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 4月29日(月)
昭和の日
  今日は祝日ですが、月曜日なので家内はいつものように義母の所に出かけて行きました。出かける前
  はいつも
「今日の調子はどうかなあ?」と言いながら出かけて行き、帰って来た時にはガッカリした
  り、喜んだりと色々ですが、今日は夕方帰って来た時に元気だったので、私が
「どうだった」と聞くと、
  今日は最初少し体調が悪かったのが、途中から元気になって、家内や義妹の事を心配する余裕さえ
  あったようです。
  こういう元気な姿を見ると娘としては嬉しいようで、家内も笑顔で元気に帰ってきますが、義母が調
  子が悪くて、笑い顔一つしない時には疲れ果てて帰って来るので、待っている私も可哀そうになるの
  で、介護に関わっている人達は自分が世話をしている人が笑顔になってくれる事が、自分達にも力に
  なっているんだろうなと思います。


 4月28日(

  昨日からゴールデンウイークが始まり、前半初日の昨日の朝はあちこちで渋滞のニュースが流れてい
  ましたが、今朝は比較的落ち着いているようでした。いずれにしても我が家は出かける予定が無いの
  で、午前中、風が少しありましたが、家内から言われていた庭の消毒をしました。
  今年はユキヤナギやボケの新芽にアブラムシが付いていないので安心していたら、オオデマリの葉
  が一部、丸裸になっているので何か害虫が付いているようですが、良く分からないので取り敢えず、
  
スミチオンオルトランを一緒に入れて消毒しました。
  家内が
オダマキの白が咲き、花筏は今年は2つしか花が付いていないし、貰ったネギを鉢に植えてお
  いたら
ネギ坊主が出来ているし、レモンの蕾と梅の実は沢山出来ているので写真に撮っておいてほ
  しいと庭の中を説明してくれたので、消毒をしながらそれらを眺めて確認ました。
  



 4月26日(金)
  家内はこの所、股関節と腰に違和感があり、今朝は朝一番の午前8時30分にS整体院の予約をしてあ
  ったので、朝食後、直ぐに出かけて行きました。
  1時間程で帰って来て、その後の予定が無かったので、招待券を貰っていた
”日中国交正常化40周年
  特別展
「中国 王朝の至宝」(4月24日〜6月23日:名古屋市博物館)と”名古屋市美術館開館25周年
  記念
「上村松園展」(4月20日〜6月2日):名古屋市美術館)に出かけました。
 午前中にまず
「中国 王朝の至宝」に行きましたが、始まったばかりのせいか、会
 場には中国の歴史に関心のある人達が数多く来ていました。今回は紀元前2000
 年頃から北宋・南宋までの約3300年間の歩みを6章に分けて約170点の中国の国
 家1級文物を中心に展示しています。
 中国ではここ数十年で各地で遺跡の発掘や発見があり、歴史の研究が飛躍的に
 進み、1つの王朝を中心に1元的に発展して来たと考えられていたのが、各地に複
 数の国や文化圏が同時に栄えたり、統一王朝でも都市によって性格が異なった
  りと多元的に歴史を紡ぎ続けて来た事が分かって来ました。
  今回の展示品でも私が中国で見た物と同じような物もいくつかありましたが、
  始めて見る物の方が多く、中でも2008年に南京市の
「長干寺」の地下から出土
  したばかりの
「阿育王塔」(あいくおうとう)は実に見事で塔を納めていた箱に
  は”大中祥符四”(1011年)の銘と
「真身舎利」(本物の釈迦の遺骨)を納めたと
  の記述があったそうです。何処から見ても、その大きさと精巧な造りは見事で
  
”仏塔の王様”と言われているのも納得出来ました。
  その他にも殷・紀元前13〜11世紀の青銅の「突目仮面」も突き出した大きな目と
  耳が異様で初めて見ましたし、夏・紀元前17〜16世紀の「動物文飾板」は青銅の板にトルコ石をはめ込
  んだ高度な細工で被葬者の左胸の位置にあったそうで特殊な身分を示す標識と考えられているよう
  です。3000年以上も前にこういった物を作る文化があった中国はやはり凄い国だと思います。

  午後12時半頃に会場を出て、お昼は去年結婚40周年で子供達にプレゼントされていたナゴヤキャッス
  ルホテルの食事券でランチビュッフェを食べました。
  昼食後、午後2時半に名古屋市美術館の「上村松園展」に行きました。こちらは博物館よりは更に多く
  の人達、それも女性が多く詰めかけて熱心に作品に見入っていました。

 
”上村松園”(明治8年:1875年〜昭和24年:1949年)は明治・大正・昭和の
 時代にかけて美人画の第1人者として数々の傑作を世に送り出し、その
 清らかで気品に満ちた美人画は今も人気の高い作家です。
 今回の展覧会では私も記憶にある
”花がたみ”や母を描いている”青眉”
 チケットに使われている”人生の花”やチラシの”花嫁”等が鑑賞に来た
 人達の足を止めていました。どの作品を見ても松園と分かる作ですが、
 それは数々の偏見や試練を乗り越える努力が松園独自の芸術を育み高
 めた結果だと思います。
  1時間程見て家に帰りましたが、家に着くと家内も私も疲れて横になり、この歳になると1日に2つの展
  覧会を見るのはきつくなったなと思いました。



 4月25日(木)
  昨日は一日中雨の降る肌寒い日でしたが、今日は朝から雲ひとつない天気で、外に居ると気持の良
  い日になりました。居間から見ると雨水をたっぷり吸った梅や槙も新緑に映え、山椒も葉が大きくなっ
  てきて、庭を回ると
仙台萩が黄色の花を咲かせオオデマリコデマリが白い花、オダマキが紫の花を
  咲かせ、
アマドコロが可憐な小さな花を吊り下げています。
  
