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 10月31日(月)
  月曜日なので今日も家内は義母の所に出かけて行きましたが、この所、話すことがあまり無くなってきたと心配
  していますが、義母の今日の様子が気になります。私は家内が出かけた後、今週の5日(土)から
「泰山・青島・梁
  山泊5日間の旅」
に出かけるので、その用意をするついでに衣替えも一緒にしました。
  その後、黒酢が無かったので、
「B&D」に買いに行きましたが、ついでに目薬やかゆみ止め等、余分なものを買
  ってしまい、我ながら買い物は無駄が多いなと思っています。お昼を食べてから、午後2時過ぎに食パンが1切れ
  しかない事に気が付き、
「フィール」のパン屋に行くと、まだ、3本残っていたので1本買って帰りました。
  夕方、家内が帰って来て、テーブルの上の食パンを見て、
「メールを見なかった?」と言われたので、携帯電話を
  見たら、昼前に
「食パン買いました。」とメールが入っていましたが、今日は携帯を見る事が無かったので、全く
  気が付かず、結果として食パンも無駄な買い物になってしまいました。
  家内に義母の様子を聞くと、今日は先日よりはしっかりしていて、誕生日を聞くと11月18日と答えたので、まだ、
  大丈夫かなと思ったそうです。誕生日が来て92歳になる義母にはまだまだ元気でいてほしいと思っています。


 10月30日(

  今日も朝は9℃と冷え込みましたが、秋らしい過ごしやすい日になり、家内は朝から着る物がないと言いながら
  、衣替えをしていました。私はいつでも出来るし、着る物はたいして無いので少しずつやろうと思っています。
  昼食後、夕食の買い物に行くと言う家内と一緒に出掛けましたが、家の近くまで来た時、子供達がいろんな格好
  をして歩いていたので、どうやら、わが団地内でも今話題の
”ハロウィン”をやっていると思いました。後から聞
  いた所では50軒近くの小学生の家庭が参加して、子供達がお菓子やプレゼントを貰って歩いていた時に見かけ
  たのが、1つのグループだったらしく、その後も別のグループを見かけたので、いくつかのグループが歩いてい
  いたようです。本当の
”ハロウィン”は明日らしいのですが、子供達には日曜日の今日がハロウィンのようです。

  午後3時からテレビで
「世界ゴルフ選手権」を見ていましたが、”松山英樹選手”が圧倒的な強さを発揮し、2位に
  7打差をつけて23アンダーで優勝しましたが、優勝賞金が162万ドル(約1億6500万)というのですから、日本の
  男子の1年間の賞金王と同じ位の金額を1試合で稼いだのですから、凄い事だと思います。

 夕方、家内が夕食の用意をしている午後5時過ぎに次男が帰って来て、今年から釣りを再開
 して初めてイワシを沢山釣って来ました。
 友人3人で師崎に行ったのですが、3人で400匹以上釣れたようです。我が家に持って帰って
 来たのが100匹くらいありましたが、友達にはそれ以上持って帰ってもらったと言ってました
 が、今回は数が多いので、次男も家内に教えてもらいながら、頭と内蔵を取るのを手伝って
 いました。
 家内は処理を済ませて直ぐに圧力鍋で甘露煮を作っていましたが、今回はなかなかおいし
 い味付けが出来て、上出来の
イワシの甘露煮に仕上がっていました。今晩の夕食は豚ちり鍋
  で用意が終わっていたので、甘露煮は明日以降の酒の肴になると思います。



 9月29日(土)
  昨日と打って変わって、青空の広がる気持のよい日になりました。午前9時過ぎにいつものモスバーガーの店に
  行くと、今日は
M.Nさんの奢りだといわれ、コーヒー代はタダだったので、何だか儲かったような気がしました。
  いつものメンバーとは、私が昨日のゴルフでハーフでやめた話をしたり、今、上海で開催中の世界ゴルフ選手権
  で2日目を終わって、松山英樹選手がトップに立っている話や、国内で行われている男子や女子のゴルフ大会の
  話題を1時間ばかりして、解散したので、私はその足で
「皿貝接骨院」に行きました。
  私が治療中に同じゴルフ仲間の
H.Aさんがやって来て、先週、ぎっくり腰をやって、少し楽になってきたと言って
  ましたが、昨日のコンペで急に欠席した
T.Kさんも仕事中にぎっくり腰になったという話ですから、腰痛持ちの私
  私としては気を付けなければと思いました。
  家内は土曜日は午後5時過ぎに
「誠武館」の初心者(幼稚園、小学校低学年)の指導に出かけるので、私は午後4
  時過ぎから市民プールに出かけましたが、天気が良かったせいか、大勢の人達が泳ぎに来ていましたが、さす
  がに、午後5時過ぎると人は少なくなりました。
  午後6時過ぎに家に帰りましたが、明日の食パンが無い事に気が付き、
「フィール」のパン屋に食パンを買いに行
  きました。家に帰ってから、家内が用意してあった親子丼用の材料を玉子で仕上げて、今晩から師崎に釣りに行く
  次男に食べさせて、私は屋久島で買って来た焼酎でいっぱいやりました。
  日本シリーズは日本ハムが2連敗のあと、4連勝して日本一になりましたが、私個人的には若い時に広島に住ん
  でいたので、広島を応援していたのですが、残念な結果になりました。



 9月28日(金)
  今日は昔のソフトボール仲間のゴルフコンペ「ビッグフォース会」があるのですが、天気予報で午後からかなりの
  雨が降るという事なので、午前7時過ぎに
幹事のK.Mさんに電話して、こちらを出る前にメンバーに意見を聞い
  て、延期にした方が良いと思うと言って、メンバー8人で集まって検討したのですが、今、降っていないからハー
  フだだけでもやろうという事になり、今日の会場になっている、
”東建塩河カントリー倶楽部”(可児市大字塩河)
  に向かいました。
  午前8時過ぎに着いたので、
幹事のK.Mさんがゴルフ場に話をして、スタートを、30分程、早
  くしてもらい、午前8時35分にスタートしました。この時点では空は明るく、雨も降っていな
  かったので、丁度良い、コンデションでしたが、用意できて、直ぐ、スタートしたので、南東
  コース1番ホールで、いきなり、ティショットを左に引っ掛けてしまい、OBにはなりませんで
  したが、上って見たらダブルボギーでした。その後もティショットが左右に行き、パー無し
  ゴルフで終わるかなと思っていたら、最後の9番ホールで初めてのパーが出て、スコアの
  方はいつもと同じような
アウト47でしたが、雨にも降られず、まずまずのゴルフでした。
  午後11時過ぎに上り、後半のスタートが午後12時と言われ、お昼を食べ出した頃から、予
  報通り、雨がかなり降りだしていました。
  午後12時前に前の組がレストランから出て行ったので、午後からもやらざるを得ないかなと思っていたら、幹事
  のK.Mさんが戻って来て
「雨が強いので中止します。」と言ったので、私達の組のメンバーは私は勿論ですが、他
  のメンバーも喜んでいました。
  その後、お風呂に入ってから家に帰りましたが、午後2時前に家に着くと、家内がさっき出て行ったばかりの気が
  すると笑っていましたが、帰る途中、雨が強くなっていたので、皆さん
「やめて良かった」と言ってました。
  午後5時30分から
”まごころ厨房&BAR「V-HANDS」”(春日井市柏原町)から表彰式兼親睦会があったので、
  当然、出席しました。この店は家内が行く中央公民館の近くにあり、お昼のランチの時には人がいっぱいの時が
  多いと聞いていたので、どんな店なのか興味がありました。
  迎えのバスが思ったより立派な小型バスだったのは、この店が結婚式の披露宴もやれる部屋があるからかもし
  れません。店に着いてシステムを聞くと、100分間飲み放題付きで4,000円のコースを頼んでいたそうですが、欠
  席者が1人出たので、1人4,500円コースになったそうです。出て来た料理はスモークサーモンや野菜サラダ、フ
  ライ、パスタなどでしたが、結構、お腹いっぱいになるコースでした。
  午後7時30分までの予定でしたが、お店の送迎バスの関係で、午後8時過ぎまで店内で健康や団地自治会につ
  いて話しながら待機し、送迎バスが帰って来てから団地まで送ってもらいました。



