2016年も今日で終わりですが、4月に熊本地震が発生、8月のリオオリンピックでは日本選手の
活躍、12月には糸魚川の大火災と良い事、悪い事、色々ありましたが、幸い、私にとっては何事
もない平穏な年で1年間無事に「無尽陶舎」を続けられた事が1番だったと思っています。
来年も何とか無事に1年間続けたいと思いますので宜しくお願い致します。
12月31日(土)
この所、毎日、寝るのが遅かったせいか、今朝、目が覚めたら、午前8時過ぎでした。今日は東京から長男一家が
帰省し、義母の所に行きたいと言うので、家内と次男も一緒に千種駅まで迎えに行き、一緒に介護施設に行く事
になっていた為、午前10時半過ぎに家を出て、午前11時半過ぎに千種駅で長男一家を乗せ、先にお昼を食べよう
と「千種豊月」に行くと、年越しそばを食べるお客さんで大行列が出来ていたので、待ち時間を考えると無理だ
と思い、義母のおやつを買って介護施設に行きました。
午後12時半頃に着き、お昼を食べ終わって部屋に帰る途中の義母に、家内が長男が東京から帰って来たと言う
と、最初は反応がありませんでしたが、部屋に帰って暫くすると義母の目線が動いて長男や次男、私の方を見て
、家内の話に納得顔をしたので、私達の事が分かったのかなと思いましたが、言葉は発しなかったので本当の所
は分かりません。30分程、家内がおやつを食べさせたり、飲み物を飲ませていましたが、義母も疲れたのか目を
閉じる事が多くなったので、午後1時前に施設を出て、お昼は近くにある「デニーズ」に行って見ると、予想に反し
て、席が空いていて直ぐに座れました。やはり、大みそかは蕎麦屋が混むことを再認識しました。
午後3時過ぎに家に帰って来て、一休みしてから、長男夫婦と次男は孫のkm花を連れて公園に
遊びに行きましたが、私は夕食のお寿司を「徳兵衛」に取りに行き、家内から頼まれた蕎麦と三
つ葉を買って来ました。
孫のkm花は夏に会った時より、3歳になって、お喋りがより出来るようになり、色々な事を聞く
とちゃんと返事をしてくれるので成長の早さを感じます。特に家内の遊ばせ上手にのって、い
ろいろな事をしていましたが、鼻歌を歌いながら、絵を描いたり、ご機嫌に踊ったりしていまし
た。午後7時から夕食の寿司を食べながら、7時15分からの「第67回紅白歌合戦」を見ましたが
、年々、顔や名前の分かる歌手やグループが少なくなってきたと思いましたが、大晦日のテレ
ビ番組表を見ても、私達の年代だと他に見たい番組も無いので、どうしても紅白歌合戦を見てしまいます。今回
は紅組が優勝しましたが、私自身の気持ちは盛り上がりは全くありませんでした。終わってから3人で松原神社に
初もうでに出かけました。
12月30日(金)
寒さは続いていますが、今朝は久し振りに温度計が-1℃と零下を示していました。風は冷たいですが、日当た
りが良い場所や車の中は、結構、暖かくて気持の良い日になりました。
家内は朝からおせち料理作りに忙しく、私は家内に言われて、鶏団子を爪楊枝に挿した
り、掃除機をかけたりしてから、「問屋スーパー」にサワラが入荷したかどうか見に行き
ましたが、やはり、今日も入っていませんでした。
お昼を食べている時に家内が小鳥のエサ台を見るとスズメが群がっている傍で”メジ
ロ”がチラッと見えたので、後からミカンを梅の木に刺しておいたら、2羽のメジロが来
て、仲良く食べていました。先日も刺してあったのですが、先日はヒヨドリが先に来て食
べ尽して行ったので、今日は”メジロ”がタイミング良く来て、一生懸命、ミカンを啄ばん
でいました。家内も私もヒヨドリよりは小さくて可愛い”メジロ”に食べさせてやりたかっ
たので、2羽が半分に切ったミカンを仲良く1つずつ自分の物として食べている姿は仲の
良い夫婦のようで、見ていても微笑ましい気持になります。
 午後4時過ぎに、毎年、干支の瓦を持って来てくれる瓦屋のM.Hさんが
顔を見せて、恒例になっている干支の瓦を頂き、これで12支が全部
揃ったと家内も喜んでいました。先日も家内と今年は瓦屋さんが来
ないから体でも壊したんじゃないかと噂をしていたと言うと、元気で
すが、仕事以外の用事で忙しくて、田舎の広島に帰ったり、所属して
いるシニアサッカーチームやジュニアサッカーでも忙しかったと言っ
てました。
M.Hさんとは10年位前に我が家の小さな仕事をしてもらってから、年
に2~3回、近くで仕事があったり、通りかかったら、寄ってくれて、色々な話をするようになり、年末になると、家
内が好きな干支の瓦を持って来てくれるようになり、それが10年以上続いているのは何か縁があるんだと思い
ます。彼が帰ってから家内は、早速、申年の瓦を酉年の瓦に置き換えて正月準備が出来たと言ってました。
12月29日(木)
作日同様寒い朝になり、正月まではこの寒さが続くようですが、家内にとっては、作ったおせち料理が腐る心配
をしなくて済むので、寒いのは大歓迎で喜んでいます。
午前中、昨日だけでは買い物が済まなかったので、残りの買い物をする為に「問屋スーパー」に行きました。最初
に”三ケ日ミカンM:秀”を1箱を買い、次に塩焼き用の”ブリ”を片身を買ってから、味噌漬けにする”サワラ”を1匹
買おうとしたら、今日は入荷が無かったと言われ、家内はガッカリしていました。
午後から家内はおせち料理に取り掛かったので、私はウズラ玉子の皮むきや銀杏の殻取り、カズノコの薄皮取り
を手伝い、”田つくり”を焙烙で炒ってゴマを絡めて作りましたが、肝腎のタレは家内が作ったもので、大雑把に
作っているようですが、出来上がった”田つくり”を試食するとしっかりした味になっているのはさすがだと思い
ました。
12月28日(水)
今朝は昨日と打って変わって寒い朝になりました。午前11時過ぎに「草野外科」に行き、今日が最後の診察を受
け、先生から、やっと、シミ取りの”炭酸ガスレーザー治療”の完治の言葉をいただきました。患部は少し赤みが残
っていますが、時間と共に周囲の皮膚と同化して来るそうですが、いずれにしても、私は気になっていたシミが
気にならなければ十分なので、多少の色の違いや傷痕は気になりませんし、家内も以前の黒いシミと比べると
無くなったも同然だと言ってました。確かに写真で見ると色が薄くなっているのが分かりますが、そうなると他
くのシミがまた気になって来るのは人間の性なのかもしれません。
  
帰る途中でカニの「甲羅本店」の前を通ると駐車場のテントで年末恒例のカニの売り出しをやっていたので、午