  午前中、東部市民センターの中国語同好会に行き、前回休んだ分、宿題を頑張って発表し、午後からは
  中部大学の
「日中思想比較研究」(大澤肇講師)の講義に出席しました。今日も3年生の学生が本を読
  んで要約と自分の感想を述べていましたが、発表した学生は中国に留学したり、中国人の友人がいる
  せいか、日中関係に対してしっかり考えているようでした。
  彼らの話を聞くと中国の若い人の中にも
反日ではなく日中友好は大切だと考えている人はいるけれ
  ども、政府の方針が必ずしも彼らの考えている事とは同じではないので、慎重に行動しないといけな
  い言ってました。中国という国は民族の多さや国土の大きさと同じで一筋縄では行かないようです。



 4月23日(火)
  今日は日吉ハイランドゴルフ倶楽部の「さくら茶屋杯」があったので参加しました。天気が心配されま
  したが、朝から天気も良く、寒さも思ったほどでなくてコンディションとしては文句のない日でした。
 「さくら茶屋杯」と言う位ですから満開の桜のもとでプレ
 ー出来れば良かったのですが、ソメイヨシノは既に葉桜に
 なっていましたが、クラブハウス前にあるしだれ桜は今が
 満開と言ってもおかしくない花を咲かせていました。
 今年2回目のゴルフなので、前回よりはましなゴルフが出
 来ればと思っていましたが、思うようにいかず、ミドルホ
 ールでOB無しで8も叩いたり、出るはずの無いロングホ
  ールの2打目でOBを出したり、結局、
アウト48、イン47のトータル95という結果になりました。今の状
  態なら100を超えなければ良しとしなければいけないと思うのですが、何となく不満の残るラウンド
  でした。



 4月21日(

  午前10時から団地の「平成25年度安全協議会総会」があるので、役員は早目
  に行って会場の設営をする事になっているので午前9時に出かけました。午前
  10時からの総会は
D.N安全協会長の挨拶で始まり、来賓の春日井市役所の市民
  生活課や春日井警察署の幹部の挨拶の後、議事が始まり、第1号議案から第6
  号議案まで順調に承認され40分程で無事に終了しました。
  午前11時から記念講演として
伊藤太市長「我が師」(副題:対談集”我以外皆
  師”執筆のいきさつ)の講演がありました。
 
伊藤太市長のご家族(祖父、祖母、ご両親や妹さんに奥様)の話から始まり、
 優の奥田瑛二
との若い時の出会いから今日までの事、会社の先輩や同僚、後援
 会会長でもあり医師会会長でもあった
三輪先生等の話が出て来ましたが、私が
 興味深かったのは市長のおじいさんが子供(市長の父と叔父)の名前を”
(しの
 ぶ)”と”
(たゆる)”と付けているのですが、ある人が3人目が出来たら名前
 はと聞いたら”
(つとむ)”と付ける積りだったと言ったそうです。そこまで考
 えて子供の名前を付けるのは昔の人は偉かったと思いました。
  その他、清水屋の現会長や中央大学の後輩の相撲の
片男波親方との話もあり、1時間程で終了しまし
  たが、市長は会う人会う人が皆さん自分の知らない事を教えてくれる師匠だという事が言いたかっ
  たと思いました。私自身も自分の知らない事は何でも聞いておきたいと思っているのでその点では
  市長の考えと一緒だと思います。



 4月20日(土)
  朝5時半に目が覚めたので朝風呂に行きましたが、昨日とは違う浴場でしたが、露天風呂に行くと寒
  さが真冬のような感じで何時までも入っていたい感じでした。
  午前7時過ぎに朝食会場に行きましたが、既に大勢の人が食事に来ていました。メニューはそんなに
  多くはありませんが、味付けは良く、台湾からの団体ツアーの人達もおいしそうに食べていました。
 午前8時半にホテルを出て、昨日、この地域のガイドブック
 を見ていたら、寺社仏閣に国宝や重文の三重塔があるの
 で、最初に上田市の
「信濃国分寺三重塔」に行きました。
 ここの三重塔は室町中期の建立で国の重要文化財になっ
 ていますが、今日は4月28日から12年に一度の本尊秘仏
 の薬師如来の御開帳の準備で地元の信者の皆さんが忙
 しそうに働いていました。三重塔は平地に建っているせい
  か、やや小振りに見えましたが、上田盆地では最大の三重塔だという事ですが、これが重文?という
  感じの塔でしたがそれだけ境内に馴染んでいるのかもしれません。
  次に上田の古い町並みを通って青木村にある
「大法寺三重塔」に行きました。午前10時半に大法寺に
  着き、駐車場から上がって行くと
”見返りの塔”いう名で親しまれている三重塔が木立の中に見えて来
  ました。墨書によって正慶2年(1333年)の造営と言う事が分かっていて大阪四天王寺の大工の名前
  も書いてあったそうです。塔の側に墓地があり、少し上がると横から見えるので、いつもは見上げて
  見る塔を同じ目線で見るのも優雅さが分かり良いものでした。
 その後、近くの
道の駅「あおき」に寄り、家内はこごみ、シ
 ュンランの山菜やリンゴに花の鉢等を買い込んでから別所
 温泉に向かいました。別所温泉は名前は知っていました
 が、どんな所か知らなかったので
「常楽寺」「安楽寺」
 「北向観音」
が温泉街にある事は今回初めて知りました。  
 まず、「常楽寺」に行きましたが、私と家内が気に入ったの
 は
萱葺きの本堂で、雰囲気のある建物で見ていても飽き
  ない屋根でした。裏には重要文化財に指定されている
「石造多宝塔」がありますが、全国的に見ても
  石造の多宝塔は珍しく重要文化財になっているのは滋賀県とここしかないそうです。
 次に国宝の
「安楽寺八角三重塔」行きましたが、ここの三
 重塔は鎌倉時代末期に建立された事が近年分かったそう
 です。駐車場から急な階段を上がり、本堂の裏を登って行
 くと墓地もある所に4重の八角屋根の塔が見えて来ます
 が、一番下は裳階(もこし)と言われ庇の様なものでこれ
 も三重塔になるそうです。柿葺(こけらぶき)の八角の屋
 根は平成23年に60年振りに葺き替えたそうですが、その
  姿は本当に優雅で全国唯一の八角形の国宝の三重塔の価値は十分だと思えました。
  午後1時近くになっていたので常楽寺の近くの
手打蕎麦店「やぶ久」でお昼を食べましたが、家内の
  かけ蕎麦900円も私の天ざる1.680円も量も多くまずまずの蕎麦でした。
  午後1時半過ぎに店を出て、国道254号線で鹿教湯(かけゆ)温泉を通って松本
  の
「旧開智学校校舎」に寄りました。現在の校舎は明治9年に出来たそうです
  が、東京の開成学校を模したという八角塔がそびえ立ち、各窓にギアマンを取
  り付けた白亜の殿堂が出現し、当時の人々は新しい時代の夜明けを感じたと思
  います。中に入って驚いたのは高い天井と広い廊下ですが、昭和38年まで90
  年間も使われていたのですから、この学校の卒業生には忘れられない母校だ
  と思います。所和36年に近代の学校建築として最初に重要文化財に指定され
  たのは当然だと思いました。
 午後3時半過ぎに出て、松本ICから、直接、家に帰る積りで
 したが、しだれ桜で気になっていた中央道駒ヶ岳IC近くの
 
