シルクロード紀行 @
(2006年4月17日〜4月23日)
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 今回の旅行は昨年から参加している「中国語同好会」で一緒に勉強しているT.Yさんから誘わ
 れ、家内にも後押しされ実現しました。
 ツアー参加者は15名、大垣の
OT夫妻は77歳と74歳で既に金婚式を過ぎて今回が38回目の海
 外旅行で中国は8回目とのこと。その他伊勢市の
YN夫妻は中国の歴史が好きで今回10回目の
 中国旅行、
YM夫妻は津島市からの参加でかなりの海外旅行経験がありそう、尾西市のIT夫妻
 は電気工事会社経営で今回のツアー参加者の中で唯一の現役の方です。以上4組のご夫婦の
 他に名古屋の同級生3人組(
KIさん♂SUさん♀KRさん♀)+職場の同僚1人(MMさん♂)の
 4人組と津市から一人で参加の
TGさん♂と春日井から参加の我々男二人組みの計15名にガイ
 ドの
本藤和子さんを加えた合計16名での”シルクロード紀行”になりました。
 

     出発便中国東方航空MU−292便

     シルクロードの出発点 西の城門

 1日目(17日)は定刻の9時に出発し、上海に11時20分(日本時間は12時20分)に到着、上海を50
 分遅れで発ち、14時30分に西安空港に到着。中国では1時間位の遅れは普通のようで旅行慣れ
 している連中は当然のような顔をしていました。機内食のカレーはまずまずの味でした。
 空港を出ると現地ガイドの
単勇(たんゆう)さんが迎えてくれました。彼は西安外語大学で日本
 語を専攻していたいうだけあって、日本語も堪能で中国の歴史や文化にも詳しく、こちらの質問
 にも的確に答えてくれて良いガイドだと思いました。
 空港から旧市内の城壁の
西の城門に直行しました。ここはシルクロードの出発点と言われ、昔は
 ここから西方に向かって出立したそうです。城壁は周囲14km高さ12m上部の幅約13mで東西南
 北に4つの門があります。城門の上からは西安市内が見渡すことが出来ます。
 昔は騒音で大変だったそうですが、今はクラクションを鳴らすと罰金を取るようになったので
 町全体が車が多い割りに静かできれいでした。
 城門見学後、ホテルの
西安建国飯店に入り、夕食後、陝西歌舞大劇院の唐歌舞ショーを見に行き
 ましたが、客席は満員に近く欧米人でいっぱいでした。踊りが華やかで音楽や楽器の演奏にも
 拍手が沸くほど盛り上がり楽しかったです。


 西の城門より東(城内)を見る:建築制限で高
 層ビルはありません


 西の城門より西(城外)を見る:こちらの方
 には高層ビルが見られます


   蔦がいっぱいの西安建国飯店

   欧米人がいっぱいの唐歌舞ショー
 
 
2日目(18日)はまず兵馬俑坑博物館に行きました。テレビでは何回か見ていましたが、やはり実
 際に見ると感慨深い物がありました。
 4つの建物があり、
1号坑が最初に発見されたところで規模も大きくスケールの大きさには驚か
 されます。
2号坑は戦車隊や騎馬隊が配列され、3号坑は規模は小さいですが最高指揮部隊と
 思われる所です。その他に2号坑から発見された青銅製の銅馬車が展示されている
秦始皇帝銅
 車馬陳列館
があり、当時の製造技術のすばらしさを見ることが出来ました。

  1号坑の兵馬俑:その数6000体

 始皇帝の巡行用に使われた青銅製の馬車
 
 次に2700年前からの温泉地で唐の玄宗皇帝が楊貴妃のために作った
華清宮のある華清池に行
 きました。
唐代の建物は1つしか残っていませんが、玄宗皇帝の使った温泉や楊貴妃が使った
 棠湯(かいしゅうゆ)
の跡が残っていました。

   華清宮の中で唯1つ残っている唐代の塔、雰囲気があってなかなか良かったです
 
 昼食後、
碑林博物館に行きました。ここは孔子廟だった所を博物館にしたもので、唐代に彫られ
 た
開成石経(儒教の経典65万字が114枚の石碑の表裏に彫られたもの)や顔真卿、欧陽詢、楮遂
 良
など書の大家の真筆の刻石など数多くの貴重な石碑が1000点以上展示されています。
 奥の部屋では石碑から拓本を取る作業をやっていましたが、なかなか興味深い物でした。今回
 は時間が無くてゆっくり見られなかったので、次回はもう少し勉強してゆっくり見たいと思いま
 す。 写真もガラスの反射してうまく撮れませんでした。