 10月26日(水)
  家内は午前中、お茶の稽古があったので旅行のお土産の宇宙食の羊羹を持って出かけて行きました。私は午後
  から中部大学の
「伝統芸能論」嘉原優子教授)の講義に出席しました。
  今日は
「能楽」について聞きましたが、「能楽」”能””狂言”を合わせたものを言い、仮面をつけた歌舞劇の
  事を言うそうですが、その歴史は古く、奈良時代に大陸から入って来た
「散楽」(さんがく:器楽・歌謡・舞踊・物真
  似・曲芸・奇術などの民間芸能)”が色々な形に発達・発展して平安時代には寺社の保護を受け、鎌倉時代には歌
  舞的要素を取り入れた歌舞劇が始まり、鎌倉幕府14代北条高時は田楽を庇護したそうです。
  南北朝時代になると芸能集団が大寺社に所属し、中でも奈良の興福寺や春日大社に所属した
「大和猿楽四座」
  が活躍したそうです。四座とは
結崎座(ゆうざきざ)・外山座(とびざ)・円満井座(えんまんいざ)・坂戸座(さか
  とざ)で、中でも結崎座の
”観阿弥”は曲舞(くせまい)や娯楽的な歌謡を取り入れて謡(うたい)を始め、息子の
  
”世阿弥”が室町時代に歌舞中心の歌舞劇を確立させたそうです。
  江戸時代になり、2代将徳川秀忠が
「大和猿楽四座」に加えて喜多流を認め、四座一流を幕府の式楽としたので
  、能は庶民から離れ、武士階級の芸能になっていったそうです。明治時代になると、幕府の庇護を失い、権力者
  や華族、財界人をスポンサーに家元制度の強化、舞台様式の確立に努めたそうです。
  戦後、スポンサーを失い、謡や仕舞などの稽古事として大衆のもとへ戻って来ました。現在は四座の流れをくむ、
  
観世流(結崎座)・宝生流(外山座)・金春流(円満井座)・金剛流(坂戸座)と喜多流が能を伝え、大蔵流和泉流
  が狂言を伝えているそうです。
  講義を聞いていると、能や狂言も興味深い事もありますが、実際に切符を買って見に行く気にまではならないの
  が現状では無いでしょうか。



 10月25日(火)
  朝は冷え込むと予報がありましたが、新聞を取りに行った時に温度計を見ると11℃を指していましたが、思った
  より寒さを感じなかったので平年並みかなと思いました。
  家内は
「誠武館婦人剣道」の稽古の日なので、午前9時過ぎに出るのですが、私は久し振りにゴルフの練習をす
  る積りで、午前9時前に
「王子ゴルフ練習場」に行きました。前回もそうでしたが、隣のI.Kさんが既に練習に来て、
  100球以上を打っていました。私が行った時には打席も余裕があり、直ぐに練習が出来ましたが、9時過ぎになる
  と打席はいっぱいになり、後から来た人は待ち時間が5分10分と長くなっていました。それでも、練習が終わって
  、私が帰る午前10時頃にはちらほら打席が空いていたので、混んだのは一時だったようです。
  練習後、その足で
「皿貝接骨院」に腰の治療に行きましたが、電気をかけようとうつ伏せになって、足首を伸ばし
  たら、足が攣りそうになったので先生の奥さんが足首に小さい枕のような物をかませてくれたら、不思議な事に
  それだけで足が攣りそうになるのが治まりました。後から先生が足が攣りそうになったら膝を曲げて足首を伸
  ばすようにすれば良いと教えて貰ったので、これから、足が攣りそうになったら試してみたいと思います。



 10月24日(月)
  家内はいつも様に名古屋の義母の所に出かけるのですが、今日は私の方が早めに午前9時に家を出て、最初に
  
「東野内科クリニック」に健康診断用の便を出しに行きました。今までは全部一日で出来たのですが、K先生が80
  歳になり、体調がはっきりしないので、先日、血液と尿は採ってたのですが、胃カメラや超音波検査は他の所で
  やる事になり、来月、紹介してもらう事になっていますが、来年からは一カ所で一度で出来る所に変えた方が良
  いのかなと思っています。
  午前10時には先日の
「春日井まつり」の後始末をする為に岡山県人会のS.Kさんの所に行き、残った道具や事務
  用品を仕分けて、精算の予定を聞き、私が来月の
”春日井まつり感謝の夕べ”に出席できない為、S.Kさんに人選
  をお願いしまして帰って来ました。
  午後からは先日の
「屋久島・種子島3日間の旅」の写真をプリントアウトしましたが、2泊3日の旅行でも写真の枚
  数が多いので、48枚アルバム2冊に収まるように選んでいると、結構、時間が掛かりました。
  今日は家内がいつもより早く、午後5時前に義母の所から帰って来たので、どうしてか聞くと、義母は家内が行っ
  てから、ずっと、目を瞑って寝ているばかりなので、義妹と相談して早く帰って来たそうです。最近、少しずつ義
  母の反応が少なくなっているので、家内も一生懸命話しかけたり、返事をさせるように努力しているようですが
  、本人がその気にならないのは90歳過ぎたから仕方がないかなと言ってますが、家内にしたら、何か話してほ
  しいようです。



 10月23日(

 
 家内は午前8時過ぎに「高校生以上剣道大会」の手伝いがあるからと落合公園体育館に出かけて行ったので、私
  は久し振りにゴルフ仲間に会いにモスバーガーの店に行きました。私は旅行の報告で屋久島のホテルには日本酒
  がなかった話をしたら、皆さん不思議がっていましたが、焼酎しか飲まない土地柄だから、そうかもしれないと
  いう事で結論が出ました。メンバーの近況を聞くと、一昨日、何人かのメンバーで山岡カントリーに行った話にな
  り、スコアの悪かった今日は顔を出していない
K.Hさんが、当分、ゴルフはやめると言ってたが、いつまで続くか
  話題になっていましたが、私はK.Hさんならそんなことを言った事を忘れて練習に来ると思っています。
  午前10時前にお開きになり、家に帰って家内が出かける時に前に切った
シモツケクレマチスボケが2度目の
  花を咲かせていると言ったのを思い出して、庭に見に行くと本当に咲いていました。他にも
シモバシラが小さな
  可愛い白い花を付け、
ムラサキシキブが本格的に色づいていました。
   



 10月21日(金)
  旅行帰りですが、今日は家内は午前中に写仏画の「蓮華会」に行き、私は午前中「南部中国語同好会」と午後は
  
「坂下パソコン同好会」があるので、お互い、午前9時半前に出かけました。
  
「南部中国語同好会」の方は宿題の中国語の作文があったのですが、旅行の為に何もやらないままに行きまし
  たが、学校と違って先生から叱られることはありませんが、自分自身を叱っておきました。
  午後からの
「坂下パソコン同好会」は当番なので早目に出かけましたが、国道19号線が工事中だったので、迂回
  して何とか午後1時前に着き、部屋の鍵を貰って開けて、待っていたメンバーを入ってもらいました。午後1時30分
  に先生の講義が始まって30分~40分経った時に部屋の中が少し揺れたので、地震かなと思いましたが、気が付
  かない人もいて、大したことは無いと思って、午後4時前に家に帰ると、家内が
「鳥取で大きな地震があった。」
  と言いながらテレビを見ていたら、鳥取県中部の
倉吉市付近で震度6弱(マグニチュード6.6)に地震が発生し、
  
