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 5月31日(火)
  家内は「誠武館婦人剣道」の稽古の日ですが、今日は”竹刀供養”という名目でバーベキューをやる予定で、材
  料の買い出しがあるからと午前9時前に出かけて行きました。
  私は昨日の
「桃球会」のコンペの反省会と幹事の引き継ぎで、いつものモスバーガーの店に行き、連続2位にな
  り、今回も幹事になった
H.Yさんに昨日の精算書と現金を渡して引き継ぎを終わりました。1時間程みんなで昨日
  のゴルフの様子を話しましたが、結果としては、昨日は無理にやって良かったと言われホッとしました。
  午前10時前に解散して、私は給油と洗車をしてから、午前11時30分に
「東海岡山県人会」の事務所で監査をする
  事になっているので名古屋に向かいました。午前11時半に事務所で、同じ監事で、先日、岡山に行って、私の幼馴
  染のT.Mくんの
「翁軒」や岡山に兄の店「山留」に行ってくれたK.Fさんと会い、一緒に事務所に行きました。
  監査と言ってもただ見るだけで、特に問題も無いので印鑑だけ押しましたが、来年度の予算案の書き方がおか
  しいと思ったので、監事の仕事とは関係ないのですが、
事務のN.Yさんに助言だけして帰って来ました。


 5月30日(月)
  午前5時半に目が覚めて外を見ると小雨が降っていましたが、天気予報の雨雲の動きを見ると、午前9時過ぎに
  は雨は止むような感じだったので、
「桃球会」は予定通りやる事にしました。
  午前7時に迎えのバスに乗り、
「日吉ハイランド倶楽部」に午前8時に到着しましたが、空が明るくなったり暗くな
  ったりしていましたが、午前9時頃に止むことを信じてスタートしました。傘をささなくても良い感じでしたが、さ
  さないと、結構、濡れて来る感じの霧の様な雨でしたが、結局、天気予報とは違い、一日中降った感じでした。
  スコアの方は
アウト・インともに46でトータル92でしたが、ハンデ16、ネット76で8位でした。優勝は一緒の組で回
  った
83歳のM.Sさんがアウト46、イン47のトータル93で上り、ハンデ30なのでネット63の9アンダーというスコア
  でしたが、今回は2位が6アンダー、3位も5アンダーとハイレベルの優勝争いになっていました。


 5月29日(

  午前8時30分から「春日井クリーン作戦」”団地内大掃除”があったので、家の前や近くの側溝を掃除した後、5
  丁目の三角公園に移動しての清掃に参加しました。私は家の周りの掃除は別として、三角公園での清掃は団地内
  の情報交換の場として必要だと思い、積極的に参加するようにしていますが、今日も
裏のYBさんと一緒になり、
  話しているとおばあちゃんが骨折して入院している事を知り、私が参加できなかった先日のソフトボール仲間の
  ゴルフコンペで
K.Mさんが優勝して、次回は「塩河カントリー倶楽部」の予定だとソフト仲間のM.Mさんから聞きま
  した。その他、心臓の事で心配していた
同い年のO.Nさんの元気な姿を見てホッとしたり、いつも顔を見せるM.N
  さんが来ていなので、少し、心配な気持ちになったりの1時間でした。
  午前10時過ぎに帰って来て、改めて、庭を見ると、上品な
”京鹿の子”が満開近くになり、”洋アジサイ”が最後の
  花を咲かせ、
”山アジサイ”も小さな可憐な花を咲かせています。”ダールベルグデイジー”が黄色の花で地面を
  埋め、
”夏しゅうめい菊”もあちらこちらに咲いていて初夏を感じさせています。
   


  
夕方から天気予報通りに小雨が降り出しましたが、いつも、迎えに来てくれるマイクロバスのTYさんから副幹事
  のHYさんの所に
「どうですか?」と言って来たので、明日の「桃球会」は小雨決行の積りですし、天気予報も午前
  9時頃には曇りになると言ってるので、それを信じて迎えに来るようにお願いしてもらいました。
  今年になって旅行やゴルフの予定の時に限って、ぐずついた天気予報が多く、事前にやきもきする事が多く、た
  まには天気を気にせずに旅行やゴルフに行きたいと思います。



 5月28日(土)
  午前9時前にいつものモスバーガーの店に行き、明後日の組合せを来ているメンバーに確認してもらいました。
  昨夜、
K.Hさんから奥さんが検査入院したから「桃球会」は欠席との連絡があり、最終的に18名になったので、5
  組で組合せを作り、日吉ハイランド倶楽部にメールしました。

 午前10時から家内が名古屋のコメ兵に行くと言うので、私は
「大須骨
 董市」
に行く積りで一緒に行きました。家内が買い物をしている間に大
 須観音境内の骨董市を覗いて見ると、私の知っている業者も来ていま
 したが、特に買いたい物も見つからなかったので、後は適当に冷やか
 しで場内の様子を見て歩きました。
 土曜日のせいか、何時もより外国人や若い人達が結構来ていて、古時
 計や一升桝を買ったり、若い女性グループが布地や古着を一生懸命
 品定めをしていたのは予想外でした。
  後から家内も合流して、改めて場内を見て回りましたが、家内の好みも無くて、帰ろうとしていたら、若い女性の
  やっている古着の店で、大きな
布団用の風呂敷がどれでも1枚300円で売っていたので、家内が何かに使えるか
  もしれないと松の柄の風呂敷(2m×2.1m)を1枚買いました。昔はどこの家でも布団用の風呂敷や布団袋があっ
  たと思いますが、今ではほとんど見かけなくなり、使う事も無くなったので、こんなに安い値段かもしれません。


 5月27日(金)
  
テレビでは朝から”伊勢志摩サミット”と歴史的なオバマ大統領の”被爆地・広島訪問”のニュースで溢れていまし
  た。私は午前中に
「東野内科クリニック」の定期検診に行き、心配だった尿検査と血液検査をお願いし、K.M先生
  に中国旅行の状況を話しました。というのは今回はうねった山道を走る事が多かったので、4日間連続で酔い止
  めの薬を飲んだせいか、排尿が悪くなり、帰国してからも足の張りが取れなくて、腎臓が悪くなったかもしれな
  いと気になっていました。血液検査は後日の結果になりますが、尿検査では異常なしと言われ、ホッとしました。
  気持が楽になったので、帰りに王子ゴルフ練習場に寄って150球程練習して帰りました。
  お昼を食べてテレビを見ていたら、安倍総理大臣が今回の”伊勢志摩サミット”の議長国として記者会見をして、
  リーマンショック以来の経済危機を強調し、それを繰り返していましたが、なにか世界というより日本の状況を話
  しているような気がしました。

 午後3時過ぎから市民プールに行き、午
 後5時過ぎに帰って来た時に、テレビでは
 
オバマ大統領”広島平和公園”に着い
 た所で最初に
「平和記念資料館」に向か
 うと言われ、テレビ画面を見ると、私や家
 内の知っている
「原瀑資料館」と違い、綺
 麗な建物が写っていたので戸惑いました
 が、どうやら、私達の知っているのが、現
  在では
”西館”と呼ばれ、その後、出来たのが画面に映っていた
  
”東館”のようでした。私が広島にいたのは50年近く前ですか
  ら、その頃と変わっていても当然だと思います。
  10分程度の見学時間しか無かったのは残念でしたが、それで
  も、中で実際の展示物を見たのは大きかったと思います。
  その後、安倍総理大臣と共に
”原爆慰霊碑”に献花しましたが、
  献花した後の頭の下げ方は深々と頭を下げた安倍総理に比べ、
  アメリカの国内事情に配慮して、頭は下げず黙祷しただけでした。
  続いて、注目されたオバマ大統領のスピーチでは
”核無き世界を目指す”というプラハ宣言と同じ趣旨でしたが
  、言葉を選びながら15分間力強く話した感じは彼の気持ちの表れだと思いました。



 5月26日(木)
  家内は今年から「健康体操クラブ」の会長になったので、来月19日()の健康体操祭で、あまりみっともない事
  は出来ないからと、真面目にやるようになり、今日も午前9時過ぎに集会所に出かけて行きました。
  私は
「東部中国語同好会」があったので、午前9時半に東部市民センターに行きましたが、今は色々な事情でメ
  ンバーが6人になっている中で、1人休むと残りが5人で淋しい限りです。それでも、先生も我々生徒も、しっかり、
  勉強したいという意気込みはありますが、力が今一つだけに先生には申し訳ない気がします。
  いよいよ
”伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)”が始まりましたが、テレビでは各国首脳が到着するたびに交痛
  規制が始まったとか、規制が解除されたと情報が流れていますが、今日明日、仕事で三重方面に行く人達は大
  変だと思います。
  我が家の
隣のIKさん夫婦も、明日、セントレアからの飛行機で福岡に行く事になっていますが、スムーズに行ける
  かどうか、心配なので余裕を持って早目に出かけると言ってました。帰って来たら、空港の警戒ぶりや規制やチ
  ェックの様子を聞こうと思っています。



