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  今年もいろいろな事がありましたが、何と言っても3月の東日本大震災を境に日本
  人全体が暗い気持ちになり、福島原発の事故で日本だけでなく世界中の人々に不
  安を与え、それが未だに続いていると感じます。
  私自身は試行錯誤しながらこの「無尽陶舎」をこの一年間続けられた事が何よりだ
  ったと思っていますし、つたない文章ですが読んで下さった方々にお礼を申し上げ
  ます。一年間有難うございました。



 12月31日(土)
  今年も今日で終わりです。家内と長男の嫁のsayaさんは2人で忙しそうにお節料理を作ってい
  ますが、私は朝から特にする事も無かったので郵便を出しがてら、長男に最近の団地内の様子を
  見せるために今年出来た簡易郵便局まで一緒に散歩に行きました。
  長男も団地内を歩くのは久し振りなので
「ここは○○君の家だ。」「あそこに△△君の家があっ
  た。」
と言いながら散歩を楽しんでいました。
  お昼に年越しそばを食べ、午後から注文してあった今夜食べるお寿司を取りに行きました。


 12月30日(金)
  今日の郵便物の中に一昨日出した年賀状が”配達準備中に調査しましたが宛所に尋ねあたりませ
  ん”
と赤いゴム印を押して帰って来ました。こちらで調べたらその方が転居している事が分かり、直
  ぐに新しい住所に出せたので事なきを得ました。
  去年までは1月に配達した結果、かなり経ってから帰って来ましたが、今年のように事前に調査して
  早目に分かると出した人も配達する人も助かると思いました。IT時代で便利になったせいか民営
  化されたせいか分かりませんが、いずれにしても時代と共にサービスが良くなる事は大歓迎です。


 12月29日(木)
  毎年の事ですが、今年も少しずつ正月を迎える準備が進んでいます。門に門松、締め飾りを玄関の
  軒下に飾り、玄関の内側には
花餅羽子板干支の置物を飾ったりするのが我が家の正月風景
  ですが、居間の所々にもお目出度い
七福神獅子頭、福俵等が置かれています。
  
  
  上の写真が正月飾りの模様ですが、その他にも干支の香合や扇もあります。こういった品物はほと
  んど家内が管理していて私には何処に仕舞ってあるのか分からないので家内が風邪にでもなって
  倒れたら困るので何時までも元気でいてほしいと思っています。



 12月28日(水)
  家内は昨日からやっと年賀状に取りかかりいろいろなアイデアを考えながらやっと完成しました。
  去年までは手作りにこだわり、古いプリントゴッコを使って5回〜7回の工程を繰り返しながら苦労
  して作っていましたが、材料や部品が製造中止になり、これ以上続けるのは難しいと考えて今年は
  初めてパソコンとプリンターのスキャナー機能を使って作りました。とは言っても元は本人の手作
  りなので手作り感は十分に感じられる年賀状になりました。
 私の年賀状は昨日完成したので午前中に郵便局に出して、午後からは家内
 が今月4日の
「名古屋骨董市」で買った”鍾馗様”を玄関の屋根の上にどう
 やって乗せて固定するかを考えていました。
 
”鍾馗様”は道教の神様で中国第6代皇帝玄宗の夢の中に出て来て小鬼が
 いたずらをして回るのを退治して玄宗の病を治したと言う言い伝えがあ
 り、京都方面では魔除け、厄除け、学業成就の為に飾られています。
 第6代玄宗皇帝と言えば9日に中国西安の
”華清池”に行って楊貴妃とのロ
 マンスや結末を聞いてきたばかりで何かの縁だと思いました。
 我が家の鍾馗は小鬼を足に踏んづけているなかなか良く出来た瓦の像な
 ので
魔除け、厄除けになると思い、何とか屋根の上にお出まし願いました。
 玄関の屋根の上に置いてみるとなかなか様になっていて如何にも魔除け、
 厄除けに御利益がありそうに思えてきました。
  我が家もこれを機会に魔除け、厄除けで病気快癒、家内安全につながれば言う事はありません。


 12月26日(月)
  朝一番に昨日頂いてきた”門松”を我が家の門の前に飾りました。大きさもピッタ
  リで門松を飾るともうすぐ正月という気分になり、いろいろな意味で気が引き締
  まります。
  家内はいつものように義母の世話をする為に実家に行ったので私はやっと
”年賀
  状”
作りに取りかかりました。毎年の事ですが、今年は出来るだけ簡単にして出す
  枚数も年と共に少なくして行こうと思うのですが、亡くなられたり、縁遠くなっ
  た人がいる代わりに新しい御縁で親しくなった方には年始の挨拶の代わりにと
  思うとどうしても少なくなりません。
  8年前に会社を定年退職した時に現役の時のお付合いを無しにして年賀状も止めようと思った事も
  あったのですが、義理や人情を重んじてきた自分の生き方に反すると思い、自然に任せてきたら減
  るよりは増える方が多くなり、同じ考えの家内と合計すると
300枚の年賀状のやりとりになってし
  まいました。自分で自分を苦しめているようですが、1年に1回の事だからと言い聞かせながら家内
  共々今年も頑張ろうと思っています。



 12月25日(

  午後から娘の所でクリスマス会があるので家内と一緒に出かけましたが、天気予報では雪が降る
  かもしれないと出ていて心配していましたが、幸い、ぱらつく程度で済み問題ありませんでした。
  午後2時過ぎに着いて、
婿のnao君のお父さんが去年に引き続き作ってくれた門松を車に積み込み
  ました。とても素人が作ったとは思えない出来で去年も近所の人達が感心していましたが、今年も
  見事な出来で通りがかりの人の目を引くと思います。
 家に上がると
上のmn実はいつものように家内にベッタリで、下のnt実
 は自分も相手にしてもらいたいとじっと見ていましたが、諦めたのか
 私を相手に遊び始めました。
 3時過ぎに
nao君のご両親やお姉さんも揃ったのでみんなでクリスマス
 ケーキを食べ、その後、孫を相手に遊んだりしていたら、
下のnt実
 
nao君のお姉さんにつかまり立ちをしていました。1歳を過ぎてもなか
 なかハイハイも出来ないので心配していたら、いつの間にかするよう
  になり、最近はつかまり立ちが出来ると聞いていたのですが、目の前で見たのは初めてだったの
  で他の子よりも遅いけれども着実に成長していると思いました。
  午後5時過ぎにnao君が家内の買って行ったサンタクロースの格好をして暗くした部屋に入り、
上の
  mn実
にプレゼントを渡そうとしたら「お父さんのサンタだ!」と言ったので、てっきりバレタと思っ
  たのですが、お父さんサンタが姿を消した後、家内が
「サンタさんはどこに行ったかな。」と窓の所
  に連れて行ったら
「お空に帰ったよ。」と言うのでバレテいなかったのかなと思いました。
  2人の孫にとっては大きくなった時の思い出がまた一つ出来たという事になるのでしょうか。



