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  5月31日(
  午前11時過ぎに「沖縄・台湾クルーズ」の荷物の回収に来たので、私と家内のスーツケースを1個ずつ出しまし
  たが、神戸まで往復で4,900円×2個=9,800円ですから、結構、高い料金だと思いますが、楽をする為の代償
  としては仕方が無いのかもしれません。
  午後4時過ぎから久しぶりにプールに行きましたが、この所の暑さでプールも子供達や家族連れで賑わって
  いました。明日から6月ですが、いよいよ夏本番と言う前に梅雨がありますから、そうもいかないと思います
  が、それにしてもこの暑さはまだ続くのでしょうか。



 5月30日(土)
  午前9時過ぎ、久し振りにいつも行くモスバーガーの店にお茶を飲みに行きましたが、今日はいつものメンバ
  -が少ないので、何かあるのかなと思ったら、小学校の春の運動会をやっていると聞き、そちらに行ってる人
  がいるんだと納得しましたが、名古屋の孫も今日が運動会だと聞いていたので、この地方は同じ日にやるの
  かなと思いました。
  1時間程、先日の
「桃球会コンペ」の反省をして、帰りに6日(土)からのクルーズ用の薬を買い足して、家に帰っ
  てから、明日、先に送るトランクの荷物の最終確認をしました。通常の海外旅行と違って、
ドレスコード(服装の
  基準)があり、フォーマルの時にダークスーツ着用になっているのが余分な荷物だと思っています。


 5月29日(金)
  家内は小学校時代の友達の娘さんが名古屋でミニコンサートを開くので来てほしいと手紙を貰ったので、午
  前10時過ぎに出かけると言ってたので、私は
「南部中国語同好会」があるからと先の家を出ました。
  午前10時前に南部ふれあいセンターに着いて、いつもの部屋に行くと、鍵がかかっているので、おかしいなと
  思いながら、スケジュール表を見たら、先週、中国旅行中に南部中国語と書いてあり、私の勘違いで来た事が
  やっと分かりました。最近はよくある事ですが、我ながら情けなくなったのは携帯電話のスケジュール表には
  先週の22日(金)になっているのに、我が家のカレンダーには今日29日(金)に中国語と書いてあることです。
  今朝はカレンダーしか見ずに出かけ、全く、疑う事もなく南部ふれあいセンターまで行ったのは私自身です
  から、誰にも文句は言えません。



 5月28日(木)
 
 今朝、2週間ぶりに庭を見たら、下野夏シュウメイギク京鹿の子が満開になっていて、八重の紫のクレマチ
  ス
も庭の隅でいつの間に咲いている感じだし、ヒオウギも小さな可憐な花を咲かせて、心を和ませてくれて
  います。いっぱい花の付いた柚子も小さな実を付けたものがあるので、今年は久しぶりで収穫ができそうで
  すが、レモンは花がほとんど落ちてしまい、ほんの少しだけ実になりそうですが、収穫は?のようです。
   

  午後2時からJTB春日井支店で来月6日からの「台湾クルーズ」の最終の説明を受けましたが、トランクを宅急
  便で送るのなら、明後日30日までに荷物を回収するので、それまでに申し込んで、荷物を出してくださいと言
  われたので、家に帰ってから、家内と大急ぎで荷物の用意を始めました。
  出発までに1週間もあるので、前々日くらいまでに出せば良いと思っていたら、クルーズは一度に乗る乗客数
  が多い(定員は2560名)ので、早目に回収するのかなと思いました。
 打ち合わせが早目に終わったので、中部大学の
「東アジアを知
 るA」
(宗ティンティン講師)の講義に行くと、今日は”NHK古代史
 スペシャル”のビデオを鑑賞して遣唐使・吉備真備と遣唐僧・玄
 昉(げんぼう)の事を取り上げているのですが、その中で玄昉
 が「洛陽で見た大きな
”盧舎那仏”を作りたい」というセリフを
 聞いて、先日、洛陽郊外の
”龍門石窟”で見た則天武后をイメー
 ジした
”盧舎那仏”が奈良の大仏のモデルらしいと言う話が、本
  当だったと思いましたが、一度、写真で確かめようと思い、奈良の大仏の写真があったので比べてみました
  が、写真の顔が似ているかどうかは皆さんの判断にお任せしますが、時の王様や天皇が民心の安定を図る
  為に作ると言う目的は似ていると思いました。


 5月27日(水)
 
 今日は前から予定の「桃球会」のコンペが日吉ハイランド倶楽部であったので、喉の痛みがありましたが、副
  幹事でもあり、休むわけにはいかないので参加しました。本来、月曜日に帰国して、昨日、少しアプローチでも
  練習すれば何とかなるかなと思っていたら、延泊で昨日の帰国になったので、本当にぶっつけ本番のラウンド
  になりました。
  今日は天気予報では32、33度になると言ってたので、
「熱中症に気を付けてプレーしてください。」幹事の
  H.Aさん
から注意があったので、水分を多めに摂るように心がけました。スコアの方はドラバーショットは一緒
  に回った皆さんが驚くような、良いショットの連続でしたが、その後のアイアンやアプローチが思うように打
  てず、その上、今日は高麗グリーンだったので、いつもの様に球が走らず、途中で止るので、パットがおかしく
  なってしまい、結果は
44.48の92でハンデキャップ16、ネット76の13位でした。優勝は一緒に回ったM.Mさん
  スコアは
36・39の75でハンデキャップ10、ネット65の7アンダーでした。
  午後5時半過ぎに家に帰ってから
坂井耳鼻咽喉科に確認をしたら、今の診察番号が68番で私の予約は84番
  なので、少し、休憩してから家内に送ってもらい診察に行きました。診察の結果、先生に
「喉の後側がかなり赤
  くなっているので痛いでしょう」
と言われ、一週間分の抗生物質と痛み止めを飲むように処方されました。


 5月26日(火)
  中国旅行から予定より1日遅れで午後2時半頃に家に帰ってから、荷物の整理や留守中の手紙、書類に目を通
  している内に家内は
「ひかり接骨院」に整体に行きました。この所、股関節の調子が悪く、歩く時に痛みが出る
  事があるらしく、来月6日からの台湾クルーズまでに直しておきたいと先生にお願いしているようです。
  私は仕事をしている訳ではありませんが、12日間も留守にしていると、色々な案件があるものだと思いまし
  た。県人会やパソコン同好会、ツアーの件等、大したことではないが、連絡や返事を必要とする事があるもの
  だとつくづく思いました。
  夕食の時、家内に中国ツアーの話をしたのですが、一昨日から喉が痛くなり、風邪薬を飲んで良くなったと思
  ったら、話している内にまた喉が痛くなったので、明日のゴルフが終わってから
坂井耳鼻咽喉科に行く事にし
  て、早目に寝るつもりでしたが、テレビを見ている内に午後11時近くになってしまいました。



 5月15日(金)~5月25日(月)
クラブツーリズム”五千年倶楽部”「大黄河の壺口瀑布と中原地方6つの世界遺
  産巡り 11日間」
のツアーに1人で参加しました。3月に続いての参加ですが、今回も行きたかった世界遺産(平
  遥古城や雲崗石窟、龍門石窟etc)がコースに入っていたので少し長い日数ですが、元気で行ける内にと思い
  参加しました。ツアーメンバーは定員いっぱいの20名(夫婦5組、女性一人組1名、男性1人組9名に添乗員の渡
  邉彩子さんの21名でした。
  
  
15日(金)午前4時半に起床、朝食後、家内に春日井駅まで送ってもらい、金山駅乗り換えで中部国際空港には
  午前6時30分に着きました。受付カウンターでeチケットとガイディングレシーバー(無くすと8,500円)を受け
  取り、搭乗手続き(通路側の座席を確保)をして、手荷物検査、出国手続をして23番搭乗口に着いたのは午前
  7時半頃でした。時間があったので中国元は現地の方が良いと思ったので、6月に台湾クルーズに行く時に現
  地で必要だと思い、台湾ドルを1万円だけ両替しましたが
10,074円で2,300台湾ドルでした。
  午前8時20分から搭乗開始で中国東方航空MU744便は定刻の午前9時に出発しました。出発後、1時間ほどし
  て機内食が出たので、魚料理を食べましたが、可も無し不可も無しの感じでしたが、配ってくれたパーサーは
  中国人には珍しく感じの良い男性でした。

  MU744便は定刻の現地時間10時50分に青島空港に到着しましたが、空から見た青島は海に面したところはリ
  ゾート地の雰囲気でした。青島空港でいったん降りて、入国手続きをしてから、再び、荷物検査を受けて同じ飛
  行機で北京に向かいました。午後12時に出発し、午後1時10分に北京空港に到着しましたが、国内線になった
  せいか、空港ビルにはバスでの移動になりました。
   
  到着口で男性
現地ガイドの陶さん(51歳)の迎えを受け、午後2時にバスで400km先の大同市に向かいました
  が、高速道路も北京市街地を抜けるまで渋滞があるので休憩も入れると5時間から5時間30分は掛かるとガ
  イドの陶さんに言われました。
  予想通り、空港から高速道路に乗ると間もなく車の数が多くなり、渋滞になりましたが、ノロノロ運転で進む
  程度だったし、車内で両替
(1万円で480元)したり、ガイドの陶さんから北京の歴史を聞いたりしていたので、
  あまり、気にはなりませんでした。車窓から見ると相変わらず建設中の建物があちらこちらに見えましたが、
  北京では以前ほどの勢いはない感じでした。1時間ほど走ると車もスムーズに走れ、途中、車窓から何ヶ所か
  万里の長城が見える道路を走り、2時間程走った所で
「官庁服務區」でトイレ休憩をしましたが、この辺りは大
  きな北京の水源になっている湖があり、風の強い所で周辺には何十カ所も風力発電の風車がありました。
   