 5月25日(水)
  家内は先週、日本画が休みだったので、今日は午前中はお茶の稽古、午後は日本画とフルタイムの稽古事です。
  私は午前中はのんびりする積りだったのですが、
近所のK.Kさんから電話があり、モスバーガーの店にお茶を飲
  見に行くと、
「桃球会」の世話役のM.Nさんがいて、持病の顎痛がひどくなり、明後日、精密検査をする事になっ
  たので30日(月)は欠席と言う話でした。
  最近は当初、6組24名のメンバーが本番では5組20名を切る事が多くなっていますが、今回も前回の出席者が6
  名欠席になり、新たに1名が出席で5組19名になっていますが、本番までに何名になるのか分かりませんが、メン
  バーの年齢を考えると、それも仕方がないかもしれません。
  午後から中部大学の
「日本語の歴史」(蜂矢真郷教授)の講義があったので出席しました。最初に私が休んだ先
  週の講義でやった
”宣命体(せんみょうたい)”の話がありましたが、宣命とは”命(みこと)を宣(の)る”、即ち、
  天皇の言葉を宣べる事であり、
”宣命体”は漢字で書かれているが、漢文ではなく、日本語的に漢字を順番に使っ
  て書かれているもので、漢文の様に一部を除いてレ点(返り点)は無いそうです。
  今日の講義はハ行子音の変遷という事でしたが、
”かほり・かおり・かをり”とか「~原」は”大原(おおはら)・松原
  (まつばら)・菅原(すがわら)”というように
”は・ば・わ”に変化するというような内容でした。聞けば当たり前の
  ように使っていましたが、考えれば色々な変化があるなと思いました。



 5月24日(火)
  中国から帰って3日目になるのに未だに足の張りが残っていますが、来週の30日(月)に私が幹事になっている
  
「桃球会」のコンペがあるので、午前9時過ぎに王子ゴルフ練習場に行き、1時間300球700円のコースで練習しま
  したが、足の張りのせいかどうか分かりませんが、腰の具合も良くないので、ドライバーは10球程でやめて、ショ
  ートアイアンとアプローチを中心に150球程度の練習をしました。
  午後3時からは市民プールに行き、500mの水泳と40分の水中ウオーキングをやりましたが、日曜日よりは楽に
  なりましたが、終わって帰る時にはまだ足に張りを感じるので、明日は
「皿貝接骨院」に行って見るつもりです。


 5月23日(月)
 
 家内は午前9時過ぎにいつもの様に義母の所に出かけて行きました。私は午前11時前に中部大学の「アジアの歴
  史A」(一谷和郎准教授)
の講議に出席する為に家を出ました。
  今日の講義で一谷先生が
「史記」を描いた”司馬遷”の話をされ、史記から引用されている言葉が沢山あり、「酒
  池肉林」や「四面楚歌」、「臥薪嘗胆」等は聞いた事がありますが、「完璧」や「傍若無人」、「恨み骨髄に徹す」、
  「忠言耳に逆らい、良薬口に苦し」等も史記の中にあり、他にも沢山の成語や成句がある事を知りました。
  それと、隋を建国した
”楊堅”の先祖に漢の”楊震”と言う人がいて、「四知」(天知る・地知る・我知る・汝知る)と
  いう言葉を残している話も聞きました。この講義の良い所はこういった本来の講義の内容とは少し外れた事を聞
  けるのが特徴だと思っているので、今日の講義は出席して良かったと思いました。



 5月22日(

  1週間ぶりに帰って来て我が家の庭を見るとシモツケが咲き、一重と八重の紫のクレマチスと同じような一重と
  八重の白の
クレマチスが咲いていました。他にもアジサイやカモミールが目を楽しませてくれていました。中国
  の武当山や神農架でも色々な花を見ましたが、花に特に趣味の無い私でも心が癒されると思いました。
   
  午後4時からまだ足に張りが残っていましたが、動かした方が良いかなと思って市民プールに行きました。日中
  は30度を超えたと言うくらいですから、プールも多くの家族連れや小学生が泳ぎに来ていましたが、無理をし
  ないように軽く泳いで、水中ウオーキングをして帰って来ましたが張りは取れていない感じでした。



 5月15日(
)~5月21日(土)クラブツーリズム五千年倶楽部の「世界遺産・武当山と秘境の神農架絶景と不思議に
  出会う旅 7日間」
のツアーに参加しました。メンバーは当初14名の申込みが昨日2名のキャンセルが出て、最終
  的には8名と淋しい人数になりましたが、今回も3月に行ったメンバー同様に中国は30回以上と言うツワモノが
  多い感じで、12回目の私などは初心者クラスに入れられそうです。
添乗員の齋藤康治さんは中国語の通訳の資
  格を持っている程、中国語が堪能だと聞き心強い限りです。

  
15日(午前4時半に目が覚めたので、そのまま起きてローマ大会準決勝の錦織とジョコビッチの試合を見まし
  たが、あと一歩及ばず負けましたが、なかなか良い試合でした。
  午前6時半に、今日、6段の昇段試験がある家内に春日井駅まで送ってもらい、午前8時前にセントレアに着きまし
  た。ツアーカウンターに行くと、各旅行会社とも今日の出発が多いらしく、沢山の人達がいました。受付を済まし、
  添乗員の齋藤さんから簡単な説明とガイドレシーバーを貰い、中国東方航空のカウンターで搭乗手続きをしまし
  たが、いつも取れる通路側が最近は人気で取れなかったので、後ろの方の窓側の席にしてもらいましたが、天気
  が良く、久し振りに外の風景が見られて良かった気がしました。
   
  上海経由武漢行きMU2692便は定刻の午前10時30分に出発し、上海空港へは定刻10分前の午前11時55分に到着
  したのですが、空港ロビーまでの送迎バスが来なくて、機内で30分も待たされました。武漢への乗り換えの時間
  が無いからと空港職員が先導して、入国手続きや国内線の手荷物検査も優先的にやってもらって、午後1時20分
  発の20分前に着いたら、武漢行きは出発が遅れて何時になるのか分からないと言われ、ガックリしました。
  今日は日曜日のせいか、事故でもあったか分かりませんが、北京行きや長春行き、成都行き等の便が軒並み遅れ
  ているようでした。待っている時に中国人に
「旅行ですか」と日本語で話しかけられ、いろいろ話しましたが、46
  歳で自動車の部品会社に勤務していて、明日、午前9時に北京の得意先に見積書を出しに行くんだと細かい話ま
  でしてくれ、別れ際に
「良い旅をして下さい。」と言って行きましたが、私も「仕事がうまくいきますように」と言っ
  て別れましたが、何となく和やかな気持ちになりました。
  1時間半遅れの午後2時50分にやっと搭乗が始まりましたが、この頃には上海空港は土砂降りになり、バスから機
  内に入るまでかなり濡れる人がいました。機内はアメリカ人の団体でいっぱいで、私の隣も2人共アメリカ人の夫
  婦でした。機内に入ってからも1時間近く座席で待たされ、午後4時にやっと武漢に向けて出発しました。
   
  午後5時30分に武漢空港に着きましたが、空から見た武漢は水田なのか、池なのか、雨の上海と違って、太陽に
  照らされて輝いていました。
現地ガイド劉さんの迎えを受け、今日の観光予定の
「黄鶴楼」は時間的に無理なの
  で明日朝一番に観光する事にして夕食会場の
「茘湾(ライワン)」に向かいました。
  午後6時半過ぎに店に入ると日曜日とあって大勢の家族連れやグループが食事をしていましたが、地元の人が
  こんなに来るのだったら間違いなくおいしいだろうと思っていたらその通りでした。小骨を取った草魚の甘酢餡
  かけや湯葉を使ったスープ、地元の名物レンコンを使った料理などなかなかおいしい料理でした。午後7時半過
  ぎに店を出て、今日の宿泊ホテル
「武漢美聯都市假日酒店」に午後8時前に着きました。
   

  
16日(月)午前5時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きて、旅行記のまとめを少しやり、午前6時過ぎにホテル
  の周辺を15分程散歩しましたが、朝早いせいかあまり人通りはありませんでした。
ガイドの劉さんが武漢名物と
  言ってたアヒルの首を売っている店がホテルの傍にあり、早朝にも拘らず開店していて、買いに来ているお客さ
  んがいたのに驚きました。
   
  午前6時半からと聞いていた朝食会場に午前6時20分に行くと既に何人かの人が来ていました。中国では珍しく
  、ビュッフェは武漢市内が見渡せる28階にあり、メニューも豊富で僅かですが、日本食コーナーもありました。
  武漢には自動車メーカーの工場があり、ホンダやニッサンも来ているので、日本人の宿泊もあるせいかもしれま
  せん。他にも目玉焼きや麺を作ってくれるコーナーもあり、私の朝食は目玉焼きとビーフンにしました。
   

