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 8月31日(土)
  午前9時過ぎにいつものゴルフ仲間が集まる店に行き、お茶を飲みながらゴルフ談議をして家に帰る
  と
パサテンポ氏から電話があり、久し振りに我が家に来ると言うので待っていると、午前11時過ぎに
  自分で車を運転してやって来ました。
  九死に一生の
事故、その後の骨折また骨折、またまた今回の骨折と普通の人なら精神的に参ってしま
  いそうですが、車から降りた彼の顔は以前の元気な頃と変わらない表情で両手でスティックを突きな
  がら歩いて来たのでホッとしました。(*痛み止めの座薬は使用しているそうです。)
  私達の上高地行きのHPを見て、彼も胸椎の骨折が無かったら上高地・高山方面に奥様と2人で行く予
  定だったと言ってましたが、本当に彼の人生は事故と怪我の連続のようですが、その度に元気になっ
  て戻っていますから、この調子でいくと96歳まで生きた彼のお父さんを超えて100歳まで生きるよう
  な気がします。


 
8月30日(金)
  午前10時30分から、以前、
”カテーテルアブレーション(心筋焼杓術)”の治療を受けた術後検診があっ
  たので
「公立陶生病院」に行きました。午前9時過ぎに着き、受付をして心電図の検査を受けて診察室
  の前で待っていると、いつもなら30分〜1時間遅れになるのが、今日は定刻の10時30分に診察室に呼
  ばれました。担当の
O.H先生から「心電図は異常ありません」と言われ、3ヶ月後にもう一度検診を受け
  る事にして帰って来ました。

 
 8月29日(木)
  午前6時45分から朝食バイキングが始まるので、その時間に行き朝食を済ませ、取り敢えず、チェック
  アウトをしてから荷物をホテルに預けて表に出ると今朝は穂高連峰が良く見えました。
  午前中、昨日行けなかった
”明神池”を目標にして張り切って向いました。”河童橋”から”明神池”は往
  復約7km3時間の自然研究路(遊歩道)の散策コースで、梓川右岸は途中、昨日も行った湿原の木道が
  あったり、焼岳の良く見える所があり、両側には色々な山野草が花を咲かせていました。
  すれ違う人や私達を追い抜いて行く人は登山やトレッキングの格好をしている
  人が多く、私達のような散策気分の人は少数でした。
  午前8時半前に出て明神池に着いたのは午前9時45分頃でしたが、まず、山岳
  ガイドとして有名だった
”上條嘉門次”が明治13年(1880年)に建てた山小屋
  
「嘉門次小屋」(現当主は4代目)で休憩してから、入場料300円を払って”明神
  池”
に入りましたが、瓢箪のような形をしているので手前が一之池、奥が二之
  池
と呼ばれている事を初めて知りました。写真で見ると神秘的で荘厳な感じで
  したが、観光客で賑わっている池の周辺を見ると少し興ざめの感じがしました。
  
  午前10時半に出て、帰りは明神橋を渡って梓川左岸の道路を歩きましたが、こちらの方が距離も少し
  短く歩きやすいのか、車椅子の人を連れて来ている親子とすれ違いました。
  午前11時半に上高地バスターミナルまで帰って来て、昼食は
「せっかく上高地に来たのだから」と全
  員が思ったので、テレビに出ていた
”上高地帝国ホテル”で食べる事にして11時55分発のバスで行き
  ました。午後12時頃に着いたのですが、ホテルのレストラン
「アルペンローゼ」の前は待っている人で
  いっぱいでしたが、20分〜30分待ちだというので待つ事にしました。40分待って案内され、家内はオ
  ムライスとハッシュドビーフ2,835円、次男は伝統のビーフカレー2,520円、私はビーフハンバーグと
  ライス2,950円を注文しました。
  出て来た料理の味と値段を比較すると、私達の感覚ではお得感は感じませんが、そこで食べたとい
  う記憶が料理の価値だと思えば一概に高いとは言えないのかなと思いました。
  
  午後2時前に帝国ホテルからバスで戻り、白樺荘に預けていた荷物を受け取り、再びシャトルバスで昨
  日の沢渡駐車場に戻って来ました。午後2時半過ぎに松本市に向い、松本城と旧開智学校を車窓から
  次男に見せて長野道松本ICから帰路に着きました。



