雲崗石窟・龍門石窟・殷墟11日間 2015年5月15日~5月26日 (紀行編) 日々雑感へ 食事編へ |
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5月15日(金):名古屋ー青島空港ー北京空港ー大同市 |
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中国東方航空MU744便:セントレア |
青島空港で入国手続き後ロビーへ |
北京空港到着(現地時間13時10分) |
北京空港国内線ロビー |
今回の山西省観光のバス |
山西省の現地ガイド:陶さん |
北京空港から高速で大同市に向かう |
北京郊外は相変わらず建設ラッシュだが? |
官庁貯水池にある風車群 |
官庁服務區(SA)でトイレ休憩(15時45分) |
阳原服務區でトイレ休憩(17時45分) |
19台のエクストレイルを積んだキャリアカー |
大同料金所:午後6時55分 |
大同市内は午後7時過ぎだがまだ明るかった |
大同市の宿泊ホテル:宏安国際酒店 |
大同市は人口330万人、市内の人口は45万人 南北朝時代は北魏の首都でした。郊外には龍門 石窟あり、石炭の産地としても中国有数で年間 1億トンの産出量があるそうです。年間降雨量は 400mmと少なく、砂漠化を防止する為に日本人 高見邦雄さんが20年以上植林を続けている事 は日本より中国で知られていて、特に大同市で は日本の総理大臣より有名で尊敬されている そうです。 |
5月16日(土):大同(ホテル)ー雲崗石窟ー華厳寺ー大同市内 |
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雲崗石窟:大同市の西5kmにあり、北魏の文成帝の時(AD460年)に高僧・曇曜の提案により、開 かれた石窟寺院で、洛陽の龍門石窟、敦煌の莫高窟とならび、中国三大石窟の1つに数えれてい ます。武周山の北側の岸壁に約1kmにわたって掘られた1000を超える石窟には約5万体の石像等 が彫られているそうです。2001年世界遺産に登録されています。 |
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大同市郊外:植林が至る所にしてある |
雲崗石窟を開いた曇曜(どんよう)像 |
雲崗石窟入口 |
いよいよ雲崗石窟の始まりです |
昔の車道の跡が残っている |
長い年月で車輪の跡が凹んでいる |
雲崗最大の第三石窟 |
第三石窟内の釈迦座像 |
第五石窟の見事な廊(清代の築造) |
第五石窟内の彩色大仏像 |
第6石窟の廊 |
釈迦の誕生から涅槃までの石彫 |
第七石窟の廊 |
第七石窟内の三体仏 |
第九~第十三石窟内の清代に彩色された石彫 |
盧舎那仏 |
小さな彩色仏 |
綺麗な色が残っている |
曇曜五窟 |
第十五石窟(萬仏洞)の萬仏 |
第十九石窟:2番目に大きい像 |
第十七石窟:上下のバランスが悪く失敗作? |
第二十石窟:雲崗石窟の代表的な釈迦座像(高さ13.7m露天大仏とも言われている) |
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復元された大同城壁 |
延長7.1km、高さ14m、幅12mの城壁 |
九龍壁:中国三大九龍壁の1つで明代初期で一番古い。他に北京の故宮と北海公園にあります。 |
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九龍壁の真ん中の黄龍(王様の権威を表す) |
善化寺の五龍壁 |
華厳寺:山門 |
華厳寺入口 |
華厳寺:大雄宝殿 |
大雄宝殿:鴟尾(しび) |
華厳宝塔 |
華厳寺境内 |
華厳寺の隣に教会がある |
大同旧市内と新市街 |
簿伽教蔵殿 |
三世仏 |
右側にあるのが「合掌露歯菩薩」 |
合掌露歯菩薩の顔に白い歯が見えている |
復元工事中の大同城壁 |