  さらに2時間走り
原服務區」でトイレ休憩をしましたが、ここで乗用車を19台も積んだキャリアカーを見た
  ので近寄って見ると私の乗っている
”ニッサンXトレイル”でした。こんな所で同じ車を見ると懐かしい気がしま
  したが、運転手の話ですと中国では500万円位するそうです。
  15分ほど走ると河南省から山西省に入った所に料金所があり、そこでバスの運転手が免許証の確認をしてい
  る間に警官がバスに乗って来たので何事かと思ったら、シートベルトの確認でやっていない人は注意されて
  いました。今は事故が多いので中国もシートベルト着用がうるさくなっているそうです。

  北京空港を出発して5時間、午後7時に大同市に入りましたが、大同市は人口330万人で1,500年位前の中国
  南北朝時代に北魏の都だった街です。内モンゴルから50km位しかない所で標高1,000m位あるので朝晩の寒
  暖の差が大きく、今朝も2℃で昼間は19℃まで上がったそうです。遊牧民の血が入っている陶さんは慣れて
  いるが皆さんは水分を多めに取り、体調管理をしっかりやってくださいと言われました。
   
  午後7時30分に今日明日の宿泊先
「宏安国際酒店」に到着、部屋に荷物を入れて、午後8時からホテルのレスト
  ランで夕食をしましたが、明日の予定の
”刀削麺”が今日出るので楽しみにと言われましたが、期待は?だと
  思いました。料理1品1品は盛り付けも良く、味もまずまずでしたが、
”刀削麺”は予想通り大したことはありま
  せんでした。と言うよりはこちらの麺はコシが無いのが普通だと思って食べればおいしいかもしれません。

  
16日(土)昨夜、寝たのが遅かったのですが、いつも通り午前6時前に目が覚めたので、そのまま起きて午前6
  時30分に朝食に行きました。朝食ビュッフェは品数は多くはありませんが、こじんまりしていて、玉子も焼いて
  くれるし、麺も作ってくれるので、私には丁度良い感じだと思いました。
   
  午前8時30分にホテルを出発し、
「雲崗石窟」に向かいました。大同市は元々石炭の町で2012年までは景気も
  良かったのですが、最近は少しづつ悪くなっているので、それを見越した市長が観光に力を入れる為に施設
  の整備を始め、その一番手が「雲崗石窟」だそうです。
「雲崗石窟」は敦煌の「莫高窟」、洛陽の「龍門石窟」
  並び中国3大石窟の1つに数えら、いずれも世界遺産に登録されています。
  午前9時過ぎに「雲崗石窟」の入場口に着きましたが、最近は入場してから本来の雲崗石窟まではいくつかの
  場所を通って行くようにしたので以前よりは長い距離を歩かなければならなくなったそうです。雲崗石窟を
  開いた曇曜の銅像のある曇曜広場や今では僧侶がいなくなったお寺の中をを通って午前9時50分に本来の
  雲崗石窟に着きました。
  「雲崗石窟」は北魏の第3代太武帝が儒教・道教を重んじ仏教を弾圧した為、あとを継いだ文成帝が仏教の興
  隆につとめ、452年に平城(大同の古称)の郊外に開いたのが雲崗の石窟寺院だったそうです。
   
  延長1kmに亘って大小の洞窟があり、東側から順番に番号が付いているので、完成の時代は関係なく、東の
  第1石窟から見る事にして、
ガイドの陶さんの説明をガイドレシーバーで聞きながら回りました。第1第2石窟は
  双窟と呼ばれ、5,6年前に解放されたばかりで、メインは第3石窟から第20石窟との事でした。
  第3窟は雲崗石窟最大の洞窟ですが未完成なのか仏像は少ししかありません。
”第5窟”は彩色された大仏が
  見事で、
”第6窟”では釈迦の一生を描いたレリーフや2000体の仏像などが見事だと思いました。第9窟~第
  13窟は清代に色を付け重ね華美に見える所から
”五華洞”と呼ばれています。
  
  
  第16窟から第20窟は曇曜が最初に開いたので
「曇曜五窟」と呼ばれています。これらの石窟の中にある五大
  仏は文成帝など北魏の5人の皇帝をなぞらえて作っているそうです。どの大仏も見事ですが、やはり、前壁が
  崩れ落ち、姿を表した第20窟の大仏が一番だと思います。
  

  ガイドの陶さんの丁寧な説明と石窟の見事な石像や大仏を見ている内にあっという間に2時間経過し午後12
  時前になっていました。
  雲崗石窟を後にして大同古城内の南城門近くのレストラン
「景観楼風味食府」で昼食を食べましたが、どの料
  理も味付けが良く、皆さんが
「おいしい!おいしい!」と喜んで食べていましたが、面白かったのは運搬用に
  ウエイトレスの恰好をしたロボットがいた事です。食べに来ていた子供達は興味津々でした。
   

  午後1時40分にレストランを出て、バスに行く途中で、善化寺の
"五龍壁”を見ましたが、なかなか見事なもの
  だと思いました。次にバスで5分位の所に
”九龍壁”がありましたが、”中国3大九龍壁”の1つで高さ8m、全長
  45.5、厚さ2mで中国最大最古の九龍壁だそうです。
  

  九龍壁を見てバスで移動して直ぐ、午後2時前に
「華厳寺」に行きました。ここは昔は”上華厳寺”と下華厳寺”
  の2つに分かれていたそうですが、今は観光用なのか、1つにして上華厳寺から入って下華厳寺から出て来る
  ようにしてあるそうです。
  本来は遼時代(1038年)に出来たお寺ですが、当時のものは少なく明清時代に再建されたり、最近作られたも
  多いようです。
”上華厳寺”の”大雄宝殿”の上に載っている”鵄尾(しび)”は明時代のものですがなかなか立
  派な物でした。”下華厳寺”の
「薄迦経蔵殿」は遼代を代表する建物で中には今まで一度も手を入れていない
  胸像がほとんどで、三世(過去・現在・未来)諸仏や四大菩薩はいずれも眉目秀麗でどれも素晴らしい像でし
  たが、中でも脇侍菩薩の
”合掌露歯菩薩”と名付けられている塑像は目を軽く閉じ、唇を少し開けて微笑んで、
  少し腰を曲げた形で合掌している姿は東洋のモナリザと言われているそうです。
   
  新しく出来た
”華厳宝塔”(四重塔)の上に上って一望すると華厳寺境内が分かり、市内は工事中の場所が目
  立ち、城壁を再建する為や明清時代の雰囲気のある街並みを再現すりために古い昔の平屋や比較的新しい
  建物を壊したりしている所がありました。大同古城の外側には高層のマンションを建築中の所もありました。
   

  午後4時前に今日の見学予定は終了したので華厳寺を出てホテルの戻り、午後6時30分のホテルのレストラン
  での夕食まで自由時間になったので、1人参加者の4人でホテルの傍のスーパーに行き、3月の中国旅行で一
  緒だったEさんは56度の酒を5本買っていました。私は特に買う物も無かったので1人で近くの本屋で中国の
  地図を3枚28元で買いました。その後、土曜日で屋台や露店の出ている通りを見ながらホテルに帰りました
  が、靴下一足1元(20円)と果物のドリアが1斤(500g)12元とか安いものが並んでいてゆっくり見れば買う買
  わないは別として面白いと思いました。
  午後6時前に帰って来て、シャワーを浴びて、午後6時30分に昨日と同じホテル内のレストランに行きました。
  メニューは分かりませんが出て来た料理で昨日と同じ料理が無かったのは大したものだと思いましたし、昨
  日よりおいしく感じました。

  
17日(昨日と同じくらいに起きて午前6時半に朝食ビュッフェに行きましたが、日曜日とあって昨日よりは
  お客さんが多いように思いました。
  午前8時30分にホテルを出発し、最初の目的地の恒山の東の麓にある
「懸空寺」に向かいましたが、郊外には
  お馴染の風景ですが、建築中のマンション群並んでいました。今日は黄砂がかなり飛んでいるようで、遠くが
  かすんでいました。ガイドの陶さんによると大同市では日本の総理大臣は知らないが
高見邦雄さんは知って
  いる人が多いと言ってました。この方は20年位前から黄土高原の緑化の為に、毎年、ボランティアと一緒にや
  って来て植林を続けている人で今でも続けているそうですが、私達が知らなくても大同市の人々が知ってい
  るとは凄いと思いました。
  黄土高原の中を走っているとこの地方独特の
洞(ヤオトン)”と呼ばれる家が所々にありました。夏涼しく
  て冬暖かい省エネ住宅になっているそうです。
   

  1時間半ほど走ると恒山の看板と一緒に懸空寺という案内板が見えると間もなく、岸壁の途中に建物らしい
  ものが見えるとそれが
「懸空寺」でした。字の通り、断崖絶壁に張り付いたように建っているのは、まさに空に
  懸っているように見えました。
  当初は川岸に建てる予定でしたが、洪水が多いので避ける為に絶壁に建てたそうですが、創建当時は地上か
  ら屋根の上まで100mだったのが、黄砂が長い年月に積み重なって、現在は地上から58mになったそうです。
  当初、道教のお寺として建てられましたが、今では道教、仏教、儒教の共通のお寺になっているそうです。
  日曜日とあって混雑していましたが、入口から入ると大勢の人が1列で少しづつ進み、三仏殿や三聖伝を見ま
  したが、狭くて急な階段を上り下りするのは結構大変でしたが、一見の価値はあると思いました。
  

