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10月25日(水)~10月31日(火)クラブツーリズム【中国五千年倶楽部】の「客家と華僑の故郷 海のシルクロードの出 発点・福建省の旅 7日間」に行ってきました。2年前に”世界遺産福建土楼”が見たくて申し込んだツアーが参加者 が少なくて不催行になったので、今回はどうかなと心配していましたが、催行の案内が来てホッとしていました。 25日(水)午前6時15分に家を出て、家内に春日井駅まで送って貰い、午前8時前に中部国際空港のクラブツーリズ ムの受け付けで今回の添乗員のA.Hさんから航空券を貰い、簡単な説明を受けて、Cカウンターの中国東方航空で 搭乗手続きをしてから手荷物検査と出国手続きをして、免税店で次男のタバコを買って22番搭乗口に行きました。 今回のツアーの参加者が13名でほとんど1人参加の方が多いと聞いていたので、誰か顔見知りがいるかと思って 搭乗口に行くと、以前、中国ツアーで一緒になった人が4人もいたのは驚きでした。 今回のメンバーは夫婦1組と他は女性が6人、男性が5人のいずれも1人参加の合計13人で、その上、ご夫婦とG.S さん、私と4人が春日井在住だと分かりました。 午前9時50分から搭乗が始まり、機内はほぼ満席でしたが、偶然、私の周囲は真ん中の席が空いていたので、気分 的にはゆったりした感じで、機内食を食べる時も楽な気持ちで食べられました。 MU2692便は定刻の午前10時30分に雨の中部国空港を離陸し、予定よりも45分以上早く、現地時間午前11時45分 に晴れた上海浦東空港に着陸しましたが、着陸した所が新しく作っている第3ターミナルに近い所で、第2ターミナ ルに移動するだけでも時間が掛かり、入国手続きをして荷物受取り場所に行くと、スーツケースが降ろされて並ん でいました。 荷物を受け取り、到着ロビーに行くと、現地ガイドがまだ着いていませんでしたが、20分程して到着し、午後1時20 分にバスで上海市内の昼食会場に向かいました。久し振りに上海市内に来ましたが、以前、上海一高い森ビルの展 望台から見た時に建築中だった上海センタービルが完成していて632mと言う高さを誇らしげに建っていました が、地下鉄やビルもも工事中の所があり、上海はまだまだ土地が高くなっているようです。 私達の昼食会場は「上海博物館」の傍にある”D・MALL”と言う地下のショッピングモールにある「海四季」という店 でしたが、着いたのが午後2時半とあって休憩中なのか、お客さんは誰もいませんでした。料理は唐辛子を全く抜 いているのか味は物足りませんでしたが、辛いのが苦手の人は喜んでいました。”D・MALL”は近くにスターバック スや丸亀製麺があり、なかなか、賑やかな地下街でした。 午後3時半に店を出て、高速鉄道の「上海虹橋駅」に向いましたが、40分位で着くのが市内の渋滞で1時間掛かりま したが、「上海虹橋駅」は虹橋空港の近くに新しい第2虹橋空港ターミナルと一緒に出来たらしく、中国らしく大き な駅でしたが、セキュリティがうるさくて、安全検査を2カ所で受けてから、やっと、中に入る事が出来ました。 午後5時22分発の福州行きに乗り、武夷山北駅まで行くのですが、車内は満席状態で、大きなスーツケースが多い と整理が大変でした。途中、最高時速308kmが出ていましたが、スピード感は全く感じませんでした。車内で夕食の 弁当をたべましたが、車内販売の駅弁らしいのですが、持って来た時はアツアツで日本の駅弁とは違うと思いまし た。味は全部トウガラシを使ったピリ辛でしたが、暖かいので美味しく食べられました。 午後8時40分に「武夷山北駅」に定刻通り着きましたが、駅構内にほとんど人はいませんでした。迎えのバスでホ テルに向かう途中で上海からの1日現地ガイドが降りて、今日明日の武夷山のガイドに交代しました。武夷山市は旧 市街は人口23万人の小さな街ですが、今は新しい観光用の街が出来ているそうです。 午後9時半に今日の宿泊ホテル「宝島会展中心酒店」に到着しましたが、ロビーには誰もいないので大丈夫かなと 思いましたが部屋に入るとお湯も出て電気もしっかりしていたので安心しました。 26日(木)午前6時前に起きて外を見ましたが、まだ暗いので日本より日の出は遅いと思いました。午前6時30分か ら朝食と言われていたので、朝食会場に行って人が多くて座る席も無いのに驚きましたが、中国人の国内旅行の 団体が泊まって早い出発時間かなと思いました。考えてみれば、昨夜は着いた時間が遅かったので、当然、人の姿 が見えなかったのかもしれません。料理の方も中国人の旅行客が食べた後で少ししかなかったのですが、順番に 追加されていたのでスープらしきものと万頭を食べました。 午前8時にホテルを出発するので、準備をしていたら午前7時40分頃に突然、停電になったので、早目でしたが、ロ ビーに行こうとしたら電気が点きましたが、そのままロビーに行きました。 午前8時にホテルを出て、10分もしない内に世界遺産「武夷山風景区」の入り口に到着し、ガイドさんが入場券を買 いに行ってる間に全員の記念写真を撮りました。 武夷山は広くて、いくつかの風景区に分かれていてそれぞれに名前があり、私達は最初に汽車の形をしたカートに 乗って”天遊峰景区”に行きました。中に入って歩きながら”天遊峰”の登り口まで10分程歩いて行きましたが、途中 の橋からの眺めは橋の下を私達が午後から乗る筏下りの筏が通って行く様子は情緒がありました。 午前9時前にトイレを済ませ、全員で”天遊峰”の麓まで行き、現地ガイドの呂さんの話では”天遊峰”は高さは408m と低い山でですが、幅が1kmもある東南アジア最大の1枚岩であり、岩に刻んで作った階段が急こう配で足元が悪 いので、無理せずにここで時間を過ごしても良いと言われましたが、13人中8人は行く事にし、4人は待機、1人は途 中まで行って、駄目だと思ったら引き返す事になりました。 午前9時30分にスタートして少しの間は狭い階段が途中から引き返して来る人と登る人で渋滞になり、スムーズに 進めませんでしたが、上りがきつくなり、階段を上がるのも大変になって来ると人も少なくなり、スムーズに進め るようになりました。途中の景色も黄山や三清山に比べると大したことはありませんでしたが、それでも途中はか なりきつい所あり、汗びっしょりになって頂上まで行きました。天遊峰は1枚岩だけに岩を削って作られた階段がほ とんどで、昔の人の苦労がしのばれます。 午前10時に頂上に着き、上から見る”九曲渓”の風景は素晴らしいものがありましたし、天気も良くスモッグも無い ので青空が本当に綺麗でした。 帰りは階段の数は多いのですが、勾配がゆるい裏道の階段を下りて行きましたが、こちらの方から上がって来る 人達もたまにいましたが、景色が見えないのでただひたすら下って行き30分程で着きました。 午前11時10分に入口に戻り、バスで”九曲渓景区”に行き、そこでお昼を食べる事になりました。午後12時前に昼食 会場の「嗎闘老店土菜店」に着きましたが、ここは本当の田舎料理の店の感じでしたが、店は混んでいて、食前に は熱湯の入ったボールで食器を洗う経験をしましたが、料理の味はまあまあでした。 午後12時半に店を出て、前にある歩いて”九曲渓景区”の「九曲渓竹筏碼頭」(筏乗り場)に行きましたが、”九曲渓” と言うのは山間を流れる川がうねって9曲がりになっている所を言っていて、その中をイカダで下って行くのです が、イカダ自体が本物の竹で作ってあり、古くなると割れるので修理したり作り直しているようです。 午後1時過ぎに入場になり、筏乗り場には沢山の竹筏があり、一艘6人乗りで、1グループ6人が指定された船頭に ついて行き、乗ると順番にスタートしていくのですが、私達のグループの乗った筏が古くて壊れそうだと言うので 、別の筏に乗ってスタートの”九曲”から出発しました。 8曲、7曲と下って行きましたが、今の時期は水量が少ないので水深が浅く、所々で急流になっている所を底を擦っ て進んでいくので、時間が掛かると言ってました。”双乳峰”と言う岩を見て、七曲から六曲の辺りは午前中に登っ た”天遊峰”を少し離れた所から眺め、その大きさを改めて実感しました。五曲を過ぎて四曲の手前まで行くと、今 朝通った橋を下から眺めながら通過しました。その後、三曲辺りの切り立った崖の途中に、昨年、「龍虎山」で見た ”崖墓”が見られましたが、船頭の説明も無く、中国語が分からないので、ある事をジエスチャーで確認しただけで でした。 午後3時に終点の降り場に着いて、”宋街”の通りを歩いて「武夷宮」まで行きましたが、今は工事中で中には入れ ないので、外から950年前の”キンモクセイ”の木を見てからバス乗り場に行き、”大紅袍景区”に向いました。 午後3時50分に”大紅袍景区”に到着し、切り立った断崖の両側を縫うように歩き、350年前のお茶の木(大紅袍)が ある所まで行きました。崖の下の方に全部で6本のお茶の木があるのですが、言われなければ、何の変哲もないお 茶の木としか見られないと思いますが、350年前のお茶の木と思って眺めると凄い事だと思います。”大紅袍”と 呼ばれるようになった話も聞きましたが、なかなか良く出来た話だと思いました。 傍にあった売店で「山泉水、紅袍茶」と書いたお茶を1本10元で売っていたので、ガイドの呂さんに聞くと飲んでみ る価値はありますと言われたので、1本買うと、他にも買う人が出て、人間の心理を良く表していると思いました。 350年前のお茶の木から積んだ葉でお茶を作っていたのは2006年までで、今では維持と監視だけしている状態 で四方に監視カメラが備えられているそうです。 2003年にここの木で作られたお茶がオークションに掛けられたそうですが、20gで15万5000元で落札され、2005 年のオークションでは20g20万8000元で落札されたのが最後になるそうですが、1g1万元と言うのはどんな味の するお茶なのか想像も出来ません。 午後4時20分にここを出て、”大紅袍景区”の入口からバスで北出口まで行き、迎えの観光バスに乗って、お茶の製 造販売している「碧桂岩茶業(有)」に行き、肉桂と大紅袍を試飲しました、味の好みもさることながら、100g300元 (5,400円)と500元(9,000円)と言われ、誰も買う人がいませんでした。 お茶の会社から10分程で「宝島会展中心酒店」に戻り、ホテル内のレストランで夕食を食べましたが、武夷山はお 茶の産地なので、夕食は茶宴料理と言ってお茶を使った料理ばかりだと言ってましたが、確かにお茶の葉が至る 所に使っているのですが、お茶の香りを楽しむと言うより、お茶の葉が入っているだけの感じでした。 午後6時45分に店を出て、午後7時半に武夷山東駅に到着し、安全検査を受けて構内に入りましたが、上海虹橋駅 の様な熱気は無く、時間の関係か人もまばらでした。 午後8時18分の新幹線で午後9時半頃に福州駅に到着しましたが、今夜から最終日まで案内してくれる女性現地ガ イドの鄧子妍さんの案内でバスまで10分歩き、午後9時50分に今日の宿泊ホテルに出発し、「景城大酒店」には午 後10時10分に到着し、部屋に着いたのは午後10時30分でした。 27日(金)午前5時半に目が覚めたので、そのまま起きて旅行記を少し整理して、明るくなった外を見ると福州市内 が広がっていました。午前7時から朝食に行き、いつも様に最初に料理の写真を撮っていたら、ボーイが写真の撮 影は駄目だと言いに来たのでやめましたが、他のお客さんに迷惑なのか、ホテルがどんな料理を出しているのか 知られたくないのか意味は分かりません。 私の朝食は麺が無かったので、玉子焼きと焼きそば、野菜を少し食べて終わりましたが、旅行に来ると、どうしても 食べ過ぎるので、控えめにしました。一緒のテーブルで食べていた日本人の方に「日本の方ですか?」と声を掛け られたので、理由を聞くと、「福州で日本人の旅行客は初めて見ました。」と言ってましたが、クラブツーリズムで も初めてのコースと言ってましたから、日本のツアーで福州に来るのは珍しいのかもしれません。 声を掛けてくれた日本人の方は、60歳で定年後、声を掛けられて、車の部品を作っている広州の会社に技術指導 で来て、3年になり、今回は出張で福州に来ているそうですが、家族は埼玉川越にいて単身で来ているそうです。 