ホテル近くのスーパー |
土曜日とあって買い物客が多かった |
屋台や露店も出ていた |
お菓子や乾物の店 |
果物や野菜の店も出ていた |
1足1元(20円)の靴下 |
500g12元(240円)のドリア:高いか安いか? |
5月17日(日):大同(ホテル)ー懸空寺ー応県ー五台山 |
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大同市の新市街は高層住宅がいっぱい |
植林は至る所にしてあった |
市内を出ると窋洞(ヤオトン)の家があった |
黄土高原と言われるだけに黄砂が・・・ |
懸空寺:北魏末期(6世紀)に建てられた仏教寺院だが今では仏教・道教・儒教の共通の寺院とし てお参りされているそうです。当初は地上100mの所に建てられたそうですが、黄砂や 洪水で川の面が上がり、今では地上58mになっているそうです。 |
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懸空寺全景:まるで崖に貼り付いているようですが、洪水対策の為に建てられたそうです |
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懸空寺の入口 |
チベット仏教の尼僧も参拝していた |
日曜日とあって観光客もいっぱい |
1人しか通れない所を上がる |
下からの支柱より横木で支えられている |
上から見ると結構怖い |
下から見ると大丈夫かなと思ってしまいます |
すぐ傍に北魏に向かう桟道の横杭跡があった |
応県木塔:中国の最古最大の木造建築 |
八角九層の各階には有名な書額がある |
1階の大雄宝殿には釈迦像がある |
塔の前には何故か隕石があった |
午後3時頃、峠の手前で急に雨が降って来た |
本来ならのろし台や明の長城が見える所 |
少し走ると雨も止み、ヤギの一団がいた |
農作業のシーズンなのか農民の姿も見えた |
高原の中の段々畑 |
ほとんどが麦畑:この辺でコメは難しい |
標高2000m位の草原:高い樹木はほとんどなく、植林はしているがあまり育っていない |
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少し降りると牛の一団と遭遇 |
近くには羊やヤギの放牧もしていた |
まだ雪の残っている場所もあった |
カササギが至る所で飛んでいた |
五台山の東台になる望海寺(標高2400m) |
五台山への入場口:料金所 |
五台山市内の民清街:主に飲食店がある |
明清街の中のレストラン |
五台山の宿泊ホテル:花卉山荘 |
五台山:世界5大仏教の聖地の1つで、中国仏教 の四大名山の1つでトップの座に位置します。 5つの平らな頂上が台形になっている所から総 称して五台山と呼びます。その歴史は後漢時代 に仏教が伝来して間もなく、宗教の霊場となり、 南北朝時代には200余りの寺院があったそうで す。中国仏教の黄金時代の隋唐時代には文殊信 仰が盛んになり、華厳経にある「文殊菩薩の住 処の清涼山」がこの五台山であるとされ、360 以上の寺院が立ち並んでいたそうです。 唐代には霊仙・円覚などの日本の留学僧もここ を訪れています。しかし、宋代以降は衰退して72 寺廟になり、現在は49の寺院があるそうです。 |
5月18日(月)五台山内(菩薩頂ー顕通寺ー塔院寺ー金閣寺) |
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菩薩頂:チベット仏教第一の寺院 |
裏門入口:高い裏門から入り、下がって行く |
大鍋院の銅製と鉄製の明代の大鍋 |
大文殊殿:5体の文殊菩薩が収められている |
ラサから来た尼僧の団体 |
大雄宝殿:3体仏が収められている |
清朝の康熙帝や乾隆帝の石碑がある |
満州・モンゴル・漢字・チベット語で書かれている |
菩薩頂山門 |
菩薩頂から見た景色 |