後から出直して来ようと思いました。お昼を食べて完成した年賀状を出しがてら、家内がおせち料理の材料を買
い出しに行くので一緒に行き、最初に「甲羅本店」でカニを買ってから「ナフコ」に行きました。
 夕食が終わってから、昼間にやる予定だった餅つきというか餅
つき機を使っての”鏡餅”と”丸餅”・”紅白餅”造りをやりました。
私が岡山出身なので正月の雑煮は丸餅なので、家内もいつの間
にか丸餅が好きになって、最近はいつも雑煮は丸餅になりました
が、中に入れる具材は名古屋風でモチ菜とカマボコくらいです
が、私だけは子供の時からの習慣でブリを入れます。家族からは
生臭いと白い目で見られていますが、これだけは譲れない私の
こだわりの具材です。今日は2.5kgのモチ米を1回でやると家内
が言うので、餅つき機で40分蒸した後、10分間の餅つきをやってから、のし板に乗せましたが、例年になく餅が
柔らかくて、くっ付くので、家内が苦戦をしながら、私にモチをちぎって投げるのを私が丸くするのですが、私の
方も”鏡餅”は何とか形が出来ましたが、雑煮用の”丸餅”はなかなか上手く丸くなりませんでした。
その後、家内は少し残したモチの半分に紅を入れ、近くの公園で切って来た柳の木で”紅白餅”を作って、長い1日
がやっと終わりました。
12月27日(火)
朝から雨が降っていましたが、気温は10℃を超えているのか寒さは感じませんでした。午前10時過ぎに今年最後
の腰の治療に「皿貝接骨院」に行きましたが、思う事は同じなのか、いつもより患者の数が多い感じでした。
今年も腰を気にしながらの1年でしたが、何とか無事にゴルフや旅行、ドライブが出来たのは週に1~2回の予防
治療のお陰かもしれないと思っています。家内の方は定期的に通っていた「ひかり接骨院」のF.H院長が今月中
旬に緊急入院し、腰や体を整える治療が中止になっているので、新しい接骨院を探すか、院長の復帰を待つのか
、決めかねていますが、今の所は体の調子が良いので悪くなってから考えるつもりのようです。
家内は朝から年賀状のデザインを本格的に考えて原画を描き始めていますが、毎年、皆さんから期待されてい
ると思うと、自分自身にプレッシャーをかけている感じです。何年か前まではプリントゴッコで作ってので、早目に
作り始めないと、使う色が多いと、プリントの回数が増えて、1回プリントして乾かないと2回目が出来ないので、
プリントの回数が6回~7回だと大変な労力でしたが、今は原画さえ出来れば、パソコンでスキャナーして取り込
めば、後はプリンター任せで良いので、ずいぶん楽になったと思います。
ところが、家内が原画を作成している間、私が作った年賀状をプリンターで印刷している
途中、半分位印刷して、残りをやろうとしたら、急にプリンターが”処理中です。しばらくお
待ちください”という表示を出したままで動かなくなり、パソコンやプリンターを再起動し
たり、電源を切ったりしても、同じ表示が出るだけで、全く、反応しなくなったので、午後8
時頃に娘の所にSkypeをして、婿のnao君に聞いて、色々試しても駄目なので、彼に聞いて
も駄目なら買い替えるしかないと諦めましたが、家内の原画が出来たので、取り敢えず、
パソコンでスキャナーして取り込んでから、試しに印刷したら、理由は分かりませんがプリ
ンターがしっかり反応して印刷できました。
大急ぎで家内の年賀状を120枚くらい印刷して、私の作った年賀状の残りの分はどうかなと思って、やってみた
ら、見事、印刷できたので大喜びしました。パソコンを使っていても基本が分かっていないので、トラブった時に
は本当にどうしようもなくなりますが、かと言って、今更、パソコン無しの生活も考えられないので、このまま成
り行きのパソコン頼りでいくしかなさそうです。
12月26日(月)
午前10時前に家内はいつもと同じように義母の所に行きましたが、いつもなら今年最後になるのですが、今年は
長男一家が31日(土)に帰省した時におばあちゃんの所に顔を出したいと言うので、31日に長男一家と一緒にも
う一度行く予定になっているので、それまでに少しでも元気になってほしいと思います。
私は「草野外科」に行きましたが、右頬の”シミ取り治療”の痕もすっかり良くなっていると思うのですが、先生は
まだ少し赤みが残っているからと、明後日28日も行く事になりました。
帰りに床屋に寄って、寒くなるからあまり刈り上げないようにして、生え際を主に刈ってもらいましたが、床屋の
人がテープを貼ってある事に気が付かなかったくらいですから右頬は綺麗になっていると思いました。
12月25日(日)
本来なら今日がクリスマスの本番なのですが、我が家では昨日で終わったかのように、家内が午後からクリスマ
ス飾りを片付け始め、来年の酉年に備えて、トリの香合や置物、人形などを出して来て正月飾りを始めました。
前回の酉年は義父が亡くなった次の年で自前の年賀状を作ってなかったので、来年の年賀状のデザインをどう
しようかと悩んでいました。私個人の年賀状は毎年パソコンで同じようなパターンで作っているので、それを踏
襲するだけで簡単に作れますが、それで良いのかどうか迷っています。
家内が掃除機の紙パックが無くなったと言うので近くの「ケーズデンキ」に買いに行きましたが、駐車場がいっ
ぱいで少し待ってから駐車できました。やはり、年末になると大掃除で蛍光灯を取り換えたり、ストーブを新しく
したリ、テレビ等を新しくする人が多いのかなと思いました。
私もパソコンのプリンターがいつ駄目になるのか心配ですが、何とか年末は年賀状印刷が終わるまでは無事に
動いてほしいとお願っています。
12月24日(土)
今朝の温度計は2℃で、昨日より9℃も低いのですから、しっかり、体調を整えてないと風邪をひきやすくなって
いると思いました。午前10時過ぎに「草野外科」に行きましたが、行く途中にあるケーキ屋「ポアロン」にはガード
マンが駐車場に来るお客様の車の交通整理をしていました。最近はクリスマスといっても子供達が小さい時のよ
うに事前にクリスマスケーキを注文する事も無くなったので、ケーキ屋さんとも縁遠くなりました。
「草野外科」も何故かいつもと違い、患者さんが多くて、診察までに1時間近く待たされ、消毒と絆創膏貼りで3分
の診察時間でしたが、やはり、年末まで通院しなければ駄目なようです。
夕方、近所のK.Kさんがクリスマスだからと、我が家の家族に1本ずつどうぞと”モスチキン”を3本持って来てく