午前8時20分にホテルを出発しましたが、バスが出る時にボーイと添乗員・現地ガイドがチップの事で揉めていま したが、現地ガイドが追加で20元払ったら、ボーイが20元札を偽札かもしれないと一生懸命調べて、何か言いに来 ましたが、現地ガイドの鄧子妍さんがそんな事はないと追い返しましたが、いかにも中国らしいと思いました。 福州の街は大きなガジュマルの木が多く、街路樹に使っていますが、そんな、ガジュマルの並木を通って、通勤渋 滞の中を抜けて、最初に明清時代の建物が多く残っている「三坊七巷(さんぼうしちこう)」に行きました。ここは 明清時代の建物が200軒以上も残っている旧市街で”坊”というのは3つの通り、”巷”というのは7つの路地を表し ているそうです。 私達は「文儒坊」を歩きましたが、2m程の昔ながらの狭い道を歩いていると両側には白壁の建物が並んでいて、 石を掘って作った防火用水桶が置いてあり、今では所々に昔の住居を改装して、お店が出来ていましたが、昔のま まの住居の出入り口に石で作った石像らしきものがあり、身分の高い人程、高い石像を置いていたそうです。 800m程歩くと大きな通りに出ましたが、ここは新しく観光用に整備し、広い道路の両側には飲食店や土産物屋等 色々な店が出来ていて、丁度、遠足に来ていた幼稚園や小学生で賑わっていました。 1時間近くブラブラして、午前9時半に出発し、市内の鼓山の中腹にある「湧泉寺」に向いましたが、午前10時20分 に麓に着くと、観光バスは入れないので、乗合タクシーの様な6人乗りの専用車でお寺に向いましたが、450mの中 腹にあると聞いていたので、すぐ着くと思ったら、お寺まで9kmもあり、20分近く掛かりました。 「湧泉寺」は660年の創建で、お寺の前には名前の由来になった湧き水(羅漢泉)があり、山門の両側にある塔は宋 時代1182年に出来た陶磁器の塔で当時のままで残っているそうです。本殿の大雄宝殿は783年に出来てから何度 も火災に遭い、今の本殿は2000年代に出来たそうです。法堂の中にある千手観音は昔インドから送られた玉で作 られている像だとの事ですがはっきりした事は分かりませんでした。 午前11時45分に「湧泉寺」を出て、来た時と同じような車で麓まで下りましたが、運転手の様子からすると1人幾ら で乗せている乗合タクシーのような感じでした。午後12時に麓に戻り、そこから観光バスで昼食会場にむかいまし た。午後12時20分に「永延富臨酒店」の中のレストランでしたが、味付けがさっぱりしていて美味しく、茹でエビや 兵隊貝が出ましたが、終わりと思ったら蒸し餃子が出て来たので、無理して食べたらお腹いっぱいになりました。 午後1時半に昼食会場を出て、次の目的地、泉州に向いました。午後2時45分に赤港服務區でトイレ休憩をとり、午 後4時に泉州ICを通過して、午後4時過ぎに「洛陽橋」が見え始め、駐車場から歩いて10分後に到着しました。 「洛陽橋」は1053年から工事が始まり1059年に完成したそうですが、時の群主の”蔡襄”が自分のお金を出して作 ったそうで、橋の傍に彼の大きな石像が建っていました。長さ834m幅4.5mで石橋の下には船に見立てた帆先の 形をした桁が45基あるそうです。これまでも何回も修復を重ねて今まで保存して来たそうですが、今では中国四 大古橋の1つに数えられているそうです。橋を歩いてみると1つの石の長さが5m位あって創建当時の技術も高かっ たと思いましたが、橋から泉州の市街を見るとなかなかの景色でした。 午後4時55分に橋を出て、明日の観光予定がきついので1つでも今日中に見ておきたいと、市内のイスラム寺院の 「清淨寺」に寄りましたが、午後5時過ぎで閉まっていたので諦めてホテルに向かいました。 午後5時45分に今日の宿泊ホテル「泉州航空酒店」に着きましたが、夕食はチェックインして部屋に荷物を置いて 、午後6時半からホテルでの食事でした。料理はお昼と同じようなメニューでしたが、味付けはこちらも唐辛子を 使わない料理が多くて不思議な感じでしたが、現地ガイドの鄧さんに聞くと、日本人向けでなく、この辺はそれが 普通だと言ってました。 28日(土)昨夜、早く寝たせいか、午前5時前に目が覚めたので、溜まっている旅行記の続きをやっている内に夜が 明けたので、窓から外を見ると今日も晴れの天気になりそうでした。 午前7時に朝食ビュッフェの会場に行くと、既に食べられるようになっていたので、お粥か麺が良いと思いましたが 、その2つはまだ無理だったので、ゆで卵と焼うどん?をメインにコーヒーを飲みながら食べました。15分くらい経 ってからお粥が出て来て、麺も出来るようになり、後から来た添乗員にA.Hさんが作っていましたが、私は時間が 無いので諦めてフルーツとヨーグルトを食べて部屋に戻りました。 午前7時50分にホテルを出発し、昨日、閉まっていたイスラム教寺院「清淨寺」に行きましたが、開いていなかった ので、先に「天后宮」に行きました。ここは1階が店舗で2階以上が住居になっている昔の街並の中にあり、道教の 寺院で航海・漁業の守護神”媽祖”を祀って南宋時代の1196年に建立され、航海の安全を祈る為に多くの人がお参 りするそうですが、私達が行った時も何処かの団体の人達がお経をあげながら回っていました。 午前8時半前に「天后宮」を出て、もう一度、「清淨寺」に行きましたが、やはり、開いていなかったので、諦めて、表 から正門を眺めて、次の目的地の「鄭成功墓」に向けて出発しました。 泉州市内を通って、午前9時10分に池店ICから高速に乗りましたが、泉州でも建築中の高層マンションが見受けら れ、高層道路が間を走っていて、都会の様相になっていました。中南安水頭西ICで降りて、大理石の街「水頭」を10 分程走りましたが、少し走っただけですが、両側は石屋ばかりで、加工して板にした物や2m四方の加工前の石が ゴロゴロしていました。日本にもかなり輸出していると言ってましたが、現役の頃に多くの公園工事を手がけ、当時 、中国から輸入石材を随分使いましたが、ここから来ていたと思うと感慨深いものがありました。 午前9時40分に「鄭成功墓」に着きましたが、門構えの立派さに驚き、中に入ると、幅10m位の石造りの通路の100 m以上奥の方に元からの墓が見えましたが、お墓は”鄭成功”と奥さんと3人の孫が一緒のお墓になっていました。 ”鄭成功”は明末から清時代の人でお父さんが泉州出身でお母さんが日本人で長崎生まれで、台湾でオランダを 撃退して台湾を清に取り戻した民族英雄です。以前、台湾に行った時に台南の「赤嵌樓」で石像を見たのを思い出 しました。 午前10時にお墓を出て、10分程走って、再び、高速道路に乗り、今回のツアーの1番の目的の世界遺産「福建土楼」 に向いました。午前11時に「興泰服務區」でトイレ休憩した後で現地ガイドの鄧さんがこの辺(漳州)の名産のバナ ナを差し入れしてくれました。太さは変わりませんが、長さが短いバナナで食べると新鮮な感じがして、木で熟し たらこんな味なのかなと思いました。 午前11時50分に南靖ICを降りて、永定までの山道が大変な悪路だとガイドの鄧さんが口を酸っぱくして言ってたの ですが、先月の国際会議がアモイであった時、習近平の奥さんが他の国の首脳夫人を案内して永定まで来る事に なり、一気に道路が綺麗になったお蔭で悪路どころか、素晴らしい道に変身していました。 道路のお蔭で予定より早く、午後12時40分に福建土楼の昼食会場の「万佳東方酒店」に着いて食事になりました が、13人が一諸のテーブルで食事をする事になり、人数が多いの大丈夫かなと思いましたが、特に問題も無く食 事は出来ました。最初に出て来た長芋の様な食感の料理と最後の小魚の天ぷらは美味しかったです。 午後1時40分にレストランを出て、近くにある「福建土楼旅客センター」まで行き、そこからは専用のバスに乗り換 えて「田螺坑土楼群」のある所まで行くのですが、今回は70歳以上は無料なので13人中9人が該当するので、パ スポ-トを見せるだけで入場できました。 バスで走っている最中にも土楼があちこちに見えましたが、福建省だけで23,000も土楼があるそうですから当然 かもしれません。道路の両側にはバナナ畑やザボン畑、茶畑が山の斜面や谷あいにあり、ザボンは今がシーズン らしく、木に鈴なりの様に生っているのが見え、あちこちで売っていたのが理解できました。 20分程走ると南靖県の「田螺坑土楼群」の中でも最も美しいとされる四角い放楼”歩雲楼”を中心に円形の”和昌 楼”、”振昌楼”、”瑞雲楼”、楕円形の”文昌楼”が見える展望所に到着しました。 ここの入口でもパスポートを見せて入場しましたが、ここから見た土楼群は確かに素晴らしいと思いましたが、中 国人の観光客も多く、記念写真を撮って売る地元の人達もいて大混雑でした。私達も負けずとそれぞれ写真を撮 ってから、土楼の中の見学に行きました。 最初に訪れたのは円形の”和昌楼”ですが、3階建ての構造になっている標準的な土楼で、今も普通に生活をして いるそうです。中に入ると直ぐに土産物やお茶を売っている人達が来て、盛んに勧めますが、世界遺産に登録され たお陰でこの中で商売する人達もいるんだと思いましたが、一般的にはお茶やザボン、バナナを栽培している農 家が多いようです。 次に行ったのは方形の”歩雲楼”ですが、ここも3階構造の土楼でしたが、同じような感じでお茶やお土産を売って いる人もいれば、関係なく生活している人もいる感じでした。ここで誰かが鉄観音を500g60元で買ったら、私もと 2,3人の人が買っていました。 続いて”瑞雲楼”に行きましたが、同じような感じで、”振昌楼”には1階の所に共同の炊事場と食堂がありました。 最後に楕円形の”文昌楼”に行きましたが、23,000ある土楼の中で楕円形はここ1つしかないそうですが1966年に 作られましたが、何故、楕円形にしたのか分からないそうです。 午後3時半に「田螺坑土楼群」の見学を終わり、専用バス乗り場まで行き、再び、バスで旅客センターに戻り、観光 バスで土楼の王様と言われている永定県の”承啓楼”に向いました。 午後4時40分に「永定景区:高北土楼群景区」に到着し、ここでも入場は70歳以上無料なので、パスポートを提示す るだけでOKでした。土産物街を歩いて行くと円形の大きな4階建ての”承啓楼”が見えてきます。直径73m、高さ16 m、壁の厚さ1.6mの堂々たる造りは、まさに、”土楼の王様”と言われるのがふさわしいと思いました。 1709年に建設され、部屋は400室あり、”江”の姓の人ばかり、一時は80家族600人以上が住んでいたそうです。先 に見た田螺坑土楼群は”黄”の姓ばかりで、土楼は一族が住むので同じ姓の人ばかりだそうです。 内部を見学している時に若い女性が1人10元で4階迄見学させると言うので、10元払って4階まで上がって見学し ましたが、4階から見た眺めは写真の専門家なら喜びそうな眺めでした。 午後5時半に見学を終わり、バスで夕食会場に行きましたが、少し走って、狭い道を入った名前も分からない様な食 堂に毛の生えたような店でしたが、料理はちゃんとした味付けで美味しく食べました。 午後6時50分に店を出て、今日の宿泊先の供坑土楼群景区にある「振成楼」に着きましたが、バスを降りて着くま でが少しの間、薄暗く、懐中電灯が役に立ちました。 「振成楼」は1912年に立てられた直径57.2m・高さ16mの4階建ての2重円楼で”林一族”が住んでいて、居間にあ る写真を見ると、中々、優秀な人達がいる様です。 1階で部屋割りを待っている間にトイレに行きましたが、中に入ると、大きなプラスチックの桶に水が入っていて、柄 杓で水を流すようにしてあるのに驚きました。部屋割りに後で添乗員のA.Hさんから説明があり、私達は4階に泊ま りますが、部屋にはベッドとテレビ以外は何もなく、トイレ、シャワーは共同でトイレは4階と3階に1カ所ずつ、シャワ -は3階と1階に2カ所あるので、男性は1階、女性は4階を使ってほしいと言われました。水道の蛇口はトイレの入口 にあるので洗面はそこでやる事になりました。 旅行前の説明書にはバスタブは無くシャワーのみとあったのですが、トイレもシャワーも共用とは書いて無かった ので、少し頭に来ました。