 8月28日(水)
  家内が次男が東京行きが中止になり、ガッカリしているので何処かに行こうという事になり、涼しい
  所が良いという次男の希望で
「上高地」に一泊二日で行く事にしました。
  午前6時半過ぎに家を出て東海北陸道の飛騨清見ICから高山経由で最初に次男が行きたいと言って
  た
「飛騨大鍾乳洞」に午前9時半過ぎに着きました。ここは全国で80数か所ある観光鍾乳洞の中でも
  日本一の標高900mに位置し、1965年(昭和40年)に発見された鍾乳洞で、2億5千万年前には海だっ
  たため、海の中のサンゴなどから石灰石ができ長い年月の間に雨水に溶け、少しずつ堆積して鍾乳洞
  が作られたそうです。
  6年前に100kgの金塊強奪事件で話題になった鍾乳洞の発見者大橋外吉の大橋コレクション館を通っ
  て行くのですが、戻ってきた73kgの金塊を見て、全長800mで中に入ると気温11℃で寒い位でした。
  この鍾乳洞で見られる
”ヘリクタイト”と呼ばれる太さ2mm〜5mmの天井から生えて来る細く曲がりく
  ねったモヤシのような生成物は湿度が高いほどよく育ち、空気の流れがなく、閉鎖的な洞窟でしかみ
  られない学術的にも非常にめずらしいもので国内では最も多くあるそうです。
  

 1時間程で次の観光地
「新穂高ロープウエイ」に向か
 いました。午前11時過ぎに新穂高温泉駅に着いて往
 復2,800円を払い、標高2,156mの西穂高口駅まで
 上がったのですが、7年前に家内と2人で来た時には
 天気が最高だったのですが、今回は天気予報では快
 晴になっていた割には雲が多く、展望台から見る北
 アルプスの山々は上の方は雲が掛かって見えませ
  んでしたが、360℃のパノラマから槍ヶ岳・穂高岳・焼岳・笠ヶ岳等の雄大な山々を間近に見ることが
  できました。
 午後12時半にロープウエイを出発し、平湯まで戻って昼食を食
 べる事にしました。前に来た時に食べた蕎麦がおいしかったの
 で
「山菜食い処 よし本」に行き、私は前にも食べた”天ぶっかけ
 そば”1,000円、家内と次男は”ざる山菜そば”1,100円を注文し
 ました。
 ”天ぶっかけそば”は丼に入ったそばの上に揚げたての海老天
 が2匹乗っていて、やや甘く薄めの蕎麦つゆを上からたっぷり
  かけて食べるのですが、喉越しの良い蕎麦と揚げたての天ぷらがマッチしておいしく食べられまし
  た。”ざる山菜そば”は生の朴葉の上に蕎麦とわらび・ゼンマイ・土筆・蕗のとう・ハチク等の山菜が乗
  っていて彩りが良く見た目にも本当においしそうでした。
  午後1時半過ぎに店を出て、
「上高地」に向かいましたが、「上高
  地」
は国の特別名勝・特別天然記念物に指定されていて、マイ
  カー規制なので明日の予定も考えて松本側の沢渡駐車場(2日
  分1,000円)に車を置いてシャトルバス(往復2,000円)で行きま
  した。
  午後2時半頃に上高地バスターミナルに着きましたが、驚いた
  のはバス駐車場に観光バスが満車状態で道路まで溢れていて
  何台のバスが来ているのか見当もつきませんでした。
  私達はバスターミナルから梓川沿いを歩いて
”河童橋”まで行きましたが、5分程で着き、橋を渡った
  所に今日の宿泊先の
「ホテル白樺荘」がありました。午後3時前にチェックインし1階の部屋に案内さ
  れて外を見ると沢山の人達が歩いていたので、私達も少し散策する事にして表に出て
”自然研究路”
  (遊歩道)を700m先の
湿原まで歩いてみました。
  午後3時過ぎていましたが、まだ
”明神池”に向かって歩いている人もいたので私達も行こうかと思い
  ましたが、無理をする事も無いので明日にして湿原の付近まで行って帰って来ましたが、”梓川”は何
  処でも綺麗な水が流れていて、カモが一生懸命餌を食べていました。
  
  午後5時過ぎに帰って来てひと風呂浴びて休憩し、午後5時から夕食でしたが、料理もまずまずで私
  は地ビールの上高地ビールと地酒を飲んですっかり良い気分になりました。部屋に帰ってから家内と
  次男は星を見ようと外に出て行き、私がフトンの中で横になっていると、次男が
「星がきれいだから」
  
と呼びに来たので、仕方なく表に行きましたが、酔っているせいか、夜空がまともに見られないので
  早々に部屋に帰って寝ました。


 8月27日(火)
  家内は毎週月曜日に義母の所に行くのですが、昨日は休んで、今日、施設の方で予約をしてあった東
  市民病院の婦人科に義母を検査と診察に連れていく為に出かけて行きました。
  結果は先生から
「異常なし」と言われて安心して帰って来たのですが、いつもは「何時死んでもいい」
  とか
「生きていても良い事が無い」と投げやりな話をしていた義母が今日の病院の事を考えると3日
  前から寝られなかったと言うのを聞くと、やはり、人間はいざとなると生への執着は強いものだと思
  いました。