れました。家内もクリスマスだからといって特に意識して料理を作る事も無くなりましたが、折角、K.Kさんが差し
入れをしてくれたからと、生サーモンとオニオンスライスも用意してくれたので、私は夕食の時にクリスマスソン
グを聞きながらワインを楽しみました。
12月23日(金)天皇誕生日
午前6時過ぎに新聞を取りに行った時に雨の降った後はありましたが、何となく暖かく感じたので、庭の温度計を
見ると、11℃を指していたので納得出来ましたが、それにしても今の時期にしては高すぎると思いました。
今朝のテレビは、昨日、糸魚川市中心部で起きた140棟以上を焼いた大火災の様子と焼け跡を映し出していまし
たが、本当に火事は恐ろしいと思いました。強風に細い路地の木造住宅、消防車不足などの悪い条件が重なって
大きな火災になってしまいましたが、年末になって被災した人達の事を考えると気の毒で仕方がありません。
天皇陛下も”天皇誕生日”で皇居に一般参賀で訪れた人達に、火災で被災した糸魚川市民を心配して、見舞いの
お言葉を述べられていましたが、阪神大震災や東日本大震災以外でこんなに大きな火災は1976年の酒田大火
以来、40年振りの大火災だとマスコミで言ってました。
午前11時頃に”にぎりの「徳兵衛」”に大晦日に食べる持ち帰り寿司の注文に行きましたが、去年までは決められ
たセットメニュー以外でも家内の好きな助六とか海苔巻きの注文もOKだったのが、今年からは年末年始はセット
メユーだけにして下さいと書いてあったので、2番目と3番目に高いセットを注文しました。現金で払うのなら、と
ても注文出来ないのですが、株主優待カードで年間4万円の優待があるので、カードを使って注文しました。
「徳兵衛」はコロワイドグループの店で、10年近く前に株価が600円程度の時に500株で1年間に4回1万円ずつの
優待券が貰える株主優待に魅力を感じて購入したのですが、今では株価も1,800円前後に上り、失敗の多い、私
の株投資の中で成功した銘柄の1つになっています。
12月22日(木)
午前9時前から雨の降る日になりましたが、気温はかなり高く、寒さは感じない日で、午前10時から「東部中国語
同好会」がありますが、その前に「草野外科」に行き、消毒と絆創膏の張替をしましたが、いつまでやるのかと思
い、先生に聞くと、新しい皮膚が出来るまでと言われました。私は”炭酸ガスレーザー治療”で照射した痕はカサ
ブタが出来ると思っていたので、カサブタが出来ずに新しい皮膚が出来るという話は初めて聞きました。先生
は28日頃までには何とかなりそうだと言ったので、まだ、当分通院しなければならないようです。
午後は今年最後の「映画研究」(小川順子准教授)の講義があり、先週に続き「少年」(大島渚監督)の後半を見ま
したが、10歳の少年を使って当たり屋をやっていた夫婦が逮捕された実際にあった事件を題材にした映画で、少
年の表情や目線が印象的でしたが、解説を読むと、少年役を演じたのは養護施設にいた孤児の阿部哲夫で、彼
はこの1作の出演だけで、その後、映画出演はせず、映画公開後の養子の話も断って施設に戻ったそうです。
実際の事件で逮捕された家族は継母が子宮がんで37歳で死亡し、父親も刑務所から出所してから行方不明にな
り、少年の弟は16歳で交通事故死していて、少年は14歳年上の女性と結婚して普通に暮らしているそうです。
   
監督の”大島渚”(1932~2013)は1954年に松竹大船撮影所に監督助手として入社、翌、1955年に助監督になり、
1959年「愛と希望の街」で監督デビューし、1960年「青春残酷物語」がヒットしたが、「日本の夜と霧」が興行不振
の為、途中で公開打切りになったのをきっかけに1961年松竹を退社して独立プロ「創造社」を創立しています。
前年の1960年に松竹の社長城戸四郎が松竹映画の不振を挽回しようとしてフランスで起こった”ヌーヴェルヴ
ァーグ”を参考に気鋭の若手を起用し、従来に無かった作風や社会問題提起の映画を作ろうと「松竹ヌーヴェル
ヴァーグ」を提唱し、大島渚や篠田正浩、吉田喜重を起用しましたが、本場のヌーヴェルヴァーグと違い、党派性
や協調性に乏しく、閉塞性を打破し、新しい何かを見出そうとした彼らの姿勢に対し「ヌーヴェルヴァーグ」と呼
ばれたに過ぎないと言われたようですが、どちらにしても大島渚が退社した事により、僅か1年で終りました。
12月21日(水)
昨日も今日も穏やかな日になり、家内は今年最後のお茶の稽古と日本画同好会で午前9時過ぎに元気よく出か
けて行きました。私は午前10時前に「草野外科」に行き、患部の消毒と絆創膏の張替をしましたが、分泌液はほと
んど出なくなりましたが、まだ、通院する必要がありそうです。
午後から中部大学の「伝統芸能論」(永田典子教授)の講義に出ましたが、教授が今日は二十四節季の”冬至”な
ので、冬にちなんだ冬祭りの代表的な北設楽郡東栄町の「花まつり」の様子をビデオで見せてくれました。
北設楽群の「花まつり」の事は新聞記事で見た事はありますが、内容については知りませんでしたが、霜月神楽
という神事芸能の系統で700年前から続いているそうです。12月から1月にかけて徹夜で行われるもので、花宿
に選ばれた民家や神社の庭に竈(かまど)を設け、湯釜を据え、上に天蓋をかけ、湯釜の周りで舞を行い、山見鬼
、榊鬼が大きな鬼の面を被り、手に大鉞を持って色々な舞を舞い、釜の中のお湯を民衆にかける”湯立神事”を行
って、最後に茂吉鬼が踊って神様を鎮めて終わるそうですが、祭のメインは最も重要な”榊鬼”による反閇(へん
ばい)という足踏みで、悪霊を払い、五穀豊穣をもたらすと言われています。
    
この祭りの大きな特徴は全部を地元の人達が運営しして行う事ですが、今では全国的にもファンが増えて見学
者も多いそうですが、見に行く人は真冬の夜を徹しての祭りなので、完全な防寒対策をして行かなければ、風邪
をひくと永田教授が言ってました。
大学から帰って、暖かさに釣られて、「落合公園」にウオーキングに行きましたが、1時間程歩いて帰って来た時に
は汗びっしょりで久し振りに気持の良い汗を掻きました。
12月19日(月)
昨日よりも更に暖かい気持の良い日になりました。家内はいつも様に義母の所に出かける用意をしていましたが
、私は午前9時過ぎに「草野外科」に行き、診察を受けましたが、分泌液も血もは減って来ていますが、血液サラ
サラの薬のせいで、血も僅かに出ていますが、薬は飲んでも差し支えないと言われました。予備の絆創膏を貰っ