そんな事で腹を立てても仕方がないので、部屋に行き、中に入るとベッドが2つ置いてあ り、板の様な敷き布団に、重い昔のもめん綿の掛け布団があるだけで、テレビもありましたが、点ける気もしない様 なテレビでした。体験宿泊と言えば、聞こえは良いですが、2度と泊まりたくない様な部屋でした。 私はシャワーを浴びる気にもならず、顔だけ洗って歯磨きをして、部屋で旅行記を書きましたが、夜遅くなると冷 え込んできました。トイレも寝る前に行った後はびろうな話ですが、夜中はペットボトルの中にして朝方、トイレに捨 てに行きました。 29日(日)午前5時に起きて部屋の外に出て見ると真っ暗でした。部屋の外が屋外ですから、キャンプに行ってテン トから出て見た感じですが、あちこちに灯りがある分、少し違うかもしれません。少し明るくなってから4階から中を 見ると内側にも建物があり、規模の大きさが分かります。 午前6時半からの朝食は1階に下りて行くと、林(リン)夫婦の奥さんがお茶を淹れてサービスしてくれましたが、ウ ーロン茶の香りがして美味しいお茶でした。朝食はお粥と万頭とザー菜にピーナツだけでしたが、食べられただけ 良かったかもしれません。 午前7時半に出発するので、早目に下に降りて「振成楼」の周囲を少しだけ歩いてみましたが、昨日は夜で何も見 えませんでしたが、周辺は綺麗に整備されていて、他にも土楼があり、この一帯が”永定土楼民俗村”になってい る事を知りました。折角、滅多にない所に泊ったから全員で記念写真を撮る積りでしたが、迎えのバスが道路に駐 車していたら、今日は日曜日でマラソン大会があり、この道路はコースになっているから、直ぐに移動させなさい と警察が来たので、写真どころではなく、全員大急ぎでバスに乗り、午前7時30分に出発しました。 今日はアモイに行くのですが、高速道路の途中までは来た道を帰る感じなので、道路が綺麗になった分、車も走り 易いし、私達も楽な感じでした。朝霧の中を、昨日、来た時と同じ道を走り、午前8時50分に南靖ICから高速に入り、 途中、「興泰服務區」で、午前9時半にトイレ休憩をした後で、昨日はバナナでしたが、今日はザボンを現地ガイドの 鄧さんが1袋ずつ差し入れしてくれました。 午前10時5分に杏林ICを出て、アモイに入り、15分ほど走ると「集美学村」と言う、小学校から大学まである総合学 園の隣の「嘉庚(かこう)公園」に着きました。ここは”陳嘉庚”という華僑が私財を投げ打って「集美学村」を作り、 直ぐ近くに自分がデザインした、お墓も作った所が公園になり、観光客が訪れるようになったそうです。 私達が目を見張ったのは「集美学村」の中学校と高校の校舎でまるでホテルを思わせる様な建築で、本当に見事 な建物だと思いました。 1時間近く、歩きながら記念碑とお墓のある所まで行きましたが、広大な敷地を歩いて疲れたので、入口まで帰る のに1台10元のバイクタクシーを添乗員のA.Hさんが奢ってくれました。 午前11時半に戻って、次は「華僑博物館」に行き、華僑の歴史、文化を見学しましたが、中国の華僑も日本の移民と 同じように苦労して様子が写真や映像で残っていましたが、第2次世界大戦は様々な所に影響が出ている事を知 っておく必要があると思いました。 午後12時40分に博物館を出て、お昼は港近くの「福果満堂」で食べましたが、昨日と同じような味付けの料理でし たが、海の魚料理やアサリ料理等がが出ました。 午後1時40分に歩いて船乗り場に行きましたが、日曜日とあっていっぱいの人でしたが、私達が午後2時50分に乗 り、”コロンス島”に渡りましたが目の前にあるのに、何故か大回りをして、20分かけて、午後3時に到着しました。 島内観光は三丘田埠頭近くからカートに乗りましたが、歩いている人達も結構いて、宿泊している人や一周しない 人達かもしれません。カートで走っていると、海水浴場があり、あちらこちらで結婚の前撮りの写真を撮っているカ ップルがカメラマンに向って、ポーズを取っていましたが、この島は新婚旅行に人気の島だと言ってました。 午後3時50分に”日光岩”に着き、希望者だけ登りましたが、それ程きつくはなく、上に行くと360度見渡せてなか なかの眺めでした。”日光岩”は「鄭成功(ていせいこう)」がコロンス島に上陸した当時は晃島と言われていました が、ここからの眺めが日本の日光山に似ていて、晃から名付けられたらしいと言ってました。 午後4時50分に上り口の戻り、ここから再びカートで船着場に戻りましたが、乗り場が帰り客の行列が続いていて、 私達が午後5時20分に並んで、船に乗れたのは午後5時50分でしたが、待っている間に見た夕焼け空は本当に見 事な真っ赤な空でした。帰りの船は直ぐ前の船着場に向って、10分も掛からず着き、港からバスまで歩き、夕食会場 の「金城大酒店」に着いたのは午後6時20分でした。 日曜日で忙しいのか、着いた時にはほとんどの料理がテーブルの上に並んでいたので、大丈夫かなと心配しまし たが、出来たばかりで、どの料理も美味しい料理でした。 今日は明日の予定のオプショナルツアーの”アモイ湾ナイトクルーズ”(260元)があり、私も含めて7名が申し込ん でいたので、午後7時過ぎにレストランを出て、ホテルにチェックインの前に港で降りて船に向っていると、迎えの人 が急いで船に乗ってくれと催促が来たので、小走りで船まで行くと、私達が乗って直ぐに出港しました。 今回のナイトクルーズは、あまり、期待していなかったのですが、予想外にライトアップを地元が努力してクルーズ を盛り上げようとしているのか、素晴らしいビルのライトアップが何カ所もありました。アモイの鳥が白鷺なので、 白鷺のライトアップも何種類かあって見応えがありましたし、海滄大橋のなかなか見事でした。 午後8時20分に終わってから港に戻り、バスでホテル「厦門京閩中心酒店」に着いたのは午後9時過ぎでしたが、今 回のツアーでは1番良いホテルだと思いましたが、明日も明後日も出発が早いので朝食が食べられないのが残念 な気がしました。 30日(月)今日は台湾領の「金門島」に行くので、出発が午前6時30分という事で、午前5時過ぎに起きてコーヒー を入れて家内がおやつ用に用意してくれたお菓子を食べてから朝の常用薬を飲みました。明るくなって窓から見 た厦門市内は高層の建物のある都会の感じがしました。 午前6時30分にホテルを出て、バスに乗るとホテルの用意してくれた弁当(ウインナー1本、ソーセージ2枚、ベーコ ン5枚、菓子パン3個)とバナナ1本を貰い、車内で食べました。午前6時50分に港に着き、午前7時40分から出向手 続きをして船に乗り込みましたが、空港よりは簡単に済みました。 午前8時に「和平之星」号は出港しましたが、入った船室からは着くまで出られないので、私の隣の人は朝食でイン スタントラーメンを注文して食べていました。午前8時25分に水頭埠頭に到着し、下船して外に出る時が台湾入国に なるのですが、いまいち、ピンと来ませんでした。 午前9時前に20人乗りのマイクロバスで、今年、金門大学を卒業したばかりの女性現地ガイドの呂さんの案内で観 光が始まりましたが、呂さんの中国語を中国人のガイドの鄧さんが日本語で説明してくれるのですが、何か変な感 じでした。最初に水頭地区の古い華僑の家を見学しましたが、金門島も華僑の島でここから世界中に出稼ぎに行き 、成功した人が帰って来て、故郷に立派な家を建てて住んだそうです。 日本にも長崎や神戸に沢山行ってるようです。学校も建てられていて、今は「僑郷文化展示館」になっていました。 午前9時50分に水頭を出て、次に「聖祖食品」というお菓子屋に行き、私は黒ゴマとピーナツのお菓子と大豆のお 菓子を買いました。 次に金門島の古い町並みが残っている”金城鎮”に行きましたが、その中の”模範街”と言う所は「閩南式」が強く 残っていて、75mのT字型の通りには合わせて40間が軒を連ね、漢方や焼餅、包子、貢糖などを売るお土産屋さん やレストランなど色々の店があり、かつては自強街と呼ばれていましたが、1924年、この美しい通りを模範に足る 街にしよう、ということで”模範街”と命名したそうです。 そのまま街を散策しましたが、面白そうな店もあり、昔の裁判所の「清金門鎮総兵署」も残っていて、地下にある牢 る牢屋の傍に立っている蝋人形は良く出来ていました。 午前11時15分に出発し、5分程で昼食会場の「金喜來餐庁」に着き、早目のお昼になりましたが、一気にテーブルに 出て来たので食べるのが忙しくて味わう暇も無かった感じですが、味は台湾らしく私達の口に合う味付けでした。 午後12時に出発し、金沙鎮の「馬山観測所」に行きましたが、ここは「台湾海峡危機」の時の最前線の播音所(放送 所)で歌手のテレサ・テンがここから中国本土に台湾の宣伝放送をした理由で、その後、中国本土には入国出来な かったそうです。双眼鏡で見ると対岸の中国側の建物が見えますから本当に近いと思いました。 30分程見学して、10分程走って「金門民俗文化村」と言う所に行きましたが、ここは華僑の王一族が建てた建物で 今でも子孫が住んでいて、一部の人が土産物屋や飲食店をやっていましたが、特に見る所もありませんでしたが、 時間の都合もあり、午後2時迄いました。 次に15分程走って、「八二三戦史館」に行きましたが、ここは「第2次台湾海峡危機」が始まった、1958年8月23日 を記念して建てられたようです。中にあった落弾統計表を見て、初日の57,533発とあったので、先日、中部大学の 一谷和郎准教授の話と一致していると思いました。 午後2時50分に出発したのですが、時間があるので高粱酒の工場を案内しますと言われて、「金門酒廠股份有限 公司」の工場見学と試飲をしましたが、味は良く分かりませんが、58度の3年物の小瓶(150cc)を3瓶買いましたが 、本当は5年物が良かったのですが、大瓶だけで、小瓶が無かったのでこちらを買いました。 午後3時50分に最後に「大方鬍鬚伯麺線」という細めんと豆板醤の店に行き、茹でた髭麺に味噌で試食をして、私 は試しに麺を買いましたが、他の人達は豆板醤の甘い物や辛いものを買っていました。 20分程いて港に戻り、午後5時出発の船で厦門に戻って来ましたが、30分も掛からずに、行き来が出来るのですか ら、中国と台湾は本当に近いと思いますが、一緒になるにも、分離するにも遠い道のりだと思います。 午後6時にバスの乗れる所まで歩いて、バスで夕食会場の「厦門南海漁村」に午後6時半に着きましたが、店の中に 魚や水槽があり、注文して料理を頼む事も出来る様な感じでしたが、私達は福建料理という事で、エビの唐揚げや 魚料理の他に”仏跳墻(ぶっちょうそう?)”と言う薬草スープが出たのが福建料理なのかなと思いましたが、海鮮 料理の感じは無く、他はお決まりのコース料理でした。 最後の食事ですからゆっくりお召し上がりくださいと言われた訳でもありませんが、食事をしながら会話が弾み、 午後7時50分まで店にいて、ホテルに向い、午後8時半前にホテルに到着しました。 部屋の帰ってから荷物の整理をしましたが、今回は「五千年倶楽部」のツアーではいつも買わないお土産を買った のでスーツケースを整理しながら詰めるのに小1時間掛かりました。 31日(火)午前5時10分ホテル出発なので、午前4時30分にモーニングコールが来る予定になっていましたが、モ -ニングコールが鳴ったのが、午前3時55分だったのですが、私は午前4時55分と勘違いして、寝過ごしたと思い 、飛び起きて、時計を良く見たら、午前3時55分だったので、まだ1時間以上あると思って、ゆったりした気分で朝の 用意をしました。昨日と同じように弁当がある事は分かっていましたが、お湯を沸かしてインスタント蕎麦の小カッ プを食べて薬を飲みました。 午前5時10分にホテルを出て、バスの中で昨日と同じような弁当を貰い、少しだけバスの中で食べて、残りは現地 ガイドの鄧さんに渡しておきました。 午前5時40分に厦門高崎国際空港に到着し、搭乗手続き、安全検査を受けて、現地ガイドの鄧さんと別れて場内に 入り、6番搭乗口に着いたのは午前6時過ぎでした。午前6時半から搭乗開始、FM9258便はほぼ満席状態で、定刻 より25分遅れで離陸し、安定飛行に入ると直ぐに簡単な朝食が出て、定刻の5分前の午前8時50分に上海浦東国 際空港に着陸しました。引き続き、荷物はそのまま名古屋に行きますが、私達は乗り換えの為に、一端、外に出て、 出国手続きをして、午前9時45分に場内に入りました。 