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 9月30日(火)
 
 1972年に結婚以来、今日が42回目の結婚記念日になりますが、朝食の時に家内が「ケーキも食べたくな
  いし、夕食のおかずはサンマがあるし・・・」
と言い、私も「普通でいいんじゃないの」と返事をしました。
  私が結婚してから母に
「お互いの誕生日より、結婚記念日を大切にしなさい。」と言われ、私も家内も夫
  婦の誕生日が結婚記念日だからそうしようと思った事を思い出しますが、いつの頃からか、忘れがちに
  なってしまいました。考え方によれば、長い月日を一緒に過ごして、夫婦としてお互いが信頼できるから
  こその事かも知れません。
  今まで喧嘩ひとつせず、仲良くやってこられたのは家内のお蔭だと思って、これからも婦唱夫随で行こ
  うと思っています。



 9月29日(月)
  今日は日吉ハイランド倶楽部の「キリンビール杯」があったので参加し
  ました。朝から日差しが強く雲一つない天気で、今日が一番のゴルフ日
  和だと思えましたが、私としては80日振りのラウンドだったので、前半
  47、後半46で
トータル93というスコアでしたが、自分としてはティショ
  ットやアプローチは練習した成果があったと思えましたが、肝心のパッ
  トが悪くて90は切れませんでした。
  途中の5番ホールからは27日に噴火した
”御嶽山”が見えるのですが、
  遠くから見る御嶽山は今の惨状を全く感じさせないようなのんびり
  とした煙を吐いている山でした。


 9月28日(

  
朝から昨日、噴火した”御嶽山”(3,067m)の様子が各テレビ局から伝わって来ますが、思った以上にひど
  い状況になっているのが分かりましたが、紅葉シーズンの土曜日とあって登山者も多かったのが、被災
  者や行方不明者が増えている原因だと思うと山小屋の責任者が語っていました。
  NHKテレビの画面を見ていたら、1991年8月の
”雲仙普賢岳”の火砕流の場面を思い出させるようなシー
  ンがありましたが、水蒸気噴火でもあっという間に押し寄せる火山灰や噴石の怖さは変わらないと改め
  て再認識しました。
  体中に灰を被りながら、無事に下山してきた人達の話を聞くと、一様に
「死ぬかと思った。」と言ってまし
  たが、助かったのはその人の持った運とか定めのようなもので決まるのかなと思いました。
  午前11時53分に噴火したそうですが、早々と頂上に登ってお昼を山小屋で食べていた人、お昼を食べて
  から、ゆっくり、頂上を目指そうと人は助かったと思いますし、偶然、その時間に噴火口付近にいた人の
  内、何人かの人は噴き出した火山灰に埋まったり、運悪く噴石に当たって倒れた人もいると思いますが、
  それはその人の判断や行動が正しいとか間違っていたという事は関係のない次元で運や定めだと思い
  ます。私自身は自分の事は分かりませんが、少なくとも自分は運が良い方だと思う事にしています。



 9月27日(土)
  今朝は天気予報通り、気持ちの良い朝で、家内は今日が燃えるごみの日だからと、昨日に続いて、早い
  時間から庭木の手入れをし出したので、私も枝切りを手伝いました。椿やロウバイの枝を思い切って整枝
  してすっきりした気分になりました。家内に言われて庭を見ると
しゅうめい菊が可愛い花を咲かせ、シモ
  バシラ
がその名の由来のような白い花を咲かせていました。綿の花が実を付けて綿になりましたが、白
  い綿ではなく
茶色の綿でした。他に白と緑の色もあるそうですが、もう少しすればそんな色の綿が見ら
  れるかもしれません。
下野も何回目かの時期外れの花で楽しませてくれていますが、家内は異常気象の
  せいか、それとも四季咲きなのかもしれないと言ってました。
  
  今日は
”生ごみ・燃えるゴミの日”なので切った枝を束にして縛り、木くずを袋に入れて出しましたが、か
  なりの量になり、気温も上がって来たので汗びっしょりになりました。
  午前9時前に庭仕事を終え、ゴルフ仲間の集まる店でお茶をした後、月曜日のゴルフに備えて練習場に行
  くと、一緒の組でラウンドするメンバーが既に練習していました。



 9月26日(金)
 家内が以前に作った庭の園路の木杭が腐って白アリが出たり、
 雑草が園路からはみ出したりしていたので、先日、バーゲンで
 園路用にぴったりの縁石を買って来て、もう一度作り直してい
 た園路がほぼ完成しました。
 近所の人が散歩やゴミ出しで通る度に
「奥さん、凄いですね!
 頑張っているわね!」
と言われるので、私としては嬉しいので
 すが、自分が全く手伝っていないのでちょっと恥ずかしい気
 がします。家内は園路だけでなく、竹垣を作ったり、サークルの
  石を敷いたり、庭木の手入れもするので、不器用な私はせいぜい庭木の消毒とふくらの木の枝切り、雑
  草取りをやるくらいです。