 8月26日(月)
  朝起きて庭の温度計を見たら、21℃を指していました。4、5日前は27℃でしたからこの所の雨模様の
  天気で最低気温も一気に下がりました。暑い暑いと思っていても秋は確実に来ているようですが、午
  前中、プールに行ったら後僅かの夏休みを少しでも楽しみたいのか子供達も結構来ていました。
  3月に大腿骨の再再手術をして5月に退院した友人の
パサテンポ氏のリハビリが順調に進んでいるの
  か気になっていたのですが、なかなか連絡出来ず、今日、電話したら出なかったので、リハビリの為に
  沖縄か外国にでも行ったのかなと思っていたら、夕方、彼から連絡が入り、6月に腰が痛くなったので
  リハビリに通っている整形外科で診てもらったら
「変形性腰椎症」と言われ、牽引をしていたそうです
  が、痛みが強いので、愛知医大に行って担当の先生に話をしてMRIを撮ってもらったら、腰椎のすぐ上
  の
胸椎の骨折をしていた事が分かったそうです。
  それ以来、3週間程ギブスで固定し、その後、特注コルセットを使用しながら生活しているそうですが、
  完治までは安静が一番なので、まだ2、3ヶ月は動く時の痛みが続きそうですが、彼の事ですから前向
  きに考えて頑張ってくれると思っています。



 8月25日(

  この地方では久し振りに昨夜からかなりの雨が降り、昨日、お茶を飲みながら「雨がほしい!」と言っ
  ていた畑をやっている人達は喜んでいると思いますが、長崎県や島根県では7月に続いて記録的豪
  雨になったのでJR三広線をはじめかなりの被害が出ているようです。今月初旬に山陰に旅行に行っ
  て来ただけにこれ以上の被害が出ない事を祈るばかりです。
 夕方になってやっと雨が止んだので
「潮見坂平和公園」にウオーキング
 に行きましたが、雨上がりにも拘わらず、墓参りの人があちこちにいまし
 た。この公園の街路樹は桜と
百日紅(サルスベリ)の並木があり、春は桜
 が綺麗ですが、今は
百日紅が満開で真っ赤な花を咲かせています。
 いつもは暑さになれる意味で午後2時か3時から十分な水分補給をしな
 がら歩くのですが、今日は雨上がりのせいか少し温度が低いので、水を
 持たずに歩いていたら何となく体がだるくなって来たので、早目に切り
  上げて帰って来ましたが、やはり、暑さに対しても油断大敵だと思いました。


 8月23日(金)
  先日、古い洗濯機が壊れて新しく乾燥洗濯機を買い替えた時、一緒に買い替えたテレビが来ました。
  以前から画面に黒い帯が出来て見にくかったのですが、家内は「見えるから」と頑張っていたのです
  が、実際に売り場に行って展示されているテレビを見ていると、画面はすっきりして綺麗なので買う
  事になり、どうせ買うなら新しい製品が良いと言って高い方を買いました。
 午前9時過ぎから前の家の
O.Nさん(エディオンの工事担
 当者)
が来てくれて、古いテレビの線を外している内に新
 しいテレビが届きました。前のテレビが50インチで今回は
 52インチなのでディスプレイは少し大きくなったのです
 が、テレビの外寸は幅126.6cm×高さ80.2cmが幅119.6cm
 ×高さ73.5cmとやや小さくなっている上に
重さが48kg
 が27.5kg
と20kg近くも軽くなっているのは驚きでした。
  配線が済み、新しいテレビの画面が映ると、前のテレビの黒い帯は勿論無くなって、鮮やかな明るい
  画面に目が沁みるようでした。

  テレビの件が落ち着いたので、家内が午後から
「第62回春日井市民美術展
  覧会」
を見に行きたいと言うので、次男も誘って3人で見に行きました。
  去年は家内も応募して入選しましたが、今年は作品が間にあわなかったの
  で残念ながら作品を見る事は出来ませんが、来年は頑張ってほしいと思い
  ます。それでもかって同じ日本画同好会にいた
K.Yさんや、去年、市長賞を
  取った
M.Sさんといった、知人が出品していたり、写真の部では家内の日本
  画仲間の
F.M夫妻が揃って出品しているのを鑑賞して帰って来ました。
  市長賞をはじめ各賞の受賞作品の中にはプロ顔負けというより、プロと同じ位の実力を持った人もい
  ると思いますが、逆に
「これが入選?」という作品もあるので、いくら市民展と言ってもしっかりした
  基準で入選作品を選んでほしいと思いました。



 8月22日(木)
  この所の暑さで我が家の2階の室内の温度計が今日初めて36℃を記録しました。畑をやっている友
  人達は雨が降らないとぼやいているし、テレビでも水不足の地方と雨が降り過ぎて困っている所の
  放送をしていましたが、最近の異常気象はこれが毎年普通になっていくような気がします。
  次男が15日(木)に親知らずを4本抜いて17日(土)に退院した後の初めての診察に行き、帰って来た
  のですが、下の歯か骨の一部が残っているので、後日、腫れが引いてから、もう一度残った部分の治
  療(抜くか削る)をするそうですが、やはり親知らずと言うのは一筋縄ではいかないようです。



