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 桂林・西安@紀行編  A食べ物編

妻の写仏画      日本画
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 6月29日(金)
  トルコ旅行のホームページ更新でずっとパソコンと向き合って家にいるので、午前中、気分転換に
  王子ゴルフ練習場に行きました。
1時間300球700円のコースで体をほぐす積りで始めたのですが、
  やりだすと力が入ってしまい、終わり頃には汗びっしょりになり、腰も少し違和感が出て来たので
  止めて家に帰ってシャワーを浴びて気持もスッキリしました。来週は
「桃球会」コンペもあるので丁
  度良い運動だったかなと思いました。
  旅行中は体を動かす事も余りないので朝起きて散歩するのが精一杯ですが、暑い所だと直ぐ汗を
  かいて止めてしまうので今日は良い汗をかいたと思いました。



 6月26日(火)
  昨夜、トルコ旅行から関空に帰って来て、春日井に着いたのが午後10時過ぎで寝たのが午前0時近
  くだったので一度もトイレにも行かず、午前8時過ぎまで寝ていました。
 朝食を食べていると家内が
「珍しいのがいる。」と言う
 ので行ってみると、勝手口のコンクリートの所で脱皮し
 たばかりの
”アゲハチョウ”がとまっていました。
 そればかりでなく、次にレモンの木に行って見ると
”ア
 マガエル”
が木の枝の上にちょこんと座っているので
 何を目的で木の上に居るのか分かりませんが、我が家
 の庭では初めて見ました。
  10日間の留守の間に庭でも
”レモンの実”が少し大きくなり、その上、2度目の花が付いているので
  これが実になれば楽しみですがどうなのかは分かりません。
”ハンゲショウ”も色づき始め、”キキョ
  ウ”
”萩の花”も咲き始めていました。この時期の10日間というのは自然にとっては変化の多い期
  間だと思いました。
 



 6月16日(土)〜6月25日(月)
  岡山の兄と兄の友人のO.Mさんの3人で「カッパドキアの洞窟ホテルに泊まるトルコ紀行10日間」(阪
  神航空フレンドツアー)のツアーに参加しました。
  一行は25人(我々3人、夫婦2組、親子2組、女性3人連れ、女性2人連れ4組、男性1人、女性1人、女性
  添乗員
T.Mさん)で年代は20代から70代と広範囲にわたっていました。
  
16日(土)〜17日(日)午後4時過ぎに家内に春日井駅まで送ってもらい、JR中央線、新幹線、JR関
  西空港線で関西国際空港に着き、午後8時に受付し、午後10時30分発の満席のTK471便でイスタン
  ブールへ、現地時間午前5時(日本時間午前11時)に到着後、国内線に乗り換えて午前9時30分に最
  初の宿泊地イズミールに着きました。
  空港で現地ガイドのボラさんの迎えを受け、今回、お世話になる
「Dorak」のバスでベルガマのアク
  ロポリス遺跡に行きました。見学前にレストラン
「Bergama」で初めてのトルコ料理を食べましたが、
  世界3大料理とは思えない味でガッカリしました。
  標高333m、ベルガマ丘の上にある
”アクロポリス”はローマ帝国時代の遺跡でトラヤヌス神殿や大
  劇場、アテネ神殿、図書館、アゴラ(ローマ時代の市場跡)等があり、初めてローマ時代の遺跡を見
  た私には興味深く見所の多い所でした。
  次にアクロポリスから5km離れた総合医療施設
”アスクレピオン”に行きましたが、紀元前4世紀から
  紀元後4世紀まで800年間もその役目を果たしていたのは驚きでした。アクロポリスからアスクレピ
  オンまでの道が両側石柱のアーケードだったと聞くと当時の繁栄ぶりが想像されました。
  夕方、今日の宿泊先
「イズミールヒルトン」に着き、夕食後、港に夕日を見に行きましたが、エーゲ海
  に沈む夕日は見事でした。ホテルに帰った後は昨日からの疲れもあり午後9時過ぎにはバタンキュ
  ウでした。
  

  
18日(月)午前8時にホテルを出発しエフェソスに向かいました。紀元前2世紀頃から小アジアの首
  都として栄えたエフェソスは多くの遺跡があり、最初に訪れた
「エフェソス考古学博物館」には多く
  の出土品が収められており、石像や彫刻、コイン、宝石など各部屋ごとに展示されていて興味深い
  物ばかりでした。特に豊穣と多産の神
”アルテミス”の像は素晴らしいと思いました。
  
  その後、世界の七不思議の1つ
”アルテミス神殿”に行きましたが、石柱が1本だけ復元されているだ
  けで当時の面影は全く感じられませんでした。
  次いで、
”エフェソス都市遺跡”に行きましたが、ローマ帝国時代の遺跡としてはトルコ最大の遺跡と
  いうだけあって素晴らしいと思いました。私自身がヨーロッパに行った事が無いので教科書やテレ
  ビでしか見た事のない大理石の像や彫刻、石柱がその辺に転がっているという景色に感動してし
  まいました。特に
大劇場や図書館、浴場のほか水洗の公衆トイレは興味深い物でした。
   
  昼食を
「Kalhan」で食べた後、皮製品の店に連れて行かれましたが、暑い時なのでファッションショ
  ーをやっても誰も興味を示しませんでした。
  午後2時前にパムッカレに向かい、途中、トイレ休憩をした所ではバスの
温度計が40℃を示していま
  したが、湿気がないせいか日陰に居るとそれ程の暑さは感じませんでした。
  午後5時に石灰棚で有名な
”パムッカレ”に到着しました。ここはローマ帝国時代の温泉保養地”ヒエ
  ラポリス”
があり、真っ白な石灰棚を流れているのも生温かい温泉水でした。
  午後6時に近くの
スパホテル「サーマルコロッセア」にチェックインしましたが、他に宿泊施設がな
  いらしく日本からの団体旅行客でいっぱいでした。夕食のバイキングは今一でした。
  

