立候補が出さなければ、無投票になり、市も選挙に掛かる費用が節約できて良いのですが
  、無投票を良しとしない考え方もあるので、どうなるのか今後が注目されます。



 1月25日(木)
  午前7時過ぎに起きたら、家内は既に起きて下に行ってました。私が下りて行くと「今朝は寒
  いわよ!」
と言ってるので、庭の温度計を見ると-6℃だったので、午前7時過ぎで-6℃で
  すから、今朝の最低気温は-7℃かなと思ったら、スマホの春日井の天気で
-7℃だったと
  言ってました。私が温度計を見出してから-5℃以下になったのは初めてだと思いますから
  、今朝は我が家の最低気温を記録した事になります。次男は道路の凍結が心配だからと、ス
  タッドレスを着けている家内のデイズルークスを借りて出かけて行きました。
  私は午前10時から
「東部中国語同好会」が東部市民センターであるので、いつもより早目の
  の午前9時30分前に家を出ました。空は青空ですが、風は肌を刺すような冷たさで、道路は日が当たっている所は
  少し解けていますが、日陰は完全に凍結状態で、溶ける様子は全くないので、4輪駆動にしてゆっくり走るようにし
  ました。それでも、高蔵寺に入ると坂が多いので、凍結しているカーブを曲がるのは慎重に20km/h以下で曲がる
  ようにしましたが、5分程度余分に掛かっただけでした。
  午後3時過ぎに家内に頼まれて食パンを買いに
「フィール」に行く時にいつも通る裏道を通ったら、陽の当たる所は
  全く問題は無かったのですが、道路全幅が50m位日が当たっていない部分はカチカチの氷状態でしたが、幸い、
  平らな道路だったので、本当に徐行しながら通り抜けましたが、勾配がある所だったら4輪駆動にしても、ブレーキ
  が効くかどうかは分からないと思いました。
  店に着いて中に入ると、駐車場が空いているのと同じで、さすがに、買い物に来ている人は少ないように思いまし
  た。私も頼まれた食パンだけ買って直ぐに帰りました。



 1月24日(水)
 
 昨夜も午前1時近くまで眠くならず、作業をしていて、今朝も目が覚めたら午前8時半でした。ゴミの日でゴミ出し
  は私の仕事ですが、今日は家内が既に出した後でした。
  午前9時過ぎに家内はお茶の稽古に行きましたが、今日の夜、瀬戸の
「大竹」でお茶の稽古仲間の新年会の予定は
  天気予報で夕方から雪が降ると言ってたので、昨夜のうちにキャンセルした話をするようです。
  私は去年末からメールで、使った事が無い請求が来て、郵便口座から引き落とすと繰り返して言ってくるので、放
  っておけば良いと言われていますが、気になったので郵便局に通帳記入に行きましたが、特に何も引き落としが無
  かったので、やはり、
質の悪い偽メールだと確認できました。
  午後2時から物産部会の去年の
「第41回春日井まつり」の反省会と今年の「第42回春日井まつり」の打ち合わせが
  市役所であるので、午後1時半過ぎに市役所に行きましたが、午前中は冷たい風が吹いていても、空は青空だった
  ので、雪が降ると言われていてもピンと来なかったのですが、この頃になると、怪しげな雲が出ていて、嫌な感じ
  の空模様になっていました。
  反省会では去年の場合は衆議院選挙と台風の影響でどうしようもなかったと言う感じで、イベントの内容や活動
  については特に意見はありませんでした。今年については事務局としては場所を広げたので、もう少し出店者を増
  やしたので、そういう自治体があったら声を掛けてほしいと言ってました。
  特に今年は
市制75周年になるので、エリアごとに何かイベントをやりたいと思っているので、役所としては良いア
  イディアがあれば言って来てほしいようでした。最後に今年度の懇親会を来月の26日か27日にしたいと言うので
  26日(月)を第1候補で調整してもらう事にして午後3時に解散しました。
  家に帰ると家内が遅い昼を食べているので、どうしたのかと思ったら、お茶の稽古が午後1
  時まであり、それから、美容院に寄って髪を切ってもらって帰ったら今の時間になったと言
  ってました。
  午後4時過ぎから天気が雪模様の感じの雲になって来ましたが、急に眠気が来たので30分
  だけ寝ようと、目覚ましをセットして一眠りして、午後5時前に起きたら、家内が外は雪が積
  もっていると言うので、庭を見たら、真っ白になっていたので驚きました。
  ニュースでも名古屋市内の道路が白くなっていましたし、岐阜の方では家内の積雪があり、
  これからも降り続くので注意してくださいと放送していました。



 1月23日(火)
  今朝も目が覚めたら午前7時半過ぎで次男が出かけた後でしたが、旅行前までは私が一番早く起きて、コーヒーを
  淹れていたのですが、旅行中は家内が起きて、次男に持たせるコーヒーと自分の飲むコーヒーを淹れていたよう
  ですが、私が帰って来たので、自分の役目は終わったと思ったら、私がまだ早く起きないので、今朝も慌てて起き
  てコーヒーを淹れたとボヤいていました。私自身、時差ぼけは感じていないのですが、何処かに多少、時差ぼけが
  あるかもしれませんが、明日はきっと大丈夫だと思っています。
  お昼のニュースで草津の白根山の
”元白根山”で噴火があり、死亡者が出たと言ってましたが、草津温泉は知って
  いましたが、噴火するような火山があったとは知りませんでした。後から聞くと、全く、予兆も無く、いきなり噴火し
  たと言うのですから、何処に危険が潜んでいるのか分からない気がしました。
  私がエジプト旅行に行くと聞いた、義妹が家内に危険な所で死ぬかもしれないからやめさせた方が良いと言った
  そうですが、そんな所に行っても何事も無く、スキーを楽しみに行った所で、こんな危険な状況が発生するのです
  から、本当に事故や災害は何時何処で起きるのか分からないとつくづく思いました。

  午後3時過ぎから
NTTドコモに家内と一緒に行きました。と言うのは、家内の”スマートフォン”がロックされたと言う
  表示が出て、解除の仕方が分からないので聞きに行くと言うので、私も勉強になると思い同行しました。
  NTTの担当者から説明を聞いて、やっと、理解できたのですが、先方の担当者が私達の話しぶりを聞いて、解除の
  方法を改めて紙に書いてくれたので、家内と2人でこの担当者には本当に感心しました。
  今までは話して終わる人が多かったので、私達もその時は理解できても、後で思い出そうとしても、忘れるている
  事が多いので、2人で何とか思い出して処理していたのですが、書いたものを渡してもらえると、忘れても見れば
  思い出せるので、歳とった人間には有難い事だと思いました。



 1月22日(月)
 
 昨夜、寝たのが午前1時過ぎだったので、目が覚めたら、午前9時前だったので慌てて起きました。特に疲れを感じ
  ることも無く、時差がどうなのかも良く分からないまま一日が過ぎました。
  東京地方は大雪で各地で大混乱でしたが、こちらの方は雪も降らなくて良かったですが、エジプト旅行の帰国が
  1日遅れていたら、大変だったと思いました。
  家内は私が起きてから、間もなく、義母の所に出かけて行きましたが、私がいない間に、長く患っていた裏の
Yさん
  の奥さんが亡くなり、近所の
K.Kさんの奥さんが車にはねられて入院している話を聞き、1週間の間に色々な事が
  起こったんだと思い、元気に旅行に行けて、無事に帰って来られた事が如何に幸せかとつくづく感じました。



 114日(から121日(まで長年の夢だった「ナイル川クルーズと憧れのエジプト8日間」(クラブツーリズ
  ム)の旅に行きました。

  14日(成田空港が夜の出発なので午後1時過ぎに家内に春日井駅まで送ってもらい名古屋駅から新幹線で品
  川まで行く、途中、窓から見えた雪を被った富士山はきれいでした。品川から成田エクスプレスで成田空港に行きま
  しが、成田空港第1ターミナルに着いたのが午後5時半で、やはり、春日井から成田空港は遠いと思いました。

  クラブツーリズムの受付カウンターで名札とチケットを貰い、エジプト航空の搭乗手続きに行きましたが、シンガ
  ポール航空と同じカウンターなので、シンガポール航空の受け付けが終了してからでないと始まらない為に待っ
  ていましたが、私達の他にクラブツーリズムのエジプト旅行が2グループあり、その人達も並んでいました。
  午後6時過ぎから搭乗手続きが始まりましたが、私が思っていたよりは人数は少なかったので、午後6時半に手続
  きが終わった足で、そのまま、出国手続きをして、中に入ったのが午後7時前でした。夕食を食べようと思ってレスト
  ランを探しましたが、予想外に少なくて
TATSUと言う店で唐揚定食1,250円を食べましたが、あまり美味しくな
  かったのは残念でした。
   
  
午後740分に35番搭乗口に行きましたが、そこで待っていたJTBの添乗員さんに聞くと、これ位の乗客だった
  ら、かなり空席があるというので、乗ってから考えよう
と思いました。
  
午後830分から搭乗開始になり、私は35番の通路側だったので、乗客が乗り終わるのを待ってから後ろの方を
  見に行くと3人席が結構、空いていたので、そちらに移動しました。MS956便は定刻の午後920分に出発しまし
  たが、この飛行機は定員が400人以上のジャンボ機ですから空席が多かったのは当然のことかもしれません。後
  後で聞くと週1回の定期直行便との事でしたが、愛知県に住んでいるとそんな事も知りませんでした。

   日本時間午後10時過ぎに機内食が出ましたが、魚にしたら、カレー味でまずまずの味でした。
   

   午後12時前に睡眠薬を飲んで3人席に横になって寝られたお蔭で、途中、1回トイレに起きただけで、日本時間の午
  前8時半(現地時間午前1時半)まで寝られました。

   
   15日(月)ここで、時計を7時間戻して現地エジプト時間にしました。午前2時過ぎに朝食の機内食が出ましたが、
  添乗員のOYさんが昼食は午後1時過ぎになると思うから、しっかり食べて置いて下さいと言われていたので完食
  しました。

   午前4時過ぎにカイロ空港に到着し、空港ビルに入ってクラブツーリズムのこのツアーのアシスタントにビザをパス
  ポートに貼ってもらい、彼の誘導で出国手続きをしましたが、人が少なく、本当に簡単でした。こういう仕事をする
  人間が空港内にいるのも不思議ですが、エジプト特有な事かもしれません。
   

   午前5時に国内線のロビーに到着し、20分程時間があったのでコーヒーを飲んで釣り銭で細かいお金を貰う積り
  でしたが、従業員が1人でエジプト時間なのか、ゆっくりやっているので、時間が無くなったので、そのまま、搭乗
  口に行きました。

   午後5時半に搭乗口を入ってからセキュリティチェックがあり、靴まで脱がされ、国際線より厳しい感じですが、格
  好だけの様な気もしました。
ルクソール行きの機内はほぼ満席状態でしたが、新婚さんらしいカップルが席を替わ
  ってほしいと言うので替わってあげたら、窓側の席にり、お蔭でカイロからルクソールの
ナイル川の様子が分かっ
  て良かったと思いました。

   午前6時半過ぎに20分遅れで出発しましたが、午前7時頃夜が明けてきたので下の方を見ると、ほとんどが砂漠
  で草木は無く、ナイル川に近い所に緑が広がっている感じでした。

   午前725分にルクソールに到着しましたが、ルクソール空港は小さな空港でした。ここでスーツケースを受け取
  ったのですが、一人の方のスーツケースがなかなか出て来なくて心配しましたが、10分程で来ましたが、何処に行
  ったのか不思議です。
   