菩薩頂から見た景色:五台山のシンボル大白塔 |
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下から見た菩薩頂 |
顕通寺:五台山の最初(後漢代)に出来た寺院 |
顕通寺入場門 |
顕通寺山門 |
境内では僧侶の一団が供養に回っていた |
大文殊殿 |
文殊菩薩が祀られている |
金色に輝く銅殿 |
千鉢文殊殿 |
文殊菩薩の里にふさわしい千鉢文殊菩薩銅像 |
塔院寺:昔は顕通寺の一部だった |
塔院寺:五台山のシンボル大白塔 |
手前は小白塔、向こう大白塔 |
下から見た塔院寺 |
金閣寺:標高1900mの金閣嶺に建っている |
急な階段を上る |
金閣寺山門 |
金閣寺:観音閣 |
千手観音像 |
金閣寺:大雄宝殿 |
ユニークな五百羅漢像① |
五百羅漢像② |
日本の留学僧・霊仙三蔵大師の顕彰碑 |
西台が見えた |
5月19日(火):五台山ー喬家大院ー鎮国寺ー双林寺ー平遥古城 |
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ホテル近くの小さな通り |
近くで建築中の建物:民宿? |
石炭トラック(50t)が沢山走っていた |
両側は岩の山 |
紫岩SA:出来たばかりでトイレ休憩のみ |
太原市郊外も建築中の高層住宅がいっぱい |
喬家大院:喬家の商家を博物館にしたもの |
5月19日は中国の観光の日で大混雑だった |
入場門は通るだけ |
行列を乱す人も多いが、並んでいる人が多い |
やっと入り口に到着、今日は入場無料 |
中に入っても人がいっぱい |
碧琳:映画「紅夢」で使用された |
碧琳の内部:四合院造りになっている |
見事な彫刻もあった |
舞台もあり、昔は京劇も上演したそうです |
算盤博物館:色々な種類の算盤があった |
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宝刀算盤(清代) |
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八卦算盤(近代) |
単魚算盤(清代) |
外には売店がいっぱい出ていた |
骨董屋 |
ナツメを干したもの |
麺屋 |
塗り物 |
酢 |
鎮国寺:五代北漢963年の創建 |
鎮国寺:山門 |
萬仏殿:創建時(五代)の建築様式の建物 |
五代の塑像 |
双林寺:北魏時代の創建 |
双林寺:入口 |
自在菩薩 |
渡海観音 |
千仏殿 |
大胆なポーズで有名な自在菩薩 |
菩薩殿 |
千手観音舞踊のモデルになった千手観音菩薩 |
平遥古城:観光バス駐車場 |
平遥古城内は道路が狭い為専用カート利用 |
宿泊ホテル:洪善驛民俗賓館 |
平遥古城:平遥は明代の城壁がほぼ完全な形 で残っている中国唯一の町で長さ6.4kmの城壁 で囲まれた城内には今でも4万人が暮らしてい るそうです。城壁の高さは12m幅は3~5mで一 辺の長さがおよそ1.6kmあり、城壁の真ん中に 市楼は建っている。城内の道路は狭いので大型 の観光バスは城壁の外の駐車場に置いて、専用 の運転手付きカート(タクシー代り)でホテルま で行きました。 1997年に世界遺産に指定されています。 |
ホテルのフロント |
ホテル:喫茶室? |
昔の貴族の家をホテルに利用している |
四合院造りで中庭も何カ所もあった |
1階中央の左側が私の宿泊した部屋 |
両側に部屋がある |
部屋の入口 |
部屋の内部 |
夕食会場:雲錦城客棧 |
夜の平遥古城:裏道は閑散としていた |
5月20日(水):平遥古城内(平遥懸署ー南城門ー日昇昌記)ー吉県(壺口) |
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ホテル内の朝食レストラン入口 |
四合院造りの中庭で |
平遥懸署:総合庁舎の役目 |
大堂(観民堂):昔の裁判所(主に刑事事件) |
裁判官席 |