 12月23日(金)
天皇誕生日
  天皇陛下は今日で78歳になられたそうですが、最近は体調を崩される事が多く心配ですが、まだ
  まだ国の象徴として元気でお過ごしいただきたいと思っています。
  家内は
「誠武館」の稽古納めなので午前9時過ぎに道場に出かけました。午前中、稽古をしてから
  お昼に母の会の役員さん達が昨日から準備した炊き込み御飯と具だくさんの豚汁を食べるのが恒
  例になっています。今日は館長である
伊藤太市長も胴着姿でずっと道場にいたそうですが、半年
  前に肩の手術をし、その後、リハビリに通って最近になってようやく竹刀が振れるようになったそう
  で今日も元気に子供達に稽古をつけていたそうです。



 12月22日(木)
  午前中、東部市民センターでの今年最後の中国語同好会があったのですが、家内が先日の乳がん
  検診(マンモグラフィ)
で引っ掛かり、要再検査と言われ、春日井市民病院で超音波やMR検査を受
  けた検査結果を聞く日だったので家内と一緒に市民病院に行きました。
  先生の話では
「4mmの小さな塊が出来ているがMR検査の色では悪性では無いので心配はありま
  せん。」
と言われてホッとして帰って来ました。念の為に半年後に超音波で大きさを確認して大きく
  なって無ければ問題ないそうです。昔は直ぐに患部の組織を採取して検査をしていたのが、今はそ
  ういった事は最終の検査であって、その前の段階である程度の事が分かるので、その分、患者の負
  担が少なくなって良いと思いました。
  医学の進歩は本当に凄いと思いますが、それでも新しい病気やウイルスが次から次へと出て来る
  のですから人間は何時まで経っても安心できる事は無いような気がします。



 12月21日(水)
  今日は家内と一緒に”中日旅行会50周年記念企画「東寺の終い弘法と清水寺・錦市場」”の日帰り
  バスツアーに行きました。
1人3,500円という破格の値段だったので直ぐに申込んだのですが、考
  える事は同じ人が多いのか、参加者が230人以上もいてバス6台の大ツアーになりました。
 幸か不幸か昨日私が座席を前の方にしてほしいと変更を申込んだせいで配
 車が1号車から6号車になり、他のバスは40人以上の満席状態ですが、6号車
 だけは25人と席に余裕がありました。
 午前7時30分集合で全員そろったバスから順次出発と言う事で人数の少な
 い私達の6号車が一番に出発しました。名古屋高速から東名阪で亀山迄行き、
 そこから新名神に乗り土山SAでトイレ休憩し、草津JCで名神高速に合流し京
 都南ICで下りて
”東寺”に午前10時に着きました。
  添乗員の仁村さんから
「終い弘法は20万人の人が来るので大混雑します。」と言われていたので、
  覚悟していたら東門の所は歩くのも大変でしたが、奥の方に行くと午前中のせいかまだ余裕があ
  りました。大して買う物も無いと思いながら歩いていましたが、それでも、湯葉のさんしょう漬や
  3Lの丹波の黒豆、漬物の他に張り子のカラクリ人形等を買っていました。
  
  2時間のフリータイムでしたが、家内は12時の集合時間に遅れてはいけないと途中で切り上げてバ
  スに向かったのでもう少し時間があればと思いました。

  次に
「清水寺」界隈の散策と自由昼食の時間が12時15分から13時45分になったので、最初にお香
  の
「松栄堂産寧坂店」に行き、家内が買いたいと言っていた電池式香炉「こづつ」を買いました。
  お店で1g21,000円の伽羅を焚いてくれたので、家内は上品な香りだと感激していましたが、私は
  いまひとつピンときませんでした。

  買い物の後、昼食を創業375年という
総本家ゆどうふ「奥丹清水」”昔どうふ一通り”4,200円
  
”おきまり一通り”3,150円”を食べました。「松栄堂」「何処が良いですか。」と聞いた時にも「奥丹
  さんが良いと思います。」
と勧められたとおり、値段は高いと思いましたが、豆腐は本当においしい
  豆腐でした。特に
”昔どうふ”「最初は何もつけずに食べて下さい。」と言われそのまま食べました
  が、確かに甘味があり昔懐かしい硬めのおいしい木綿どうふでした。他に出た胡麻どうふや木の芽
  田楽等もおいしくいただきました。
  

  午後2時過ぎに最後の目的地の
「錦市場」に行きました。市場と言ってもここは錦小路通りにあり、
  京の台所と言われていて、3m程の細い道路の両側に魚屋や八百屋、乾物屋、佃煮屋、漬物屋、茶
  店等の食料品の店の他に陶器や衣料品、日用品雑貨を売る店など多種多様な店が
390mにわたっ
  て120以上の店舗
があるそうです。

 値段は少し高めだが品質は良いと観光客や地元
 の人達で賑わっていましたが、以前には無かった
 店が出来ていたり、昔あった店が無くなっていた
 りして
商売の厳しさを感じさせますが、景気には
 関係なくいつ行っても変わりなく商売を継続して
 いる店は凄いと思います。
 私達もそれぞれのお店を覗きながら家内は好み
  のちりめん山椒、私は田作り用の特選ごまめを買いましたが、他にも
  漬物や佃煮、乾物を買っている人達もいました。
  午後3時半に今回の日帰りツアーの目的地の訪問を全て終わり帰路に着きましたが、最後にトイレ
  休憩と買い物を兼ねて八つ橋の
「井筒屋総本家」に寄り、試食をいっぱいして午後6時30分には予
  定通り名古屋駅に帰って来ました。これだけの内容で
一人3,500円は本当にお値打ちなツアーだと
  思いました。