名古屋行は午前11時35分出発なので、時間があり、自由行動になりましたが、私は210番搭乗口近くまで行って、 パソコンを少しやって、MU719便は午前11時から搭乗開始になりましたが、バス移動なので、私は通路側ですから 2台目のバスで行きました。機内は空席も少しありましたが、ほぼ満席で、こちらも定刻の25分遅れの午後12時に 上海浦東空港を出発し、離陸後,1時間経った頃に機内食が出たので、私は魚を選んで食べましたが、なかなか、美 味しい機内食でした。食べ終わった頃に着陸態勢に入り、定刻15分前の午後2時50分に中部国際空港に到着しまし た。スーツケースを受け取り、今回の添乗員やツアーメンバーに挨拶をして、名鉄乗り場まで行くと、同じ春日井か ら来ていた、G.Sさんが待っていたので一緒の電車に乗って帰って来ました。G.Sさんは高蔵寺まで乗るので、私は 春日井で降りて、迎えに来てくれた家内の車で家に着いたのは午後5時前でした。 今回の「客家と華僑の故郷 海のシルクロードの出発点・福建省の旅 7日間」は以前から行きたかった世界遺産の 「武夷山」と「福建土楼」に行けた上に中部大学で受講中の”台湾海峡危機”の「金門島」に行けたので、コースとし ては申し分のない旅だったと思っています。その上、コロンス島が今年の世界遺産に登録されたそうなので、世界 遺産を3カ所観光出来たと言うのは良かったと思いますが、土楼の宿泊体験は必要なかったのと最後の2日間が 早朝出発で一番良いホテルでの朝食が食べられなかったのが心残りですが、100点満点の旅は難しいと思ってい るので、ずっと、晴れの天気で旅が出来たのですから最高の旅だと言っても良いと思います。 中国の世界遺産の旅はまだまだ行きたいと思っていますが、次はどこになるのでしょうか? 10月24日(火) 今朝、午前7時の温度計を見ると13℃でしたが、毎日、こんな感じの温度になると、これ位が普通かなと思います。 家内がユズが色づいて来たからぼつぼつ取らなければと言うので、行って見ると、黄色味を帯びて大きくなった ユズが7つ8つありましたが、もう少し黄色になってからが取り頃だと思いました。傍にあるレモンもかなり大きく なり、こちらもやや色づき始めていました。近くにはこの間咲き始めたと思ったホトトギスが満開になっていて、白 のシュウメイ菊も今が盛りと咲き誇っていて、秋が深まって来たなと言う感じの庭でした。 午前9時半頃に家内が「誠武館婦人剣道」の稽古に出かけたので、私は明日から「中国福建省の旅7日間」に出か けるので、荷物の再確認をしました。昨日の夕方、女性添乗員のA.Hさんから連絡があり、気温が13℃~28℃と言わ たので半袖を追加しました。福建省というのは台湾の対岸になるので、名古屋よりは暖かいと思いますが、海岸の 厦門(アモイ)から300km位の所にも行くので、朝晩の冷え込みを考えて厚手の長袖も用意しました。 今回のツアーの目的は世界遺産”武夷山”と”福建土楼”の見学ですが、厦門から3km位の所に位置する台湾領の 「金門島」に行くのも楽しみです。と言うのは、中部大学の昨日の歴史学特殊講義Cで”第2次台湾海峡危機”の話 を聞いたばかりで、1958年8月9日人民解放軍により金門島砲撃が始まり、本格的な戦争直前まで行きましたが、 米国の抑止力で何とかここだけで治まりましたが、金門砲撃は1979年元旦まで続いていたそうです。今では中国 本土からの観光も自由になっていて、砲弾で作られた包丁が名物になっているそうです。 今月31日に帰って来る予定ですが、帰ったら2日後に「桃球会」のゴルフコンペがあるので、午前11時前から王子ゴ ルフに練習に行き、1時間700円で200球程打ちましたが、左肩の調子が悪くて、クラブが思い切って触れないので 、ドライバーは少しだけ打って、後はアプローチをメインにやって終わりました。 午後3時から市民プールに行きましたが、来ている人が少なく、25mプールはいつも同じペースで泳ぐ人と一緒に なったので、私もその人につられて良いペースで泳げたお蔭で、50mずつですが、初めて1,000mを泳ぎました。 その後、40分逆流ウオーキングをして上がり、体重計に乗ると66.5kgになっていたので、中国から帰った時も何と かこの体重を維持していたいと思っています。 10月23日(月) 午前5時半頃に起きてテレビを点けると、台風21号は午前3時頃に静岡県の御前崎付近に上陸し、午前6時頃には八 王子付近を通過中と言ってましたが、この地方からすると、思ったよりは東寄りを通ったお蔭で、雨はかなり降りま したが、風は強くなかったのか、夜中に風で目が覚める事はありませんでした。 午前8時過ぎに娘からSkypeがあり、モニターに孫2人が写っているので、どうしたのかと思ったら、午前6時現在 で暴風雨警報が出ていたら、午前中は休みになり、午前11時現在で解除されていたら、お昼を食べて、午後1時から 1時間授業があるそうです。今の学校は総てが安全第一になっていますから、当然と言えば当然だと思いました。 家内も今日は月曜日で義母の所に行く日ですが、台風21号が来ているから義妹と明日の午後から行く事にしてい たのですが、台風が早く過ぎたから、今朝になって今日行く事にしようとメールをしたら、義妹から孫の学校が昼 からあるので、送り出してから行くので、午後1時半頃にしてほしいと返事が来たそうですから、こちらも娘の所と 同じ状況の様でした。 家内は義妹と会う前に買い物を済ませるからと、午前11時過ぎに早昼を食べてから義母の所に出かけて行ったの で、私はお昼を食べてから中部大学の「歴史学特殊講義C」に行きましたが、いつもはいっぱいの駐車場がガラガ ラなので台風で来られない学生が沢山いると思って、校舎に行くと、休講案内板に「暴風雨警報発令中の為、午前 中の講義は総て休講」と出ていたので、駐車場の空いている理由が分かりましたが、今は小学校も大学も扱いは 同じだと思いました。 それでも、今の学生は真面目だと思ったのは、午後1時35分からの5,6時限目の「歴史学特殊講義C」には7割以上 の学生が出席していました。私の学生時代なら午前中が休講になったら、午後から講義に出て行くは面倒で麻雀 でもして講義を休んでいたと思います。 夜のニュースで衆議院の東海地区の比例代表の当選者がやっと決まったと言ってましたが、本来なら立憲民主党 に割り当てられたのですが、候補者数が足りない為に自民党に権利が移り、候補者2人の惜敗率の計算が佐久島 の投票箱が夕方届いて、やっと、開票出来て最後の当選者が決まったそうです。 10月22日(日) 朝起きるとかなりの雨が降っていたので、岡山ブースは昨日の内にほとんど売っておいて良かったと思いました。 午前9時前に家内に送って貰って、物産展会場に着くと、雨の中 を皆さん今日の用意をしていましたが、会場内は昨日と違って 閑散としているし、岡山県のブースはまだ誰も来ていませんで した。 午前9時過ぎにS.Kさんが来ましたが、昨日、ほとんど売り切って 、黒豆茶とジーンズのペンケースが僅かに残っただけなので、今 日は誰も手伝いは来ないようでしたが、来てもする事は無いの で当然だと思いました。 その後も雨が降り続いていましたが、午前10時半頃に本部から、今日は午後12時で終了する事に決定したので、そ の後で片づけをしてほしいと通達がありましたが、ステージでは雨の中でも予定していた”春日井はるみん”の 「鳴子踊り」を頑張って踊っていましたが、こんな天気の中で踊るのは大変だと思ました。 台風や雨の事を考えれば、昼で中止も当然と言えば当然だと思いましたが、今朝、鱒ずしが150個も届いた富山県 や焼きサバずしやサバの棒寿しを持って来た福井県などは昼までに売らなければ大変だと慌てていました。 物産部会の仲間の富山県の元会長のT.Sさんから売れ残りそうなので買ってほしいと言われたので、お付き合い で2個(1個1,400円)買いました。 お昼までは売るものも無いので、のんびり過ぎせると思っていましたが、こんな雨の中でもわざわざ”大手饅頭” を買いに来た人が10人近くいた事は有難いと同時に申し訳なく思いました。物産展が始まった時には岡山県の人 しか知らなかったのが、10年近く経った今ではこれを買う為に来たと言うファンが増えたのは、物産展を続けて来 た成果だと思うので、若い県人会の人達にも頑張ってほしいと思っています。 午後12時に終了の放送があり、午後12時40分から車が入れるようになったので、SKさんの車に荷物を積み込んで 私は家内と待ち合わせている「清水屋」に行き、一緒に家に帰って来ました。 台風21号は各地に大雨警報や暴風雨警報が出ているので、我が家でも家の周りを片付けて台風に備えましたが、 いつもの様に何とか直撃は逃れてほしいと思っています。 午後8時過ぎから衆議院選挙の報道番組が各局で始まりましたが、選挙前の予想通り自民党が、それ程、議席を減 らさずに勝利を治めそうな感じで、希望の党は思ったより厳しい選挙結果になりそうで、逆に立憲民主党が大きく 躍進して、希望の党に行かなかったことが良かったと言う皮肉な結果になりそうです。 10月21日(土) 今日明日は「第41回春日井まつり」が開かれ、私も東海岡山県人会で”全国お国巡り物産展”に参加しているので、 午前8時に家内と一緒に家を出て、春日井警察裏の指定された駐車場に車を入れて、物産展会場まで歩いて行き ましたが、約1km近くあるので15分も掛かりました。 午前8時半過ぎに会場に着くと、既に若い人達が岡山県ブースの設営を終わって、早々にブドウを買いに来たお客 さんの対応をしていました。今年から「春日井まつり」の運営を任せたS.Kさんが若い人に声を掛けて、新たに3人 の人が手伝いに来てくれたので、私の出番はほとんど無くなり、楽が出来そうだと思いました。 ただ、今年は台風21号が接近中で秋雨前線の影響で2日間共天気が悪い予想なので、商品の注文数量や準備で 頭を悩ませたと思うので、申し訳ない気持ちです。S.Kさんに話を聞くと例年の半分くらいの数量に減らして注文 したと言ってたので、今年の天気予報ではやむを得ないと思いました。 それでも、天気の方は午前10時過ぎまで何とか持っていたので、思ったよりお客の出だしも早くて、人出も多いの は明日の日曜日は台風を予想して、パレードも中止が決定しているので、雨の酷くない今日にした人が多いのかな と思いました。 岡山県ブースは若い人が頑張っているので、私は家内と一緒に衆議院選挙の期日前投票をする事にして、市役所 本庁舎の11階に行きましたが、既に多くに人達が来て並んでいました。とは言ってもそんなに時間は掛からず投票 出来ましたが、終わった所で新聞社の記者がアンケートに答えてほしいとアンケート用紙をくれたので、内容を見 ると、いわゆる、出口調査というアンケートでした。このデータが投票時間が締め切られてすぐに当選確実になる 基の調査だと思ったので、正直に答えておきました。 同じ11階で家内のやっている写仏画同好会の「蓮華会」のT.Tさんが出品している”いきき趣味の作品展”をやって いたので見学していたら、家内の「味美日本画クラブ」のT.Sさんも出品していたので頑張っていると思いました。 その後、私は市役所庁舎内ステージや文化フォーラムのメイン会場のステージを見学して歩いたりして、まつりの 状況を見て回りましたが、会場全体でも人出が多いように見受けられました。物産展会場のステージでは徳島県か ら来た、若いガールズロックグループの”S‐tyle”が演奏していましたが、雨の中でも元気よく演奏している姿は若 さだなと思いましたが、この子達がいつかメジャーになれる事を願っています。 午前11時頃に岡山県のブースに戻ると、商品がほとんど売れたので、一部を開放して”岡山カフェ”と書いて、休憩 所にしていたのは驚きでしたが、さすがに若い人のアイディアは素晴らしいと思いました。 家内はチャリティーバザーやお茶会に顔を出して来ると会場内に姿を消しましたが、結局、そのまま、あちこちを 見学して歩いて、シャトルバスで自宅に帰ったそうです。 私はお昼は隣の福井県小浜市のサバの棒寿司を食べるつもりで買っていたのですが、場内を歩いている時に広 島焼が美味しそうだったので、棒寿司は夕食で食べる事にして、午後1時に広島焼きを買って来て食べました。 