「光前寺」に寄る事にしました。私は名前が”光前寺のしだ
 れ桜”
なのでお寺の近くにある1本桜を想像していたので
 すが、光前寺に着いたらお寺の入口の所に何種類かの見
 事なしだれ桜が咲いていて、大きな1本桜でない事を初め
 て知りました。それより、家内と二人で驚いたのは
「光前
  寺」
が何とも雰囲気の良いお寺で樹齢数百年の大きな杉木立の中を通って三門まで行く参道に感動
  しました。境内には南信州唯一の三重塔や自由に突ける鐘楼があり、家内は帰りに鐘を突いて願い事
  をしていました。
  午後5時半に光前寺を出て、駒ヶ岳ICから中央道に乗り、午後7時に春日井の家に無事着きましたが、
  今回の旅行は
”おやき””野沢菜の春菜”を買う為の目的でしたが、予想外の観光(三重塔、旧開智学
  校、光前寺)を沢山したので家内も私も疲れがピークになりました。今後は年齢も考えてもっとゆった
  りした工程で行こうと思っています。



 4月19日(金)
  家内が”野沢菜の春菜””さかたのおやき”を買いたいと言っていたので1泊2日で出かける事にしま
  した。と言うのは
”野沢菜の春菜”は去年高山村(長野県)の五大桜を見に行った時に買って来て漬け
  て友達に上げたら、
「来年行ったらぜひ買って来てほしい。」と頼まれたのと、自分でもおいしいと思
  ったので、今年はもっと沢山買って来て皆さんに差し上げたいと思っていたのと、
”さかたのおやき”
  
はお茶の先生から稽古の時に1つ頂いて食べたらおいしかったので、信州に行くなら、お店に行って子
  供達や知人に送りたいと思っていたからです。
  昨日とうって変わって寒い朝でしたが、午前7時に家を出て中央道に乗り、駒ヶ
  岳SAでトイレ休憩し、午前9時半前に松本ICを出て158号線を上高地・高山方面
  に4km程行くと信号左側におやきの
「さかた菓子舗」(松本市新村)がありまし
  た。外から見ると店の造りは大きいのですが、間口は狭くて店内には7,8人が
  入るといっぱいになり、今日も平日なのに店の外まで人が溢れていました。
  
”おやき”と言えば私のイメージは中に野沢菜が入った焼き団子(餅)ですが、
  今は色々な具材が餡として使用されていて、この店でも野沢菜・小倉・きんぴ
  ら・ひじきの胡桃あえ・山菜・くるみみその6種類がありました。
  取り敢えず、子供達や知人に宅配で送り、持ち帰り用に全種類3個ずつ買ってから、その場で1個食べ
  てみましたが、中の具の量が多いのは確かですが、私個人的には宅配したり、わざわざ遠くから買い
  に来る価値については?だと思いました。
  

  午前10時頃に店を出て、再び、松本ICから乗り、上信越自動車道:須坂長野東ICで下りて、去年の五大
  桜と同じコースで最初に
”水中のしだれ桜”に行きました。去年は4月25日に来て1分咲きと言えるか
  どうかだったので、今年は6日早く、余り期待していなかったのですが、8分咲きの見事な姿を見せて
  いましたから、今年の桜は本当に早いと思いました。次に
”赤和観音のしだれ桜”に行きましたが、こ
  ちらは6分咲きですが、根の部分が傷んでいるせいか樹勢が弱く花が淋しくなっているようでした。
 ”黒部のエドヒガン桜”はまだ咲いていないと聞いていたので省いて、
”坪井のし
 だれ桜”
に向いましたが、家内は桜よりは、去年、ここで買った”野沢菜の春菜”
 があるかどうかの方が気になっているようでした。
 午後12時過ぎ、現地には去年と同じようにテントが出ていて
”春菜”も少しありま
 したが、家内が
「もっと沢山ほしい」と話したら、テントにいた女性が「畑に摘みに
 行きましょう。」
と家内を連れて畑に行ったので、私はしだれ桜を見に行きました
 が、樹齢600年の桜は去年よりはるかに見事に咲いて満開に近い状態でした。
  しばらくして家内と女性がバケットいっぱいに
”野沢菜の春菜”を摘んで来ましたが、あまりの量に私
  は声も出ませんでしたが、農家の女性も
「こんなに買った人はいない。」と苦笑していました。
  大量の買い物をしてニコニコ顔の家内と最後の
”中塩のしだれ桜”に行きましたが、家内の気持の様
  に満開の花が咲いていました。この桜は樹齢150年と5大桜の中では一番若く、やや小振りですが、姿
  は一番良いと思います。
  