鳥取市も震度5弱と出ていたので、中学時代の同級生が鳥取市に住んでいるので、さっそく、地震見舞いのメー
  ルを送りましたが、幸い、友人の所は玄関の置物が倒れましたが、室内は大きな被害は無かったと返事が来たの
  で、ホッとしましたが、友人の所は息子から余震があるかも知れないから今夜は車の中で寝るようにと言われた
  ので、どうしようかと考慮中ですとあったので、皆さん、熊本地震で余震で大きな被害になった事を知っている
  だけに慎重になっていると思いました。事実、私の東部中国語同好会の先生は熊本出身でご両親が地震の余震
  に耐えかねて、一時、こちらに避難していた時期がありますから、鳥取ではそうならない事を祈りたいです。


 10月18日(火)~10月20日(木)
阪急交通社”チャーター便で行くゆっくりじっくり世界遺産「屋久島・種子島3日間
  の旅」
に出かけました。この旅行は阪急交通社のFDAチャーター便で名古屋(小牧)空港から種子島空港に往復
  直行と言うので家内と一緒に参加しました。

  
18日(火)午前10時に名古屋空港集合なので、自宅を午前845分に出ましたが、午前920分には着いたの
  で、やはり、中部国際空港まで行くより随分楽だと思いました。
  空港内の受付カウンターに行き、航空券と昼食の弁当を受け取り、参加者を聞くと40名の申込みで4名のキャン
  セルがあり36名になったそうです。昨日、添乗員の小笠原さんから連絡があり、屋久島で16日(
)に大雨が降
  り、観光予定の
”紀元杉””屋久杉ランド”への道路が土砂崩れで通行止めになった為、予定している19日に行け
  るかどうか分からないとの事だったのでキャンセルする人が出たのかもしれません。
   
  午前1010分に搭乗開始、午前1030分出発を待っている時、隣の滑走路で話題のMRJの試験飛行が行われ
  ているのを機内の窓から見られたのは良かったと思いましたが、FDAの飛行機はそのせいかどうかは分かりま
  せんが、20
分遅れの出発になりました。
  家内はFDAの飛行機が小さいと心配していましたが、私は76人乗りなら小さいとは思えませんでしたし、飛行
  は順調で午後1215分に種子島空港に到着しました。受付で貰った八百彦の弁当は機内で食べましたが、なか
  なか美味しい弁当だと思いました。


  種子島空港は小さな空港でしたが、チャーター便を歓迎して記念の品を用意してくれ、ゆるキャラのベニー君の
  出迎えを受けました。私達は中型バスの1号車に乗りましたが、今、種子島屋久島は観光シーズンで観光バスを確
  保するのが大変で、今日だけは中型2台になったと今日のバスガイドの久保田さんが言ってました。
  種子島は私達には
”鉄砲伝来の地”として馴染み深い所ですが、九州大隅半島から南43kmの洋上にあり、長さ約
  58km、幅約12kmの細長い島です。現在では
”宇宙ロケット発射基地”として、度々、マスコミに登場するだけでな
  く、
”サーフィンの聖地”として若者に人気があるそうです。
   

  午後1230分に種子島空港を出発し、最初に
”JAXA(宇宙航空研究開発機構)”「種子島宇宙センター」に行
  きました。午後130分に宇宙センター内の宇宙科学技術館駐車場に到着し、ここからは宇宙センター専属のガ
  イドが案内してくれましたが、最初にロケット発射の時の中心になる
「総合司令棟(RCC)」に行きましたが、内部
  の沢山のコンピューターや大きなモニターを見ると発射の時の緊張感が伝わって来るような気がしました。
   
  続いて、大型ロケット発射台の見える
「ロケットの丘展望台」に行き、遠くに見える大型ロケット発射台と大型ロケ
  ット組立棟を見学しました。その後、
「大崎第一事務所」に保管している”H-2ロケット7号機”の機体や第1エンジ
  ン、第2エンジン等を説明を聞きながら見学しましたが、好きな人には堪らない物だろうと思いました。
   

  最後に
「宇宙科学技術館」に行きましたが、今まで打ち上げた日本のロケットや世界のロケットの縮尺模型や映像
  で発射の模様を見たのは興味深いものでした。家内は館内のミュージアムショップでお土産に宇宙食の羊羹を
  大量に買って、他の人達に驚かれていました。
   

  午後3時10分に「種子島宇宙センター」を出発し、西之表港に向かい、午後4時20分に到着、ジェットホイルターミ
  ナルから午後4時40分発の高速船トッピー(トビウオの事)で屋久島の安房港に午後5時30分に着き、迎えの観光
  バスで今日の宿泊先
「屋久島いわさきホテル」に向かい、午後6時15分に着きましたが、どうやら、今回のツアー
  は2グループ合同になっていて、もう1グループの人達は私達が降りた後、さらに1時間もバスで移動して宮之浦
  港近くの旅館に行くのですから大変だと思いました。
   
  午後6時20分に部屋に入り、早速、お風呂に行きましたが、ここは硫黄泉らしく、少し硫黄の臭いがしましたが、湯
  の花があまり浮いていなかったので、私には丁度良いお湯でした。

  夕食は午後7時15分から1階のレストラン
「森の精」で和食のコースでしたが、飲み物は日本酒を頼もうと思って、
  メニューを見ると、ビールとワインの他は焼酎しか無いのに驚きました。今まで日本国内で旅行して日本酒が無
  買ったのは屋久島が初めてですが、さすが、焼酎の島と言えるかもしれません。その代わりなのか、このホテル
  では焼酎(25度)と水を5:5で割り、一晩寝かせたものを薩摩焼の黒ぢょかでお燗しながら飲む焼酎があったの
  で、それを注文しましたが、出て来る料理にはピッタリのお酒でした。
   
  料理もなかなかのもので家内は刺身だけでなく、漬け物の切り口も包丁さばきが素晴らしく、切り口がスッキリ
  していると感心していました。私は酢の物のモズクの歯触りがシャキシャキしていて良いと思いました。
  午後8時半頃に夕食が終わり、売店でお土産の品定めをしてから部屋に帰ってテレビを見ていましたが、午後10
  時前には寝てしまいました。

  
19日(水)午前5時半頃に起きて、少し、旅行記を書き始めたら、午前6時過ぎに家内が起きて来たので、一緒に朝
  風呂に行きました。思ったより入っている人が少なく、露天風呂にゆっくり浸かりながら眠気を覚ましました。
  午前7時から6階の朝食ビュッフェ会場の
「テイスト・オブ・フォレスト」に行きました。「いわさきホテル」は前が海、
  後が山、という絶好のロケーションに立っているので、6階からだとどちらを眺めても素晴らしい眺めです。
   
   
  和洋折衷のメニューは種類は多くありませんが、丁度良い感じの料理が並んでいて、家内はゆで卵があると、ご
  機嫌で、料理も無くなるとすぐに補充され、フルーツもオレンジはしっかり切れ目が入っているし、キウィもゴール
  ドキウィでおいしいと喜んでいました。お蔭で色々と食べている内に食べ過ぎてしまいました。

  午前8時30分に宮之浦から来た小型バスと合流し、2台でホテルを出て、最初に
”大川(おおこ)の滝”に向いまし
  た。
「世界遺産屋久島」といっても、世界遺産に指定されている地域は島全体の面積の20%程度だという事です
  から、それ以外の地域との区別も難しいと思います。”屋久杉”というのは樹齢1000年以上の杉の事を言うそう
  ですが、杉も島の東側にあるのがほとんどで、西側には松が多いそうです。
  午前9時に着いた
”大川の滝”は幅10m高さ88mとの事ですが、雨が多くなると幅は広くなり、2倍3倍の量が流
  れて、とても近くまで行けないそうですが、今日は丁度見頃の量でなかなか見事な滝でした。
  午前9時30分に滝を出て走っていると、道路脇に
”ヤクザル”がいると今日のバスガイドの田代さんが教えてくれ
  ましたが、屋久島固有のサルで本土のサルより小さいそうです。その後、少し走ると
”ヤクシカ”もチラッと見え
  ましたが、世界遺産指定区域の
”西部林道”に入ってからは散策気分でバスを降りて歩きましたが、バスの中から
  見えた”ヤクザル”や”ヤクシカ”には出会いませんでした。
   