  午前7時20分にホテルを出て、最初に昨日見られなかった
「黄鶴楼」に行きました。「黄鶴楼」は紀元223年に呉
  の孫権によって築かれた夏口城内に建てられた楼閣ですが、後に多くの文人墨客が訪れ武漢の名所となり、江
  南三大名楼の1つになっているそうです。度々、戦火に見舞われ、再建を繰り返し、現在の楼閣は1985年に再建さ
  れ、高さ50.4mの5階建てで元は長江沿いにあった建物を長江大橋建設時に1km蛇山側に移されたそうです。
  蛇山一帯が「黄鶴楼公園」になっていて、北門の入口からは入って行くと最初に
”岳飛”の馬と一緒の大きな銅像
  があり、杭州で行けなかった岳飛廟の代わりにここで岳飛像が見られて良かったです。奥に歩いて行くと
「黄鶴
  楼」
があり、その前でツアーメンバーの全員写真を撮り、中に入ると2階には今までの楼閣の模型が展示されて
  おり、3階には
「黄鶴楼」を詠んだ有名な李白や崔顥の詩が並んでいましたが、その中に”岳飛”の詠んだ詩があ
  り、彼の有能さを感じました。5階からは武漢市内が見渡せる素晴らしい景観でした。
   
   
  午前9時30分に「黄鶴楼」を出て、襄陽に向かいましたが、武漢市内も渋滞があり、長江を渡り、市内を抜けるの
  に40分もかかり、やっと高速道路に乗れたのは午前10時10分でした。途中、
「安陸SA」でトイレ休憩をしましたが
  、そこの売店で68度の
”放馬鞭”というお酒を48元で買いましたが、自分で飲むかどうかは別として、中国各地
  には色々な地酒があるので興味本位で買ってみようと思いました。
  午後12時15分に
「隋州SA」に着き、ここでお昼を食べましたが、35元のランチバイキングでしたが、メニューは
  豊かで美味しいものもありましたが、何より驚いたのは
ビールが無料サービスになっていて、高速道路のサービ
  スエリアでこのサービスは如何なものかと思いました。
   

  午後1時に
「隋州SA」を出発し、午後2時半に襄陽市内の「襄陽城」に着きました。最初に出来たのは紀元前201年
  (前漢の高祖6年)で現存する城壁は明代のもので周囲7.4km、高さ10m、幅1.3m~1.5m、城を取り囲む堀の深さ
  2m~3m、幅180m~250mでこれが
「襄陽城」を難攻不落した要因です。
   

  午後3時10分に出発し、西12㎞の所にある
「古隆中」に行きました。「古隆中」は三国時代の政治家・軍事家である
  
”諸葛亮孔明”が17歳から27歳までの10年間、晴耕雨読の生活をしていた所で、その学識の高さを知った劉備が
  この地を訪ね、三顧の礼で軍師に迎えた事で有名な場所でもあるので、その草庵を中心に観光地として整備し
  たものです。森の中にある施設は観光用に造ったものか孔明の像があったり、三顧の礼を描いた三顧堂が造ら
  れ、三国志の劉備、関羽、張飛の像が三議殿としてあったり、孔明が住んでいたという場所に草庵が作られてい
  ました。
   
   

  午後5時20分に
「古隆中」を出発し、武当山に向かい、午後7時に武当山市内の夕食会場「玄武老菜館」に到着し
  ました。地元料理の店という事でしたが、この店も地元の人で賑わっているだけに出て来る料理は間違いなく食
  べやすい料理がほとんどでした。驚いたのはビールが安く、5元、10元、15元と3種類のビールがありましたが、普
  通は現地ガイドが手数料を取って高めに20元と言うのですが、
現地ガイドの劉さんは真面目なのか、全く、そん
  な事はしてないようでした。
   
  午後8時に店を出て、今日の宿泊ホテル
「武当山賓館」は近くて午後8時10分に到着しました。アメニティは無い
  かもしれませんと”旅のしおり”書いてありましたが、サービスの水もあり、他の物もちゃんとありました。
   
  
17日(火)昨日は疲れていて、午後9時半頃にはベッドに入ったせいか、午前5時前に目が覚めたので、そのまま、
  起きて、旅行記の整理をして、午前6時にホテルの周りを散策して見ました。ホテルの前の通りは閑散としていて
  いましたが、小さなホテルが並んでいるような通りでした。少し歩いて行くと、小さな川沿いに地元の市場があ
  り、ここだけは業者や個人の人で賑やかでした。
  午前6時20分に戻り、朝食会場に行くと、こじんまりしたビュッフェ会場で却って料理も見やすいので良いと思い
  ました。
添乗員の齋藤さん「麺を作ってくれますよ」教えてくれたので、今日もビーフンを作ってもらって食べ
  ましたが、なかなかおいしい麺でした。
   

 
 午前7時半にホテルを出て、「世界遺産・武当山」に入る”グリーンバスターミナル”に行きました。最近、中国では
  自然を守る為に一般の観光バスは乗り入れ禁止にして、専用のバスで観光客をそれぞれの場所に連れて行くよ
  うになっていますが、内情は地元民を区域内から追い出した見返りに雇用や経済的な面から援助する目的の方
  が強いようです
  午前7時40分にバスターミナルに着きましたが、今日は平日で時間も早いので、土産物店が並ぶ所を通り、バス
  の乗り場までは待ち時間も無くスムーズに進みましたが、外国人は必ずパスポートを見せなければいけないの
  で、ガイドさんが切符を買うのに時間がかかるのが問題だと思います。今朝は
現地ガイド劉さんの他に地元の中
  国語しか出来ない
女性ガイド張さんが付きましたが、武当山観光には地元のガイドを付ける義務があるのかもし
  れません。
   
  午前7時50分に出発しましたが、山道で揺れるせいか、バスには定員の38名しか乗せないルールがあるようで、
  私達も1台見送って次のバスになりましたが、これが幸いして、私は前の方の席に座る事が出来ました。車酔いが
  怖いので酔い止めの薬は飲んでいましたが、後ろの方だと心配だったので安心できました。事実、私の前の横向
  きの座席に座っていた若い女性が到着寸前に車酔いで吐いてしまいました。

  午前8時30分に上のバスターミナルに到着し、ここから歩いてロープウエイ乗り場に移動しますが、道の途中に
  は土産物の店や屋台が並んでいます。武当山が道教の聖地だけでなく
”太極拳発祥の地”でもあるせいか、線香
  の他に太極拳で使う剣や刀を売っている店がほとんどでした。
   
  ロープウエイの時間は7、8分ですが、歩いて登ると4時間かかるそうですが、道教の熱心な修行者は全て歩い
  て登るそうですが、私達はロープウエイのお蔭で午前9時にはロープウエイの上駅に着きました。とは言っても
  ここから目的地の
「金殿」のある標高1612mの”天柱峰”までは急な階段を500段は登らなければなりません。
  本来、
「世界遺産・武当山」は隋唐期までは道士が隠れて修業する場でしたが、宋代になり、”道教の神・真武神”
  がここで42年間修業したと言う伝説により、明代になり、道教を信仰する皇帝から
”五岳”の上位として扱われる
  ようになり、特に3代永楽帝は熱心で山中に多くの建造物を建て、この古建築群が1994年世界遺産に登録された
  そうです。また、
”張三豊”が編み出したと言われる”武当拳(太極拳)発祥の地”としても知られ、世界中の愛好者
  が訪れて来るそうです。
   
  午前9時に上駅を出て、まず
”大和宮”まで行きましたが、かなり急な階段を登って、途中から見る景色は天気の
  良いせいもあって中々のものでしたが、息を切らしてそれどころでは無い人達もかなりいました。午前9時20分
  頃に
”大和宮”に着き、少し休憩をしてから「金殿」のある”紫禁城”の入場するのは別料金でガイドの張さんがチ
  ケットを買っていました。南天門から右回りで行き、霊感殿を通り、難所と言われている九連
を登り、午前9時50
  分に「金殿」のある標高1612mの
”天柱峰”に到着しました。
   
  
「金殿」は1416年(明の永楽14年)に建てられ、現存する中国最古の銅製建造物で武当山を代表する建造物です
  が、
ガイドの張さんの話で本物の金を使っている所を教えてもらいましたが、屋根の下の柱に小さな四角い金色
  の部分があり、それが本物の金で重さは700gもあると言ってました。天柱峰からの眺めは大和宮と大して変わ
  りませんが、最高峰から眺めと言う気分は良いものでした。
   
  再び、時計回りで降りて、午前10時20分に大和宮に戻って休憩していると、金色の折り紙で昔の金貨を折ってい
  たグループがいたので、理由を聞くと、本物のお金の代わりに沢山折ってお供えにすると言ってました。

  休憩後、ロープウエイで下まで行き、バスの駐車場にある
「電力賓館」で午前11時10分からお昼を食べました。こ
  の店も地元料理という事でしたが、今までの店と同じような地元料理もありましたが、私は地元野菜を玉子と一
  緒に炒めた料理と焼き立ての堅パンのようなものが本当においしいと思いました。
   

  午後12時に店を出て、グリーンバスで移動したのですが、20分程走って
「八仙観」というバス停で停まり、10分間
  の休憩になり、傍でお茶の試飲をしていたので試飲をして100g40元で"武当道茶”という緑茶を買いましたが、
  どうやら八仙観村のお茶組合がやっていて、地元対策でお茶を売るために10分間も休憩しているとの事でした。
  確かに山中を走っているとあちこちに茶畑がいっぱいに広がっていました。
   