 9月25日(木)
  今日の午前中は大雨の天気予報でしたが、幸い、明け方に降ったようで起きた時には小雨になっていま
  した。それでも、「東部中国語同好会」に行って、昼前に帰る時、車に乗った途端に10分間ほど土砂降りに
  なり、間一髪で濡れずに済みました。家に帰ると家内も団地内の集会所で健康体操をやって、家に着いた
  途端に降りだしたので良かったと言ってましたが、最近の天気は本当に分からないと思いました。
  午後からは中部大学のオープンカレッジ秋学期の2つ目の科目
「映画研究」
  (小川順子准教授)
の1回目の講義があったので出席しました。
  できなかったので、もう一度受けたいと思い選択しました。小川准教授の講
  義は古い映画を見て日本の戦前や戦後を考えるという事なので、映画好き
  の私にはピッタリだと思っています。秋学期のテーマは
”家族”について考え
  るという事で講義を通じて5,6本の映画を見る予定ですが、第1回目の今日は
  
「大学は出たけれど」(1929年:小津安二郎監督)という、残っていたフィルム
  をリメイクした10分程度の無声映画をを見ましたが、この映画でも既に当時の
  日本の社会を垣間見るようなシーンが出て来て考えさせられました。野本という大学を出たプライドの
  高い男性が就職に苦労し、田舎から出て来た許嫁がカフェで働いているのを知り、プライドを捨てて仕事
  に就くという筋書きですが、当時でも仕事を選ぶと就職が大変だったという事、女性が直ぐに稼ごうと
  すると女給のような水商売というのは今と似ていますが、基本的に家族を養うのは男であるという前提
  が昔の日本だと思いますし、私と同年代の人達は今でもそう思っている人が多いと思います。
  しかし、今の若い人達は稼ぐのも2人で、家事や子育ても2人でやるという考え方が多くなっているのが
  何となく淋しい気がします。



 9月24日(水)
  腰の調子が今ひとつなのですが、来週の月曜日に日吉ハイランドの”キリンビール杯”に出る予定なので
  今日も王子ゴルフに行きましたが、腰を痛めないように軽く練習して終わりにしました。
 午後は
中部大学のオープンカレッジ秋学期「郷土の歴史」(勝亦貴之講師)の最初
 の講義があったので出席しました。勝亦講師は歴史学の中でも
文献史学が専門で江
 戸時代の貨幣の歴史の研究をしているそうですが、今学期は参考文献を読みながら
 専門外の美濃焼きの生産と流通を通じて、郷土の近世史を明らかにしていきたいと
 言われました。
 勝亦講師の文献史学というのは古文書や古い文献等を読み明かして色々な事を研
 究するそうですが、具体的には自治体史の作成に関わることが多く、最近では可児
 市史や豊田市史の編纂に協力したと言ってました。
  今日は第1回という事でプリントは1枚だけでしたが、次回からはかなりの数のプリントを配るので、講義
  が始まる前に来て、早めにプリントに目を通して予習するようにと言ってましたが、真面目そうな中にも
  実地調査等にも参加して経験が豊富そうなので、面白い話も聞けるのではと楽しみになりました。



 9月23日(火)
秋分の日
  今日は祝日ですが、家内は「誠武館大会」があるので手伝いの為に午前7時半に会
  場の東野小学校体育館に出かけて行きました。私は王子ゴルフ練習場にパターと
  バンカーだけを練習に行き、その後、東野小に
「誠武館大会」を見に行きました。
  次男が誠武館に通っている頃は毎年のように見に行ってましたが、卒業してからは
  家内がお手伝いに行くだけで、私はずっとご無沙汰だったのですが、久しぶりに行
  ってみると、昔に比べ少し淋しい感じがしました。
  昔は体育館に選手や父兄がいっぱいでしたが、今日、見る限りでは父兄の数も少
  なくこじんまりした大会になったと思いました。
  午後から近所の
K.Kさんと隣のI.Kさんの3人で我が家でお茶を飲みながらゴルフ談議をしました。という
  のも、先日のゴルフコンペで成績の悪かったI.Kさんの健康状態が話題になったので、私が先輩のK.Kさん
  に声をかけて、I.Kさんに現状を聞き、少しでも励ます事が出来て、元気になればと思って開いた激励会
  のようなものです。
  
I.Kさんはクレアチニンの数値が高くて腎臓に負担をかけない為にタンパク質の摂取を制限しているせ
  いか、スタミナ不足でゴルフのラウンドの後半になると歩くのも辛そうなので、思い切って透析を始めた
  ら食べたい物も食べられて元気になるのではと提案しましたが、I.Kさんは今の食事制限を続けて頑張る
  気持ちが強いようなのでそれ以上は勧められませんでした。
  私のように血圧や尿酸値が高くなり、食事療法に自信がなくて、薬に頼って健康を保っている人間には
  人の事をとやかく言える立場ではないのですが、I.Kさんにはもう少し楽をしてもらいたいと思ってしま
  います。