て、明後日にまた来なければならないそうです。普通なら1回か2回で終わるはずですが、患部が大きいのと薬
のせいで余分に診察に来なければならないようです。帰りにかかりつけ医の「東野内科クリニック」に寄って、K
先生の診察を受けて常用薬を貰って帰って来ましたが、K先生も80歳になり、腸閉塞手術の影響もあって、3月で
病院を閉めるという事を考えているようなので、私も新しいかかりつけ医を探さなければと思っています。
夕方、家内が義母の所から帰って来て、今日は義母がしっかりしていて、家内が話しかけると目で反応し、家内が
誰か分かると聞くと「mikako」と家内の名前を言ったので、まだ大丈夫そうと嬉しそうに話していました。先々週
施設の先生からカリウム不足で脳の働きが弱ってるかもしれないと、薬を処方された効果が出て来たのか、偶然
なのか分かりませんが、家内にしたら自分を分かってくれた事は嬉しかったと思います。
12月18日(日)
今朝も寒いと思いましたが、それでも、1℃で零下になっていなくて、日中は風も穏やかで、午前中に団地内をウ
オーキングをしていると、30分もすると汗ばむような日でした。
 家内は「誠武館」の稽古納めなので、午前9時過ぎに出かけて行きま
したが、稽古が終わってから、お昼に炊き込みご飯と豚汁を子供達と
一緒に食べて、お土産に次男が懐かしがると炊き込みご飯を持って
帰って来ました。
午後から家内の買い物に付き合って、一緒に清水屋に行きましたが、
途中、シミ取り治療した患部の絆創膏が剝がれそうになって来たの
で、家に帰ってから、病院で貰った絆創膏を家内に貼り直してもらう
時に初めて照射した患部の痕の様子を見ましたが、治療直後に見た
痕と大して変わってないように見えました。今後、カサブタが出来て、それが剥がれて3ヶ月~6ヶ月で綺麗にな
るそうですから、今後の変化に注目したいと思っています。
家内は午後6時からI.F市長の地元後援会の忘年会がグリーンパレスであるので、出かけましたが、今日は4年前
に脳梗塞で倒れ、右半身がマヒして不自由ながら、何とか歩けるようになったT.Mさんが出席したいと言ったの
で、女性の出席者が増えるからと、自分が迎えに行って、会場に連れて行き、面倒をみてあげると言ってました
が、私はそういう事が普通にできる家内は大したものだと思います。
12月17日(土)
明け方、目が覚めたら首筋に血が付いていたので、慌てて洗面所で鏡を見たら、昨日、”炭酸ガスレーザー治療”
で照射した患部の絆創膏から血混じりの液体があふれ出ていたのでティッシュで拭き取りました。血液サラサラ
の薬を飲んでいたので、治療4日前から服用はやめていたのですが、やはり、血が止まりにくいせいか、誰でも
そうなるのか分かりませんが、早く止まってほしいと思いだすと、寝られなくなり午前5時に起きました。
 今日は「朝日チャリティ」と「東海テレビ愛の鈴チャリティ」が同じ名
古屋丸栄8階大催事場で行われるので、午前8時半に家を出て、N夫妻
を迎えに行って一諸にチャリティ会場に向いました。
午前9時半頃に着くと、85番の札を貰いましたが、30年位前に200人
以上の人が来て、大混雑をしていた頃とは違って、皆さん、静かに順
番を待って午前10時に入場する時も走る人も無く入場していました。
家内が「朝日チャリティ」の方に行ったので、私は「愛の鈴チャリティ」
の方に行きましたが、最近は目的の人や作品がある訳ではなく、ざっ
と見てから、「朝日チャリティ」の方に行くと、家内は和田一人の”色絵干支酉”を持っていました。
 その作品を私が買う事にして、家内は「愛の鈴チャリティ」の会場を
見に行き、服部余志子の”銀製チョーカ”を買っていました。N夫妻も実
用品を買うと言いながら、6号の絵と版画2枚1組と奥様が気に入った
湯呑を買われたようでした。最後に家内と2人でもう一度会場を見て
いたら、家内が作家名を見ずに”常滑焼の酒器セット”を気に入り、私
も形が面白いと思ったので追加で購入しました。
N夫妻が入場前に並んでいる時に丸栄の古美術売り場で幕末の伊万
里の中鉢8枚を一目見て気に入り、予約をしておいて、N夫人が品物
を取り行く時に一緒に行った家内が大正か昭和前期の”九谷の湯呑5客”をどうかと言って来たので、見に行くと
、私も値段も安くて良いと思ったのでその場で購入しました。
   
私は午前中に「草野外科」に診察に行かなければならないので、午前11時に丸栄を出て、午前11時半過ぎに「草
野外科」で車を降り、N夫妻は家内が送って行って、もう一度、病院まで迎えに来てもらう事にしました。先生の診
察では予想通りのようで、絆創膏を張ったままでは、液は直ぐには止まらないので、明日、自分で張り直す絆創
膏もくれました。空気に触れた方が乾燥して止まると思うのですが、患部が感染して炎症を起こす事が良くない
ので、月曜日までは貼っておかなくてはならなようです。
12月16日(金)
今日は「南部中国語同好会」があるので、午前9時半過ぎに家を出て「南部ふれあいセンター」に出かけました。
午前11時30分に同好会が終わった後で、会長のS.Hさんから来年の3月で同好会を解散すると話があり、意外だ
と思いましたが、理由も言わなかったので、敢えて、誰も聞きませんでした。
私自身もS.Hさんから「ボツボツ終わりになりそうです。」と以前に聞いていたので、10年目の区切りで丁度良い
時かもしれないと思っていました。O.M先生も他の事もやっていて、忙しくなっているので、どうしても同好会を
続けたいという事もなさそうでした。取り敢えず、残り3ヶ月を頑張ってやろうと思っています。
お昼を食べて、午後は「坂下パソコン同好会」に行き、家に帰って、一休みしてから髭剃りをして、顔を洗って、午
後6時30分に予約してある「草野外科」に行きました。
受付をして間もなく呼ばれ、先生から簡単な説明を受け、ベッドに横たわって、右頬を上に向けて、両目を覆い、
患部にのシミの部分に麻酔注射をした後、”炭酸ガスレーザー治療”が始まったらしく、チリチリという感じがして
皮膚が焼ける様な臭いがしてきました。少し焼くと看護師さんが焼けた部分を拭きとり、また、レーザー照射で焼
くという治療を何度か繰り返して5分程で終了しました。終わった後で看護師さんが手鏡で照射した部分を見せ
てくれましたが、カサブタが剥がれた後のピンク色になったような患部が見えました。
10分程、横になって治療痕から出て来る血やリンパ液を何度かふき取ってから、大きな絆創膏を貼ってくれまし
