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4月30日(月)振替休日 今朝は午前6時頃に目が覚め、新聞を取りに行った時に昨日と気温はどうかなと思って、温度計を見たら、13℃を 指していましたが、昨日と同じような感じの清々しい朝でした。 家内が午前7時頃から庭で何かやっていると思っていたら、”八十八夜” はまだですが、お茶の葉を摘んで来て、新茶を作り始めていましたが、 今年は暖かかったせいか、摘んで来た葉の量は97gでしたが、出来上が った新茶の量は26gと最近では一番少ない量でした。 家内によると、お茶の木が古くなってくると採れる茶葉も少なくなると 言うから、これ位の量が普通かもしれないと言ってました。 今日は月曜日なので、家内は作った新茶を義妹におすそ分けすると言 いながら、義母の所に出かけて行きましたが、出かける時にお隣のI.Kさんにもおすそ分けしたようでした。 私は頭の肌に何か出来ている様なので、明日、皮膚科に行く積りなので、その前に床屋に行っておこうと思い、午 前11時過ぎに家を出て、いつもの床屋に行くと、運良く直ぐにやって貰えたので、昼には帰って来られました。 月曜日ですが休日なので、午後4時からプールに行きましたが、今日も家族連れは来ていましたが、思ったより人 は少なくて、特に午後5時過ぎからは、先日程少なくありませんでしたが、ゆったり、歩いたり泳いだり出来る感じ でした。 4月29日(日)昭和の日 昨日、早く寝たせいか、午前5時に目が覚めたので、そのまま、起きて新聞を取りに行きましたが、ゴールデンウィ ークの”昭和の日”に相応しい雲一つない青空の天気になっていました。 家内は午前9時半から選挙事務所の手伝いがあるので出かけて行きましたが、市長選挙が5月13日(日)に告示で 5月20日(日)に投票日なので、候補者としてはゴールデンウィークどころではないと思います。 昼前に家内が帰って来て、帰り道に”なんじゃもんじゃ(一ッ葉たご)”の 木が満開で綺麗だから見に行こうと言ううので、お昼を食べてから一 緒に見に行きました。 この木は結婚25周年の時、犬山まつりに行った時に植木市で見て、名前 が面白いと思って、記念樹として小さな木を買ったのですが、大木にな ると言われ、庭に植えると、将来、大変になると思い、団地内の「ふれあ い緑道」の枯れた木の址に植えたのですが、植えて半年もしない内に草 刈りの業者が草刈り機で木の下の方の幹回りの皮を全部切ってしまったので、枯れたと思っていたら、次の年の春 、根に近い部分から小さな枝が生えて来て、枯れてなかったと大喜びして20年で今の姿になりました。 大木にならずに下から広がった沢山の枝に白い花を付けた姿は却って見応えのある姿になっていると思ってい ます。 4月28日(土) 午前5時半に起きて温度計を見ると11℃でしたが、肌寒さよりも清々しさを感じる気持の良い朝だと思いました。 今日から”ゴールデンウイーク”が始まり、テレビでは海外旅行の人や国内に遊びに行く人達を映し出していました が、一方では連休に関係なく働く人達もいると言ってましたが、娘婿のnao君も今年は工場の移転の関係で、ほと んど休みが取れないと聞いているので、その1人かも知れません。 午前9時からモスバーガーの店に行き、いつものメンバーとお茶を飲んでから、「皿貝接骨院」に行きましたが、午 前10時に行った時に駐車場に車が停まっていないので、休みかなと思って、玄関の戸を開けると先生がいたので 、営業中だと分かりました。先生は「うちは暦通りです」と言われましたが、自分の体が資本の職業も大変だろう なと思いました。 連休で混んでると思いましたが、午後4時からプールに行くと、思ったより空いていたので、拍子抜けの感じがしま した。特に5時過ぎからは平日と同じくらいの人数で、流水プールには10人足らずで、15分程過ぎた後は3人だけ になりましたが、連休の土曜日は家族で食事に行ったりする人が多いのかなと思いました。 4月27日(金) 今日は朝からテレビでは韓国と北朝鮮の「南北首脳会談」一色の様相になってい ました。午前9時30分に北朝鮮の”金正恩朝鮮労働党委員長”が板門店の軍事境界 線まで歩いて来て、韓国側に立っていた”文在寅大統領”と握手をした後、境界線 の縁石を跨いで韓国側に入り、その後、2人で北朝鮮側に入ると言うシーンがテレ ビで映し出されていましたが、まさに歴史的な事だと思いましたが、これが本当に 南北融和になり、将来、南北統一という所まで進展すれば言う事なしですが、まだ まだ、先は長いと思います。 夕方、「板門店宣言」という形で合意文書が発表され、”完全な非核化を通して核 のない朝鮮半島を実現するという共通目標を確認”という項目が最初に掲げられ、 次に”年内に朝鮮戦争の終戦宣言をし、休戦協定を平和協定に転換する為の階段 を推進”という項目になり、他にも何項目かあり、南北離散家族の再会事業の推進 などが挙げられていましたが、拉致家族の問題についての話が出たかどうかは不 明です。 今日を境に本当の意味で北朝鮮が非核化の方向に進めば、国際的にも好意的に迎えられると思いますが、現実に そうなるかどうかは、今後の米朝会談の実現や周辺諸国との関係に掛かっていると思いますが、その中で日本も 重要な役割を果たして、拉致家族の事が少しでも進展すればよいと思います。 4月26日(木) 今朝は雲一つない青空の気持の良い日になりました。家内は、連日、朝の30分位は雑草抜きを頑張っていますが、 途中でクレマチスが垣根にツルを伸ばして白やピンク、鮮やかな紫の花を咲かせ、白のオダマキもやっと綺麗に咲 いて、傍ではシロバナシランが小さな花を咲かせているから写真を撮ってと私に報告があるので、庭に降りて、言 われた花を写真に撮っておきます。他にも名前の分からない花や麦もあるのですが、分かる範囲にしています。 午前10時から「東部中国語同好会」があったので、東部市民センターに行きましたが、体調が心配されたN.Yさん が、元気な顔を見せてくれたので、まだ同好会は続けられると安心しました。 午後からが中部大学の「建築史B」(稲川直樹教授)があったので出席しましたが、今日はギリシャ建築からローマ 建築について話を聞きましたが、写真でしか見た事がない建物なので、いまいち、力が入らない感じで、やはり、 ローマに行って実物を見ていれば、話しの内容が理解しやすいだろうと思いました。今後もルネサンスやビザンチ ンなどヨーロッパが主体の建築史を勉強すると思いますが、行った事がある人には実感が湧いて良いだろうと思 いました。 4月25日(水) 昨夜は風雨共強かったのか、午前6時前に起きて玄関に出て見たら、玄関先の軒下までビッショリ濡れていました。 雨は小降りになっていて、天気予報では午前9時頃には上がると言ってましたが、中部大学の講義が始まる時間に は止んでいてほしいと思いました。 午前8時過ぎにゴミ出しの入ったら、今日も猫に狙われてゴミ袋から生ゴミが出ていましたが、僅かだったので、 家内が片付けていました。一度、来ると続けて来るので、防護ネットをシッカリ掛けておかないといけないのです が、離れている家の人は猫に狙われているのを知らない人もいるので、適当に上から置いて行くだけの人もいる ので、完全に防護するのは難しいと思います。 今日は午前と午後に中部大学の講義があるので、屋根付き駐車場に駐車する為に午前9時前に家を出て、駐車場 に行き、車を停めてから、講義は午前9時半からなので、図書館で新聞を読んでから1021号室に行きました。 1,2時限は「比較社会論」(于小薇講師)で胡錦涛主席時代から今の習近平主席時代にかけてどう思うかと言う議 題で意見を出しましたが、学生さんの1人が胡錦涛主席は協調路線を進めた”平和的な権力者”だと思うと言った 事が于先生や社会人の一部から面白い言い方だと声が出ました。大学3年生になると、4月から就職ガイダンスが 始まり、社会人になる意識をするので、話す事もシッカリして来るのかなと思いました。 午後からの「美術から歴史を探る」(荒屋鋪透教授)では引き続き、ダ・ヴィンチの”東方三博士の礼拝”の作品につ いて話がありましたが、2001年に修復する予定で作品を調べると、未完成の部分の上に後世の画家がレオナルド の線の上に褐色の絵具を塗った可能性ある為に修復は中止になったそうですが、褐色の絵具がレオナルドの絵具 に浸透していて、レオナルドの絵具を亀裂させていたので修復できないと判断したそうです。 こういう話を聞くと、貴重な絵につては色々と来歴のエピソードや修復の歴史などを調べると興味深い話がある かもしれないと思いました。 4月24日(火) 久しぶりに朝からどんよりした曇り空で今にも降り出しそうな日でしたが、午前中は何とか持ってくれました。午前 9時前に王子ゴルフ練習場に行きましたが、先日、「桃球会」で優勝した隣のI.Kさんは既に来て練習していました。 運よく打席が空いていたので、いつもの様に1時間300球700円のコースで200球程打ちましたが、調子はまずま ずでしたが、グリップが滑り易いクラブをもう一度加工しなければいけないと思いました。 お昼にラーメンを作って食べて、一休みしてから、午後3時からプールに行きましたが、午後から雨が降り出したせ いか、人も少なくて、泳ぎやすかったので850m泳いで、40分間の逆流ウオーキングをして帰って来ました。 