  
19日(火)午前6時頃に外へ出たら昼間の暑さはどこへやらの涼しさでした。午前7時前に朝食に行
  きましたが、今回の食事は朝食も夕食もホテルのバイキングなので何処でも同じようなメニュー
  ですが、料理の数は少なく、パンやジャム、デザートが充実していると思いました。
  午前8時に出発、途中、ディナールでトイレ休憩に寄った時に地元の人が食べているヨーグルトの蜂
  蜜掛けを食べてみましたが私は完食でしたが、甘過ぎて残す人もいました。アフィヨンの
「Veran
   Tesisleri」
で昼食を食べ、スルタンサンでトイレ休憩し、午後4時頃にコンヤ市内に入り、最初に「イ
  ンジェ・ミナーレ博物館(神学校)」
を見学しましたが、今は使われていなくて近くの遺跡の出土品
  の展示に使われているようでした。次に
「メヴィラーナ霊廟」に行きましたが、こちらは”セマー”
  いうくるくる回りながら踊るメヴィラーナ教の始祖メヴィラーナや一族が祀られ青緑のタイルで飾
  られた塔が目を引きます。塔内にあった色々な昔のコーランが興味深いものでした。
  午後6時に市内を出て15分位走った所にある学生の住宅街に出来た立派な
ホテル「リクソス」に着
  きました。このホテルの夕食バイキングも同じようなものでした。
  

  
20日(水)午前5時半に目が覚め6時半頃に外に外に出て見ると風が強くて寒い位でした。この地
  方は−40℃位まで下がる事があるとガイドのボラさんが言ってました。
  朝食バイキングは特に変わり映えは無かったのですが、このホテルはトースターが無く、パンを焼
  く事が出来ないのは5つ星とは言えないと思いました。
  午前8時15分にホテルを出発しこのツアーの主目的地の1つ
”カッパドキア”に向かいました。走って
  いる道路は両側に羊の群れもいてシルクロードらしいのですが、この辺まで来ると道路も昔のマカ
  ダム工法で作ってあり、舗装会社にいた者としては懐かしい気がしました。途中、居眠り運転なの
  か工事中のグレーダーにぶつかっているトラックを見ました。1時間半ほど走ってスルタンハムの
  
”キャラバンサライ(隊商宿)”に到着。城壁のような石壁に囲まれたキャラバンサライは砂漠の中
  の砦のような所だったんだと思いました。
  
  午後12時頃に
カッパドキア”ウチヒサール”に着きました。ここは2つの岩山を中心に城下町のよう
  に家々が連なっていて、30年位前まで住んでいましたが、現在は他の場所に移っているそうです。
  遠くから写真を撮りながら、その中でどんな生活をしていたんだろうと思いました。
  その後、
”ギョレメ”洞窟レストラン「Hanosasi」で昼食を食べましたが、中は狭くて薄暗く、味も大
  したことは無く、ヨーグルトスープは残した人も多く、メインのチキントマト煮とライスも普通の味で
  ただ外見の物珍しさだけでした。
  昼食後、
アヴァノスの”絨毯工房”に行きましたが、良いものは高くて手が出せず見るだけにしまし
  たが、10万円を超える玄関マットを購入した人もいました。
  

  午後2時半にここを出てキノコ岩で有名な
”ゼルベ”に行きました。数億年前の火山の噴火で火山灰
  の堆積層に溶岩が乗り、長い年月の間に堆積層(擬灰岩)が溶けて溶岩層が残り、現在のような奇
  岩群が出来たそうです。どちらにカメラを向けても絵になる景色はカメラを趣味の人には堪らない
  と思いました。
  

  次に行ったのは
”カイマルクの地下都市”でイスラム教の迫害を恐れたキリスト教徒がアリの巣のよ
  うな地下都市を作り、普段は地上で生活をしていて、何あれば地下に身を隠して生活していたと考
  えられ教会まで作っていました。後の時代には葡萄酒を作る場所として使われていたそうです。
  午後5時過ぎに今夜から2連泊する
洞窟ホテル「ギョレメ カヤ」に入りました。洞窟を刳りぬいて作
  ったらしく、部屋の中は窓が小さく壁や天井は岩肌がむき出しで野趣に富んでいました。
  午後6時30分からの夕食はこじんまりしていて今までのホテルよりは良い感じでしたが、お代りを
  したいと思う料理はありませんでした。
  

  
21日(木)”熱気球”に乗る為にツアー客のほとんどはオプショナルツアー(21,000円)なので午前
  4時15分出発でしたが、私達は岡山の兄が日本で予約(15,500円)をしていたので、少しトラブルが
  ありましたが、別の迎えの車で午前4時30分にホテルを出発しました。熱気球はその日の風向きに
  よってカッパドキアの色々な場所から飛び立ち、着陸も風次第なので、着陸スタッフとバルーンの
  パイロットが無線で連絡しながら着陸場所を決めるようです。
  私達の乗った16人乗りのバルーンも午前5時半過ぎにゆっくりと飛びあがりました。高い所が得意
  ではない私でも恐怖感は全くなく、遠くに見える山々や下に見える
カッパドキアの奇岩群の景色や
  オレンジ色の屋根の家々やそこから出て来て手を振っている人達、近くや遠くに居るバルーンも全
  てが素晴らしい風景でした。風が穏やかなせいか、少し霞がかかったようで写真には撮りにくかっ
  たようですが、1時間のフライトはすばらしい体験になりました。最後の着陸の時のランディングは
  一つ間違えば岩の上でしたが、運良く草地の上でしたので事なきを得ました。乗船証明書を貰いジ
  ュースを飲んでホテルに着いたのが午前7時過ぎでした。
  