  午後12時40分に出て、5分もしない内にバスの乗り換え場に着き、そこから、
「紫霄宮」(ししょうきゅう)に向かい
  ましたが、「紫宮」は1413年に建設され、「龍虎殿」や「紫殿」は保存状態が良いそうです。
  午後1時10分に着きましたが、「紫霄宮」の前の広場ではカンフーの衣装らしきものを着た団体があちらこちらで
  お互いのインタビューをしていましたが、何の目的でやっているのか良く分かりませんでした。中に入っていくと
  、長い階段の向こうに建物が見え、上って行くと
「朝拝殿」となっていました。更に行くと”道教の神・真武神”
  祀ってある「紫霄殿」がありました。
   

  午後2時半に出て、次は
「南岩宮」に行くためのバスを待ちましたが、なかなか来なくて20分位待たされました。
  午後2時50分にやっとバスが来て、10分程で「南岩宮」の見える所に着きました。
「南岩宮」武当山で最も美しい
  と言われているそうです。駕籠屋もいましたが、誰も乗る人はおらず、中に入って階段を歩いて行くと守り神の
  大きな亀がいる
「亀駄御碑亭」がありますが、背中に乗っている石碑の重さは90トンあるそうです。真武神を祀
  っている
「玄帝殿」は綺麗だと思ったら、最近、再建された建物でした。
   
   

  次に岩に貼り付いているように建っている
「両儀殿」”龍頭香”は昔は道士が命がけのお参りをしたそうです
  が、今では禁止になっているのか、手前にカギがかけられていました。その奥には
「南岩宮」の代表的な建物「天
  乙真慶宮」
があり、1元硬貨を使って
運試しの様な事が出来るようなっていて、傍にはちゃんと両替屋が待機して
  いました。
   

  武当山の見学予定が全て終わったので、バス乗り場まで戻り、午後5時に出発し、夕食会場の昨日と同じ
「玄武老
  菜館」
に向かいました。メニューは昨日とは違う料理を注文してあると現地ガイドの劉さんが言ってましたが、確
  かに違う料理が出て来たと思いますが、私達もどの店でどんな料理を食べたか、100%覚えている訳ではない
  ので全く問題は起こりません。今日は硬めの豆腐の入ったスープがおいしく10元と15元のビールを飲んで午後7
  時にホテルに戻りました。
   

  
18日(水)昨夜も疲れからか午後9時前には寝たので、今朝は午前4時半に起きてしまいました。昨日と同じよう
  に、少し、旅行記を整理して、午前6時15分に朝食会場に行くと、少し早すぎたのか、受け付けが来ていなかった
  ので、少し待ちましたが、間もなく係員が来たので問題はありませんでした。メニューは昨日とほとんど一緒でし
  たが、私は万頭と目玉焼きの他、おかずを少し食べました。
  午前7時30分にホテルを出て、今日の目的地
「神農架国家地質公園」に向かいました。神農架は中国では最も有
  名な原始林と自然保護エリアであり、野人伝説や金糸猿(きんしこう)でも有名です。面積が3253.5㎢もあり、7
  つの風景区に分かれており、その中にもそれぞれ見所があるそうですが、私達はその内のいくつかを、今回、観
  光する事になっています。今回のツアー参加者も今まで聞いた事も来た事もないと言うので日本の旅行会社で
  初めても企画かもしれません。

  現地に行くにも高速道路を途中まで走り、午前8時に降りて、国道209号線を走りましたが、道路はオーバレイを
  したばかりで綺麗でしたが、カーブの多い山道で平坦性はいまいちだと思いました。

   
  午前8時30分に財神廟と言う後に小さなお宮のある展望台でトイレ休憩し、少し走って、再び高速道路に乗り、15
  分ほど走って、209号線に戻りました。午前9時30分に
「橋上公路服務區」でトイレ休憩しましたが、ここには村が
  経営している
”緑松石”(トルコ石)を売る店で武漢の三分の一の値段だとガイドの劉さんが言ったので、私は守り
  石として1つ買いました。それにつられた訳ではないと思いますが、
添乗員の齋藤さんガイドの劉さん、ツアー
  メンバーのMKさんの奥様が買っていました。
   
  午前10時に
「神農架国家地質公園」に入ると、曲がりくねった山道が続き、私は先を考えて酔い止め薬を飲みま
  した。午前11時に
「天燕景区」切符売り場で切符を買い、早目の昼食を「嶺犀宮」で食べましたが、今までと似た
  ようなきくらげと玉子等のの料理でしたが、珍しくレンコン料理が出ました。私達が入った時には人がいなかった
  のが、少し経つといっぱいになりました。
   

  午後12時に店を出て、
「天燕景区」の入場口に行き、現地ガイドの劉さんが珍しく手間取っているので、どうした
  のかと思ったら、係員が外国人が来たのは初めてだから、取り扱いを上司に聞くから待ってほしいと言われたそ
  うです。ツアーメンバーは大喜びで、日本人として初めて観光に来たのが自分達だと思うと嬉しくなったようで
  すが、当然、私も同じ気持ちでした。
  間もなく入場OKになったのですが、私だけはパスポート見せて下さいと言われ、代表で見せるのかと思ったら、
  そうでは無くて、
現役軍人、身体障害者、身長120cm以下の子供、70歳以上の老人は無料と言う規定に該当す
  るからと言われましたが、外国人観光客にも適用するのは良い事だと思いました。
   
  午後12時30分に入場し、
「天燕景区」の上のバス駐車場まで行きましたが、途中、”野人目撃の場所”という石碑
  が建っていたのはお笑いでした。言われてみれば、中国では以前から野人伝説があり、その場所が此処だったと
  思うと、少しだけロマンを感じました。バスの駐車場から歩いて散策しながら自然景観を楽しむのですが、最初に
  
”燕子口”という実際に燕が出入りしている洞窟に行きましたが、暗くて奥の方までは行けませんでした。次に標
  高2000m以上の所に掛かった燕子埡の橋の上からの雄大な景観を楽しみました。
   
   

  午後2時迄いて、次は
「天生橋景区」に向かい、午後3時半に到着し、原始林の中を森林浴の感じでオゾンの多い
  滝や渓流を楽しみました。出口近くの土家(トゥチャ)族の土産物店で家内への土産に緑松石(トルコ石)のネック
  レスを1つ買いました。
   
   

  午後4時半に「天生橋景区」を出て、最後に
「神農壇景区」に行き、樹齢1200年の”鉄堅杉”を見ましたが、さすが
  に樹齢を聞くと余計立派に見えました。人間の顔に牛の角のある神農像を祀ってある神農壇を下から見て、帰り
  に入口で野人?と撮った写真が15元と言われたので、みんなが断ったら、5元で良いと言われたので、お付き合
  いで買いました。
   

  午後5時半に出発し、夕食会場の
「軍翔」に行き、夕食を食べましたが、珍しく、ピリ辛料理も出て、おいしく感じた
  のは私だけではなかったようです。夕食を終えて、今日の宿泊ホテル
「神農恵苑国際大酒店」に着いたのは午後
  7時前でした。
   

  
19日(木)今朝は5時過ぎに起きて、午前6時にホテルの前の通りに出てみましたが、飲食店や小さなホテルが多
  いのですが、田舎の町の感じで閑散としていました。午前6時15分に朝食に行くと、6時30分からしかオープンし
  ないと言うので、一度、部屋に戻って出直しました。朝食会場の大きさの割にはこじんまりしたビュッフェでしたが
  、朝はあまり食べない私には丁度良い感じでした。
  今日も午前7時30分にホテルを出発し、今日の予定は最初に「神農頂景区」に行き、その後で「大九湖景区」に行
  く事になっていますが、朝から天気が悪く、いつ降りだしてもおかしくない天気予報が出ているようでした。
  最初は「神農架旅行センター」に行って、入場手続きをして、今日は乗合バスではなく、現地ガイドの劉さんがチ
  ャ-ターしたマイクロバスで、一日中、2つの景区を観光する事になっているそうです。
   
  最初に鴨子口に行き、マイクロバスに乗り換えて、午前8時10分に
「神農頂景区」に入りました。初めに案内された
  のが、
”金猴嶺”でマイナスイオンいっぱいの林の中を少し行くと”金侯瀑布”があり、規模はそれ程ではありませ
  んが、なかなか良い滝の雰囲気でした。
   

  午前8時50分に標高2820mの
”神農谷”に到着、展望台からの眺めは素晴らしい景観でしたが、この頃から雨が
  降り出してきました。午前9時25分に出発してすぐに
”神農頂”(3106.2m)に着いたので、各自記念写真を撮りま
  したが、15分程で出発し、少し走った所から下に雲海が見えたので、運転手に無理を言って、路肩に駐車してもら
  い、ここでも、それぞれで雲海の写真を撮りました。
   
   