夕方のテレビでプロ野球解説者の”衣笠祥雄さん”(71歳)が亡くなったと言うニュースが流れましたが、私が新入 社員で広島に勤務している頃(昭和43年~45年)、飲みに行ってたスタンドバーで、時々、顔を見た事があり、当時 、弱小球団の広島の若手選手で、色は黒く、顔はごつくて、悪役の様な顔をしていましたが、話しているのを聞い ていると、延々と真面目な野球議論をしていたのが思い出されます。 親しく話した事はありませんでしたが、後年、広島の主力選手として、優勝に貢献し、鉄人と呼ばれるようになり、 国民栄誉賞まで貰う選手になるとは思っていませんでしたが、当時の真面目な野球青年が大きな賞を貰ったの が、自分の事のように嬉しかった思い出があります。慎んでご冥福をお祈りしたいと思います。 4月23日(月) 次男が今日は静岡に午前8時半までに着かなければいけないので、午前6時半までに会社に行くと言ってたので、 午前5時半に目が覚めたので、そのまま起きてお茶だけ入れておいてあげました。 天気予報では午後から天気が崩れると言ってましたが、朝は青空で明日が雨の天気になると思えない位の気持 ちの良さで、後から起きて来た家内が、明日、本当に雨になるのかしらと不思議がっていました。本来なら明日は 「誠武館婦人剣道」で竹刀供養という名目でバーベキューをやり予定でしたが、天気予報で雨になっていたので、 早々に中止にしたのが早まったかもしれないと思っているようでした。 午前9時過ぎにいつもの様に家内は義母の所に出かけて行きましたが、私は今日は休養日にしようと思って、一日 家で過ごしましたが、家から一歩も出ないと言うのは、1年に何回あるだろうと思いましたが、出かけたくても、体 の何処かが痛かったり、不自由になると出かけられないのですから、自分の考えで家にいるのは贅沢な事かもし れません。 4月22日(日) 今日は午前10時から団地の老人いこいの家で「第15回安全協議会総会」開催されるので、午前9時過ぎに会場に 行きましたが、他の役員が早めに来て会場設営を済ませていたので、総会の資料だけ机の上に並べました。 午前9時半過ぎになると、出席予定の会員が三々五々集まり、定刻の午前10時から司会のM.Tさんの開会宣言で 総会が始まり、最初に安全協会長のD.Nさんの挨拶があり、会員の高齢化で会員数が減少傾向にあるので、皆さん の協力で何とか少しでも増員を計りたいと出席の会員にお願いをしていました。 来賓の挨拶は伊藤太市長が遅れている上に春日井警察署の生活安全課長も来てなかったので、市役所の市民安 全課のI.O主幹にお願いしました。I.O主幹は県警からの出向なので、資料に”地域安全対策ニュース”を持って来て 、今年3月までの愛知県内の犯罪発生状況を知らせ、皆さんに盗難防止を呼び掛けていました。続いて、今年の自 治会長になったN.Tさんが挨拶されましたが、自分から手を挙げて引き受けたと言うだけあって、まだ若い女性で すが、安全協の活動状況もシッカリ認識している上で挨拶されたのは流石だと思いました。 その後、議案の審議に入り、平成29年度活動報告・決算報告・監査報告が承認された後、平成30年度役員案・活動 計画案・予算案も承認されて総会は無事に終了しました。結局、市長も生活安全課長も間に合いませんでした。 午前11時頃に終わって家に帰ると、家内が庭の垣根をやり直す準備の為に、先日、竹垣を処分しましたが、支柱が 残っていたので、支柱を抜いて処分していましたが、支柱はまだ使えると思って、抜いてみると、地中の部分はほ とんど腐っていて使い物にならなくなっていました。 今日も30℃前後の暑い日になりましたが、久し振りに、午後3時半から潮見坂平和公園にウオーキングに出かけま したが、日曜日のせいか、お墓参りに来た人が多いようで、新しい花のあるお墓が結構ありました。 1時間近く歩いて、団地に近い所に戻った時に隣のI.K夫妻と鉢合わせしましたが、お二人は今頃の時間に2人で歩 いているようです。団地内に戻ってから、I.Kさんの奥さんは家に戻らず、別のグループと合流する為に、そのまま、 別の方向に歩いて行きました。I.Kさんの話によると団地内の様子を知る為に別のグループと歩いて、情報を聞い ていると言ってました。 午後4時半過ぎに家に戻ると汗びっしょりになっていましたが、きっと、春日井も30℃を超えていたのは間違い無 いと思いました。家に入ると同時にシャワーを浴びて心身ともにスッキリした気分になりました。 4月21日(土) 今日は可燃ごみ(生ゴミ)の日なので、午前7時半過ぎに直ぐ近くにあるゴミ出しの指定場所に持って行くと、先に 置いた方のゴミ袋が破られて、生ゴミが散乱していたので片付けましたが、ネットを上から掛けてあっても、ゴミ袋 を引き出して破っているという事はカラスではなく、野良猫の仕業の様な気がしました。 ゴミの日に団地内を歩いていると、所々で野良猫がゴミ袋を破って、ゴミを漁っているのを見かけた事があるの で、最近はカラスよりは猫の被害が増えていると思います。 午前9時からいつものモスバーガーの店に行きましたが、6月4日(火)に去年12月にホールインワンをしたO.Nさん の”ホールインワン記念コンペ”をやる事に決まったと言われたのですが、残念ながら、その日は私は家内の愛知 医大の定期検診日で参加出来ないと返事をしましたが、O.Nさんには本当に申し訳ないと思っています。 午前10時前に解散して、ゴルフの練習に行った人もいますが、私は「皿貝接骨院」に行き、左肩と腰の治療をしまし たが、この所、左肩は泳ぎに行った時も痛みが軽くなっているので、もう少しで良くなる気がします。 お昼前に治療を終わって表に出ると、今日の気温は何度まで上がるのかなと思いましたが、30℃近くまでは行く 様な気がしました。後でニュースで見ると、全国的には30℃を超えた所が結構あり、名古屋・岐阜でも30℃と言っ てたので、この辺もそれ位にはなったと思いますが、春というより夏が来た感じです。 4月20日(金) 今朝も午前5時半に起きて新聞を取りに行くと、少しひんやりしていましたが、雲一つない気持の良い朝でした。 今月になってから庭では次から次へと色々な花が咲き、私の目を楽しませてくれています。 白のクレマチスが咲いていて、直ぐ近くの濃い紫のオダマキと色の組合せが良く、満開のオオデマリの根元でも ベンケイソウが青色の花を咲かせています。家内がセンダイハギが咲いたと言うので見に行くと黄色の花を咲か せ、卯の花も今が盛りと陽の光に白い花が光っているように見えます。 午前8時半に「石川内科クリニック」に行き、診察券と保険証を出すと、受付の看護師さんから「2時間後位に来て ください。」と言われたので、一端、家に帰って、時間を潰してから、午前10時20分に、もう一度、出直して待ってい たら、午前11時過ぎに呼ばれ、血圧を計って(124~72)、中待合で待つ事5分で呼ばれ、先生の診察を受けてから、 ”PSA(前立腺がん検査)”の経過観察で採血をして、薬局で処方箋の薬を貰って家に着いたら、丁度、午後12時少し 前でした。 お昼を食べてから、午後1時に家を出て坂下公民館である「坂下パソコン同好会」に行きました。前回休んだので、 USBで前回の分を入れてもらってやりましたが、今日は図形の中の文字の位置や向きの変え方やフォントの設定 の仕方で日本語用と英数字用のフォントの選び方が勉強になりました。 4月19日(木) 朝から青空の広がる気持の良い日になりました。家内は今日は春日井体育館で女子剣道の合同稽古会があるか らと、午前9時過ぎに出かけたので、私は今年初めて消毒をしようと思って、噴霧器を出しに行くと、ゴミ箱の下に 大きなムカデがいたので、熱湯をかけて退治しましたが、温かくなってくると、全ての生き物が活動し始めると思 いました。 午前10時前からスミチオンとマラソン乳剤を1000倍と2000倍に薄めて、10Lの消毒薬を作って消毒しましたが、消 毒している内にレモンの枯れた枝が気になり、剪定をし始めたら、いつの間にかお昼になっていました。 午後からは中部大学の「建築史B」稲川直樹教授)の講義があったので出席しました。今日はギリシャ建築について 学びましたが、BC2500年頃の時代になると、クレタ島とギリシャ本土ミューケナイを中心に高度な文化(ミューケ ナイ文明:エーゲ海文明)が発達し、BC1700年~BC1400年頃にクレタ島の「クノッソス宮殿」が建設されましたが、 後に北方蛮族により破壊され、BC1100年頃にミューケナイ文明は消滅します。 「クノッソス宮殿」は1900年にイギリスの”アーサー・エバンス卿”により発掘が開始され、1904年に修復・復元が終 わったそうです。 BC447年~BC432年にアテネのアクロポリス(神域)に「パルテノン神 殿」(フェイディアスとイクティノス設計)が建設されていますが、周囲 に石柱が立つ周柱式で8柱式正面に細いドリス式円柱、内部にイオニア 式もある。 以上、先生から貰った資料を書き写していますが、これを読んだだけで 建物を想像できれば大したものですが、用語一つ取ってもオーダー (浮彫)と言う言葉にドーリス式オーダーとかイオニア式オーダー、コ リント式オーダーとあって、それぞれ、彫り方の違う円柱の上の部分の事ですが、こういった物は言葉ではなく、 実物を自分の目で見る事が一番分かりやすいと思いますが、ギリシャまでは遠くて、簡単に行けないので、写真で 勉強するしかなさそうです。 午後3時前に講義が終わり、帰ってから、今日は午後4時から市民プールに行き、800m泳いで、40分逆流ウオーキ ングをして帰って来ましたが、今日のプールは午後5時から水泳教室が始まるまでは人も少なく、自分の好きなよ うに泳げて良かったと思いました。 