 12月20日(火)
  家内は婦人剣道の稽古が終わった後でお昼に忘年会があり帰って来ないので私は次男に聞いて
  いた19号線に出来た博多ラーメンの
「鶴亀堂」に行ってみました。
 個人的にはとんこつラーメンはクセがあるので醤油ラーメンの方
 が好きですが、この店はクセが無いというので初めて食べに行き
 ましたが、私が頼んだのはふつうの
”博多とんこつラーメン”600
 円と替え玉70円で硬さは最初は6段階の4番目の
”かた”を頼み、
 替え玉は店のおすすめの
”ばりかた”を頼みました。麺が細麺なの
 で直ぐに伸びるから硬めが良いと思いますが、私には
”かた”が丁
 度良いと思いました。スープは確かにクセのないスープで飲みや
  すいと思いましたが、それでも私にはもう少しあっさりしたスープの方が口に会うと思いました。
  この店は博多から進出した店ではなく、麺は博多から取り寄せていますが、日進市に本店のある店
  がチェーン展開して現在6店舗で営業中だそうです。正午に行ったら丁度席が空いていて直ぐに座
  れましたが、次から次へとお客さんが来るので少し待ち時間が出来ましたが、回転が速いのでそれ
  程長く待つことはなさそうでした。



 12月18日(

  午前中、家内と大須に行く途中に「ぎゃらり壷中天」(名古屋市中区錦2丁目)の春秋オークションに
  寄りました。今回で88回ということですから約20年の歴史を重ねている事になります。
  個人の小さな骨董屋さんがこんなに長く続けられるという事はご主人の誠実な人柄とそれを支え
  るファンがいる事になります。私はファンと言う程ではないのですが、たまに寄ってご主人と話す
  と勉強になる事があるので付かず離れずの感じで店とお付き合いをしています。
 オークションでも何年かに1回落札するものがある
 ので、この店から何点か購入しています。今回も特
 に目的は無かったのですが、家内が気に入った

 山焼の土瓶と湯呑茶碗
があったので入札してきま
 したが、結果は後日知らせがあります。
 その後、
「大須骨董市」に行き、家内が先日吹上
 ホールの
「名古屋骨董市」で買った”沈香”が安く
 て良かったので大須にも店を出していると聞い
 ていたので行ってみました。
  今日は日曜日と重なっていたので店も人出も多く、品定めをする人達で賑わっていましたが、一回
  りして特に買いたい物も無かったので
”沈香”を売っている店で目的の物を買って帰りました。


 12月16日(金)
  午前中、家内は中央公民館の「写仏画同好会」、私は南部ふれあいセンターの「中国語同好会」
  あったのでそれぞれ別行動をとり、お昼前に
「東野内科クリニック」で落ち合って、最近、テレビのコ
  マーシャルで盛んに流されている
”肺炎球菌ワクチン”を接種してもらいました。
  年齢的には75歳以上の人を対象にしているようですが、家内も私も持病や飲み
  薬のせいで免疫力に問題があると思って打つことにしました。家内の担当の先生
  から
「良いと思った事は何でもやっておくと良いですよ。」と言われているので、
  私も家内も健康に関する事は良いと思った食べ物やサプリメントは積極的に取り
  入れ、インフルエンザワクチンも効果があるかどうか分かりませんが、2回打って
  います。
  
”肺炎球菌ワクチン”も俳優の中尾彬が以前テレビで自分が肺炎で死にかけた話
  をしていたのを聞いていたので肺炎に罹った時に少しでも軽く済めばと思って打
  つことにしました。
  値段も気にしていなかったのですが、75歳以上は補助があるそうですが、私達は7,000円と言わ
  れ、高いと思いましたが効果が5年間と言われているので1年1,400円なら高いとは言えないと思
  いました。接種後、打った日を忘れないため日付と薬品名を書いたシールを何処かに貼っておくよ
  うにと貰いました。


 12月15日(木)
  家内は5日に退院した義母の抜糸があるので病院に付き添う為に実家に行きました。私は午前中、
  久し振りにゴルフの練習でもしようかなと思って
”王子ゴルフ練習場”迄は行ったのですが、練習場
  が混んでいたのと寒さでやる気を無くしスポーツ新聞を読んだだけで帰って来ました。
  その後、次男の石油ストーブの灯油が無かったので買いに行きましたが、近くの石油スタンドで1番
  安い所で1,548円だったのでカーマで
1,442円/18lで買ってきました。
  2年前に
ガス床暖房にして以来、灯油のストーブは次男が使っているだけなので去年は買い置きで
  間にあったので買う必要が無く、今年初めて買ったのですが値段の高さに驚きました。細かい計算
  は分かりませんが、灯油がこんなに高くなっているのなら多分ガスの方が安くつくと思うので床暖
  房の工事をやっておいて良かったと改めて思いました。



 12月13日(火)
  家内の愛知医大の定期検診日で「桂林・西安旅行」が時間的にハードだったので検査結果を心配し
  ましたが、特に変わりなかったのでお昼は久し振りに
”ベーカリーレストラン「サンマルク」”(尾張旭
  市東大道町)に行きました。
 丁度、午後12時に着いたので直ぐに席に案内されたので店
 内を見渡すとまだ空席があり一時ほど賑わっていないと思
 いましたが、帰る頃の午後1時には待っているお客様がいた
 ので相変わらずの繁盛ぶりだと思いました。64名中男性は
 4名で何処の店に行っても女性優位は変わらないようです。
 注文方法は以前と変わりませんが、前は単品注文だった飲
 み物がフリードリンクになっていたので良いと思いました。
  家内はチキンソテーにパンとフリードリンク1,250円、私はハンバーグとパンとフリードリンク1,350
  円を注文しました。料理はどちらも味付けが良くておいしかったです。
  直ぐに焼き立てパンを配る女性が来て3種類置いてくれました。今日は沢山の種類のパンを食べる
  ために2人で1個ずつ頼む事にして何種類のパンが出て来るのか試してみましたが、写真に写って
  いるのが19種類ですが、私達がギブアップしてからも来ましたから20種類以上はあると思います。
  ちなみに分かっている種類は
メロン・イチゴ・オニオン・オレンジ・ヨモギ・チョコチップ・チーズバー・
  チーズボウル・
レモン・ライ麦・シナモン・たらこ・玄米・レーズン・ミルクロール等です。
  