 高山村から午後1時頃、隣町の小布施町に着き、お昼を
手打ち蕎
 麦処「富蔵家」
で私は大きなかき揚げが乗っている蓑傘そば
 1,050円、家内は
三色そばセット1,575円を食べましたが、薄い
 大きなかき揚げは少し持て余しましたが、蕎麦は私好みの喉越
 しの良い細切りの蕎麦でした。
 家内の三色蕎麦もそれぞれ特色があり、もちもち感やしっかりし
 た歯ごたえがあって面白い蕎麦でした。
  午後2時前に店を出て、去年、行けなかった
「北斎館」に行きました。小布施は”葛飾北斎”が83歳の時
  に地元の豪商・高井鴻山の招きで訪れ、以後、4回訪れて肉筆画に全力を注ぎ、岩松院や東町・上町祭
  屋台の天井画を描き残し、他にも多くの肉筆画を描いて画業の集大成をした場所です。そんな北斎の
  町内に残されている作品の散逸を防ぐために昭和51年に美術館として建設されたそうです。
  館内には2基の祭屋台の他、肉筆画や版画が収蔵されていましたが、私は1階の映像展示室で見た短
  編の映画が面白いと思いました。
  午後3時前に小布施を出発し、真田氏が徳川軍の攻撃を2度にわたって守り抜いた
名城・上田城跡に午
  後3時半頃に着きましたが、こちらは”千本桜まつり”開催中でも既に葉桜になっていました。それでも
  観光バスで花見ツアーの団体が来ていましたが、城壁の大きな
”真田石”や城内の本丸跡や”西櫓”
  見て帰るのが精いっぱいだと思いました。
  午後4時半に上田城跡を出発し、上田駅前の真田幸村像を見てから今日の宿泊場所、上山田温泉の
  
「ホテル圓山荘」(まるさんそう)」に向い、午後5時にチェックインしました。午後6時半からの夕食だ
  ったので、その前にひと風呂浴びようと1階の大浴場に行きましたが、ここの温泉は24時間かけ流し
  でなかなか良い温泉でした。
  
  夕食プランが
”カニ鍋&牛セイロ蒸し”と言う事で別室に用意された食事を食べに行きましたが、2人
  で食べる量には多すぎて食べきれない位でした。このホテルはお風呂や食事は良かったのですが、
  残念だったのは家内が浴場で下着〈ブラジャー)を盗られたのですが、家内が
「下着を盗られた。」
  言っても、ホテルの浴場担当の従業員もフロントの女性も
「そうですか。」と言っただけで、部屋番号
  も聞かず、上司に報告もせず知らん顔だった事です。これでは次に行こうとは思いません。


 4月18日(木)
  今日は団地の社会福祉協議会の”ふれあいサロン”の行事でバーベキューをやるので家内は朝早く、
  我が家の一升炊きの炊飯器を持って会場の
「老人憩いの家」に出かけて行きました。
  私は午前中、来週の「さくら茶屋杯」の為に王子ゴルフ練習場に行き、今日は木曜日で入場料無料な
  ので500円で1時間打ち放題のコースで練習しました。
  午後からは中部大学の
「日中思想比較研究」(大澤肇講師)の講義に出席しました。今日の講義は中
  国問題のコラムニスト加藤嘉一の
「脱・中国論」の一節を読んで感想や矛盾を感じた事を学生が発表
  し、それに対して意見がある人は発言するというやり方でした。
  2人の女子学生が
”中国ビジネスのカギを握る〈言葉〉と〈酒〉”の章の部分を読んで感じた事を発表し
  ましたが、3年生ともなるとなかなかしっかりした発言をすると感心しました。内容は省きますが、私
  が興味を感じたのは学生の言った事に対して、
大澤肇先生が自分の奥さんが中国人で奥さんの親戚
  との
〈酒〉の飲み方(乾杯の時に目下の者が盃を少し下にする)や付き合い方(酒を通じて親しくなる)
  の実体験が聞けた事です。
  
「日中思想比較研究」と言っても身近な事を例に挙げて話してくれるので、これから先の大澤先生の
  話がどんな内容になるのか楽しみにしたいと思います。



 4月16日(火)
  家内は剣道の稽古に出かけたので、私はゴルフの練習に行った後、かかりつけ医の東野内科に行き、
  先日の
「陶生病院」の検診結果で抗凝血剤を止めても良くなった事を報告しました。かかりつけ医の
  