  エジプトは暑い所と言うイメージが強く、今回も冬ですからダウンジャケットやセーターも必要ですと言われてい
  ましたが、それ程ではないと思っていましたが、空港の外に出ると、風の冷たさが身に凍みましたが、朝だから、昼
  になれば暑くなるだろうと思っていましたが、それが甘い考えと言うのを後で知りました。

   午前8時半にバスで、いよいよ、念願のエジプト観光に出発です。添乗員のOYさんによれば、今回の現地ガイドとツ
  ーリストポリス(エジプト観光では必ず付くそうです。)、運転手は全員同じ名前のアハメッドと言うそうでが、現地
  ガイドのアハメッドさん
によれば、イスラムでは一番多い名前はモハメッドで、2番目に多い名前がアハメッドだそう
  です。

   ルクソール市内を通って、15分程で最初の観光地ルクソール東岸の「カルナック神殿」に到着しました。「カルナック
  神殿」
4000年位前の中王朝時代に建てられ、その後、歴代のファラオが増築を行ったスケールの大きな神殿で
  本来は南門から入るのが正式なのですが、現在は修復中なので、観光客は西門の42のオスの羊の顔をした”スフ
  ィンクス像”
が並んでいる参道を通って”第1塔門”から入りましたが、第2塔門を過ぎると”大列柱室”になり、合計
  134本もある石柱は12本の柱が22mで他は18mで圧巻の眺めです。
   
   

  立派な2本のオベリスク”トトメス1世””ハトシェプスト女王”のもので、女王のオベリスクは高さが30mで重さが
  328tもあるそうです。更に”至聖所”の入口の石柱にはパピルスロータス(蓮)が彫られていて、パピルスが北エ
  ジプト(下エジプト)ロータスが南エジプト(上エジプト)を表し、両者の融合(統一)を意味しているそうです。
   
   


   午前11時にカルナック神殿を出て、10分程で「パピルス店」に到着し、パピルス紙の作り方を見ましたが、予想外に
  簡単で、日本の紙漉きとはずいぶん違うと思いました。ヒエログリフ(象形文字:絵文字)や古代エジプトの神々、
  神話などを描いた作品が並んでいましたが、私は何も書いていないパピルス紙の値段を聞くと、50cm×70cmで
  500エジプトポンドと言われたので、要らないと言うと、いくらなら買いますかと聞くので、100ポンド(1ポンドは7円
  前後)位と言うと、そんなに安くは出来ないと離れて行きました。
   


  午後12時に店を出て、10分程で「ルクソール神殿」に着きましたが、市内には観光用の馬車が多く走っていて、馬車
  の駐車場も神殿近くにありました。「ルクソール神殿」は3200年位前にカルナック神殿の付属神殿として建てられ、
  かってはスフィンクスが両側に並ぶ3km近い参道でカルナック神殿と結ばれていたそうですが、現在、観光用に3
  kmの参道復元工事が行われているそうです。
   
   

   「ルクソール神殿」の第1塔門の前に1本の立派なオベリスクが立っていましたが、もう1本は、現在、パリのコンコル
  ド広場にあるそうです。「ルクソール神殿」は1860年に発見されましたが、それまでは、その上にモスクがあったそ
  うですが、そのモスクも800年前に建てられていたそうで、現在も使われていますが、発掘のお蔭で入口が使えな
  くなり、今は別の入口から出入りしているそうですが、入って行くと昔の入口が上の方に見えました。
   

     
   神殿内の主要な部分は”アメンヘテプ3世”によるものですが、”ツタンカーメン王””ラムセス2世”によって増築
  されたそうです。”大列柱廊”を歩いて行くと、”ツタンカーメン王夫妻像””ラムセス2世の中庭”にはラムセス2
  世の像があり、”アメンヘテプ3世の中庭”の石柱はパピルスを8本束ねた形です。更に奥の方の壁には1800年前の
  ローマ帝国時代の壁画があり、3500年前の壁画の上に描いてあったのが、漆喰がはがれて来て、昔の壁画が出て
  来たそうです。石に彫られたレリーフも3500年前のファラオ時代のものは手の込んだ浮き彫りですが、ローマ時代
  のものは簡単な深彫りが多いそうです。
   

  午後1時15分にルクソール神殿の観光を終わり、30分でナイル川クルーズの乗船場に着き、今回の私達の乗船する
  「クラウン・エンプレス号」に乗ったのですが、桟橋から直接ではなく、他の停船している船を3艘も横切って、やっ
  と、乗船できました。
   

   部屋に入る前に昼食を食べに船内のレストランに行きました。ビュッフェ形式になっていますが、飲み物はいっさい
  無い上に持ち込みも禁止なので、地元のサカラビール90ポンド(600円程度)を注文しました。料理は大したものは
  なく、生野菜は結構ありましたが、様子を見る為に食べませんでした。

   午後3時前にやっと部屋に入れましたが、カーテンが引いてあり、開けると隣の船と近くて丸見えなので、閉めて
  いる理由が分かりましたが、昼間でも電気を点けないと暗いのは何とかしてほしいと思いました。

  これから、5
日間過ごすので衣類を出して掛けておけるのはクルーズの良さだと思います。シャワーを浴びてベッ
  ドで横になったら、いつの間にか寝てしまいましたが、考えてみれば、今日は現地時間で午前1時半に起きてから午
  前4時過ぎにカイロ空港に着き、国内線で午前7時半にルクソールに移動し、午前8時45分から観光が始まり、今ま
  で休みなしですから疲れないのがおかしいと思います。
  
午後7時半から夕食を昼間と同じレストランで食べましたが、ダイヤモンドプリンセスのような食事は期待できない
  と思いました。ドリンクはハイネケンビールを飲みましたが、小瓶で70ポンドでした。
  
午後8時45分から4階のラウンジでベリーダンスショーがあると言うので、見に行きましたが、最初、男性の回転舞
  踊
がありましたが、トルコで見た、回る踊りより迫力がある回転舞踊でした。ベリーダンスは以前テレビで習ってい
  る様子を見た事があったので、色っぽさよりテクニックの難しさを感じながら見ましたが、国によって踊り方が違
  うのかなと思いました。
   
  午後9時半前に部屋に帰って来ましたが、旅行記を少し書こうかと思っていましたが、時差の関係と疲れで直ぐに
  寝てしまいました。


   16日(火)時差の関係なのか、午前3時に目が覚めましたが、早すぎると思い、もう一度、ベッドに入り、ウトウトしま
  したが、寝られないと思い、午前4時過ぎに起きました。旅行記を少し書きましたが、今回はタブレットにしたので、
  なかなか、うまくいかず、やはり、ミニノートパソコンを持ってくれば良かったと思いました。
  午前6時30分に朝食を食べに行きましたが、朝食はドリンクサービスでコーヒー、紅茶、ジュース類があったので助
  かりました。料理もオムレツを作ってもらい、パン類もまずまずだったので朝食は安心でした。

  午前7時40分に船を出発し、今日は”ルクソール西岸”の観光ですが、最初に「ハトシェプスト女王葬祭殿」の観光で
  すが、バスで向かう途中で岩山の上に気球が飛んでいるのが見えましたが、最近は気球による空からの観光も人
  気のようです。30分位で駐車場に到着し、そこからカートで移動しましたが、岩山の中にある建物は岸壁を利用し
  て作られた3階建ての葬祭殿で古代エジプト建築の傑作の1つになっているそうですが、着くまでの岩山の中に穴
  が空いているのが何かなと思ったら、貴族の墓が葬祭殿の近くにいくつかあるそうです。
   
  因みに、ここは1997年にイスラム原理主義者によるテロ(ルクソール事件)により日本人10名を含む外国人観光客
  61名とエジプト人警察官2名の合わせて63名が死亡、85名が負傷した場所です。ここだけでなく、エジプトの観光
  地には必ず小銃やマシンガンを持った警察官がいるのは、ここでのテロがきっかけかも知れません。
   
   
  
”ハトシェプスト女王”はエジプトで初めての女王で、壁面のレリーフには女王が牛の姿をしたハトホル女神から乳
  を飲む様子や交易の様子や神々の姿などが残されており、正面のハトシェプスト女王の石像も本来は26体あった
  そうですが、現在は8体残っていました。これだけの建物や壁画がよくも3500年も残っていたと思いました。

  次に10分程の所にある「王家の谷」に行きましたが、ここには第18王朝の”トトメス1世”に始まり、歴代のファラオの
  墓があり、現在、確認されているのが63か所で、オープンされているのは13の墓ですが、有名な”ツタンカーメン
  王”
の墓は1922年にイギリスのハワードカーターにより62番目に発見された墓で、それ以降は1つしか発見されて
  いないそうです。
   

   王家の谷に入る時には写真を撮りたいひとは300ポンドの写真チケットを買わなければ写真を撮る事が出来ない
  のでチケットを買って入場しましたが、それでも、3か所の墓しか撮れなくて、ツタンカーメンの墓は撮影禁止でし
  た。最初に”ラムセス4世”の墓を見学しましたが、入り口から直線の通路を降りて行くと、両側の壁面に絵やヒエロ
  グリフ(象形文字:絵文字)
残っていて、ヒエログリフが解明出来たからエジプトの歴史が分かるのかなと思いまし
  た。一番奥に石棺が有りましたが、外側にも絵文字が描かれていたので由来が書いてあると思いました。
   

   次に”ツタンカーメン王”の墓に行きましたが、ここだけは別の入場券が必要でした。ツタンカーメン王の墓は”ラム
  セス6世”
の墓の下にあった為に、発見された時、盗掘されてなかったので、沢山の宝物が出て来たお陰で、それま
  で無名だったツタンカーメン王が一躍有名になったそうです。なかでも、今は「エジプト考古博物館」にある”黄金
  の棺”は純金で112kgもあったそうです。墓の入り口に発見当時の写真がありましたが、その時の様子が分かって
  良かったと思いました。今回は本物のツタンカーメン王のミイラが乾燥保存の為にお墓の玄室の見やすい所に安
  安置してあったので見る事が出来ましたが、全て撮影禁止で見ただけに終わりました。
   
   

   その次に”ラムセス9世”のお墓を見ましたが、こちらはラムセス6世の墓と同じような感じの墓でしたが、壁画の
  状態が良くて、色が綺麗に残っているのが印象的でした。
   

   最後に”メルネハプタ王”の墓を見学しましたが、これが一番、王様の墓らしい気がしました。予定の3か所を見まし
  たが、これ以上見ても同じような気がしたので、3カ所が、丁度、良い数だったと思いました。
   
   
   

   午前11時半過ぎに集合場所から通称ワンダラー通りと言う、何でも1ドルと言って、お客を呼び込み、いざという時
  は10ドルと吹っ掛けて、後は値段交渉次第という土産物店の並んでいる所で、エジプトの観光地には必ずと言って
  いいほどあるそうです。何とか通り抜けてバスまで行き、午後12時に「王家の谷」を出発し、”メムノンの巨像”に向
  かいましたが、途中に”ラムセス2世の葬祭殿”の傍を通りましたが、目下、修復中だと言ってました。
   

   10分程で”メムノンの巨像”に着きましたが、本来は、この2体の像はアメンヘテプの像ですが、夜明けにキーンと
  言う音を発する(実は亀裂が入っていた)と言われたので、ギリシャ神話に出てくる母を慕って泣いたエチオピア
  王の名前にちなんで「メムノン」と名付けられたそうです。写真だけ撮って出発しましたが、バスに乗る前に土産物
  の屋台で石のスカラベを2ドルで買ったのですが、バスの中で見たら欠けていたのでがっかりでした。