  午前10時10分に再びバスに乗り、ウミガメの産卵地
”永田浜”に向かいましたが、屋久島は周囲132kmで、大型バ
  スが通れない道路があり、その為、一周出来る小型バスで移動しているのですが、永田浜までの20数キロが小
  型同士でもすれ違いが出来ない所が有るので、前から車が来ると、どちらかが近くにある待避所まで下がって
  行き交う必要があり、今日は大型クルーズ船のにっぽん丸が入港している関係でレンタカーや小型バスと出会う
  事が度々ありました。

 「屋久島灯台」を左に見て、午前11時前に永田前浜を過ぎ、や
 っと、
”永田いなか浜”に到着しました、ここは800m続く砂浜
 の
日本一のウミガメ産卵地で、毎年6月~7月になるとアカ
 ウミガメやアオウミガメが上陸するそうです。
 ガイドさんの話ではウミガメは一度に100個~150個生むそう
 で、生んだ後、海に戻って再びオスと交尾し、20日前後で2回
 目の産卵をして、1シーズンに3回位の産卵で500個近い卵を
 産むウミガメもいるそうですが、無事に育つのは1%位だそ
 うです。
  ウミガメのオスメスは生んだ時には決まっていなくて、温度が高いとメス、低いとオスになると言われているそ
  うですが、一応、29度前後がオスメスの境界温度になっているようです。15分程海岸で桜貝を探したり、ウミガメ
  の卵の殻を見つけて戯れ、昼食会場のある安房に移動しました。

  午後12時に安房の
「杉匠」に到着し、お昼は”トビウオ定食”を食べました。揚げたてのトビウオの唐揚げは頭から
  全部食べられると言われましたが、頭と中骨は残してむなびれや尻尾まで全部食べましたが、思ったより柔らか
  くおいしい唐揚げでした。この店は2階が食堂で1階は屋久杉専門の土産物屋でしたが、立派な屋久杉の机や茶
  箪笥がありましたが、良いなあと思うと何百万円と書いてあるので目の保養だけは出来ました。
   
  午後1時に出発し、最初に近くにある
「屋久杉自然館」に行きましたが、入口を入るとすぐに大きな杉の枝が置い
  てあり、それが樹齢7000年と言われている
”縄文杉”の雪の重みで折れた枝で、その枝でも樹齢1000年は経っ
  ていると館内ガイドさんに聞かされ、床に縄文杉の断面の切込みがあり、スケールの大きさを実感しました。
  館内には樹齢1660年の切株もあり、屋久杉の年輪の細かさが良く分かり、500年でも50cm程度ですが、年が経
  つと共に年輪の間隔も少しづつ広くなっているのが一目で分かりました。
   
  映像館では昭和39年の杉の切りだし基地だった小杉谷の様子を写していましたが、屋久島が杉の産地だったの
  が良く分かり、当時は小学校まであり、大勢の人達が生活していたのが嘘のような感じです。

  午後2時に出発し、午後3時に
”弥生杉”のある”白谷雲水峡”に着き、8人~10人の4グループになり、ネイチャー
  ガイドが1人ずつ付いて案内をしてくれました。”屋久杉ランド”や”紀元杉”へ行く道路が通行止めが解除されな
  いので、屋久島の本当の自然は今回のツアーでは、ここでしか体験できないと聞き、私達を案内してくれる女性
  ガイドに付いて”弥生杉”を見る為に往復1時間30分を頑張って歩くことにしました。
   
  入口から白谷川沿いに歩いていると色の違う倒れている杉があり、これは
「土埋木(どまいぼく)」と言い、江戸
  時代に伐採された杉の枝木や根木が200年~300年経っても樹脂が多い為に腐らずに残っているもの言うそう
  で、この土埋木だけは搬出しても良く、現在、屋久杉工芸品に使われているそうですが、来年からは搬出が禁止
  になるため、今、工芸品の職人や業者は材料として
「土埋木」集めに一生懸命になっているそうです。
  さらに進んでいると一本の木でも根元が太く、その上にやや細い木が立っている杉がありましたが、これは切株
  の上に種が落ちて発芽生育した
「二代杉」で屋久島ではこういった切株更新の杉が至る所で見られるそうです。

  少し進むと白谷川の渓流に滝のように落ちている所があり
”飛流落とし”と言うそうです。そこから少し進んで右
  に曲がると急勾配の木柵階段になり、本当に苔むした森になり、マイナスイオンいっぱいの感じがしました。
   
  30分程歩くと急に一部明るい所に出て来たので、不思議な感じでしたが、ガイドさんの話では何年か前の大雨で
  土砂崩れになった場所で、少し下の方には大きな岩が幾つか見えました。その場所から直ぐの標高710mの所に
  
”弥生杉”がありましたが、樹高26.1m、胸高周囲8.1m、樹齢3000年で「日本の巨樹巨木百選」にも選ばれていて
  、”縄文杉”や”紀元杉”と共に屋久杉の代表格になっているそうです。他の木に邪魔されて全体の姿を写真に撮
  る事は難しかったのですが、樹齢3000年と言われるだけに本当に堂々とした姿だと思いました。
  
  
”弥生杉”から少し行くと、木の周りに根がまとわりついている”気根杉”ありましたが、これは苔が根に付着し、
  堆積した腐葉土を栄養に肥大化した根が気根になったそうです。近くには触るとヒヤッとするヒメシャラの木が
  あり、赤い肌をしているので直ぐに分かります。
  午後4時40分にスタート地点に戻りましたが、本来ならもっと奥まで行くコースもあり、他の屋久杉の巨木を見る
  事も出来るそうですが、ツアーだと時間の関係もあり、次に来ることがあったら、是非、奥の方まで行って見たい
  と思いました。
  午後4時45分に”白谷雲水峡”を出発し、午後5時50分にホテルに到着しました。昨日よりは早い時間だったので、
  ゆっくり温泉に入ってから夕食会場に行きましたが、今日は和洋折衷のコースを堪能しました。部屋に帰る途中、
  売店でお土産を買って宅急便で送ってもらいました。

  
20日(木)今朝も午前5時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きて写真の整理をし、午前6時前に家内と一緒に朝
  風呂に行きましたが、今日も天気は良さそうなので安心しました。
  午前7時に6階の朝食会場に行き、今日はパンとコーヒーで洋食にしましたが、パンは自家製かどうかわかりませ
  んが、1つのつもりが3つも食べてしまい、昨日と同じで食べ過ぎてしまいました。
 ホテルを出発する時に
「屋久島いわさきホテル」のシンボル
 とも言える”屋久杉オブジェ”の前で記念写真を撮りました
 が、このオブジェは縄文杉や紀元杉を元にアメリカの「ラー
 ソン社」が造った物で、高さ13.5m、最大幹回り10m、費用が
 7,200万円の本物そっくりのオブジェで、実に見事な出来だ
 と思います。
 ホテルのロビーからの眺めも尾之間三岳(おのあいだみた
 け)と呼ばれる峰々が綺麗に見えて素晴らしい景色でした。
 午前8時にホテルを出て、宮之浦に泊まっているグループを
  迎えに行き、午前8時45分に
「田代別館」に到着しましたが、家内は私達の宿泊した「屋久島いわさきホテル」
  かなり立派な建物ですが、それに比べて、かなり粗末と言うと叱られるかもしれませんが、それ位、差があるの
  はどうしてと、誰かに聞くと、値段に差があったと言われたのですが、私も意識して予約した積りは無かったので
  