 12月12日(月)
 
 家内は実家に行ったので私は午前中、旅行の写真をプリントアウトする用紙を買いに行ったり、床屋
  に行ったりして過ごし、午後は今回の
「桂林・西安旅行」の写真をピックアップしてプリントアウトしま
  したが、少なくしたつもりでも150枚弱になりました。
  夕方からHPの更新の為に旅行記を書いていますが未だに終わりそうにもありませんが明日中に
  は何と終わらせたいと思っています。


 12月11日(

  ツアーから帰ったばかりで疲れていたのですが、年末恒例の”東海テレビ愛の鈴チャリティ「東海美
  術作家展」”
に一人で行きました。
 年末チャリティは丸栄で行われる朝日新聞チャリティと毎日新聞チャリティと
 東海テレビのチャリティ、松坂屋と岐阜高島屋で行われる中日新聞のチャリテ
 ィがありますが、私は毎年、丸栄で行われるチャリティに参加しているのです
 が、今年は中国ツアー中に2つが終了し、今回が最後だったので無理をして参
 加しました。
 午前10時前に会場に着いたら既に前の方の順番の人達
 が入場し始めていましたが、並んでいる人の数は70人
  余りと少なくて今年の日本の状況を表しているように思いました。
  最後に会場内に入場して一回りしましたが、これといった作品がなかったの
  で家内の日本画の
臼井治先生と以前時々教えてもらった古田年寿先生の作
  品が残っていたので迷いましたが購入はやめて帰って来ました。
  全体的にみても一部の人は自分の好きな作品を探して買っていましたが、
  以前のような熱気は無くなっているように感じました。



 12月6日(火)〜12月10日(土)
  クラブツーリズム主催の「山水画の桂林といにしえの西安5日間」に行きました。西安は5年前に行
  った事はあるのですが、城内のホテルに宿泊して西安市内の様子を知りたかったのと桂林に行っ
  てみたかったので今回のツアーに参加しました。

  
6日(火)午前9時半に家を出て初めて名古屋IC経由で名2環を通り知多有料道路でセントレアまで
  行き午前10時20分に着いたので、小牧IC経由より少し早いような気がしました。
 クラブツーリズムのカウンターで受付を済ませ、搭乗手
 続きに行きましたが、この時間の飛行機は少ないのか
 直ぐに終わりました。飛行機は午後1時20分発なので初
 めて
「まるは食堂」で家内は名物の海老フライ定食1,28
 0円
、私はセントレア定食1,280円を食べました。海老フ
 ライは評判通りプリプリの大きな海老でおいしかったの
 ですが、家内はころもで口の中を切ったようです。
  午後12時頃に出国手続きをしましたが、朝早い時と違い直ぐに終わりました。免税店で次男のタバ
  コと家内は余り安くないと言いながら口紅を4本買いました。

 中国東方航空MU530便はほぼ満員に近い乗客を乗せて定刻通り午後1時20
 分に出発し、上海空港に午後2時50分(日本時間午後3時50分)に到着しまし
 た。出国手続きをして現地係員の誘導で桂林行きの搭乗手続きをし、国内便
 搭乗口に行きましたが国際便と同じような検査を受けさせられ中国の国内事
 情を垣間見たような気がしました。
 10分前に貰った搭乗券には5番搭乗口となっていたのが行ったら203搭乗口
 に変更になっていて少し焦りましたが、全員揃っていたようでした。
  午後6時35分発
MU5693便は定刻通りに出発、間もなく機内食が
  出ましたがごはんと肉ボールのようなものが2つのお粗末なもの
  でしたが、これが夕食と思い完食しました。定刻より少し早く午後
  9時に到着、
ガイドの梁華さんの出迎えを受け、ツアー参加者が夫
  婦5組、夫婦と娘の家族1組、男性2人連れが2組の17名
だと確認
  出来ました。ガイドの梁華さんの話だと今日は気温が17度だった
  が明日は9度の予想で雨だと言ってました。

 桂林市は全体で人口500万で市内は70万人だが景観上5階建ての建物は制
 限されているそうです。午後10時に
「桂林幸運酒店公寓」に着きましたが、こ
 こは日本人の経営でコンドミニアムをホテルとして利用しているので我々が
 泊まる22号館までは本館からいったん外に出て歩いて行き、建物に入るのも
 カードキーが必要です。部屋に入るとその広さ(130u)に驚きましたが、かえ
 って落ち着かない気がしました。広いリビングルームに台所、食堂、ベッドルー
 ムが2つあるので家族連れが長期滞在するには良いと思いました。

  
7日(水)午前6時に起床まだ暗い。午前7時前に霧雨が降っているので傘をさして防寒コートを着
  て朝食に行くのは初めての経験です。本館までの途中に土産物屋があり、この時間にお店を開い
  ているのには驚きました。
  午前8時ホテルを出発、午前9時竹江埠頭から今回のツアーの目的の1つである
「漓江下り」に出発
  しました。
漓江は山青:水秀:洞奇:石美の4つが見所で全長60Kmを5時間かけて下って行くのです
  が、特に楊堤から興坪までの10時から12時の2時間が最高だと言われました。
  昔は外国人と中国人は別々の船だったそうですが今は一緒に乗り合わせるそうで、私達が乗った
  船も私達17人のツア―と阪急の12人のツアー以外は全員中国人の観光客でした。
  