 
 
 
3日目(19日)昨夜ウルムチ空港に着いたのが午前0時5分、ホテルに入ったのが午前1時過ぎ、
 シャワーを浴びて寝たのが午前2時頃だったのですが、朝7時に起きて朝食を済ませ、今日と
 明日の寝台車分の荷物をリュックに詰め、残りをトランクにまとめ9時に部屋の外に出しておいて
 9時30分にホテルの
新疆大酒店を出発しました。
 ウルムチ(烏魯木斎)は標高900mで昔から
”朝は毛皮を着て、昼は絹のシャツを着て、夜には
 ストーブを囲んでスイカを食べる”
と言われるほど寒暖の差がある土地だそうです。1960年代
 に石油が発見されて急激に大きくなった都市で、今では人口208万人の海から最も遠い(インド
 洋からでも2300km)オアシスと言われているそうです。
 ホテルから
紅山公園に行き、市内を一望した後、新疆ウイグル自治区博物館で楼蘭から発掘さ
 れたミイラを見学し、バザールに寄ってから午後14時30分にバスでトルファンに向かいました。
 

  紅山公園よりウルムチ市内を望む

  紅山公園で舞踊の練習をするグループ

 ウルムチからトルファンまでは高速道路で210kmの行程ですが、ウルムチが900mの高地なのに
 対して、トルファンは低い所が海抜−154mの盆地なのでずっと下りだそうです。途中、風車群が
 あったり、採石の工場が見えたり、塩湖もあり、地表は石だらけのゴビ(砂利の砂漠)ですが資源
 の豊かさを感じさせました。午後17時40分に
吐魯番(トルファン)大飯店に入り、少し休憩した後、
 新疆料理に舌づつみ(?)をうち、食後にウイグル族の民族舞踊を楽しみました。最後はみんな
 で踊りに入り大盛り上がりでした。

 ウイグル族の民族舞踊、演奏が良かった

 最後は全員参加で総踊りになりました。
 4日目(20日)まず火焔山に向かいました。途中、油田の油井がたくさんあったのでガイドさんに
 聞くと最近発見され、これから期待されている所だそうです。
 火焔山は赤いしわの山肌が夏場になると立ち上がる陽炎によって燃えているように見えるの
 で火焔山と呼ばれるようになったそうです。
トルファンの人は赤い山と呼んでいます。
 「西遊記」
で孫悟空が鉄扇公主と戦った場所としても有名です。
 その後、
ベゼクリク千仏洞、玄奘三蔵も立ち寄った高昌国の城址遺跡の高昌故城を見学し、ミ
 イラと壁画のすばらしい
アスターナ古墳群に行き、昼食後、炎天下(この日は36℃)の交河故城
 
を徒歩で1時間歩き、見学した後、地下水路のカレーズに行きました。カレーズは天山山脈の水を
 引くための地下水路ですが、延べ1000kmにもなろうとするこの水路はいつ、誰が作ったのか
 不明で謎に包まれているそうですが、トルファンにとっては生命線になっているそうです。

 赤い肌の火焔山に緑があるとホッとします

 
中に入ると涼しいウイグル族の家

 高昌故城址:驢馬車に乗りマスク着用でした

 交河故城址:36℃の炎天下を頑張りました
 夕食後、トルファン駅に向かいましたが、途中バスの中から見た夕日は地平線に沈む感じがして
 感動的でした。22時25分発の夜行寝台は
軟臥といって上下2段のベッドが向かい合う4人部屋
 で、昔乗っていた日本の寝台車より余裕があり、想像していたよりはきれいでした。
 私達の乗った列車は重慶行きで、トルファンから38時間も掛かるそうですが、トルファンから乗る
 中国人は出稼ぎの人達が多いので、
硬座と呼ばれるいす席で重慶まで帰るそうです。そんな話
 を聞くと中国もまだまだ発展途上国だなあと思いました。