  午前9時50分に出発して間もなく
”板壁岩”に着きました。ここは原始林だそうですが、カルスト地形のせいか、岩
  盤が風化されて色々な形に似ている岩もあり、、それぞれ
”飛来石”とか”孔雀石”と名前が付いている物もあり
  、面白い形をした石があるので自分で想像しても良いと思いました。
   

  午前10時50分に出発し、午前11時半に昼食会場の
「悦来客桟」に着きました。店に入った時にはガラガラでした
  が、少し経つといっぱいになりました。ガイドの劉さんの話ではこの地区ではちゃんとしたレストランはここしかな
  いから早目に着いて良かったと言ってました。食器もプラスチックではなく陶器で箸も箸袋に入っていて、田舎
  のレストランでは珍しいと思いました。料理も基本的には同じような物でしたが、味付けも良く、団子ともやしの
  スープは初めての料理でおいしく食べました。
   

  午後12時半に店を出て、午後12時50分に
「大九湖景区」に入りました。10分程走り、駐車場に着き、ここからは現
  地の汽車の形をした電気観覧車に乗り、大九湖観光をしましたが、狭い座席に5人ずつぎゅうぎゅう詰めにされ、
  窓ガラスが曇っているので、何処を走っているのか分からず、30分程走ると降ろされて、6号湖から9号湖は新し
  く出来た散策道を徒歩で観光しなさいという事でした。
   
  強い雨の降り続く中、ガイドの劉さんの後を歩きながら、珍しい花を見たり、所々のポイントにある、長江と漢江の
  源になっている分水嶺の
”水分江漢”や唐時代の古いお墓が残っている”唐朝古墓”の説明を聞きながら、一番奥
  にある樹齢1300年の楢柏の木で200年前に雷に打たれ、枯れたと思われたのが、100年前に不思議に復活し、今
  では
”枯木逢春”と呼ばれている樹木までいきました。
   
   
  そこからUターンして元の
”落水孔”近くのスタート地点に戻り、再び、汽車型観覧車で駐車場まで戻ったのが、午
  後3時30分でしたが、皆さん、バスに戻り、やっと、人心地が着いた感じでした。
   
  午後3時40分に出発し、来た道を走って、次の目的地
”小竜潭”にある「金糸猿保護センター」に向かいましたが、
  午前中と違って雨に加えて霧が出始め、3月の霧で何も見えなかった三清山旅行を思い出しました。
  午後5時20分に
「金糸猿保護センター」に着き、自然の中では見られなかった”金糸猿”を見学しましたが、確か
  に金色に輝く毛並みを持ち、愛らしい顔をしたサルでした。
   
  15分程見学し、最初のバスの駐車場に着いたのは午後5時50分でした。ここでチャーターバスを降りて、観光バ
  スでホテルまで帰り、荷物だけ置いて、ホテルの前のレストラン
「馬厨私房菜」で夕食を食べましたが、料理は湖
  北省の同じような料理ですが、味はまずまずでした。私の隣に座った広島から来たT.Kさんはビールは水代りで
  42度の白酒の小瓶(200ml)を2本も飲んでいたのは驚きでしたが、ご本人は楽しくて気分が良かったからと言
  ってました。
   

  
20日(金)何故か午前3時頃から目が覚めて寝られなくなったので、そのまま起きて旅行記を整理しました。旅行
  に来てこんな事は始めてでしたが、かえって仕事がはかどり良いと思いました。
  午前6時半少し前に朝食を食べに行くと、まだ来てない料理がありましたが、私は豆乳と煮玉子とお粥で十分な
  のでそれで済ませましたが、最後のデザートでスイカと唯一のケーキを食べたら、このケーキが甘さ控えめで美
  味しかったのでお代わりまでしました。
   

  今日は午前7時50分にホテルを出て、今回のツアーの最後の目的地
「官文山景区」「神農架自然展覧館」に行
  きました。現地ガイドの劉さんは今日が最後で宜昌三峡空港でお別れですとバスの中で挨拶がありました。
  午前8時10分に到着し、最初に神農架地区の全体模型を見学し、後は自由観光になりましたが、別館に展示して
  ある、
”神農架国家地質公園”に生息する動植物の標本や写真を見るだけで、後は野人伝説の検証をした資料を
  展示してありました。本来、時間があれば標高の高い所に養育している動物を見る事も出来たようですが、時間
  が無いので省略したようです。
   
   

  上海行きの飛行機に乗る為に午前9時に展覧館を出て、宜昌に向かいましたが、少し、走った所の崖に沢山の箱
  が掛かっているのを見ましたが、ミツバチの巣箱で、ここで取れる蜂蜜は大変貴重な蜂蜜だと聞きました。
  貴重な光景を写真に収めて再び宜昌に向かいました。1時間ばかり国道209号線を走りましたが、途中の景観は
  中国独特の風景で雨が降っていなければ素晴らしい景色だろうと思いました。
   
  午前10時10分に高速に入りましたが、相変わらず両側は素晴らしい景観でした。10分程走る、
「興山SA」でトイレ
  休憩をしましたが、ここから見る山々の景色もなかなかのものでした。

  午前10時40分にSAを出て、午前11時25分に宜昌北ICを出て市内に向かいましたが、この辺はリンの産地で鉱石
  を積んだトラックが連続して走っているせいで、渋滞の上に道路がガタガタで15分位は落ち着いて座っていられ
  ませんでした。その後は普通の道路を走って宜昌の市内に入りましたが、ガイドの劉さんはここに住んでいて彼
  の住んでいるマンションの傍を通って昼食会場の
「燕沙大酒店」に午後12時15分に着きました。
   
  
ガイドの劉さんは今までは田舎料理ばかりでしたが、この店は少し違いますと言うだけに、最初に出て来たエビ
  餃子のスープは初めての料理でしたし、私の好きな焼きビーフンも出て来たので、私には十分なお昼でした。

  添乗員の齋藤さんから宜昌発の飛行機が午後16時45分で飛行場のチェックインが午後3時15分からなので、飛
  行場には午後3時頃までに着けばよいから行きたい所があれば行ってくださいと言われましたが、特にないので
  長江沿いをゆっくり案内しながら飛行場に行く事にしましたが、宜昌市内も建築中のマンションが多く、それも、
  結構売れているそうです。それでも、午後1時20分に店を出て午後2時半前に飛行場に着きました。
   
  ガイドの劉さんとはここで分かれ、午後3時過ぎにチェックインをし、荷物検査を受けてA5搭乗口には午後3時半
  に着きました。案内板を見た時にはMU2675便は正常と出ていたのが、到着遅れで15分遅れになり、最終的には
  1時間10分遅れの午後5時55分に出発しました。午後6時45分に軽食が出ましたが、上海に着いてから夕食を食べ
  る事になっているので、ほとんど食べませんでした。
   
  午後7時35分に上海虹橋空港に到着し、手荷物などで少し待たされ、午後8時過ぎに出口で待っていた女性ガイ
  ドの談さんと合流しました。午後8時20分に迎えのバスで夕食会場に向かいましたが、相変わらずの渋滞で午後
  9時に
「銭老爺」と言う店に着きました。上海の裏町のような所にある店ですが、料理は中々のもので、豚肉天ぷ
  らの甘酢餡かけやチンジャオロース、ピリ辛の麻婆豆腐等どれもおいしい中国料理でした。
   
  ビールも30元と高めですが、サントリービールがあったので、注文しましたが、日本と違いアルコール度は中国に
  合わせて3.1%しかありませんでした。
  午後10時に店を出て今日の宿泊ホテル
「上海梨園国際酒店」に着いたのは午後11時前でしたが、今回のツアー
  は本当に飛行機の遅れに泣かされています。

  
21日(土)午前5時過ぎに起きて、最終の荷物整理をして午前6時半に朝食会場に行きました。大きな部屋の割に
  はビュッフェの種類は多くありませんでしたが、トーストや生野菜もあり良くまとまっていました。
  午前8時40分にホテルを出発し、高速道路で浦東空港に向かいましたが、土曜日とあって渋滞も所々ではありま
  したが、大したことは無く、途中、”上海万博の跡地”を見ながら、午前9時40分に第1ターミナルに着きました。
   
  搭乗手続きの方は相変わらず行列が出来ていましたが、30分程でチェックインが終わったのですが、私のスーツ
  ケースがX線検査で引っかかり、開けて見ると68度のお酒
”放馬鞭”の瓶が金属だったので不審物に見えたよう
  ですが、係員が見たらすぐOKになり問題ありませんでした。
  出国手続き、手荷物検査も行列でしたが、何とか終わって午前11時過ぎに213搭乗口に行くと、午前11時40分発
  の
MU719便の搭乗が始まっていました。飛行機までのバスの第1便には乗れず、第2便に乗って待っていても出発
  しないので、乗客を待っているかなと思っていたら、係員が降りて搭乗口に戻るように言われました。
   