 8月20日(火)
  午前9時過ぎにゴルフ保険の更新をする為にいつもゴルフ仲間がお茶を飲むモスバーガーの店に行
  きました。私を含めて4人が更新しましたが、4人の内、
82歳のK.Kさんはホールインワンの経験者な
  ので元はとっていますが、残る3人は何十年と掛けていますが、未だにお世話になっていませんが、
  私はゴルフクラブを折った時に一度お世話になった事があるので、少しは元が取れています。
  私が入ったのはホールインワン保証が20万円で
保険料5,000円の1番安い保険ですが、今はこんな少
  ない保険料の支払いも昔と違って、保険の外交員に現金を直接払う事は禁じられているようで、カー
  ド払いか現金振り込みしか駄目だと聞くと時代の移り変わりを感じます。



 8月19日(月)
  家内は娘一家が帰っても息つく暇も無く、今日は義母の所に出かけて行きました。私は午前中、市民
  プールに行きましたが、子供達は夏休み中とはいえ、一般的にはお盆休みが終ったせいか、プールも
  人が少なめで流水プールで歩くのも25mプールで泳ぐのも楽でした。
  家内が夕方、義母の所から帰って来て、
「新しい人が4人入って来た。」と言ってましたが、年をとって
  からの過ごし方を考えた結果で自分で入所する人、家族が面倒見られなくなって入所させられた人
  等、いろいろいると思いますが結論を出すのは本当に難しい事だと思います。


 8月18日(

 
 今日でほとんどの会社の夏季休暇が終わり、明日からいつも通りの生活に戻る人達も多いと思いま
  す。
婿のnao君も9連休が終わり、明日から会社だそうですが、話を聞いていると休みの間に親しい友
  人達とのバーベキューをやったり、家族で1泊2日の海水浴に行ったり、2泊3日で我が家に来たりと本
  人がゆっくり休む日が無かったような気がしました。
  我が家の次男がいつも
”一人でゆっくりする時間が必要だ”と言って、娘(姉)が彼に自由な時間を与
  えていないような発言をしますが、私はそういった事は2人が話をすれば良い事なので大したことで
  はないと思いますが、私が現役の時には休みの最後の日は家でゆっくりしたいと思っていたので、彼
  も本来なら今日は家でゆっくり過ごした方が良かったのではないかと思います。

  今日も朝から
mn実nt実は家内にくっついて遊んでもらい、ご機嫌ですが、今
  日、家に帰る事が分かっているだけに、そんな話が出ると直ぐに泣き顔になりま
  す。お昼は家内が2人に玉子を割らせたり、かき混ぜたりして手伝わせてオムラ
  イスを作り、ケチャップを自分達の好きなように掛けさせたら、2人は食欲旺盛
  でおいしそうに食べていました。
  娘一家は午後2時過ぎに帰って行きましたが、例によって孫2人が帰るのが嫌だ
  と泣いていましたが、家内も少し慣れてきたので笑顔で別れを告げていました。



 8月17日(土)
  朝6時前に起きて居間に降りて行ったら、娘と上のmn実ちゃんがもう起きていました。mn実は寝るのも
  早く、朝は午前5時過ぎには起きるので娘の方が母親として一緒に起きるので大変だと言ってます。
  いつもは起きるのが遅い
下のnt実ちゃんも午前6時頃にはご機嫌で起きて来て「おばあちゃんは?」
  と家内を探しますが、家内は疲れからかいつも一番遅く午前7時頃に起きて来ます。
 家内が起きて来ると
下のnt実「2階へ行こうよ」と言いますが、目的が分かっ
 ているだけに、今日も出来るだけ引きのばそうとしましたが、駄目で早々と上に
 行き、いつもは私達の部屋でお化粧をするのですが今日は下に持って来てやら
 せていました。
 
上のmn実は幼稚園に行くようになって、少し治まりましたが、下のnt実は今が一
 番面白いのか、口紅を塗ったり、乳液を塗ったりしては、みんなに
「きれい!」と言
 われると鏡を見て喜んでいますが、その仕草が可愛いと家内は
「やっぱり女の子
  だから」
と笑いながら見守っています。将来、どんな女の子になるのでしょうか。


 8月16日(金)
  午前10時から南部の「中国語同好会」、午後1時から坂下の「パソコン同好会」
  があったので出席しましたが、さすがにお盆の期間中なので欠席の人が多か
  ったのは当然かもしれません。
  午後4時前に次男の様子を見に市民病院に行ってみましたが、抜歯後1日目で
  思ったより元気そうで顔も腫れていないように見えましたが、本人は両側の
  顎の所が腫れていて、口が少ししか開かないので食事をするのが大変だとボ
  ヤいていました。顔の腫れは2日目の方がひどくなると先生が言ってたそうで
  すが、抜歯がスムーズだったのでそんなにひどくならないと思います。
  家に帰ると娘一家が来ていて、
孫のmn実nt実が家内にまとわりついて遊んでいました。