K.M先生にも「陶生病院」O.H先生からその旨の手紙が来たそうです。
 午後から家内と一緒に松坂屋美術館で開催中の
「第68回春の院展」《4月13日(土)〜
 4月21日(日)》を見に行きました。今回も
田淵俊夫画伯から招待券を送って頂いたの
 で、一度、お礼を言わなくてはと思っているのですが、田淵画伯の作品解説の担当日
 が明日なので今回も会えないと思います。
 午後1時半過ぎに会場に着いたのですが、平日にも拘わらず、熱心な院展ファンが大
 勢つめかけて自分の好きな作家の前でじっと見入っていました。家内は以前教えて
 頂いた事もある
古田年寿さんが入選していたので喜んでいました。
  今回の作品集の表紙に使われた
松村公嗣さんの”宵牡丹”も彼の絵が好きだった義父が生きている
  時に気に入って買い求めた
”雪牡丹”と似ているので何か縁を感じました。
  田淵画伯の出品作
”明日香心象 飛鳥川”は昔から描いている風景を改めて取り上げたのは、今年か
  ら薬師寺の食堂の壁画に数年がかりで取り組む気持の一端かなと思いました。



 4月15日(月)
  午前中、中部大学の「中国語文化研究A」(黄強教授)の講義に行きました。この講義は3年生が対象な
  ので1,2年生対象の教室と違って社会人も含め、全員が静かに講義を聞いています。
  今日も
「文化」「文明」の違いとか「文化進化論」についての黄教授
  考え方を聞きました。

  「文化」
は民族や社会の風習、伝統、思考方法、価値観等の総称で世代
  を通じて伝承されていくもの
であり、「文明」は人間の知恵が進み、技術
  が進歩して
生活が便利に快適になる面に重点がある。
  
「文化進化論」は19世紀ヨーロッパで人類の文化は低次より高次へ、未
  分化より分化へ、不完全から完全へ、同質から異質へと進化すると主張
  していたそうです。<野蛮>→<未開>→<文明>の図式ですが、黄教授は
「文化進化論」は認めら
  れないが
「文明進化論」はあると言ってました。


 4月14日(

  今になって旅行の疲れが出て来たのか、何となく体がだるい上に足に張りがあるので、今日は家で
  テレビを見ながらのんびりしました。4月も半ばになろうとしているので、庭でも
白と黄のフリージア
  
がいつの間にか咲いていて、白雪ゲシ十二単もあちらこちらで出て来て花を咲かせ、シャガも白
  い花を咲かせてくれています。
  

 
 今日も家内は午後6時から春日井剣道連盟の役員会があるので出かけて行きましたが、本当に休む
  間もない位ですが、こういう事が家内の元気の素かもしれないので温かい目で見守る事が私の役目
  かなと思っています。



 4月13日(土)
  午前中、いつものゴルフ仲間が集まるモスバーガーにコーヒーを飲みに行き、その後、傍にある耳鼻
  科によってアレルギー鼻炎の吸入をして帰って来ました。
  夜は午後7時から安全協議会の団地内の
”防犯安全パトロール”がありましたが、今年度から新しく自
  治会の防犯委員もパトロールに参加する事になったので、従来になく賑やかでした。パトロール終了
  後、役員会がありましたが、最後に
民生委員のH.Sさんから昔から住んでいる大泉寺地区の住民の人
  の考えている事を聞かされ、認識を新たにしました。
  その人は「朝の通勤通学時間帯に貴方達(自治会)が団地内の通行規制を考えているなら、まず、団
  地内の住民が大泉寺の道路を通る時に
30km制限の安全運転をするべきであって、他人の事を言う
  資格は無いと思うので、こちらは地区内の道路の通行規制を考えている。」と言われたそうです。
  言われてみれば確かに先方の言う事はもっともな意見なので、こちらの一方的な考えを押し付ける
  のではなく、私達も言われた事を真摯に受け止めるべきだと思いました。



 4月11日(木)〜12日(金)
  クラブツーリズム主催の”金峯山寺(きんぷせんじ)秘仏本尊御開帳:世界遺産・吉野山の千本桜と熊
  野三山”
の1泊2日のツアーに家内と一緒に行きました。
  去年から吉野山の金峯山寺の秘仏
”金剛蔵王権現”を見たいと思っていた所にツアーの新聞広告が
  出たので、4月4日(木)春日井駅出発で申し込んだら人数が集まらず、今回の11日(木)星が丘・千種・
  名古屋駅出発になりました。
  
11日(木)は午前7時25分JR千種駅から乗り込み、名古屋駅まで行き、午前7時45分出発予定が当日キ
  ャンセルが出て総勢38名で20分遅れのスタートになりました。
  名古屋西ICから東名阪道に乗り、関ドライブインでトイレ休憩、その後、伊勢自動車道から紀勢自動車
  道に入り、紀伊長島ICから42号線の道の駅
「紀伊長島マンボウ」でトイレ休憩とお昼の弁当に私はさ
  んま寿司と目張りずしを買って食べましたが、いずれも御飯が硬くてまずい寿司でした。
  午後1時15分に熊野三山の最初の
「熊野速玉大社」に到着しました。今までこちらの方には何回か来
  ていますが、那智の滝を見ただけで他の所には行って無かったので、速玉大社内の国の天然記念物
  
”なぎの木”の大樹は初めて知りました。
  
  次に
「熊野那智大社」に向かい、添乗員の猪島さんに「上まで467段あるので頑張って登って下さい」
  と言われましたが、家内と二人でそんな所まで行った記憶が無かったので、私達は
”那智の滝”しか見
  てなかったと思ったので頑張って467段を上り、本殿に参拝してから傍にある西国33ヵ所巡りの第一
  番札所の
”青岸渡寺”にお参りしました。
 次に熊野古道にも似ている石段のある道を下って
”那智の
 滝”
まで行きましたが、一昨年9月の台風12号の豪雨で大
 水害に見舞われ、修理工事中で、遠くから見た時には分か
 りませんでしたが、滝壺周辺は昔の面影は無くなっていま
 した。修理のどの位の期間が掛かるのか分かりませんが、
 一日も早く昔の姿を取り戻してほしいと思いました。
 午後3時半過ぎに
「熊野那智大社」を出発し、勝浦港からホ
  テル専用の船で今夜の宿泊先
「ホテル浦島」に着いたのは午後4時半頃でした。
  