たが、先生から液体は直ぐに止まらないので、絆創膏から出て来る液体は拭き取ってくださいと言われました。
今回、私が受けた”シミ取り”は、去年、家内が受けたシミ取りとは違って、あくまで医療行為の治療で、家内の受
けた美容的なものとは違っていた事がハッキリ分かりました。家内は1回1万円で5回受け、私は1割負担で今日の
治療代は1,920円でした。いずれにしても、半年後はどういう結果になっているか楽しみにしたいと思います。
12月15日(木)
朝の気温は0℃でしたが、昨日ほど風が強くなかったので、午前中、家内が健康体操に出かけた後、久し振りにウ
オーキングで潮見坂公園を歩きましたが、最後には汗ばんでくる感じでした。
 午後から3週間ぶりに中大学の「映画研究」(小川順子准教授)の講議
に出席しましたが、今日は1960年代の映画という事で「少年」(1969
年:大島渚監督)ちう映画の前半を見ましたが、この映画は1966年に
10歳の子供に”当たり屋”をやらせて大阪で逮捕された夫婦を題材に
して作った映画で、当時、話題になったらしいのですが、私は社会に
問題を提起するような映画は、あまり、好きじゃあないので全く知り
ませんでした。
映画産業は1958年に年間観客動員数が11億2745万人でピークを迎
えましたが、テレビが普及しだした5年後の1963年には5億1112万と半減して、斜陽産業になり始め、この為、映
画の傾向も暴力(やくざ映画)やエロスを描く方に行き始めます。
 「少年」の前半は妻が車に当たり、夫が示談金をせしめていた夫婦が
、その内、”少年”(坊主・坊やと呼ばれ、名前はない)を使って、車に当
たり、夫婦が示談でお金を稼ぎ、全国を転々としていくのですが、少
年の独り言が入ったり、父親や継母との会話はありますが、少年の心
の内が読めないので、画面にアップされる少年の目や表表情を見て
いると、こちらの心が痛みます。
今日は相手の運転手が警察に事故の検証をしてもらうシーンで終わ
りましたが、父親が警察に前科がある事が分かるとヤバいと逃げ出
すシーンで終わりましたが、最後に少年や一家がどうなるのか気になりましたが、ネットで調べるより、来週の講
議で後半を見るのを楽しみにしたいと思います。
12月14日(水)
朝方、雨は止んで天気は回復していましたが、冷たい風が強くて体感温度はかなり寒く感じる日でした。家内は
今日はお茶の稽古の日ですが、終わってから忘年会があり、お酒を飲むU.Tさんを迎えに行く為に午前9時前に
先日、取り寄せた「落雁諸江屋」の”福徳せんべい”を持って出かけて行きました。
私はここ2,3日腰の調子が悪いので「皿貝接骨院」に行き、腰の牽引と電気治療を受けました。帰りに「B&D」で
黒酢と正月用のアイスクリームを買い、「カーマ」で0.23mmの厚みあるゴミ袋を買いました。
午後から中部大学の「伝統芸能論」(永田典子教授)の講義に出席しましたが、今日は現代の盆踊りの基盤になっ
たと考えられている”念仏踊り”について聞きました。”念仏踊り”は平安時代に空也上人によって始めら、盂蘭盆
や仏事に際して、念仏や和讃を唱えながら鉦や太鼓を打ち鳴らして踊る宗教的行事だったそうです。中世にな
ると一遍上人らによって全国的に広められ、室町時代になると盆の行事として風流化(ふりゅうか)し、その性格
も亡魂の成仏供養、疫病退散、雨乞い、虫送りなど利益信仰と結びついた民間の年中行事として展開するように
なったそうです。その後、代表的な京都空也堂での念仏踊りをビデオで見ましたが、僧がみんなで”念仏踊り”を
している様子は興味深い物でした。
    
もう一つ見たのは秋田の「西馬音内盆踊り」ですが、こちらは「国重要無形文化財」に指定されているそうです
が、”亡者踊り”とも言われているように踊り子の一部は”彦三頭巾”という黒布の頭巾を頭から被り、亡き人への
供養を表しています。先生の話では日本全国、色々な盆踊りがあり、それぞれが何かを意味している踊りなので
興味のある人は現地へ行って踊りを体験してほしいと言ってました。
午後3時過ぎに講義が終わって家に帰ると、間もなく、家内が帰って来て、”福徳せんべい”はみんなに大好評だ
ったと、嬉しそうに話していましたが、他人が喜ぶのを自分の喜びと出来る家内は本当に凄いと思います。
12月13日(火)
朝から一日中雨の降り続く肌寒い日になりました。家内は午前9時半過ぎに「誠武館婦人剣道」の稽古に出かけ
たので、私は金曜日にある「南部中国語同好会」の予習を少しやりましたが、今の教科書と言うか参考書は初級
の時は易しかったのですが、中級になってからは辞書を引いて予習しないと、読めなかったり意味が分からない
所が多いので、少し時間がある時に本を開いてやる事にしています。
ただ、教科書の内容が最近の中国の事情とか、昔からの中国の歴史や習慣などについて書いてあるので、読ん
でいても興味深く、結構、楽しく勉強できるのが良い所です。
午後から家内と一緒に買い物に行きましたが、毎週火曜日は今までなら、家内は午後3時過ぎに家に帰ってから
H接骨院に整体に行ってましたが、昨日、接骨院から連絡が入り、当分の間、休院にしますとの事でした。
実は昨日、家内の友人のN.MさんからF.H院長が急性の難病で入院する事になったらしいと聞いていたので、家
内にしたら、やっぱりと言う感じですが、私も一時はお世話になっていた関係で、早く良くなって、もう一度、元
気に開院してほしいと願うばかりです。
サラリーマンと違ってこういう個人でやっている医院や接骨院は先生が病気になったり、事故に遭ったりすると
、たちまち、休業しなければならないので、残された家族や従業員は途方に暮れてしまうと思います。病気や事
故の完治や回復期間がはっきりしている場合はまだ良いと思いますが、何時直るか分からない時や後遺症が残
ったりする可能性があれば、なおさら不安になると思います。今回の場合の詳細は分かりませんが、F.H院長の1
日も早い退院を祈りたいと思います。
12月12日(月)
家内はいつものように義母の所に出かけましたが、先週、義兄と義妹と一緒に施設の担当医から3人に話がある
と言われていたので、義母の検査結果で異状があったと覚悟して先生の話を聞いた所、特に異常があった訳で
はなく、先生から見ても、ここ2,3ヶ月前から反応が急に弱くなっているので、直ぐに何かが起こる事はないが、
先にいってどうするかを3人でよく相談して、考えをまとめておくように言われたそうです。