  天気は小雨が降ったりやんだりの天気で写真等に出て来る桂林の雰囲気なのですが、もやが出て
  いるので見通しが悪くて写真を撮るには難しい状態でした。それでも両側に拡がる景色はテレビ
  や雑誌で見覚えのある風景が続くので皆さんカメラを持ってあちこちの場所を写真に収めていま
  した。土砂降りでないだけ幸せかもしれませんが、欲を言えばもう少しだけ視界が良ければ最高だ
  と思いました。例年だと水が少なくて半分位の距離しか見られないそうですが今年はギリギリ全コ
  ースを航行出来たので良かったとガイドの梁華さんが言ってました。
  

  お昼近くになってランチバイキングですから早目に行って下さいと言われて行った時には
”時すで
  に遅し”
で中国人のお客が前の方を独占して皿いっぱいに食べ物を取っていました。
 10種類位の料理がありましたが、私の番になった時には無くなった料理もあ
 り、適当に皿に取ったら鶏のウイングの唐揚げ1本だけは配給制で支給されま
 した。昼食が終わった頃には見所も過ぎて、皆さん景色を見慣れたせいもあ
 って中国人の中には居眠りをする人、トランプをする人達も出てきました。
 午後2時前に陽朔埠頭に着き、そこから歩いて西街通り
 まで行きましたが、途中の通路にはお土産屋の屋台が
 延々と並んでいました。
  西街通りは1500年の歴史があり、明清の街並みの風格を保ちながら喫茶店
  やケーキ屋、パン屋のような新しい店も出来ている文化を感じさせる街でし
  た。ここで40分の自由散策があったので少し街を歩きましたが、家内は落ち
  着かないので集合場所になっている少数民族の刺繍の店で柄の素敵なミャ
  オ族の手刺繍のバッグを買いました。
  午後3時に陽朔からバスで桂林に向かい午後5時前に桂林市内の掛軸屋さんに行きましたが、特に
  買う物もないので座ってお茶だけ飲みました。
  そこから夕食のレストラン
「雅趣軒」に向かいました。すっぽんスープ付きの桂林料理という事でし
  たが、すっぽんスープ、汁ビーフン、焼きビーフンの他は普通の中華料理でしたが品数は随分出た
  と思います。
 午後7時過ぎに店を出てオプションのナイトクルーズ
「両江四湖」に行きまし
 た。漓江と桃花江を結ぶ4つの湖(杉湖、榕湖、桂湖、木龍湖)を巡るクルーズ
 ですが、ライトアップされた日月塔や凱旋門やゴールデンゲイト、万里の長城
 など世界の名所を配置したり、湖岸に生バンドや二胡の演奏、チワン族の太鼓
 の踊りや舞台らしい所に歌を歌っている人達、気功をしているグループなどが
 見られました。帰りには船内で二胡の生演奏をする奏者がいて日本の歌を演
 奏してくれるサービスもあり予想以上に楽しめました。午後8時30分に下船し
  9時にはホテルに着きました。

  
8日(木)今日は午前6時半に起床、午前9時出発なので朝食後、時間があったので近くの町を歩い
  てみましたが、住宅街の近くで特に興味を引く物もありませんでしたが、ビーフンを食べさせる小
  さな店は何軒かありましたが値段が3元(40円弱)〜5元(60円強)と安いので驚きでした。

  9時にトランクを持ってバスに乗り長い一日が始まりました。最初に
「桂林動物園」”パンダ”を見
  に行きましたが、昨夜、ガイドの梁華さんが雨なら出てこないと言ってましたが、朝から曇りで雨は
  大丈夫そうなのでどうかなと思っていたら3匹のパンダは全員外に居て一匹は食事中で笹を食べ
  ていて、もう一匹はあちこちに移動して動き回り、後の一匹は獣舎の所にずッといたので3者3様の
  姿が見られて良かったと思いました。私も家内もパンダは初めて見たので本当に可愛いと思いま
  したが、大きさが同じなら見分けるのが大変だと思いました。
  
  10時に動物園から
健康寝具店「DSC」に行きましたがこの店は天然ゴムのマットレスと枕を売って
  いるのですが、私が以前枕を買った事のある店と同じ系列のようでした。説明が長すぎて皆さん飽
  き飽きしているようで時間がもったいないと思いました。

  午前11時に店を出て桂林市のシンボルと言われている
「象山公園」に行きま
  した。
”象山”は漓江と桃花江の合流点にあり、象山とは遠くから見ると象の
  鼻のように見える事からこの名前が付いたそうです。
  両面から貫かれた
”水月洞”が円形に近く、水面に映ると月のように見え郷
  愁に駆られ、宋代の詩人薊北処士は
「水底に明月あり、水上に明月浮かぶ。
  水流るも月去らず、月去るも水なお流る。」
と水月洞を称えたそうです。
  昼食は
「竹苑庁」で四川料理と言われましたが、日本人向けの味付けなの
  かマーボー豆腐もそれ程辛くなくて全体的においしい料理でした。

 昼食後、桂林市のもう一つの名所
”蘆笛岩鍾乳洞”に行
 きました。市の中心部から7Km程離れた所にあり、鍾乳
 洞の入口に蘆萩草が生えていたことからこういう名前
 が付けられたそうです。
 奥行きは約250mで遊覧コースは500m位ですが中の
 スケールの大きさや石柱、石筍、石花等の鍾乳石の美し
 さは素晴らしいものでしたが、ライトアップの仕方が色
  を使い過ぎてかえって良さをマイナスにしていると思いました。

  1時間程見学して午後2時半過ぎに出発し、午後3時から真珠の店
「清水源」に行き真珠クリームと
  真珠の説明を聞きましたが家内が興味なさそうなので見学しただけでした。
 午後4時から昨夜ナイトクルーズをした両江四湖の湖岸を散策しながら正陽
 路歩行者天国まで行き、1時間の自由行動になりました。家内と二人で昔の城
 跡のある所に行こうとしたのですが、信号のない大通りを中国人のように渡
 れなくて諦めてショッピング街を見て、おいしそうに見えた屋台の
”焼き栗”
 を60円分買いましたが、焼いているように見えたのは実はナイフで皮を切っ
 て開いた栗を他所で焼いて来て冷たい鍋の上で焼いているふりをしていた
 事が分かりました。隣の屋台の
揚げたお菓子?が飛ぶように売れているのに
  この店の焼き栗が売れてない理由が分かりました。