 9月21日(

  今日は午前10時から団地防災訓練があるというので手伝いを兼ねて参加しました。春日井消防署員の
  指導を受けながら
”消火訓練”やホースを使っての”放水訓練”をやったり、春日井消防署から”地震体験
  起動車(グラッキー)”
を出してもらったので、阪神淡路大震災と同じ”震度7”を体験したり、日本赤十字
  の協力で炊き出しの訓練として
”災害救護用の包装食”を作ったりしました。
  消火訓練や放水訓練は私も経験がありますが、以前、グラッキーの体験では震度5強程度だったので、そ
  れほどとは思わなかったのですが、今日の
”震度7”というのはとても立ってはいられないし、物が飛ん
  でもおかしくないという程、強い揺れを経験できたので体験した皆さん全員、地震の怖さを実感したよう
  でした。また、
”災害救助用の包装食”作りも専用のビニール袋にモチ米と水を入れて袋の先を輪ゴムで
  止めてお湯の中に入れて煮れば、炊飯器が無くてもご飯が食べられる事が分かりました。
  
  訓終了後、春日井消防署の方から東日本大震災の時に災害派遣で応援に行っ
  た時の事について話がありましたが、私が印象に残ったのは食事は1回位食べな
  くても我慢できるが、トイレは我慢できないので非常用持ち出しの中に
簡易トイ
  レ
を用意するか、スーパーなどのレジ袋を多めに用意しておくと良いという話は
  現場に行った事のある人しかできないと思いました。
  私が感じた事は開始予定の午前10時15分前になっても役員以外の参加者が少
  ないので、自治会の役員が慌てて車で災害訓練があるからと街宣したり、子供
  会に連絡して参加を呼び掛けて何とか総勢80名程度の参加者を確保して始まり
  ましたが、自治会の役員会でもう少し事前の打ち合わせが必要だったのではと思
  いました。



 9月18日(木)
  今週になって朝晩は秋らしく爽やかな気候になりましたが、日中はまだまだ暑さが残っています。庭の
  花も
ムラサキシキブの白かった実もいつの間にか紫に色づき、少ししかなかった萩の花も今が盛りと咲
  き誇っています。他にも家内が気に入って田んぼのあぜ道や旅行先で採って来たいくつかの花が名前は
  分かりませんが、私や家内の目を楽しませてくれています。
  
  今日は午前中にガス器具の点検交換に業者が来るというので、早めにゴルフの練習に行ったところ、私
  は参加しませんが、明日の
「桃球会」のコンペに参加する連中が何人か練習に来ていました。大急ぎで練
  習を終わり、午前10時前に家に帰ると、入れ替わりに家内が健康体操に出かけて行きました。
  ガスの工事屋さんを今か今かと待っていたら、結局、来たのは午後12時少し前だったので慌てて帰って
  来る事はなかったと少し損をした気分になりました。



 9月15日(月)
敬老の日
  家内は祝日は関係なく義母の所に出かけて行きました。テレビでは「敬老の日」にちなみ元気なお年寄り
  の事が放送されていましたが、考えてみれば、自分も70歳だという事は若い人達から見れば、当然、年
  寄りだと言う事になると思いますが、今朝のNHKで美輪明宏が「
歳というのは時間が経過しただけの事
  
で、車でも手入れをして大切に使えばまだまだ使えるし、少しでも前に進もうとしていれば年齢は関係
  ありません。」と話しているのを聞いた時にその通りだと思いました。
  私自身、確かに体は時間の経過と共に膝や腰が痛くなったり、動きが鈍くなっていますが、気持ちは若い
  人と変わらず、流行や今起こっている事には関心がありますし、おいしいものが食べたいという欲もあ
  り、物事に対しても常に探求心を持って毎日を過ごしていれば年齢は関係ないのかなと思っています



 9月10日(水)~13日(土)
「北海道秋景ベストハイライト4日間」(JTB旅物語)のツアーに家内と2人で参加
  しました。今回のツアーは前から行きたいと思っていた
襟裳岬がコースに入っているのと層雲峡温泉・十
  勝川温泉
と行ったことの無い温泉が宿泊先になっているのも魅力でした。

  
10日(水)午前6時に起きましたが、出発が午後110分とゆっくりだから、家を出る予定が午前10時30
  分頃で良いので、家内が庭の整枝を少しすると言うので2人でやってからセントレアに出発しました。
  午前11時半に着き、受け付けをしてから昼食を「矢場とん」で済ませてから9番搭乗口に行きました。
  JAL3107
便は予定通り出発しましたが、離陸して間もなく、機長から気流が悪くて揺れるかもしれません
  と機内放送があったので、こちらの天気が良くても天気予報どうり、北海道の天気が悪いから仕方がな
  いと覚悟しましたが、飛行は順調でまったく揺れることもなく午後250分に着くことができました。
  心配された雨も千歳空港では降っておらず、現地添乗員の斉藤さんとバスガイドの石川さんに迎えられ、
  一行28名と一緒に午後3時半に層雲峡温泉に向かいました。
  千歳ICから道央自動車道に乗り札幌JCTを経由し、途中、午後5時に砂川SA(砂川ハイウェイオアシスで
  はない)でトイレ休憩後、再び高速道路を走り、午後7時に今日の宿泊先の
層雲峡温泉「層雲閣グランド
  ホテル」
にチェックインしました。
  