 8月15日(木)
  今日は68回目の”終戦記念日”ですが、私自身は昭和19年1月生まれですから、全く記憶はありませ
  んが、この頃になると亡くなった母がいつも
”岡山空襲”の時の事を話していた事を思い出します。
  父が買い出しで田舎に行っていない時で、母が当時1歳半の私を背負い、8歳の東京の兄と手をつな
  ぎ、お手伝いさんが4歳の岡山の兄をおんぶして空襲の中を逃げたそうですが、途中で東京の兄の
  手が離れて姿が見えなくなった時
「しまった」と思った瞬間に「おかあちゃん!」と呼ぶ兄の声がした
  ので、そちらを見たら兄がいたので
「ああ、良かった」と直ぐに手を取って一緒に逃げて助かった。と
  いう話を聞く度に母の子供を思う気持ちの強さを感じたものでした。

  次男が春日井市民病院で
親知らず4本を一度で抜く事になり、今日から2泊3日で入院しました。午前
  10時30分に入院し、午後2時から抜歯(小手術)の予定だと聞いていたので、午後3時に6階の病室に
  行くと、次男が病室に帰って来たばかりでした。
 大変な思いをしたのかと聞くと、麻酔は歯茎だけで点滴の中に睡眠薬が入って
 いたので、本人は半分寝ていたような状態で痛みは全く無く、気が付いたら終
 っていたと言ってました。
 術後の痛みも口の中が痺れているせいか全く痛くないので、本人はピースサイ
 ンをするほど元気でしたが、痛み止めの点滴が終わった時にどの程度の痛さに
 なるのか、明日になれば分かると思います。
 実質の時間は30分位で4本の親知らずを抜いたという事になりますが、本人は
  下の歯を2本抜いた事は覚えているが、上の歯を抜いたのは記憶が無いと言ってましたから半睡眠
  状態なっていたと思います。
  事前の話では歯が骨にくっ付いていると大変ですが、次男の親知ら
  ずは付いていないから大丈夫でしょうと言われていたので、その通
  りの結果だと思いました。同じ病室に入院して次男の次に午後2時45
  分に2本の親知らずを抜きに行った患者さんは私が帰って来る午後4
  時になっても病室の戻っていなかったので、歯が骨にくっ付いている
  のかもしれないと思いました。
  ただ、次男は4本抜いている分、出血は多いのか、止血処理をしてい
  ると言っても、術後1時間経つと口の周りに血がにじんで出て来ていました。
  西棟6階は歯科・眼科・耳鼻科等の入院患者用らしく、ナースセンター前に歯科や耳鼻科、眼科の処置
  室があり、私が帰る時に見ると処置を受けている患者がいました。



 8月14日(水)
  午後3時過ぎにエディオンから連絡があり、昨日、買った洗濯機の配達に今から行きますとの事でし
  た。昨日は午後6時過ぎになるかもしれないと言われていたので、遅くなる事を覚悟していたら、思っ
  ていたより早くなったので家内も喜んでいました。
 上手く入るかどうか心配して、下の防水パンの大きさは計っていたのですが、給
 水の蛇口の高さや場所は気にしていなかったのですが、配達業者が来て給水用
 の蛇口の高さを計ったら、少し邪魔になるので別の給水栓に接続して使えるよう
 にしてくれましたが、後から工事をして蛇口を動かさなければならないと思って
 いたら、前の家の電気屋さんの
O.Nさんが来て蛇口を交換して壁ピタ水栓にすれ
 ば良い事になったので少し安心しました。
 家内は新しく設置した
”ドラム式洗濯乾燥機”でさっそく溜まった洗濯物を洗濯して
  いましたが、外から見ていると水があまり出て無いように見えるので、大丈夫かなと心配していまし
  たが、ちゃんと洗えているようでした。