   ルクソール市内に帰る途中の道路の両側には砂糖キビ畑が多く、バナナの木も多く見かけましたが、道路脇に検
  問所があり、銃を持った警察官がいましたが、何の検問をしているのか良くわかりませんでした。
   
  午後1時に香水瓶を売る店「KYPHI」に行きましたが、昨日のパピルス店の近くだったので、この辺に土産店が多い
  のかなと思いました。香水と言っても、実際は香りのあるオイルやアロマオイルの事を言ってるそうですが、違い
  は香水はアルコールが入っていますが、こちらの香水と言うのは花や樹木のオイル100%の物を言うそうです。

   30分程の予定だったのですが、女性陣は若い人もいて、盛り上がって、結局、1時間以上も費やすことになりまし
  たが、今回のツアーは男が4人しかいないので、ひたすら終わるのを待つだけでした。

   午後220分に店を出て、船に午後240分に戻りましたが、荷物を持ったまま昼食を食べに行く事になり、昼食
  を食べ終わって、部屋で一休みしようと戻ってみると、ベッドの上にバスタオルで白鳥?を作ってあったので、ベッド
  メイキングのサービスかなと思いました。午後430分から5階のデッキでティーパーティがあるので、参加して、
  コーヒーとクッキーを食べましたが、何よりだったのは午後5時頃からの”ナイルの夕日”でした。
   

  午後5時過ぎに部屋に帰ってシャワーを浴びましたが、水漏れしていた蛇口が直っていました。一寝入りして、今度
  は午後7時から4階ラウンジでカクテルパーティがあるので参加しましたが、甘いカクテルを3杯飲んで盛り上がっ
  て、そのまま、夕食会場に行きました。
   
  今日は午後からは食べて飲んでばかりのような気がしますが、皆さん、間違いなく太ると心配そうですが、それで
  も、食欲が衰える事はないようです。今日も明日の夜中に”エスナの水門通
  過”
を見る為だけではありませんが、起きていられないので午後9時に寝ました。


  
17日(水)目が覚めたら午前3時で、”エスナの水門通過”の予定が午前3時から午前4時と聞いていたので、5階の
 
 のデッキに行って見ましたが、誰もいないし、船も進んでいるような感じではなかったので、部屋に戻って、旅行記
  をやりましたが、外が気になり、何度か確認しましたが、水門らしき物は見えず、そのまま起きていてもと思って、
  ベッドに入りましたが、寝付けないので、午前4時半頃に話声が聞こえたので、もう一度、デッキに行くと隣に同じよ
  うなクルーズ船が停まっていたので、2艘で並んで水門を通るのかなと思いました。
   
  午前5時過ぎにはライトアップされた塔の横を通過したので、水門が近づいたと思いましたが、その後も何も連絡
  が無いので、いつの間にか水門を通過したなと思っていたら、午前640分に水門を20分後に通過すると連絡が
  来たので、何でそんなに遅くなったのかと思いました。
それからデッキに上がると、丁度、太陽が出て来る時で、こ
  れがナイルの日の出だと思うと感動しました。デッキの上から土産物売りのボートとやり取りしている人がいて、何
  を買ったのか聞くと、バスタオルを7ドルで買ったと言って見せてくれましたが、エジプトらしい柄のバスタオルだっ
  たので、私も買おうかと思いましたが、ボートはいなくなっていました。

  午前7時前にやっと”エスナの水門”の手前に来て、2つの水門の広い方に船は進んで行き、前にいる一艘の小舟を
  連れた船の後ろに付けました。クルーズ船の後方に行って見ると水門の扉を閉める為にはギリギリまで進まないと
  水位調節池に入れないので、微調整しながら、何とか入ると、後ろの扉が閉まり水位が上がって来ました。
   
   
  10分位
でアスワン側の高さまで水位が上がると、前の扉が開き、船が動き出しました。午前720分過ぎにエスナ
  の水門を34時間遅れで通過できましたが、後から聞くと今の時期は水位が低くなっている為に船が座礁したせ
  いで、待機する時間が長くなった為に大幅に通過が遅れたそうです。
   

  エドフ到着が大幅に遅れるので、午前7時半からの朝食はゆっくり食べられました。今朝はゆで卵があったので、久
  し振りに食べ、他にもパンを多めに食べて、昼食が遅くなっても大丈夫のお腹にしておきました。

  昼まで時間があるので、午前10時から現地ガイドのアハメッドがエジプト講座を開き、皆さんからの質問に答え、簡
  単なエジプト語やイスラムの礼拝の仕方をおしえてくれましたが、最後は絵文字を使った15ドルのTシャツの宣伝
  をしましたが、私は買う積りだったのでデザインを考えて注文するつもりです。
  その後、船長室の見学をしましたが、私達のイメージのクルーズ船は副船長とか航海士がいたりしますが、この船
  は船室が136室で定員が256名ですから、ダイヤモンド・プリンセスの10分の一程度の規模で船長が1人で全ての事
  をやっている様でした。服装も制服どころか民族衣装を着て操作をしていました。
   
   
  午前1150分にエドフに着き、午後12時に下船して馬車で「ホルス神殿」に向かい、10分程で沢山の馬車のいる駐
  車場に到着しましたが、ここから神殿に着くまでにもワンダラー通りがありました。

  「ホルス神殿」2200年前のギリシャ時代の神殿ですが、古王国時代の様式になっている神殿ですが、立派な「塔
  門」
が残っていて、塔門の両側にはホルス神を表すハヤブサの像があり、特に「第1柱列室」の前にある”ホルス神”
  
のハヤブサの像は完全な形の立派な像です。
  この神殿は有名な”クレオパトラ7世”夫の”プトレマイオス13世”が作った神殿で、レリーフが素晴らしく、特に奥
  の方にあるレリーフはホルス神と叔父さんの戦いを表しているそうです。
   
   

  午後1時に集合場所に集まり、20分位の買物時間があったので、傍にある土産物街に行くと、物凄い勢いで客引き
  が来てワンダラーと言いながら店の中に連れて行かれました。小さなスカラベを1ドルで買いましたが、それまで
  の過程が大変だったのは楽しい経験でした。午後1時半に別のワンダラー通りを通って馬車まで戻り、船着場に向
  かいましたが、途中のゴミゴミした町の感じが、いかにもエジプトと言う感じでした。
  船着場に戻った時に馬車に乗る時に撮った写真を売りに来たので、2ドルを1ドルで買ったら台紙を剥がして写真だ
  け渡されたので、写真を受け取ってからお金を払うべきだったと反省しました。

  午後2時だったので直接、レストランに言って昼食を食べましたが、時間的にはこれが当たり前のようになってきま
  したが、外を見ると船は私達が戻ってから、直ぐにコムオンボに向けて出港したらしく、ナイル川の水面の向こうに
  は日本の援助で出来た、ナイル河の水を畑などに引くポンプ場が窓からギリギリの所に見えました。
  昼の料理も特に変わる事は無く、パンだけは色々な種類があっておいしいパンがありますが、コックが作るコーナ
  -ではナンのような物の中に炒めた肉と野菜を巻いていましたが、何かは良く分かりませんでした。
   
  食事を済ませて、部屋に帰ってベッドに横になって10分程寝たら随分体が楽になりました。午後4時半から5階のデ
  ッキでティーパーティがあると言うので、行ってみたら、30分違いで終わっていたので、もう一度、部屋で横にな
  ってひと眠りしました。

  午後7時半に集合場所の4階ラウンジに行くと、丁度、船がコムオンボに着いた所だったので、夕食を後にして、そ
  のまま下船して、歩いてすぐ近くの「コムオンボ神殿」に行きました。この宮殿はクレオパトラのお父さんの”プトレ
  マイオス12世”
が建てた宮殿で素晴らしいレリーフが各所に見られましたし、珍しい出産や医療関係のレリーフもあ
  りました。
   
  時代はホルス神殿と同じギリシャ時代の様式で建てられているそうですが、見学中も冷たい風が吹いて寒かった
  のですが、皆さん寒さ対策はバッチリでダウンを着ている人がほとんどでした。私はジャンバーしか着て行かなか
  ったのでだったので、少し寒いと思いましたが何とか我慢できました。
  神殿の見学が終わってから傍にある「ワニのミイラ博物館」(撮影禁止)に行きましたが、ワニは昔は神様だったの
  でミイラにして保存したらしく、なかなか、見られないものでした。
  午後850分に船に戻って、その足でレストランに行きましたが、毎回、似たような物が出るので、おいしいと思う
  料理は少ないですが、今日は揚げたてのカリフラワーの天ぷらは良いと思いました。
  午後10時過ぎにはアスワンに向けて出港していましたが、今夜、予定されていた”ガラベイヤパーティー”(民族衣
  装のガラベイヤを着て楽しむパーティー)は夕食が遅くなった為に明日の夜に変更になったようです。

  
18()船は夜中の内にアスワンに着いていたようですが、今日はアスワンから280㎞南にある「アブシンベル
  神殿」
を観光する為に午前4時半出発なので、昨日と同じ午前3時半前に目が覚めたので、そのまま、起きて出か
  ける用意をして、4階のラウンジに行くと、弁当は2階ロビーで渡すと言われ、2階ロビーで弁当を受け取り、ラウン
  ジに戻ってコーヒーを飲みながら少し食べましたが、弁当の量がチーズやサラミを挟んだパン4個と小さなおに
  ぎり、菓子パン2個、バナナ、オレンジと、とても一人では食べきれないボリュームでした。
  
私は薬を飲む為に小さなおにぎりを食べましたが、残りはバスの中で食べようと思いました。午前440分に船着
  場から出発しましたが、外気温が11℃と出ていましたが、10℃以下だと思いました。バスの中も暖房が効いてない
  為に皆さんダウンウエア等で完全防寒の恰好でした。1901年に出来た「アスワンダム」の堰堤の道路を通って少し
  走ると、1970年に完成した「アスワンハイダム」の堰堤が暗闇の奥の方に見えていました。
   

  午前5時過ぎに検問所を通過しましたが、この時、観光バスはどこの国の人を何人乗せているのか、日帰りか泊ま
  りかを報告して、帰って来た時も報告するそうです。砂漠道路を走り続け、午前6時半頃に東の空が赤く染まって来
  て、10分程すると砂漠の向こうから太陽が顔を出してきました。その後も両側に砂と岩山の景色を見ながら、走っ
  ていると、警察か軍の監視所があり、高い方には銃が立てかけてありました。更に走っていると、人家があり、村と
  言っても小さな3つの村の集落ですが、その一帯だけが緑がある感じで、道路も街中にあるようなスピード防止の
  凸のアスファルトがありました。
   

  午前8時10分に「アブシンベル神殿」に到着しましたが、入場口の所にある土産物店で小さなスカラベを4個5ドル
  で買いました。「アブシンベル神殿」はアスワンハイダムが建設される時に水没の予定でしたが、ユネスコの努力
  で石像をブロックに切断して、60m上に移設したそうです。
  最初に”ラムセス2世”によって建設された「大神殿」に行きましたが、正面に高さ20mもある”ラムセス2世”の座像
  が4体ある中央の入り口から入ると、左側にラムセス2世の戦いを描いた壁画があり、色も残っているのですが、神
  殿の中は撮影禁止なので見ただけです。
   