  トルファン地平線に沈む夕日:午後8時44分

  敦煌列車からの日の出:午前7時9分
 
 5日目(21日)朝6時半過ぎに起きると車窓の向こうが赤やけになっていたので、日の出が近い
 と思い、ずっと見ていると7時頃にゴビ(砂利の砂漠)の向こうから太陽が顔を出し、夕日とは
 違った感動がありました。
 予定より早く敦煌駅(2000年7月1日に柳園駅から変わったので駅舎は柳園站になっている)に
 着き、駅近くの食堂でお粥の朝食(みんなおいしいとお替りをしていました。)を食べて130km
 離れた敦煌市内に向かいました。(中国の西域は鉄道の駅と町が離れている所が多いようで
 す。日本のように駅を中心に町が出来たのではなく、オアシスを中心に先に町が出来ていたの
 で仕方がないようです。)
 今回の旅行の中ではこの区間の道路だけが
浸透式マカダム工法(専門的ですが、いわゆる手
 仕事です)で作られていると思いました。話に聞いていたので酔い止め薬を飲んでいたので大
 丈夫でしたが、かなりの揺れでした。
 昼前に
敦煌国際大酒店に入り、小休止の後、莫高窟(ばっこうくつ)鳴沙山(めいさざん)
 牙泉(げつがせん)
を見物に出かけました。
 莫高窟は写真撮影が禁止(入口でカメラを預ける)なので残念でしたが、96窟の高さ36.5mの
 大仏には大きさと色の鮮やかさに感激しました。
 鳴沙山ではラクダ乗りを初体験し、砂山登りで息が上がりましたが、頂上から見た月牙泉はまる
 で絵を見ているようでした。


 鳴沙山:強風に舞う砂の音が管弦や太鼓のように響くことに由来するようです。途中までは
    木の階段があるので何と登れましたが、最後は砂山を四つん這いで登りました。


 鳴沙山の上から見た月牙泉(三日月形の泉):約2000年前から耐えることなく湧き出ている泉
 *砂山に囲まれているのに今まで一度も埋もれてしまったことの無い不思議な泉だそうです。

 夜は敦煌賓館の「富士」で日本食を食べました。茶碗蒸しやサバの塩焼きが出てきましたが、
 さすがに刺身は出ませんでした。味の方は久し振りだったので皆さんおいしいと言ってました。
 食後、足の疲れを癒すために
「日月堂」という店に足ツボマッサージに出かけました。料金は70
 分3,500円でしたが、若い子で上手だったので行った人は疲れが取れたと喜んでいました。
 6日目(22日)午前中、じゅうたん工場を見学しました。1本1本糸を結んでは切り、また次の糸を
 結ぶ作業はかなりの経験と根気が必要のようですが、そこにいる女性は黙々と仕事に取り組ん
 でいました。説明してくれた人の話ですと2,3年で目を悪くすることが多いと言っていました。

 見事な絹の1000段のじゅうたん(テーブルクロス用)定価210万が80万でいかがですか?

 裏も見事な絵になっています。さすが!

 敦煌空港に10時に着き、本来なら以前は西安に直行便の予定だったのですが、航空会社の社
 員が待遇に不満があってスト状態が続いているので、北京経由西安になったそうです。
 中国も少しづつ意識が変わっているようです。そのとばっちりで西安空港に着いたのが午後8
 時、夕食の会場餃子の
「徳發長」に着いたのが9時過ぎでした。店の方も閉店時間を過ぎてか
 らの来店のせいか、次か次へと餃子を出してくるので、食べる方も忙しくて落ち着かない食事
 でした。

 7日目(23日)午前中、大慈恩寺(大乗寺)内にある玄奘三蔵の仏教経典を納めた大雁塔に行き
 ました。慈恩寺は648年唐の第三代高宗皇帝が母を供養するために建立した寺院で、
「慈悲深
 い母の恩徳を追慕する」
という意味で名付けられたそうです
大雁塔は高さ64.5
m四角7層の建物で
塔の上に上ると西
安市内が一望でき
ます。創建当初は5
層だったのを則天
皇后が10層にしま
したが、その後、戦
火に遭い今の7層
になったそうです
中には玄奘三蔵が
インドから持ち帰っ
た経典600部余り
が納められている
そうです。
 慈恩寺内にある芸
 術博物館にあった
 
千手観音菩薩像
 ですが、色合いや
 描かれた線がま
 ことに見事だった
 ので写仏画をやっ
 ている家内に見
 せたいと思い、写
 真を撮りました
 が、実物の良さは
 見ないとなかな
 か分らないと思
 いました。
 大雁塔見物で今回のツアーの予定がすべて終了し、今回は残念ながら行けなかった”鐘楼”
 
”鼓楼”のある中心部を通って西安空港に向かいました。
 今日(23日)は日曜日で日柄が良いのかあちこちで結婚式に向かう新郎新婦の車を見かけまし
 た。中国では結婚式の日に新郎が豪華に飾った車で新婦を迎えに行きパーティの会場に向かう
 のが習慣のようです。

 西安空港に着き、空港内の食堂で昼を食べ、国際便の入場がスムーズにいけば買物をゆっくり
 するつもりだったのですが、入場の手続きが遅れたためにすぐに飛行機に搭乗し、上海空港で
 も時間が無くてそのまま乗り換えて名古屋に帰ってきました。

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