 8月13日(火)
  昨夜、家内が旅行の間の私達や溜まっていた次男の洗濯物を片付けようと洗濯機を回していたら、3
  回目の洗濯の時に底の回転板が動かなくなり、もう一回付け直しても駄目なので、8年も経っている
  ので寿命だと思い、直ぐにでも洗濯する為もあって修理よりも新しい洗濯機を買う事にして近くにあ
  る
”エディオン”に行きました。
  今までは全自動洗濯機ですが、今度は
ドラム式洗濯乾燥機を買う事にして出かけ、家内は店員さんの
  お薦めの日立のビッグドラムの一番大きい洗濯容量10kgの機種を購入しました。
  ついでに半年以上前からプラズマテレビの画面の一部に帯(4cm×30cn)の
  ような変色する現象があり、時によっては黒くなって、その部分が見えなく
  なる事もあり、子供達から買い替えた方が良いと言われていたので、テレビ
  売り場に行ってみましたが、7年位前、我が家で50インチのテレビを買った時
  には我が家に来た人達が一様に
「大きい!」と感心していましたが、今は60
  インチ、55インチ、50インチと並べていると50インチが小さく見えるのです
  から不思議です。
  家内は見るだけの積りが、一緒に行った次男のアドバイスもあり、52インチのシャープの
液晶テレビ
  買いました。テレビを買うと、今あるテレビが上下一体型のテレビなので、テレビ台が必要になり、家
  内が以前から目を付けていた
和風のテレビ台を家具屋に買いに行きました。
  その他、電気製品は悪くなる時は一度に来るようで、電動ポットも長く使っているせいか、蓋の中のプ
  ラスチックが劣化してお湯の中に落ちて来るので、この際、新しくしようと3Lから5Lの
マイコン式電
  動ポット
に買い替えました。本日の買い物が??万円になりましたが、”要る物は要る”という家内の姿
  勢には頭が下がります。



 8月12日(月)
  家内は昨日は寝たのが遅かったのですが、いつものように義母の所に出かけて行きました。疲れてい
  る時はたまには休んだらと思いますが、家内にすれば一週間に一度の親孝行という気持ちが強く、必
  ず出かけていくので本当に大変だと思いますが、義母にその気持ちが通じれば良いと思います。
  私は旅行の写真の整理や留守中の新聞や手紙に目を通し、10月にある
「第37回春日井まつり」への
  参加書類を準備したりしてクーラーの中で一日涼しく過ごしました。



 8
7()811(
)岡山の墓参りを兼ねて山陰・山陽(高梁・松江・出雲・石見)を旅行しました。
  今回は現存12天守閣の内、まだ見ていない
”備中松山城””松江城”、60年振りの大遷宮をした”出雲
  大社”
、世界遺産”石見銀山”を見学する4つの目的がありました。それとは別にK大学の1年後輩で3月
  に再婚した
K.K君の奥様を紹介してもらう楽しみもありました。

   87()午前6時過ぎに次男に春日井駅まで送ってもらい、午前727分発ひかり493で岡山に向
  かいました。のぞみで行けば早いのですが、ジパング倶楽部で30%引きになる条件がひかりなので
  2人分で6,800円も安くなるのでそれが魅力ですが、帰りはお盆期間で適用除外なのが残念です。
  
午前9時半前に岡山駅でレンタカーを借りましたが、夏休みのせいか、大勢の人が借りに来ていて30
  分近く待たされました。
  午前10時に岡山駅を出発し、今回の目的の1つ、高梁市にある
「備中松山城」に向かいました。途中、
  国道180号線が混んでいて、午前11時半にお城の麓のふいご峠の駐車場に車を置いて標高430mの
  臥牛山頂上にある天守閣に向かいましたが、70020分の工程を歩くだけで汗びっしょりになりまし
  た。
「備中松山城」は現存天主閣を持つ山城としては最も高い所にあるそうです。作庭家として有名
  な小堀遠州が築城に関わったと言われるだけに登城坂の周囲の城壁は見事で難攻不落の名城と言
  われた面影がありました。
  

 午後12時半過ぎにお城を出発し、ベンガラの里
「吹矢ふる
 さと村」
に向かい、午後1時過ぎに吹矢に着きましたが、ま
 ずはお昼を食べてからと地元の
“藤森食堂“でざるうどん
 550円を食べましたが、ひと口食べた時に子供の頃に母
 の里に墓参りに帰った時に食べた親戚のおばさんのうっ
 てくれた手打ちうどんと同じ歯触りのど越しだったので懐
 かしい気持ちになりました。

 食堂を出て街中を散策しようとしたら、急に雨が降り出し
 たので、近くにあった
“郷土館”“片山家住宅”(国重要文
 化財)を見学することしました。どちらも吹矢ベンガラが
 栄えた江戸時代後期〜明治時代の屋敷構えを残した建物
 で吹矢の歴史的な街並み景観を象徴しているようです。
 外に出ても雨が降ったりやんだりで街の中の散策もまま
 ならないので、街外れにある去年の3月まで使用されて
  いた明治6年(1873年)に開校し、明治321899年)に現在の場所に移転、同33(1900)に現在
  の校舎が完成し、現役最古の木造校舎として知られていた
“旧吹矢小学校”の校舎を見学に行った後、
  
“広兼邸”に行きました。
  
“広兼邸”は銅山とローハ(硫酸鉄)製造で財を築いた大野呂の庄屋・広兼氏の邸宅で遠くから見た時
  の石垣がまるでお城の城壁かと見間違うような立派な石垣で建物も石州の瓦職人を呼んで現地で
  瓦を焼かせて屋根を葺いたというように凝って作った邸宅でした。
  