  
大急ぎで温泉に入り、午後730分に夕食会場に行くと、バイキング形式でしたが、席は決まっていたの
  ですぐに席に着き、食べ始めましたが、揚げ立て天ぷら以外の料理はズワイガニをはじめ悪くは無かっ
  たのですが普通の感じでした。午後8時半過ぎに部屋に帰り、テレビを見ている内に家内は寝てしまい、
  私も午後10時前には寝てしまいました。

  11日(木)午前5時半に目が覚めたので、朝風呂に入ろうと思い、5階の露天風呂に行きましたが、心配さ
  れた天気も所々に青空が見えるので今日も大丈夫かなと思いました。

  テレビを点けたら札幌市内は大雨で78万人に避難勧告が出て、川が溢れ、冠水している道路が映し出さ
  れていたのは驚きでした。午前630分から朝食なので少し早めに行きましたが、会場は時間通りにしか
  開きませんでした。朝食もバイキングでしたが、夕食より良かったと思います。
  名古屋の長女から
「北海道は大雨が降って大変だけど大丈夫ですか」とメールが入ったので家内が青空
  の写っている写真を付けて
「大丈夫だよ」とメールをしていました。
  午前7時半にホテルを出て、最初に黒岳ロープウエイに行き、層雲峡駅から午前740分のロープウエイ
  に乗り7分で標高1300mの黒岳5合目の黒岳駅まで行き、付近を散策をしましたが、黒岳の山頂はほんの
  一瞬見られただけで後は雲の中でした。散策をした所ではほとんどの花は終わっていましたが、
”エゾオ
  ヤマリンドウ”
”チシマヒョウタンボク”など何種類かの花は見ることができました。
  

  午前830分に黒岳ロープウエイを出発し、10分ほどで
「銀河流星の滝」に到着しました。ここで全員の
  記念写真を撮り、希望者は申し込んでいましたが私たちは買いませんでした。
  高さ120m
”銀河の滝”は雌滝と呼ばれ、なかなか見事な滝でしたが、高さ90m”流星の滝”は樹木が
  茂っていて見にくかったのですがこちらも見事でした。2つの滝の間にある不動岩もユニークな岩で面
  面いと思いました。
  
  午前9時に滝を出発し、網走に向かう途中で
道の駅「温根湯温泉」でトイレ休憩した時、近くにある「カラ
  クリ市場」で今がシーズンの玉ねぎが大きな袋に入れて売っているのが印象的でした。その後も道路の
  両側の玉ねぎ畑では収穫の機械や収穫した玉ねぎを入れた籠があちこちで見られました。
  午前12時前に網走の食堂兼土産物店
“オホーツクバザール”に着きました。昼食は2択で私が”ホタテづ
  くし”
、家内が”オホーツク網走鱒ザンギ(唐揚げ)丼”を食べましたが、可も無し不可も無しの食事でした。
  

  
午後12時半に出発し、網走市内を通過し、午後2時に
“オシンコシンの滝”に到着しました。2年ぶりに見る
  滝は変わっていませんでしたが、少し、水量が少ないようでした。ここで2年前にお世話になったクラブ
  ツーリズムの添乗員さんに会ったのも何か縁かもしれません。
  午後220分に出発し
”知床五湖”に向かい、およそ30分で到着し、知床五湖のうち一湖の木柵道を50
  分程散策しました。以前、7月に来た時にはエゾシカの親子がいたり、花もいろいろ咲いていましたが、今
  回は特に見るものもありませんでしたが、世界遺産知床を肌で感じられたと思います。
  午後340分に”知床五湖”を出発し、知床観光船乗り場に向かったのですが、途中で強風のために出航
  中止になったと連絡があったので、代わりに
「知床自然センター」に行き、”知床の四季”の短編映画を見
  て知床の雰囲気だけ味わいました。
  

  
午後4時半に出発し、今日の宿泊先のウトロ温泉「知床グランドホテル北こぶし」に午後5時前に着きまし
  た。観光船が中止になったお蔭で昨日と違って早めにチェックインしたので、ゆっくり大浴場や露天風呂
  を楽しむ事が出来ました。このホテルの露天風呂はテレビで見た事がありますが、海を見ながらゆったり
  した気分になれて良かったです。
  夕食は昨夜と同じようなバイキングでしたが、このホテルのバイキングは料理の種類と質だけでなく、
  従業員のサービスも良かったのでおいしさが一段と増すような感じでした。
  
  最近は日本全国何処に行っても地産地消が盛んなようで、地元産の材料を使った料理が出る事が多い
  のですが、特に北海道の旅館やホテルは食材が豊富なだけに色々な料理が出るので楽しみです。ただ、
  残念なことに私達がどんなに食べたいと思って沢山は食べられなくなっているという事です。
  夜はゆっくりテレビでも楽しむつもりでしたが、白老や苫小牧に時間100ミリを超える雨が降り、千歳空港
  も大雨で欠航になったというニュースを見てるうちに午後10時頃には寝てしまいました。

  
12日(金)午前5時半に起きましたが、昨日から鼻炎がひどくなっているので朝風呂は入りませんでした。
  午前630分からの朝食バイキングも種類が多く、ご飯のお伴にぴったりな珍味やつくだ煮がいっぱい
  で他にも野菜のしゃぶしゃぶや知床のっぺめし等おいしそうな料理が並んでいたので、いつもはあまり
  食べない家内が珍しくお代わりをしたので、時間が7時過ぎてしまったので大急ぎで部屋に帰り、薬を飲
  み、トイレに行き、午前730分の出発時間には何とか間に合いました。
  