4月18日(水) 家内は第3水曜日なので、お茶の稽古と日本画同好会で1日仕事ですが、私も先週から中部大学のオープンカレッ ジで1,2時限目に「比較社会論」(于小薇講師)と5,6時限目の「美術から歴史を探る」(荒屋鋪透教授)の講義があ るので、午前9時前に出て中部大学に行きました。 「比較社会論」では課題について、「中国は、いま」の内容から各グループの代表が意見を述べるという事で、今 週もやりましたが、今週の課題は中国のGDPは世界2位になったが、1人当たりGDPではまだまだ日本の方が高い 事や日中友好平和条約(1978年)締結当時の中国を考えて、今の中国とどう付き合っていくかという事でした。私 は聞いていて、学生も社会人も発言する人間はそれぞれ自分の考えを持っていて大したものだと思いました。 午後からの「美術から歴史を探る」では絵画の作品解説(キャプション)の要点は①題名(title)、②制作年(date) ③素材(materials)、④寸法(dimensions)、⑤所蔵者(owner)、収蔵番号(inventory number)、⑥来歴(provenan ce)、⑦作品解説(description)等であると先生から話がありました。 その後、先週、何も知らされずに見た”レオナルド・ダ・ヴィンチ”の作品について、受講生の絵に関して感じた感想 文の一部が披露された後、絵の①題名:東方三博士の礼拝(”マギの礼拝”とも言われている)、②制作年:1481年 ~1482年、③素材:板に油彩、④寸法:243cm×246cm、⑤所蔵者:フィレンツェのウフィツィ美術館、収蔵番号1594 ⑥来歴:1481年にフィレンツェのサン・ドナート・ア・スコペート修道院から注文され、描いている途中でダ・ヴィンチが ミラノに引っ越した為に未完成と言われている。後にメディチ家のコレクションになった。 肝腎の⑦の作品解説について、この作品は新約聖書のキリスト誕生に関する物語に 基づいているので、新約聖書の一部(マタイによる福音書第1章より)を読んで理解 できる絵だと思いました。 同じ題名で描かれた絵は多くあり、今日はキリストの生涯の絵を数多く描いている 画家”ジョット・ディ・ボンドーネ”の絵と比較して見ましたが、ダ・ヴィンチの暗い画 面に比べて、明るい画面になっているのが対照的な感じでしたが、作者の意図に ついては、見る人がそれぞれ自分で考えれば良い事だと思います。 この講義は今後もこんな感じで西洋絵画についての見方と、作品に関する解説を教えて頂けるようなので楽しみ に受講したいと思っています。 午後3時過ぎに終わって、家に帰ってから市民プールに行く積りでしたが、何となく疲労感があったので、昨日の ゴルフの疲れがあるのかなと思って、家で休むことにしましたが、テレビを見ている内に寝てしまい、やはり、若い 時より疲れは残るので、無理してプールに行かなくて良かったと思いました。 もう歳だからと消極的になるのは駄目だと思いますが、まだまだ若いと思って、無理をして倒れたら、もっと駄目 なので、歳相応に頑張ろうと思いました。 4月17日(火) 今日は先月20日(火)雨で延期のなった「桃球会」のコンペが日吉ハイランドであったので参加しました。天気予報 は曇りのち雨だったので、何とかラウンド終了まで持ってほしいと思っていたら、本当に18番ロングホールの3打目 を打つ頃からポツポツし出しましたが、何とか、傘の世話にならずに上がる事が出来ました。 今日のメンバーは今回の幹事のM.Nさんと隣のI.Kさん、3軒隣の87歳のK.Kさんと本当に気の置けないと言うより 私が一緒に回りたかったメンバーなので、本当に楽しいゴルフでした。実力No1のM.Nさん、透析をしながら、毎日の ように練習に行ってるI.Kさん、87歳になってもゴルフをする為に毎日歩いているK.Kさんと3人3様ですが、私から すると、尊敬するべき3人と一緒のラウンドはゴルフの付き合いが始まって40年以上になりますが、初めての組合 わせなので、ワクワクしながらプレーしました。 結果としてはアウト44、イン46、トータル90のラウンドでしたが、しだれ桜の咲く、出だしの1番 でいきなり左に引っ掛けて、OBかもしれないと思っていたら、セーフでボギーで上れたのが良 かったのか、次の2番ではパーが取れ、3番のロングも3打目でグリーンエッジ行ったので、寄せ ワンでパーが取れると思っていたら、そこから5打も叩き8になってしまいました。その後はパ ーとボギーでいけたので44と言うスコアが出たので、自分としては上出来のスコアでした。 インに入っても同じようなペースでラウンド出来ていたので、久し振りにトータル80台が出そう だなと思ったら、16番ミドルホールでOBが2球連続出て、3パットもあり、10という数字になった ので、46になり、久し振りの80台は夢に終わりました。 他の人達のスコアは実力者のM.Nさんは76歳になったばかりですが、アウトは44ともたもた していましたが、インに入ると見違えるようになり、1オーバーの37で回りトータル81と言う 実力通りのスコアでした。 隣のI.Kさんは透析を始めた3年前に比べると、スイングも力強くなり、距離も少し戻ってき たように思いましが、時々、2打目、3打目でミスショットが出て、アウト50、イン54、トータル 104でした。 K.Kさんは2月に87歳なり、奥さんが交通事故や転倒で大腿骨折で大変でしたが、今月から 自宅療養になり、娘さんやヘルパーさんの助けで、自分の時間も少し持てるようになり、今日のコンペに参加でき ました。練習不足と言いながら、今までの練習の貯金でショットも安定して、毎日歩いているので、下半身も安定し ていて、アウト50、イン47、トータル97というスコアでした。 成績の方はハンデに恵まれたI.Kさんが優勝し、K.Kさんが3位になったので、私としては最高の結果になったと思 いました。特にI.Kさんは3年前に透析を始めてから、ゴルフの練習を再開し、今では健康の為と言いながら、週に 3,4回は練習しているので、その努力が報われたのは本当に良かったと思います。ご本人はハンデに恵まれただ けですと言ってましたが、今後、ハンデが上がっても優勝できる可能性があると思うので、更に頑張ってほしいと 願っています。 4月16日(月) 昨夜、9時過ぎから寝たせいか、午前5時前から目が覚めたので、そのまま起きて、新聞を取りに行きましたが、思 ったより寒いと思って温度計を見ると7℃でした。 テレビを点けてNHKBS1でゴルフにすると、PGA「RBCヘリテージ」で小平智選手が13アンダーで単独2位にいて、 17番ホールをプレー中だったので、そのまま、見ていたら、17番でボギーを叩きましたが、12アンダーでホールア ウトしましたが、後続のトップグループも苦戦していたので、ひょっとしたらと思って見ていたら、14アンダーでトッ プを走っていた、韓国のキムシウ選手が連続ボギーで12アンダーになり、プレーオフに突入、3ホール目で小平智 選手がバーディを奪って初優勝を果たしました。 PGAでは日本人5人目の優勝者になり、米ツアー15試合目での優勝は最速の記録になるそうでが、これで、今年の 残りのメジャートーナメントと来年のマスターズに出場できるし、PGAでも2年半のシード権を獲得できたので、今 後の活躍が期待できそうです。 家内は月曜日で午前9時過ぎに義母の所に出かけたので、私は一昨日から耳の調子が悪く、中耳炎になったかも しれないと思い、「坂井耳鼻咽喉科」の予約を取ったら38番だったので、午前10時に行くと、33番を診察中で、少 し待って診察してもらいましたが、心配した中耳炎は起こしてなくて、軽い風邪が原因で、耳に違和感が出たよう でした。4日分の薬を処方してもらって、「B&D」に寄って、黒酢とアイスクリームを買って帰りました。 4月15日(日) 昨夜からの雨もほとんど止んでいましたが、空模様はまだ降り出しそうな感じでした。午前9時前に、昨日、気が付 いた間違いを修正して、監査の方2人の所に行き、承認の印を押してもらってから総会の資料をまとめているI.Tさ んの所に届けました。 お昼前から天気は回復しましたが、それに伴い強い風が吹いて来て大変でしたが、午後4時頃から市民プールに 出かけました。強風が吹いているので、プールも混んでないと思いましたが、寒さは無かったので、家族連れやカ ップルが結構来ていました。私は鼻と喉の調子が悪かったのですが、プールで泳いでいる時は鼻水も止まってい るので、いつもと同じ位、700m程泳いで、40分逆流ウオーキングをして帰って来ました。 夕食がキムチ鍋だったので、缶ビールを2本飲んでから、鼻炎の薬を飲んだせいか、午後9時頃から睡魔が来たの で、そのまま、午後9時過ぎから寝てしまいました。 4月14日(土) 午前6時に起きて、新聞を取りに行くと、今にも降り出しそうな空模様でしたが、天気予報では曇りの予想だった のですが、出かける時は傘が必要だなと思いました。 と言うのは、今日は午前中に松坂屋近くの妙香園画廊で開催中の「臼の会」と松坂屋美術館 で今日から始まる「第73回春の院展」を見に行く事になっているのです。 午前9時過ぎに家を出て、最初に「臼の会」の会場に行きましたが、この会は家内が「味美日 本画同好会」で教えて頂いている臼井治先生が名古屋の妙香園ビルで開いている日本画教 室の生徒さんの展覧会で、長く続いている会ですが、会員数が減っているのか、1人が5,6点 出展して会場を埋めていました。会場に着いた時に、偶然、「味美日本画同好会」のF.Kさんと M.Eさんが見に来ていたので、家内は2人と一緒に見ていました。私は1人で先に見学しました が、全体的には可もなし不可も無しの印象でした。 