「田代別館」で予約していると、家内からかなり、非難されたかもしれません。午前9時出発予定になっていたの
  で、皆さん揃うまで旅館の売店でも見ようと行くと、箸職人の作った屋久杉の8角形の箸1,400円があったので
  思わず買ってしまいました。

  午前9時に出発し、5分も走らない内に
「益救(やく)神社」に着きました。この神社は醍醐天皇(885年~930年)
  の時代から出て来る古い神社ですが、昭和28年に再建する時に本殿を総屋久杉造りにした贅沢なものらしいの
  ですが、お参りした前の社殿はただの古い神社にしか見えませんでしたが、奥の本殿の横板は立派な屋久杉で
  した。境内の中にあった石彫りの阿形吽形の仁王像がなかなか雰囲気のある石像で天保2年(1832年)の年号
  が入っているので180年程前のものだと分かり、皆さん珍しいと関心を寄せていました。
   
  午前9時20分に神社を出て5分もしない内に宮之浦港ターミナルに着きました。午前10時発の高速艇トッピーに
  乗る予定なので、それまではターミナル内で売店の土産物等を見て待っていました。

  午前10時発のトッピーは予定通り50分で種子島西之表港に到着し、バスですぐ傍の
「鉄砲館(種子島開発総合セ
  ンター)」
に行き、ここでも館内を専門ガイド(西之表町職員?)さんに案内してもらいました。1時間近く、種子島
  の歴史や七尋五葉の切株、鉄砲伝来の物語を見学しましたが、私が興味深かったのは古墳時代の広田遺跡出土
  の
”「山」文字貝符”(レプリカ)で日本最古の文字と言われ、書体は中国漢代の隷書体で「山」は墓という意味を
  表しているそうです。
   

 その後、午後12時頃から歩いて5分位の「月窓亭」に行きまし
 た。
「月窓亭」は1793年に種子島家の家老職だった羽生家の
 羽生道潔が建てた建物で、孫の池坊の花道を全国に普及さ
 せた
羽生慎翁もここで茶道・花道を修業したそうです。
 明治維新後、拠り所の無かった種子島家27代の種子島守時
 を迎え入れて種子島家屋敷となり、種子島家の歴史を綴る
 家譜類やポルトガル伝来銃、国産第1号銃、生き人形”山の井
 様”等の宝物が保存されてきたそうです。
 なお、将棋の
羽生善治名人も羽生家の親戚で種子島にある
  羽生家のお墓にお参りに何回か来ているそうです。
   
  午後12時半に鉄砲館に戻り、そこからバスで10分程の昼食会場
「荒木ホテル」に行き、”白身魚フライ定食”を食
  べましたが、一緒に出て来たトビウオの片身の唐揚げは昨日の揚げたてではなく、白身フライ共々、冷めていた
  ので身だけ食べました。それでも、このホテルに寄って良かったのは直ぐ近くに私が買いたかった
”種子鋏”を売
  っている店を教えて貰った事です。
   
  ”種子鋏”は2,3年前にテレビで見て、その手作りの技法や素朴剛強で”切る度に磨ぐ”という切れ味に惚れこみ、
  種子島に行ったら絶対に買いたいと思っていたのですが、売っている所が分からず、困っていたのでフロントの
  女性に聞くと、裏の
「ひげさんの店」で売っていますと教えられたので、昼食後、大急ぎでその店に行き、事情を
  話すと、ひげ面の主人が本家の37代目牧瀬義文は4月に亡くなり、弟子入りしている人は来年から造り始める予
  定ですが、今は37代目牧瀬義文の弟子で、数年前に独立した
”梅木昌二”だけしか手作りの種子鋏は作っていな
  いそうです。家内は小出刃が欲しいと言ったら、同じ牧瀬家の弟子で、去年まで造っていたが90歳過ぎたので、
  今年から作らなくなった
”山下正吉”の漁師の奥さん連中が飛び魚をおろす時に使う「アジ切包丁」が3本だけ
  残っていると言われたので
、”梅木昌二”の種子鋏4,300円(税別)と”山下正吉”のアジ切包丁3,500円(税別)を
  買いましたが、家内は店の主人の話を聞いただけでも
「ひげさんの店」に来たかいがあったと喜んでいました。

  午後1時15分出発予定だったので、5分前にホテルに戻り、今日の種子島での最初の目的地
「門倉岬」に向かいま
  したが、干潮の時でないとみられない
「千座(ちくら)の岩屋」を先に見た方が良いと言うバスガイドの久保田さ
  んの意見を添乗員の小笠原さんが受け入れて、
「千座の岩屋」へ行く事になりました。
  午後2時過ぎに着くと、丁度、干潮で千人が座れると言う洞窟の奥まで入る事が出来て、皆さん大喜びでした。
   

  30分程楽しんでからポルトガル船(正しくはポルトガル人を乗せた明国船)が遭難漂着し、鉄砲伝来ゆかりの地に
  なったと
「門倉岬」に向いましたが、途中、モンキーバナナを育てている家がありました。午後3時過ぎに「門倉
  」
に着き、岬を一回りしてみると風が強く、自生か植えたのか分かりませんが、蘇鉄が沢山あり、近くには岩場も
  あって、船が遭難したのも分かるような気がしました。
   

  午後3時半に岬を出て、種子島空港に向かう途中、トンミー市場(農協?)に寄り、最後の土産物を買いましたが、
  家内は処理済みのニガ竹(こちらのハチク?)や黒糖空豆、私はJAXAの帽子を買いました。他の人達も値段が安
  かったのでたくさん買っていました。その上、観光バス会社から、お土産として、種子島特産の糖度の高い安納芋
  2個を一人一人に貰えました。
   
  午後4時10分に店を出て午後5時前に種子島空港に着き、荷物を作り直して預け、午後5時10分過ぎに搭乗口に行
  くと間もなく登場が始まり、午後5時35分にはチャーター機は出発しましたが、機内は来る時もそうでしたが、定
  員76名に37名しか乗っていないのでゆったりしていました。国内線で小さな空港ですから本当にあっという間
  に出発できる事を改めて認識しました。飛行も順調で午後6時55分に小牧空港に着陸、スーツケ-スを受け取っ
  て、空港内のレストランが営業中だったので名古屋名物セット900円を食べて、春日井の自宅に着いたのは午後8
  時30分でした。
  今回の「屋久島・種子島3日間の旅」は土砂崩れで「屋久杉ランド」”紀元杉”には行けませんでしたが、3日間
  共、雨の多い屋久島でも珍しく、天気に恵まれたのは幸いでした。それと、前から買いたいと思っていた本物の手
  作りの
「種子鋏」「アジ切包丁」が運よく買えた事も良かったと思います。もう一度、行く機会があれば、屋久
  杉の苔むした森をゆっくり自分達のペース歩きたいと思っていますが、どうなるか分かりません。



 10月17日(月)
  昨日一昨日と違い、朝から雨の降る日になり、家内に「一日違いで良かったね」と言われましたが、本当に”春日
  井まつり”
の日でなくて良かったと思いました。何年か前に日曜日が雨になり、商品が売れ残りそうになり、商品
  を持って売り歩いた事が思い出されました。
  家内は
「ひかり接骨院」で治療を受けてから義母の所に行くと言って早目に家を出て行きました。私は金曜日の
  夜に左上の奥から2番目の歯が欠けたので、午前9時に
「前多歯科医院」に電話して、午前10時の予約が取れた
  のですぐに治療に行きました。
  先生の診察では歯の真ん中が虫歯になっていて、神経が出ていなければ良いが、神経が出ているとやっかいだ
  と言って、麻酔注射を打って治療を始めましたが、幸い、神経は出ていなかったらしく、30分間、口を開けっ放し
  でしたが、一気に治療してくれて、明日からの
”種子島屋久島2泊3日の旅”は歯を気にしなくても大丈夫だと言
  われました。治療後、2時間位は麻酔が切れてから少しズキズキしていたので、一気に治療してくれたのが裏目に
  出たのかと心配しましたが、その後、痛みも無くなったので安心しました。