午後2時前に若い人達がお昼を食べて帰って来たので、私がいなくても大丈夫だと思い、午後2時過ぎに皆さんに 挨拶をして、S.Kさんには明日また来ますと言って上がりました。 10月20日(金) 今日も朝から曇り空でしたが、午前中は雨の心配はなさそうだったので、中部大学の「世界の中の日本」(大澤肇 講師)の講義は傘無しで行きましたが、今日の講義はドキュメンタリー映画「ゆきゆきて神軍」(原一男監督)を見る 事でした。1982年(昭和57年)から翌年に掛けて撮影され、1987年(昭和62年)に公開されると、当時、大反響を呼 び、数々の賞を受賞したドキュメンタリー映画です。 主役になっている”奥崎謙三”はニューギニア戦線で生き残った数少ない軍人で、帰国後、戦争の責任は昭和天皇 にあるという考えで数々の事件を起こしていますが、このドキュメンタリーはかつて自らが所属した独立工兵隊第 36連隊の”ウェワク残留隊”で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族と共 に、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求めるというものです。 ドキュメントの中で銃殺された2人の兵隊の妹と弟と一緒に昔の隊員を訪ねて、本当の事を話してくれと頼みます が、元隊員たちは容易に口を開きませんでしたが、奥崎は粘り強く証言を引き出し、中隊長だった元上官が処刑命 令を下し、最後は本人が銃殺したと結論づけますが、本人は上からの命令で自分が出したことは間違いないが、 自分はその場にいなかったと堂々と言ってるので、何が真実だったかは見た人の判断だと思いました。 ただ、証言をした人達の共通していたのは、ニューギニア戦線の最後の方はまさに生き地獄で、人間の極限状態 では何でもありだったと言う話です。昔、家内の父親からも同じような話を聞いた事があり、本当に悲惨な状況だ った事を改めて実感しました。 午前11時に1,2時限目が終わってから床屋に行き、家に帰ってからお昼を食べて、ゆっくりしていると、家内が「午後 はパソコン同好会じゃない?」と言うので、ハッと思い、慌てて用意をして坂下公民館に向い、午後1時半過ぎに部 屋に入って行くと、丁度、始まった所で、こういう経験がある人もいるので、皆さん分かっている様子でした。 今日はエクセルの関数の使い方の復習でしたが、年数や月数・日数を計算する"DATED IF"や順位等を表す"RANK EQ”、もし・・・なら・・であるという条件(論理式)を使うIF関数などを使って、勤続年数や売り上げ順位、ランク付け をやりましたが、昔、パソコン教室に通っている頃に習った記憶はありますが、ほとんど忘れていて、本当に良い勉 強になりました。 10月19日(木) 今日は「第19回中国五県ゴルフ大会」がグリーンヒル関ゴルフ倶楽部であったので参加しま した。天気予報でも一日中雨の予想だったので、行きたくなかったのですが、年に1回のコン ペで岡山県からの参加者少ないと言われていたので欠席するわけにもいかず、嫌々の参加 でしたが、思ったより雨も小雨で、傘も差したり、差さなかったりだったので良かったと思い ました。 今日のメンバーは島根県出身2人と岡山県の私と80歳のH.Jさんでしたが、島根の2人も春 日井在住で私達2人も春日井という事でお互いに和気あいあいのラウンドが出来ました。 私の今日のゴルフはティショットもアイアンショットまずまずでしたが、今回の会場のグリーンヒル関ゴルフ倶楽部 はグリーンは大きくてアンジュレーションがきついので、乗せた場所によってパターが難しく、3パット4パットもあ るで大変でしたが、何とか40台で回れそうだと思ったら、最終のミドルホールで池に2つも入れて9も叩き、52にな ってしまいました。後半はスタートして連続4ホールパーで6番ホールまで2オーバーだったので、久し振りに30台 がちらついた途端に7番でダボを叩き、最終のロングホールの9番でもトリプルを叩き、44になり、トータル96とい う結果になってしまいました。 今日は一緒に回った、島根県のI.Kさんがアウト70・イン80・トータル150という凄いスコアだったのですが、こんな ひどいスコアの人でもニヤピンとドラコンを1つずつ取ったのですから、ゴルフの面白さをつくづく感じました。 10月18日(水) 今朝は11℃と冷え込みましたが、午前中には陽が射してきた事もあって、かなり、暖かくなりました。第3水曜日な ので、家内は午前午後共にお茶と日本画で一日中出かけているので、私は午前中に久し振りで「大須骨董市」に出 掛けました。一時よりは店の数は少なくなっていると思いましたし、人出も減っているように見えましたが、唯一、 外人さんの数は以前より多くなっていると思いました。 それも、買い物の目的がはっきりしている人が多くて、着物を一生懸命見ているグループや伊万里錦や染付が好 きで探している人がいました。私はいつも様に本殿にお参りしてから、一回りしましたが、会場の一角では何か掘り 出し品が無いかと一生懸命探している人達がいましたが、私の様に目的もなく歩いていると、余計に掘り出し品な どは見つけられないだろうと思いました。 午前11時過ぎまで見た後、大須の街を歩いてみようと、”東仁王門通り”から”万松寺通り”に 行きましたが、大須が賑わっていると言っても、店の入れ替わりは、結構、あるようで、昔、次男 が働いていたファッション関係の店も閉店たらしく、別の店になるのか改装中でしたし、直ぐ近 くにあり、ランチの時には行列が出来ていたステーキ店も火事を出したせいか、今は更地にな っていました。 そんな中でも変わらず人が集まっているのは、生鮮食料品の安売り店 「イトウ」と「サノヤ」の2軒ですが、今日も大勢の買い物客がいたので、 私も「イトウ」を覗いて見ましたが、大きなリンゴ98円と大きなカキ68円が安いと思い3個ず つ買い、大きなレタスも98円だったので1個買いました。 午後12時半過ぎに家に着き、お昼を食べていると、今年の「第41回春日井まつり」の実務を 任せているS.KさんからFAXが届き、”お国巡り物産展”に関するブドウの注文数を減らすと 言う連絡でしたが、今週の土日の天気予報が悪いので、当然だと思いますが、責任者を任せ たS.Kさんが悩んだ末に出した結論だと思うと、彼に申し訳ない気持ちになりました。 台風21号の影響が何とか最小限に済んで、土日の天気も曇りで良いので、雨が降らない事を祈りたいと思います。 10月17日(火) 今年の梅雨が今頃来たようで、今朝も朝から小雨模様の天気ですが、これで4日間連続の雨の日ですから、いい加 減、嫌になって来ますが、予報では午後からは晴れ間が出るとなっているので、それに期待したいと思います。 今日は午後5時からN夫妻と日本料理「大竹」に行き、若いご主人に瀬戸の陶芸家寺島裕二さんの所に案内しても らう事になっていて、その後、「大竹」で食事をする予定になっています。天気が回復した事もあって、いつもより 早く、午後2時から市民プールに行きましたが、行って見て、人が多いのに驚きました。 私は早くても3時からしか行った事が無く、午後2時過ぎのプールがこんなに人が多いとは思いませんでしたが、 午後3時前になると帰る人が多くて、10分間の休憩後の午後3時5分にはいつも私が見ている25mプールや流水 プールの感じで、見慣れた顔の人達が来ていました。 午後4時前に家に帰り、家内と一緒にN夫妻の家に迎えに行って、一緒に 瀬戸の日本料理「大竹」に行き、ご主人に案内してもらいましたが、歩い て3分と本当に近いので驚きました。寺島裕二さんは、一見、陶芸作家と 言うよりはデザイナーという感じで、ご本人も興味あるものは何でもや ってみると言ってましたが、話を聞くと、元々はデザインをやっていたと 聞いて納得がいきました。 本来は瀬戸の作家ですから日展系の現代的な作品を作っているそうで すが、高級料亭の食器も手掛けていて、「なだ万」や岐阜の「たか田八祥」からも依頼を受けているそうす。 工房で何点か見せてもらいましたが、料理人のセンスが問われるような食器なので、私達が使える様な物ではな いと思いました。花器として作っている黒陶作品も個展用に作った物が多く、使い方に工夫がいる感じなので、結 局、見学をしただけで、何も買わずに帰って来ました。 午後6時前に「大竹」に戻り、今月の料理を食べましたが、いつもと同じで、手間を掛け、気持ちを込めた料理を味 わう事が出来ました。最初に八寸が出ると思っていたら、今日は暖かい白みその汁に里芋の揚げ団子が出て来た ので、冷えた体に丁度良い暖かい料理でした。次に出て来た八寸も手間をかけて作った事が良く分かりましたし、 お造りのタイも美味しかったのですが、私が今日の料理で一番良かったのはハモとマッタケの汁もので、土瓶蒸し とは違いましたが、久し振りに土瓶蒸しを食べた気がしました。次に出て来た西京みそのほうば焼きですが、西京 みそは白みそばかりだと思っていましたが、赤みそもある事を初めて知りました。最後に出て来た秋サケと大根の 炊き込みご飯もおこげが美味しくて良かったし、デザートも恒例の葛切りが黒蜜と合って美味しかったです。 N夫妻との食事ではいつもお互いの話が尽きず、時間を経つのも忘れてしまう程ですが、今日も早目の6時から始 まりましたが、あっという間に午後8時過ぎたので、次回の予約をしてお開きにしました。 10月16日(月) 今日も朝から小雨が降り続いて、たまに強くなったり弱くなったりの日でしたが、家内はいつもと同じ様に午前9時 半過ぎに名古屋の義母の所に出かけて行きました。 私は午前10時過ぎに雨の中を「王子ゴルフ練習場」に行きましたが、雨だから空いているだろうと思ったら、結構、 来ている人達が多かったのですが、1打席だけ空いていて、私は直ぐに練習出来ましたが、私の後から来た人は少 し待っていました。300球700円のコースで1時間練習してから、昨日に続いて旅行用のチョッキを探しに「リヴィン」 に行きましたが、ここでも見つかりませんでした。 今日は、先日、注文してあった安全の注意看板が午後1時過ぎに届いたので、受け取ってから中部大学の「歴史学 特殊講義C」(一谷和郎准教授)に行きました。今回の中部大学オープンカレッジで選んだ講義は、今日の講義と金 曜日の「世界の中の日本」(大澤肇講師)が、偶然、第2次世界大戦後の中国に関する事が重なっているので、興味 深い点が多々あります。今日も米国とソ連の冷戦の事や”毛沢東”の大躍進政策での「人民公社」の話が出ました が、先生によっても解釈や見方が違う事も面白いと思いました。 10月15日(日) 朝から雨の降り続く日になりましたが、家内は「県民茶会」のお手伝いで東郷町まで行くので、午前6時に起きて、 着物を着て出かけて行きましたが、こんな雨の日のお茶会ですと、建物の中は良いとしても、野点をテントの中で やっているとしたら着物の人達は大変だろうと思いました。家内が帰って来たら、どんな様子だったか聞いてみた いと思っています。 私は午前10時過ぎから出かけて、最近オープンした「ゴルフドゥ!」に行って、フェアウエイウッドの4番・5番を探し ましたが、これというクラブが無かったので、「イオン春日井店」に旅行用のチョッキを探しに行きましたが、こちら も気に入ったものが無かったので、何も買わずに帰って来ました。 天気の方は予報通り、雨が降ったり止んだりで、気温は17,18度でしたが、陽が出ないので、昨日と同じような肌寒 い一日になり、暖房を入れてもおかしくないと思いましたが、来週から暑くなると言ってたので我慢しました。 夕方、家内が帰って来て、元々、「県民茶会」というのは室内に5席とか6席の茶席を設けて、お茶券を買った人達 が自分の好きな2つの茶席でお茶を飲む事が出来る茶会なので、雨が降っても関係は無いそうです。 10月14日(土) 今朝も新聞を取りに行くと、雨が止んだばかりでしたが、気温は18度と昨日と同じような感じでしたが、何故か肌 寒さを感じるのでカーディガンを羽織って朝食を食べました。 午前8時前にゴミ出しをして、帰りに庭を見ると、家内がクチナシの新葉が食べられているので、何処かにアオムシ がいるはずだと言うので、良く見ると、葉っぱの細い所にくっついていましたが、私はアゲハチョウの幼虫なら、そ のままにしておいたら言いましたが、家内は消毒剤を撒いていたので、どういう結果になるのか分かりません。 