  
  朝食を食べてから部屋で少し休憩をして午前9時30分にホテルを出て
”ギョレメ野外博物館”に行き
  ました。ここは古代ローマ時代にキリスト教徒がローマ帝国の迫害を避けて岩を掘って住み始め、
  岩の中に多くの洞窟教会を造って信仰を守り続けた所です。特にギョレメには30以上の教会が集ま
  り、リンゴの教会、闇の教会、蛇の教会等は保存状態も良く、特に
闇の教会(カランルク・キリセ)のフ
  レスコ画は見事なものでした。ただ、場所によっては去年の大雨で崩れかかって通行禁止になって
  いる通路や出入り禁止の教会もあり今後の対策が大切だと思いました。
  
  昼前に出発し、
トルコ石の専門店「AGAD」に行きました。この店はかなりの有名店らしく良い物もあ
  り、あまり見かけない石もあったので若い女性をはじめ、かなりの人が買ったようでした。
  午後1時前にアヴァノス(陶器の町)の
レストラン「Bizim Ev」で魚料理を食べましたが、魚料理と言
  っても鱒のグリルでそれ程おいしいとは言えませんでした。
  午後1時半過ぎに店を出て
「Turasan」ワイナリーに行きました。このワイナリーはワインコンテスト
  で金メダルを取った事もあるワイナリーということで皆さん重いのにも拘わらず買っていました
  が、私も白ワインを2本も買ってしまいました。ここで今回のカッパドキア観光が終了したので早目
  にホテルに帰る事にして午後3時にはホテルに着きました。午後6時30分からの夕食では昨日とほ
  とんど一緒でしたが、魚料理でサバの焼き物?があり、これが結構おいしかったのでお代りをしま
  した。
  

  
6月22日(金)朝5時40分頃、ホテルの外に出たら昨日私達の乗った熱気球が風の具合が良かった
  のかホテルの方に向かって飛んで来ていました。午前6時前には次か次へと飛んで来て下から見る
  バルーンはテレビや絵ハガキで見る風景そのものでした。
  
  午前6時から昨日と同じ朝食を食べ、午前7時にホテルを出発し、30分程で
ネプシェヒル空港に着き
  ました。この空港は畑の中にポツンとある空港でイスタンブール行きが一日1便しかないそうです。
  それでも空港検査は厳しくて空港内に入る時と搭乗口を通る時の2回あり、金属探知器に掛かりそ
  うな物は全部はずして身体検査を受けてから入るようになっていました。
  イスタンブール行きは定刻を少し遅れて離陸し、午前10時35分にイスタンブール空港に着陸し、午
  前11時過ぎに空港を出て旧市街を通り、午後12時に新市街の
「優曇也(うどんや)」に着きました。
  トルコで最初で最後の日本食でしたが、ここで食べた
”天ぷら定食”は付け合せのナスの煮物の味
  付けが良く、玉子焼も温かく、メインの天ぷらは揚げたてでみそ汁も熱くて言う事は無かったので
  すが、御飯がタイ米だったのが残念でしたがおいしいお昼ご飯でした。
  

  午後1時前に出て、最初に
「アヤ・ソフィア」に行きました。紀元360年にキリスト教の聖堂として建て
  られたが、火災や暴動によって破壊され、紀元573年にユスチニアヌス1世によって現在の大聖堂が
  再建されたそうです。1453年オスマン帝国の征服によってイスラム教のモスクになり、偶像崇拝を
  禁止するイスラムの教えに反するとモザイク画も漆喰で塗りつぶされていましたが、トルコ共和国
  に入り、大修復を行い、昔の姿を取り戻し現在は博物館となっているそうです。
  大聖堂の大きさは世界4番目で隠されていた壁のモザイク画はビザンチン美術の最高傑作と言わ
  れるようにどれも見事なものばかりでした。
  
  
  午後3時前に近くにあるビザンチン時代に造られた大地下貯水池に行きましたが、336本の石柱が
  並ぶ様子が宮殿のようなので
「地下宮殿」と呼ばれるようになったそうです。
  午後3時半に出発し、
「グランドバザール」に向かいましたが、距離は近かったのですが渋滞で50分
  も掛ってしまいました。カバル・チャルシュ(屋根のある市場)と呼ばれるグランドバザールは4000
  軒もの店が並び、金銀細工を始め宝石、トルコ絨毯や皮革製品等の店が多く、市場と言うより商店
  街と言った雰囲気でした。私達はあまりの店の多さに一回りしただけで集合場所近くの店でジュー
  ス、コーヒーで時間をつぶしました。
  
  午後5時30分にバザールを出て、シーフードレストラン街にある
「Valentino」に行き、夕食を食べま
  したが、このエリアは全部がシーフードレストランだけなのは驚きでした。我々は魚のスープ、イカ
  フライ、すり身フライ、サバのトマト煮でしたが、これだけ店があるのなら自由に店を選んで注文し
  て食べるとか同じ店でも好きな物を食べさせてほしかったと思いました。
  午後7時過ぎに店を出てイスタンブールで2連泊する
「イスタンブール ヒルトン」に午後8時にチェッ
  クインしました。部屋からボスボラス海峡を見渡しアジアサイドが見えるロケーションはなかなか良
  いものでした。
  