15分程見て、私達は院展に行くので、2人と別れて松坂屋美術館に向か いました。「第73回春の院展」は今日が初日という事もあって、私達が 着いた午前11時頃には大勢の人が鑑賞に訪れていました。 春の院展は50号程度の絵がほとんどですから、秋の院展と違って、私 達には見やすい大きさだと思いますが、その分、展示数が多くて、見て 回るだけでも大変な気がしました。 家内は自分の絵の参考にするものがあればと熱心に見ていますが、私 は招待券を送ってくれる”田淵俊夫”先生(院展理事長)の「明日香伸心象 寒月」と、昔、家内が教えて頂いた事 がある”古田年寿”先生の”四季の軌跡”を念入りに見ましたが、田淵先生の作品はいつ見ても、直ぐに先生の作と 分かる作風ですが、古田先生の作品はまだ若いので、作風が変わっていくのが楽しみで、今回の出展作品は今ま での作品よりスッキリした描き方で、何か自分の進む方向を掴んだのかなと思いました。 1時間程見てから、家内が画材を買いたいと言うので30%セールをやっている「島本画材栄店」に行きましたが、 家内のほしい岩絵の具は扱っていないと言われ、仕方がないので、いつも買う「森荘」に行って、定価で買って、 帰りに「藤らーめん」に寄って醤油ラーメンを食べて帰って来ました。 夕方から雨がポツポツ振ったり止んだりでしたが、夜間安全パトロールは中止になったので、午後6時からの安全 協議会の役員会に出席しました。今日は新年度最初の役員会だったので、自治会の防犯・防災・安全委員長になっ たN.Eさんも顔見世を兼ねて出席されましたが、今年の自治会の役員は女性主体と聞いていたのですが、N.Eさん も女性ですが、なかなか、しっかりした感じの方で今年は頑張ってやって頂ける気がしました。 今年の新1年生は15名ですが、見守り隊としては老齢化で人数が減って来ているので、学校まで行くのではなく、 手前の松原神社までにしたいと言う話があったり、何とか安全協の会員を増やす事を考えたいと言う意見があり ました。その他、22日(日)の総会の資料で私が作った決算書の監査報告の対象年度が間違っていたので、明日、 もう一度、監査の方に印鑑を貰って修正する事にしました。 4月13日(金) 朝から風の強い日になりましたが、17日(火)の「桃球会コンペ」に備えて、もう1回は練習しておこうと思って、午 前9時過ぎに王子ゴルフ練習場に行きました。球数を打ち過ぎても腰が痛くなるので、控え目にしようと思ってい ましたが、終わってみれば200球近く打っていました。 終わってから、その足で「皿貝接骨院」に行き、腰と左肩の治療してもらいましたが、インドネシアから帰って来て、 風邪気味になり、2日間位、続けて風邪薬を飲んでいるせいか、腰の牽引や電気をかけている時はほとんで寝てい る状態でしたが、お蔭で少し楽になった様な気がします。 お昼を食べて一休みしてから、市民プールに行きましたが、午後3時過ぎからの25mプールは人がいましたが、午 後4時からの時間は本当に人が少なくて、流水プールは、一時、私一人だけの時もありましたが、午後5時前に帰る 頃には水泳教室の子供達が来て、賑やかになっていました。 4月12日(木) 午前10時から「東部中国語同好会」があったので行きましたが、最初からのメンバーのN.Yさんが体調が悪くて、 めまいがするので休むと連絡があったそうですが、来年で80歳になる人ですから心配です。現在のメンバーが 6人ですから、これ以上減るようなら、同好会の解散も検討しなければと思っています。 取り敢えず、今日は5人で頑張ってやりましたが、直ぐに順番が回って来るので、しっかる予習をやって行かなけ ればならないと思いました。 午後から中部大学オープンカレッジの「建築史B」(稲川直樹教授)の講義があったので出席し ましたが、この講義は古代から19世紀に至る西洋建築史の流れを主要な時代と様式を通して 学び、西洋の歴史と文化を形として今に伝える建築遺産を理解するのが目的です。 今日は古代エジプトの建築について学びましたが、出て来る王様の名前がラムセス2世とか ツタンカーメン王、ハトシェプスト女王等で、神殿もルクソール神殿やカルナック神殿、アブ・シ ンベル神殿等、1月にエジプトに行ったお蔭で馴染みがある名前で、都市の名前もアスワンや メンフィス、ダハシュールと訪ねた事のある所が多く、ピラミッドについても、ギザのピラミッド とかジョセル王の階段ピラミッドなど何を聞いても懐かしい感じさえしました。 稲川直樹教授は東大卒で前職は分かりませんが、著書も沢山ありますが、専門はイタリアのルネサンス建築に関 する事のようですが、現代の建築物に関してもアドバイザーのような活動もしているようでした。 ただ、講義について言えば、声が小さい割にはマイクを使わないので、前の方にいないと声が良く聞こえないの が困ると思いました。 4月11日(水) 今日から私の「中部大学2018オープンカレッジ春学期」が始まります。私は3科目を受講する事にしていますが、 今日は、その内、2科目が午前・午後にあります。 1,2時限目(9.30~11.00)なので午前9時に家を出て、駐車場まで行きましたが、時間的に屋根付きの駐車場は空 いていないと思い、講義のある10号館に近い所に停めて、グランドを横断して行きました。 「比較社会論」(于小薇講師:ウ ショウビ)は現代中国を政治・経済・社会・国際関係から分析 し、中国との向き合い方を考えるのが目的になっています。講師の于小薇(yu xiaowei)は 北京生まれ、北京育ちで北京外語学院卒業後、名古屋大学に国費留学した後、大学院に進 み修士課程・博士課程を修了して、現在まで日本にいるそうです。 今日は最初なので今後の講義の進め方を聞きましたが、教科書の「中国は、いま」(国分良 成著)を読みながら、内容について、学生28名を3,4グループ分けした中で代表が意見を発 表する方法にしたいと言って、社会人は10名が1グループでお願いしますと言ってました。 早速、グループ分けして、今日は何故この講義を選択したか、理由を述べる事になり、社会人では手を挙げた人が 自分は70年前に高校に入学した時に漢詩に触れて、中国が好きになり、仕事でも中国に行く事があったので、中 国について、もっと知りたいと思い、この講義を取ったと言ってましたが、歳は85歳との事でした。 学生は3年生で先生の講義が好きだからとか、今の中国を知りたいからとしっかりした話し方をしていましたが、 大学生でも3年生になると、ちゃんと話せるようになると思いました。 午前11時に終わり、お昼をどうしようかと思いましたが、家に帰って食べる事にしたので、一度、家に帰って、お昼 を食べてから、5,6時限目の「美術から歴史を探る」(荒屋鋪透教授)に行きました。 この講義は美術作品(絵画・彫刻)の鑑賞方法と美術史を学ぶのですが、講義の主題と鑑賞対 象は”レオナルド・ダ・ヴィンチ”(1452.4.15~1519.5.2)の作品を通して、15~16世紀のヨーロッ パ、特にイタリア美術史のルネサンス様式、人文主義を学ぶのが目的です。 美術作品の鑑定で”評価の判断材料(attribution)”には①作品の来歴(provenace)②作品に 付随したドキュメント(documennt)③作品の過去の評価額(price)④作品の保存状態(conditi on)⑤作者の評伝や作品評価文献(monograph)が大切な事ですが、その内、⑤に該当するも のにイタリアの画家・建築家・文筆家の”ジョルジュ・ヴァザーリ”(1511~1574)の書いた「美術 科列伝」(本当の題名は長いので省略)という本があります。 1550年、彼が39歳の時に書いた初版はあっという間に売り切れになり、その後、執筆・改定して、1568年、彼が57 歳の時に第二版を出したですが、この「美術家列伝」が”レオナルド・ダ・ヴィンチ”について書かれた評伝の最初の 文献になるそうです。今日はここで時間になったので続きは来週という事になりましたが、今後は作品を見なが らの講義が進められるらしいので楽しみにしたいと思っています。 4月10日(火) 午前6時前に起きて新聞を取りに行った時に温度計を見ると、5℃だったのでインドネシアの25℃以上を考えると 寒く感じても当然だと思いました。旅行前はもう少し暖かかったのですが、家内と次男の昨夜の話では、私がイン ドネシアに行った後、この所、急に寒くなったと言ってました。 家内は「誠武館婦人剣道」があるので、午前9時過ぎに出かけて行ったので、私は郵便局に払込みに行き、その後、 延期になった「桃球会」のコンペが来週の火曜日にあるので、王子ゴルフ練習場に行って、200球位打ちました。 昼頃に家に帰って、カレーの残りがあったので迷いましたが、昨日も食べたので、ご飯とフライの残りを食べまし た。考えてみれば、インドネシアのジャワ島に行ったのに”ジャワカレー”は食べなかったなと思いました。 家内は歯医者の予約が午後3時だからと出かけて行きましたが、私は市民プールに出かけました。春休みが終わ ったせいか、子供の姿は小さな子供連れの人が2組いただけで、後は常連の人達が歩いたり、泳いだりしている だけでした。私も旅行帰りで無理をしない様にゆっくり泳いで、逆流ウオーキングをして午後5時過ぎに帰って来 ました。 4月5日(木)~4月9日(月)「インドネシア4つの世界遺産を巡るバリ島とジャワ島5日間」のツアーに参加しました。以 前から仏教3大仏教遺跡の”アンコールワット遺跡”(カンボジア)と”アユタヤ遺跡”(タイ)には行ったので、残って いる「ボロブドゥール寺院遺跡」(インドネシア)にも早く行きたいと思っていたので、コースと価格をを見て良さそ うなので1人参加で申込みました。 