  
午前740分に知床プリンスホテルに泊まった人を乗せて”硫黄山”に向かいました。バスの乗る時には
  かすかに小雨が降っていましたが、車中から色々な風景の
”斜里岳”を見ている内に午前910分に硫黄
  山に着いた時には雨もやみ、全員でアイヌの衣装を着て記念写真を撮りました。
”硫黄山”は以前にも来
  たことがあり、同じように衣装を着て記念写真を撮ったと家内に言われましたが、来たことは覚えていま
  したが、記念写真を撮ったことなどは全く覚えていませんでした。
  

  午前940分に硫黄山を出発し、
”摩周湖”に向かいましたが、バスの中から外の小雨が確認できました
  が、20分ほどで着いた
「摩周湖第1展望台」は雨もやみ、途中で出ていた霧も晴れて摩周湖がはっきり見
  えましたが、過去3回来て、いずれもはっきり見えたので、今回は
”霧の摩周湖”を期待していましたが、
  またしても希望が叶いませんでした。

  午前1030分に摩周湖を出て、釧網線の釧路~塘路間だけの
「ノロッコ号」に乗るために塘路駅に向か
  いました。午前1140分に塘路駅に着きましたが、本当に小さなかわいらしい駅で、ノロッコ号の始発・終
  着駅だけに駅前には釧路からの観光客を迎えに観光バスが何台か来ていました。
  
  午後1217分発の
「ノロッコ号」5両編成で12号車が自由席、35号車が指定席ですが、私たちは
  自由席で釧路に向かいました。釧路湿原の中を走る「ノロッコ号」は木製の座席でなかなかユニークでし
  たが、車中からは期待したようなエゾシカやキタキツネ、鳥や植物がみられるわけでもなく、蛇行してい
  る釧路川を見ながら釧路湿原の中を走っているという雰囲気を味わうことが一番だと思いました。

  
午後17分に釧路駅に到着し、釧路港に近い”フィッシャーマンズワーフ”の中にある「霧のビール園」
  ジンギスカンの昼食をたべました。食べ方は油をひき、野菜を全部ジンギスカン鍋の上に乗せ、その上に
  生ラムの肉を乗せて蒸すようにしてたれに付けて食べました。
  
  午後220分に店を出て、
「阿寒湖」に向かいましたが、車中で昨日知床観光船に乗れなくて知床自然
  センターで短編映画を見た差額、11,890円の返金がありました。家内はこれで余分にお土産が帰ると
  喜んでいました。
  
午後4時に「阿寒湖」に到着しましたが、阿寒湖には何度か来て、とまった事もあるので、特に見る所も無
  く、湖の前で記念写真を撮り、道東初という
白い恋人ソフトクリームを食べましたが、あっさりした甘さで
  今回のツアーで1番のおいしさでした。阿寒湖温泉街は昼間のせいか、シャッターを下ろした店もあり、以
  前、来たときより今一つ活気がないように見えましたが、夜はにぎやかだとガイドさんが言っていたので
  その言葉を信じることにしました。
  
20分ほどいて次の「オンネトー」に向かいました。
「オンネトー」は小さな静かな湖で雌阿寒岳の噴火で
  出来た”秘湖”と言われているそうですが、天気良い時には雌阿寒岳の姿が湖面に映り、陽の光で湖の色
  が7色に変化して見えるそうです。
  午後450分に「オンネトー」を出発し、途中、
道の駅「足寄」でトイレ休憩し、午後7時前に今日の宿泊先
  
十勝川温泉「観月苑」に着きましたが、夕食が午後7時からというので荷物を置いて、すぐに夕食会場に
  行きました。今日は前の2日間と違い、バイキングではなく和食御膳で、リニューアルしたばかりの明るい
  会場でゆっくり食べられました。
  
  
夕食後、少し休憩してから1階の大浴場に行きましたが、十勝川温泉はモール泉(植物起源の有機質を含
  んだ温泉)という、昭和初期には世界にドイツとここしかないと言われていた温泉で透明な飴色をしたお
  湯は美肌効果があるので”美人の湯”と言われているそうですが、確かに肌がすべすべするお湯で気持
  ちの良い温泉でした。

  
13日(土)午前540分に起きて、今日の出発は午前9時なのでゆっくり朝風呂に入って、午前7時過ぎ
  に朝食会場に行きました。昨日は朝をゆっくりしすぎて時間が無くなりあわてましたが、今日はゆっくり
  食べても時間はたっぷりあるので窓際の席で家内と川の流れを見ながらゆったり食事しました。
  
  最近は何処の旅館やホテルもほとんどがバイキングですが、評価の高い所はそれぞれ特色を出そうと
  工夫しているのが良く分かります。この旅館でもデザートに北海道の小豆を使った
”ぜんざい”があった
  ので家内はバイキングでは初めてと喜んでいました。