「ホテル浦島」は昔、現役の頃に会社の慰安旅行で来た事はありますが、船で渡って、洞窟温泉(忘帰
  洞)
に入った記憶があるだけで、当時、今のように温泉が6か所も無かったと思いますし、島の上の山
  上館や33階の
遥峰の湯や32階の天海の湯は無かったと思います。
  3か所以上の温泉に入ってスタンプを貰ってきたら、ホテルから記念品が出ると言うので、家内と2人
  で頑張って
洞窟温泉(忘帰洞)遥峰の湯天海の湯に入ってスタンプを押してきましたが、午後6時
  からの夕食バイキングを終って部屋に帰ったら疲れて午後8時過ぎには寝てしまいました。

  
12日(金)は午前5時半過ぎに目が覚めたので、1人で4つ目の滝の湯に入りに行きました。午前6時半
  過ぎから朝食バイキングを食べましたが、昨夜の夕食バイキングと同じでまずまずの味で品数も普
  通でした。
 午前7時30分にホテルを出て、船で対岸のバスの駐車場に行き、熊野三山の最後
 の
「熊野本宮大社」に向かいました。ここは全国にある3,000を超える熊野神社
 の総本宮で牟須美(むすみ)・速玉(はやたま)の両神、中央は主神の家津美御子
 神(けつみみこのかみ)、
そして右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀ら
 れています。
 午前9時半過ぎに到着しましたが、駐車場や鳥居付近は2年前の豪雨で浸水した
 そうですが、100段以上、上にある本殿は明治22年の大水害で現在の場所に建
  てられただけに無事だったようです。
  午前10時過ぎに出発し、国道168号線を五条市に向かって北上しましたが、途中、何か所も2年前の大
  水害の影響で山肌が削られた所や堤防が決壊した所が見られ、被害の大きさが想像出来ました。
  午前11時50分に生活用吊り橋としては日本一の
「谷
  瀬(たにぜ)の吊り橋」
(和歌山県十津川村上野地)
  に着きました。この
吊り橋は長さ297.7m高さ54m
  昭和29年に初任給が7,800円の時代に住民が1戸当
  り20万〜30万円を出し合って村の協力を得て800万
  円で作った吊り橋で今でも使われていて郵便屋さん
  はビジネスバイクで行き来すると聞きましたが、私
  には少し歩くだけでも怖くてとても想像できない橋
  でした。ツアーの中でも渡って帰って来た人もいますが、家内の様に吊り橋の入口で見るだけで十分
  と言う人も多く、私も80m程行って帰って来ました。
  午後12時20分に吉野山に向かって出発、168号線から24号線、370号線、169号線を通って吉野山の下
  千本の駐車場に午後2時20分に到着しました。
  平日にもかかわらず観光バスはいっぱいでしたが、桜情報は
下千本”散りはて”中千本、上千本”落
  花盛ん”
奥千本が”7分咲き”と言う事でしたが、私達は奥千本までは行けないので、最初に特別公
  開中の
「金峯山寺」の秘仏国宝”金剛蔵王権現”を見学に「蔵王堂」行きました。
  
  高さ7m余の日本最大の3体の秘仏
中央が釈迦如来、右が千手観音、左が弥勒菩薩の権化過去、
  現在、未来の救済を表しているそうですが、家内は前に座って見ていると何時までも見ていたいと言
  ってました。
  金峯山寺を出て、次に
”一目千本”の名所「吉水神社」に行きました。境内に入って右手を見ると満開
  なら見事だろうと想像できる
”一目千本”の風景が広がっていましたが、それでもピンク掛かった景
  色はなかなかのものでした。ここは古くは義経・静御前が最後に過ごした場所であり、秀吉が吉野の
  大花見を催した時の本陣になった場所でもあるそうです。
  
  午後3時半過ぎに吉水神社を出て、土産物店を見ながらバスの駐車場まで下がって行きましたが、午
  後4時近くになると観光客も少なくなっていました。

  
バスの駐車場を午後4時半過ぎに出て370号線、369号線で25号線の道の駅「針テラス」でトイレ休憩
  を取り、その後、
「関ドライブイン」で最後のトイレ休憩をして名古屋駅経由で千種駅からJR中央線で
  春日井の自宅に着いたのは午後9時半でした。
  今回の1泊2日の
”熊野三山・吉野山・金峯山寺の旅”は今まで行った事のない所がほとんどで、行きた
  いと思っていた
「熊野三山」に行け、見たいと思っていた金峯山寺の「金剛蔵王権現」が見られての
  で、吉野山の
「一目千本の桜」は見られませんでしたが、私も家内も充実した旅だったと思います。


 4月9日(火)
  家内の定期検診日で愛知医大に行き、診察を待っている間に、先月、右大腿骨の再々手術を受けた
  サテンポ氏
の見舞いを兼ねて様子を見に寄りましたが、前月末に私が手術後10日目に行った時には
  曲がらなかった右足もかなり動かせるようになって、左足を使って車椅子にも上手に乗れるので一人
  で何でも出来るようになっていたので、今回は回復が早いように思いました。
 家内の検査結果も特に変わりなかったので、薬を待ってい
 る時間にお昼を病院内の食堂で食べて、午後2時前に病院
 を出て、東山植物園内の
茶室「宗節庵」に向かいました。
 と言うのは家内の卒業した
SY学園の先輩で同じ団地にい
 る
M.Sさんから長い間SY学園の先生をしていたK.M先生
 米寿記念のお茶会があるからと招待券を頂いたのでお邪
 魔しました。
  家内は
K.M先生の顔は覚えていなかったのですが、中学高校当時の先生が何人か来ていて懐かしが
  っていました。お茶席は30分程待って入れたのですが、偶然、その時のお手前が
M.Sさんだったので
  私達にとっては
M.Sさんのお手前を初めて拝見できた上、座った席が正客と次客だったので、点てた
  お抹茶を直接飲めたのも幸いでした。
  