  午前11時30分に出発し、次の目的地
「応県木塔」に向かいました。午後12時40分に応県に着きましたが、街は
  観光用に新しく作った感じで綺麗に整備されていました。昼食会場の
「国利假日酒店」も綺麗な店で料理もな
  かなか良い料理が多く皆さん良く食べていました。
  
  午後1時30分に店を出て、歩いて
「応県木塔」に行きましたが、この塔は1056年に建てられた中国で最古最大
  の木造建築物で、高さ67m、八角九層で木造建築の技術の粋を結集されているそうです。創建当時からほと
  んど手が加えられていないそうです。
  一階を入ると高さ11mの彩色の釈迦像がありますが、以前は上に登れたそうですが、塔が少し傾いているの
  で今では一階のみの見学しかできないそうです。外から見るとその美しさは格別で940年余りの風雪に良く
  耐えて来たと思います。
  
  午後2時30分まで見学し、今日の宿泊先の五台山に向けて出発しましたが、30分程走ると明時代の長城やの
  ろし台が見えましたが、丁度、この頃だけ雨が降っていて、黄砂の影響と相まって写真はほとんど撮れません
  でした。午後4時に砂河という所でトイレ休憩をしましたが、ここは有料トイレで1元ですが、きれいなトイレだっ
  たので仕方が無いと思いました。
  再び、五台山に向かいましたが、途中でにわか雨が降ったり、牛やヤギの群れに道路を塞がれて困ったりし
  ながら進むと雪の残っいる場所もあったので、かなり寒くなる所だと思いました。午後5時にやっと峠に着き、
  カメラ休憩を取りましたが、外に出ると寒さが身に応えるので標高を聞くと2,500mと言われたので寒さも納
  得でした。
   

  20分程で出発し、間もなく五台山の検問所があり、ここでは人間は下車して歩いて検問所を通過しました。30
  分程走り、午後6時に明・清街にある夕食会場の
「妙吉祥養生素紊」に着きました。この店では精進料理を食べ
  ましたが、どの料理も食べやすく、おいしいかったので皆さん大喜びでした。午後7時に出発し15分ほどで今
  日の宿泊ホテル
「花卉山庄」に到着しました。部屋に入ると冷え込むと聞いていたので、暖房をしておこうと
  エアコンのスイッチを探しましたが、無かったので、寝る時には隣のベットの掛布を掛けて寝ました。
   

  
18日(月)午前5時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きて旅行記の整理をして、午前7時からの朝食に行きま
  した。このホテルの朝食ビュッフェは大同のホテルと違い品数も少なく、あまり、おいしそうではありませんで
  したが、私は元々朝食はトーストとコーヒーに果物を食べるくらいなのでそれほど苦にはなりませんでした。
  午前9時にホテルを出発し、最初に行ったのは
「菩薩頂」ですが、このお寺は顕通寺の一部で真容院と呼ばれ
  ていたそうですが、明代にチベット仏教の影響を強く受けて独立し、ラマ教寺院の第一とされて、五台山のポ
  タラ宮と呼ばれているそうです。私達は一番上の裏口から入り、下がりながら見学しましたが、最初に
”大鍋
  院”
で明代の銅製2つと鉄製1つを見ましたが、直径2.04m、高さ1.15mの大鍋は歴史を感じさせました。
   
  次いで
”大文殊殿”に行きましたが、中には5体の文殊菩薩があり、5台山の名前の通り、東台頂は知恵文殊、西
  台頂は聡明文殊というように、南台頂、北台頂、中台頂もそれぞれに役割を持った文殊菩薩でした。私達が行
  った時に偶然、ポタラ宮のあるラサから来たと言う尼僧の団体がお参りに来ていたので、このお寺の格の高
  さが分かりました。境内から見渡すと五台山のシンボルである大白塔も良く見えました。最後に
”四稜紋花碑”
  を見ましたが、清の乾隆帝がこのお寺に6度も来たと言う記念碑で乾隆帝の字が4種類(満州語、モンゴル語、
  漢語、チベット語:満毛漢蔵)の文字で書かれていて、乾隆帝の治世の上手さを表しているそうです。
   
   
  午前10時半に出て、下がって行く途中で「大圓照寺」に寄りましたが、このお寺は毛沢東がその当時の住職に
  占って貰ったという事で有名になり、中庭には毛沢東と周恩来の像がありました。

  午前10時45分に
「顕通寺」に行きました。このお寺は五台山では一番古く、中国で二番目に古く、仏教が伝来
  した後漢時代に大孚霊鷲寺という名前で創建された由緒あるお寺です。丁度、私達がお参りした時に修行僧
  の1団が供養のお経をあげて各殿を回っている時で、整理係の僧侶に何度か行く手を阻まれました。
  
   
  
”大文殊殿”を見てから”大雄宝殿”を見学し、その後、5万kgの真鍮を使ってその上に金粉を塗った”銅殿”を見
  ましたが、まるでミニ金閣寺だと思いました。その後の
”千鉢文殊殿”千鉢文殊菩薩像の姿にも驚きました。

  午前11時40分に顕通寺を出て、五台山のシンボル
”大白塔”のある「塔院寺」に行きました。高さ54.73mの”大
  白塔”
は五台山のシンボルと言われていますが、近くにある小さな”文殊髪塔”も謂れのある塔で2つ眺めると
  なかなか見ごたえのある景色になりました。
   

  午後12時20分に午前中の見学予定が終わり、ホテルに帰って昼食を摂り、午後2時前から午後の見学予定の
  15kmほど離れた場所にある
「金閣寺」に出かけました。午後2時過ぎに到着、最初に大悲殿(観音殿)に行き、
  高さ17.7mの巨大な
”千手観音像”を見ましたが、明の萬歴年間に出来たそうですが、その後、金箔21万枚を
  使って今の姿にしたそうです。次に
”大雄宝殿”に行きましたが、上の方にある”五百羅漢”は従来のイメージと
  かけ離れた感じで、その表情はいつまでも見ていても飽きない感じで面白い像でした。
   
   
  最後に行ったのは遣唐使として最澄や空海と一緒に来て、時の皇帝に気に入られ、この寺で20年間修業し、
  最後は別のお寺で亡くなった
「霊仙三蔵大師」の遺徳を称えた石碑を見ましたが、私達には馴染みが薄い名
  前ですが、そんな偉い人がいた事を知ったのは今回のツアーの収穫だと思いました。
  午後3時半に見学が終わり、五台山での予定が全部終了しました。時間があるので他のお寺を見たい人は途
  中でバスを降りて見学に行く人達もいましたが、私はホテルに帰りました。
  部屋に戻りシャワーを浴びて午後6時半からの夕食に行きましたが、ホテルの食事も3度目になると同じ料理
  出てきましたが、料理よりはツアーメンバーとの会話がご馳走なので味の良し悪しは気になりませんでした。

  
19日(火)ガイドの陶さんの話ですと、今日は中国では年に一回の”観光の日”の休日で各観光施設が無料に
  なるので、有名な観光施設は渋滞や大混雑が予想され、特に五台山は仏教の聖地だから大挙して観光客が
  来ると思うので、朝早く、午前7時20分出発になりました。
  午前5時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きて荷物の整理をして部屋の前に出したのですが、朝食までに
  時間があったので付近を散歩しましたが、林の中のホテルで何もないと思っていたら、直ぐ近くに小さな通り
  があり、朝早くからやっている超市(ミニ雑貨店)や小さな食堂、民宿?のような所があり、アパートらしい建
  物も建築中で、こんな所でも生活している人達がいるんだと思いました。
  
  午前6時45分からの朝食は昨日と同じメニューで大急ぎで食べて、午前7時過ぎにロビーに行きました。予定
  通りに出発したせいか、幸い、混雑に会う事も無く、午前8時に高速道路に乗りましたが、横の一般道では石炭
  を積んだ大型トラックがひっきりなしに走っていました。、途中、午前9時にまだ建設中の
”紫岩SA"でトイレ休
  憩、引き続き高速道路をひた走り、午前11時過ぎに喬家大院ICを降りて、最初の目的地「喬家大院」に向かい
  ました。
  30分程走って
「喬家大院」に着いて、バスの中から見るとガイドの陶さんの言ってた事が良く分かりました。
  蟻の入る隙間も無いくらい人人人で埋め尽くされている感じで、観光バスも駐車場だけではなく、路上にも
  止まっていて、その上、一般の車もいるので大変な光景を目にした感じでした。直ぐには入れそうも無かった
  ので、午前11時40分に
氾宏大酒店」で昼食を食べて出直すことにしました。
  

  午後12時20分にレストランを出て、歩いて「喬家大院」に行ったのですが、余りに長い列と中国人の割り込み
  で行きたくないと言う人が出て来たので、行く行かないでひと悶着ありましたが、結論として行く事になりま
  した。1時間くらいは覚悟していたら、今日は無料なので、切符を買う時間は必要なく、ただ、歩いて入場する
  だけなので20分程で入場できたのは予想外でした。
   
  
「喬家大院」は清代中期に栄えた喬家の大きな商家を一般公開した博物館です。昔はそれほど人気はなかっ
  たのですが、中国映画
「紅い夢」(チャン・イーモー監督)の撮影舞台となって人気になったそうです。私個人
  的にはスーケールの大きさは凄いと思いましたが、建物や収納物に関して大したことは無いと思いました。唯
  一、面白いと思ったのは
「そろばん博物館」で中国で使われた色々な算盤があり、馴染みのある物や刀剣の
  刃に算盤を嵌め込んだものとか、銅で出来た算盤とか見ているだけで楽しくなりました。
   