  
午前9時前にロビーに行くと皆さん時間を持て余していたのか早々と集まっていました。予定の9時少し
  前にバスはホテルの人の見送りを受けて
”襟裳岬”に向けて出発しました。
  
  今日は今回のツアーで初めて一番前の座席になったので、今回のコースを描いた地図を見たり、北海道
  にたくさんある直線道路も本当に真っ直ぐ伸びているのが良く分かりました。途中、
道の駅「忠類」でトイ
  レ休憩を取り、その後、太平洋に面した”黄金道路”を通って進みましたが、海では流れて来るコンブを獲
  っている女性やそのコンブを干している人達もいましたが、これが結構良い収入になるそうです。
  ガイドさんの話では
“黄金道路”というのは黄金を敷き詰めたくらい、お金が掛かった道路という意味だ
  と教えてくれまました。

  午前1145分に私の今回の旅の目的であり、念願だった
”襟裳岬”が遠くに見える所まで来て、山側を見
  ると辺りには肉牛の放牧地があったり、北海道らしい寒さ除けの可愛いバス停を見ている内に”襟裳岬”
  に到着しました。
  先に襟裳岬灯台と展望台に行きましたが、襟裳岬は日高山脈がまっすぐ伸びてきた場所で海上の岩礁が
  2kmあり、海中にも6km続き、その先に185kmも襟裳海山として続いている事を初めてしりました。
  展望台には
「襟裳岬」の歌碑が2つありましたが、私は森進一(1971年発売)しか知らなかったのですが、
  その前に島倉千代子が1961年(昭和36年)に発売して大ヒットし、NHK紅白歌合戦で歌い、えりもの名前
  が有名になったのがきっかけで1970年に幌泉(ほろいずみ)町からえりも町に町名を変更したそうです。
  
  
  襟裳岬は
ゼニガタアザラシの生息地ということで、生態を研究している学生が朝の6時から調査で岬の
  先端から双眼鏡や望遠鏡でアザラシのいる岩礁を覗いているのに会いましたが、本当に好きでないと出
  来ないと思いました。
  
「えりも岬観光センター」での昼食は私が海鮮丼、家内が握り寿司8貫ミニ蕎麦付を食べました。昼食後
  、近くにある
「風の館」に行ってみましたが、遠くの岩礁いるゼニガタアザラシが望遠鏡から見ることが
  でき、1年間で
風速10mの日が260日以上あり、時には風速30m以上になる日もある襟裳岬の強風体験が
  出来る部屋で風速25mを体験しましたが、なかなかできない体験をしたと思いました。
  
  その後、観光センターに戻り、お土産を買いましたが、昆布の生産加工をやっている会社がやっている店
  なので昆布は少し安いと思い、家内はおばちゃんに勧められるままにたくさん買っていました。

  午後1時15分に
”襟裳岬”を出発し、えりも町の市街地を通り、競走馬の産地として有名な浦河町に入ると
  馬をあしらった街路灯が私達の目を楽しませてくれました。午後2時半に
道の駅「みついし」に着き、15分
  のトイレ休憩の時に小倉ソフトクリームと言うのをを初めて食べてみましたが、あずきをソフトクリームに
  混ぜているのは私には合わないと思いました。
  

  
道の駅「みついし」を出て40分程走って、午後3時半に新冠町の「サラブレッド銀座駐車公園」に着きまし
  たが、この辺はサラブレッドの牧場が銀座のように密集していて、牧場が良く見える場所なので、天気が
  回復したばかりで放牧された馬があちこちで見られました。
  
  午後3時45分に今回の観光予定が全て終わったので
「新千歳空港」に向かい、午後5時に到着しました。
  ガイドの石川さんとはここで分かれ、添乗員の斎藤さんの案内で荷物を預け、午後8時の出発時間までは
  自由行動になりました。
  
 私達は新しくなった空港内を散策した後、夕食はスープカ
 レーの店
Soup Curry laviで初めてスープカレーを食
 食べました。家内は
“チキンto野菜カレー”1,230円、私は
 
“角煮to野菜カレー”1,330円を注文しましたが、辛さは1
 番から50番の内、3番にしてもらいましたが、私達には丁
 度良い辛さでしたが、50番という辛さは想像もできません
 でした。初めてのスープカレーは野菜が多くて辛さも丁度
 良かったので、おいしく感じました。
 午後8時発のJAL3118便は定刻より少し遅れましたが、午後
  950分に無事にセントレアに到着し、荷物を受け取り、車で我が家に着いたのは午後1120分でした。

  今回の
「北海道秋景ベストハイライト4日間」(JTB)では出発前から全国的に天候が不順で天気予報で
  は4日間とも雨模様の予想でしたが、奇跡的に一度も傘をさすこと無く、夫婦10組、女性4人連1組、女性
  2人連2組の28名が、病気や事故もなく無事にツアーを終われた事は本当に良かったと思います。
  私個人的には念願だった
「襟裳岬」に行け、初めての層雲峡温泉十勝川温泉に泊まり、見たかった「銀
  河流星の滝」
を見られたので満足な旅だったと思っています。次回の北海道は何処になるかは分かりま
  せんが、まだ行っていない松前方面に桜の時期に行けることを願っています。