M.Sさんは団地内の民生委員をやった後、今でも社会福祉協議会や安全協議会の役員やふれあいメ
  ンバーとして地域の為に尽くしているので、私達から見ると本当に頭の下がる女性なので、これから
  も元気で活動してほしいと思っています。



 4月7日(

  朝から風の強い日でしたが、雨は何とか持ちそうだったので団地の「春祭り・もちつき大会」が予定通
  り開催されたので家内と二人の孫を連れて参加しました。
 午前11時からの開会ですが、20分前から受付なので早目に行きましたが、風が
 冷たく寒いので風邪でもひかせたら大変だと思い、車の中で待っていて時間に
 なってから会場に行きました。
 餅つきの前に団地内の
”太鼓同好会”の小学生以下の子供達の演奏があり、日
 頃の練習の成果を披露して参加者の皆さんの拍手を貰っていました。
 午前11時から餅つきが始まり、大人と子供の餅つき希望者
 が2つの臼に分かれて並び、餅つき体験をしましたが、

  の
孫のmn実がつきたいと言うので子どもの方に並んで私と一緒に餅つきをし
  ました。その後、つき上がった餅をきな粉餅としょうゆ餅にして貰いましたが、
  孫が2人とも餅が好きなので私達の分も平らげてしまいました。
  一度家に帰って、家内が孫を昼寝させている間に私が午後の部の振る舞い餅
  入りのぜんざいを貰いに行ってきましたが、ぜんざい好きの家内は大喜びで
  食べていました。
  午後2時過ぎに買い物に出かけていた長女夫婦が帰って来て、午後3時頃に南区の家に帰って行きま
  したが、帰る時にいつも泣いていた
上の孫のmn実も今日は笑顔で帰って行ったので、幼稚園に行くよ
  うになって色々な面で成長したなと思いました。不思議な事に上が泣かないと
下の孫のnt実も泣か
  ないのでこちらも笑ってバイバイ出来るので気が楽です。


 4月6日(土)
  昨日から遊びに来ている孫のmn実nt実はいつもと同じように家内に
  ベッタリで遊んでいますが、家内が庭にきれいに咲いているムスカリと
  チューリップを見ては
「きれいねえ。」と言うと、孫二人も同じような気
  持で
「きれい!」と言ってるので、子どもは小さい時からこんな感じで情
  緒豊かに育てると好いのかなと思いました。
  自分達が子育てをしている時はそこまでの余裕が無かったのですが、
  今、考えると小さい時からの教育というのは大切だったなと感じる今日
  この頃です。
 孫二人がお昼寝をしたので家内が落合公園で開かれている市制70周年の
”市民
 茶会”
に行くと言うので一緒に行きました。本来は野点でやる予定でしたが、今
 日は生憎の雨の天気なのでグリーンパレスの中でやっていました。
 午後1時前に行ったら私達二人だけでしたが、間もなく女性2人連れや家族連れ
 が来て少し賑やかになりましたが、今日の天気では人出は期待できないので用
 意したお菓子が余るだろうなと余分な心配をしました。
 今日は裏千家の当番の日ですが、表千家の家内のお茶の先生も受付にいて手伝
  っていましたが、お茶の世界は連盟や協会と言っても色々あって難しいようです。
  今日明日は落合公園では
”サボテンフェア”もあるそうですが、天気予報が良くないので明日だけで
  も天気が回復してほしいと思います。


 4月5日(金)
  今日は午前中、南部ふれあいセンターの「中国語同好会」、午後から坂下公民館の「パソコン同好会」
  の新年度が始まりました。
「パソコン同好会」の方は今年度から順番で私が会長になりましたが、実際
  はNPO法人の
”けやきフォーラム”が運営や講師の派遣をやってくれるので、仕事は無く、名前だけで
  良さそうです。会員数もやめた人がいても直ぐに次に入って来るので、他の同好会と違って会員の減
  少に悩む事はほとんどありません。
  今の世の中はパソコンが不可欠だと思っている人達が多いのも事実ですし、現実に広い範囲でイン
  ターネットを利用する事が多いのも事実ですから、こういった教室に来る人が多いのだと思います。



 4月4日(木)
  今日から”2013年春学期オープンカレッジ”が始まり、私の取った「日中思想比較研究」(大澤肇講師)
  の第1回目の講義が午後からあったので出席しました。
  今日は講義のガイダンスと言う事でいきなり先生から中国の
社会学者”李培林”の本のコピーを渡さ
  れ
「これが読んで分かりますか」と聞かれましたが、受講者28人中11人の社会人はほとんど読めなか
  ったので、大澤先生は私達の為に講義の進め方を変える事にしたようです。
  
  この講義は本来は中国語学科の3年生の選択科目なので、学生のほとんどはこの程度の文章は理解
  できるという前提だったらしいのですが、社会人の方は簡単な中国語は読めても、配布された文章は
  辞書を使わないと読めないし、書いてある内容も理解出来ないものでした。
  私自身、「日中思想比較研究」と言うのですから、多少の中国語は必要でも辞書があれば何となるだ
  ろうと思っていたので、今後、どういう展開になるのか分かりませんが、少しでも勉強になればと思
  って出来るだけ出席したいと思います。