  午後5時半にシェラトンホテルのロビーに集合し、桂林観光酒店にある
「楽楽餐庁」”桂花宴”をど
  うぞと言う事でしたが、
桂花とは金木犀のことで宴は金木犀の入った料理らしいのですが、私達に
  は味は分かりませんでした。ただ、今回のツアーで唯一魚の唐揚げ料理が出たのはここだけです
  からこれに桂花が入っていたと思いますが味は一緒のような気がしました。


  夕食が終わり本来なら午後8時30分発の飛行機で西安に行く所ですが、12月になって時間が午後
  11時50分発変更になったので、それまでの時間をホテルのロビーで過ごすか
「夢幻漓江」という
  雑技とバレーを組み合わせたショー3,500円を見るかと言われ私達はショーを見学に行きました。
 上海雑技や京劇は見た事があるのでそん
 なに期待はしていなかったのですが、演出
 が良かったのか思ったより楽しめました。
 出演者のほとんどが十代の若者と言うよ
 り少年に近い連中があれだけの演技や雑
 技が出来るというのは如何に中国の層が
 厚いかを感じました。

  午後9時10分に終演、ホテルに寄って休憩している人達を乗せて
桂林空港へ向かいました。午後10
  時過ぎに空港に着き、搭乗手続きをして搭乗券を貰って
MU2308便は3番搭乗口となっていたので
  3番に行ったら早くも7番搭乗口に変更になっていました。
 午後11時20分に搭乗開始、夜遅い便ですがそれでも機
 内はほぼ満員状態でした。予定より10分早く出発し、簡
 単な機内食としてハンバーガーが出ましたがピリカラ
 で匂いが強かったので一口食べて捨てて、ガイドの梁
 華さんがおいしいと言ったホテル近くのケーキ屋で買
 ったクリームパンを家内と半分ずつ食べましたがおい
 しいパンでした。
  
MU2308便は午前1時20分に西安空港着、ガイドの欣さんに迎えられ、午前1時40分に西安市内に
  向けて出発、真夜中の道路はスイスイで午前2時20分にホテルの
「皇城豪門酒店」に到着し、車中で
  カードキーを貰っていたのでそのまま725号室に直行しました。
  ガイドの欣さんから今夜はホテルの水道工事で水が使えないので我慢して寝てほしいと言われて
  いましたが、試しに蛇口を捻ったらお湯が出て来たので私は顔だけ洗い、家内は湯船にお湯を張っ
  て風呂に入ってから午前3時過ぎに寝ました。午前6時30分に起きてから
21時間の長い一日がやっ
  と終わりましたが、こんな経験は多分もう無いと思います。

  
9日(金)午前7時50分起床、8時20分に朝食会場に行き、桂林のホテルよりおいしそうな料理が並
  んでいるのを見てもさすがにあまり食欲はありませんでした。
 午前9時45分に市内から東30kmの方にある
「華清池」
 に向けて出発しましたが、以前と比べて車が多くなり市
 内は至る所で渋滞していて抜けるのに時間が掛り着い
 たのは午前11時でした。
 
「華清池」は唐の第6代玄宗皇帝(685〜762)と楊貴妃
 (719〜756)が過ごした温泉地で楊貴妃がここで美し
 い肌にみがきをかけたというエピソードは白居易の
”長
  恨歌”
にも詠われているそうです。中には楊貴妃が入ったと言う”蓮花湯”や玄宗が入った”星辰
  湯”
の浴槽?や湯元が見られ、今でも湯元から42度のお湯が出て営業中の温泉もありました。

 30分程いて近くの
「秀嶺園」という郷土料理の店で昼
 食を食べましたが、前菜の後、キャベツ、カリフラワー青
 菜、もやし、玉ねぎとピーマン等が少しの肉を入れて色
 々な野菜炒めとして出てきましたが、どれも私の口には
 おいしいく感じられました。最後に出た
大学イモは同じ
 テーブルに座った全員がおいしいと言ってお代わりを
 しました。それとは別に麺打ち職人が実演をして1杯10
  元という麺を食べましたが大したことはありませんでした。中国の麺は総じてコシの無い麺が多い
  ので日本人には物足りないような気がします。

  午後12時30分に店を出て今回のツアーのもう一つの目的の
「兵馬俑坑博物館」に向いました。
  30分ほど走り到着しましたが、本来なら駐車場から歩くのですが、ガイドの欣さんのコネ?で建物
  近くまでバスで行きそこから歩きました。普通なら20分以上かかるのが5分で場内に入れました。
  5年前に来た時より周囲の状況は全く変わっていましたが建物は1号館から3号館、銅馬車館と一緒
  でした。
  
  ガイドの欣さんの説明を受けながら1号館、3号館、2号館、銅馬車館と回りましたが、私はやはり規
  模の
一番大きい1号坑が凄いと思いました。今回は正面だけでなく横からも見ましたが、そのスケ
  ールは中国を統一した秦の始皇帝の権力の偉大さを表していると思います。前回6,000体と言っ
  ていた兵馬俑は現在8,000体程確認されていて欣さんは10,000体はあるはずだと言ってました。
  規模の
小さい3号坑は最高指揮部隊と考えられ、2号坑には戦車隊や騎馬隊、弓を持った歩兵隊、
  歩兵と戦車の混成部隊があり、ここから発掘された銅馬車は
銅馬車館に展示されていますが、そ
  の製造技術の素晴らしさは当時の文化の高さを表していると感心させられます。
  

  2時間程見学し市内の戻る途中の所は建設中のマンションのクレーンが林立していましたが、ガイド
  の欣さんはこのままでは日本の二の舞になるかもしれないと心配していました。
 市内に戻り、最初に
”空海”(774〜835)をはじめ多くの
 日本から来た留学僧が修行した
「青龍寺」を見学しまし
 たが、境内には日本の協力による空海記念碑や空海の
 教えを受けた恵土和尚と空海の記念堂などが立てられ
 ていました。季節外れで閑散としていましたが春には日
 本から送られた1,000本の桜が満開になり賑わうそう
 です。次いで玄奘三蔵が天竺から持って帰った経文が
  納められている
「大雁塔」のある大慈恩寺に行きました。お寺の前には5年前には無かった三蔵法
  師の像や広場が出来ていてその変化の速さには驚かされますが、中国の変化と西安は同じような
  速度で変わっているように感じました。