庭の他の所では、先日から咲き続けている酔芙蓉が白い花を咲かせていますが、この花の不思議には未だに驚き ますが、何故、ピンクになって、それが濃くなって最後に落ちるのか本当に不思議だと思います。 他にもムラサキシキブが本格的に色づき、お茶の花も白い花を付けて、シュウメイギクもピンクは散りましたが、白 のシュウメイギクが咲き始めています。秋の七草のフジバカマも咲き始め、シモバシラとホトトギスが近くで上品な 花を付けて、私達の目を楽しませてくれています。 午前9時前にいつものゴルフ仲間とモスバーガーの店で話しましたが、86歳のK.Kさんが免許の更新で自動車学校 に言って来たと言ってましたが、今年からは、75歳以上は最初に簡単な講習や試験らしきものを自動車学校で受 けて、その結果を警察に送り、良ければ”高齢者講習”を受けて、免許を貰えますが、疑わしい人は病院で医師の診 察を受けて、その結果が良いか悪いかで、免許の更新がOKかどうか決まるそうです。 最近、高齢者の事故が多くなり、検討の結果、そうなったと思いますが、当然と言えば当然の事ですが、私は次の 免許更新が76歳ですが、その時に無事に更新が出来るかどうか自信がないので、その時まで「無尽陶舎」を何と か続けて更新が出来るようにしたいと思います。 10時前に解散して、「皿外接骨院」に行きましたが、左肩の痛みは相変わらずなので、もう少し通う回数を多くした 方が良い事は分かっているのですが、中々、行くタイミングが合わず、回数が増えません。 午後5時前に家内は子供達を教える為に「誠武館」に出かけて行ったので、私は第2土曜日定例の「安全協議会」の 役員会があるので、午後6時前に集会所に行きましたが、誰も来ている様が無く、玄関が閉まっていたので、おかし いなと思って、携帯電話のスケジュール表を見て、今日は”安全パトロール”が午前10時からに変更になっている事 に初めて気がつきました。 先月の打ち合わせで、今月は昼間のパトロールにして、その後、役員会を開く事にしたのを今になって思い出し、自 分が情けなくなりました。家に帰って、カレンダーを見ると時間も書いてあったのですが、自分の思い込みで、カレ ンダーを良く見なかった事も反省材料です。 今朝のゴルフ仲間との話で、歳に負けないように頑張らなければと思ったばかりで、こんな事が起こると本当に自 信を無くしそうですが、あまり、考え込まないようにしたいと思います。 10月13日(金) 朝から今にも降り出そう天気でしたが、今朝の気温は19℃と高かったのですが、お昼になっても18℃と同じような 温度で、かえって肌寒くなった感じでした。 午前9時半から中部大学の「世界の中の日本」(大澤肇講師)の講義があるので、午前9時前に家を出て、大学に行 きましたが、1,2時限目の講義の時は少し早めに行くと、屋根付きの駐車場に停められるので、早目に出て、行く事 にしています。今日の講義でアジアにおける東西冷戦は1950年の朝鮮戦争(北朝鮮が朝鮮統一を求めて韓国に侵 攻)で韓国をアメリカが支援し、北朝鮮に中国が義勇軍を派遣、ソビエトがソ朝友好条約締結等がきっかけになり、 南ベトナム(米国)と北ベトナム(ソ連)や中華民国(蒋介石:米国)と中華人民共和国(毛沢東:ソ連)の対立でも同 様の構図になって、冷戦は広がって行ったのかなと思いました。 お昼を食べ終わった頃に免許証の更新に行ってた家内が帰って来ましたが、まだ、70歳前でゴールド免許ですから 、次回の更新が平成34年と言うのを見ると、”高齢者講習”はまだまだ先だから良いなあと思いました。 午後2時に火災保険の更新を約束していた損保ジャパンの代理店をやっているN.Tさんが来たので、久し振りに近 況を聞くと、以前、我が家にも一緒に来ていた息子さんが1年位前に直腸がんの手術をしたと言うので、次男より 1歳上でまだ若いのにと思いましたが、元々、痔が悪くて、痔瘻が悪性化してガン化したらしいのですが、幸い、他 に転移も無くて良かったと言ってましたが、話を聞いてガンは若いからと言って安心はできないと思いました。 保険の代理店も昔は良い時代もありましたが、今は数字が上がらないと、辞めさせられたり、他の代理店の下に 入れられるので大変だと言ってましたが、彼とは40年以上の付き合いなので元気な内は頑張ってほしいと思って います。 彼が帰った跡、午後4時からプールに行きましたが、朝からの曇り空が小雨がパラつくようになったせいか、プー ルは空いていて、プール教室参加の親子グループを除けば、人数は少なかったので楽に泳げました。 10月12日(木) 今朝も青空の見える天気でしたが、予報では今日を境に、当分、雨かぐずついた天気が続くと言ってましたが、ま さか、予報の2週間も続いたら大変な事だと思いました。 午前10時から「東部中国語同好会」があったので、東部市民センターに行きましたが、部屋に入ると、副会長のM.Y さんと会計のH.Mさんから、8月にご主人を亡くされたO.M先生の慰労と激励を兼ねてカラオケに行きませんかと 言われたので、OKしましたが、カラオケ好きのM.Yさんらしいと思いました。 お昼過ぎから雲が多くなってきたので、午後3時過ぎからウオーキングに出ましたが、雨が降り出したら困ると思 い、団地内を歩きましたが、最近建ったばかりの家が結構あったので、団地が出来て50年近くなるので、建て代え たり、古い家付きの土地を買って、新しく建築している家もあるのかなと思いました。 10月11日(水) 今日も朝から天気が良く、日中はかなり暑くなるようです。家内はお茶の稽古で、午前9時過ぎに出かけて行きま した。私は久し振りにゴルフの練習に行きましたが、左肩の調子が悪くて、やめようかと思いましたが、打っている 内に痛みが無くなったので、そのまま、練習を続けました。練習を終わって帰る頃には汗びっしょりで、今日の天気 予報通り、30℃近くまで上がっていたと思います。 お昼は家内が刻んだネギがあったので、自分でそうめんを茹でて食べましたが、冷蔵庫の中の残り物もついでに 片付けました。家内も午後1時近くに帰って来て、残っていたそうめんを茹でて食べていました。 午後2時前に家内は、先日、昔の日本画仲間で先輩のT.Kさんから日本画のパネルを貰ってほしいと連絡があった 時に、今日の午後2時に取りに行く約束をしてあったので、T.Kさんのお宅に出かけて行きました。 私が午後3時からプールに行って、午後5時過ぎに帰って来ると、日本間に家内がT.Kさんから貰って来た6号から 50号のパネルが30~40枚置いてありました。家内の話を聞くと、T.Kさんは93歳になり、日本画を描くのをやめる ので、パネルを整理していて家内を思い出して電話をくれたそうです。 お宅に行くと奥様も出て来て、いろいろ、話を聞くと、奥様は91歳で何処も悪い所がないと言うくらい元気な方で 、今でも絵手紙をやっているそうですから、夫婦そろって90歳超えても元気だというのは羨ましい限りです。 10月10日(火) 家内の2ヶ月に一度の定期検診があるので、午前8時半過ぎに家を出て愛知医大に行きました。午前9時20分過ぎ に着きましたが、今日はすぐに1階に車を停められ、3階に上って行くと、家内も直ぐにやって来て、今日は採血室も 患者が少なく、待ち時間も無くて直ぐに採血が出来たそうです。診察も予約時間の10時~10時30分だったのです が、午前10時30分に呼ばれました。特に変わった数値は無く、横ばいという事で2か月先の予約をして、精算も直ぐ に終わり、いつもは30分以上はある薬局も着いたら薬が出来ていて、余りの早さに家内も驚いていました。 午前11時前に全てが終わったと言うのは、愛知医大に通院し始めて10年以上経ちますが、初めての事でした。お昼 には時間が早いので、火曜市をやっている「イオンモール長久手」に行き、家内は特売の付いている品物をメイン に買っていました。精算が終わって、パン屋の側を通ったら、どれでも100円(税別)と出ているコーナーがあったの で、家内がお昼はパンにしようと言い出し、108円のパンを5個買って、近くにある100円(税込)のドリップコーヒー を買って来て、2人で合計740円の昼食を食べましたが、たまにはこんなお昼も有りかなと思いました。 午後2時過ぎに帰って来て、テレビを見たら、今日、告示になった衆議院選挙一色のニュースばかりでしたが、今回 の選挙が、今後、12日間でどういう状況になって行くのか、22日(日)の投票日の開票結果が今から楽しみです。 一休みして、午後4時前から落合公園までウオーキングをしましたが、今日は最高気温が30℃まで上がったと言う だけに、短パン・半袖Tシャツでも汗びっしょりになりました。 10月9日(月)体育の日 今日は祝日ですが、中部大学は休みでなく、通常の講義があるので、私は午前9時前に家を出て、中部大学の「歴 史学特殊講義C」(一谷和郎准教授)に行きましたが、学生も休んでいる人が少ないので今は真面目な学生が多い と感心しました。今日の講義で第二次世界大戦後の国連の常任理事国が米・英・仏・ソ・中の五カ国と言うのは知っ ていましたが、その時の中国は今の中華人民共和国ではなく、蒋介石の中華民国だったという事を言われ、考え てみれば当然の事ですが、自分の頭の中では今の中国と勘違いしていました。 午後4時過ぎから市民プールに行きましたが、今日は「体育の日」で無料開放していたので、大勢の人が来ている と覚悟して行ったのですが、時間的に帰る人が多く、25mプールはいつもと変わらない位でゆったり泳げましたし 、流水プールも午後5時過ぎると家族連れも少なくなり、ゆっくり、逆流ウオーキングが出来ました。 10月8日(日) 朝から気持の良い青空の広がる日になり、今朝の気温も16℃と北海道では考えられな様な 温度だと思いました。 家内が今日は味美公民館と小牧市と言っても我が家から10分程度の所にある名古屋造形大 学に行きたいと言うので、午前9時過ぎに家を出て、最初に味美公民館に行きました。 ここでは「味美日本画クラブ作品展」を先週の水曜日からやっていて、家内は作品搬入の時 に旅行中の為、会員のF.Kさんに搬入をお願いしたので、展示した作品を見ておきたかったよ うです。私が見た所、皆さん頑張って描いていると思いましたが、ひいき目ではなく、家内の 作品が一番良く描けていると思いました。 20分程見てから「名古屋造形大学」に向いましたが、造形大は昨日から 明日まで大学祭”芸祭”を開催中で今日は”不要本バザー”でどんな本で も1冊100円だと言うので、家内は美術関係の本があれば買いたいと思 っているようですが、私はどんなジャンルでも面白い本があれば買いた いと思って行きました。 午前10時過ぎに着き、会場に行くと、既に掘り出し物を買う積りの人達が 来ていて、熱心に本を探していました。私達も、早速、見て回り、面白そう な本を探しましたが、結構、興味を引く本があり、1時間近く探して、家内は4冊、私は3冊選びましたが、最後に2人 で相談して迷った末に買ったのが講談社の「国宝大辞典」(1冊9,400円)シリーズの〔1〕絵画の1冊ですが、本来は 6冊あり、どれも良かったのですが、1冊の重さが2kgもあり、全部買うと12kgにもなるので、家内の関係の深い絵 画を買いましたが、家に帰ってからじっくり見ると、良く出来た本だったので、重くても100円なら買っておけば良 かったと思いました。 10月7日(土) 昨夜、寝たのが0時半過ぎでしたが、午前6時過ぎに目が覚めたので、そのまま、新聞を取りに行くと、雨が止んだ ばかりで、まだ、今にも降りだしそうな空模様でした。 朝食を食べ終わった頃に家内が起きて来たので、私は旅行の片づけをして、買って来た土産 の整理をしてみたら、いつもと同じように買いすぎだなと思いましたが、家内と旅行すると 、義理堅い家内はあの人達にはこれ、このグループにはこれと言いながら、品定めをする為 にこればかりは直らないようです。 午前9時頃に月1回の診察に「石川内科クリニック」に行きましたが、受付の時点で診察時間 が午前10時過ぎと言われたので、いつもの様にモスバーガーの店に行き、ゴルフ仲間とコー ヒーを飲みながらよもやま話をして時間をつぶして石川内科に戻りました。 