  続いてラムセス2世が”最愛の妻ネフェルタリ”の為に造った「小神殿」を見学し、入場口まで戻って、待っている間
  に、もう一度、土産物店に行き、テーブルクロスを5ドルで買いました。エジプトの買い物は相手の言い値の十分の
  一くらいから、こちらの買い値を言って、半値以下で買うのが当たり前で、場所によってはもっと安く買える事も多
  多々あります。

  午前1010分にアブシンベルを出発し、再び、同じ砂漠道路を帰りましたが、出発の時、11℃だった気温が24℃に
  なっていましたが、午前11時半頃には30℃まで上がっていました。その頃に砂漠の中に湖というか水面が見え、小
  さな岩山や砂山が浮かんでいる様な景色が出現し、現地ガイドのアハメッド蜃気楼ですと教えてくれました。
  富山県の方で見えると聞いたことはありますが、見た事がなかったので、エジプトで見られたのは今回のツアー
  で一番印象的な景色でした。
   
  午後1時過ぎ、アスワンの手前で、リビア砂漠の砂をお土産にする為に綺麗な砂が取れる所で、途中下車をして、み
  んなで砂取りをしましたが、家に持ち帰っても廃棄処分になるだろうと思いながら、私も小さなペットボトルに採取
  取しました。アスワンダムの堰堤を通っている時に遠くに「アスワンハイダムの堰堤」が見えました。

  午後2時に船に戻り、昼食を食べて、一休みする間もなく、午後3時からオプショナルツアーの「イシス神殿」の観光
  に出かけました。「イシス神殿」もアスワンハイダムの影響で水没したフィエラ島にあったものを、近くの地形の似
  ているアギルギア島に移設された神殿です。
   
  アスワンのイシス神殿に行く舟着き場から10分位で島に着き、上陸すると立派な”塔門”が見えますが、「イシス神
  殿」はファラオ時代・ギリシャ時代・ローマ時代の建物があるそうですが、最初にファラオ時代の”キヨスク”と言う東
  屋を見ましたが、これがJRのキヨスクの語源なのかなと思いました。
   
  両側に31本の列柱が建っている100mの通路を通って塔門を入ると、奥にある”至聖所”には座ってお産をしている
  レリーフがあり、イシス女神がホルス神を産んだ場面を描いているそうです。ただ、残念な事には全部のレリーフの
  顔が後から来たキリスト教徒により削られている事です。

  午後440分に島を出て、舟着き場に戻り、”ファルーカ(帆舟)”に乗るために移動しましたが、私達の乗っている
  「クラウンエンプレス号」のすぐ傍の舟着き場でした。元々は石や資材の運搬に使っていて、昔はもっと大きな舟だ
  ったそうです。78mはありそうな帆柱に三角の帆を立てて走るのですが、たいして風がないのに上手く風を捕ま
  えてゆっくり走っていると、悠久のナイル川を感じさせてくれる気がしました。午後6時に舟着き場に戻って来て、
  15cm程度の足場板を歩いて下りるのですが、手を添えてもらって、やっと、降りられました。
   

  歩いて船に戻り、部屋で一休みして、午後7時半からの夕食に行きましたが、体調を崩している人が多いのか、クル
  ーズ最後の食事にしては淋しいテーブルでした。料理も同じような物が多くて、食べたいと思う料理が揚げたて
  のフライドポテトやパスタ、パンでは如何ともしがたいと思いました。それでも今日はツアーメンバーの女性の誕
  生日でバースデイケーキが出たので、皆さんの気分も明るくなったような気がしました。
   
  午後8時45分から”ガラベイヤパーティー”の代わりに”ルビアンショー”(民族舞踊ショー)がありましたが、これは
  なかなか楽しいショーで盛り上がっていました。小さなクルーズでも毎日何かサービスをしてお客さんを楽しませ
  ようと努力しているは分かりますが、もうひと頑張りほしい気がします。

  
19日(金)今日はアスワンからギザに移動する日で朝早いので、弁当の予定でしたが、2日間続けて弁当では可哀
  想だと、午前5時から船のレストランを開けてもらい、大急ぎで朝食を済ませてアスワン空港に午前540分に出
  発し、午前6時過ぎに空港に到着しました。
  いつもの様にセキュリティチェックを受けて空港ビル内に入り、直ぐに、搭乗口に行き、恒例の靴を脱いでベルトを
  外して水を捨ててからセキュリティチェックを繰り返して搭乗口に行きました。空港内の売店で船では10ドルとか15
  ドルで売っていたマグカップが5ドルで売っていたので、私は家内の分と2個買いましたが、他の人もカップや置物
  が安いと分かって買っていました。普通、空港内は高いのですが、何故か不思議な感じです。
   

   MS095便は定刻の午前740分飛び立ち、機内はほぼ満席状態でしたが、後方の3列位が空いていたので、隣の
  席の人がそちらに移ったので楽に座れました。
  
機内でドリンクとクッキーのサービスがあり、午前9時にカイロ空港に到着しましたが、途中の空から見たエジプト
  はナイル川沿いを離れると砂漠の国というのが良くわかります。ナイル川の水が住民にとっては本当に命の水と
  いうのが実感できました。飛行機から見る道路や建物が砂っぽくて、少しの風でも、細かい砂が舞い上がっている
  のが良くわかりました。カイロ空港は思った程大きくなかったのと後進国の空港の感じがしました。
   

  午前10時にギザに向けて出発しましたが、エジプト観光ではどこに気にも観光警察(ツーリストポリス)が1人乗り込
  むのが規則のようですが、人によって雰囲気が違うのは性格かなと思いました。
  今日は金曜日でイスラム教では金曜日が休みで、その上、今は冬休みなので、きっと人が多いだろうと現地ガイド
  のアハメッドが言ってました。
   
  午前11時に、現在の「エジプト考古博物館」の収蔵物や新に見つかった出土品や宝物類をまとめて収蔵展示する
  予定で建築中の”新考古博物館”近くのホテル「カイロピラミッズ」に着きましたが、チェックインはせずにトイレ休
  憩だけして直ぐに「ギザの三大ピラミッド」に出発しました。

  ホテルから車で10分程度ですが、今日はガイドの予想通り、大渋滞で駐車場に入るまでに時間が掛かりそうなの
  で、途中から歩いて入場口まで行きました。
   
  午前11時半頃に入場口から入ると、クフ王の第1ピラミッドは入るのに時間がかかりそうだったので、先にパノラマ
  ポインポイントと言われる所に行きました。ここは1番大きな”第1ピラミッド(クフ王)”も2番目の”第2ピラミッド(息
  子のカフラー王)”
、3番目の”第3ピラミッド(孫のメンカウラー王)も見えるようになっていて、それぞれ、奥さん
  や子供の小さなピラミッドもあります。
   
   
  私は普通に写真を撮ったのですが、若い女性達はピラミッドをつまんだり、乗せたりする写真を上手に撮っていま
  したが、私にはそこまでの根気が無いので、彼女たちを見ていると羨ましくなります。ここで、私の呼びかけで、今
  回のツアーで初めて全員集合写真を撮る事になりました。
3つのピラミッドを背にして撮りましたが、これが今回の
  ツアーの唯一の目玉になると思いました。

  30
分程、景色を楽しんだ後、歩いて”第1ピラミッド”まで行き、5mほど上の入り口から入りましたが、狭い階段を歩
  いて行くと、天井が高い通路を通った後は高さが1mくらいの急な所を腰と膝を曲げたままで50m位を上がって行
  くのが大変な苦行でしたが、そこが終わると、間もなく、クフ王の玄室に到着ですが、部屋は思ったよりも小さくて
  、中にはレリーフも何もなく殺風景で、ただ、クフ王の入っていたと思われる石棺があるだけで、クフ王のミイラも
  「カイロ考古博物館」にあるそうです。このピラミッドは230万個の石が使われていて、建設当時、高さ146mだった
  のが、頂上部が崩れて、現在では137mになっているそうですが、元の高さを表すアンテナが立っています。

  第1ピラミッドから歩いて、太陽の船博物館の横を通り抜け、”スフィンクス像”の見える”河岸神殿”に行きましたが、
  現地ガイドのアハメッドの言うには、このスフィンクスは元々は作る予定は無かったのですが、当時、大きな石が余
  っていたので、”第2ピラミッド”の主のクフラー王から邪魔だから早く片付けるように言われた神官が、遠くに持っ
  て行くより、そこで利用した方が良いと思い、守護の為、顔はカフラー王で体はライオンのスフィンクスを作ったそ
  うです。狭い河岸神殿の入口を入って行くと、大きな石の扉があった思われる蝶番があり、蓮の茎を象った天井の
  通路を出ると、直ぐ近くにスフィンクス像が見られました。この3つをまとめて「ピラミッド・コンプレックス」と呼んで
  いるそうです。
   

  午後2時半過ぎにピラミッドを出発しましたが、駐車場に行くまでに土産物屋が並んでいて、いろいろな石のピラミ
  ッドや色を付けた砂漠の砂で瓶の中に模様や絵を描いている物、王様や神の石像、ラクダの人形などを売ってい
  ましたが、立ち止まって買う暇も無かったのが少し残念でした。
   

  10分程で昼食会場の「CAVIAR」に着きました。この店は船と飛行機以外で食べる初めての食事でしたが、ナンを色
  々なペーストに付けて食べるのとワンプレートの肉のカバブーにスープですから、普通のエジプトの食事は粗末な
  のか、このツアーが安いせいかと思いましたが、2ドルの100%イチゴジュースは美味しいと思いました。
   

  午後4時前に店を出て、近くにある「フィヤラバザール」と日本語でも書いてある大きな貴金属を扱う土産物店に
  行きました。私は特に何も買いませんでしたが、女性で金のネックレスを買った人がいて、日本より安いと言ってま
  したが、本当かどうかは分かりません。他にも”カルトゥーシュ”(ロープで作られた楕円の中にヒエログラフが描か
  れている)のペンダントを買った人もいたようです。
   

  午後4時半過ぎに土産物店を出て、今日のホテルの「ギザの三大ピラミッド」に近い「カイロ・ピラミッズ」に着いた
  のは午後5時前でした。ツアー申込後、出発が決定してから、プラス5,000円でピラミッドが見える部屋に変更でき
  ると案内が来ましたが、しなくて良かったと思いました。と言うのも、見えると言っても上の方の一部だけで、全体
  が見渡せるようなロケーションに建っているホテルではなかったからです。
   
  午後6時30分から午後8時半までの間に自由に夕食を食べて下さいと言われていたので、午後7時過ぎにホテルの
  ビュッフェ会場に行くと、ツアーのメンバーが誰も来ていなかったので、一人で食べるしかないと思っていたら、横
  浜のご夫婦が来たので、取り敢えず、3人で一緒に食べました。
  ホテルの料理も船の中の料理と大して変わらない料理だったので、エジプトの料理はこんなものかと思いました。
  私達が食べ終わる午後8時頃に三々五々皆さんが食べに来たので、夕食も食べる時間が遅いのが当たり前になっ
  ているのかなと思いました。
  部屋に帰って、明日の夜の帰国に備えて、スーツケースの整理をしましたが、今回は暑いかもしれないと思い、半
  袖や薄手の長袖を持って来ましたが、ほとんど、着ることも無かったのはエジプトに対する認識や情報が足りなか
  ったと反省しました。

  20日(金)午前6時から朝食会場の昨日の夜と同じビュッフェ会場に行きましたが、料理はソーセージや豆料理の
  他は色々な種類のヨーグルトやチーズがありましたが、普通の料理はジャガイモとか野菜があり、船とあまり変わ
  り映えがしないので、こんなものかと思いました。
   