  午後5時過ぎに出発し夕食会場の餃子専門店の
「徳発長」に向かいましたが、夕方のラッシュもあっ
  て15分位の所が30分以上かかりました。
  前回来た時には敦煌からの飛行機が欠航になり、北京経由で西安に着いたので閉店時間ギリギリ
  の夜の9時頃から食事が始まったので前菜から
17種類の餃子が一気に出たので後から写真を見て
  思い出すのが精一杯でしたが、今回は1品1品の説明を聞きながらゆっくり食べられました。
  ほとんどが蒸し餃子ですが、山の幸、海の幸の入った物、形によってアヒルの形だと中身がアヒル
  の肉とか200種類以上の餃子があるそうです。今回も前回と同じ17種類の餃子出ましたが、水餃子
  と焼き餃子、スープ餃子の3種類以外は全部蒸し餃子でした。
  

  午後7時近くまで腹いっぱいになるまで食べ、ほとんどの人はオプションの唐舞踊ショーに行った
  のですが、私は前に見た事があり家内も行かないと言うのでホテルまで送ってもらい少し休憩し
  てから夜の町を見学に出ました。「皇城豪門酒店」は繁華街の東大街通りにあるのでホテルから西
  に工事中の鐘楼まで歩いて行き、そこから南大街を南に下がり
”南門(永寧門)”までは遠いので途
  中から東に歩いて戻って来ました。
  ホテルの並びには金を扱う店が並んでいましたが、午後8時過ぎにも拘わらず結構人が入ってい
  て色々物色していました。日本でも金ブームですが中国でも同じなのかなと思いましたが、それ
  だけ中国が豊かになっているという証拠でもあると思いました。
  本来ならライトアップしている城壁まで行けば綺麗で良かったのですが、途中で曲がった裏通りも
  木の看板を作っている店や床屋や安い宿泊所があり、家内はそちらの方興味をそそられて面白が
  っていました。ホテルに帰って久し振りにゆっくりした気分で風呂に入り寝る事が出来ました。

  
10日(土)昨夜早く寝たせいか午前5時半には目が覚めました。6時前に家内を起こして午前6時20
  分に朝食に行ったら私達のツアーの人が1組いただけでした。昨日は食欲も余りなかったので料理
  もしっかり見ていなかったので今朝はゆっくり見てから食事をしましたが、どれを選んでもそんな
  に食べられるものではありません。
  部屋に帰って荷物の整理をしましたが買った土産も全部トランクに入ったので安心しました。午前8
  時にホテルを出発、最初に創業1910年という絨毯店
「良心堂」に行きましたが、さすがに老舗だけ
  あって品物は素晴らしいものが沢山ありました。
  
  家内は曼荼羅の図柄で60cm四方の大きさの1600段の絨毯と言うよりタペストリーで使うような物
  が気に入り値段を聞いてビックリ、150万円を120万円にすると言われても有名画家の絵が買える
  値段ですから購買意欲も無くなったようです。他の皆さんも絨毯の良さは認めてもいざとなると
  買う気にはならないようで他の安い商品を買っていました。

 1時間ほど居て午前9時30分に南門の近くの
「書院門街」に行きましたが、ま
 だ時間が早いのでどの店も開店準備中で書院門街の雰囲気を味わうだけで
 通り過ぎて南門の傍の階段から
「明代城壁」に上がりました。
 ガイドの欣さんによると西安では昔から
城壁の内側を
 城内
と言い、城壁の外側を郊外と言うそうです。城内
 は景観上高い建物は制限されているので建築をして
 いる所は少ないように思いましたが、郊外に目をやる
  と20階、30階建ての建物がいっぱい建てられていました。
  南の城門から城壁を少し歩いていくと予約してあった輪タクが待っていた
  のでさっそく家内と二人で乗せてもらいました。
 「西の城門(安定門)」までは30分近くかかりましたが、天気も良く風が肌を刺
 すように冷たかったのですが、運転手のサービスも良かったので気持のよい
 道行きでした。
 「西の城門(安定門)」は長安と言われた時代のシルク
 ロードの出発点で玄奘三蔵はじめ多くの人達がここか
 ら西に向かって出発して行った所です。
 西安での最後の食事は南大街にある西安名物麺料理
  の
「城市美食」での昼食でした。桂林はビーフンで西安は麺が有名だと言う
  事は聞いていたのですが、前回来た時には麺料理食べたという記憶がそれ
  程残っていないので今回はどうかなと思っていたら料理6種類、麺は5種類
  出ますからと言われたので頑張って食べようと待っていたのですが、初めの内に料理が出て、後
  半になって麺が続けて5種類も出たのでゆっくり味わう間もなく次の麺が出て来るので味の区別
  がはっきりしませんでしたが、どの麺もコシのない柔らかい麺だという事はハッキリしています。
  
  
  午後12時30分に店を出て西安空港に向かい午後1時30分に到着しました。ガイドの欣さんの案内で
  搭乗手続きを済ませましたが、荷物は飛行機に乗せたままでセントレアまで行くそうですが、私達
  は上海で乗り換えの時に出国手続きをするという事でした。
  
MU291便は定刻より少し遅れて午後3時20分に出発しましたが、搭乗口で待っている時に中国人
  の夫婦が初めて日本(名古屋)に行くのに日本語が全く話せないので協力してほしいという紙を持
  っていたので何とかしてあげたいと色々話したのですが、自分の中国語の力不足を感じるばかり
  で何も出来ませんでした。幸い、機内に日本語中国語共堪能な中国人の中年女性がいて一件落着
  しましたが、もう少し頑張って片言でも話せるようにしたいと思いました。
  午後5時30分上海空港に到着、空港職員に案内されて乗り換え口に行き、出国手続きをして16番搭
  乗口に行きましたが、上海空港はさすがにスケールの大きな国際空港だと思いましたが、売店で今
  が旬の
”上海カニ”を売っていたのは驚きでした。日本国内に持ち込めるのかどうか知りませんが、
  持ち込めるから売っているのだと思いました。
  