  添乗員の齋藤さんの聞いた所では原因は分からないが出発が1時間程度遅れるので、全員を搭乗口に戻したよ
  うです。午後12時20分から再び搭乗開始し、12時40分に全員の搭乗が終わってからも更に機内で待機し、午後1
  時30分にやっと離陸しました。出発して1時間後の機内食が出たので魚を選んだら来る時と同じ、ウナギの弁当
  でした。MU719便は順調に飛行し、日本時間午後4時30分に到着しましたが、今回のツアーは本当に最後の最後ま
  で飛行機に泣かされた旅でした。
  今日は土曜日で家内は午後5時過ぎから
「誠武館」で子供達を教える日なので、私は電車とバスで自宅まで帰り
  ましたが、午後7時過ぎには家に着きました。

  今回の「世界遺産・武当山と秘境の神農架絶景と不思議に出会う旅 7日間」のツアーは夫婦1組・男性1人旅6人
  の8人のメンバーでしたが、広島から参加で中国は
66回目のTKさん、名古屋から参加で55回目のHRさん、同じ
  く名古屋で
30回以上のMK夫妻SKさんSGさん、私と同じ春日井で30年以上前から中国に来ているGTさん
  中国に関しては12回目の私より遥かに中国通のメンバーと一緒の上に中国語が堪能な
添乗員の齋藤さん、中国
  の内情を正直に話す
現地ガイドの劉さんと一緒で大変楽しい旅でした。
  特に食事の時などは皆さんが良く話す人達だったので会話も弾み、聞いていても楽しいし、食事に関しても同じ
  様な料理が多かったのですが、現地ガイドの劉さんが気を使ったのか、味に関してもほとんどの店で皆さんが満
  足していました。来月は「世界遺産・黄山」に行く予定なので今回の様なメンバーだと良いと思っています。



 5月14日(土)
  3日連続で五月晴れの気持のよい朝でした。午前9時過ぎにお茶を飲みにモスバーガーの店に行き、昨日の私の
  コンペや他の仲間の一昨日のコンペの話の他にゴルフクラブについて話をして1時間ばかり過ごしました。
  その後、
「皿貝接骨院」に行き、腰の治療と体の調整をしてもらいましたが、先生に体を揉みほぐしてもらってい
  る最中に、昨日の疲れが出たのか、完全に寝てしまい、先生に声を掛けて起こしてもらうまで、全く気が付きませ
  んでした。自分ではそれ程疲れているとは思っていませんでしたが、やはり、疲れは直ぐには取れないと思い、
  午後からプールに行く積りでしたが、明日からの中国旅行も考えて家で休養しました。
  第2土曜日なので午後6時から団地安全協議会の幹事会があったので出席し、引き続き、午後7時から夜間安全
  パトロールを行いましたが、出発する頃はまだ少し明るさが残っているので陽が長くなったと思いました。

  明日15日(日)から21日(土)まで
「武当山と秘境の神農架絶景と不思議に出会う旅 7日間」(クラブツーリズム
  五千年倶楽部)に行くので荷物のチェックをしました。今回はいままでツアーであまり行った事がない
”神農架国
  家地質公園”
という高地の自然公園のような所に行くので、添乗員から持って行った方が良いという物の連絡
  があったので、その中から自分で取捨選択してスーツケースに入れましたが、使わずに持って帰るものが多いよ
  うな気がします。



 5月13日(金)
 
 今日は「東海岡山県人会ゴルフコンペ」が豊田市の”ロイヤルカントリー下山コース”であったので参加しました。
  昨日に続き、爽やかなゴルフ日和だったので、「天気の文句は付けられません」と
  
幹事のY.Mさんがルール説明の時に一言いうほど素晴らしい天気でしたが、私のゴ
  ルフの方は今日も同じ事の繰り返しというか、ショットはまずまずでしたが、アプロ
  ーチの失敗で1打余分に叩く事が多く、前半のクラウンコースは
46でしたが、後半
  のプリンスコースは
50トータル96というスコアで、ダブルペリアハンデが19.2付
  いてネット76.8でした。優勝は一緒に回った幹事のY.Mさんが
40.42の82でダブル
  ペリアのハンデが12で
ネット70というスコアでした。
  今日のコンペも参加者19名の内、70歳以上が12名で60%以上を占めている事にな
  りますから、ゴルフ場の方も高齢化対策と女性対策でいろいろ気を使っているようで、このゴルフ場は女性のシ
  ニア(60歳以上)ティを作っていましたが、私のメンバーの日吉ハイランド倶楽部でも同じように女性シニアと男
  性80歳以上を同じティで打たせるようになりました。
  終わってからの懇親パーティの様子を見ていても、70歳以上といっても皆さん本当に元気そうで、ゴルフ人口の
  高齢化はまだまだ続きそうだと思いました。


 
5月12日(木)
  昨日とは打って変わって、爽やかな風の吹く気持のよい日になりました。午前10時から
「東部中国語研究会」
  あったので出席しました。いつもの様に最初にヒアリングをやり、その後、復習的なプリントをやりましたが、先生
  から
「前に習ってますね。」と言われて、覚えている事が半分位しかないので自分ながら情けなくなりました。
  終わってから、先生に2週間前に熊本から避難して来た97歳と93歳のご両親の様子を聞くと、来た当時は地震の
  夢を良く見ていたらしいが、最近は気持が落ち着いて来たらしく、こんどは早く熊本に帰りたいと話しているそ
  うです。やはり、何があっても自分達の住んでいた土地が一番だと思うのは当然の事なので、一日も早く帰れる
  日が来ると良いと思います。


 5月11日(水)
  朝、新聞を取りに玄関を出るとムッとした生温さを感じました。雨が降った直後でしたが、気温が高いのか、湿気
  を含んだ空気が淀んでいる感じ、昨日までとは違う曇りの天気でした。
  家内はお茶の稽古があるので、午前9時過ぎに出かけましたが、私は中部大学が午後からなので、午前中に昨日
  出て来た腕時計の電池探しと綿棒、コピー用紙を買う為、近くにある
「カーマホームセンター」に行き、探したら
  3点ともあったので
「カーマ」で買って帰り、時計の電池交換と綿棒の箱移しをやりました。
  お昼を食べてから、午後1時35分からの中部大学の
「日本語の歴史」(蜂矢真郷教授)の講義を受ける前に、昨日
  のアフリカシンポジウムの基になった
”松浦コレクション”を見る為に早目に家を出て「民族資料博物館」に行きま
  した。展示されている仮面や彫像は松浦晃一郎氏が1961年以来長年にわたって収集したもので、マリやガーナ、
  コートジボワールの部族のものが多く、ほとんどが冠婚葬祭に使用された物らしいのですが、よく見ると、顔の表
  情でユーモラスな物もあり、作った人がどんな思いで作ったのだろうかと思いました。
   

  午後3時前に講義が終わり、家に帰ってプールの用意をして市民プールに出かけましたが、天気が悪いせいか、
  25mプールに行くと1人しかいなかったので、水泳専用レーンは貸切状態でした。こんな事はたまにしかないので
  、今日はゆっくり泳ぎを楽しみました。その後、流水プールで40分歩きましたが、こちらも人が少なかったので、
  思うように歩けて、いつもこうなら良いと思いましたが、午後5時前には水泳教室の子供達が来て、その夢も現
  実に引き戻されました。


 5月10日(火)
  今日も昨日と同じような天気で、朝から雨が降っているような、止んでいるようなはっきりしない天気でした。
 家内が今年なってから頼まれていた
退休寺の本堂に奉納する天井画がやっと完成
 したから写真を撮ってほしいと言うので撮りました。画題は自由だと言われ、いろ
 いろ考えた末に
”桜”にしたようですが、いざ描こうと思うと思ったより難しかった
 ようです。1つには杉板の上に直接描くのに木の油分で絵具が弾かれて、のりが悪
 いので、天井画の経験のある臼井先生に聞いて、ドーサを引き、胡粉で下地処理を
 してから描き始め、円形のキャンパスに描くのも構図が決まらず苦労していました
 が、何とか見栄えよく仕上がったようです。
 裏面は願い事(家内安全、交通安全)を自由に書いて、製作者氏名と決められた文
  字を書くように決められていましたが、家内は写仏画をやっているからと、自分の守護神の千手観音を書き足し
  ていました。