 10月16日(

  今朝も昨日ほどではありませんでしたが、気持の良い青空の見える日になりました。今日も家内と一緒に午前7
  時45分に家を出て、春日井まつりの
「全国お国巡り物産展」の会場に行きました。
  会場ではすでに
S.Kさん夫妻が来ていて、荷物を降ろしていましたが、今日はブドウは昨日の取り置きをしてい
  た5箱しかなく、大手饅頭と吉備団子は、昨日、追加注文していた商品がS.Kさんの会社に午前7時には到着した
  というのですから、本当に便利な時代になったと思いました。午前8時過ぎにまだ商品を並べ終わらない時に女
  性2人連れが来て、ブドウのシャインマスカットをどうしても買いたかったからと言って4房とピオーネを2房買っ
  てくれましたが、ブドウの数が少ない時に沢山買われると困ると言う気持ちになるのは贅沢かもしれませんが、
  本音でした。その後も天気の良いせいか早々とブドウや大手饅頭を買いに来る人がいて、昨日の予想通り、ブド
  ウは午前10時頃には完売になり、心配していた吉備団子も午前11時半には大手饅頭とほぼ同時に完売になりま
  した。他の部会員の県でも今年は天が良いせいか売れ行きが好調だと話しているし、いつも隣で完売を競争し
  ている宮崎県も岡山県よりは少し遅れましたが、昼には完売になったと言ってました。

 お昼は私は隣の福井県の焼き鯖寿し(1080円)を買って食べましたが
 、家内は広島焼きを買って来て食べました。
 完売になっても帰る訳にはいかないので、午後12時半頃にパレードを
 見に行くと、先頭近くの幼稚園児によるパレードが到着し、続いてボ
 ーイスカウトの手旗行進や小学生のマーチングバンドなどがありまし
 たが、本体の
道風行列はずっと後の方なので諦めて帰って来ました。
 その後、家内と一緒に市民サロンの古本バザール行って、3冊100円
 になった文庫本を6冊200円で買いましたが、家内は料理とお菓子の
  本を買っていました。他の人を見ると何十冊も買っている人がいるのは凄いと思いました。

  まつりは毎年午後4時で終了ですが、いつもなら、ギリギリまで売っている店が多いのですが、今年は早々と売り
  切れになって、店仕舞いしている店が多いのは、やはり、天気の良さが原因なのかなと思いました。午後4時半
  から車の通行が許可になり、
S.Kさんが車を持って来て事務用品を積んで帰ったので私達も家路に着きました。
  今年の
「第40回春日井まつり」は実務を若いS.Kさんが引き受けてくれたお陰で、雑用が少しになり、精神的にも
  楽になった分、疲れも例年よりは少なくなり、本当にS.Kさんに感謝です。来年以降もS.Kさんが本格的にやって
  くれる事になれば、私は元気な内は黒子として協力したいと思っています。



 10月15日(土)
  朝から雲一つない天気になり、絶好の祭り日和になりました。今日明日は「第40回春日井
  まつり」
があるので、今朝は午前7時30分に家内と一緒に家を出て、「全国お国巡り物産
  展」
会場に行きました。
  今年から私より20歳若い
S.Kさんが実務を引き受けてくれたので、去年まで車に荷物を満
  載にして会場入りしていたのが、今年は体一つで行けば良く、気持ちも楽になりました。
  午前7時45分位に指定駐車場に着き、家内は中央公園会場で剣道連盟の子供の演武のお
  手伝いを頼まれているので、そちらの会場に行き、私は「全国お国巡り物産展」会場に行
  きました。
 既に
S.Kさんが到着して岡山県のブ-スを作っていたので、私も手伝っていると、毎年のメン
 バーの
K.MさんU.Hさんが到着し午前9時前には何とか岡山県ブースが出来上がりました。
 今年は天気が良いせいか、ブースが出来る前からお客さんがブドウを買いに来てくれて、今
 年の売れ行きの良さを暗示してくれたような気がしました。暗示の通り午前中に売り切れの
 感じがしたので、S.Kさんが明日用に残しておいたブドウの一部を売る事にして、彼の会社に
 取りに行き、4箱だけ売る事にしましたが、それも午後2時には売り切れになりました。
 午後3時前には大手饅頭と吉備団子が売り切れになりましたが、
S.Kさんが昼過ぎに追加注
 文で明日朝到着分を頼んであったので、お客様には明日来ますからよろしくと言って宣伝し
  ました。その後もブドウとか吉備団子を買いたいお客さんが来ましたが、皆さんに明日来てもらうようにお願い
  して引き取ってもらいましたが、明日も天気予報が良いので早めに売り切れるのではと思っています。



 10月13日(木)
  午前10時から「東部中国語同好会」があったので行きましたが、心配していた3ヶ月休んでいた会員のA.Sさん
  来てくれたのでホッとしました。
A.Sさんは7月にバリアフリーの住宅に移り、新しい家の模様替えや整理の為に
  8月を休んで9月からと言ってたのが、9月も休み10月からに変わったので、このまま退会するのではと心配して
  いたのですが、今日、元気な顔を見せてくれたので、本当に良かったと思いました。
  元々、自分から電話をして来て入会し、レベルは同好会の中でも出来の悪い私よりも少し低い位の方ですが、気
  持ちは前向きで、やる気十分だったので戻って来てくれるとは思っていましたが、それでも、私が勝手にひょっと
  したらそのまま退会するかもしれないと想像したのが申し訳ない気がしました。会員の皆さんも5人が6人に戻っ
  ただけでも、今までより賑やかな感じがすると元気になったようでした。



 10月12日(水)
  今日は長女の下の娘のnt実の幼稚園の運動会なので家内と一緒に見学に行きました。家内も私も予定があった
  のですが、今年が年長組で最後だといわれ、孫には勝てないので出かけました。
  天気も良く、絶好の運動会日和で、午前9時半に幼稚園に到着すると開会式の最中で、平日にも拘わらず大勢の
  父兄が来ていました。当然、
婿のnao君も会社を休んで来ていましたが、今はほとんどの親が参加しているよう
  です。最初の種目が年長組のリレーでしたが、
nt実は2人目で走りましたが、入園した頃には走るのがやっとの
  感じだった子が一生懸命走り、最後には1人抜いたのを見ると、「本当に成長したなあ」と思いました。
  その後も母娘ダンスや組体操、鼓笛隊などで頑張っていましたが、年少組の時にはあまり感情も表さなかった子
  が活き活きした表情で色々な種目に頑張っているのを見ていると、こちらの気持ちも元気になりました。
   
  午後12時前に終わり、一緒に家に帰ってお昼に娘の作ってあったカレーを一緒に食べましたが、食べている時に
  
「おいしいね。おいしいね。」と言いながら食べているnt実を見ると、本当に美味しそうに食べていているので、
  一緒に食べているこちらまでおいしさが伝わってきました。
  午後2時前に
上のmn実が大急ぎで学校から帰って来て、早速、家内とnt実と3人で遊んでいましたが、孫2人に
  とっては家内は一番好きな人のようですが、私から見ても本当に上手に遊んでいると感心します。