   
  午後2時に見学を終わり、歩いてバスまで帰ったのですが、出口の道路には土産物店や食べ物屋の店が軒を
  並べていましたが、店屋にとってはこんな日が沢山あると喜ぶだろうと思いました。午後2時30分に出発しま
  したが、まだまだ人が詰めかけて、相変わらずの割り込みが続いていました。
   

  午後3時20分に平遥郊外の
「鎮国寺」に到着しました。このお寺は五代北漢の963年創建で「平遥古城」と一
  緒に世界遺産に登録されています。建物が当時のもので五代という短い間の建築様式が少ないので貴重で
  中の塑像も顔の表情やふっくらとした体形は素晴らしいものです。
   
  次に予定にはなかったのですが、時間があったので、同じく世界遺産に登録されている
「双林寺」に向かいま
  したが、途中、平遥古城の傍を通りましたが、「喬家大院」と同様に大混雑していましたが、時間が午後4時半
  頃だったので帰るバスや車なので私達が「双林寺」を見てから着く頃には少しは少なくなっているだろうと
  思いました。
  午後4時半過ぎに
「双林寺」に着きましたが、このお寺は創建がはっきりしないのですが、宋の時代に修復し
  たという石碑が残っているので、それより前の北魏時代だろうと言われているそうです。ここの塑像も素晴
  らしいものが揃っていますが、私が印象深かったのは立膝をして膝の上に手を乗せてリラックスしたスタイル
  の
”自在観音”と中国の千手観音舞踊のモデルになったと言われている、惚れ惚れするような白く彩色された
  
”千手観音”でした。
  不思議にに思ったのは何年か前まではお坊さんが1人いたそうですが、今はいなくなったそうで、これだけ立
  派なお寺で見ごたえのある仏像が沢山あるのにやっていけないのが不思議です。
   

  午後5時半にお寺を出て、
「平遥古城」向かいましたが、大型バスは古城内には入れないので、バスの駐車場
  からカートに乗ってホテルまで行くのですが、バスの駐車場までが帰るバスとの交差で大変でした。カートに
  乗ってホテルに向かったのですが、古城内の道は狭い所が多く大変そうでしたが、カートの運転手は慣れた
  もので通れないとお無用な所でも何とか通って、午後6時40分に今日の宿泊先
「洪善驛民族賓館」に着きま
  した。このホテルは四合院作りの昔の貴族の家をホテルに利用でするように改築したそうですが、2階建ての
  立派は建物で、中国に来て泊ったホテルでは一番雰囲気のあるホテルだと思いました。施設は最初の入口を
  入ると居間ものような所があり、左側が私の部屋で部屋もシャワーしかなかったり、蛇口が取れそうとか欠
  点はありましたが、そんな事より造りの良さが気に入りました。
   
  夕食は午後7時から歩いて10分位の所にある南大街の
「雲金城客桟」に行きましたが、店に入る時に歓迎の意
  味なのか太鼓を鳴らして迎えられたのは初めての経験でした。料理はまずまずでしたが、名物が平遥牛肉を
  使った麺との事でしたが、どの料理がそれなのか分かりませんでした。食事が終わる頃にバースデイケーキ
  が出て来たので、誰かの誕生日かなと思ったら、半田から夫婦で参加している
B.Kさんの78歳の誕生日祝い
  を添乗員の渡邊さんが企画してケーキを注文してあったようです。皆さんでハッピーバースデイを歌ってお祝
  いし、おすそ分けを食べましたが、なかなかおいしいケーキでした。
   

  
20日(水)旅行も今日で6日目、丁度、半ばになりました。今日は出発は午前8時30分ですが、トランクを午前
  7時30分まで部屋の前に出すので、早目に荷物の整理をして朝食に行きました。朝食会場は敷地内の別の建
  物ですが、入口からして雰囲気がありました。午前7時に朝食会場に着くと大阪のクラブツーリズムのメンバ
  ーが私達より早く出発らしく、食べ終わって出て行く所でした。メニューは五台山と大して変わりませんでし
  たが、私はパンとコーヒー、玉子とリンゴで済ませました。
   

  午前8時30分にホテルを出て、最初に歩いて
”平遥懸署”に行きました。ここは昔の総合庁舎のような所で大
  堂(勧民堂)は刑事事件を扱う裁判所のような所で判決は棒叩きの刑から死刑まであり、次の第二堂は民事
  事件を扱う所で死刑は無かったそうです。大三堂は県知事の住居で大仙堂は食堂ですが、建物は元時代のヤ
  オトン形式で建てられていました。その後、刑罰や処刑の道具を見て、最後に牢獄を見ました。
   
   

  午前10時に懸署を出て、衛門街から南大街を歩いて
”南城門”に行き、上に登ると古城内の様子が分かり、正
  面に市楼が見えます。南の城壁を少し歩きましたが、理由は分かりませんが、この城壁だけが直線ではなく折
  れ曲がっていました。
   

  午前10時50分に南城門から南大街を通って市楼までフリータイムで歩きました。私は市楼の近くの骨董屋で
  観音開きになった釈迦三尊像を380元と言うのを150元(3,000円)で買いました。プラスチック製か木製かは
  分かりませんが、今回の旅は仏像を見る機会が多いので丁度良い記念品だと思って買いました。
   

  午前11時20分に市楼を出て南大街から西大街に入って少し歩くと、
”日昇昌記”がありました。ここは清代に出
  来た為替取引を最初に始めた個人経営の店舗で、遠い所に現金を送金するのは大変なので、票号を使って送
  るという為替の原型をやって年間30%の利益を上げていたそうです。
  午後12時に午前中の予定が終わり、”日昇昌記”の斜め前の
「徳居源客桟」でお昼を食べましたが、この店は
  従業員の女の子が感じが良く、お茶もポットを言わなくても確認して、無くなっていれば直ぐに持って来てく
  れました。料理も6日目となると同じ料理が出てくることも多くなりましたが、それでも、初めての料理がある
  と言うのは中国料理の奥の深さを感じます。
   

  午後1時に出発し、一路、今日の宿泊地の壺口を目指します。平遥を出て間もなく高速道路に乗り、午後2時40
  分に霍州SAでトイレ休憩した時に売店に中国交通地図(20元)を売っていたので買いました。バスの運転手も
  給油をしていましたが、値段は日本と大して変わりませんでした。ちなみに
軽油5.91/l、ガソリン6.49/l、ハイ
  オク7.01/l
で日本円にすると120円から140円です。中国の高速道路はまだまだ出来ているようで、走ってい
  る途中でも建設中の所がありました。
   
  午後3時に出発し午後5時10分に吉県ICを出てホテル
「吉州賓館」に着いたのは5時半過ぎでした。夕食はホ
  テル内のレストランで食べましたが、ビールは缶ビール500mlしかないのは田舎のホテルだと思いました。料
  理は昼と同じような感じで食べたものもあり、初めての料理もありました。部屋に帰って窓の外を見ると前の
  丘がライトアップされていたのは何の為なのか良く分かりませんでした。

  
21日(木)昨日、早く寝たせいか、午前4時半過ぎに雨の音で目が覚めました。トイレに行き、もう一度寝ようと
  しましたが、寝られそうにないので、そのまま起きて、旅行記の整理をしました。
  今日の出発は午前7時40分と言われていたので、午前7時前に朝食ビュッフェの会場に行きましたが、用意が
  半分位しか出来ていなかったのですが、少し待って、食べ始めました。と言ってもコーヒーもパンも無く、料理
  も種類が少なく、私はお粥とキャベツの辛み炒めのようなものだけで済ませました。
   
  午前7時40分にホテルを出発し、
「壺口瀑布」に向かいました。天気は今回のツアーで初めての雨でしたが、着
  いた頃には曇り空で傘が無くて良さそうな感じでした。午前8時40分に到着し、バスの駐車場から歩いて入場
  口まで行き、そこから専用バスで「壺口瀑布」の入口に行き、お土産屋の通りを通って行きましたが、黄河で獲
  れた魚の唐揚げや、何故か太鼓を売っている店等があり、そこを通って初めて黄河の中に入れました。
  今は乾季のなので水量が少なく、手前の岩場には水が無くて、どうかなと思って歩いて行くと、轟々とした水
  音が聞こえ、水しぶきが上がっている所があり、そこが
「壺口瀑布」の中心のようでした。
  
  幅はそれほどでもありませんが、勢いのある流れから落ちる様子は迫力満点で皆さん満足そうでした。ただ
  私が不思議に思ったのは
”黄河”というイメージは名前の通り、黄色く濁った豪快な瀑布を想像していただけ
  に、ここで
”黄河”というのはふさわしくないように思いました。勿論、ここは黄河でも上流なのかもしれませ
  んが、黄土高原という名前からしても水が綺麗すぎる気がしましたが、現実にきれいな川だったので受け入
  れるしかないと思います。
  午前10時10分に「壺口瀑布」を出発し、ひたすら河南省の洛陽に向かって走りました。昼食を高速道路のサー
  ビスエリアで食べる事になっていたので、午前11時50分に
「襄汾西SA」に寄りましたが、レストランはやってい
  なかったので、トイレ休憩だけして次を目指しました。30分程走った所にあった
「襄汾SA」はレストランが営業
  中だったので、そこでビュッフェ形式で食べました。今朝のホテルの朝食ビュッフェと同じような感じだったの
  で私は面包(蒸しパン)と煮玉子とキャベツ炒め、肉団子を食べましたが味は思ったより良いと思いました。
  午後1時に出発し、午後2時10分に”蒲料金所”を通過して、山西省から河南省に入りました。
  ガイドの陶さんが山西省より河南省は土地が低くて雨も降るので緑が多いと言ってましたが、確かに木の大
  きさも緑も河南省の方が勝っていると思いました。午後3時10分に黄河に掛かっている橋を渡りましたが、こ
  辺も水が綺麗で川の両側には黄色の麦畑が広がり、収穫を待っているようでした。
   