  
23日(土)今日は出発が遅いので朝も6時まで寝て午前7時に朝食に行きましたが、さすがにヒルト
  ンホテルだけあって今までで一番のビュッフェでした。
  朝食後、時間があったので散歩を兼ねてロクムの店を探しに出かけましたが、
”タクシム広場”まで
  は分かったのですが、その先の通りを間違えてしまい帰って来ました。
  午前10時にホテルを出て旧市街の
「ブルーモスク」に向かいましたが、土曜日とあって車の渋滞も
  無くスムーズに到着しました。
  オスマン帝国のスルタン・アメフット1世の命により1609年から7年かけて建てられたこのイスラム
  寺院はドーム内部に2万枚の青い花柄のイズニックタイルで飾られているのが
「ブルーモスク」と呼
  ばれている所以のようです。6本のミナレット(尖塔)はメッカにある7本のミナレットのあるモスクに
  次いで2番目だそうです。
  
  

  午前11時過ぎに出て来て、歩いて
「トプカプ宮殿」に行きました。ビザンチン帝国(東ローマ帝国)を
  滅ぼしたスルタン・メフメット2世が15世紀に建設した宮殿は代々のスルタン(オスマン帝国の皇帝)
  が400年にわたって居城にしていた所です。広大な敷地は4つのエリアに分かれそれを取り囲む建
  物は博物館になっています。どの建物も見事なタイルで飾られていて見応えがあり、タイルの模様
  もそれぞれ違っていて何種類あるのかとても確認出来ないと思いましたし、
「アヤソフィア」「ブ
  ルーモスク」
との比較は出来ないと思いました。中でも宝物館にあった大きなエメラルドが3つ柄に
  嵌め込まれている35cmの
”トプカプ短剣”は映画007に出てきたそうですが、前に行くと思わずた
  め息が出ました。86カラットのダイアモンドもただ見とれるだけでした。これだけの物があるという
  のは当時のオスマン帝国の繁栄ぶりが十分に偲ばれると思いました。
  
  
  
  午後2時前に宮殿を出てガラタ橋近くの
レストラン「Hamdi」でお昼を食べました。今日の観光予定は
  終わったので自由解散になりましたが、私達はバスでホテルまで戻りました。
  夜はオプショナルのベリーダンスショー(11,000円)がありましたが、私達は岡山の兄が予約してあ
  る「ホジャパシャ文化センター」のダンスショー(50トルコリラ:2,300円位)に行く事になっているの
  でそれまでの時間を利用してもう一度ロクムの店を探しに
”タクシム広場”からイスティクラル通り
  まで行きました。土曜日とあってこの通りは人人人で埋まっており、その中を
トラムがゆっくり走る
  のは昔の街のようでなかなか良い雰囲気でしたが目的の店は見つからず仕舞いでした。
  
  午後6時過ぎに3人でタクシーで会場まで行き行き、時間があったので近くを歩いていたら
ロクム
  の店「KOSKA」
があったのでここで買いました。
  午後7時過ぎになったので「ホジャパシャ文化センター」に行き、手続きを済ませ会場に入り、開演
  を待っていると午後7時30分になり、メヴィーラ教の踊り
”セマー”が始まりました。30分経っても終
  わらないので不安になって来ましたが、これが終われば次に
”ベリーダンス”が始まると思っていま
  したが、1時間後に
”セマー”が終わったら観客が立ち出したので我々も会場から出てきましたが、
  何人かの外人も我々と同じように不思議そうな顔で出てきましたが、特に文句を言う人も無く終
  演になりました。何となくキツネにつままれたような気分で外に出て、夕食を食べようと少し歩い
  て適当に店に入りました。
  ビールとメモしてあった料理を順番に注文しましたが、どの料理もまずくて世界3大料理は嘘だと
  思いました。食事が終わって帰る途中で焼き物の店があったので入ってみると面白そうな物があ
  ったので私はマグカップ(25リラ)2個、岡山の兄は中皿(45リラ)と鍋敷き(5リラ)を買いました。
  タクシーでホテルに着いたら午後11時になっていました。
  

  
24日(日)昨夜寝たのが午前0時頃だったので午前6時過ぎまで寝ていて、午前7時過ぎに朝食を
  食べ、午前8時にトランクを出して一休みして午前9時30分にロビーに行き、希望者だけで添乗員の
  
T.Mさんと一緒に市内見物に出かける事になり、タクシム広場からトラムで”ガラタ塔”まで行きまし
  た。
”ガラタ塔”は1338年にジェノバ人がビザンチン帝国を監視する為に建てたと言われていて高
  さ67mの展望台からは360度見渡せて素晴らしい景色でした。
  

  午前11時に塔を出てガラタ橋に向かいましたが、途中の会社は日曜日とあって全部休んでいまし
  た。ガラタ橋には多くの釣り人が来て釣っていましたが釣果を見ると小さなボラが少し上がってい
  ましたが、それ程釣れてはいませんでした。橋を渡って
「エジプトバザール」に行きましたが、こち
  らの方がグランドバザールよりこじんまりしていて歩きやすく買い物もしやすそうでした。
  最初にカラスミ専門店に入り、説明を聞いて岡山の兄が二腹(35リラ×2)買ったので、私はアップ
  ルティ300g(12リラ)と二腹(1,500円×2)を買いました。次にその店で紹介されたトルコ石の店に
  行きトルコ石のペンダント先を3つ(?万円)買いました。
  エジプトバザールを出たのが午後1時近くだったのでガラタ橋名物の
「さばサンド」(5リラ)とコカ
  コーラ(2リラ)買って食べましたが、パンはベーグルパンのようにもっちりしておいしいと思いまし
  たが、サバの方は思ったほどではありませんでした。
  