3人は基本的には自然に任せて、特に延命措置をするとか、手術をして本人が苦しむことはせずに先生の考えで
やって頂きたいとお願いしたそうですが、私もそれで良いと思っていました。今日は先週、先生がカリウム不足
で義母の反応が弱くなっているかもしれないから、少しカリウムを補充してみましょうと言ってたので、義母が少
しでも元気になっていると良いと言いながら出かけて行きました。
家内が出がけに「青山皮膚科に行ってみたら」と言ったので、午前10時過ぎに「青山皮膚科」に行きました。と言
うのは、以前から顔の右頬に大きなシミがあり、男だから大して気にもしていなかったのですが、ここ数年前か
ら黒さが目立って来たので、何とかならないかと思っていたら、去年、家内が「青山皮膚科」でシミ取りをしたら
、目立たなくなったので、私にも行って見たらと勧めていたのです。
受付で”顔のシミ取り”を相談したいと言うと、担当の看護師さんから色々質問やアドバイスをされ、先生の診察
を受けたら、先生から厚みがあるので、切り取るとケロイドになったり、傷跡が紅くなるかもしれないと言われた
ので、完全に取らなくてもシミが薄くなれば良いと言ったら、それなら、外科で”炭酸ガスレーザー治療”でやっ
てもらいましょうと言って、父親の「草野外科」に回してくれました。この治療は炭酸ガスレーザー照射により瞬
間的に皮膚表面を蒸散させ、隆起性病変を除去する治療法で病状によっては2回になる事もあるようです。
改めて、”草野先生”の診察と説明を受けて、16日(金)午後6時30分の”炭酸ガスレーザー治療”を予約して帰っ
て来ました。
午後6時から昔のソフトボール仲間の「ビッグフォース」の忘年会がまごころ厨房&BAR「V-HANDS」であったの
で参加しました。ゴルフコンペに参加する人は年に何度か顔を合わせる機会があるのですが、それ以外の人は忘
年会の時しか会えないので、近況を聞くのが恒例になっていますが、それぞれ、色々、頑張っていると思いまし
た。来年80歳になるW.Kさんは5人で音楽ボランティアグループを作って、老人ホームなどの施設を慰問してい
るそうです。元高校教師のY.Kさんは98歳と89歳のご両親が鳥取県で暮らしているのですが、生活するのが困
難になり、老人介護施設に入所させる為に、毎週、車で帰郷し、何とか2人が同じ施設に入所できて、ホッとした
所だと話していました。他にもC.Hさんは娘さんが41歳で4人目のお産をして、奥さんがそちらに手伝いに行って
いる間、単身生活をしていて奥さんの有難味が分かったとか、66歳になったI.Tさんは12月から民生委員になり、
皆さんの協力をお願いしたいと言ってましたが、私はこちらの方がお世話になりますと言いたいですし、頑張っ
て下さいと応援したい気持ちになりました。
いろいろと話している内に午後8時過ぎになり、お開きの時間になったので、来年も元気に会える事を楽しみに
して、送迎バスに乗りましたが、この会で亡くなったのは13年前に61歳で肺がんで亡くなったN.Tさんだけですか
ら、まだまだ、元気な人が多くて心強い気がしました。
12月11日(日)
今朝は寒いなと思って我が家の温度計を見たら、今年の冬になって初めて-1℃を指していました。しかし、日中
は日差しが強くて暖かく感じ、家内が庭仕事をしていても寒さは感じないと言ってました。
 午後2時頃に宅配便が来て、家内に頼まれて注文してあった「落雁
諸江屋」の”福徳せんべい”が届きました。何かの雑誌に出ていて、
煎餅皮の中に入っているいろいろな土人形や金華糖人形が可愛
いかったのを家内が見て、私に見せたので、調べたら金沢市の「落
雁諸江屋」が正月用に12月から1月にかけてのみ販売する事が分
かったので、先日、注文して今日届いたものです。
元は12代藩主前田斉広公の文化6年(1809)、金沢城二の丸御殿完
成記念の祝賀用に創案された菓子で、明治以降、正月菓子として
金沢の菓子屋がこぞって売り出しましたが、今では「落雁諸江屋」だけが作っているそうです。お目出度い福俵
・打出の小槌・砂金袋をかたどった煎餅皮を焼き、中に金沢の婚礼調度に用いられる土人形や金花糖の人形を入
れてあるのが妙味で、買った人や貰った人の楽しみになっているようです。
と言っても、取り寄せた”福徳せんべい”が私の手に入るわけではなく、家内がお茶の先生や稽古仲間にこんな
おもしろい物がありますよと見せて、1つずつプレゼントする為に次回の稽古の時に持って行く積りなので、私は
届いた煎餅皮の風袋とHPの写真で見るだけになりそうです。
12月10日(土)
今日は朝は3℃と昨日と同じでしたが、日中は冷たい風が吹く寒い日になりました。午前9時にいつものモスバー
ガーの店に行き、お馴染の皆さんと今年のゴルフの反省をしましたが、お互い歳を重ねて行きますが、元気でゴ
ルフが出来る事が一番と言いながら、少しでもスコアを出す為にクラブも新しく買おうかどうか迷っている人も
いるし、打ち方を少し変えているから来年はもう少し飛ぶようになると言ってるのは、まだまだ、向上心があり、
気持ちは若いという証拠かもしれません。
午前10時前に皆さんと分かれて、かかりつけの「皿貝接骨院」に行き、腰の治療をしてから家に帰りました。最近
、腰よりも右の股関節が気になるので、一度、MRIで調べてから治療を考えなければと思っていますが、今の所、
歩くのは差し障りがないので、もう少し様子をみようかどうか迷っています。
夕方、5時過ぎに家内は春日井剣道連盟の忘年会があるので出かけて行きましたが、私が午後6時から団地の安
全協議会の役員会があるので集会所に行き、役員会終了後は夜間パトロールをしました。最近、私は拍子木の係
になっているので、今日の寒さは手袋をしていても手がかじかんで、終わった後は感覚が無くなっていました。
12月8日(木)
今朝も昨日ほどではありませんが、3℃と少し冷え込みましたが、風が弱く、そんなに寒さは感じませんでした。
午前10時から「東部中国語同好会」があるので、ゴミ出しをして、午前9時半に家を出て東部公民館に行きました
が、今日は終わってから忘年会があるので、全員といっても6名ですが皆さん出席でした。
午前11時半に終わってから、毎年、お邪魔しているアピタ南館地下1階のそば処「木曽駒」に行きました。この店は
値段も安く、ゆっくり出来るので、ここ5,6年は毎年来て、「木曽駒定食」(蕎麦・刺身・天ぷら・ご飯・フルーツ・デザ
ート)1,100円を食べて、今年1年の反省とかお互いの近況を話すのが恒例になっています。