  午後3時20分に「洛陽SA」で10分程トイレ休憩を取り、午後3時50分に洛陽ICを通過して午後4時10分に今日の
  宿泊ホテル「洛陽牡丹大酒店」に着きました。ここで7日間付き合ってくれたガイドの陶さんと別れ、河南省の
  ガイドの王さんに代わりました。ホテルで一休みして、午後6時から「炖之源」での夕食になりました。


 
 22日(金)今朝は午前7時からの朝食に行きましたが、このホテルの朝食ビュッフェは今回のツアーでは一番
  だと思いました。欧米のお客さんが多いせいか、中国人の団体もいなくて、ゆっくりできたし、メニューも豊富
  で料理も皆さんの話を聞くとおいしいものが多いと思いました。私はいつもと同じようにトーストと目玉焼き、
  コーヒーで済ませようと思いましたが、好物のウインナーがおいしいと聞いたので、食べてみたら、中国に来
  て食べたウインナーでは一番だと思いました。
  午前8時にホテルを出発し、最初は世界遺産の
「龍門石窟」に向かいました。洛陽は九朝の都と言われ、9つの
  王朝の都として栄えたそうですが、5世紀に北魏の都が大同から洛陽に遷都した時から鮮卑族の王朝が漢族
  との融和を図る政策として、雲崗の石窟寺院と同じような石窟寺院を龍門に開こうとしたのがきっかけで、そ
  の後、400年間にわたって掘り続けられたそうです。
  午前9時に「龍門石窟」の入場口に到着、そこからカートで入口に移動し、降りてからは徒歩で「龍門石窟」ま
  で歩いて見学開始です。
ガイドの王さんの話では「龍門石窟」は2,345ヶ所の石窟と2cm~17.14mの10万体
  の仏像があり、北魏時代に出来た石窟が30%、唐時代の物が60%で石窟は伊河を挟んで西山石窟と東山石
  窟に分かれ、9割が西山石窟にあるそうです。また、石像には一部削られたり壊されたりしたものがあるのは
  仏教を快く思っていなかった唐の武帝の命令でやらされたそうです。
   
  私達は王さんの解説を聞きながら最初に
”賓客3洞”を見ましたが、名前の通りお客を迎える時の弥勒菩薩が
  鎮座していました。次に
”摩崖3仏”を見ましたが、よく見ると未完成の仏像で、これは則天武后の為に彫られ
  ていましたが、則天武后がAD705年に82歳で亡くなったので、次の皇帝に遠慮して未完成になったそうです
  が、ご本尊は阿弥陀如来で1つの洞窟の中に15,000体の仏像が彫られ、後の蓮の花に乗った54体は1本の根
  から出た蓮なので一蓮托生の由来はここから来ているそうです。次に見た
”蓮喜洞”は2cmの仏像が彫られ
  ていいると言われ、探しましたが分からないので、教えて貰い、何とか写真に撮ることが出来ました。
   

  最後に
「龍門石窟」の代表的な”泰先寺洞””盧舎那仏”を見ましたが、則天武后がAD672年に2万貫を寄付
  して作らせたそうですが、ふっくらとした顔は則天武后がモデルだと言われ、奈良の大仏はこれをイメージ
  して作られたと言われているそうですが、日本で作ると少しイメージが変わったのかも知れません。
   
   
  午前11時30分に石窟を見終わって、船で対岸に行く事になりましたが、船から見た西山石窟は全体が見えて、
  なかなか、見ごたえがありました。
 
  対岸には東山石窟と「香山寺」と
「白園」(白居易墓園)がありますが、私達は「白園」に行きました。ここは唐
  の詩人
”白楽天(白居易)”が晩年を過ごし、亡くなってから彼の墓苑になっています。ここには日本の書家が
  建てた石碑や白居易の詩を中国の書家が書いた石碑などもありました。
   
  午後12時半にカートでバス駐車場近くまで戻り、昼食会場の
「八仙酒楼」に行きました。この店で今回初めて
  焼きそばや練り物の揚げ物の他、初めての料理が出ましたが、どれも味も良くおいしかったです。

  午後1時半に出発し、
「関帝廟」(関林)に行きました。ここには三国志でお馴染の関羽の首が埋められている
  と言われる伝説の
”首塚”があります。関帝廟だと言っても行くまでに土産物屋がいっぱいの所を通って行き、
  いかにも商売の神様が祀られているという感じでした。大門を入ると広い敷地に拝殿や本殿があり、その奥
  に円形のこんもりとした土盛りの
”首塚”がありました。
   

  午後2時40分に出て、午後3時10分に「白馬寺」に到着しました。
「白馬寺」は後漢の明帝が天竺(インド)の高
  僧を招き、中国で最初に建てられた仏教寺院でAD68年の事とされています。
   
  門を入ると直ぐに
「天王殿」があり、中に布袋が祀られていました。中国では布袋は腹の大きい弥勒菩薩と言
  うそうです。裏には韋駄天が祀られていました。次の
「大仏殿」には中央に盧舎那仏、左に文殊菩薩、右に勢至
  菩薩が配されて、裏側には観音菩薩がおられます。
「大雄殿」には中央に釈迦如来、左に阿弥陀如来、右に薬
  師如来、裏には伽藍菩薩がいらっしゃいました。
「接引殿」には阿弥陀如来がいて、一番奥の”清涼台”の「昆慮
  閣」には
”毘盧遮那仏(大日如来)”がいました。中国最古のお寺という事でほとんどの建物を回りましたが、ガ
  イドの王さんが一生懸命説明してくれても真面目に聞いている人はわずかな様な気がしました。
   
   
  今回のツアーでは沢山のお寺に参拝し、余りにも多くの仏像を見たので、頭の中が混乱して整理しきれなくな
  って、何処のお寺で何を見たか分からなくなってしまいそうです。

  午後4時半過ぎに「白馬寺」を出て、夕食会場の
「軍安大酒店」に午後5時半に着きました。先方は予定より早く
  行ったので、準備が出来ていなかったのか、ビールを注文してもなかなか来なくて、来たビールが冷えてい
  無かったので文句を言う人もいました。今日の料理は
”水席料理”と言うそうで全部で24品の料理が出ました
  が、とても食べきれたものではありませんでした。それでも、燕采”と言うのは大根の細切を柔らかくして、中
  国料理のツバメの巣に見立てた料理とか春雨を細かく切って固めてナマコに見せかけた料理とか後から聞く
  と面白い料理が出て来ていましたが、解説が無かったので知らずに食べてしまったことが残念でした。
  午後7時半には食べ終わり、ホテルに帰りましたが、途中、洛陽の下町を通っている時に夕日が綺麗でした。
   

  
23日(土)午前5時半に目が覚めて、少し旅行記の整理をして、午前6時半頃に外を見ると黄砂にかすんだ建
  築中のマンションが朝日に照らされて数多くみられましたが、この状態がいつまで続くのでしょうか。
  朝食に行くと昨日とは少し変わった料理もあって、皆さん楽しんで食べていましたが、私も今日は炒麺を少し
  食べたら、おいしかったので、これを主食に目玉焼きとコーヒー、ヨーグルト、フルーツ(スイカ、トマト)を食べ
  ました。今日は出発が午前9時30分とゆっくりなので、午前9時頃ロビーに下りて、売店に行くと、自分で絵を
  描いて売っている青年がいて、洛陽名物の牡丹の小さな作品が何点かあったので、家内の絵の参考になれ
  ばと思い、120元を70元にしてもらって買いました。昨夜、一緒のツアーに女性に85元で売ったので内緒にし
  てくれと言ってました。
  午前9時半に
「少林寺」に向かって出発しましたが、ガイドの王さんの話では洛陽は車が多くなったので、洛陽
  市民は末尾の番号によって走れる日が制限されているそうですが、観光を重視しているので他の都市の車
  は制限が無いそうです。それと、1ヶ月位前に中国でピンポン玉のような雹が降ったニュースがありましたが、
  それが洛陽で王さんの車も雹のせいで凹んで修理に出したそうです。
   
  午前10時40分に高速道路の
”少林服務區”でトイレ休憩を取り、間もなく、高速を降りて、午前11時20分に「素
  斎館」
で早めの昼食を食べました。”酸辛湯麺(スワンラータンメン)”が名物だと言ってましたが、麺は相変わ
  らず、コシの無い麺ですから、誰もおいしいとは言ってませんでした。

  午後12時10分に店を出て、12時半にバスの駐車場に到着し、そこからカート(15元)で
「少林寺」の入口まで移
  動し、最初に歴代の高僧の墓がある
”塔林”を見ました。唐の時代(791年)から現代にいたるまで244基の煉瓦
  と石で築かれた”塔林”は中国最大の墓塔群との事です。
  次に
「少林寺」に向かいましたが、途中、左の山の上に”達磨大師”の白い像が建っていましたが、達磨大師は
  527年に南京に来て、その後、少林寺の山の中の洞窟で9年間面壁をして修業したそうです。山の上の達磨像
  はその偉業を称えて修業した場所の近くに像を建てたそうです。
   