  他の人達と別れて私達はタクシーで午後2時頃にホテルに帰り、ラウンジで休憩をしました。
  午後4時前にホテルを出発、午後4時30分からの
”ボスボラス海峡クルーズ”はエミノニュの桟橋
  から第2ボスボラス大橋までの往復1時間半のクルーズです。スタートすると間もなく左側に
”ドルマ
  バフチェ宮殿”
が見え、その後ろに我々が泊まった「イスタンブールヒルトン」が見えます。その内、
  オルタキョイの街と修理中のオルタキョイ寺院が見ながら進むと、第1ボスボラス大橋を過ぎて暫く
  進むと1452年にオスマン帝国のメフメット2世がコンスタンチノーブル攻略の拠点として4ヶ月で建
  てた
”ルメリ・ヒサル”の城塞が見えてきます。第2ボスボラス大橋の手前でUターンしアジアサイド側
  を進んで行くと1865年に建てられオスマン帝国の迎賓館として使われた
”ベルレルベイ宮殿”が見
  えます。多くの伝説がある
”乙女の塔(クズ塔)”が見えて来るとクルーズも終わりに近づきます。
  
  

  午後6時前にエミノニュの桟橋に着き、バスで最後の夕食会場、空港近くの
「Beyti」に行きました。
  この店は外から見た雰囲気も良く、テーブルセッティングもしっかりしていて1945年創業になって
  いたので期待出来ました。出て来た料理は昨夜、我々が旧市街のレストランで注文したものとほと
  んど一緒でしたが、特に
キョフテ(ハンバーグ風)はこの店の方が格段上でした。最後の最後でトル
  コ料理らしい食事が出来たのが少しは慰めになったように思います。
  午後8時半前に空港に着き、私達はスムーズにチェックインが出来たのですが、一部の人が1時間程
  待たされましたが、何とか午後10時頃には全員手続きが終了し、
現地ガイドのボラさんと別れを告
  げて税関を通って中に入りました。余った13リラを使いきろうと売店を見てもユーロ表示になって
  いてリラ表示がないのでオリーブオイル(9リラ)を買い、ファンタ(3.5リラ)を飲んで0.5リラを残す
  だけでした。
  

  
25日(月)TK46便は定刻を少し遅れて午前1時20分に出発し、日本時間午後6時15分に関西国際空
  港に着陸しました。荷物を受け取り午後7時13分発のはるか号に乗り、新大阪で岡山の兄とO.Mさん
  に別れを言ってひかり532号で名古屋駅に、中央線春日井駅に着いたのは午後10時過ぎでした。

  今回のトルコツアーは私としては3泊ないし4泊が多いかったので長く感じましたが、終わってみれ
  ば早いような気もしました。印象深かった所も多々ありますが、ベルガマの”アクロポリス”や”
エフ
  ェソス都市遺跡”
はローマ帝国時代の遺跡という点で印象深いですし、”カッパドキア”は初めての
  熱気球体験と洞窟住居跡や自然の造り出した奇岩群の景観は忘れがたいと思いますし、イスタン
  ブールの
”アヤソフィア”や”ブルーモスク”、”トプカプ宮殿”等も素晴らしかったと思います。特に
  
トプカプの短剣や86カラットのダイヤは目に焼き付いています。
  一緒に行ったツアーメンバーも様々でしたが、添乗員のT.Mさんの落ち着いた気配りでトラブルも
  無く皆さん和気藹藹にツアーを楽しんでいて良かったと思います。
  個人的には岡山の兄と一緒に行くのは3回目でしたが、気を使わなくても良いのと旅に慣れている
  ので外国に行けば頼りになる兄貴だと信じているぶん気楽で楽しい旅でした。その上、買い物好き
  の性格が最後のなって出てしまい大量のお土産に自分でも驚きました。


 6月16日(土)
  梅雨に入ってから雨らしい雨が降っていなかったのですが、今日は朝から雨の日になりました。
 家内が今年も
ゴーヤでグリーンカーテンを作り始めま
 した。昨年は最初の頃は出来たゴーヤをゴーヤチャン
 プルにして喜んで食べていましたが、途中からは出来
 すぎるので実が黄色になって弾けて困っていました。
 今年は去年採った種から作っているのでどんな出来に
 なるのか楽しみにしているようです。
 
レモンの木もたくさん花がつきましたが、ほとんど落ち
  てしまい、僅かに残って実になったものが少し大きくなっていたのでこのまま育ってほしいと思い
  ます。
  


 6月14日(木)
  午前中、東部市民センターの「中国語同好会」があったので出席しましたが、一人は仕事の都合で
  欠席でしたが、後の二人の内、一人は母親の病院の付き添い、もう一人は帯状疱疹で欠席と病気
  に絡んでの欠席でしたし、目下、休学中?の
女性3人も親の介護で続けられなくなっています。
  夕方、
近所のK.Kさんと話していたら知人が脳梗塞で倒れリハビリ中だし、ゴルフ仲間のM.Kさん
  原因不明の視覚障害でゴルフが出来ないし、
接骨院のS.M先生は椎間板ヘルニアで近日中に手術
  する事になっていて自分の周りは病気の話ばかりだと嘆いていました。
  今月中に退院予定の
パサテンポ氏や大腸手術をして先月退院して来たゴルフ仲間のF.Jさん等の
  明るい話もありますが、私や家内、近所の人達の周りでは病気や体調不良の話が多くて、それだけ
  自分達が歳を取ったのかなあと感じる今日この頃です。