叩き刑のたたき棒 |
二堂:主に民事裁判 |
大仙堂:食堂 |
大仙堂からの眺め |
明察:検察庁のような所 |
罪人を留置したもの(右の写真) |
昔の写真 |
拷問の道具 |
牢獄 |
足枷:これでは逃げられない |
牢獄の部屋:3人用? |
聴雨楼 |
衛門街 |
酒店 |
洋品店 |
骨董屋 |
手作り品を売る屋台 |
明清街:韓国人ツアーの団体もいた |
明清街:奥に見えるのが南城門 |
南城門:北側から見る |
南城門:東側から見る |
南城門の上から見た平遥古城内:明清街の奥に見えるのが市楼 |
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城門の上 |
城門の上にある「火の用心」の像 |
南の城壁だけ直線ではない |
明清街 |
少数民族の店 |
市楼:時間を知らせ、1日3度市が立っていた |
篆刻の店 |
日昇昌記:最初に為替取引を初めた商店 |
日昇昌記の内部 |
為替の証票 |
壺口に向かう途中:建設中の高速道路 |
ガソリン135.36Lで800元=1L5.91元(118円) |
吉県市街の様子 |
吉県市街の様子 |
宿泊ホテル:吉州賓館 |
ホテルロビー |
ホテルの部屋から見えた街の様子 |
ホテルの部屋から見えた夜景 |
5月21日(木):吉県(ホテル)ー壺口瀑布ー(高速道路)-洛陽 |
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壺口料金所 |
黄河:砂利採取場 |
壺口瀑布へのバスターミナル |
売店:着いた時は開店前 |
水量が多い時は桟道が有効 |
水量が少ないので徒歩で行く |
壺口瀑布:中国第二の瀑布(最近は上流にダムが出来たので黄河の水が綺麗になっている) |
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撮影ポイントには大勢の人 |
対岸(陝西省)にも観光客がいた |
川魚の天ぷらを売っていた |
帰る頃には売店も少し開いていた |
襄汾服務區でバイキングの昼食を食べた |
雨水を貯める物 |
高速の両側に広がるの農地 |
農作業に従事する人達 |
黄河を渡る(水はきれいになっている) |
洛陽服務區でトイレ休憩 |
洛陽料金所 |
ここにも建築中の高層住宅があった |
宿泊ホテル:洛陽牡丹大酒店 |
洛陽市:BC(紀元前)770年に周の平王が都を 置いてから、北魏・隋・漢・唐など9つの王朝が都 を構えた所で「九都の古都」とも呼ばれている。 今は時期が終わったばかりの”牡丹”が有名で 周の王宮の跡地の王城公園では4月から5月に 掛けて行われる牡丹祭りは全国から観光客が来 るそうです。 |
5月22日(金):洛陽(ホテル)ー龍門石窟ー関帝廟ー白馬寺ー洛陽 |
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河南省の現地ガイド:王さん |
龍門石窟:大同の雲崗石窟、敦煌の莫高窟とな らび、中国三大石窟の1つで2000年に世界遺産 に指定されています。 北魏の都が大同から洛陽に遷都したAD494年か ら400年間にわたり石仏が彫り続けられた。鮮卑 族の王朝が漢族との融和を図るために仏教を 取り入れ、雲崗に石窟寺院を作った延長で龍門 に石窟寺院を作ったのである。 2345の石窟に約10万体の石仏が彫られている。 西山石窟と東山石窟があるが、西山石窟の方が 90%を占めている。 |
駐車場からカートで龍門石窟入口へ |
龍門石窟入口 |
大勢の観光客が来ていた |
賓客三洞 |
中央にある弥勒菩薩 |
摩崖三仏:未完成になっている |
萬仏洞:弥勒菩薩像 |
萬仏洞:天井の藻井の周囲に完成年月日がある |
蓮華洞:正面は釈迦牟尼仏、天井に蓮の花 |
蓮華洞:2cmの仏像が1000体彫られている |
泰先寺洞:龍門を代表する石窟、中央の盧舎那仏は則天武后がモデルと言われている |