  午後1時10分に少林寺に到着しました。門の上に書かれた
”少林寺”の文字は清の康熙帝の書いたもので、参
  道の両側には沢山の石碑が立っていますが、日本少林寺拳法会長の宗道臣の石碑は除幕式に当時の大平総
  理が来たそうですから、今と違って両国関係が親密な時代だったと思います。境内に入るとそこにも数多く
  の石碑があり、その中には清の
”太祖李世民”の真筆がありましたし、隣には乾隆帝の真筆もありました。

  本殿の
「大雄宝殿」は90年前の火事で焼けた為、1985年に再建されたそうです。中央に釈迦如来、右に阿弥
  陀如来、その右に達磨大師、左に薬師如来、その左に武術家と少林寺らしい配置になっているそうです。
   
   
  次の
「方丈」は明時代の建物で、奥の「立雪亭」は達磨大師を祀ってあり、一番奥の「西方聖人殿」は床のレン
  ガが修業のために凹んだ跡があり、ご本尊は
”毘盧遮那仏”で壁画の”五百羅漢”が見事です。

  午後2時半に見学予定が終了し、午後3時からのカンフーショーを見に行きましたが、「少林寺演武館」に行く
  途中、延々と工事をやっているので、何を作っているのか聞くと、この辺は水不足になりやすいので、水を引
  く為の小川を作っていると言ってましたが、さすが、中国のやる事は凄いと思いました。カンフーショーは完
  全に期待外れで、子供達が出て来て演技を披露するのですが、小学生から中学生くらいまでの子がカンフー
  の型を見せたり、道具を使って演じるのがほとんどで、2本の槍の先を胸に受けて槍の柄が曲がるのと、小さ
  な釘を投げてガラス板割らずに穴を開けたのが、せいぜいで、あっという間に終わってしまいました。
   
  午後4時過ぎに少林寺を出て、鄭州に向かいましたが、何処を走っていも建築中のクレーンが目立つのが珍し
  しくなくなりました。渋滞を心配していましたが、土曜日のせいか思った程ではなくて、午後6時前に夕食会場
  の
「中興楼」に着きました。”鄭州新区”ICからレストランまでは鄭州新区と言う設計家”黒川紀章”が設計した
  街造りで未だに建築中の建物がいっぱいありました。
  午後7時半にレストランを出て、今日の宿泊先の
「鄭州建国飯店」に向かいましたが、バスの中からライトアッ
  プされた塔が見えたので、何かなと思ったら、名前は分かりませんが、鄭州一高いホテルと言ってました。
  午後8時前にホテルに到着しましたが、このホテルは5つ星と言うだけに建物も雰囲気があり、従業員もちゃ
  んとしているので安心して泊まれそうです。
   

  24日(朝起きて、カーテンを開けると鄭州の街並が霞んでいましたが、黄砂の影響かどうかは分かりませ
  ん。今朝は午前6時から朝食ビュッフェが開いていると言うので、午前6時に会場に行って見ましたが、さすが
  に5つ星ホテルだけに料理の種類も豊富ですし、従業員の態度もまずまずでした。
   
  午前8時30分にホテルを出発し、200km先の安陽市の
”殷墟”に向かいました。日曜日とあって道路も大して混
  雑もせず、高速道路に乗り、少し走ると黄河に掛かっている橋を渡りましたが、大した長さではなかったので
  すが、この地区での本来の
黄河の巾は10kmもあるそうです。今は上流のダムのお蔭で氾濫する事もほとん
  ど無くなって、河川敷には広大な麦畑が広がっていますが、1998年に一度堤防が切れた事があるそうです。
  午前10時に
”鶴壁服務區”でトイレ休憩を取りましたが、ここのサービスエリアはトイレも立派ですし、建物の中
  も土産物を売ったり、フードコートではビュッフェもあるし、色々な種類の飲食店があって、日本の最近のサー
  ビスエリアとほとんど変わらないと思いました。
   
  午前11時10分に安陽北ICを出て、安陽市内の
「好世界美食城」で昼食を食べましたが、日曜日で結婚式と一緒
  になったので、テーブルに座ってから、少し、待たされましたが、料理が出だしたら、一気に全部出たので、却
  って良かったかもしれません。

  午後12時45分に店を出て、午後1時には
「殷墟博物苑」に着きました。中国の考古学会では西安の「兵馬俑坑」
  と「殷墟」が20世紀最大の発見と言われているようですが、その割には日曜日と言うのに見学者はまばらで
  ここが世界遺産の
「殷墟」のある所かと思ってしまいました。
   
  この辺では昔から畑の中から甲骨が見つかっていたのですが、教育の無い農民は何も考えずに、それを細か
  くして、血止めの薬として利用していたそうです。ある時それを見た学者が文字らしいものが描いてあるの
  でこれはと思い、1928年に調査をした所、大量の甲骨が発見され、そこに司馬遷の書いた「史記」に出て来る
  「殷」という文字があったので、伝説の商(殷)王朝が実在したことが証明され、中国の歴史が一挙に1000年
  もさかのぼる事になったそうです。
   
   
  
「殷墟博物館」の中に入ると殷墟の宮殿跡や王墓から出土した甲骨文字や青銅器、玉器、陶製の壺や土管等
  展示されていました。甲骨文字以外は見て直ぐに分かりましたが、甲骨文字は何処に描いてあるのか分かり
  ませんでしたが、老眼鏡を掛けて良く見たら分かりました。その他に
”司母戌”と銘文の入った青銅の鼎は発見
  された物では最大の大きさの鼎だそうです。
   

  次にに
「車馬坑」に行きましたが、ここには6台の車馬が発掘された状態で展示されています。車馬は古代の
  戦車で車輪の幅が2mもあり、大きさもかなり大きな物だった事が分かります。御者や馬の骨が残っているの
  は王の死後、殉死させられて一緒に埋葬された物だそうです。
   
  外に出ると赤い柱と言うか杭のようなものが打ってある所は宮殿や建物の基礎の位置を表しているそうで、
  それを一部再現したのが大殿で外側には甲骨文字と現代の文字を比較して説明してあります。じっくり見ると
  興味深い文字も見つかりますが、そこまでの根気は無いので、私はざっと流しましたが、一生懸命見ている人
  もいました。

  最後に
”婦好墓”を見学しましたが、普通は盗掘されているのが、当たり前ですが、”婦好墓”は半分位、水に浸
  かっていた為に盗掘を逃れたらしく、多くの貴重な副葬品が発見されたそうです。
   
   

  午後3時半に見学を終わり、鄭州に向けて帰りましたが、帰りも道路は空いていて予定通り、午後6時半に鄭州
  市内の夕食会場
「福斎天美食店」に到着しました。店は日曜日とあって満員の盛況でしたが、最終日の食事だ
  からと添乗員の渡邊彩子さんからビールの差し入れがあり、気持ちの良い食事が出来ました。
   

  
25日(月)いつもの様に午前5時過ぎに起きて、午前6時から朝食に行きました。今日の昼食は機内食の予定で
  すが、ちゃんとしたものかどうか分からないので、しっかり、食べておいて下さいと言われていたので、少し、
  多めに食べました。
  午前9時30分にホテルを出発し、
「鄭州空港」に向かいましたが、月曜日の朝とあって車も昨日よりは多くなっ
  ていたので、1時間位かかると聞いていましたが、予定より少し早く、午前10時20分に到着しました。河南省の
  省都の空港だけあって、端から端までがかなりある大きな空港でした。搭乗手続きをして、現地ガイドの王さ
  んとはここで別れ、荷物検査を受けて、午前10時40分に中に入りました。
   
  上海行きFM821便は上海からの便が着かないので、何時になるのか分からないと言われ、待っていると、弁
  当が配られたので弁当を食べて待っていると、やっと、午後2時50分に搭乗が始まり、定刻より2時間30分遅
  れの午後3時20分に離陸、午後4時50分に
「上海浦東空港」に到着し、午後5時10分に空港ビルに入りました
  が、名古屋行MU2691便には乗れないという事で添乗員の渡邊さんが中国東方航空と交渉しましたが、結果
  は明日の朝の便しか駄目と言われ、航空会社が手配したホテルに延泊する事になりました。
   
  バスで30分位の所にある
「上海氾亭新並大酒店」は3つ星ホテルで思ったより良いホテルでした。夕食は定食
  のようなお盆に乗った一汁四采でしたが、冷えたビール(8元)を飲んで私にはこれで十分でした。

  
26日(火)は午前5時半過ぎに起きて、カーテンを開けるとビルの間から朝日が照らしていて、上海のイメー
  ジとは少し違うような気がしました。午前6時半にロビーに集合し、軽食の弁当を貰ってロビーで食べてから
  バスで
「上海浦東空港」に向かいました。午前7時過ぎに上海浦東空港に到着しましたが、昨日、チェックイン
  はしてあるので、荷物も簡単に預けられて、出国手続き、手荷物検査を受け、午前8時前に場内へ入りました。
   
  1時間程待って、214番搭乗口からバスで飛行機まで行き、中国東方航空MU529便は20分遅れの午前9時50分
  に出発、中部国際空港には日本時間午後12時50分に到着しました。電車がスムーズに乗れたので、家内に迎
  えに来てもらい春日井の家に着いたのは午後2時半頃でした。
  