 6月12日(火)
  今日は家内の愛知医大の定期検診ですが、KO大学の同じクラスだったcherrymasa氏から入院中
  の
パサテンポ氏のお見舞いの品を預かっていたので、それを持って病院に行きました。
  私としては
「無尽陶舎」の掲示板を通じて、彼ら2人が学生時代より親しくなり、cherrymasa氏
  パサテンポ氏にお見舞いをしてくれた事は「無尽陶舎」を続けていて良かったと思いました。
  家内の方は特に変わりなかったので診察終了後、午前11時半頃に
パサテンポ氏の病室に行き、一
  緒に11階の
「アゼリア」で昼食を食べ、今日もご馳走になってしまいました。
 今月2日(土)に
東京のN.S君がお見舞いに来た時には車椅子だったのが、今日
 は松葉杖で
「アゼリア」まで歩いて行ったので再手術後のリハビリも順調にい
 ってると思いましたが、以前、松葉杖で歩いていた時よりはぎこちない感じで
 した。やはり、再手術後の右足に痛みがある上に、左足が万全ではないのでス
 ムーズには歩けないようです。彼の話では先生と話して今月30日(土)に退院
 する事にしたそうですが、その頃までに痛みが無くなれば以前のようにスイス
 イと歩けるようになってほしいと思っています。
  昼食後、午後2時頃まで彼の病室で話をして別れましたが、来月の家内の定期検診の時には彼は退
  院していないはずなので、また病院で会わない事を祈って帰って来ました。



 6月10日(

  梅雨の晴れ間を利用してずっと気になっていた梅の実を採りました。今年は沢
  山生っていたので余り大きい実は少なかったのですが、それでも立派な実も
  あって全部で
6.7kgの収穫がありました。
  家内はさっそく実の掃除をして風通しの良い日陰に干していました。最近は梅
  酒はほとんど造る事は無くなり、孫が来た時に飲めるようにと梅ジュースにな
  る事が多くなりました。
  家内の実家から亡き義父が持って来てくれた梅の木も既に40年近く経ちます
  が、特に手入れをするわけでもなく、適当に枝を剪定し消毒するだけで、毎年、これだけ沢山の実
  をつけてくれるのは我が家にとっては本当にありがたい木だと思っています。
  午後2時から家内は春日井剣道連盟の伝達講習?があるからと春日井市体育館に剣道着を着て
  出かけました。講習の後、稽古もあると言ってましたが、今日は朝から気温もかなり高いので体育
  館の中は大変だろうと思いました。

 昨夜、私が安全パトロール中でいない時に長男から電話があり、来週の父の日(17日)
 は私がトルコに行っていないので、1週間早く父の日のプレゼントを送ったから
「私達
 が勘違いしていると思わないでほしい。」
と言っていたプレゼントが届きました。
 去年も贈ってくれた
嫁のsayaさんが好きだという宮城県石巻市の「白謙蒲鉾店」
 
”笹かま詰合せ”でした。
 
「白謙蒲鉾店」は去年は「東日本大震災」で大きな被害を受けましたが、震災1ヶ月後
 に店を再開したばかりだったので、去年は
”笹かま”だけでしたが、今年は他の製品
 も入っていました。夜は家内が
I.F市長の後援会の集まりがあったので、私はさっそく
  笹かまと他の製品で一杯飲みました。
”笹かま”は勿論ですが、私が気に入ったのは”白謙揚げ”
  柔らかい歯触りと少し甘味のある味が私の好みにピッタリで少々飲み過ぎてしまいました。


 6月9日(土)
  午前中、ゴルフ仲間が集まる「モスバーガーの店」にお茶を飲みに行き、先日の私のコンペの報告
  や他のコンペに参加した人のスコアを聞き、お互いの情報交換をしました。シングルに近い人が
OB
  を4つも出して50も叩いた
という話を聞くとゴルフは本当に難しいものだと感じましたし、それぞ
  れ歳を取ってきた証拠かなとも思いました。
  夜は第2土曜日なので
「街づくり安全協議会」の夜間パトロールがいつも通
  りあったので参加して、その後の役員会にも出席しました。
  パトロールでは特に違法駐車も無く、防犯灯も異常なかったので役員会で
  その旨を報告し、私の今年度の課題の予算執行計画についても途中経過を
  話しました。
  他の役員の方からもそれぞれの立場で報告があり、問題点については有意
  義な意見も出て、本当に役員の皆さんが一生懸命やっているなと感心しま
  した。私はまだ2年位しかやっていませんが、役員の中には既に
何十年も地域の為に一生懸命やっ
  ている
方がいて本当に頭の下がる思いです。こういう方がいるから地域の安全や社会福祉が成り
  立っていると強く感じます。欲得抜きで地域やお年寄りの為に尽くしている人達には本当に何か報
  われる方法をもっと国や自治体が考えてほしいと思います。



 6月8日(金)
  今年の「春日井市民美術展」に出す積りで桜の絵を描いていた家内が「土岐のアウトレットモールに
  行きましょう。」
と言うので一緒に出かけました。
  今回は珍しく絵に集中しているので、たまに息抜きをしたかったのと、朝の新聞チラシでサマーバ
  ーゲン
30%〜70%オフという文字が目に入ったので行く気になったようです。
  午前10時過ぎに出て高速道を使って行ったら30分も掛からない内に着きました。平日だからまだ
  それ程人は来ていないと思っていましたが、チラシの効果なのか結構人出がありました。
 家内も私もこれという買い物の目的は無かったのですが、何か掘り出し
 物があればという事でぶらぶらして70%オフというバーゲンセールを
 やっている店をメインに見て回りました。来ている人の多くも似たよう
 な考えなのかそういった店にお客が集まっているように思いました。
 私は1泊用のバッグがあればと思っていたらカジュアルバッグのブランド
 