  午後3時半過ぎに広兼邸を出発し、米子皆生温泉に向かいましたが、ナビに入れてナビの案内に従っ
  てスタートしたら、来た道とは違う案内でしたが、信頼して走ったら、最初の20分間はがけ崩れが起こ
  ったばかりのような感じで、大小様々な石が落ちている山道を通って行かなければならなかったの
  で家内も私も生きた心地がしませんでした。幸い、何事もなく安全な道路に出られましたが、ナビを
  100%信頼してはいけないことを改めて認識しました。
 その後は順調に走行できて国道180号線に入って
 からは信号がほとんどなくて、江府ICから米子道
 で米子まで行き、今日の宿泊先の皆生温泉
「皆生
 つるや」
に午後6時前に着きました。
 
「皆生つるや」は久しぶりに温泉旅館らしいと思
 う旅館でした。従業員の教育も良くできていて食
 事も普通の料理ですが、味付けもまずまずで料理
  を出すタイミングも丁度良い感じでしたが、家内にとっては量が多すぎて食べきれないのが申し訳
  ないと言ってました。午後9時からは毎日花火が皆生海岸で上がるので是非ご覧下さいと勧められ
  たので見に行きましたが、1分間余りで終わったのは皆さん分かっていても物足りなさそうでした。
  
  
8月8日(木)午前5時半に目が覚めたのでそのまま朝風呂に行きました。午前7時半からの食事も普
  通の旅館の食事でしたが、珍しく味付け海苔がありませんでした。

  午前9時前ホテルを出て、境港市の“水木しげるロード”に行きました。ここは境港出身で人気漫画「ゲ
  ゲゲの鬼太郎」
でおなじみの漫画家水木しげるさんにちなんで愛嬌のある139体の妖怪ブロンズ像を
  JR境港駅から水木しげる記念館までの800mにわたって配置してあり、11つ見て歩くとかなり楽し
  めそうです。私達は時間がまだ早く人も少なかったので所々で車から降りて”鬼太郎”や”ねずみ男”
  ”目玉おやじ”等を見ましたがとても全部は見られませんでした。
  


  午前10時前に境港を出て、途中、中海に面した「道の駅本庄」に寄り、午前10時半過ぎに今回の目的
  の2つ目の
「松江城」に着きましたが、駐車場がいっぱいで30分近く待たされやっと入場できました。
  
「松江城」は全国にある現存12天守閣の1つですが、私が思ったよりは規模も大きく立派なお城でし
  た。
別名“千鳥城”とも言われ外観は5重ですが中は6階になっていて地階にある井戸は深さ24mも
  あり、ここから飲料水を汲んでいたのはすごいと思いました。高さ30mの雄大な姿は黒い下見板と白
  壁のコントラストが遠くから見るとなかなか見事でした。
  お城の北側のお堀に沿った通りは
“塩見縄手”と呼ばれ、200石から600石の中級武士の屋敷が並ん
  でいたそうです。縄手とは縄のようにひとすじに伸びた道路のことを言い、昔、塩見小兵衛という武
  士が異例の出世をしたためこれにちなんで
“塩見縄手”と呼ぶようになったそうです。公開されてい
  る
“武家屋敷”280年前の建物がそのまま保存されていて貴重なものだと思いました。
  
  次に直ぐ近くにある
“小泉八雲旧居”を見学しましたが、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は40歳で来
  日し、54歳で亡くなるまで14年間、を日本で過ごし、松江・熊本・神戸・東京で住みましたが、八雲が住
  んでいた当時のままで保存されているのは松江の
“八雲小泉旧居“だけとのことです。この家は武家
  屋敷で根岸干夫が所有していたものを長男の恩師である八雲に貸すことになったそうです。八雲は
  この家を大層気に入って自分の作品にも何度も登場しているそうです。
 “八雲小泉旧居“をでてお昼を近くにある出雲そばの「そ
 ば処八雲庵」
に行き、私はかき揚げ割子そば1,050円、家
 内が3段割子そば690円をたべました。
”出雲そば“という
 のが小さな朱塗りの丸い器に茹で立ての蕎麦を入れてそ
 こに薬味とつゆをかけて食べる割子そばで3段重ねが基
 本になっていることを今回初めて知りました。
 午後12時半過ぎに店を出て、駐車場の傍の観光センター
  で土産物を見たり、かき氷を食べて休憩して午後1時半過ぎに出雲に向かいました。午後3時前に今
  回の旅の目的の3つ目
「出雲大社」に着きましたが、ここでも駐車場がいっぱいで20分程待って駐車
  して本殿にお参りに行きました。
  参道にあたる神門通りは60年振りの遷宮で
“平成の大遷宮”銘打ってキャンペーンをした成果が出て
  いるのか出雲そばや出雲ぜんざい等の飲食店や土産物店が大勢の参拝者でにぎわっていました。
  私達は20分程歩いて本殿に到着して参拝しましたが、30数年前に来た時には直接、本殿の横までバ
  スで来たので参道がこんなにあったとは思いませんでした。普通の神社の参拝の作法は二礼二拍手
  一礼ですが、
出雲大社は二礼四拍手一礼だと教えられたので、その作法に従って最初に拝殿にお参
  りし、続いて60年ぶりに新しく葺き替えを終えた御本殿にお参りしました。
  