5日(木)午前6時過ぎに家内に春日井駅まで送ってもらい、午前7時40分に中部国際空港に到着しました。阪急ト ラピックスの受付カウンターでeチケットと搭乗券をもらいましたが、座席が通路側だったので、トイレの近い私に は良かったと思いました。シンガポール航空の搭乗受付でスーツケースを預けて、出国手続きに行きましたが、荷 物検査も空いていたのでこちらも直ぐに終わりました。 午前8時15分には場内に入れたので、次男のタバコと自分のお茶を買って、薄手のセーターとジャンパーを片付 けて18番搭乗口に行きました。午前10時から搭乗開始、機内はほぼ満席状態でしたが、私の席の前までは中央の 4人席でしたが、私の列から3人席になったので、横の通路が広くて、リュックも置きやすく楽でした。 乗ってから20分後に熱いおしぼりが配られ、その後、昼食のメニュー表が配られ、洋食と和食の内容が書かれて いましたが、エコノミークラスでここまでするのかと思いました。 SQ671便は予定の10分遅れで離陸し、午前11時過ぎにフリードリンクサービス(ビール、ワイン、ジュース)があり、 私はアップルジュースを頼みましたがビールやワインを頼んでいる人もいました。 午後12時20分から機内食が出ましたが、私は洋食を選びました。内容はビーフシチューとポテトで、デザートはハ ーゲンダッツでした。昼食後、時計を現地時間の1時間遅れに合わせましたが、インドネシアは時差2段階でバリ島 では1時間遅れですが、ジャワ島は2時間遅れになるそうです。 現地時間午後4時にシンガポールのチャンギ空港上空に来たのですが、着陸機が混んでいて、30分待ちになって いて、着陸できたのは午後4時半過ぎでした。第2ターミナルに着いたので、そのまま、バリ島行きのSQ948便の 搭乗口に行きましたが、入場は午後5時20分からになっていたので、入口で少し待って、時間になったらセキュリ ティチェックを受けて場内に入りましたが、この時にインドネシアの税関申告書を貰い、搭乗は午後6時からなので 、待合室で待機し時間になって搭乗しました。 SQ948便は80%位の乗客率で、定刻より20分遅れの午後6時40分に出発しましたが、待っている間に税関申告 書を書きました。午後7時半に夕食の機内食が出たので、私は魚を選んで、飲み物はビールを頼んだら、1缶くれた ので得した気がしましたが、追加のビールを頼んでいる人もいました。 午後9時15分にバリ島のングラ・ライ空港に到着し、インドネシアは入国する時に入国書類は無く、パスポートを提 示するだけで入国でき、税関で申告書を渡したので税関申告書が入国書類の代わりかなと思いました。 午後10時前に現地ガイドのカルマナさんとアシスタントのスハルトさんの出迎えを受けましたが、25℃以上で蒸し 暑くて、バスに行くまでの間に汗びっしょりになり、午後10時過ぎに空港を出発し、20分程で今日と明日の宿泊ホ テル「アストン・クタホテル」に着きました。 明日朝の朝食会場の1階レストランでウエルカムドリンクを飲みながらホテルの説明を聞き、キーを貰って部屋に行 くと、レストランはエアコンが入っていなくて暑かったのですが、部屋の中は寒いくらいの冷房が入っていました。 時間も遅かったので、直ぐにシャワーを浴びて寝ましたが、シャワーのお湯の温度が上がらないので諦めてぬる ま湯で浴びましたが仕方がないようでした。 6日(金)午前5時30分に間違えて起きたので、そのまま、阪急トラピックスで貰った小冊子を読んでバリ島につい て勉強しましたが、インドネシアは85%強がイスラム教ですが、バリ島だけは95%がヒンズー教という事です。 朝食前、ホテルの近くの通りを散策して見ましたが、ホテルが並んでいる感じで、所々にはハイビスカス以外は名 前は分かりませんが、色々な南国の花が咲いていました。道路端で1人の女性が朝食を売っていました。 午前6時半から朝食ビュッフェ会場がやっていると言われていたので、1階のレストランに行きましたが、寒いと思 って上着を持って行ったらエアコンが無くて蒸し暑い感じでした。料理のメニューはインドネシア料理もありました が、私は焼きそばと炒飯、豆腐のドーナツ、ポテトケーキを食べ、オムレツを焼いていたので、それを食べて終わり ましたが、デザートも豊富で飲み物ではチョコレートミルクがおいしいと思いました。 午前9時にホテルを出発し、途中までは17km余りある高速道路を通って、途中の町”チュルク”に午前10時に着き、 銀細工の店「DEWI.S」に行き、買い物を兼ねてトイレ休憩をしましたが、2.3人の女性がネックレスやブレスレットを 買ったのでガイドのカルマルさんの顔も立ったと思いました。ここまでは高速道路もあって広い道でしたが、バリ 島の道路は狭い上にバイクが多いので危ないそうです。 午前11時20分世界遺産「ティルタ・エンプル寺院」に到着しましたが、この寺院は16世紀に出来たヒンズー教寺院 で寺院内に魔除けの泉とされる”聖水”が湧き出ていて、多くの人が沐浴場に訪れて、祈りを捧げて身を清めてい るそうです。今日も多くのヒンズー教徒が御供え物を持って来ていましたが、ここは誰でも沐浴ができるので、金 髪の外人さん、特にオーストラリア人が大勢沐浴していました。 沐浴場に入場する時には体を清めない人でも男女ともサルンと言う腰巻きを巻いて貰って中に入りましたが、沐 浴場は本当に国際色豊かで、人種の壁がないのは良いと思いました。 午後12時15分に出発し、午後12時50分に「バトゥール湖」の見える「キンタマーニ高原」に到着しましたが、ここ は標高800mで、少し涼しい感じでした。本来は1998年に大爆発を起こした”アグン山”が見えると良かったのです が、雲に隠れて麓しか見られませんでした。それでも、前に見える「バトゥール山」と「バトゥール湖」の景色は溶岩 の流れた跡が分かり、雄大でなかなか見応えがありました。 午後12時50分に昼食会場のビュッフェ店に着き、景色を眺めながら昼食ビュッフェを食べましたが、料理はバナナ の天ぷら以外これといった名物はありませんでしたが、雄大な景色を眺めながらの食事は良いと思いました。 午後1時50分に店を出ようとしたら、売り子さんが群がって来て「3枚千円!、10個千円!」と言ってバスに乗るま で追いかけて来るので、キーホルダーを10個千円で買った人がいると思ったら、ティシャツを7枚千円で買った人 もいました。 20分程走って、世界遺産に登録された水利システム「スバテック」(上の田んぼから順番に水を引き、終わったら 下の田んぼに水を引くシステム)を使った「テガガランの棚田」に到着しましたが、棚田の水利システムが同じで すと言ってましたが、そんなに綺麗な棚田ではありませんでした。ただ、バリ島では年に3回米がとれる三毛作だ から出来るシステムというのは凄いと思いました。 バリ島内を走っていると、庭にお社のような建物が沢山立っている場所があり、特にこの地区には目立っていた ので、ガイドのカルマルさんに聞くと、ヒンズー教は小さな地区の単位で仏壇と言うか、お社の様な物を作って神 様にお参りするので、村や部落単位でそういう場所(寺院)があり、それがバスの中から見える建物だそうです。 午後2時50分に出発し、ウブドの街に20分程で着き、最初に16世紀に出来たウブド王朝の「サレン・アグン宮殿」に 行きましたが、王様の子孫が今でもホテルや不動産業で盛んに活動しているそうですが、ここには今でも3家族 が住んでいるそうです。 敷地の一部を無料で開放しているのは凄いと思いますが、長男が50歳代で来年の副州知事に立候補を予定して いると言ってましたが、そのせいもあるかもしれません。 トイレ休憩を兼ねて、人気のアイスクリーム屋でアイスクリームを買って食べると、トイレは無料で借りられるので、 ツアーメンバーのほとんどの人が買っていましたが味は普通でした。 私は出発まで時間が、あったので、近くの屋台の売店の並んでいる通りがあったので、奥の方まで行ってみました が、これと言って興味を引くものもなかったのですが、途中、大勢の人が着飾って集まっていたので、何事かと思 ったら、結婚式を通りの店でやっていたので、すこし見ていましたが、こんな所でやるのはお国柄なのかなと思っ て帰って来ました。式の後がどうなるのか気になりましたが、時間が無かったので見る事は出来ませんでした。 午後4時40分過ぎにウブドを出発し、午後5時半に民芸品店に到着しましたが、車内でガイドのカルマナさんから ”ジャコウネココーヒー”の話をきいたので、買う積りで店内を探して、値段を見ると、1袋が150g335,000ルピアで 、1ルピアは1/120円ですから約2,800円だったので、高過ぎると思って買うのをやめようと思ったのですが、一緒 に行った浜松の人が、以前、お土産であげた人がお金を出すから買って来て欲しいと頼まれたし、自分も美味しい いと思ったから、絶対に買って帰りますと言ったので、私も買う事にして、150gを1袋と100gを2袋買いました。 ”ナチュラル石鹸”も見ていたら、一緒に行った奥さんがタンスの中に入れておくと良い香りがするからお土産に 買うと言うので私も2個入りセット69,000ルピアを1セットだけ買いました。 午後6時10分に店を出て、20分程で「ケチャックダンス」の劇場に到着しました。ケチャックダンスはバリ舞踊の主 要な踊りの1つで、ヒンズー教の叙事詩ラーマーヤナ物語に基づいて創作された劇が公開されているそうです。 