  午後から中部大学で
松浦晃一郎学事顧問(社団法人アフリカ協会会長・前ユネスコ事務局長)が西アフリカで収
  集した仮面や彫像など104点を”松浦コレクション”として「中部大学民族資料博物館」で公開展示する記念シン
  ポジウム
「アフリカへのまなざし・・・広大な自然と多彩な文化」が不言実行館で開催されるので参加しました。
 第1部は和崎春日教授の開会の辞の後、飯吉厚夫総長の祝辞があり、引き続き、
松浦晃一郎
 氏
の講演がありましたが、配布された経歴を見ると、1959年に外務省に入省後、1961年に24
 歳でガーナ大使館に勤務したのがアフリカとの関わりの始めで、その時に英語とフランス語
 が出来たので、西アフリカ10か国の担当になったそうです。
 その頃にアフリカ文化に感銘を受け、彫像や仮面を集め始めたそうです。その後、外務審議
 官やフランス大使をした後、1999年~2009年までユネスコ事務局長を務め、この時にアフリ
 カの踊りや歌、儀式などの無形文化遺産を守る為に奔走したそうです。アフリカ54か国の内
 52か国を訪問していて、この数は外交官や国際機関の長ではあまり例を見ないそうです。
  講演の内容は収集した仮面や彫像の事ではなく、松浦氏のアフリカに対する思いや現在抱えている問題、今世
  紀末はアフリカの時代になるという事でした。
  第2部としては午後3時からのパネルディスカッションでは中部大学でアフリカ
  に関する研究や調査を行っている先生や調査員が自分の関わっている研究を
  15分程度で発表し、その後で質疑応答・全体会議でしたが、最初に
青木澄夫教
  授
が”アフリカに羽ばたいた中部大生”、次に大橋岳講師が”西アフリカのチン
  パンジー”、
佐藤尚子調査員が”コーヒーから考える南北問題”、古澤礼太准教
  授
が”ガーナアクラのガ民族について”、嶋田義仁教授の”黒アフリカのイスラ
  ーム文明について”、
和崎春日教授が”カメルーン・バムン王国の仮面”
と次々
  に興味深い研究を発表されましたが、特に私が驚いたのは佐藤尚子調査員の
  タンザニア・キリマンジェロコーヒーの件で日本では高級なコーヒーですが、実は値段は日米欧で決められ、現地
  の生産者の取り分は2%しかなく、タンザニアの業者が8%で日本の業者が90%も取っているというのは搾取に
  近い形だと思いました。他の方の講演でもアフリカは独立しても植民地時代の影響が残って、未だに欧米の資本
  が力を持っていて、アフリカ単独では開発や工事が出来ない状況が続いているそうです。
  各パネラーの発表に時間が掛かったので、最後の質疑応答や意見交換が時間が無くて、少ししか出来なかった
  のは残念でしたが、出席者全員が熱のこもった話だったので、アフリカに対する関心が高まった事は間違いない
  と思いました。フランスのパリにいる私の
姪のmikaさんがアフリカの為に何かしたいと言っているのが、少しだけ
  理解できるような気がしました。

 午後5時半過ぎに家に帰ると、家内が何処に遊びに行ったのか分からないので、帰り道が分
 からなくなったのではと思ったと冗談半分に行ってました。家内が剣道から帰って来る前に
 出かけ、今日は予定を何も言ってなかったので申し訳なかったと思いましたが、私自身もシ
 ンポジウムを途中で抜けて帰って来る積りだったのが、思ったより中味が充実していたので
 最後までいる事になりました。
 家内は午後3時頃に娘から2日遅れの母の日プレゼントのお花が届いたので、早く私に見せ
 たかったようですが、娘からは一昨日、日曜日に注文して火曜日に着くように手配してある
 からと言って来たので分かっていましたし、私は我が家よりは
婿のnao君のお母さんにしっか
  り孝行してほしいと思っています。



 5月9日(月)
  朝から今にも降りだしそうな天気でしたが、午前9時過ぎからぽつぽつと雨が落ちだし、一日中、小雨の降る日
  になりました。そんな中、王子ゴルフ練習場に行き、1時間だけ2階で練習し、帰ろうと思って1階打席を除くと1番
  の左打席で久し振りに我が家の
隣のI.Kさんが練習している姿が見えました。
  
I.Kさんは2年位前から腎臓の調子が悪くなり、食事療法などで透析をせずに頑張って、ゴルフも止めていました
  が、1年位前から透析を始め、体調が少し良くなって来たので、ゴルフをやりたいと、先週から練習を再開したと
  聞いていたのですが、練習場で会ったのは初めてでした。
  2年以上のブランクがあり、歳も75歳になったので、なかなか感触も戻らないようで、ナイスショットは少なかっ
  たのですが、それでも、もう一度やろうという意欲が出て来た事が素晴らしいと思いますし、あと何回か練習す
  れば、感触も戻ってくると思うので、本番のラウンドも間もなく出来ると思いました。
  
85歳のK.Kさん「まだ若いんだから大丈夫だ」と太鼓判を押していましたが、我が家の近くにはK.KさんI.K
  さん
のようなお手本がいるので、私もまだ大丈夫と思えるのは心強い限りです。


 5月8日(
  最近、私が庭の雑草取りをほとんどしなくなったので、家内が毎日のようにこまめに雑草を抜いています。今朝
  も天気が良かったので朝食が終わった後、少しの時間を惜しんで庭に降りた家内が「ガーベラが久し振りに咲い
  ている」と言いに来たので行って見ると黄色の
ガーベラが一輪だけ咲いていました。直ぐ近くには小判草がい
  っぱい出ていて、
夏しゅうめい菊の白い花とヒオウギの赤い可憐な花もあちこちに咲き、あやめも今が盛りと鮮
  やかに咲いて目を楽しませてくれています。
   


  お昼を食べ終わって、休んでいる午後2時頃に宅配便で東京の長男夫婦から”母の日”のプレ
  ゼントでお花が届きました。毎年の事ですが、感じの良いアレンジフラワーで嫁のsayaさん
  か、長男か、それとも、依頼を受けた花屋さんか分かりませんが、いつも家内が褒めていま
  すから、きっと、センスの良い人が選んでいると思います。
  そんな話を家内としている時に娘からSkypeがあり、今日は
”母の日”なので婿のnao君の実
  家に行って、一緒に夕食を食べる事になっていると言うので、娘が作るのかと思ったら、実
  家のお母さんが作ってご馳走してくれると聞いて、本当に有難いというか、申し訳ないと思
  うと同時に、娘一家を可愛がってくれているのが良く分かりました。何も出来ない娘でも性
  格だけは素直なので、それが気に入られているのかなと思いますが、娘には
nao君のご両親に孝行してもらい
  たいと思っています。
  その娘が
「母の日のプレゼントは今日送ったから」と言ってましたが、それも娘らしいと家内は笑っていました。


 5月7日(土)
  今朝もいつもの土曜日と同じでモスバーガーの店に行き、ゴルフ仲間と打ち合わせと世間話をして、午前10時前
  に店を出ましたが、今日は駐車場がいっぱいになっていて、お店に迷惑だったかなと思いました。コーヒー1杯で
  6,7人の大人が2つのテーブルを使うと、満員の時にはお店にとって良い客とは言えないので、満員になる前に
  席を立つようにしていますが、それでも、話が盛り上がっていると気が付かない時もあるので、どう思われてい
  るのか気になる時があります。
  みんなと別れてから
「皿貝接骨院」で腰の治療を受けて、お昼までに時間があったので「清水屋」に行き、小さめ
  のリュックを探していたら、手頃な大きさのリュックがあったので、会員割引の2割引きで買いました。
  午後12時過ぎに家に帰ると、お昼にソーメンを一緒に食べる積りで待っていた家内に待っている内におかずだけ
  先に食べて、お腹いっぱいになったとボヤかれて、申し訳け無かったと謝りました。茹で上がって出て来たソー
  メンを食ていると、私の好きな季節が近づいたと実感できました。

  お昼を食べ終わった頃に岡山の友人で
和菓子屋「翁軒」の主人T.M君から電話があり、「珍しい人が来ている」と
  言うので、代わった人と話すと、岡山県人会で同じ監事をやっている
K.Fさんが奥さんに頼まれ、”調布”を買い
  に
「翁軒」に初めて行き、話している内に、お互い、私を知っているという事が分かったと言ってました。K.Fさん
  と話すついでに
”不老餅”も美味しいですよと言ったら、追加で買われたようでした。
  その後、
T.M君からもう一度電話があり、K.Fさんがお昼をまだ食べていないと言ったから、私の兄の店串揚げ
  
「山留」を紹介しておいたと言うので、店に電話して姪のmihoさんに「F.Kさんが行ったらよろしく」と言っておい
  たら、午後1時半過ぎに
mihoさんから連絡があり、F.Kさんに代ったので、店に行ってくれたお礼を言いましたが、
  人間の縁というのは何処でつながるのか分からないと改めて思いました。



 5月6日(金)
  昨日が嘘のような肌寒い曇った朝で半袖どころか、午前中、長袖にセーターを来て「南部中国語同好会」に行き
  ました。会場の南部ふれあいセンターでも今日から平日のスケジュールになったのか、親子体操教室に若いお母
  さんが小さな子供と一緒に来ていました。
  午後からの
「坂下パソコン同好会」には20名の定員で1人欠員が出ていましたが、今日から新しく入会する人が
  来て、また定員いっぱいになりました。他の同好会では会員不足で存立が危うくなっている所が多いのですが、
  パソコン関係の同好会や講座だけは早々といっぱいになるのは、歳をとってもデジタル化について行こうとす
  る人達が多いせいだと思います。
  私達の歳になると今日習った事を1週間後にやれと言われて、直ぐに出来る人は僅かだと思いますが、繰り返し
  てやっていれば、少しは頭に入るので、皆さん諦めずに継続している事には本当に頭が下がります。
  今日も
エクセルで表を作り、条件付き書式を使って表の整理を習って、皆さん、初めての様に驚いていましたが、
  先生に何年か前に教えましたよと言われ、習ったような気がすると言ってましたが、私も同じで聞いた事はある
  が、やり方は全く忘れているのに気が付く自分にあきれました。