 9月9日(火)
  今朝は庭の温度計が18℃と秋の爽やかさを感じる涼しい朝でしたが、日中は30度を超す真夏日になり、
  少し動いただけでも汗ばむ日になりました。
  午前5時半過ぎに起きてテレビを点けるとどこの局も午前6時から始まる
”全米オープンテニス”の決勝
  戦の
錦織圭選手の話題ばかりでした。結果は残念ながらセットカウント3:0で負け、準優勝に終わりました
  が、それでも日本中の期待を背負ってよく頑張ってくれたと思います。
 家内が庭の整枝をしていて、季節外れの
白のテッセンが一輪
 だけ咲いているの見つけましたが、本来なら5月に咲いた八重
 の白いテッセンなのですが、何故か3ヶ月後に一重のテッセン
 になって季節外れに花を咲かせて私達の目を楽しませてくれ
 ています。
 昨夜、見られなかった”中秋の名月(十五夜)”は本当は今日が
 満月だと言うので、夕食後、午後6時半に家内と2人で大急ぎ
 で見える所まで行きました。昼間はお天気も良く問題ない
  と思っていたら、夕方から薄雲が出てきたのでどうかなと思いましたが、何とかカメラに収めることが出
  来ました。旧暦の8月15日が
”中秋の名月(十五夜)というのであれば、旧暦8月16日の今日の月は”中秋
  の満月(十六夜の満月)”
でも言うべきなのでしょうか。
  この辺は良い天気ですが、明日から4日間の旅行に行く北海道は寒気の影響で悪天候なので心配です。



 9月8日(月)
  マスコミで先日から毎日のように話題になっているのは”全米オープンテニス”で日本のテニス史上で
  初めて決勝に進んだ
錦織 圭(にしこり けい)選手ですが、彼が島根県松江市出身と聞いてひょっとした
  ら先祖が岡山県出身ではないかと思って調べたら、島根県内には松江や出雲で昔から錦織姓があった
  という事が分かり少しがっかりしました。
  と言うのは私の父が岡山県
美咲町錦織(にしこり)という所の出身で全国に錦織という地名は他にもあ
  りますが、島根県は美咲町錦織から比較的近いので、先祖が島根に働きに行って、そのまま住みついて
  明治になり、苗字をつける時に出身地の名前を名乗ったかもしれないと思ったからです。
  いずれにしても明日の午前6時から始まる決勝戦に勝って、日本人初のチャンピオンになってほしいと思
  います。
  今夜は
”中秋の名月(十五夜)”ですが、我が家では残念ながら雲間から覗いたと思ったら直ぐに雲に遮
  られて見られませんでしたが、今年の本当の満月は明日という事なので明日に期待します。



 9月7日(

  昨夜の雷を伴う雨が続き、心配された天気も思ったより早く回復し朝から青空が覗く天気になりました。
 今日も午後3時過ぎに「ふるさと全国県人会まつり」の会場に
 行きましたが、今日も多くの人達が詰めかけて、各県人会のブ
 ースが賑わっていました。岡山県のブースでもブドウ類や大手
 饅頭などは既に売り切れで、黒豆茶や独歩ビールが残ってい
 るだけでした。
 備前焼作りの体験コーナーでは型造りをやっている子や初め
 てのロクロ体験をしている人もいて賑わっていました。
 この催しは
”BAC(Bizen Activate Consortium:備前国活性化コ
  ンソーシアム)”
というNPO団体が備前焼を通じて備前市を活性化させたいと若い異業種の人達と若手
  陶芸家が各地を回って備前焼造りの体験をしてもらっているそうです。
  天気が良かったせいか午後5時頃まで人出があったので、いつもなら午後4時過ぎには店じまいをする
  のですが、今日は全てが終わったのは午後6時前でした。


 9月6日(土)
  今日明日で名古屋久屋大通り公園の久屋広場で「ふるさと全国県人会まつり」が開かれ
  るので、来月の
「春日井まつり」に使う備品関係の打合せも兼ねて会場に行きました。
  午前11時半過ぎに会場に着くと、天気の良いせいもあって多くの人達が詰めかけていま
  したが、14回目を迎えただけにすっかり定着していることが分かります。
  今回のまつりには、38県人会と東海3県が参加し過去最多となる94ブースが出展してふ
  るさとの地酒や果物、特産品などが販売され、一周すれば全国各地の味を楽しむことが
  できるのが人気のようです。
  岡山県のブースでも例年と同じピオーネや大手饅頭、吉備団子、黒豆茶を販売していま
  したが、それとは別に備前焼作りが体験できるコーナーを設けていました。メインステー
  ジでは各県人会が交代でPRを兼ねた民謡や踊り、伝統芸能を披露していました。岡山県
  人会でも午後1時10分からO.H会長の挨拶の後、今年は岡山県から派遣された
”おかやま観光キャラバン
  隊”
のゆるキャラ「ももっち」「うらっち」とキャラバン隊員で岡山のPRを行っていました。
  