  午前7時過ぎにオプショナルツアーで「ダハシュール・メンフィス・サッカラ観光」に出かけました。ホテルの前にあ
  る国旗掲揚のポールに中国と日本、エジプトの国旗が掲げてあったのは、ホテルに宿泊している観光客の国に敬
  意をはらっているのかなと思いました。午前7時過ぎにバスで出発しましたが、途中の風景がナツメヤシの並木が
  続く道路を走っていると、薄い雲間から太陽が見えて、何故かこれがエジプトかなと思ったのですが、何でそんな
  感じになったのか、自分でも良く分かりませんでした。
   

  最初に長く軍事施設の中にあって観光禁止だったダハシュールに向いましたが、午前8時に到着し、先に途中から
  スネフル王(クフ王の父親)の傾斜角度の変わる”屈折ピラミッド”に行き、写真だけ撮りましたが、直ぐ近くに軍事
  境界線の有刺鉄線が張ってあるのを見ると少し緊張しました。
   
  その後、近くにある同じスネフル王の石が赤いから”赤ピラミッド”と呼ばれている立派なピラミッドに行くと、観光
  に来た人が入口から入って行くのが見えましたが、私達は外から眺めて、ガイドのアハメッドが教えてくれた石拾
  いをしました。”アラバスター”という大理石に似た、昔からピラミッドの表面や石像に使われている石や石灰岩が
  ありましたが、私は記念にアラバスターを数個拾いました。
  ツアーメンバーの若い女性が2人で赤いピラミッドで写真を撮ろうと少し登っていたら、地元の警察から注意され
  ました。ここからは遠くにぼんやりとアメンエムハト3世”黒のピラミッド”がかろうじて見えましたが、風が強い
  と砂漠の砂煙で見えなかったと思います。
   

  午前8時半にダハシュールを出て、メンフィスに向いましたが、この辺はナツメヤシをたくさん植えている家が多く
  、牧畜用のクローバーの畑も沢山ありました。
   
  午前9時にメンフィスに着きましたが、ここは古王国時代の首都で国の中心地として繁栄していましたが、今では
  野外博物館にしている公園にプタハ神の神殿を建造した”ラムセス2世の倒れた石像”と神殿の跡地から掘り出さ
  れた”アラバスターのスフィンクス”が跡地に残っているだけで、昔の面影は無くなっているようです。
   
  ここには土産物の売店も少ししかありませんでしたが、私が”ホルス伸”(ハヤブサ)があるかと聞くと、出して来て
  見せてくれましたが、こちらが買う気で聞くと、自分の手彫りで85ドルと言うのを聞いて買う気が失せました。
  神殿址を出た所で、パピルスの栞を10枚100円で売っているオジサンがいて、今まで、1ドルはありましたが、100円
  は初めてだったので、みんなが買っているのに釣られて私も30枚買いました。

  メンフィスを9時半に出て、サッカラに20分程で着きましたが、サッカラには”マスタバ墳”と言う台形状の墳墓が
  数多くあり、4800年前のマスタバの壁面の壁画で色が鮮やかに残っている物もあるそうです。
  有名な”ジェセル王の階段ピラミッド”大臣イムホテプ”マスタバ”を積み上げて階段状(6段60m)にしたもの
  で、ギザのピラミッドより100年ほど古い、エジプト最古のピラミッドになるそうです。高い壁に囲まれている中に神
  殿や葬祭殿、礼拝所などがある”複合体ピラミッド”(ピラミッド・コンプレックス)になっています。
   
   
  また近くにある”ウナス王のピラミッド”は形は崩れていますが、中の玄室の壁面にピラミッド最初の祈祷文の浮彫
  があり、”ピラミッドテキスト”呼ばれているそうです。

  ここには土産を売る人間の他にラクダやロバを使って、観光客を乗せたり、写真を一緒に撮る商売人がいっぱい
  いるので注意してくださいとガイドのアハメッドに言われていましたが、ピラミッド見学中に1人の女性がロバと地
  元民と一緒に写真を撮った後、1ドルと思ったら5ドル請求されていたので、アハメッドが話を付けましたが、事情を
  聞くと、最初は何でも1ドルと言っておいて、写真を一緒に撮った後で、撮ったのが人間3人とロバだから5ドルだと
  言うのが彼らの常套手段のようでした。

  午前10時半にサッカラを出ましたが、帰る頃に少し風が吹いてくると、霧がかかったように遠くが見えなくなり、
  砂漠の砂の細かさが良く分かりました。ギザのピラミッドに近づいてくると、土曜日とあって、昨日より更に混雑が
  増していたので、時間までにホテル「カイロ・ピラミッズ」に戻れるか心配でしたが、何とか、午前11時20分にホテル
  に着き、大急ぎでスーツケースを作り直して、午前11時30分に部屋の外に出しましたが、出すと同時に回収に来た
  のでグッドタイミングでした。

   
  午後12時前にロビーに行くと、皆さん、集まっていて、午後12時10分にバスでお昼を食べに行きましたが、途中、バ
  スの中から見たギザ市内でレンガ造りの建物ばかりの地域がありましたが、旧市内かなと思いました。その後、普
  通の町の景色になったので、やはり、何か曰くのある地域かなと思いました。
  今日は船上レストランでシーフードですと言うので、少し、期待していきましたが、20分程で「ALSARAYA」と言う、
  川の中に浮かんでいるレストランに着きました。中に入るとなかなか良い感じでしたが、外のナイル川を見ると、ゴ
  ミだらけで興覚めの感じでしたが、それが今のエジプトの現状なのかもしれません。
   
  どんな料理が出て来るのか期待しましたが、昨日のレストランと同じでナンと付ける4種類のペーストに魚料理のワ
  ンプレートが出て来て、食後に硬めのミルクプリンが出てきました。これでシーフードと言われると、やはり、エジ
  プト料理と言うのは質素なのかもしれません。

  午後1時50分に出発し、10分程で今回のツアーの最後の観光地「エジプト考古博物館」に着きました。ここでカメラ
  チケット50ポンドとミイラ見学券150ポンドを払い、残りのポンドは110ポンドになりました。
  「エジプト考古博物館」は1902年にフランス人考古学者オギュスト・マリエットにより創立された博物館で、マリエッ
  トは初代館長になり、死後は館内の前庭に埋葬され銅像が出来ています。館内には16万点に及ぶエジプト文明の
  遺品や美術品が収蔵されていて、正面にはエジプトを代表するパピルスとロータス(蓮)が植えられています。
   
  冬休みの土曜日とあって、大勢の見学者で混雑していましたが、中に入ったらそれなりに見学出来そうで、ガイド
  のアハメッドの案内で1階から見学しました。最初に”ロゼッタストーン”のレプリカを見ましたが、この石がエジプト
  の歴史を解く為の大きな役割を果たしたことを初めて知りました。本物は、現在、大英博物館にあるそうですが、
  エジプトが返還を要求していますが、今の所、帰ってくる予定は無さそうです。

  その後は4600年間の修復していない当時のままの綺麗な”クフ王の兄夫婦像”や綺麗だったと想像できるような
  ”ハトシェプスト女王の顔の像”、は流石にエジプト5000年の歴史の博物館だと思えました。
   

  その後、この博物館最古の4800年前の”ジェセル王の座像”、博物館で一番小さな”クフ王の象牙の像”、クフ王の
  ミイラの入っていた”アラバスター製の石棺””書記座像”、を見ました。
   
  
   
  ”セネブと家族像”という小さな像は中の良い家族を表していて、腕を組んでいる夫婦の男性は小人ですが、足を
  短くして同じ大きさにして、その下に2人の子供がいる様な構図になっています。”パン職人の仕事を表す像”はパ
  ンを作る工程を仕事の様子で表現しています。他にも色々な形の”小さな石像”や古い船もありました。
  1階で沢山の展示品を見て、2階のツタンカーメン王の資料や沢山のファラオのミイラが収蔵されている2階に上が
  がりましたが、階段の踊り場にあったパピルスに描かれた”絵文字”(ヒエログラフ)が面白いと思いました。

  2階で最初に見たのは”ツタンカーメン王”のミイラが入っていた黄金の棺の外側の4重の厨子が第1の厨子から順
  番に並んでいて4個目は修復中でした。有名な黄金のマスクや黄金の棺は撮影禁止で撮れませんでしたが、”黄金
  の玉座”
だけは撮影できました。2階には他に沢山の”スカラベ”があったり、両側には色々な種類の”棺”が並んで
  いましたが、見学者もだんだん慣れて来て、気にもせずに歩いていました。
   
   
  最後に歴代のファラオのミイラが安置されている部屋を2カ所見ましたが、こちらも撮影禁止なので、見ただけで
  すが、3000年以上前の歴史上、有名な王様だと分かっていても、あまり、感激も無く、惰性で見ていたような気が
  しました。やはり、こういったものは、本来の場所に棺に入って収まっているのが良いと思いました。

  見学時間は午後4時半までなので、閉館前に出て、博物館の土産物売り場で時間を潰しましたが、記念にアルバム
  やフィギュアを買っている人達がいました。午後4時40分に博物館の創立者オギュスト・マリエット像の所に集合する
  予定でしたが、早目に来て待機中の人達もいたり、買い物に夢中で大慌てで、ギリギリに来た人達もいましたが、予
  定の午後5時前にバスで出発しました。
   

  夕方でカイロ市内は渋滞していましたが、カイロ空港には午後8時頃までに行けば良いので、その前に空港近くの
  「カルフールショッピングセンター」に寄って、残りのエジプトポンドを使う事にしました。最初に食料品売り場に行
  ってオリーブオイルを勧められたので買う積りでしたが、次にナッツ売り場に連れて行かれたので、アーモンド100g
  とビスタチオ100g、ピーナツ200gを108.5ポンドで買い、1.5ポンドのお釣りが残っただけで、記念にほしいと言う女
  性にプレゼントして、エジプトポンド綺麗に無くなりました。
   

  午後7時20分に店を出て、午後7時40分にカイロ空港に到着し、現地ガイドのアハメッドとはここで別れ、セキュリテ
  ィチェックを受けて空港内に入り、搭乗手続きをする前にスーツーケースに必要ないものを入れてから、エジプト航
  空の搭乗手続きをしました。添乗員のO.Yさんに助けてもらって1人座席を確保した積りでしたが、後から違う事が
  分かりました。
   
  もう一度、セキュリティチェックと出国手続きをして、場内に入り、午後8時45分に簡単なパンとコーヒーで夕食を
  済ませて、旅行記を書く積りでしたが、ツアーメンバーのK夫妻が席の来られたので、3人で過ごしていたら、添乗
  員のO.Yさんも来て、4人で集合時間までいて、午後10時20分にG2ゲイトに行きました。

  午後10時30分過ぎから搭乗が始まり、チケットを切ってから、来る時と同じ、靴まで脱ぐセキュリティチェックを受け
  て、MS964便に乗り込むと、1人席と思ったら、同じツアーの若い女の子が座っていたので、私が直ぐに空いている
  後方の席に移動して、3人席に座って事なきを得ましたが、後から席を探しに来た他のツアーの人は確保できずに
  元の席に帰って行きましたから危ない所で助かりました。
   
  午前0時に出発して、1時間ほどした時に最初の機内食が出たので、少しだけ食べて、睡眠薬を飲んで寝ましたが、
  寝る前に時計を7時間進めて時差を修正し日本時間にしました。