「kipling」に人がいっぱいで賑やかだったので入ってみたら、70%オフ
 のコーナー
にこれならと思うバッグがあったので12,600円を3,780円
  買いました。これは本当にお買い得でした。
  家内も
1万円以上のTシャツを3,500円1,600円のTシャツを500円を買いましたが、本人はもう少し
  気に入った物を見つけたかったようですが、いまいちだったと残念がっていました。


 6月7日(木)
  昔のソフトボール仲間のゴルフコンペ「ビッグフォース会」が小萱OGMチェリークリークCCであった
  ので参加しました。参加者は10名でしたがゴルフ場の方から送迎バスが来てくれるのでプレー終
  了後、ゴルフ場でのパーティで飲み放題が出来るからと一昨年から春のコンペはここでやる事に
  なりました。プレーの方は
アウト48.イン47のトータル95でしたが、今日は久し振りでロングホール
  でバーディが取れたのでそれが唯一の慰めのゴルフでした。
  ここ数日、血圧に異常も無く、目まいでもないのですが、頭のふらつきがあり、何となくフワフワし
  た感じなのですが、今朝もその感じがゴルフ場でもあり、ショットの時には感じないのですが、パタ
  ーをしようとするとボールが少し動いているように見えるので、パットが決まらず
アウトは48とい
  うスコアになってしまいました。インになって頭のふらつきは無くなり、バーディも取れたので40そ
  こそこで上がれると思ったのですが、最後の2ホールで6オーバーも叩き、
インも47という事にな
  ってしまいました。成績の方は今日の
幹事のY.Tさんが連続優勝し引き続き次回幹事という事にな
  りました。


 6月6日(水)
  朝からテレビでは金星が太陽の中を通過中だと放送していましたが、この
  地方の天気予報は朝から晴れになっているのに空を見ると雲が厚く見られ
  ないと思っていましたが、午前8時半過ぎになって雲が切れて太陽が顔を
  出したので、先日の金環日食を見た時のメガネを出して来て見ましたが、残
  念ながら私達の普通の肉眼では黒い点は見る事は出来ませんでした。
  カメラが20倍率なので何とか写したいと思いましたが、こちらの方も私の
  腕ではどう仕様もありませんでしたのでテレビ画面からの映像を撮るしか
  方法がありませんでした。今年は
天体ショーの当たり年ですが、こういった報道で子供達が宇宙に
  関心を持つようになってほしいと思います。



 6月5日(火)
  家内は剣道の稽古に行きましたが、今日は稽古の後、”竹刀供養”と銘うって道場横でバーベキュー
  をするので、買い物があるからと早目に出かけましたが、
”竹刀供養”でバーベキューというのが何
  となく違和感がありますが、提唱者の
K.M先生にとってバーベキューが目的のようです。
  私は中部大学の
「新聞論A」(水野雅夫教授)の講義に行き
  ました。今日の講義は日本の新聞の歴史の話でしたが、日
  本の新聞(
かわら版)の最初は元和元年(1615年)5月の大
  阪夏の陣で炎に包まれ落城する大坂城と落ち延びる女房
  たち、大坂方の敗色の濃い戦いの様子を描いた木版摺りの
  絵図が
”かわら版”に相当する最古のものとされているそ
  うです。
 「瓦版」という名称は幕末になってからで、その前は”読売”(よ
 みうり)
と呼ばれ、それを街角で読み売る人も”読売”と呼ばれ
 一人が読み謡い、他の一人が扇子などで拍子をつけ呼び売り
 したそうです。17世紀終わりには既に二人連れの絵草子売り
 の姿が描かれているそうです。
 
「瓦版」の名称も諸説あり、平らな瓦の上に字を書き焼き上げ
 たからとか、京都河原町で売っていたからと言われています
 が、実際は木版摺りが多いそうです。
  明治期になり活字の使用や新聞に名前が付き、定期的に発行(毎日、毎週等)されるようになり、近
  代の新聞の原形が完成したそうです。
  今の新聞は批判のみに傾き、建設的な意見に乏しく、言いっぱなしで結果に責任を持たないという
  
ポピュリズム(大衆迎合主義)に陥っていると言う水野教授の意見には私も全く同じ思いです。


 6月4日(月)
  家内は義母の病院に行きましたが、土曜日のパニックの事があるので気が重そうでした。私は持病
  の
3高(高血圧、高脂血症、高尿酸症、)の薬とPT検査を受ける為にかかりつけ医の所に行きました。
  普段、元気そうな私を見ている友人や知人は私がそんなに沢山の薬を飲んでいるとは夢にも思っ
  ていないと思います。
  血圧やPT検査もいつも通りで28日分の薬を貰い、今回は16日からのトルコ旅行で飛行機の中で寝
  られるようにと思い
睡眠薬を処方してもらいました。以前、ロスアンゼルスに行った時に薬を飲んで
  も寝られなかったので、今度はよく眠れる薬をお願いしましたが、効くかどうかは飲んでみないと
  分からないようです。
  夕方、家内が義母の病院から帰って来て
「今日は物凄く元気で歩いていた。」と話していましたが、
  リハビリの時、立ったり座ったりするのは歩行器が無ければ無理ですが、歩きだすと軽く杖を突く
  だけで歩いている姿を見て家内も驚いたそうですが、看護師は
「一人で行動する事は転ぶ危険性
  があるのでまだ無理ですよ。」
と言ってるそうですが、家内はこの調子でパニックが起きなければ
  家に帰れるかもしれないと思ったそうです。