「チャッ、チャッ」と言う猿の鳴き声をまねた男性の合唱のみでストーリーを展開する劇ですが、事前にガイドから 話を聞いて、解説の印刷物を読んでいたので、踊りの意味が少しは分かりましたが、何も聞いていない人達には 無理だろうと思いました。1時間近く踊りが続きましたが、途中で帰る人達もいたので、何も分かっていない人に とっては退屈になり、仕方がないと思いました。 午後7時半に終了し、夕食会場のイタリア料理の「MASSIMO」に午後7時50分到着しました。バリ島でイタリア料理 と言ってもピンとこないので、期待はしていませんせしたが、最初に出て来たピザをはじめ、男1人旅3人でシェア をして食べたパスタや肉、魚料理も思ったよりは美味しい料理でした。ビールは地元の「BINTAN」ビールにしまし ました。午後7時50分に店を出て、ホテルには午後9時20分に到着しました。 4月7日(土)午前5時半過ぎに起きて、荷物を整理して、午前6時半に昨日と同じレストランに朝食を食べに行きま した。今日は目玉焼きを作って貰い小さなサンドイッチとスープにビーフンを少し入れて食べましたがまずまずだ と思いました。 スーツケースを持って午前7時半過ぎにキーを返して、バスに乗ったら夫婦でも1人で座っている人が多く、座席 が一番後ろの5人席に夫婦が座っていたのですが、端を空けて貰って座りました。 午前7時45分にホテルを出発し、最初に世界遺産ヒンズー教の「タマン・アユン寺院」に行きましたが、道中の道路 の両側には田んぼが広がっていますが、インドネシアは1年に3回収穫が出来る3毛作をやっている田んぼがあり、 収穫が終わって時間の経っている田んぼの隣にこれから収穫する田んぼがあるのは不思議な感じですが、3毛作 だからできる事だと思います。 午前9時に「タマン・アユン寺院」に到着しましたが、この寺院は1643年にメングイ王国の王様が建設しましたが、 19世紀後半に隣国との戦争に負けて荒廃していましたが1937年に改修されました。1917年の大地震で大きな被 害が出て、個人では再建できないという事で国有にして国が修復し、今では国が管理しているそうですが、その せいか、以前は中に入れたそうですが、今は低い塀の外から見る事しか出来なくなったそうです。 まるで庭園の様な境内は、手入れが良くて写真映えのする塔(メル)が何本も立っていて、お寺の名前の意味が 「美しい寺」と言うのが良くわかります。塔の中には神様の魂が入っているそうですが、塔の黒い屋根はカヤで、 茶色はシュロで葺いているそうですが、10年から20年に一度くらいは葺き帰るそうです。 午前9時50分に「タマン・アユン寺院」を出発し、午前10時20分に海に面した「タナ・ロット寺院」に着きました。バス から歩いて行くと工事中の門があり、その前に守護神のバロン?があり、左側は完成していましたが、右側は制作 中で、完成した石像を持って来るのでなく、現場に石を設置してから職人がその場で石を彫っていたので、まさに 職人技だと思いました。 この寺院は16世紀にジャワの僧がここからの眺めに感激して建てたと言われ、今は夕日の名所になっているそう で、干潮の時には歩いて行けるそうですが、ヒンズー教徒以外は中には入れないそうです。 今日は満潮で波もあったので、近くから見て、写真だけ撮りましたが、少し離れた右側の崖の上にもヒンズー教の 「バトウ・ボロン寺院」という寺院も見えていましたが、その間の波が良いのかサーフィンをやっている人が多くい ました。 午前11時15分に出発し、クタに戻り、午後12時50分に昼食会場の「金満楼酒店」に着きましたが、ここは名前の通 りの中華料理店でした。バリ島の中華料理と期待していなかったら、料理の味も従業員の接客サービスも素晴らし くて文句のつけようがない感じの店でした。 ガイドのカルマナさんから飛行機が1時間遅れになって、時間が出来たので、前のスーパーマーケットで土産物を 買ったらと言われ、皆さん、賛成で行く事になりました。私は見るだけの積りが、中に入って、コーヒーと石鹸売り 場を見に行くと、昨日、民芸品店で見た物の半分以下の値段だったので、ここでも”ジャコウネココーヒー”と”ナチ ュラル石鹸”を買ってしまいましたが、帰ったら、家内に叱られそうです。 午後2時にスーパーマーケットを出発し、30分程でングラ・ライ空港に到着し、ここで現地ガイドのカルマナさんと 別れ、空港ビルに入りましたが、飛行機のチケットはカルマナさんから貰っていたので、スーツケースだけを預け て、2番搭乗口に着いたのは午後2時40分でした。 午後3時30分から搭乗開始になり、GA253便は定刻より1時間10分遅れで出発し、午後5時20分にジャワ島のア ジスチプト国際空港(ジョグジャカルタ)に到着しましたが、ジャワ時間はバリ島より更に1時間遅れで、午後4時 20分になります。 スーツケースを受け取って、現地ガイドのジャジャさんの迎えを受けて、ユニークな漫画チックな絵を描いたバス に乗り、午後5時に空港を出発し、本来なら、バティックの工場に見学に行く予定でしたが、時間が遅くなって店が 終わっているので、夕食会場に直接行く事になりました。 15分程で夕食会場のジャワ料理レストランの「BILIK.KAYU」に到着しましたが、スープに続き、魚やキノコの揚げ物 が出て、思ったより美味しいと思いましたが、お昼に食べたバリ島の中華の料理の方が美味しいと思いました。 ただ、従業員の態度やサービスはどちらの店も良かったのでインドネシア人は人当たりが良いと思いました。 午後6時にレストランを出て、20分程で今日の宿泊ホテル「ノボテルホテル」に着き、キーを貰って部屋に入りまし たが、可もなく不可もなしの感じの部屋でした。直ぐにシャワーを浴びましたが、お湯はバリ島のホテルより少し は温かいお湯が出ました。旅行記の整理をする積りでしたが、疲れていたのか睡魔には勝てず、午後9時過ぎに は寝てしまいました。 4月8日(日)昨日、早く寝たせいか、午前4時半に起きて、旅行記の整理をして、明るくなって窓の外を見ると、遠 くに富士山に似た活火山のムラビ山がうっすらと見えていました。 午前6時からの朝食の前にホテルの前の通りを少しだけ歩いてみましたが、日曜日のせいか、車やオートバイは少 なかったのですが、ホテルの前に待機していた輪タクの運転手に声を掛けられ、こんなに早い時間からやってい るのは凄いと思いましたが、他にも輪タクが沢山停まっていても、運転手の姿は見られませんでした。歩道には屋 台も何軒かありましたが、、まだ開店はしていませんでしたが、夜は結構賑わっていると思いました。 午前6時から朝食ビュッフェに行きましたが、ここも昨日までのホテルとは大差のない感じで、料理も説明書きが あるので分かりやすくて良いと思いました。パンは色々な種類があり、和食として寿司のコーナーやナシ(ご飯) を色々に加工した料理もありましたが、私は今朝はトーストとコーヒーに少しだけ料理を食べ、後からオムレツが出 来ていたので食べました。 今日の出発が午前7時半と早かったので、10分程前にロビーに行き、キーを返して、表に出てみると、午前6時前に はガラガラだった道路も車やオートバイが結構走っていました。 午前7時半にホテルを出発し、世界遺産「ボロブドゥール寺院遺跡」に向かいました。1時間の道中で現地ガイドの ジャジャさんがインドネシアやジャワ島の事を話してくれましたが、話している途中でパレードに出会いましたが 、これは村の祭りで、インドネシアでは色々な所でこう言うお祭りがあるそうです。 誰かが大学の事を聞きましたが、インドネシアの大学は5年制で私立大学の授業料が25万ぐらいするので、経済的 に大変だと言ってました。その他、初代大統領のスカルノさんは女好きで、沢山の女性と結婚し、最終的には9人の 奥さんがいたそうですが、デビ夫人は3番目か4番目の奥さんになるそうです。 午前8時半に私の今回の旅の目的の「ボロブドゥール寺院遺跡」に着きましたが、日曜日で混んでいると思ってい たら、想像したよりは空いていましたが、着くと直ぐにガイドから聞いていた売り子の一団に囲まれましたが、見学 前だから皆さん、何とか寺院まで着くことが出来ました。私達は「ボロブドゥール観光センター」でトイレに行き、小 小なペットボトルを1本貰いましたが、これも団体の入場料に入っている様でした。 遺跡の案内は日本語が出来る専門のガイドが説明しながら一緒に回ってくれましたが、まだ若いガイドでしたが、 一生懸命説明してくれました。「ボロブドール寺院の意味は”丘の上に建つ寺院”と言うだけあって、周囲の景色は 良いと思いましが、。遠くに富士山とよく似た”ムラビ山”という活火山があり、5年に1度噴火するような火山で周 囲には人家はありますが、寺院は無くなったそうです。 「ボロブドール寺院」は8世紀建立と言われていますが、1814年にイギリスの提督ラッフルズが火山灰や密林に覆 われた遺跡を、偶然、発見したそうですが、誰がどんな目的で作ったかは未だに謎だそうです。 全部で十段あるそうですが、最初に一番下の旧基壇に行きましたが、ここは補強の石組みに覆われて、一部だけ が露出していますが、そのレリーフは因果応報を表しているそうです。 3段目からの回廊には第1回廊に”釈迦の生涯”を描いたレリーフが延々と彫られていました。昔、中部大学で学んだ 事が少しだけ思い出されましたが、若いガイドの話があまりにも長いので、一緒に回っていた人達は飽きて来たよ うでした。この回廊には龍?の顔をした水抜きの雨樋がありました。 7段目から9段目には72の円壇(ストゥーパ)があり、その中には釈迦牟尼仏が1体ずつ安置されていますが、度重 なる地震でほとんどが首が落ちているそうです。