  
MU291便は上海空港を予定より遅れて午後6時30分に出発し、定刻の午後9時10分に中部国際空
  港に着陸しました。入国手続きをして荷物を受け取り、車で家に着いたのは午後11時でした。
  旅行に行くたびに色々な土産を買ってきますが、私は道中大きな事故や病気も無く無事に家に帰
  れた事が一番の土産だと思っています。次回は何処になるのか分かりませんが2人が元気な内に
  色々な所に行きたいと思っています。


 12月5日(月)
  家内は義母が今日退院予定なので早目に出かけました。検査結果に問題が無ければ午前中に退院
  してお昼は義母の好きな店で昼食を食べられると思います。
  私は明日から家内と一緒に中国の
桂林・西安に4泊5日のツアーに行くので荷物の確認をしました
  が、桂林と西安では10度も気温が違うので服装も厚手と薄手を用意していますが、天気予報を見
  ると寒波が来そうなのでその点も考慮しなければならないので大変です。



 12月4日(

  今年最後の「名古屋骨董祭」が2日から今日まで名古屋吹上ホール(名古屋市千種区)で開かれて
  いるので義母の御見舞いも兼ねて家内と一緒に出かけました。
 午前11時頃に吹上ホール着いたら駐車場が満車なので近くの市営駐車場に
 並んで入れました。会場に入ると最終日とあって掘り出し物を求めて多くの
 人で賑わっていましたが、私達は特にこれを買うという目的が無いのでホー
 ルの端の方から順番に見て回っていたら、主に伊万里を扱っている店で私好
 みの金継ぎだらけの
伊万里錦手の丸鉢が目に入り、絵柄や作りが丁寧で雰
 囲気が良いので値段を聞くと三つ丼の半端物で小さい物だから1万円で良い
 と言うのを8千円で買いました。
  次の店では5,6年前から家内がほしがっていた京都や滋賀で屋根の上に乗
  せてある
瓦の鍾馗様が置いてあり、7千円を家内が粘って5千円にしてもら
  ってニコニコ顔で買いました。家内は鍾馗様の顔が7年前に亡くなった義父
  に似ていると、鍾馗様の足で押さえつけられている小鬼が貴方なのよと次
  男に言って喜んでいました。今日はその他にアンティークの
銀メッキのジャ
  ムスプーン
1本1,500円を1,000円にしてもらい、ベトナム産の沈香6g1,800
  円を1,000円で買いました。最近は骨董市に行っても見る事が多くて買う事
  が無かったので久し振りに数多く買い、家に帰ってからもう一度見直しても
「良い買い物をしたね」
  
と夫婦で満足したですから良かったと思いました。
  午後1時過ぎに会場を出て、蕎麦の
「松寿庵」(千種区豊年町)で私は天ざる蕎麦、家内はとろろ蕎
  麦を食べてから義母の入院している
「東市民病院」に行きました。
  義母は入院当時から比べるとすっかり元気になって
「今日のお昼はまずかった。」とか「看護師さん
  を呼んでも直ぐに来てくれない。」
とぼやいていましたが、そういう文句が出て来るのはそれだけ
  元気になった証拠だと思いました。明日のレントゲンと血液検査の結果でそのまま退院という事に
  なりそうです。



 12月3日(土)
  家内は「春日井市中学生以下剣道大会」の審判を頼まれているので春日井市体育館に行きました。
  朝から小雨の降る天気でしたが、思ったより気温が下がらず体育館では少しは楽かなと思いまし
  たが、それでも暖房をしていない館内はかなり冷え込むようです。
  私達は歳と共に抵抗力が弱るので風邪だけはひかないように、ひいてもひどくならない様にと早
  々にインフルエンザワクチンを打ち、今度はテレビでコマーシャルをやっている
”肺炎球菌ワクチン”
  も打つ予定にしています。
  若い時にはあまり考えなかった自分達の健康について歳と共に考えるようになりましたが、それ
  がテレビの健康食品のコマーシャルの影響なのか、自分達自身の意識の変化なのかは分かりませ
  んが、社会全体が
”高齢化社会”になって健康志向になっている事は間違いないと思います。


 12月2日(金)
  家内は義母の入院している病院に様子を見に行きました。私は午前中、南部ふれあいセンターの
  
「中国語同好会」と忘年食事会があり、午後からは「パソコン同好会」が坂下公民館であったので
  そちらに出かけました。
  南部ふれあいセンターの
「中国語同好会」は会員が10名になり、存続が危うくなりましたが、会員
  の熱意と
O.M先生の人柄で会費を少し値上げしてでも引き続き勉強したいという意見が多かった
  のでその線で決着しました。午後からの
「パソコン同好会」は会員が19名もいるので存続に問題は
  無く、IT重視の今の時代を良く表していると思いました。
  夕方、帰って来た家内によると義母は順調に回復しているようで、来週の月曜日には退院というこ
  とになりそうで実質10日間の入院で済んだと言う事は87歳の義母はまだまだ元気で長生きしてく
  れそうだと思いました。

 
 12月1日(木)
  今日から師走12月ですが、後1ヶ月で正月だと思うと1年が経つのが本当に早い気がします。
 我が家の庭では南天が赤い実を付けて元気ですが、モ
 ミジは少し紅葉しているだけで鮮やかさは無く、アブ
 ラチャンやハナズオウは葉を全部落としてすっきりし
 ていますが、それ以外の梅やロウバイ、利休梅などは
 暖かさのせいか中途半端は姿で頑張っています。
 3月11日の
”東日本大震災”が地震と津波による被害だ
 けだったなら、日本は復興に向けて力強く立ち直ってい
  く力が十分にあったと思いますが、最近の
「福島原発」の先の見えない状況を見ると、何時終わる
  とも知れない気がして子供や孫の時代まで引きずって大変な事になる様な気がします。
  今の民主党政権の責任として何としてもそうならないように努力して日本の復興の目途を付けて
  ほしいと願うばかりです。


 
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