今日も午後2時近くまで話していたので、午後からの中部大学の「映画研究」を欠席する事になりましたが、その
分、皆さんの話を聞けて良かったなと思いました。
12月7日(水)
朝起きて新聞を取りに行った時、温度計を見ると0℃だったので、今年の冬で一番の寒さになったと思いました。
家内は午前9時過ぎに出かけ、今日は一日中フルタイムの稽古日なので、私は午前中はゆっくり過ごし、午後は
中部大学の「伝統芸能論」(永田典子教授)の講義に出席しました。
 今日は先週の”萬歳”に続き、”絵解き”について学びました。”絵解き”
が芸能になるのかと思いましたが、元は僧が説経で因果応報とか輪
廻転生等の話をしていたのが基らしいのですが、これは、奈良時代の
行基さんの行いを平安時代に民間布教僧(私度僧:個人で得度した僧
、説経僧)が絵巻物などで説経したのが始まりとの事でした。
今日講義では和歌山で開かれた「絵解きサミット」で”安珍の清姫”の
「道成寺縁起」を絵解きをしている道成寺副住職小野俊成(しゅんじょ
う)さんの動画を見ました。”安珍の清姫”の物語は修行僧安珍に恋を
した清姫が裏切られた安珍を追いかけて道成寺に行き、安珍が逃げ込んだ道成寺の梵鐘を一緒に焼き尽して殺
してしまうという内容です。
昔から能、歌舞 伎、浄瑠璃、舞踊などの演目となって、今でも色々な所で演じられているそうですが、今日見た
動画も小野俊成副住職が絵巻物を見ながら話していますが、所々はユーモアを交えながら現代風にアレンジし
て聞く人を惹きつける話術を駆使して話すのは、今の落語の原型になっているそうですから、芸能という事にな
るのでしょう。
午後3時前に講義が終わったので、大急ぎで家に帰り、水着を持って市民プールに行きました。プールが今週いっ
ぱいで終わり、1月23日まで補修や手入れで休むので、行ける時に行こうと思って行きました。
12月6日(火)
家内の定期検診で愛知医大に行きましたが、前回は一緒に行けなかったので4ヶ月ぶりという事になりますが、
特に変わりなく、先生も変わった事が無ければ、いつも通りでと2ヶ月後の予約をして、帰りにお昼を久し振りに
「季節のキッチン」(尾張旭市南栄町)に行って食べました。
 この店は単品の料理に野菜・前菜ビュッフェとフリードリンクで1,290
円が基本でプラス100円でデザート、プラス200円でデザートとフル
ーツが付くようになっています。私達はランチの”鶏と小松菜となめ
このちょっぴり辛めのパスタ”と野菜・前菜ビュッフェとフリードリンク
1,290円のコースを注文しましたが、今日は他にスープや味付けご飯
もあり、お得感は十分だと思いました。前菜と言っても、かき揚げ天
ぷらやごぼうサラダ、春雨サラダなど和洋折衷の総菜があり、6種
類が盛り付けられる皿を貰って、それに自分の好きな総菜を盛って
食べるのですが、お代わりも自由ですから色々な種類の総菜を楽しめます。私も家内も少しずつだからと思って
食べている内におなかがいっぱいになっていました。
 今日は「桃球会」メンバーの忘年会が午後5時30分から「鈴のれん」
であり、迎えのバスが午後5時に来るので、15分前に近くのK.Kさんと
一緒に待ち合わせ場所まで行きました。既に何人かのメンバーが乗っ
ていましたが、参加者を聞くと、最近のコンペと同じで、当初の予定
は24、5人でしたが、最終的には20人になったそうです。
送迎バスは春日井駅方面を回って2人を乗せて午後5時30分前に店
に着きました。今日は5,500円の会費でしゃぶしゃぶと選べる1品料理
食べ放題・飲み放題のコースですと幹事のE.Sさんから報告があり、
続いてO.N会長の1年の総括と乾杯の音頭で忘年会が始まりました。
平均年齢75歳になろうかというメンバーですが、皆さん、気持だけはいつまでも若くと思う分、大いに飲み、食
べ、話した90分はあっという間に過ぎた感じで、午後7時過ぎに締めのうどん屋やご飯を食べて会はお開きにな
りましたが、今日の出席者が来年も一人も欠けることなく会に出席できる事を願って家路につきました。
12月5日(月)
今日は午前8時40分から胃カメラの検査を受ける為に20分前に家を出て、「アベクリニック」に行きました。去年
まではかかりつけ医の「東野内科クリニック」で健康診断を受けていたのですが、K.M先生が体調の関係で胃カ
メラは出来なくなり、紹介されたのが「アベクリニック」です。
ここの医院はカメラを鼻から入れる方法で検査するから楽ですよと言われていたので、
どんなやり方なのか興味がありました。最初に両方の鼻の穴にスプレーをして、出て来る
鼻汁はティッシュで拭き、喉に行った唾や鼻汁は飲み込まずにカップに吐き出すように言
われ、5分ほどして、次に鼻の穴の麻酔をする為にジュレを入れ、同じように垂れる物は拭
き、喉に行ったものは飲み込まずに吐き出す事を2回繰り返すのですが、これが意外と大
変でした。これが終わって、胃を綺麗にする液体をカップ1杯飲んでから、体をゆっくり3回
転させて、胃の隅々まででいきわたらせます。
それが終わってから、検査室に入り、台の上に乗って、胃の動きを押える静脈注射をする
と、準備完了で先生を待ちます。私の場合は15分ほど待たされましたが、先生が入って来て、簡単な質問をされ、
カメラを鼻から入れ始めましたが、私の場合は左の鼻の穴が小さいので、右の鼻の穴から入れましたが、口から
られるより楽だったのは確かだと思いました。
阿部先生は50歳位でカメラを入れてからはモニターを見ながら、丁寧に分かりやすく説明しながら、喉から食
道、胃、十二指腸を映し出して、ピロリ菌の検査をやるからと、組織採取もやってくれて、信頼できる内視鏡専門
医だと思いました。終わってからの説明も小さな内蔵図を見せて、チェックした所に印をつけながら話してくれ
たので良く分かりました。結論としては特に異常は無いが、十二指腸の乳頭が少し大きいので経過観察して、大
きさが変わらなければ良いと言われました。
検査が終わっても1時間位は食事も出来ないので、どうせならと思い、春日井警察署に免許証の更新に行きまし
た。午前11時頃に着いて、2階の受け付けに行くと大勢の人が来ていたので、出直そうかと迷いましたが、せっか
く来たからと思い、番号カードを取って待つ事にしました。
15分程待って、更新申込書類を貰い、必要事項を記入し、高齢者講習修了証明書と免許証を
添えて書類ボックスに置いて待つ事10分で視力検査を行い、理由は分かりませんが、暗証番