  21日(日本時間午前7時に離陸したMS964便は、午後2時半頃に目が覚めたので、そのまま起きましたが、7時
  間近く寝たので体はすっきりしていました。午後4時頃に2回目の機内食が出たので全部食べました。
   
  午後5時50分に着陸し、午後6時40分にスーツケースを受け取れたので、午後7時12分発の成田エクスプレスに間に
  合ったので、ジパング利用の為に事前に調べて置いた、東京発午後8時33分のひかり号には十分時間があると思
  っていたら、総武線で人身事故があり、電車が少し遅れていると車内放送があり、所々で、徐行運転をしているの
  で、どうかなと思っていたら、結局、東京駅に15分遅れで到着したので、大急ぎで新幹線乗り場に行きましたが、総
  武線が1番線なので、新幹線の22番線に着いたのは午後8時35分でした。
  仕方がないので、のぞみ号で帰る事にして午後8時40分ののぞみ号に乗って追加料金を払って帰りました。家内に
  春日井駅に迎えに来てもらって、家に着いたのが午後11時頃でした。何はともあれ無事に帰れたことが一番だと
  思いました。

  今回のツアーは昔から行きたかった「エジプト旅行」でしたが、終わってみれば、期待が大きすぎた分、満足感が
  今一つの感がします。見学した内容については、本来、見たいと思っていた、”ギザの三大ピラミッド””アブ・シン
  ベル神殿”
”王家の谷””エジプト考古博物館”などを全て見たので、文句はないはずですが、何か落ち着いて見
  たと言う気がしません。ゆったりしたクルーズをしながらの観光のはずが、朝は早くから出発し、船まで帰って来て
  、遅い昼を食べて、また出かけると言うようなスケジュールに踊らされて、休む暇もないようなペースが気持に満
  足感が無いのかもしれません。メンバーも男1人が私だけだったせいもあるかも知れませんが、特に疎外感を感じ
  たわけでも無いのですが、中国旅行ですと1人参加の人が男女にかかわらず、同年代がいるので、話が合う分、楽
  しさが共有できるのかもしれませんが、今回のツアーは夫婦2組、母と息子1組、中年女性連れ1組の他は若い女性
  7人と私の16名でしたが、同年代は東京のK夫婦の1組だけでしたから、そういう事もあったかもしれません。
  ただ、そうは言っても、5000年の歴史のあるエジプト各地の世界遺産の遺跡を見られた事には満足しているので
  、私の欲が深すぎたのかもしれません。


 1月14日(
  午前5時過ぎに目が覚めましたが、早すぎると思い、トイレに行って、もう少し寝ようと思いましたが、寝られそうに
  ないので、午前5時半過ぎに起きました。少し明るくなった、午前6時半過ぎの温度計は
-3℃でしたが、寒気が少
  し緩んで来ると天気予報で言っていたのが当たっていると思いました。
  成田出発は午後9時20分で集合時間は午後6時50分なので、家を午後1時過ぎに出ようと思い、朝の内にもう一度
  、荷物の確認をしておきました。21日の安全協議会の新年会のお楽しみでビンゴをやるのですが、いつも、ビンゴの
  道具を我が家が提供しているので、早目ですが、午前9時過ぎに
D.N会長の所に届けておきました。
  午前10時半頃に愛知日産の営業マンが車検の為にエクストレイルを取りに来てくれましたが、今回が第1回目の車
  検ですが、去年の無資格検査の影響で、車検の内の基本検査はリコールと同じ扱いなのか、検査料24,500円は無
  料になると聞いて得した気分になりました。



 1月13日(土)
 
 今朝も寒いと思ったら、-4℃で昨日より少しだけ高かったのですが、体感としては同じ位の寒さだと思いました。
  午前9時に今年初めていつものモスバーガーの店に行きましたが、今日はいつものメンバーがほとんど集まって
  いたので、皆さんに年始の挨拶をして、
「桃球会」の幹事のM.Nさんには新年会欠席の確認とお詫びをしました。
  K.Kさんに3日に脳梗塞で緊急入院した会長のO.Nさんの様子を聞くと、明日、退院の予定
  午前10時前に解散して、
「皿貝接骨院」に行きましたが、この寒さで空いていると思ったら、逆に、少し待たされま
  したが、忙しい位の方が先生もやりがいが出て良いだろうと思いました。
  今日から
”大学入試センター試験”が始まりましたが、寒波の影響で北陸地方では、一部混乱があったようですが、
  この地方では雪も降らなくて順調に実施できたようです。
  午後6時から今年最初の安全協議会の役員会があり、
D.N会長の事務連絡の後、21日の新年会の打ち合わせがあり
  ましたが、私は欠席なので、会計として経費と領収書だけ用意して、前任者の
T.Kさんに代理をお願いしました。
  その後、午後7時から安全パトロールを会員で始めましたが、歩き始めて間もなく雪が降り始め、すぐ止むと思って
  パトロールを続けていましたが、15分位経っても止みそうにないので、午後7時半過ぎに中止して解散しました。
  私としては雪が降り続いて、明日の新幹線が遅れたりすることは困ると思っていましたが、中止して家に帰る頃に
  は止んでいたので、これ以上降らないでほしいと思っています。



 


 1月12日(金)
  昨日の天気予報で今年最大の寒さになると言ってたので、午前6時過ぎに起きて新聞を取
  りに行った時に温度計を見ると、今年の冬、
一番の-5℃を指していたので、明るくなった
  午前7時前に写真を撮りましたが、その時も同じ-5℃でした。
 家内が起きて来たので、その話をすると、直ぐに、
”シモバシラ”を見に
 行くと、この冬最大の
”霜柱”が出来ていましたが、この原理は”シモバ
 シラ”
は枯れた茎の道管に水が吸い上げられ続け、外気が氷点下にな
 ると、道管内の水が凍って茎から
霜柱(氷柱)が出来るそうです。この
 現象は地中の根が凍るまで続くそうです。
 家内は
「尾張剣道女子稽古会」が春日井市体育館であるので、午前8時半過ぎに稽古着に着換
 えて出かけて行きましたが、会場は暖房が無いので、今日の寒さでは足が冷たくて大変だろ
  うと思いました。家内が帰って来て言うには、
「誠武館」の稽古は最初は寒くて冷たくて辛いらしいのですが、稽古
  をしている内に暖かくなり、体中がポカポカになって来るそうですが、今日の体育館の稽古は、この寒さで、さす
  がに体がポカポカになるどころではなく、震えながらやっていたそうです。
  私は明後日からのエジプト旅行の添乗員から、昨日、電話があり、両替の事を聞くと、現地通貨(エジプトポンド)は
  成田で両替した方が良い言われ、ドルもその時にと思ったのですが、面倒なので、ドルだけでも両替しておこうと
  思い、大垣共立銀行に行って500ドルだけ両替しましたが、日本円で57,115円でした。



 1月11日(木)
  
午前中、今年初めての「東部中国語同好会」があるので、午前9時半に家を出て東部市民センターに行きました。
  新年とあって久し振りに全員と言っても6名の会員全員が出席しして、今日から新しい課程を始めましたが、復習
  なので、単語や熟語は見た事がある漢字が多いのですが、ピンイン(発音の仕方)がうまく出来ないのは相変わら
  ずで、自分ながら情けない限りです。
  今日は午後から家内の知人が何十年振りかで会いに来ると聞いていたので、ゆっくり話が出来た
  方が良いと思ったので、お昼を早めに食べて、久し振りに映画でも見ようと思って
”ミッドランドシネ
  マ名古屋空港”
に行きました。午後1時過ぎに着き、上映時間表をみると、私が見たいと思った映画
  が既に始まっていたので、去年から上映している
「スターウォーズ/最後のジェダイ」を見ました。
  前作の「スターウオーズ/フォースの覚醒」でも思ったのですが、それまでのジョージルーカスのス
  ターウオーズとは違うと言う意識で見ないとガッカリすると思いましたし、ストーリーも退屈な感じ
  で、始めて見た人には良いかもしれませんが、昔のスターウオーズをイメージしていた人にはつま
  らないだろうと思いました。この映画が3部作の2作目で、続編の3作目を想像させるラストシーンもありきたりで
  どうしようもない感じでした。
  午後4時前に終わり、帰りに本屋に寄って、午後5時頃に家に帰って、家内の話を聞いて、人の縁の不思議さを感じ
  ました。と言うのは、午後1時過ぎに家内の知人の
M.Yさんが35年振りに訪ねて来たのですが、御主人と一緒に車
  で来て、ご主人は車の中で待っていると言われたので、家内はそれなら一緒に上ってくださいと言って、お二人に
  上ってもらい、昔話をしていたら、帰る頃にご主人に
「この近くに原と言う字の付く人はいませんか」と聞かれ、家
  内が
「前の家と4,5軒先にもありますよ」と言うと、「昔、T無線という店にいた人」と言われ、「前の家のO.Nさんで
  すよ」
と教えて、偶然、O.Nさんが仕事から帰っていたので、直ぐにO.Nさんを呼び出して、会わせたら、2人が肩を
  抱き合って懐かしがっていたそうです。
  2人は
M.Yさんのご主人がSONYというメーカーでO.NさんはT無線と言う小売店の責任者という間柄でしたが、何
  故か気が合い、毎日のように会って、お互いの会社や仕事の愚痴や不満を話して、励まし合った時期があったそう
  です。その後、O.Nさんの店が倒産し、M.Yさんのご主人は転勤で疎遠になったそうですが、それぞれ、相手の事が
  ずっと気になっていたようで、今日、我が家で会えたのは本当に偶然ですが、人間の縁は何処でつながっている
  のか分からないと思いました。



 1月10日(水)
 
 今朝は久し振りに-2℃と冷え込みましたが、今週はずっと寒い日が続きそうですが、インフルエンザが流行の兆
  しがあるので、気を付けなければと思っています。
  午前9時過ぎに家内は今年初めてもお茶の稽古出かけましたが、初釜を兼ねてお昼は料理屋でランチをすると言
  って出ましたが、入れ替わりの様に次男が帰って来て、昨日の初仕事で腰を少し痛めていたので、会社に行くと、
  今日は暇だから休んで良いと言われて帰って来たそうです。
  ピアノやコピー機等200kg以上の重い物を運ぶ仕事で、無理をすると、体を痛める可能性があるので、会社も人が
  いれば、絶対に無理をさせない方針のようです。
  午前10時頃に
近所のK.Kさんがやって来て、「桃球会」「団地安全協議会」の新年会の出欠を聞かれたので、丁
  度、エジプト旅行中で出られないと言うと、他にも
「桃球会」の会長で12月にホールインワンをやったばかりのO.N
  
さんが先週の3日に脳梗塞で入院され、幸い、軽くて済んだらしく、既に点滴をしながらリハビリで歩いているそう
  ですが、お酒は駄目で欠席になり、ソフトボール仲間の
H.Aさんは年末から腰痛で歩くのも辛そうで、当分、安静に
  していると欠席する事になり、当初の出席予定者が、かなり、減っているようですが、平均年齢75歳近くの
「桃球
  会」
のメンバーを考えると仕方がないかもしれません。
  
「団地安全協議会」の方は今週の土曜日に出席者数が分かると思いますが、こちらも高齢化が進んでいるので、
  年々、出席者が少なくなっているのが頭の痛い所ですが、これだけは避けようのない現実なので、受け入れるし
  かないと思っています。