  午後4時半に予約してあった
「前多歯科」に行きました。というのは、最近、家内から歯が黒くなっている所があ
  るから虫歯になっているかもしれないと言われたので、気になって、念のために診てもらいに言ったのですが、
  先生から単なる歯の汚れで、歯磨きの仕方が悪いのが原因だと言われ、歯ブラシと歯間ブラシの併用でちゃん
  と磨けば80歳までは大丈夫だと言われたので、帰りに薬局で歯間ブラシを買って帰る事にしました。
  歯間ブラシは、以前、娘から貰った事があったのですが、太さが
LLからSSSSまで7段階もあるのを初めて知り、
  取り敢えず、LとSを買い、家に帰って、早速、使ってみましたが、Lは太くて駄目でSが何と使えたので次回から
  SかSSにしようと思っています。


 5月5日(木)
こどもの日
  今日も”こどもの日”にピッタリのような過ごしやすい日になりました。ゴールデンウイークも今日までの人もい
  るし、8日(
)までの人いるようで、午前10時頃に待ち時間がどの位かなと思って王子ゴルフ練習場に行くと、
  2階ならすぐできますと言われたので、2階で練習しましたが、祝日と言うのに女子プロの寺澤範美さんのゴルフ
  スクールは休みなしでやっていました。
  家内は今日は久し振りに何も予定が無い日だから、天井画に専念すると言ってましたが、描いては草抜きをした
  り、庭の花を観賞したりして、なかなか、集中できないようです。
 私は家内の邪魔をしないように、午後から清水屋に買い物に行き、前
 から迷っていたウオーキングシューズを2割引で買いました。いつも
 は半額割引を見つけて買うのですが、今回の靴は定価でしか買えな
 い靴なので、
”こどもの日特売”で会員は2割引きになると聞き、買う
 気になりました。リュックも迷ったのですが、慌てる事は無いと思い、
 もう少し探してみてからにしました。
 家に帰る途中の19号線が珍しく渋滞していたので、何事かと思ったら
 、車3台の接触事故があったらしく、パトカ-が2台来て、現場検証を
  していましたが、スポーツカーに乗った若者と障害者マークともみじマークの付いた軽自動車の老夫婦、ワンボ
  ックスカーに乗った子供2人連れの30代の夫婦の事故のようですが、幸い、大けがをしている人はいないようだ
  ったので不幸中の幸いでしたが、連休中の事故は嫌なものだと思います。



 5月4日(水)
みどりの日
  朝から爽やかな風の吹く天気になり気持のよい一日になりました。午前中、家内は天井画の制作を集中してやっ
  ていたので、私も中国語の宿題と言うか課題の文章造りに専念しました。
  今日は祝日ですが、家内は
「味美日本画同好会」があるので、制作中の天井画を臼井治先生に見てもらって、ア
  ドバイスをして貰う為に出かけて行きました。私は今度の中国旅行で小さなリュックが必要かもしれないと思い、
  探しに出かけましたが、「ヒマラヤ」や「好日山荘」、「ドンキホーテ」等、どこの店も買い物客でいっぱいでした。
  私の思うようなリュックはなかなか無くて、これはと思う物は値段が高く、1万円近くもするので、諦めて帰って
  来ましたが、山歩きやキャンプが好きな人が多いのか、熊本地震でテント村の避難所が話題になったせいか分か
  りませんが、アウトドア製品の所を見ている人が以前より多くなった気がします。



 5月3日(火)
憲法記念日
 
 次男は先日のリベンジと言って、先輩のS.N君と一緒に午前4時に起きて”豊浜漁港突堤”に釣りに出かけました。
  家内は
「春日井都市緑化植物園」で行われている「緑と花のフェスティバル」のお茶会でI.M先生が当番になった
  ので午前8時過ぎにお茶会のお手伝いに行きました。
  私は、昨日、出足が遅くていっぱいだった王子ゴルフ練習場に午前8時半に行きましたが、祝日だけに辛うじて打
  席が確保できたので、1時間練習して帰りました。
  午後2時過ぎに名古屋吹上ホールで開催中の
「名古屋骨董祭」に行きましたが、今日が最終日のせいか、売れ行
  きが悪いからなのか分かりませんが、既に商品を片付けている店もありました。私も特に買いたい物がある訳
  ではなく、一回りして見ましたが、ゴルフのマーク用に貿易銀の銀貨のコピーを500円で買っただけでした。
 会場内で感じたのは本来の陶磁器や漆器の骨董類を扱う店
 より、西洋アンティークや古着を扱う店が多くなり、お客さん
 もそういう物を探している人が多くなったように思いました。
 私が午後4時半頃に家に帰ると、間もなく、家内がお茶会の手
 伝いを終わって帰って来ましたが、今日は風が強かった分、大
 変でしたが、暑さは感じなかったので楽だったそうです。
 それでも疲れているようだったので、夕食はカレーの残りで
 簡単に済ませて、一休みしている時に次男が帰って来て、海
  釣りを再開して初めて釣れたと言いながら、クーラーボックスから100匹近い小イワシと2匹のサッパを取り出し
  ました。家内が頭と内臓を取りながら数えると
イワシが89匹とサッパが2匹の合計91匹が本日の釣果でしたが、
  夕食が終わった後なので、家内は圧力鍋で甘露煮にし、半分を
先輩のS.N君の家に届けさせました。


 5月2日(月)
  朝から上天気で日中は気温が28度の予想が出ていましたが、午前9時半頃に家内は明日のお茶会の準備で出か
  けると言うので、私は連休の合間だから空いていると思って、王子ゴルフ練習場に行くと、駐車場がいっぱいで
  車が止められないと状況でした。運良く1台出て行ったので、そこに停めて待ち時間を聞きに行くと、かなりの待
  ち時間でハッキリわからないと言われたので、練習はあきらめて
「皿貝接骨院」に行きました。
  1時間程治療を受けて、中部大学の
「アジアの歴史A」の講義に行きましたが、こちらも連休の合間で休みの学生
  が多いかと思ったら、いつもの講義と同じような感じで、今の学生さんは真面目なのかなと思いました。
  3,4時限目の講義が午後12時45分に終わり、家に帰って遅めのお昼を食べてから一休みして、午後3時頃からウ
  オーキングに行きましたが、天気予報通りの暑さで半袖半ズボンでもしっかり汗を掻きました。
  家内もお茶会の準備から帰って来て、今日の暑さが明日も同じだったら、お茶会は野点なので、暑さ対策をどう
  しようと悩んでいました。私は天気予報では今日より少し気温が低いので大丈夫だと思うよと言いましたが、曇
  りなら少し楽だと思いますが、陽が出ると和服で外でやる人達は大変だと思います。



 5月1日(

  今日から5月ですが、孫台風が来ている今の我が家では月が替わっても家内にとっては余り関係なさそうです。
  今朝も午前5時過ぎに目が覚めたので、少し、ふとんの中で過ごし、午前5時半過ぎに下に下りて行きましたが、
  まだ誰も起きてはいませんでしたが、次男は
先輩のS.N君と釣りに出かける為に午前4時半過ぎに家を出たよう
  です。私が朝食を終えた午前6時過ぎに家内が起きて来て
「mn実ちゃんは?」と聞いたので、まだ起きて来てな
  いと言うと、娘達の寝ている部屋に行って、
上のmn実を連れてきました。
 上のmn実は早起きですが、母親が起きるまで布団の中で待っている
 子なので、家内はとっくに起きていると分かって迎えに行ったようで
 す。午前7時前には
下のnt実も起きて来て、最後に母親のayuさん
 起きてきました。
 午前9時過ぎに家内がいつも行く
「春日井都市緑化植物園」に行こう
 と言うのでみんなを乗せて連れて行きました。
 丁度、
「緑と花のフェスティバル」を開催中でスタンプラリーもやって
 いましたが、少年自然の家まで対象地域だったので、下のnt実には
  無理かもしれないと思い、2人が遊んでいる内に私が2人の代わりにスタンプを押しに行きました。午前10時過ぎ
  にみんなの所に戻り、スタンプラリーの紙を2人に渡し、最後のスタンプを植物園の管理棟で押してもらい、参加
  賞とガチャガチャの賞品を貰って2人はご機嫌でした。
  その後、食品スーパー
「フィール」に行き、お昼に食べるお好み焼きとタコ焼きを買い、みたらし団子は今日は特
  別サービスでお好み焼き1枚につき1本付くと言われたので買わずに済みました。お昼を食べてから、午後2時過
  ぎに迎えに来た
婿のnao君の車で元気よく帰って行きました。
  
  5月1日の我が家の庭はなかなか賑やかです。濃い紫やピンク、白のクレマチスやあやめ、イチハツなどの花が
  咲き、先月から咲き続けている白や青のオダマキ、オオデマリや卯の花、センダイハギや十二単等の花が未だに
  私達の目を楽しませてくれています。私は暑い夏が好きですが、新緑や花が沢山咲く、今の季節が一年で一番
  華やかな季節かもしれません。
   
  
  
 
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