  午後2時頃まで会場を回りましたが、お昼時とあって各県人会の前のテーブルでは静岡の富士宮焼きそ
  ばや香川のさぬきうどん、富山の鱒ずし、山形の玉こんにゃく、沖縄のそーきそば、宮崎地鶏の焼き鳥、愛
  媛のじゃこ天、鹿児島のさつま揚げなどを食べてビールを飲みながら方言が飛び交っているのを聞くと
  これぞ全国県人会まつりだと思いました。


 9月4日(木)
  昨日、”第2次安倍改造内閣”が発足しましたが、女性閣僚を多く登用したせいなのか、ご本人の身辺調査
  で不具合が出たのか分かりませんが、私の出身地岡山の
A.I先生は今回も大臣になれませんでした。
  政治家の夢が総理大臣かどうかは知りませんが、せっかく、国会議員になったのなら、一度は大臣にと思
  うのは当然かもしれませんが、当選9回でも大臣になれないのは能力や運だけでなく、何か理由がある
  と思います。私の友人
T.M君や後援会の人達は一度は大臣になってほしいと願っていますが、今回も駄
  目だったので次回に期待することになりました。
  いずれにしても今回の
”第2次安倍改造内閣”で大臣になった議員さんには国民生活を良くする為に頑張
  ってほしいと思います。



 9月3日(水)
  家内は午前中はお茶の稽古、午後からは「味美日本画同好会」があるので、一日中、忙しい日です。私は
  午前中、気になっていた庭の消毒をしましたが、樹木をよく見ると結構、葉の先を食われている木がある
  ので念入りに消毒をしました。
  午後2時30分から
「第38回春日井まつり」”全国お国巡り物産展”の打合わせ
  会が「ささえ愛センター」であったので出席しました。
「ささえ愛センター」
  いう聞きなれない施設名だったので、何処にあるのかと思ったら昔の図書館
  と聞き直ぐに分かりました。
  現在は主に市民活動支援センターとして市民活動団体やボランティアグルー
  プ、NPOなど、市民が行っている活動を支援すると共に市民との協働による街
  づくりを推進することを目的として、市民活動に関する相談、情報の発信など
  を行っていそうです。
  その一環として国際交流活動でお茶を点てたりする時に先生の手伝いで家内も行ってるので聞いた事
  はあるのですが、実際に行ったのは今日が初めてですが、施設としては少し寂しい気がしました。
  ”全国お国巡り物産展”の打合わせ会の方は出店者として長野県(白馬村・平谷村・大町市)が新たに加わ
  り、出店者のレイアウトは例年通りとして、ステージプログラムは秋田県のなまはげが無くなった代わり
  に徳島県のバイオリンデュオの出演が決まりました。
  1時間ほどで打ち合わせは終わり、帰りに旅行用の薬とビール1ケースを買って、午後5時前に帰りました
  が、家内はまだ帰っていませんでした。少し経って家内が帰ってきましたが、日本画が終わってから
Fさん
  の家まで行き、Fさんの旦那さんの撮った市民美術展の表彰式の写真を貰ってきましたが、さすがに写真
  が趣味の人だけに我が家の長男、長女家族の良い写真が沢山ありました。
F夫妻に感謝!です。


 9月2日(火)
  久しぶりに朝から青空の広がる爽やかな天気になったので、家内は換気扇の掃除をするべく、油の付い
  た換気扇の羽根をナイロンの袋に入れて陽に当てていました。こうしておくと油が自然に落ち、後は台所
  用洗剤で洗えば簡単に綺麗になるから楽だと言ってました。その後、
「誠武館」に剣道の稽古に出かけた
  ので、私は
「王子ゴルフセンター」に練習に行ってから、「SG接骨院」に腰と肩の治療に行きました。
  ゴルフの練習の時に3年前に脊椎管狭窄症の手術をした
83歳のK.Kさんと話をしたら、この所、長く歩く
  と腰に痛みが出るので、手術してくれた愛知医大准教授のK.M先生に相談したら、神経の動きを良くする
  内視鏡による治療を5日(金)にやる事になったそうです。
  私も脊椎管狭窄症があるのでK.Kさんの様子や情報を聞き、自分の状態と相談しながら今後の自分のや
  るべき運動やトレーニングをやって行こうと思っています。



 9月1日(月)
  今日から9月ですが、7月は空梅雨で35℃を超す日が多く、それとは対照的に8月は台風や集中豪雨で各
  地に災害をもたらしたので、今月は何事もない平穏な月になってほしいと思っていますが、今朝も朝か
  ら一日中雨の降る天気になったのでこの先が心配です。
  家内はいつもの様に義母の所ですが、先週、東京から帰った孫の長男がひ孫の
km花を連れて行った事を
  覚えているかどうか気にしながら出かけて行きました。
  9月1日の我が家の庭は鈴なりに実をつけている
レモンが5cm~10cmと大きくなり家内が喜んでいます。
  6月末から咲いている
セイジも未だに次から次へと花を咲かせて楽しませてくれるし、終わったと思った
  
綿の花に実が付いているので、割れていつ綿が出て来るか楽しみです。予想外なのはハギの花が例年
  に比べて花の付きが悪くて淋しいハギになっています。
ヤブランも今が盛りと薄紫の花を付け、無くなっ
  たと思った
水引きも駐車場の入口に少しだけ生えて小さな赤い花を咲かせていました。
  


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