 1月9日(火)
  今日も朝は小雨が降っていましたが、温度計は7℃を指して、寒くなかったのですが、途中から冷たい風が吹き、陽
  が照ったり、また雨模様になったりと、一日中、目まぐるしく変わりやすい天気になりました。
  家内は午前9時過ぎに
「誠武館女性剣道」の初稽古に出かけましたが、例年と同じように、稽古始め恒例のぜんざ
  いを大鍋に作って、餅を焼く為の鉄板プレートを持って行きました。
  私は午前10時前に今年初めて
「皿貝接骨院」に腰と肩の治療に行きましたが、ゴルフ仲間のH.Aさんも初めて来た
  ので年始の挨拶をして2人で治療を受けました。



 1月8日(月)
成人の日
  朝から小雨の降る日になりましたが、今日が「成人の日」と言うのは三が日が終わったばかりの時で、1月15日に
  長い間馴染んだ人間としてはピンと来ませんが、今日の様な雨の日に
「成人式」は少し気の毒な気がします。
  家内はいつも様に祝日でも関係なく、月曜日という事で名古屋の義母の所に出かけて行きましたが、私は午前中
  は家にいて、お昼を食べてから、午後2時過ぎに春日井駅まで切符を買いに行きましたが、成人式に行った人達に
  は会えませんでしたが、テレビで見ると、今年も一部では荒れたようですが、全国的に見ると、最近は真面目な若
  者が多く、昔ほど荒れる事は少ないようです。
  駅からの帰りにガソリンを入れましたが、3回目にしてやっとスムーズに給油が出来て精算もすんなり出来ました。
  その後、大垣共立銀行で日本円をドルに少し換えておこうかと思って、駐車場から中に入って、店の方のシャッター
  が降りているのを見て、今日が
「成人の日」の祝日だと改めて認識しましたが、自分が未だにピンと来ていないと
  分かりました。
  夕方、家内が帰って来て、義母の入っている介護付有料老人ホームに、振り袖を着た娘さんが父親と一緒に来てい
  たと言ってましたが、ここに入所しているおじいちゃんかおばあちゃんに晴れ着を見せに来たのかなと思ったそう
  ですが、そんな優しい気持ちを持った若い人が沢山いてほしいと思いました。



 1月7日(

  昨日から「第12回名古屋春節祭」が名古屋久屋広場とエンゼル広場で開催されているので、早目のお昼を食べて
  、午後12時過ぎに出かけました。毎年、中国本土から芸術団が来ますが、今年は日中平和友好条約締結40周年に
  当たりますが、河南省から
「河南省文化芸術団」”少林寺武僧団””河南省歌舞団”が来日していました。
  午後12時半過ぎに会場に着くと、丁度、ステージでは
”河南省歌舞団”の踊りが始まっていました。”河南省歌舞団”
  
は中国有数の歌舞団と言うだけあって、なかなか華麗な踊りを披露していました。続いて”少林寺武僧団”の少林
  カンフーが始まりましたが、少林寺は河南省登封の中岳嵩山の麓にあり、少林武術の中心地で私も行った事があり
  ますが、多くの少林武術を教える学校があるのを見てきました。今回の”少林寺武僧団”が本当の少林寺の僧なの
  か、武術学校の生徒か分かりませんが、以前、私が現地で見た少林カンフーより優れていると思いました。それぞ
  れ、鍛えた技で観客を驚かせていましたが、そこの至るまでの修業は大変だったと想像できます。
   
  1時間程で演技が終わったので、会場を一回りしましたが、至る所で中国語が飛び交って大賑わいで、串焼きや刀
  削麺を求めて長い行列の出来る飲食コーナーもありましたが、私は食べる所ではなく、エンゼル広場の中国領事
  館のテントに行くと牡丹の絵を描いている女性がいたので見ていると、迷いなく一気に描いていって仕上げまし
  た。
”謝麗萍”と言う中国洛陽の牡丹絵画専門家で牡丹の仙人と言われているそうですが、中国ならではの職業と
  言うか仕事だと思います。
   



 1月6日(土)
  今年初めての燃えるゴミ収集日なので、早目に出しておかないと、置く場所に困ると思い、午前7時半に出しに行
  きましたが、皆さん考える事は同じらしく、既にかなりのゴミ袋が出ていましたが、それでも、まだ余裕があったの
  で大丈夫でした。それと、以前のように生ごみを狙ったカラスの姿が見えないので、それ程、心配しなくて良いと
  思いますが、油断は大敵です。
  午前10時過ぎから家内と一緒に
「清水屋」に出かけましたが、明後日までの期限で年賀状の番号で50%30%20%
  割引になるチャンスがあり、我が家に来た年賀状で30%引きの番号が3枚もあったので、対象売り場で良いものが
  あれば買おうと思って行きました。当初は4階の家庭用品を買う積りで一回りしましたが、悩んだ商品(圧力鍋)も
  あったのですが、我が家にあるものがまだ使えると家内が言うのでやめて、2階の洋品コーナーに行き、私の帽子
  2つとシャツを買いましたが、家内は迷ったセーターがあったのですが、値段が高いからと買いませんでした。

  夕方、
星野仙一さんが亡くなったと言うニュースが流れましたが、去年、やっと、野球殿堂入りして祝賀パーティを
  やっている様子がテレビで流れているのを見て、良かったなと思ったばかりだったので、すい臓がんで闘病中だっ
  たとは思えませんでした。私が昭和45年に名古屋に転勤して来た頃には中日のエースと活躍し、巨人に対して異
  常な闘志を燃やし、
”燃える男”のキャッチフレーズで人気を博していたのを見て、同じ岡山県人として誇らしく思っ
  た事が思い出されます。
  高校時代から注目されていましたが、甲子園には出場できず、明治大学に進学しても、田淵・山本・冨田の法政大学
  の黄金期で東京六大学でも優勝には縁がなく、プロ野球選手としても146勝121敗34セーブという成績を残しまし
  たが、名球会入りには遠く及ばず、彼の野球人生が本当に花開いたのは監督になってからだと思います。
  中日・阪神・楽天で、それぞれ、チームを優勝に導いたのですから、立派な指導者として評価されて当然だと思い
  ますし、これからも色々な方面で活躍すると思っていたので残念ですが、心からご冥福をお祈りします。



 1月5日(金)
 
 今日は二十四節季の小寒に当たりますが、午前6時の気温は1℃で、思ったより気温は高いと思いましたが、体感的
  には零下の感じでした。市内の小中学校がまだ始まっていないのに中部大学は今日から講義があり、私の受講し
  ている
「世界の中の日本」(大澤肇講師)も今日から講義ですが、先生は今日は休む学生が多いだろうと韓国映画
  
「ペパーミント・キャンディー」(2000年:監督イ・チャンドン:主演ソル・ギョング)を見て、感想を書いて提出する事に
  して、休んだ学生はどこかでDVDを借りて見て感想文を提出するようにしていました。
  「ペパーミント・キャンディー」は1999年から1979年まで、主人公のキム・ヨンホ(
ソル・ギョング)の生きてきた時代
  を遡っていく形で展開する物語で、映画の手法としては珍しいそうです。この時代の韓国は1979年の朴大統領暗
  殺で全斗煥による軍事政権が発足し、民主化運動が活発化して、1980年の光州事件、1981年ソウルオリンピック開
  催決定(名古屋と争った)、1987年6月民主化宣言、1988年ソウルオリンピック開催、1991年国連加盟(北朝鮮と南北
  同時加盟)、1997年アジア通貨危機など激動の20年でした。
   
  映画は主人公のキム・ヨンホの鉄道自殺のシーンから始まり、彼の生きて来た20年間を遡りながら、所々、韓国社
  会の状況や事件(光州事件)と絡めながら描いていますが、昔の韓国警察の取り調べ方(拷問)や光州事件での軍
  の関わり方などを描きながら、主人公の真面目な青年だった時代まで戻り、最初の自殺シーンで、何故、彼が自殺
  したかを観客が納得できる言う物語でした。
  この映画は韓国のアカデミー賞と言われる2000年の
”大鐘賞”で主要5部門を受賞したそうですが、私は映画の内
  容よりは主人公の妻ホンジャ(
キム・ヨジン:チャングムとイサン)と恋人スニム(ムン・ソリ:太王四神記)を演じた女
  優が私の見た事のある韓国の時代劇ドラマ(前記)に出演している女優だったのが興味深かったです。

  午後からは
「坂下パソコン同好会」がありますが、今月は私が当番なので、午後1時前に坂下公民館に行き、鍵を貰
  って部屋を開けて、午後3時半に終わってから、同好会の皆さんが帰ってから部屋の中に忘れ物や窓の開閉を確認
  し、部屋を閉めて、事務所に鍵を返して役目が終了ですが、次回の第3金曜日は私がエジプト旅行で休むので、他
  の方に鍵当番をお願いしました。


 1月4日(木)
  今朝も午前6時に起きて新聞を取りに行きましたが、昨日より寒いと思って温度計を見ると
  、-3℃より下になっていたので、我が家の今年の冬の最低気温
-3.1℃を記録しと思いま
  したが、これより下がる冬になるのかなと思いました。
 午前7時頃に起きて来た家内が、そんなに気温が下がっているのなら
 とシモバシラを見ると、なかかな大きくて綺麗な結晶のある霜柱が出
 来ていました。名前の由来通りですが、他の植物が枯れても茎にこんな
 なに霜柱が出来ると言うのは聞いた事がありませんが、これだけは本
 当に不思議な現象だと思います。
 今日から御用始めですが、
「坂下パソコン同好会」の3月度の申し込み
 が坂下公民館であり、私が今月の申し込み当番なので、午前8時半に家
  を出て坂下公民館に行きました。2階の受け付けに行って、抽選するカードを貰ったら、33番
  でしたが、これは受付順ではなく、札を取る順番を決めるカードなので、この番号カードは
  気にする事はありません。
  午前9時から受付順を決める札を引き始め、私は33番目に引きましたが、受付順は2番の札
  を引いたので、73団体の人達が札を引き終わって、正式な受け付けが始まると、2番目なの
  で直ぐに受け付けてもらい、午前9時20分には全ての手続きが終わりましたが、終りに近い方の団体の人は2時間
  近くは待たなければならないので、午前中は潰れてしまいます。
  お結びとおせち料理の残りで早目のお昼を食べて、午後1時に約束をしてある名古屋市北区の
「コメダ大杉FC店」
  に行きました。と言うのは、昨日、現役時代に仲良くしていた
元N舗道のN.Mさんから5,6年振りに電話があり、久し
  振りに会おうと言う事になりました。
  少し早目に着きましたが、
「コメダ」は長居をしても良い喫茶店なので、中で待っていると、午後1時丁度にN.Mさん
  が来ました。
N.Mさんは一昨年に大腸がんの手術をしたと言ってましたが、77歳になったばかりでも、以前と変わら
  ない感じで、お互い直ぐに昔に戻って話が弾みました。私もここ数年の話をして、目下は中国の世界遺産を中心に
  旅行しているが、今月の14日(
)から念願だったエジプトに行く事になっていると言いました。
  午後3時過ぎまで話をして、機会があれば、今日は近くの神社の役員をしていて、初詣の手伝いで来られなかった
  
元C土木のM.Jさんも一緒に会おうと言って別れました。
  久し振りに同じ建設業界の営業をしていた仲間と会うと、どうしても、今、話題になっているリニア新幹線の談合問
  題が話題になりますが、ある程度、内情が分かる人間としては、発注者側の事情や業界側の事も考えれば、今の状
  況を変えるとしたら、工事の大幅な遅れで、開業にも影響が出て来ると思うので、何処かで妥協点を見つけて手打
  ちをする必要があると言う結論になりました。