  今回の
「大黄河の壺口瀑布と中原地方6つの世界遺産めぐり 11日間」のツアーは私が今まで行った中国ツア
  ーでは一番長い期間でしたが、メンバー20名と添乗員の渡邊彩子さんと山西省ガイドの陶さん、河南省ガイド
  の王さんのお蔭で楽しい旅になりました。メンバーそれぞれが個性的ではあるが、協力的で、その上、中国の
  歴史や宗教に詳しい人が何人かいて、大変、勉強になったり、参考になる事が多く、その意味でも有意義な旅
  だったと思います。
  私が行きたかった大同の
「雲崗石窟」や洛陽の「龍門石窟」「平遥古城」など6つの世界遺産を見ましたが、
  改めて、中国五千年の歴史の長さと深さを感じました。今回で中国の世界遺産は20ヶ所訪れたと思いますが
  、まだまだ私の行きたい所があるので、機会があれば、訪れたいと思っています。
  ただ、今回は11日間+1日と言う長丁場で中国料理は嫌いではないのですが、昼・夜、昼・夜と10種類以上の料
  理を食べていると、さすがに、あっさりした物や簡単な食事が恋しくなるので、せいぜい、1週間程度までのツ
  アーにしたいと思っています。
  いずれにしても1日遅れにはなりましたが、大きな事故や体調を崩すことなく無事に帰って来れた事が一番
  のお土産だと思っています。


 5月14日(木)
  今日も朝から爽やかな天気になりました。午前中、「東部中国語同好会」があり、午後3時20分からは中部大
  学の
「東アジアを知るA」(宗ティンティン講師)があったので忙しい一日でした。夕方、明日から行く「大黄河
  の壺口瀑布と中原地方6つの世界遺産巡り 11日間」
の旅行の荷物を確認しましたが、今回は五台山が0℃か
  ら5℃位で他の所は25℃から30℃というのであれこれ考えていたら荷物が多くなってしまったので、改めて
  整理をして少し減らしました。
  当
「無尽陶舎」も明日15日(金)から25日(月)までは旅行の為、更新が出来ませんので暫くお待ちください。


 5月13日(水)
  今日は昔のソフトボール仲間の”ビッグホース”の春のコンペがあったので出席
  しました。台風6号の影響が心配されましたが、幸い、夜中の内に通り過ぎてく
  れたので、今朝は台風一過の天気なりました。
  会場の
「笹平カントリー倶楽部」は去年も2回コンペで使用したゴルフ場ですが、
  セルフでラウンドするとグリーンが難しいので3パットは当たり前で、私は去年
  のコンペで2番のショートホールで5パットもした苦い経験があります。
  今日はインスタートで
前半は47でまずまずでしたが、後半はOBを連発したり、
  パットが入らずで
55というスコアでトータル102と久し振りに3桁の結果になり
  ました。今日は
隣のI.Kさんが慢性腎炎でゴルフは諦めていたのですが、食事療法の成果でやる気になって
  久しぶりに参加して、18ホールを無事に回って来たのが一番の収穫だと思っています。今回をきっかけに無理
  しない程度で好きなゴルフを出来るようになれば良いと思っています。


 5月11日(月)
 
 午前6時過ぎに起きて朝食を食べている時に家内が起きて来て、ジェスチャーで声が出なくなった事を言い
  ました。昨日は朝から声が枯れていたのですが、姪の結婚式だったので無理をして話していたのですが、さ
  すがに午後8時頃に家に帰ってからは喉を使う事はやめていたのですが、寝る頃にはかなり悪かったようで
  す。午前7時からの
坂井耳鼻咽喉科の予約開始と同時に電話を掛けましたが、いつもよりは早目につながり、
  42番が取れたので午前10時半頃には診察が受けられると思いました。
  本来なら耳鼻科の診察を受けたら家で静養すればよいのですが、月曜日で義母の所には行かなければとい
  う思いが強いので、3女の結婚式が終わったばかりの義妹と連絡して時間を調整していました。
  時間があるからと家の中の掃除をして、午前10時過ぎに耳鼻科で診察を受けてから義母の所に行くと言って
  出かけて行きましたが、向こうでゆっくり休むと良いのですが、家内の性格ではそれも出来ないので喉だけ
  は使わないようにして貰いたいと思います。
  家内は午後6時過ぎに帰って来て、坂井耳鼻科の先生から喉の右側が出血しているので声を出さないように
  言われ、抗生物質を4日間飲むように処方されたそうです。原因が分かったのでしっかり養生して早く回復し
  てほしいと思います。



 5月10日(

  今日は姪(義妹の3女)のMkちゃんの結婚式が「星ヶ丘・アートグレイスクラブ」(名古屋
  市名東区)で午後3時30分からあり、家内はその前に義妹の長女の着付けを手伝うの
  で、早目の昼を食べて出かけようとしている時に東京の長男夫婦から
”母の日”のプレ
  ゼントが届きました。
  毎年の事ですが、綺麗なアレンジフラワーで今年は特に赤色のカーネーションやバラ
  、ガーベラが使ってあるので、家内にもっと若々しく派手に頑張ってと言われているよ
  うに感じたのは私だけかもしれません。
  家内の方はここ2,3日喉の調子が悪く、今朝になって声が枯れて来たので、普通なら
  電話でお礼を言うのですが、代わりにお礼のメールを打ってました。

  午後12時過ぎに家内と3男と一緒に結婚式場に向かいました。式場の
「星ヶ丘・アートグレイスクラブ」は以前、
  義母がリハビリのために入院していた木村病院の前で結婚式専用の会場のようです。
  午後1時前に着いて家内や義妹や姪達は着付けの関係で美容室の方に行きましたが、私や次男、姪の婿達は
  手持無沙汰で案内されるまでは待機して下さいと言われ待っていました。午後2時頃になり親族控室に案内
  され、暫くすると隣の部屋との間仕切りが開き、そこで新郎新婦の親戚紹介という段取りになっていました。
  午後3時半から式が始まりましたが、最近は結婚式も色々な形式があり、今回は
「人前結婚式」という形で仲
  人はなしで司会者が進行し、2人が結婚の署名をして式に出た人達が証人になると形でしたが、新郎が結婚
  指輪を間違えるとか、署名の立会人が愛犬のポニョだったりと、若い美男美女のカップルの結婚式らしく、和
  気藹々として良かったと思いました。
   
  午後4時30分から披露宴が始まりましたが、最近の結婚式や披露宴は話には聞いていましたが、本人達がア
  イディアを凝らして考え、資料をふんだんに使って映像を作り、皆さんに楽しく過ごしてもらい、それに呼応し
  て友達が協力して新郎新婦を祝福するような計画をして会場全体を盛り上げていました。
  最後は新郎新婦それぞれが親や家族に対して感謝の手紙や言葉がありましたが、今回は両家が、偶然、片親
  だったので事情は違っても親に対する感謝の気持ちが強かった点は一緒だったと思いました。特に義妹の方
  は娘3人の為に頑張っていたのを知っているだけに私達夫婦も
Mkちゃんの言葉を聞いていて感慨深い物があ
  ありました。いずれにしても新郎新婦の末永い幸せを祈りたいと思います。
   


 5月9日(土)
  午前8時過ぎに上の兄と同じ年のE.Sさんから電話があり、先日、人間ドックで肺に異常が見られ、精密検査の
  結果
、”器質化肺炎”と診断されたので、5月27日(水)の「桃球会」のコンペは欠席すると言われました。
  あまり聞きなれない病名ですが、E.Sさんが担当の先生から聞いた話では原因は分からないそうですが、自
  然治癒の場合もあるので経過をみて、治らない時にはステロイド薬を使うそうですが、E.Sさんの場合は昨日
  のレントゲン写真が2週間前より肺の状態が良くなっているので、このまま経過観察で様子を見る事になった
  そうです。午前9時に集まったゴルフ仲間にこの話をしたら、皆さん心配していましたが、あの人なら早く良く
  なって元気な顔を見せてくれるだろうと言ってました。私も一日も早い回復を祈りたいと思います。
  賑やかだった我が家の庭も少しずつ花も終わって来ましたが、居間から見える
あやめはまだ頑張っているし
  、
レモンゆずは沢山の花を次から次へと咲かせていますが、これが全部実を付ければ凄い事だと思います
  が、そうは問屋が卸さないと思います。
グラジオラスも黄色の花が終わったと思ったら、ピンクと赤の花が1
  株ずつ咲いて目の保養をさせてくれています。
   



 5月8日(金)
  午前10時から「南部中国語同好会」があったので出席しました。本来なら第1金曜日なのですが、O.M先生が姪
  の結婚式で大連に帰ったので、第2金曜日の今日になりました。
  
O.M先生の話だと最近の大連は開発地区になっているだけにあちこちが工事中ですが、大気汚染が酷くて鼻
  の穴は黒くなるし、毎日、目薬を差さなければ目が痛くなるので大変だったと言ってました。
  結婚式の話も聞きましたが、今の中国は習近平主席の賄賂や汚職撲滅運動が徹底しているせいか結婚式も
  あまり派手にすると目を付けられるし、10人掛けテーブル30卓以上は役所に届けて許可が必要になっている
  ので大変のようです。それでも、今回の結婚式はお婿さんの親が役所の偉い人なので料理は良い材料を使っ
  てあり、2日間で4回も披露宴やそれに類する宴会があったそうです。
  先生は1週間大連に滞在して帰って来たそうですが、20歳で日本に来て、30年近く日本に住んでいると中国
  に行っても1週間位で日本に帰って来るのが丁度良い感じで、食べ物も住み心地も日本の方が良くなってい
  るのは
「久居則安(jiu ju ze an)」(住めば都の意味)だと言ってました。
  私も明後日に姪(義妹の3女)の結婚式がありますが、最近の日本の結婚式は本人同士が主で出席者も新郎
  新婦の友人や関係者の若い人が多いと思いますが、中国の結婚式は未だに本人よりは両家の親戚や親の知
  人友人が多く、したがって年配者の出席者が多いそうです。やはり、国によって事情が違うと思いました。