午前10時半過ぎに血圧を測ってから診察になり、先生から先月の血液検査の結果を聞きましたが、クレアチニンが 1.2で前回と同じような値で標準値よりやや高いので軽度の”慢性腎不全”だから水分を十分とって尿をしっかり 出して、塩分とタンパク質を控えめにするように言われました。診察を終え、インフルエンザの予防注射の予約をし て、調剤薬局で薬を貰って家に着いたのが、午後12時丁度ですから、今日も半日がかりでした。 10月3日(火)~10月6日(金)「星野リゾート トマムザ・タワーと”鶴雅”に2連泊する北海道モニターツアー4日間」の の旅に出かけました。このツアーは「阪急交通社」がモニターツアーと称してAランクホテルの”星野リゾートトマム ザタワー”と”あかん悠久の里鶴雅本館”2連泊の3泊4日で69,900円という目玉商品だけに一行は40名の定員い っぱいでした。内訳は女性4人連れ1組と女性2人連れ2組で残り32名は夫婦16組でした。ほとんどが私達と同じ年 齢層の感じでしたが、もう少し若いと言っても60代前半や年上の感じでも70代後半の夫婦だと思いました。 3日(火)午前9時15分に家を出て、東名高速が昨日から集中工事が始まったので、名古屋ICまで35分と出ていた ので小牧IC経由で名古屋高速利用で行きましたが、途中、東新町~高辻が渋滞していました、それでも、午前10時 30分にセントレアに到着しましたが、駐車場は予約していないので、一番端のP1Aしか空いていなくて、かなり、歩 く羽目になりました。 阪急交通社の受け付けでeチケットと国内旅行保険証書を貰って、スーツケースを預けてから昼食の弁当を買って から手荷物検査を受けて10番搭乗口に行きました。午前11時に着いたので、機内で食べる積りだった弁当を早めに に食べる事にして、私は地雷也の天むす、家内はミニかつ弁当を食べましたが、天むすは千寿の方が格段におし いと思いました。 午前11時45分に搭乗開始、20分遅れの午後12時15分に出発しましたが、季節風に乗って、千歳空港には定刻の午 後1時35分に到着しました。千歳の気温は13度でしたが、名古屋と比べると10℃以上低い気温でした。 現地添乗員のM.Kさんの迎えを受け、おびうん観光のバスガイドI.Mさんの案内で午後2時15分に最初の観光地に向 けて出発しました。40分程で夕張の「滝の上公園」に到着し、ここは夕張川の渓谷美と紅葉の名所と言ってました が、時期が早かったようで、渓谷を見て、夕張メロンではない夕張のメロン300円を食べてホテルに出発しました。 午後4時半過ぎに今日の宿泊ホテル「星野リゾート トマムザ・タワー」に到着しました。この施設は占冠村と民間の 会社で建設されましたが、バブル期にピークを迎えた後、倒産したのですが、民間部分を星野のリゾートの子会社 「星野リゾート・トマム」が買い取り運営するようになり、「星野リゾート・トマム」も全株式を中国の会社に売却しま したが、運営は引き続き「星野リゾート」がやっているそうです。 従業員が偶然見つけた雲海を”雲海テラス”として夏の観光の目玉したのが当たり、今では多くの観光客が訪れる ようになり、私達の宿泊した”トマムザ・タワー”2棟と近くにある”リゾナーレ・トマム”2棟の他にも多くの宿泊施設 やスキー場、室内プールなどがあるそうです。 夕食は2,500円の食事券が付いていて、何処のレストランでも自由ですが、オーバー分は個人払いで、余っても返 金は無しという事でしたが、食事場所が何カ所もあり、初めての事で様子が分からず、取り敢えず、ガイドブック からビュッフェレストランの「森のレストラン ニニヌプリ」に行く事にしました。 午後5時半過ぎに屋根付き通路を通って行きましたが、外気温は0度近くまで下がっている感じで、セーターの上に ジャンバーを着て来て、良かったと思いました。歩いて5分程で着きましたが、店内は天井が高く、外はライトアップ されていて、ガラス越しの景色も良くて雰囲気は良い感じでした。 料金は3,800円でしたからディナービュッフェならまずまずだと思いました。私はビール飲み放題1,000円を付けま したが、最初の1杯は従業員が入れてくれましたが、お代わりはセルフでオートマシンにグラスを置けば、自動的に 入れてくれるのは初めての経験でした。料理はまずまずでしたが、焼き立てステーキコーナーや焼き立て豚丼が 人気があるようでした。 午後7時前、私達が帰る頃には店もいっぱいになっていましたが、ホテル 内は中国人観光客が半分以上かなと思う位ですが、中国資本が入って いるだけに当然と言えば当然ですが、他に高校生の修学旅行も来てい たので、これだけ大きな施設だけに集客も大変だろうと思いました。 いったん部屋に帰って、休憩してから大浴場に行きましたが、室内プール のある「ミナミビーチ」の中に”木林(きりん)の湯”が併設されていて、 巡回バスを利用して行きましたが、大浴場と言っても露天風呂だけの風 呂で、物足りなさがありましたが、霧雨が降っているのに、お月さまが綺麗だったので救われました。 「星野リゾート トマム」は期待して来て見ましたが、規模が大きすぎてレストランに行くにしても風呂に行くにして も巡回バスを利用しなければならず、私の思ったホテルとは違っていました。 4日(水)雲海を見たい人は午前4時55分のシャトルバスの始発に乗るように添乗員のM.Kさんから言われ、シャトル バスや雲海ゴンドラの情報は室内テレビの11チャンネルで確認する事が出来ますと教えられていたので、午前4時 20分に起きて、用意をして午前4時44分にテレビを点けたら「雲海テラスは-2℃で快晴の天気ですから暖かい服 装でお越し下さい。」と出ていたので、家内と2人で部屋を出ようとしたら、突然、画面が変わり、「ただいま、突然 の降雪と雷雲の接近で本日の営業は中止致します。」と出たので、思わず家内と顔を見合わせました。 部屋にいても手持無沙汰でする事も無いので、1階ロビーに降りてみましたが、何も知らずに出かけようと降りて 来た人達でごった返して、従業員に初めて聞いた人もいて、唖然としていました。試しに外の出て見ると真っ暗な 空に星が出ていて、トマム山(1239m)にある「雲海テラス」とは随分違うと思いましたが、外の気温は1℃だと言っ てましたから大して違わないと思いました。 一度、部屋に帰って、午前6時に1階ロビーに来て待っていたら、朝食を食べる事にした「ビュッフェダイニングhal」 に行くバスが来る時間より歩いた方が早そうなので、歩いて8分の通路を歩いて行きました。 午前6時15分頃に着きましたが、雲海テラス行きが中止になったせいで、早起きした人達が沢山来ていました。ここ の朝食ビュッフェはオムレツコーナーやラーメンコーナーがあり、和食、洋食共種類もまずまずで、私は食べません でしたが、根菜の蒸し物は綺麗な盛り付けでおいしそうでした。朝食を終わって外に出ると青空が見え、陽が射し ていて気温も上っている感じがしました。 午前8時にホテルを出発しましたが、トマムの敷地内にも白樺林に紅葉の木があって、なかなか見ごたえがありま した。バスの中には、昨日、添乗員から聞いていた海鮮物の車内販売のおばちゃんが乗り込んでいました。配られた チラシを見ると、値段は普通でしたが、話に乗せられて、結構、買う人がいたのは驚きでしたが、逆に本当に品物 が良かったらお買い得かもしれないと思いました。 午前8時半過ぎから外は雨が降りだしましたが、午前9時頃に最初の目的地の富良野「冨田ファーム」に着いた時 には小雨になっていました。ここはラベンダーブームの火付け役の花畑農園ですが、今はラベンダーは終わって いて、他の花で賑やかでした。ラベンダー畑では切った後に出て来た花がポツポツと狂い咲きしているのが見られ ました。 午前10時に出て、次はテレビで見た時に本物を見たいと思った美瑛の”青い池”に向いました。40分程走って駐車 場にバスを停めて、そこから歩いて行きましたが、美瑛川の横に出来た堰堤の所に青色の池がありましたが、小雨 の降る中で見た池は本当に神秘的な感じのする池だと思いました。この池が出来たのは十勝岳の泥流を堰き止め るために作った堰堤に水が溜まったのが”青い池”という事です。 午前11時10分に駐車場を出て、近くの”ビルケの森”でトイレ休憩をして層雲峡温泉に向かいましたが、途中で紅葉 の中を走り、北海道の紅葉を初めて味わいました。午後1時20分に昼食会場の「朝暘リゾートホテル」に着き、お昼 は”きのご飯定食”を食べました。 午後2時10分に昼食会場を出て、10分程で「銀河流星の滝」に着きましたが、ここで全員集合の記念写真を撮る事 になっているので、”銀河の滝”の前に集合して下さいと添乗員さんに言われていたのですが、バスを降りる頃か ら急に雨と思ったらアラレが降り出し、皆さんが席に着く頃から強くなったので大急ぎで写真を撮り、急いでバス に戻りましたが、その頃から雪に変わり、出発した後は、一時、吹雪のような感じで皆さん驚いていましたが、私も 家内もこんな急変した天気は初めての経験で良い思い出になると思いました。 午後2時半に出発し、国道273号線を通って”三国峠”に向いましたが、雪はずっと降り続いていて、大丈夫かなと 思いましたが、バスガイドさんがトンネルを抜けると天気が違うかも知れないと言うので、期待しましたが、トンネ ルを過ぎても雪は降っていて、午後3時10分に”三国峠”に着いた時には一面の雪でした。 午後3時半に出発し、15分ほど走って下ると雪は無く、雨もほとんど止んでいました。ガイドさんから左側は廃線に なった士幌線の橋跡がありますと言われ、見ていると林の間から所々に見えました。今朝早かったのでいつの間に か寝てしまい、目が覚めたら十勝平野に入り、北海道らしい景色が見られ、天気も晴れていました。 午後4時40分に道の駅「足寄銀河ホール21」でトイレ休憩しましたが、足寄町は松山千春の出身地なので、店内に 入ると、名物の大きなラワンふきと一緒のPR写真がありました。家内はここでラワンふきの水煮とじゃがスティック を買いました。 午後5時10分に道の駅を出て、午後6時10分に今日から2連泊する阿寒湖温泉の「あかん悠久の里鶴雅」に到着しま した。阿寒湖温泉は3回目で「鶴雅」は2回目になりますが、部屋に行くと、以前、泊まった部屋の方が良かったと思 いましたが、モニターツアーで安い分仕方がないかなと思いました。 夕食前に大急ぎで風呂に入ってから夕食会場の「鶴雅ウイングス」のビュッフェ「ハポ」に行きました。ここの夕食 ビュッフェは和洋中の種類も多く、寿司やステーキ、ワッフルは専門の職人が作っていて美味しそうでした。残念だ ったのは行った時間が午後7時半頃で既に食べ終わって帰る人が多くなっていたので、新しく来る料理が少なくて 、ほとんどが皿に残ったものが多くて、出来立てが食べられなかったことです。 5日(木)午前5時過ぎに起きて朝風呂に行きましたが、3階の「ピンネシリ」は露天風呂がなく、外の冷たい空気に 触れられなかったのが残念な感じでした。部屋に帰ってから外の景色を見ると”雄阿寒岳”が綺麗に見えていまし た。午前6時45分から昨日の夕食と同じ「ハポ」で朝食ビュッフェがオープンするので定刻に行き、窓際の席に座っ て外の景色を楽しみながら食べましたが、景色につられた訳ではありませんが、食べ過ぎてしまいました。 午前8時にホテルを出て、両側に収穫の終わった玉ねぎ畑や見事なヒマワリ畑(肥料用)を見ながら、1時間半程走 って、黒澤明監督の「夢」(1990年)の撮影地で有名になったカラマツ7本がシンボルの”メルヘンの丘”を車窓から 撮影し、午前9時40分に網走の「天都山」に着きました。展望台からは網走湖やサロマ湖、オホーツク海も見え、今 日は遠くに知床の斜里岳も雲はかかっていましたが見えていました。 30分程、周囲の景色を楽しんで出発し、今は博物館になっている旧網走監獄跡や現在の網走刑務所を見ながら、 網走駅の横を通り、旧網走監獄の正門を山門にしている永専寺の前を通って、午前10時30分に「網走海鮮市場」に 行きました。以前、寄った時にはサケやカニを買いましたが、今回は買う物も無く見ただけでした。 午前11時前に出発し、海岸沿いを走っていると、多くの釣り人が何本もの釣竿を海岸に立てていましたが、ガイドさ んによると、今の時期は遡上する為に戻って来たサケを狙っているそうです。 