 1月3日(水)
  午前6時前に目が覚めたので、そのまま起きて新聞を取りに行き、温度計を見ると3℃でしたが、風が強く、雲はあ
  りませんでしたが、体感温度はもう少し寒く感じました。
  お湯を沸かしていると、上の
孫のmn実が起きて来ましたが、昨夜、遅くまで寝られないと言って、寝たのは午後11
  時過ぎでしたが、起きるのは早かったようです。
下のnt実も少しの差で起きて来ましたが、まだ、眠気あり、半分位
  しか目が覚めていない感じでした。家内は昨日寝るのが遅かったせいか、午前8時前に、やっと、起きて来ました。

 今日は毎年恒例になった、元自治会役員の新年会が午前11時30分から

 「甲羅本店」
であるので、午前11時過ぎに、去年、御主人を亡くされたば
 かりですが、幹事をやっている
K.Yさんを迎えに行き、その後、健康体操
 の先生をしている
S.Tさんを乗せて店に向いました。
 午前11時30分前に着きましたが、今は春日井市の他の所に住んでいる
 M.Mさん夫妻も、丁度、着いた所でした。
 
「甲羅本店」は予約のお客さんでいっぱいで、私達も予約済みで問題あ
  りませんでしたが、普通に行った人達はかなり待たなければ席は空かないようでした。
  
K.Yさん以外、1年ぶりの皆さんとの再会でしたが、1年はアッと言う間で、ついこの間会ったばかりの気がしました
  が、1年も経っていたと言うのは自分が歳とった証拠かなと思います。午後1時頃まで食事しながら話しましたが、
  いつもと同じで、まだ話足りないからと、毎年行くグランドティアラ春日井に行きましたが、工事中の為にコーヒー
  ショップが閉鎖だったので、正面玄関のお花の前で記念写真だけ撮って貰って、近くにある
「コメダ珈琲」に行き、
  みんなで2時間程話して解散する事になりました。

  午後3時過ぎに店を出て、
M.Mさん夫妻とはここで1年後の再会を約束して別れ、K.YさんS.Tさんを家まで送って
  から我が家に戻ると、私達が出かける時に一緒に買い物に出かけた娘一家は既に戻っていました。
  家内が戻ると、孫2人は直ぐに何かして遊ぼうと家内にせがむので、家内も孫を喜ばせる為に色々な遊びを考え
  て2人を遊ばせていました。夕方からは夕食にチーズフォンデュを食べる事になっている為にチーズに付けて食べ
  る具材の用意を孫にさせていました。
  食べる前になって、チーズを溶かす容器を何にするのか議論があり、娘夫婦が容器を買って来る事になり、出かけ
  て行きましたが、売っている所が無かったので、最終的には我が家にあるステンレス製の鍋を使う事になりました。
  午後5時半過ぎから始まったチーズフォンデュの夕食ですが、
下のnt実は夕食の途中から帰らなければいけない
  と思うと辛いらしく、泣きながら食べていました。
  すったもんだがありましたが、2泊3日の正月休みを済ませて、娘一家は帰って行きましたが、家内にとっての正月
  休みは夕食後から始まった感じで、畳の床暖房に手足を伸ばし、寝転がって、ゆっくりテレビを見ていました。


 1月2日(火)
 
 午前6時半過ぎに起きて、下に降りて行くと、5分もしない内に孫のmn実nt実が起きて来ました。家内も娘も寝
  ていたので、2人に温めた牛乳とぶどうパン、ヨーグルト、リンゴで朝食を食べさせ、私は昨日の朝と同じでコーヒ
  ーとリンゴで済ませました。
  孫2人は小3、小1になり、女の子2人で絵を描いたり、人形遊びをしていましたが、その内、家内と娘が起きて来た
  ので、早速、2人はおばあちゃんと母親に甘えていました。

  今日は
”箱根駅伝(第94回東京箱根間往復大学駅伝競走)”が午前8時にスタートなので、午前8時前からテレビを
  見ていましたが、1区はスタートから17km位までは集団のままでしたが、その後、青学大がスパートしましたが、他
  の大学も何校かがついて行き、最後は東洋大の1年生西山選手が制し、2区でもさらに差を広げ、最後の山登りの5
  区では青学大に追い上げられましたが、4区までの貯金が物を言い、36秒差で逃げ切り、往路優勝を決めました。
  優勝候補NO1の青学大は予想通りの走りを見せていましたが、東洋大の予想以上の走りに足をすくわれた感じです
  が、明日の復路で36秒差を逆転し、総合優勝をして、4連覇なるかどうかが注目される所です。

 午前11時から娘一家が来ての年始の挨拶をしましたが、昨日の3人だけ
 と違って、7人での年始は賑やかで良いと思いました。その分、家内は椅
 子に座る間もなく、忙しくなりますが、孫の世話ですから楽しみでもある
 ようです。
 孫2人におせち料理の意味を教えながら食べていると、孫も話を聞くと、
 好きな物だけでなく、おせち料理も食べて、味や美味しさが分かれば、
 来年から箸が出るようになるかも知れないと思いました。
  子供達はお雑煮を食べ終わると直ぐに家内と遊ぼうと言って、娘も入ってトランプの7並べをやっていましたが、3
  世代揃ってトランプ遊びをするようになる程、孫2人が大きくなったと思いました。
  午後2時頃から家内と次男が孫2人を公園に連れて行き、娘夫婦は2人で初売りに出かけたので、私は日本酒を飲
  みすぎて、ソファで寝てしまいました。1時間程で家内達が帰って来たので、一緒に
「フィール」に買い物に行きまし
  た。初売りと言っても百貨店や大手ショッピンセンターと違って、人はいつもよりは少ないように思いました。


 1月1日(月)
元日
  午前6時前に目が覚め、トイレに行ってから、もう少し寝ようと思い、布団に入って、次に目が覚めたら、午前7時だ
  ったので思い切って起きました。今日は午前10時頃から年始の予定なので、コーヒーだけ入れて、リンゴを半分だ
  け食べました。
  午前6時から生放送でやっていた名古屋テレビ(テレビ朝日)の羽鳥アナのモーニングショ
  ーで富士山の初日の出を中継していましたが、午前8時過ぎに富士山の山頂から出始めた
  光が、本栖湖の湖面に反射しているのが写し出され、間もなくダイヤモンドの形の光になり、
  これが
”ダイヤモンド富士”という事を知りました。時期によって、頂上の真ん中から出る日
  の出があるそうですが、これが本当の
”ダイヤモンド富士”という事になるのでしょうか。
  丁度、午前8時頃に起きて来た家内も見ていて、
「わあ、綺麗ねえ」と言って、見とれていま
  したが、ほんの数分の間ですが、正月早々、自然の作り出す美しい景色を楽しませてもらい
  ました。
  今朝は家族3人だけなので、家内も、のんびり、新聞を読んだり、ちらし広告を見たりして、午前9時頃からおせち料
  理を重箱に詰めていましたが、誰もいないので順調に用意できたようです。
  今日は元旦恒例の
”ニューイヤー駅伝(第62回全日本実業団対抗駅伝競走大会)”が午前9時15分からあるので、
  CBCテレビに変えて見る事にしましたが、以前はあまり関心は無かったのですが、最近は箱根駅伝や高校駅伝で
  活躍した選手が話題になる事が多いので、注目を浴びるようになり、私も結果がどうなるのか気になります。
 午前10時前にテーブルにおせち料理を並べてから、次男を起こして、3人で年始の挨拶をして、
 平成30年(2018年)が始まりました。
 家内も次男もお酒は飲まないので、金粉入りのお酒は私が1人で飲みながら、家内の作ったお
 せちを食べました。毎年、同じような料理ですが、これだけの料理を作るのは大変だと思うの
 で、作ってくれた家内に感謝しながら食べ、お酒をも飲むので、自然と時間が長くなり、次男と
 家内は一通りおせち料理を食べたら、早々にお雑煮を食べて終わりですが、私は昼過ぎまで
 飲んでいからお雑煮を食べました。
  家内は午前中に来た年賀状を見ていましたが、今年は私が少しでも減らしたいと思って、250枚ギリギリにしたの
  で、ご無沙汰の人には出さなくても良いかなと思って、やめた人から来たり、今まで来てなかった人から来ていた
  ので、年賀状が足りず、家内は夕食の用意があるので、次男に運転してもらって年賀状を買いに
「カーマ」「コー
  ナン」
に行きましたが、元旦は休みだったので、本局まで行こうかと思ったら、次男が今はコンビニでも売ってるか
  もしれないと言うので、
「ローソン」に寄って聞くと「10枚つづり」があったので、買って来ましたが、コンビニ音痴
  の私にはコンビニで買うと言う意識が無かったので、今後はもう少しコンビニを利用しなければと思いました。
  
”ニューイヤー駅伝”は旭化成が2連覇したという事を聞いて、やはり、総合力では旭化成が安定した力を持ってい
  る事を感じましたが、各社がそれぞれ有望な選手を育てているので、来年が楽しみになりました。
  午後4時過ぎに名古屋の長女一家が
婿のnao君の実家で朝から午後3時頃まで過ごしてからこちらに着きました。
  2人の孫はいつもの様に家内に抱き着いて甘えていましたが、直ぐに、一緒に遊び始めていましたが、私は返事用
  の年賀状を作って出しに行きました。
  夕食はいつもならすき焼きかカニ鍋ですが、今日は岡山から送って貰った肉で、ステーキと決まっていたので、全
  員が席に着いてから、家内が肉を焼き始め、焼き立てをみんなで食べましたが、子供も大人も大喜びで、ほとんで
  残すことなく頂きました。
   



 12月31日(
)~1月1日(月)
  午後7時過ぎから「第68回NHK紅白歌合戦」を見ながら、夕食の寿司を食べましたが、長男一家が孫のkm花のイン
  フルエンザで帰省できなくなったので、家内と次男、私の3人で頑張って食べましたが、食べきれなくて残った分を
  次男が年越しの家に持って行ってくれ、無駄にならなくて助かりました。
  「NHK紅白歌合戦」も、年々、知らない歌手やグループが増えて来て、昔のように一生懸命見ようとは思わなくな
  り、かと言って、他に見たいテレビ番組も無いので、ずっと見ていましたが、今の時代に合うように娯楽性を高めて
  いるのは分かりますが、私達には馴染めない事も多くなっていると思いました。
 午後11時45分に今年も白組が勝って終了したので、家内と一緒に
「松原
 神社」
に初詣に行きました。午前0時5分位前に着いたので、まだ、初詣は
 出来ないので50人位の人が並んでいましたが、少し前の方に伊藤太市
 長夫妻も来ていました。
 今日は、1日中、雨が降ったり、止んだりだったせいか、風も無く、寒さも
 何処かへ行った感じで、並んでいても、側で大きな切った木をファイヤー
 ストームのように燃やしているので熱いくらいでした。
  午前0時からお参りが始まり、20分程で私達も参拝して、市長夫妻に新年の挨拶をして帰って来たら、午前0時30分
  でしたが、それから、忘れていた年末ジャンボの当選番号を確認したら、6等3,000円が当たっていたので、少し気
  分を良くして午前2時頃に寝ました。

 
  
明けましておめでとうございます。2018年も頑張りたいと思っておりますので引き続き宜しくお願い致します。
  年々、老化との闘いが厳しくなっており、文章の読みにくい点もあると思いますが、大目に見て頂いて読んで
  ほしいと願っております。今年1年、皆さまが無事に過ごせますように祈っております。



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