 5月7日(木)
  ゴールデンウイークも終わり、練習場も空いていると思って、午前9時前に王
  子練習場に行ったら、1階打席は既に満席で30分以上の待ち時間だと言われ
  たので2階打席で練習しました。
1時間500円(今日は入場料200円が無料の
  日)の練習をして、10時過ぎに帰る頃には1、2階打席とも50分から1時間待ち
  の状態で、駐車場も駐車できるスペースが無くなって、待機している車が2,3
  台いました。
  それにしても、休み中は混むからと思って休み明けに来たら、私と同じような
  考えの人がこんなに多いとは思いませんでしたが、打席を見渡せば年齢的に
  も似たような人ばかりですから、考えも似ているのが当然かもしれません。



 5月6日(水)
振替休日
  テレビのインタビューで今日は何の休日かを知っている人が少ないのは驚きでしたが、という私も家内もカ
  レンダーを見て振替休日だと知りましたが
、”祝日法”(国民の祝日に関する法律)に「国民の祝日」が日曜日
  に当たるときは、その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日を休日とすると規定していま
  す。したがって3日(
)の「憲法記念日」の振替休日が6日という事になるのです。
  しかし、日曜日だけで土曜日に「国民の祝日」が当たっても振替休日は無いそうですから、休みに対する考え
  方も官公庁や大手企業では土曜日は当然のように休日ですが、中小零細企業の中では出勤日とか半ドンの
  所があるので法律の上での休日は日曜日だけかなと思いました。
  ”祝日法”ではその他に
「国民の休日」というのがあり、これは「国民の祝日」に挟まれた日は休日にするとい
  う規定で、今年は
「秋分の日」9月21日(月)と「勤労感謝の日」9月23日(水)に挟まれた9月22日(火)がそれ
  に該当するそうです。お蔭で9月に5連休があり、シルバーウイークと呼ばれているそうです。
  長かったゴールデンウイークもほとんどの人が今日で終わり、明日から学校や会社が始まり、普段の生活に
  戻ると思いますが、気分を一新して勉強や仕事に頑張ってほしいと思います。


 5月5日(火)
こどもの日
 
 今日は五節句の一つで男の節句の”端午の節句”ですが、残念ながら我が家には男の子の孫がいないので兜
  も鯉のぼりも縁がありませんが、
「こどもの日」という事で家内と一緒に娘一家の所に出かけました。
  連休中なので高速道路を避けて一般道で行くつもりでしたが、東名高速道の名古屋ICまでは普通に流れてい
  たので名古屋ICから名2環経由・名古屋高速笠寺ICまで行く事にしました。午前9時前に家を出て20分程で名
  古屋高速に入ると笠寺で事故渋滞が発生している情報があったので、手前の堀田ICで下りたら下の道は混雑
  もなくスムーズに南区の娘の家に着きました。

 上のmn実
下のnt実も朝早くから「miyako婆ばが来る」
 と家内を待っていたらしく、家に着くなり、まとわりつい
 ていました。今日は家内は孫2人を
”名古屋テレビ塔”
 連れて行く積りにしていたので、少し休憩してから、みん
 なで出かけ、家内と私と孫2人はテレビ塔で降ろしても
 らって、娘夫婦は買い物に行きました。
 家内も私も結婚前にはそれぞれで行った事はあるので
 すが、結婚してから2人でテレビ塔に上がるのは初めて
  で、孫2人より私達の方が喜んで行ったのかもしれません。入場料700円で90mのスカイデッキまでエレベー
  ターで上がり、一回りし四方を見ましたが、名古屋駅方面の高層ビル群や南方向の久屋大通りを見ると名古
  屋の都市計画の素晴らしさを実感できました。
 テレビ塔からお昼を食べようとオアシス21の広場に行きました。
 本来は孫達にオアシス21の水の様子を見せる積りでしたが、小さ
 な孫達にとっては広場でやっている
”オアシスで遊ぼうFES"しか
 眼に入らないようで、お昼を食べてから入場料幼児1人1,000円と
 大人1人500円の3,000円を払って遊びました。
 トランポリンやエアーの入った滑り台付きの遊び場など孫達にと
 っては丁度良い感じで2人共大喜びで何回も繰り返して遊んで
 いるのを見ていると元は取れたかなと思いました。
  2時間程遊んで元のテレビ塔に戻り、娘夫婦と落ち合って娘の所に戻り、夕食を家内の持って行った
”そぼろ
  煮”
にした玉子や鳥肉、豚肉のミンチ、しらす、シャケ、たらこ等をご飯にのせて食べて帰って来ました。


 
5月4日(月)みどりの日
  昔なら今日は連休の谷間だったのですが、平成19年から3連休のために
「みどりの日」をこちらに移したので
  5月4日で定着したようです。毎日新聞が「みどりの日」にちなんで題字を緑色にしたと聞いたので私も真似
  をして日付を緑色にしてみました。
  家内は連休は関係なく、月曜日なので義母の所に出かけて行きました。義母も最近は精神的に落ち着いたと
  いうのか、何事につけても感謝の気持ちが言葉に出るので家内も楽な気持ちで行けるようです。
 今日は久しぶりに朝から小雨模様の天気で家内も庭の緑が生き
 返ったと喜んでいましたが、出かけてすぐに電話があり、
「”なん
 じゃもんじゃ”が満開になっている」
と言って来ました。
 この
”なんじゃもんじゃ(一ッ葉タゴ)”は18年前の犬山祭りに行っ
 た時に結婚25周年の記念樹として買い、団地内の緑地に植えた
 のですが、除草業者の草刈り機で幹の地上から5cm位の所が傷
 つけられて上の方が枯れたので諦めていたら、次の年に傷ついた
 幹の下から芽が出て来た時には家内と2人で大喜びしました。
  あれから十数年経って、今では3~4mの大きさになり、毎年、今頃の時期に白い花をいっぱいに付けて道行く
  人達を楽しませています。勿論、私も枯れて復活したこの木を見ると元気になれるような気がします。



 5月3日(
憲法記念日
  今日は
「憲法記念日」ですが、その趣旨は”日本国憲法の施工を記念し、国の成長を期する”となっているそう
  です。今の憲法は1946年(昭和21年)11月3日に公布され、半年後の1947年(昭和22年)5月3日に施行され、そ
  れを記念して1948年(昭和23年)に公布・施行された祝日法によって5月3日に制定されたそうです。ちなみに
  公布された11月3日は
「文化の日」になっています。
  最近はゴールデンウイークの中の祝日の1つとして考えられている程度で、憲法について真剣に考えている
  のはごく一部の人に限られているような気がします。今朝のテレビでは憲法論議もやっていましたが、それ
  よりは高速道路の渋滞とか海外旅行に出かける人達を取り上げている番組がほとんどで、今日だけでも憲法
  について国民に考えるように訴える番組があっても良いのではないかと思いました。
  私自身も憲法について深く考えたり、よく知っている訳ではありませんが、制定以来一度も改定されていな
  い憲法がベストだとは思えないので、平和憲法の基本理念は保ちながら、他の法律と同じように現実に即し
  た憲法に改定して行くべきだと思っています。

 

 5月2日(土)
  今日も朝から雲一つない天気になりましたが、家内は今日が”八十八夜”だからとお茶
  の葉を摘んでいました。お茶の木を植えてからは、今頃になると毎年、自分で新茶を作
  っていますが、今年は直射日光を避けるために日除けネットを買って来て被せていたの
  で、少しは良いお茶が出来るかもしれません。
  私は午前9時過ぎにいつものモスバーガーの店にコーヒーを飲みに行き、1時間ばかり
  世間話をしてからゴルフの練習に行きましたが、連休中で混んでると思ったら、タイミン
  グ良く打席が空いたので直ぐに練習が出来ました。3月に左肩を痛めて以来、ドライバ
  ーや長いクラブの練習は少しだけにして、主にアプローチを練習しているので、60分
  の時間内に制限数の300球を打つこともありますが、今日はバンカーの練習をしたせいで190球程度の球数
  で終わりました。
 家内は連休中でも
「誠武館」は剣道の稽古があるので、夕方出かけ
 るまでにと新茶を作っていましたが、陰干しをして、蒸して、手で揉
 んで仕上げていましたが、出来上がった時には手首がパンパンに
 なったと言ってました。
 朝方摘んだ
お茶の葉が167gで出来上がった新茶の量は49gでした
 から3分の1弱になる計算です。早速、淹れて味わいましたが、ここ
 数年では一番お茶らしい味に仕上がっていると思いました。
 日除けネットの効果があったのか、家内の作り方が上達したせいか
  分かりませんが、人に喜んで貰うのが好きな家内らしく、早速、ご近所3軒に1回分の量をおすそ分けしてご満
  悦そうでしたが、我が家に残ったのはあと1回分です。


 5月1日(金)

  4月半ばからずっと暖かい日が続き、庭の花々も次から次へと満開になりましたが、5月になった今日の庭は
  濃い紫の
クレマチスが一気に咲き、家内が実家からもらって来て数十年になる珍しい白花紫蘭も可憐な白い
  花を咲かせています。1本だけの
イチハツもやっと花を咲かせてくれましたし、先日から咲き始めている白の
  
クレマチスは沢山の花が一気に咲いて私達を驚かせています。白や青のオダマキも纏まって咲いて庭のあち
  こちで目を楽しませてくれています。
   
  午前中の
「南部中国同好会」はO.M先生が親戚の結婚式で大連に帰ったので来週になりましたが、午後の「坂
  下パソコン同好会」
は予定通りありました。ゴールデンウイークなので休みの人が多いかなと思いましたが、
  2人欠席だけでいつもとあまり変わりませんでした。私達の歳になると休みの時より平日に出かける方が多
  いかもしれません。

 
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