外側の穴は不安をあらわダイヤと安定を表す四角の穴が開い ています。ストゥーパの1つだけが上部が無くなって、中の釈迦牟尼仏が見る事が出来ます。 10段目には穴の無い完璧な”大卒塔婆(ストゥーパ)”があり、時計回りに3回廻ると、願い事が叶うと言われている ので、私も皆さんと一緒に回って家内安全と健康長寿をお願いしました。 午前10時30分に見学を終わり、ガイドのジャジャさんの音頭で全員写真を皆さんの持っているカメラで交代で撮 る事になり、私もお願いして撮って貰いました。 撮影終了後、バスの駐車場まで15分位歩きましたが、この間の売り子の攻勢は私の旅行史の中でも最高のしつこ さだったと思います。歩き始めで10個千円のキーホルダーが40個千円になり、最後は扇子もおまけに付けて千円 と言われましたが、私には必要ないので買いませんでしたが、バスに帰った時には4,5人の人がキーホルダー40 個とかボールペン20本に扇子付きとかピンバッジ20個にキーホルダー10個を重そうに持っていました。千円札1 枚でこれだけの買い物が出来たのは安いものだと、買った皆さんは自分に言い聞かせているようでした。 午前10時50分に出発し、20分程で、昨日、時間の関係で寄れなかったバティックの工場に行きましたが、今日は日 曜日で職人は休みなので、実技は見られませんでしたが、説明役の人に簡単にバティックのろうけつ染めの方法 を聞いてから店内で買い物をしました。値段はプリントは安く、次いで型押しで手描きになると、何万円もするよう すが、何か買いたいと思っている人には値段よりデザインの気に入った物を選んで買った人もいたようでした。 午前11時45分に出て、5分程で昼食会場の「Seker Kedhaton」に着きましたが、店の雰囲気は昨夜の店と似てい て、料理も似たような感じでしたが、私が気に入ったのは料理ではなく、下に敷いたアタと言うシダ科の植物で 編んだランチョンマットですが、ガイドのジャジャさんが店で売っていると言うので、行って見たら、店の物とは違 いましたが、買うと言った手前、6枚2,000円で買いましたが、気の入った物ではありませんでした。 午後1時に店を出て、世界遺産「ブランバナン寺院群」に向かいましたが、途中、現地ガイドのジャジャさんお勧め の「dja va」というお菓子屋に寄り、饅頭とかお菓子を買って、バスで1時間半近く走りましたが、途中、車窓から 墓地らしきものが見えたり、日本の風景に似た青々とした田んぼが続く所を通って、午後2時50分に「ブランバナ ン寺院群」に着きました。 「ブランバナン寺院群」はお寺の名前ではなく、ブランバナン地区にある9世紀建立のヒンズー教寺院群の総称で インドネシア最大の寺院群と言われ、昔は224の塔があったそうです。 1991年にユネスコ世界遺産に登録されていますが、1549年の地震で遺跡のほとんどが崩壊して、暫らく忘れられ ていましたが、1937年から修復作業が始まりましたが、2006年5月のジャワ島地震でも甚大な被害を受け、日本 政府も調査団を派遣したり、資金供与で協力しているそうです。 バスの駐車場から歩いていると、宙に浮いたような感じのサルや竜の衣装を着た若者が1回50円で写真を一緒に 撮るアルバイトの様な事をしていましたが、一緒に行った夫婦がお金を払って一緒に撮っていました。 15分位で「ブランバナン寺院群」に着きましたが、インドネシア最大のヒンズー教寺院と言われるだけの事はある と思いました。9世紀頃の建立とされ、中心に高さ47mの「シヴァ神殿」があり、左右に高さ23mの「ヴィシュヌ神 殿」と「ブラフマー神殿」が並び、その前には、それぞれの神の乗り物、ナンディ・ガルーダ・ハンサを祀る小堂が ありますが、遠くから見ると、見事な寺院群だと思いました。 私はシンガポール行きの国際線の飛行機が午後6時出発ですから、空港に午後4時頃までに行く為には午後3時半 にはここを出発しなければと思うと、あまり、ゆっくりは観光出来ないと思っていましたが、その事をガイドのジャ ジャさんに言うと、彼は「大丈夫です。」と言って、時間を気にする様子も無く、色々は話をしながら、最初にシヴァ 神の乗り物で牛の姿をした”ナンディ”の塔に行き、中に入ると、ナンディ像と後方に日光・月光像がありました。 次に中心の「シヴァ神殿」に行きましたが、シヴァ神の部屋は混んでいたので、先に仙人の”アガスティア”の部屋 に行き、次に回廊を通って、シヴァの息子の象の頭をした”ガネーシャ”の部屋に行きましたが、入る前に回廊に彫 られている、ヒンズー教の叙事詩「ラーマーヤナ」の物語の解説を聞きました。 終わってから”ガネーシャ”の部屋に入りましたが、ガネーシャ像は富の神で頭に触るとお金持ちになれると言わ れ一生懸命触ろうとする人もいました。3番目にシヴァ神の妻”ドゥルガー”の部屋に行きましたが、イスラム教徒の 島にあるヒンズー教寺院の神はほとんど無視されるそうですが、”ドゥルガー像”だけは例外で、美人にあやかり たいと多くの人が参拝しているそうです。 この時点で午後3時45分になっていたので、ガイドのジャジャさんに言うと「それじゃ空港へ行きましょう」と肝腎 のシヴァ神の像は見る事が出来ませんでした。後から考えてみると、午前中の観光時間や昼食時間、お菓子屋の 時間等でで1時間以上無駄にしているので、ガイドの時間のルーズさが影響していると思いました。 バスの駐車場まで戻る途中に土産物店はありましたが、ボロブドゥールの様な強力は売り子もいなくて、観光客は ゆっくり、土産物を物色していましたが、私達はそんな時間は無いので横目で見ながら駐車場に行きました。 バスの駐車場を出発したのが午後4時10分過ぎでしたが、空港まで15分か20分と言ったのですが、渋滞で30分 程掛かり、その上、国際線のターミナルには大型バスは入れないので、国内線ターミナルで降りて、車の手配が 出来ていないので、30℃の中をスーツケースを持って、歩いて国際線ターミナルまで行く羽目になりました。 汗だくだくで、ガイドのジャジャさんに分かれの挨拶をする間もなく、セキュリティチェックを受けて、ターミナル 内に入り、大急ぎで荷物を整理し直して、シルク航空のカウンターで搭乗手続きをしましたが、幸い、空いていて、 直ぐに出来て、出国手続きもスムーズに行き、残ったルピアを使う間もなく、国際線搭乗口の待合室に着いたのは 午後5時10分前でした。 午後5時25分から搭乗開始になりましたが、ジョグジャカルタのアジスチプト国際空港は国際線の搭乗口が1つで 、クアラルンプール行きとシンガポール行きの受け付けをしていましたが、受け付けを終わって、外に出ると、シン ガポール行きの飛行機は左と言われ、直ぐ近くに駐機してある飛行機に乗り込みましたが、こんな経験は初めて でしたが、日本では考えられませんが、海外では普通なのかもしれません。 SL153便は定刻の午後6時に出発し、1時間程して機内食が出ましたが、私は魚を選びましたが、中身は魚の揚げ 物とマカロニだけでした。午後7時50分にシンガポールのチャンギ空港第2ターミナルに着陸しましたが、シンガ ポール時間では午後8時50分という事になります。名古屋行SQ672便は第3ターミナルからの出発になっていた ので、「スカイトレイン」で第3ターミナルに移動しました。 SQ672便は午前1時20分に出発予定で搭乗開始が午前0時20分なので、時間がたっぷりあったので、ターミナル 内を散策して見ましたが、アジア最大のハブ空港というだけあって、さすがにスケールは凄いと思いました。 歩いている途中でパソコンや携帯電話の電源と作業テーブルがあったので、時間まで旅行記を整理しました。 9日(日)午前0時過ぎたので、SQ672便のE16搭乗口の入口に行きましたが、まだ早いと言われ、待っていると、 午前0時10分から入場が始まり、待合室で待っていると、午前1時から搭乗開始になりました。機内に入ると、ほぼ 満席状態で来る時と同じように、間もなく、オシボリのサービスがあり、定刻の午前1時20分に出発して、安定飛行 になってから、歯磨きセットと明日朝のメニュー表が配られたので、トイレで歯を磨いてから、席に戻り、睡眠薬を 飲みました。 午前2時過ぎから機内照明が暗くなったので、眠くなかったのですが、目をつむっている内にウトウトして、目が覚 めたら午前5時過ぎで窓の外を見ると、どの辺を飛んでいるのか分かりませんが、夜が明けかかっている感じでし た。3時間位は寝られたので、顔だけ洗いにトイレに行き、帰って来ると、午前5時半頃に朝の機内食が配られまし たが、隣の人はずっと寝たままでした。魚を注文したら、これが和食でしたが、何を注文しても大差は無いと思い ました。 午前7時20分に着陸しましたが、日本時間では午前8時20分になりますが、実質6時間の飛行時間だったので、シ ンガポールは近い所だと思いました。 スーツケースを受け取り、ツアーメンバーに挨拶をして、名鉄特急で金山駅で中央線に乗り換えて、春日井駅から 名鉄バスで家に着いたのは午前11時過ぎでした。家内は月曜日で義母の所に出かけているので、ラインで帰宅し た事だけ伝えて置きました。 お風呂に入ってから、お昼はカレーの残りがあったので、カレーラーメンにして食べて、一眠りしましたが、それ程 疲れは感じてなくて、1時間程で起きて、荷物の整理しました。 今回の「インドネシア4つの世界遺産を巡るバリ島とジャワ島5日間」のツアーは21名のツアーメンバーでしたが、 夫婦5組、母娘1組、女性2人1組、男性3人1組、男1人3人、女性1人という人達で、よく話す人達が多かったので、食 事やバスの中もなかなか賑やかな旅でした。