 4月3日(水)
  今日は家内はお茶の稽古が終わってから、ナゴヤキャッスルホテルで中日文化センター主催の食事会
  があるので、お茶の一門の人達と参加すると言って出かけて行きました。
 私は午前10時から中部大学の
”2013年春学期オープンカレッジ開講式”に出席しま
 した。松原教雄エクステンションセンター長の話では春学期はいままで1講議10名
 までだったのを20名までOKにした講義もあり、受講者は369名までに増えたそう
 です。中部大学自体も今年は3,000名を超える新入生が入学して学生数10,000人
 を超える大学になったそうです。
 オリエンテーションが終了し、オープンセミナーとして
工藤健教授(工学部共通教
 育科)
『私達は、地球の何処で暮らしているのか?』というテーマの講義がありま
  した。工藤教授は「私は地震学者ではなく地球科学者です。」と言いながら、地震や地球科学の事を
  話してくれましたが、地震や地球的に見た日本の事が少しわかったような気がしました。
  地震には2つのタイプがあり、今回の
”東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)”
  
のようなプレート境界で発生する「海溝型の地震」”兵庫県南部地震(阪神・淡
  路大震災)”
のような活断層で発生する「内陸直下型の地震」です。日本はその
  両方があるのですから、地震が起こらない事が怖いのであって小さな地震が
  起こっている事の方が自然で今でも体に感じない地震も含めて、毎日、350件
  位起こっているそうです。

  工藤教授
は結論は話されませんでしたが、いずれ起こると言われているこの
  地方の地震は海溝型の地震ですが、幸い渥美半島や志摩半島が防波堤の役目をするので大きな津
  波は来ませんが、お椀の中の様に波が行ったり来たりするので繰り返して波が来る事を考えておく必
  要があるそうです。午後12時前に講義は終了しましたが、話を聞いただけでは私には地震学者と地球
  学者の区別はつかないと思いました。



 4月2日(火)
  家内は「誠武館」の婦人剣道部の花見を今日にしてあったので、朝から落ち着かない様子で準備をし
  ていました。天気予報では昼過ぎから雨が降ると言ってましたが、空を見ると明るいので何とか持ち
  そうだと言いながら、剣道の用意と花見の用意をして出かけて行きました。
  私は庭に下りて花を観察しましたが、
利休梅は8分咲きになりましたが、ハナズオウの赤はやっと咲き
  だした所ですが、白は未だに咲いていません。椿は
ピンクの花は今が満開ですが、白の椿はあちこち
  で咲いていますが、
赤の椿はやっと1輪2輪咲いたばかりです。
  地面にも色々な葉っぱが出ていますが、家内からはこれから色々な草花の新芽が出て来るので
「雑
  草と間違えて抜かないように」
と念を押されているので私はじっと見るだけにしています。
  
  午後2時前に家内が落合公園の花見から帰って来て、風も無く、暖かく、曇っていて日に焼ける事もな
  かったので却って良かったと喜んで帰って来ました。


 4月1日(月)
  寒い寒いと言っていたと思ったら、今日から4月で官民を問わず今日の入社式を経て、新人が希望に
  胸を膨らませ、新しい人生を歩み始める日です。色々な事を経験しながら悔いのない人生を送ってほ
  しいと願うのは自分がそんな年齢になったのかなと思います。

  家内が義母を
花見に連れて行きたいと言うので、義妹と”千代田橋アピタ”で待ち合わせ、午前10時
  前に着いたら、義妹が慌ただしく車からティッシュボックスを持って走って行くので、どうしたのかと
  思ったら、路上で倒れている年配の男性が顔から血を流していました。
  話を聞くと義妹の前で急に前のめりに倒れ、顔を打って血が流れて来たので、
「大丈夫ですか」と声
  を掛けた時には返事が無く、テレビドラマの1シーンの様な気がしたそうですが、幸い、直ぐに意識を
  取り戻した時に私達が着いたようです。家内も血を拭くタオルを持って行ったり、男性の自宅に電話を
  掛けたりしていました。2人の様子を見ていた人が私に
「お二人は介護士さんですか」と尋ねたので、
  倒れた男性を世話をしている2人を見てそう思ったのは家内や義妹の手際良さが義母の世話で板に
  ついていたのかなと思いました。

  救急車が来たので後は救急隊員に任せて、アピタで買い物をして午前10時半過ぎに入所している介
  護付き老人ホームに一緒に行きましたが、部屋に入ると義母が横になっていて
「胸が苦しい」と言っ
  てるので精神安定剤を飲ませ様子を見る事にしました。
  家内の話だと薬を飲んで1時間位経つと調子が良くなる事が多いので、花見に行くかどうかは経過を
  見てを決める事にしましたが、1時間近く経って少し良くなりましたが、この調子だと外に花見に行く
  事は無理だと諦めて、外で弁当やサンドイッチ、寿司を買って来て部屋で義母と一緒に食べました。
  昼食後、手持ち無沙汰なので一人で名古屋城方面に行きましたが、途中の
”水道みちの桜”が満開で
  見応えがあり、名古屋城も駐車場に入るのも大変そうなので、みんながあまり知らない
二の丸大手
  門
の近くに車をとめ、外から桜を眺めて来ましたが、平日にも拘わらず大勢の人達が桜見物に来て写
  真を撮っていましたが、近くで見る桜も良いですが、遠くから
名古屋城と一緒に見る桜もなかなか良
  いものだと思いました。
  
  午後3時半過ぎに老人ホームに帰りましたが、義母も風呂に入れてもらってスッキリしたようでした
  が、いつもの様には元気が無いので挨拶だけして帰って来ました。


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