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盧舎那仏:奈良大仏のモデルと言われている |
盧舎那仏の横顔 |
船から見た龍門石窟(西山石窟)の全景 |
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船で対岸へ |
白園(白居易墓園):白楽天が晩年を過ごした。 |
白居易墓園:亡くなった後、墓園になった |
白楽天の詩を彫った石碑が納められている |
駐車場の傍で売っていたが買えなかった |
河南省観光のバス |
昼食のレストラン |
昼食後、関帝廟へ |
関帝廟:大門(入口) |
本殿への参道 |
本殿 |
関羽像 |
関羽の首を埋めたと言う伝説のある首塚 |
首塚の正面 |
今回の添乗員W.Aさん |
関帝廟の周囲は店がいっぱい |
色々な店があった |
石を磨いている |
白馬寺:中国で最初に建てられた寺院 |
白馬寺:創建はAD68年と言われている |
布袋:太った弥勒菩薩 |
韋駄天 |
大仏殿 |
盧舎那仏 |
大雄殿 |
阿弥陀如来 釈迦如来 薬師如来 |
接引殿 |
三体仏 |
清涼台:毘盧閣 |
毘盧遮那仏 |
空海:留学僧として修業した縁で寄付された像 |
インド寺院:インドから白馬寺に寄付された |
大型トラックがいっぱいの工場 |
洛陽:午後7時20分の夕日 |
夕方の洛陽市内 |
夕食を屋台で食べる人達 |
5月23日(土):洛陽ー少林寺ー鄭州 |
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ホテルの部屋から見た洛陽市内 |
高速の両側に広がる一面の麦畑 |
少林服務區でトイレ休憩 |
少林寺の駐車場 |
少林寺:登封市の北西13kmの所にある憲法と 禅宗の寺院。AD495年北魏の孝文帝がインドの 跋陀三蔵の為に建立し、527年にインドの僧達磨 大師が、ここで面壁9年の修業をして禅宗を創 立した。ちなみに達磨大師が座禅を組んだ後に 手足を伸ばしたり、野生動物の動きを真似した 事が少林拳法の始まりと言われている。 少林寺の伽藍は1928年の内戦で焼かれ、昔日の 面影は無くなっているそうです。 |
少林寺の像 |
少林寺の象徴的な入場門 |
少林寺への入口 |
塔林:歴代の高僧の墓地 |
244基の塔林は中国最大の墓塔群 |
塔は僧の功績を称えて弟子達が作った |
形や大きさも色々ある |
山の上には達磨大師の大きな像があった |
少林寺の山門:門の少林寺は康熙帝の字 |
日本少林寺拳法会長(宗道臣)の石碑 |
「天下第一祖庭」の字は?の書 |
唐の太宗・李世民の石碑 |
李世民の直筆 |
大雄宝殿 |
少林寺らしく武術家と達磨大師の像もあった |
明代の建物が残っている |
立雪亭:達磨大師を祀っている |
西方聖人殿 |
少林僧が修業した跡 |
ご本尊:毘盧遮那仏 |
周囲の壁には見事な五百羅漢図 |
五百羅漢図 |
五百羅漢図:拡大図 |
場内は川を引くために工事中だった |
石を組むのは日本と同じだと思った |
少林寺演武館:演技内容はガッカリだった |
カンフーショー① |
カンフーショー② |
カンフーショー③ |
カンフーショー④ |
外では子供達が練習していた |
鄭州市内も建築中の高層住宅が多かった |
鄭州市で一番体高いホテル・名前は? |
宿泊ホテル:鄭州建国飯店 |
ホテルのロビー |
5月24日(日):鄭州(ホテル)ー安陽(殷墟)-鄭州(ホテル) |
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ホテルからの鄭州市内の眺め① |
ホテルからの鄭州市内の眺め② |
安陽に行く高速に入る |
黄河に掛かっている橋を渡る |
黄河は名前とは違って川の水は綺麗だった |
この地方は麦畑ばかりだった |
鶴壁服務區:日本と同じようなSAだった |
酒類売り場 |