暫く走っていると、左の畑の中に4羽の丹頂鶴が仲良くいたのが見えましたが、ツガイが2組か家族なのか分かり ませんが、こんな所で見られるとは思っていなかったのでバスの中の皆さんも興奮していました。 午前11時40分頃に右側に雪を被った斜里岳が綺麗に見えだしたら、昼食会場の「ガーデンハウス藤苑」に着きまし た。私達が注文した”ちゃんちゃん焼き定食”は席に着いてから作り出して、出来立てを出してくれたので、アツアツ のサケのちゃんちゃん焼きは味付けも良くおいしかったです。 午後12時半に店を出て、知床5湖に向い、午後1時20分に到着し、1湖の高柵道を奥まで行き、写真だけ撮って帰って 来ましたが、羅臼岳は雲に隠れて見えませんでした。 午後2時20分に知床を出て、30分程斜里町に行くとサケの遡上で有名な「遠音別(おんねべつ)川」があるので、 橋の上にバスを停めて川を見ると、沢山のサケが遡上しているのが見えました。テレビでは見た事はありましたが 、実際に見たのは初めてで、50m程先の段差のある岩の所では、時々、飛び跳ねて上流に行くサケの姿も見られ、 生命力の凄さを感じました。 そこから20分程走ると斜里町の”天に続く道”と名付けられた道路に差し掛かりましたが、バスの中から見ると、正 に真っ直ぐな道が天に続くように見える道路で、誰が名付けたのか分かりませんが、うまいネーミングだと思いま した。 午後5時40分に道の駅「パパスランドさっつる」にトイレ休憩で寄りましたが、ここ清里町は”じゃがいも焼酎”発祥 の地と聞いたので、重かったのですが2本買いました。 午後4時に道の駅を出て、今日最後の観光地「摩周湖」に向いましたが、走っている途中、添乗員に電話が入り、写 真屋から日の入りの時間があるから、早く来てほしいと言って来たそうです。今回のツアーでは層雲峡と摩周湖で 集合写真を撮る事になっているそうですが、時間的にどうなるかと思っていたら、摩周湖の第1展望台に着いたの が日の入り11分前の午後4時45分で、大急ぎで全員の記念写真を撮りましたが、私達には展望台から見た夕日の 方が素晴らしい写真になりました。 午後5時10分に摩周湖を出る頃には暗くなり、途中の道は何処を走っているのか、全く分からない位、街灯も何も ない道路をひたすら走って、午後6時10分にホテルに戻りました。 夕食は午後6時半から全員揃っての和食:つつじ膳での食事でしたが、魚貝の瓦焼きと道産牛豆乳鍋だけでお腹が いっぱいになりました。 夕食後、家内と2人で久し振りに阿寒の町を歩いてみましたが、以前と同じでアイヌの木彫りの店がほとんどで、特 に買いたい物も見つからず、30分程で帰って来ましたが、帰る途中の店で5袋1000円の昆布だけ買いました。 午後8時過ぎから大浴場に行きましたが、昨日はゆっくり入れなかったので、今日は色々な風呂を楽しみましたが、 「あかん悠久の里鶴雅」の大浴場は露天風呂・サウナをはじめ、低温・高温・寝湯・桶湯・うたせ湯等の浴槽があり、 1つ1つを楽しんでいれば、時間もたっぷりかかりますが、私はそこまで温泉好きではないので、露天風呂で外の冷 たい空気に触れながらゆっくり楽しんで出てきましたが風呂から見る十四夜の月はなかなか見事でした。 6日(金)昨日、行く予定だった「早朝阿寒湖遊覧」が今日になったので、午前5時過ぎに起きて、完全防寒をして、 午前5時50分に玄関ロビーに集合して、添乗員のM.Kさんの案内でホテル裏の遊覧船乗り場まで行きました。今朝 は昨日までの寒さが緩んだらしく、思った程の寒さは感じませんでしたが、雄阿寒岳は綺麗に見えていました。 午前6時5分発の遊覧船には私達のツアーのメンバーの他にも乗っている人達がいて、早朝の割には乗客が多く、 船内ではアイヌの語り部がアイヌ民族の歴史や伝統を話し、民族楽器を使って歌も披露してくれました。15分程で 阿寒湖の中にあるチュウルイ島に着き、島にある「マリモ展示観察センター」を見学しましたが、マリモは小さな球 のようなものと思っていましたが、展示センターにあるマリモは大きなものは20cm以上もあり、30cmにもなる事 を初めて知りました。 20分程見学して船に戻り、船が元の乗り場に帰っている時に正面に雌阿寒岳と阿寒富士が見えましたが、この時 雄阿寒岳と雌阿寒岳が阿寒湖を挟んで向き合っている感じが初めて理解できました。 午前7時に着いたので、そのまま、今日の朝食ビュッフェ会場の「悠久の里鶴雅」の2階の「天河(てんが)」に行きま したが、時間が少し経っていたせいか、案内された席が奥の方のうす暗い席でした。ここは洋食と和食の料理が離 れているので、お盆を持って移動するのも大変でしたし、料理も大した事はありませんでした。 午前8時頃に食べ終わって、部屋に戻ってから、今日が最終日なので、土産と洋服類を整理してスーツケースに詰 めましたが、土産を予想して大きめのスーツケースで来ていたので、多めに買った土産も全部収まりました。 今日は午前10時出発なので、荷物の整理をしてからも時間があったので、最終日の出発がゆっくりだと楽だと思 いました。 午前10時にホテルを出て、最初に神秘の湖「オンネトー」に行きましたが、20分少々で着きましたが、この湖は見る 角度や天候によって湖水の色が美しく変化するというので神秘の湖と言われているようです。後に見える雌阿寒 岳と阿寒富士の向う側に阿寒湖があるのでそれぞれに山が反対側に見えました。 午前10時40分に「オンネトー」を出発し、1時間で足寄町の「あしょろ庵」に着きましたが、ここは、一昨日、寄った道 の駅「足寄銀河ホール21」のすぐ近くらしく、ここにも松山千春のグッズがありました。昼食もここで注文してあっ た「豚丼」を食べましたが、お盆の上にはこの店の名物の”チーズ”の試食が乗っていました。「豚丼」は思ったより 味付けがアッサリして、家内も美味しいと言ってましたが、店の人はチーズを先に食べろとうるさく言うので、食べ てみると、カマンベールチーズは思ったより柔らかくて塩分も感じませんでしたが、家内はスモークチーズの方が 好きだと言ってました。食事をした人は特別価格と言われ、カマンベールとスモークチーズ、レアチーズケーキを買 いました。 午後12時半に店を出て、最後の訪問地、日勝峠の「とかち亭」に向いましたが、途中、両側には十勝平野が広がり、 乳牛がのんびり牧草を食べていました。午後1時40分に着きましたが、この店は北海道のブランド土産は総て5% 引きだと言われ、既に買っている人もさらに買い足している人もいました。「とかち亭」から十勝平野を見渡せる所 があり、ここからの景色が十勝平野らしいと言われましたが、いまいちピンと来ませんでした。 午後2時20分に出発し、道東道を走っているとバスの右側に「トマムリゾート」の建物が見えましたが、今日の天気 なら「雲海テラス」に行って雲海が見えたかもしれないと思っていると、午後4時20分に新千歳空港に着きました。 スカイマーク766便は午後8時10分出発予定で、搭乗手続きも午後6時10分からしか出来ないので、搭乗券を貰っ てからコインロッカーにスーツケースを預けて、2階のショッピング街の「島の人」に行き、”サーモン昆布重ね巻”を 買いました。 7月に「利尻・礼文」に行った時に買って帰って、美味しかったので、正月のおせち料理に使えば良いかなと思って います。夕食は家内がラーメンが良いと言うので、3階にある「ラーメン道場」に行くと、行列の出来ている「えび そば一幻」という店があったのですが、並ぶ気がしなかったので、ラーメン道場内を見て、適当にお客の入ってい る「函館麺厨房あじさい」で私は”味彩ラーメン”、家内は”野菜ラーメン”を食べましたが、食べている内にこの店 の本店(函館)に去年の7月のサハリンクルーズの時に行った店だと気がつきました。 午後6時20分に店を出て、スーツケースを出して、搭乗手続きを済ませ、午後7時前に18番搭乗口に行きました。午 後8時5分から搭乗開始しましたが、20分遅れの午後8時30分に離陸し、機長から前線の影響で10分程度揺れます と放送があった通り、途中、多少揺れましたが、午後10時20分に無事到着しました。午後10時40分に空港を出発し ましたが、北海道では天気だったのが、名古屋ではかなりの雨が降っているのですから日本も広いと思いました。 春日井の家に着いたのは、丁度、午前0時頃でしたが、次男は明日が休みなのか、コンビニに買い物行ったらしく不 在でした。 今回の「北海道モニターツアー4日間」は行く前は寒暖の差がありそうで、服装で悩みましたが、取り敢えず、冬の 用意をして出かけたのが正解でしたが、2日目の4日(水)の天気や景色の急変は朝の「雲海テラス」に始まり、昼 間の「銀河流星の滝」での雨からアラレ、雪に変わった天気、その後の「三国峠」にかけての吹雪のような天気、夕 方の「足寄道の駅」まで青空の北海道らしい景色は中々体験できない1日でした。 北海道は何回来ても新しい発見があり、まだまだ、行ってない所もあるので機会があればまた来たいと思います。 10月2日(月) 今にも降りだしそうな空でしたが、朝の温度計は20℃を指していました。家内はいつも様に義母の所に出かけまし たが、先週の義母は普通に戻ったようにしっかりしていたので、今日もそうだと良いと言いながら行きました。 私は明日からの旅行に備えて「皿外接骨院」に行き、電気と牽引をしてもらいましたが、腰はまだしも左肩の調子 が変わり映えがしなくて早く楽になってほしいと思います。 午後3時過ぎにチャイムがなったので、雨が降っているのに誰かと思ったら、春日井郵便局の金融渉外部という名 刺を持った2人組でしたが、雨の中でもバイクで移動しているのですから気の毒だと思い、居間で話を聞く事にし ました。話は新しく貯金や保険に入る話ではなく、郵便局では年に1回、今契約している保険条件に変更がないの か確認する事になっている事になっているので来たようですが、家内がいないと詳しい事は分からないので、話 しを聞いて、後日、連絡する事にしましたが、今は郵便局も民営化され、昔のように簡易保険や定額預金で経営し て行くのが難しくなっているので大変だと思いますが、私達も利息を頼りに生活を考えられないので大変です。 夕方、家内が帰って来て明日から「北海道旅行」は、阿寒湖で2℃まで下がって、寒くなるので、ダウンウエアを持 って行かなければ言うので、私も念の為に持ってく事にしましたが、当初、ガラガラだったスーツケースが、段々、 詰まって来ました。 10月1日(日) 今日から10月ですが、この所、朝晩涼しくなり、本当に秋らしくなって来ましたが、家内の言う通り、あっという間に 正月が来る感じで、時間の流れが速くなるような気がします。 家内は「高校生以上剣道大会」の手伝いを頼まれて、午前8時過ぎに落合公園体育館に出かけて行きました。私は 明後日から「北海道モニターツアー4日間」に行く荷物の見直しをしました。と言うのは、この所の天気予報では寒 さが強くなり、最低気温が5℃以下になりそうで、最高気温も15℃程度というので、厚手のシャツやセーターを用 意しましたが、私は気温よりも天気が大崩れしない事を祈りたいと思います。 午後2時半過ぎに1日の庭の様子を写真に撮っていたら、孫のmn実とnt実が姿を見せたの で、聞くと、家族で小牧の「四季の森」に行った帰りに寄ったそうです。 今朝、Skypeで娘から遊びに行く事は聞いていましたが、家内が剣道の手伝いでいないか ら、寄らずに帰ると言ってたので、私は明日から当分行けないので、3時からプールに行く 積りにしていましたが、時間をずらして、孫達を落合公園に連れて行き、体育館の剣道の試 合を手伝っている家内を少し見せてから、公園のブランコやアスレチックで遊ばせました。 午後3時半頃に、もう一度、体育館に行くと、丁度、大会が終わった所で家内は帰っても良 さそうだったので、一緒に帰って来ました。 私は家内に孫の面倒を任せて、午後4時から市民プールに行き、700mだけ泳いで、午後5時過ぎに帰って来て、長 女一家と夕食に焼き肉を食べに行き、長女一家は店から直接名古屋に帰って行きました。 1日の我が家の庭は他の家ではすでに終わっている”酔芙蓉”が咲き始め、”ムラサキシキブ”が紫色に色づき、終 わりだと思っていた”シュウメイギク”がまだ頑張って咲いており、”ハギ”も次から次へと咲いています。 |
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