号を登録してから、更新手数料2,500円を払ってから待っていると、5分程で呼ばれ、免許証
用の写真撮影があり、更新手続きが全て終了したので時計を見ると午前11時半過ぎでした。
横の講習室に”次の講習は午後12時から”と書いてあったので、免許証を貰えるのは何時頃
になるかなと思っていたら、5分もしない内に名前を呼ばれ、免許証を渡されました。
免許証を貰って時計を見ると午前11時40分だったので、実質的には1時間も掛からなくて免
許更新が出来ました。
ゴールド免許だったからか、高齢者講習終了証明書があったからか分かりませんが、更新時の簡単な講習や小冊
子の配布も無かったのは理由は分かりませんが、私達にすると時間の無駄がなくなって良いと思いました。
12月4日(日)
午前中は晴れて暖かい日になったので、久し振りに庭を見ると、マンリョウの実が真っ赤になり、白のクレマチス
が季節外れの花をまだ咲かせていましたが、3つだけ実を付けたレモンは少しだけ黄色味を帯びてきました。家
内が年を越した鉢植えのシャコバサボテンが花を咲かせたと喜んでいるので見ると、いっぱい付けた白い蕾が
次々と咲きそうな感じでした。
   
家内は朝から何かの仕込みをしているので、何事かと思ったら、今晩、「誠武館」の忘年会が「西山ふれあいセン
ター」であるので、差し入れの出汁巻と鶏団子とかぶらの鍋をする積りで下ごしらえをしていました。
何時もの事ですが、こういう行事があると、みんなが喜んでくれるからと、頭を悩ませながら料理を考えて、持
って行きますが、本当によくやっていると感心します。夕方からは小雨の降りだしましたが、他の人を乗せて行き
、準備もあるからと、午後6時からの忘年会ですが、午後5時には出かけて行きました。
12月3日(土)
朝は少し寒かったのですが、これが平年並みのようで、午前9時頃にお茶を飲みにモスバーガーの店に行く時に
は暖かく感じるくらいに気温は上がっていました。店ではいつも様にゴルフ談議があって、今、バハマで開催中
の「ヒーロー・ワールドチャレンジ」に1年半ぶりに出場している”タイガーウッズ”はさすがだとか、トップタイにい
る”松山英樹”がまた優勝するかもしれないという話題がでたり、「日本シリーズJTカップ」で賞金王が決まりま
すが、こちらは”池田勇太”で決まりだろうという話で盛り上がりました。
1時間程で切り上げ、私は腰と足の疲れをとるために「皿貝接骨院」に行って、電気と腰の牽引、マッサージを受
けましたが、いつもと同じ170円払って帰って来ましたが、本当に有難いと思います。
12月2日(金)
第1金曜日なので、午前中は「南部中国語同好会」、午後からは「坂下パソコン同好会」ですが、今日は「中国語
同好会」の終わった後で昼食会があったので、午前11時30分前に終わって、お好み焼き「六三」に行きました。
この店はいつもいっぱいで、予約も出来ないので、今日も早めに会長のS.Hさんが席取り
に行って、場所を確保してくれましたが、駐車場の方は私は何とか停められましたが、後
の人は隣のショッピングセンターの駐車場に入れていました。
私の午後1時30分からのパソコン同好会は坂下公民館まで走るので、S.H会長が先に”ミ
ックスお好み焼きセット”(お好み焼き・サラダ・天むす・みそ汁・コーヒー)を注文してくれて
いました。後から来た人達も同じメニューにしたようですが、これで1,100円ですが、サー
ビス券を使えば100円引きになり、これで1,000円はかなりお得感があります。
この店は何故か私達が自分で焼いてもおいしく焼けるので、いつも、自分達の好きなよう
に焼くのですが、鉄板が良いのか、材料が良いのか分かりませんが、食べると本当に美味しいお好み焼きになっ
ているのが不思議です。
食事会の間も中国の話で盛り上がりましたが、私は午後1時前に先に失礼して「坂下パソコン同好会」に向かいま
したが、今日は信号が上手く味方をしてくれたので、10分前には坂下公民館に着きました。こちらの方は今年も
あと2回という事でクリスマスカードを作りましたが、私は、元々、デザインを考えたり、絵を描いたりする事が苦
手なので、先生の教えてくれた事は出来ますが、自分で考えて作るのが出来るかどうか自信はありませんが、
パソコンを使って簡単にクリスマスカードや年賀状が作れるのは良いと思います。
午後3時過ぎにパソコン教室から帰って、午後4時過ぎからプールに行きましたが、昨日のゴルフの疲れが残って
いるのか、泳いでいても、歩いても足が直ぐに疲れて来るような感じでした。無理をして何かあったらいけない
と思い、軽めにした積りですが、家に帰っても足が張った感じがしました。
12月1日(木)
1年経つのは早いもので、この間、お盆が過ぎたと思ったら、もう、今日から12月ですから、一日一日が本当に早
く過ぎて行くような感じです。朝からどんよりした曇りですが、気温は思ったより寒く感じない日になりました。
今日は今年最後のゴルフでToa道路の中部と関西の有志のゴルフコンペが「鈴鹿カントリークラブ」であるので、
午前6時に家を出てゴルフ場に向かいました。名2環で途中まで行くと、伊勢湾岸道路の飛島ICから湾岸長島IC間
が工事中で10kmの渋滞で通過に60分掛かると出ていたので、急遽、名古屋南JCTから名古屋高速道路に入り、
名古屋西IC経由で行く事にしました。東名阪道に入ってからも車の量が多くて心配でしたが、その後は事故も渋
滞も無かったので何とか集合時間の午前7時45分には間に合いました。
 天気予報では曇りで小雨も降るかも知れないと思っていましたが、
風も吹かず、雨も降らず、気温も高めで寒さも感じない、この時期と
しては絶好のゴルフ日和になりました。
但し、スコアの方は中コース1番スタートのロングホールでいきなり、ト
リプルボギーの8を叩き、2番でダブルボギー、3番でボギー、4番でま
たダブルボギーと最悪のスタートでしたが、5番以降で頑張って、ア
ウトは何とか48でしたが、インに入っても10番スタートからダボ、ボ
ギー、トリプル、トリプルと立ち直れないままに50も叩いて、トータル
98という結果になりました。
成績の方は参加者全員が良くなかったせいもあり、ダブルペリアのハンデキャップが22.8でネット75.2の私が
優勝しましたが、ダブルペリアで優勝したのはいつの事になるのか、忘れるくらい久し振りの優勝でした。
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