 10月11日(火)
  今朝はかなり冷え込むという予報でしたが、朝起きて温度計を見ると15℃だったので、この地方では平年並み
  で過ごしやすい日になったかなと思いました。
  家内はいつもの様に婦人剣道で
「誠武館」に行ったので、私は腰の治療のために「皿貝接骨院」に行きました。家
  に帰って来てお昼を食べようと思ったら、ご飯が無かったので、取り敢えず、炊いておこうと思い、炊飯器を洗っ
  てお米3合を研いで、炊飯のスイッチを入れてから、冷蔵庫の冷凍室を見たら、冷凍にしてあるご飯を見つけたの
  で、炊き上がるまで1時間待つより良いと思い、解凍して、残り物のおかずと一緒に食べました。
  夕食は久し振りに
N夫妻と一緒に瀬戸市の日本料理「大竹」で食事会の予定があったので、午後6時前に迎えに
  行き同行しました。この店は地元出身の主人が名古屋の名店で修業して、2年位前に奥さんと2人で開店したとの
  事で、先日、家内がお茶仲間の昼食会で来店して、料理も店の雰囲気も良かったので
N夫妻との食事会に選んだ
  そうです。家内の言う通り、出て来る料理は素材を生かしながら工夫して出しているのが良く分かるもので、若
  いご主人の心意気が分かる感じでした。
   

   
  N夫妻との食事会は料理は勿論ですが、お互いの近況や考えを隠さず話せるという気持ちの開放感が一番のご
  馳走で、2時間近くの時間があっという間に過ぎてしまいます。午後8時半に店を出て、N夫妻を家まで送ってから
  我が家に着いたのは午後9時でした。



 10月10日(月)
体育の日
 
 朝から雲は多目ですが、雨の心配は無さそうで、今日、運動会を予定している所では絶好の運動会日和になりま
  した。家内はいつもの月曜日と同じで義母の所に行きましたが、義母も最近は家内が話しかけても、あまり、返事
  をしなくなって、会話も少なくなっているので、今日の反応はどうかなと言いながら出かけました。
 私は家内が出かける前にレモンの伸びた枝を切っていたので、後の
 整理をしましたが、ついでにユズの枝も少し整理しました。両方共、枝
 の棘が凄いので注意しながら小さく切ってゴミ袋に入れましたが、
 結構大変でした。他に庭では秋の七草の
フジバカマが花を咲かせ、
 ホトトギス
も今が盛りと咲いています。
 
「体育の日」だというのにずっと家にいたので、少し体を動かそうと
 午後3時過ぎから本屋とゴルフショップに行きましたが、買いたい本
 も前から探しているフェアウエイウッドも見つからなかったので、そ
  のまま帰って来ました。



 10月9日(

  次男は友人3人と福井県まで釣りに行く為に夜中の午前2時過ぎに出かけたようですが、天気予報では朝の内、
  雨になっていたので、こんな天気予報の時でも行くのは釣り好き仲間でも好きな連中だと思いましたが、雨は早
  い内に止んだので、風が吹かなければ釣りに支障はなかったと思います。
  午後から家内と一緒に
「ホームセンターコーナン」と併設されている「フレッシュフーズフィール」に行き、広告の
  品と晩御飯を買いましたが、「ホームセンターコーナン」は開店5日目になると客足も落ち着いて、ゆっくり品定
  めが出来て、本当に必要な品物だけ選んで買えました。



 10月8日(土)
  朝から降ったり止んだりの天気で、午前10時頃までは肌寒さを感じましたが、雨が止んでからはジメジメした日
  になりました。午前9時過ぎにいつもの様にモスバーガーの店に行き、ゴルフ仲間とお茶をしてから、5日に開店
  したばかりの
「ホームセンターコーナン」に寄ってアンケートを出して、記念のボールペンを貰って、広告の品だ
  け買って帰って来ました。
  午後からは雲が出て来て今にも降りそうな天気になったり、空が明るくなり、雨の心配は無さそうになったりと
  忙しい天気でしたが、雨は降らず、午後6時からの安全協議会の役員会も午後7時からの安全パトロールも予定通
  り行われましたが、天気のせいか、参加者は少なめでした。


 10月7日(金)
  今朝は15℃と冷え込んだと思いましたが、本来はこれが平年並みで、この所の暖かさが冷え込みを強く感じさ
  せたようです。今日も昨日ほどではありませんが、日中は気持の良い過ごしやす日でした。
  家内は昨日に続いて小牧南スポーツセンターで女性の稽古会があったので、午前9時頃に出かけて行きました。
  私は午前10時から
「南部中国語同好会」に行きましたが、出席者は今日も6人と淋しいですが、この所、ずっと欠
  席のK.Kさんがこのまま退会すると会の存続が危ういので、何とか辞めずに続けてほしいと思っています。
  午後からは
「坂下パソコン同好会」があり、今月は私が部屋を開ける鍵当番なので、午後1時前に坂下公民館に
  行き、部屋を開けましたが、こちらの方は今日も定員20名のメンバー全員が出席という賑やかさで、中国語関係
  の同好会とは雲泥の差だと思いました。



 10月6日(木)
  久しぶりに朝から青空の気持ち良い日になりました。家内は愛知県剣道連盟女子部の剣道型講習が名古屋笠寺
  の
「日本ガイシホール」(レインボーホール)であるので午前8時に出かけて行きました。
  私は気持ち良さに誘われて、風が少しありましたが、午前9時頃に
「王子ゴルフ練習場」に行き、200球ばかり練習
  しましたが、腰の調子が悪く、風のせいか当りもいまいちでした。早々に切り上げ、その足で「フィール」に行き、
  早生ミカンと本日の広告品のもやしと大根、玉ねぎを買って帰りました。
 お昼は昨日の残った鍋に買って来たもやしと家内の切ってあった白菜を入れて食べ、午後
 から中部大学の
「映画研究」(小川順子准教授)に行きました。今日は溝口健二監督の「浪華
 悲歌(なにわエレジー)」
(1936年作)の主要な部分を見て、当時の時代背景や家族について
 講義がありましたが、私は主演の
”山田五十鈴”の若い時の姿が見られてそちらの方に気が
 取られました。
 
”山田五十鈴”は1917年生まれですから、当時、19歳でこの映画の主演を演じていますが、と
 ても19歳には見えない大人の女性の演技で、この映画で女優として
”自立する女性”を演じ
 きり、演技派女優としての地位を確立したのも頷けました。


 10月5日(水)
  家内は午前中お茶の稽古、午後から日本画があるので午前9時過ぎに出かけて行きまし
  たが、出掛けに昨日描きあげた写仏画の
「馬頭観音」を日本画の臼井先生に見てもらお
  うと持って行く前に写真を撮りましたが、今回はかなり一生懸命やっていただけあって
  なかなか良く描けていると思いました。
  
「馬頭観音」は顔が馬になっていたり、頭部に馬を置いているそうですが、優しいはずの
  観音が怒髪を逆立て、真っ赤になっているのは衆生のために
”抜苦与楽”(苦を取り除い
  て楽を与える慈悲の働き)に精進されている姿で、一名
「馬頭明王」とも呼ばれるそうで
  す。観音様はどれほど激しい忿怒形であっても、その心底には限りない慈悲の深い想い
  をたたえています。
  私は午前中「春日井まつり」の協力の依頼状を郵送しなかった人の家に届けた後、本日開店の
「ホームセンター
  コーナン」
に記念品のボールペンを貰う積りで寄ったら、先着300名様限りで既に終了していました。
  お昼は家で、昨日、家内が剣道友達のNさんからおすそ分けで頂いたマッタケでマッタケご飯と吸い物を作って
  あったので、それを食べてから中部大学の
「伝統芸能論」(嘉原優子教授)の講義に行きました。今日は歌舞伎の
  