私自身は本来の目的の世界遺産「ボロブドゥール遺跡」がゆっくり 見られたのが良かったと思っています。バリ島の世界遺産「ティルタ・エンプル寺院」や「タマンアユン寺院」もそ れぞれの良さがあって、素晴らしいと思いました。 残念だったのはジャワ島のヒンズー教の「プランバナン寺院群」が時間の関係でゆっくり見られなかった事です が、それでも、こんなにスケールの大きな寺院遺跡がある事を知っただけでも良かったと思っています。 4月4日(水) 午前9時30分から中部大学の2018年度春学期「オープンカレッジ33期開講式」があったの で出席しました。最初にエクステンションセンターの佐伯守彦センター長の挨拶がありまし たが、今期は345名の聴講生が受講する事になっているそうですが、その内、90%以上が リピーターの人達で占められているそうです。しかし、佐伯センター長が担当する機械工学 の科目は社会人の人が1人も申し込みが無かったと苦笑いをしながら話していました。 今年度の中部大学の新入生は2667名で社会人と一緒に講義を受ける事もあると思うが、し っかり、学生達を指導してほしいと言ってましたが、今の学生は私達の時代より真面目な学 生が多いので、こちらが見習いたいくらいです。 今回、私は3科目選択したのですが、従来、中国関連の科目を選択していたのが、今年度の春学期は科目が減って 、中国に関する科目も少なくなったので、今回は現代中国に関する「比較社会論」(于小薇講師:ユ・シャオウエイ) と他は「建築史B」(稲川直樹教授)と「美術から歴史を探る」(荒屋敷透教授)を選択しましたが、初めての先生ば かりなので、どんな講義になるのか分かりませんが、楽しみにしたいと思っています。 センター長の話の後、オープンカレッジの身分証や駐車場利用の説明があり、最後に駐車場利用申込書の受け付 けも会場でやってくれたので、申請書と免許証や自動車保険証に1,000円を添えて手続きを済ませました。 会場で去年も中国ツアーで一緒になったG.Sさんと会いましたが、彼は今年の1月にトルコに行って来て、6月には 中国の四姑娘山に行く予定になっていると言ってました。 午前11時過ぎに家に帰って、お昼を食べてから家内は午前中のお茶は先生の都合で休みでしたが、午後からの日 本画はあるので、午後1時過ぎに味美公民館に出かけて行きました。 私は特に予定は無かったのですが、明日からの「バリ島・ジャワ島5日間」の事を考えていたら、着る物が不安にな って来たので、もう一度、確認しましたが、暑い所ですから大丈夫だろうと思ってスーツケースを締めました。 4月3日(火) 家内の2ヶ月に一度の定期検査の日なので、午前8時半前に家を出て愛知医大に向かいました。本来なら満開の桜 の時期ですが、今年に関しては半分以上散った桜の木を眺めながら車を走らせている感じでした。 午前9時過ぎに病院玄関前に着きましたが、丁度、着いた時に黒いスーツを着た男女が10数人歩いて行ったので、 新入社員(職員)かなと思いましたが、看護師や医師では無さそうだったので、新入生の可能性もあるかなと思い ましたが、学生ならもう少し、初々しさがあると思ったので、多分、新入社員だろうと思います。 午前10時の予約時間でしたが、30分遅れの午前10時30分過ぎに診察時間になり、先生から横ばいの報告を受け、 2が月先の予約をして、処方箋の薬を貰ってから午前11時過ぎに「イオンスタイル」に向かいました。 駐車場に車を入れてから、家内が最初に隣にある「ロイヤルホームセンター」に竹垣用の竹を見たいと言うので、 行って見ました。竹を売っている所があまり無いのでどうかなと思いましたが、幸い、適当な竹があったので、値 段と在庫を確認して、他の所を見てから、ここで購入するのは2ヶ月後の定期検診の時という事にしました。 お昼は「イオンスタイル」の3階フードセンターに行き、「梅蘭」で家内は五目そば750円、私は担々麺セット980円を 食べましたが、五目そばは少し醤油辛いと家内が言ってましたが、私の担々麺セットのチャーハンも少し味が濃い と思いましたが、担々麺は私好みで胡麻が効いたスープをしっかり飲みながら麺を食べました。 昼食後、1階で火曜市の安い目玉商品を中心に野菜や魚を買ってから、帰りに春日井市内の「ケーズデンキ」に寄っ て電気ポットを買いました。と言うのは、昨日、お昼にお茶を飲もうとして、電気ポットから急須にお湯を入れようと したら、液晶が切れていてお湯が出ないので、コンセントを見てもシッカリ入っているし、電源のコンセントも切れ ていないので、本体の電気ポットが壊れたと思いました。 製造年月日を見ると2013年製と書いてあるので5年前の製品が壊れるのは早いと思いましたが、保証期間は過ぎ ているので、新しく買うしかないと思って、今日、行く事にしていたのです。今までは5Lのポットを使っていたので、 家内は同じくらいの大きさのものを買う積りでいたのですが、5Lの製品は今でも壊れた5年前の象印の製品しか ないので、家内は同じものより、少しでも新しくてデザインの違う製品が良いと、2017年製の4Lの象印の電気ポッ トを買いました。 お店で話を聞くと、マイコンの部分が切れていると思いますと言われましたが、我が家の場合は電気ポットは1年 365日24時間点けっぱなしなので、5年間でも使用時間を考えると、負担が大きいので切れても仕方がないのか なと思いました。 4月2日(月) 午前9時過ぎにいつもの様に家内は義母の所に出かけて行ったので、私は5日(木)からの「バリ島・ジャワ島5日間 の旅」の用意をして、先日、日産自動車から来たリコール作業に伴う返金の書類を郵送し、その後、「皿貝接骨院」 に行って、左肩と腰の治療をしてもらいました。 帰ってからお昼を食べながらテレビを見ていたら、昨日から新年度ですが、日曜日だったので官庁や民間の会社 も今日が新年度の仕事始めで入社式や入所式の様子が放送されていました。彼等は今日から新しい人生が始ま るので、希望に胸を膨らませて、今の気持ちを持ち続けて頑張ってほしいと思います。 午後からHPの4月分への更新をやって、少し休憩する積りでソファに横になったら、いつの間にか寝てしまい、私 が孫達の世話をしたわけではないのですが、どこかに疲れがあったのかもしれませんが、そんな中でも義母の所 へ出かけて行った家内は大したものだと思います。 4月1日(日) 今日から4月で、いろんな所で新年度が始まり、新入社員や新入生が入って来て、初々しさや新鮮さを感じる事も あると思いますが、孫2人が来ていると、そんな事には関係ない気がします。 そうは言っても、今朝もお隣のI.Kさんの奥さんから、今年度から組長になったM.Mさんの事で心配な話を聞いたの で、家族構成表と自治会費を持って行ったついでにM.Mさんと話しました。 今年79歳になったM.Mさんは昔のソフトボール仲間でゴルフも一緒にしていたのですが、奥様と長男に先立たれ、 今は次男と2人で暮らしているのですが、大きな病気はしていないものの、ここ2,3年は体調も思わしくなく、歩く のもやっとの状態で、私は組長をやるにあたって、次男の助けを借りてやれば良いと思っていたのですが、どうや ら、自分1人でやる積りだったらしく、昨日の昼間、新年度の家族構成表や自治会費納入袋、広報春日井、自治会役 員名簿などを配布しようとして、車の中で立ち往生している所にI.Kさんの奥さんが助け舟を出して何とか解決し たようですが、今後の自治会費の集金や広報の配布などを考えると不安で仕方がないと事でした。 そういう事も考えて、次男に助けてもらう事が一番だと思っていた所に次男のM.H君が帰って来たので、彼にいろ いろな面で父親を手伝うよう言うと、言われたら手伝うが言われない限りやらないと言ったので、M.Mさんに本人 がこう言っているから、これからはやってもらいたい事をちゃんと伝えて手伝ってもらうように話して帰って来ま した。直ぐに出来るかどうかは分かりませんが、当分、様子を見ながら対策を考えなければと思っています。 午前11時前に次男は友達の所に出かけたので、私と家内は孫2人とお昼のお好み焼きと夕食の買い物行く事にし ましたが、娘夫婦は娘が昨日行った「エアポートウォーク」に上着を忘れたので、あるかも知れないからと2人で買 い物を兼ねて「エアポートウォーク」に出かけて行きました。お昼を買って家に帰る途中に娘から「あったよ」と言 う写真入りのラインが入っていましたが、さすが、平和な日本ならではだと思いました。 夕食は下の孫のnt実のリクエストでチーズフォンデュになりましたが、小学校1年生の子がそんなメニューをリクエ ストするのも私達の子供時代には考えられなかった事で、今は本当に飽食の時代だと思いました。 夕食後、孫達はお風呂に入って帰る事になり、家内と一緒に入って、午後8時頃に帰って行きましたが、家内を見て いると、”来て良し帰って良し”と言うより、帰ってグッタリと言う様子でした 先月からの暖かさはまだ続いている感じですが、我が家の庭も賑やかになり、1日の庭ではオダマキがあちこち から出ていましたが、やっと、咲き始めたので、これからは庭を彩ってくれると思います。花は駄目だと思っていた チューリップが、小さいですが2輪だけ花が咲きそうです。 ハナズオウは赤と白の花が一斉に咲き始めた所ですし、庭の目立たない所で小さくて可憐なシラユキゲシとスミ レがひっそりと咲き、シャガも白い花を目いっぱいに咲かせて、私達の目を楽しませてくれています。 |
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