フードコーナーもあった |
お茶売り場 |
キャリアカー:日本では考えられない積み方 |
安陽市内も完成した高層住宅がいっぱい |
中国文字博物館:バスから見ただけ |
安陽市内の通り |
日曜日で屋台も出ていた |
殷墟:安陽市にあり、司馬遷の「史記」に「殷」と いう記述があったが、伝説の王朝と考えられて いて、1928年の調査で大量の甲骨が発見され、 その中に「殷」の文字があったので実在の王朝 だと証明された。これにより中国の歴史が一挙 に1000年遡ったと言われている。 一般的には「商」と言われる事が多く、2006年 に世界遺産に指定された。 |
到殷墟博物苑 |
殷墟博物館 |
殷墟博物館入口 |
出土品:土器類 |
2000年前の管渠:文化の高さの証明 |
獣骨・青銅包丁 |
笄(こうがい):かんざし |
青銅製:爵(しゃく)・鼎(かなえ)・觚(こ) |
青銅製:鍬・スコップ |
青銅製:鉾 |
亀甲:占いに使ったと思われる |
亀甲に刻まれた甲骨文字 |
甲骨文字:3300年以上前に使っていた |
甲骨文字:見ていると何となく魅かれる |
司母戌鼎:高133cm、横111cm、奥78cm、重875kg |
世界一の鼎:司母戌の文字が刻まれている |
鼎各種 |
甲骨文字を刻んだ石林 |
車馬坑:6台の発掘した馬車があった |
御者も馬も一緒に埋められていた |
建物跡の基礎 |
甲骨文字の解説 |
婦好:中国史の最初の女性政治家・軍事家 |
婦好墓の入口:1976年に発見された |
青銅器 |
酒器 |
玉のアクセサリー |
発見された時の状態を再現している |
帰りも高速道路で |
原阳服務區:工事中でトイレ休憩のみ |
黄河:堤防幅は10kmあるが実際の川幅は1km |
1998年に氾濫した事があるそうです |
東三環北料金所 |
夕食会場:福斎天美食店 |
5月25日(月):鄭州(ホテル)ー上海ー(名古屋)ー上海(ホテル) |
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鄭州市内は月曜日とあって車も多い |
鄭州空港:午前10時30分 |
搭乗手続き:午前10時45分 |
鄭州空港:搭乗口で待機中、午前11時50分 |
2時間遅れで搭乗:午後2時30分 |
上海浦東空港:午後5時10分到着 |
宿泊ホテル:上海氾亭新並大酒店 |
5月25日(月):鄭州空港からのFM821便が遅れ 、上海空港に午後5時10分に到着したが、午後5 時15分発のMU2691便には搭乗できなかったの で上海に延泊する事になりました。 費用は中国東方航空の会社持ちで浦東から30 分の「上海氾亭新並大酒店」に案内されました。 思ったより良いホテルだったので良い経験にな 利ました。 |
5月26日(火):上海(ホテル)-名古屋 |
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ホテルから見た朝日:午前6時3分 |
午前6時30分集合 |
上海浦東空港 |
214搭乗口 |
MU529便:午前9時50分に出発 |
5月26日(火):MU529便は満員に近い乗客を乗 せて、順調に飛行し、中部国際空港に午後12時 50分に着きました。家に着いたのは午後2時半 頃でした。 |
今回のツアーは11日間の予定が12日間になりましたが、私が行きたいと思っていた「雲崗石窟」 や「龍門石窟」に行けた上に、あまり、期待していなかった「殷墟」で甲骨文の実物を見られたの は本当に良かったと思いました。 それと一緒に行ったツアーメンバーや現地ガイドが中国の歴史や宗教に詳しい人がいて、とても 勉強になりました。中国人や中国という国は別として、中国の歴史や文化は日本との関係が深い のでこれからも機会があれば来たいと思った旅でした。 |
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日々雑感へ 食事編へ |