 6月3日(
  今日は「第45回木曾漆器祭・奈良井宿場祭」の最終日なので、家内と一緒に午前7時半前に家を出
  て中央高速道で伊那IC迄行き、権兵衛トンネルを通って19号線に出て楢川迄行きました。
 日曜日とあって午前10時前に着きましたが、いつも行く町中の駐
 車場は満車だと思ったので町外れの
「木曾くらし工芸館」の駐車
 場に車を置き、シャトルバスで会場に行く事にして先に楢川地区を
 見て、その後で奈良井宿の方に行く事にしました。
 シャトルバスの平沢上町(楢川地区の端)まで行き、じっくり店を見
 ながら歩きましたが、これといったほしい物も無かったので、家内
 が見つけた朝がゆ碗を2客と私が気に入った携帯用の塗り箸を買
  って、奈良井宿に向かいました。
  シャトルバスが終点の権兵衛駐車場に着き、私達が午後12時過ぎに旧中山道上町に着いた時に、
  丁度、
「お茶壷道中」が通りかかったので運良くカメラの収める事が出来ました。「お茶壷道中」
  
3代将軍徳川家光の時代に茶壷3個を献上する事から始まり、一時は400人を超える大行列になり、
  8代将軍吉宗の時代に倹約令の1つとして茶壷3個までと限定され、
15代将軍慶喜まで230年間続
  いたそうです。
  
  その後、奈良井宿の通りの歩き、いつも行く奈良井駅近くのそば処「楽々亭」でお昼を食べて、車を
  止めてある「木曾くらし工芸館」の駐車場の戻り帰路に着き、途中でいつも寄る道の駅「大桑」でほ
  うれん草、
道の駅「きりら坂下」で稲庭うどんを買って帰りました。



 6月2日(土)
  先日のクラス会で会った東京のN.S君が奥さんと一緒にパサテンポ氏の見舞いに来るというので
  春日井駅まで来てもらい、私が車で愛知医大病院まで案内する事になりました。
  
N.S君はかってK.O大学で同じクラスだった仲間8人位でゴルフをしたり、博多や金沢に遊びに行っ
  たりした時の仲間で仕事もやり方は違いますが、お互い同じ不動産関係の仕事をして立場も似て
  いたので他の連中には言えない事も話していたようです。
  午前11過ぎに名古屋駅に着き、春日井に昼前に着いたのでせっかくだから
パサテンポ氏と一緒に
  病院でお昼を食べる事にして、直ぐに病院に向かいましたが、土曜日で道路が空いていると思った
  ら302号線が混んでいて午後12時半過ぎに着きました。
  今日の
パサテンポ氏は先日と違ってN.S君夫妻がわざわざ東京からお見舞いに来てくれたとい
  うだけでなく、リハビリも休みで体の痛みも少ないせいか顔色も良く、表情も明るく、本来の彼に
  戻ったようでした。11階のレストラン
「アゼリア」での食事中から1階の喫茶室に移ってコーヒーを飲
  んでいる間中、
N.S君夫妻は彼の話に感心したり、喜んだりしていましたが、私は彼一流の気遣いを
  感じました。
  午後2時半過ぎまで病院にいて、東京にとんぼ返りで帰る
N.S君夫妻を名古屋駅まで送る事にして、
  駅に行く途中、
「大須観音」を少しだけ見て、名古屋名物「天むす」をお土産に渡して名古屋駅で別
  れ、春日井に帰って来ました。
  家に帰ると、昨日、電話がかかって来て調子の良さそうだった義母の所に行った家内ががっかりし
  た顔で待っていました。午前中、病院に着くと義母が
パニック状態で手がつけられなかったので、
  昨日の電話で話していたのは何だったんだろうと考え込んでしまったようですが、薬を減らし過
  ぎて
パニック症状になったかもしれないので月曜日に病院に確認してくると言ってました。
  話を聞くと私も義母がぼけて来ているのではなく、パニックを起こしているだけなので薬をきちん
  と飲めば症状は改善すると思いました。リハビリと言っても心技体が完全に回復する事は大変だと
  つくづく思います。


 
 6月1日(金)
  今日から6月ですが、今日は「坂下パソコン同好会」の会場取りの当番にな
  っていたので午前8時半過ぎに坂下公民館に行きました。私が着いた時には
  既に多くの団体の人が会場で待機していましたが、私の受付順は35番です
  が、これはくじを引く順番で実際の受付はくじを引いて決めるのであまり早
  く行っても関係ないのですが、何故か、皆さん早くから来て待っているよう
  です。
  午前9時からくじを引き始め、私は19番を引いたのでまずまずでしたが、私
  の横の人は6番目に来て53番の札だったのでガッカリしていました。55の認定団体とその他の任意
  団体で60以上の団体の受付があるので最後の方になると1時間半位掛かるので待っているのも大
  変です。
  私は午前9時半に受付が終わったので大急ぎで南部ふれあいセンターの
「中国語同好会」に駆け
  つけましたが、午前10時の開始時間にはギリギリ間に合いました。今日は終わった後で食事会があ
  るので遅れても出席する積りでしたが間に合って良かったです。
  食事会でメンバーと話していると、昨日、
ヨーロッパツアーから帰った人、1週間後にスイスに行く人
  とか先生も先週の土曜日に
日中平和友好条約40周年記念行事の手伝いをしていた等、女性陣の元
  気さが目立っていました。私も今月の16日(土)からトルコに行く予定ですが、何とか体調を崩さな
  いように無事に帰って来たいと思っています。

  月の初めに我が家の庭にある花や木の状況を写真で乗せていますが6月1日の庭の花木です。

  鹿子や下野
のピンクのが咲き、庭も華やいできた感じがします。沢山咲いたレモンの花もほとんど
  落ちてしまい、僅かに残った実が何とか大きくなってほしいと思っています。
  



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