『仮名手本忠臣蔵』について講義を受けましたが、十一段+道行の概要を聞き、今度見た時の参考になると思い
  ました。



 10月4日(火)
  家内は午前8時に「誠武館」の鍵を開けなければと出かけて行きましたが、今日は家内の2ヶ月に一度の愛知医
  大の定期検診日ですが、私が
「春日井まつり」の関係で、今年から私の仕事を引き受けてくれるS.Kさんを岡山
  県人会の
K.Mさんの会社に一緒に行って、先月の「全国県人会まつり」で売れ残った黒豆茶と帆布製品等や備品
  を受け取る約束があったので、愛知医大に同行できない為に、そのまま1人で病院に向かいました。
  12年前から通院を始めて、私が一緒に行かないのは初めてなので、内心、家内も数値に変化があったらどうしよ
  うと思っていたらしく、診察の時に先生に血小板の数値を聞き、今までと大差のない結果だったので、午前11時
  過ぎに安心してとメールがありました。私も気になっていたものの、家内の最近の様子から検査結果に変化は無
  いだろうと思っていましたが、それでも、本人からメールで結果を知り安心しました。
  
K.Mさんから受け取った荷物の中に法被だけが無かったので、そこから、S.Kさんを県人会の事務所まで案内して
  法被を受け取り、本日の仕事は完了となりました。県人会の事務所でS.Kさんと別れ、途中でお昼に藤ラーメンを
  食べてから帰りました。
  午後から
「春日井まつり」の協力要請の依頼状を春日井在住の県人会会員に出して、午後4時過ぎに市民プール
  に行くと、今日も空いていてゆっくり泳げました。特に午後5時過ぎからの25mプールと流水プールは水泳教室
  の子供達30人を除くと、大人が25mプールに2人、流水プールに3人の合計5人しかいませんでした。私が上った
  午後6時前には10人近くになりましたが、それにしても空いていました。



 10月3日(月)
  今日も朝から雨の天気でしたが、午前8時半前に家を出て、東部公民館の12月分の使用申し込みに行きました。 いつもより早目に着いたつもりですが、到着順では28番目だったので、思ったより皆さん出
 足が早いなと思いました。午前9時から申し込み順の抽選が始まり、28番目に私が引いた番
 号札は到着順と同じ28番だったのは、偶然にしても、出来過ぎの感じでしたが、今日は28番
 では部屋を取るのも難しいと思っていたのが、スムーズに確保できたのでホッとしました。
 午前10時前に申し込み手続きが終わったので、その足で
「皿貝接骨院」に腰の治療に行き、
 昼前に家に帰ると、今日は義母の所に行った家内が出かける前に、昨日、次男が釣って来た
 小魚をまとめて煮てあったので、それをおかずにお昼を食べましたが、小魚でも新鮮な分
 おいしいと思いました。
  午後6時過ぎに家内が帰って来て、夕食を食べている時に
ノーベル医学・生理学賞
  に
東京工業大学栄誉教授大隅良典氏が決まったと臨時ニュースが流れました。
  その後のニュースで受賞理由が
”オートファジー(自食作用)の仕組み発見”という
  業績と聞きましたが、私達にとっては初めて聞く言葉でピンと来ませんでしたが、
  解説を聞いている内に何となく分かり、将来、がんやパーキンソン病等の治療に役
  に立つと聞き、早く解明して、実用化してほしいと思いました。
  (
オートファジーとは、細胞内の一部を分解してリサイクルする仕組みで、主に外部
  から十分な栄養をとれないときに起こる。細胞内をきれいにする浄化作用や、病原菌を分解する免疫などの役
  割も担っていることが分かってきた。酵母のような単細胞生物から哺乳類まで全ての真核生物がオートファジー
  の機能を持っている。)


 10月2日(

  次男は明け方から友人と一緒に師崎の方へ釣りに行き、家内は今描いている仏画「馬頭観音」の仕上げに入って
  いるので、衣の柄や背景の細かい所を集中して描いている時はほとんど話もしないから、今日は私は午前中は
  ゆっくり休養して、午後からもテレビで
「日本女子オープンゴルフ選手権」をずっと見ていました。
  今日はアウトの9ホールを終わった時点で、3日目トップのアマチュアの
15歳の長野未祈選手が、最終日最終組の
  緊張からか調子を崩し、代わって昨日2位に後退した
20歳のプロ堀琴音選手がトップに立っていましたが、テレビ
  を見ている内に5位タイで4組前にスタートしたアマチュアの
17歳の畑岡奈紗選手が-4アンダーでトップに並び
  ましたが、16番で3パットしてボギーになり、3アンダーで2位に後退しましたが、最終18番ホールで難しい上から
  のパットを決めて、バーディを取って、再び4アンダーに並びました。
  一方、堀琴音選手は並ばれた事を知らなかったのか、長い17番(パー4)でレイアップしてボギーを叩き、-3アン
  ダーの2位に後退しました。18番ホールでは長いバーディパットが惜しくも外れてプレーオフには持ち込めず、最
  終的には17歳263日の畑岡奈紗選手がアマチュア初で史上最年少優勝を果たしました。
  名前の奈紗(なさ)は両親が
”前人未踏の地を踏んでほしい”とアメリカのNASA(米航空宇宙局)から取って付け
  たと言いますから、今後の活躍に期待したいと思います。
  畑岡選手の優勝を見届けてから市民プールに行きましたが、天気が良くなり暑くなったせいか、結構、大勢の人
  が来ていましたが、25mプールの泳ぎ専門コースには人が少なかったので、マイペースで500mを泳ぎ、流水プ
  -ルで40分ウオーキングをして帰ってきました。

 夕食を終わってゆっくりしている午後8時頃に師崎に釣りに行った次男が帰って来て、
 師崎では釣れなくて雨が降っていたので、日間賀島まで船で渡って、向こうで釣った
 が、小物ばかりだったというので、クーラーボックスを見ると、確かに小物ばかりでした
 が、それでも、数はアジやメバル、メジナ・タイ等20匹以上いました。
 次男は捨てれば良いと言ってましたが、家内は折角釣って来たからと唐揚げと煮付け
 の下準備をしていました。暫くして下準備が終わった家内が疲れた顔をして、これから
 は現地で食べて来るか、何処かで処理してから持って帰って来てほしいとボヤいてい
 ましたが、確かに夕食が終わって、さあ一休みと思った所に手間のかかる魚を持って帰
  られても、次男が自分で調理はしないし、私も出来ないので、家内がボヤくのも最もだと思いました。


 10月1日(土)
  台風や秋雨前線の停滞でほとんど晴れた日の無かった9月も終わり、今日から10月ですが、今朝も朝方まで雨の
  残る曇りの日になり、当分の間、晴れは期待薄のようですが、早く、秋晴れになってほしいと思っています。
  月初めで
「坂下パソコン同好会」の申し込み当番になっているので、午前8時半過ぎに坂
  下公民館に行きました。受け付けで書いた順番は30番目でしたが、くじを引くと申し込み
  の順番は更に遅く、53番の札になりました。
  明後日も東部公民館の申し込みをする事になっていますが、この所、3回連続、40番以降
  ばかりなので、次回は何とか申し込みの順番で20番台までの札を引きたいと願っていま
  すが、自信は全くありません。
  53番目で受け付けが終わったのは午前10時過ぎでしたが、東部公民館だったらもっと遅
  い時間までかかったと思いますが、坂下公民館は各団体が上手く調整出来ているので、
  重なっても部屋さえ変更すれば曜日や時間を変更する必要がないので安心です。パソコン同好会の第1会議室
  はコンセントがパソコン用に配置されているので順番が後の方でも必ず確保できます。
  
  10月1日の我が家の庭は、先日、家内が綺麗に整理して切った
セージから芽が出たと思ったら小さな花を付けて
  いたので驚きました。半分くらい色づいていた
ムラサキシキブの実はすっかり紫色に色づいていますし、ハギ
  今が盛りと思うくらい伸びて沢山の花を咲かせています。家内の好きな
シュウメイギクも可愛い花を咲かせ始
  めて私達の目を楽しませてくれています。
   

    
 
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