  
午後4時前に出雲大社を出発して今日の宿泊先温泉津温泉「輝雲荘」に向かいましたが、午後445
  分頃に急に車がウオーンウオーンというような音が鳴り出したので、一瞬故障が起きたと思ったら
  
「地震がありました。」とナビの声が言ったので、今のナビはそんなシステムも備わっているのかと驚
  きました。家内は携帯電話に緊急地震情報「奈良県で地震発生、強い揺れに備えてください:気象庁」
  というエリアメールが入っていて、ラジオをつけるとNHKで大地震が発生するかのような放送をして
  いるので、家内は心配して娘の所に電話したら、何の事かわからないし、揺れてもいないと言うので、
  テレビをつけて様子をみさせたら、地震はマグネチュード3.2の地震だったと分かり、安心しましたが、
  その後のニュースで気象庁が間違いをお詫びしているニュースが入りました。間違いを憤慨する人も
  いると思いましたが、私はこういう事があって、みんなが意識をして行動することは悪い事ではない
  と思いますが、勿論、同じ間違いを繰り返すことは駄目だと思います。

 午後5半頃に温泉津(ゆのつ)温泉
「輝雲荘」に着きました
 が、部屋に案内されて館内の説明を受けたのですが、昔
 の湯治場の温泉の名残が色濃く残っているようで、室内
 にはトイレも洗面所も無く、廊下に出た所に共同トイレと洗
 面所があるから、それを使用するように言われ、廊下と部
 屋の仕切りもかろうじて鍵が付いているふすま1枚なの
 でいささか戸惑いました。
  食事は部屋食で終わって少し経つと布団を敷きに来ると言うので、何となく落ち着きませんが、それ
  までは待たなければなりませんでした。ただこの旅館はロビーや廊下、風呂の脱衣所まで全部畳敷き
  なので、スリッパが無くて素足で歩けるのは良いと思いました。
  温泉は1300年の歴史があるというだけにお湯は良いと思いましたし、すぐ傍にある日本温泉協会の
  評価で
“オール5”を認定されている元湯の「薬師湯」にも入りましたが、スケールは違いますが、道後
  温泉の元湯:道後温泉本館と似た感じでなかなか雰囲気のある共同温泉でした。


  8月9日(金)
今朝は目が覚めたら午前6時前でしたが、朝風呂に行き、眠気をさましてから部屋に帰
  り、女中さんが布団をあげに来るのを待つのも落ち着かないので家内が自分で片付けていました。
 午前845分に旅館を出て、今回の旅の目的の最後で4
 
つ目の世界遺産
「石見銀山」に向かいましたが、世界遺
 産の正式名称は
「石見銀山遺跡とその文化的景観」とい
 うことで、実は温泉津(ゆのつ)も世界遺産に指定されて
 いる地域に入っていましたが、銀の積み出しと物資の補
 給をおこなっていて、今は寂れて数軒の家があるだけの
 沖泊港を見て納得がいきました。

  午前915分に大森町の入口にある五百羅漢のある
「石室山羅漢寺」に寄ってみましたが、ここは月
  海浄印という方が銀山で働いて無くなった人々の霊を供養するために発願され、25年かかって明和
  3年(1766年)に完成したそうですが、五百羅漢像が石窟の中に安置されているので、中に入ると少し
  涼しい感じがしました。
 石見銀山の案内のパンフレットには駐車場がないので
“パ
 ーク&ライド”
で世界遺産センターに駐車してバスで大森
 町の街中まで行くようになっていましたが、私達はとりあ
 えず車で行ってみると、古い街並みも人が少なく車でゆ
 っくり走れば十分雰囲気が味わえました。街並みを一回り
 して、駐車できる所に車を止めて、国指定重要文化財
「熊
 谷家住宅」
を見学しました。

  熊谷家は代々大森町の有力商人で鉱山経営のほか金融業、酒造業も営んでいて、大森代官所のご用
  達や年貢銀を扱う掛屋等も務めていたそうです。
「熊谷家住宅」は寛政12年(1800年)の街並みの大
  火で焼けた後、享和元年(1801年)に再建され、以後土蔵などを増築し明治元年(1868年)に現在の屋
  敷になったそうですが、江戸時代後期から末期にかけての有力商人の身分や生活の変遷を最もよく
  示す民家になっているそうです。母屋の建坪220坪は私達が今まで見た商家の中では一番だと思う
  ほど立派で大きな住宅でした。居間の下に貴重品を預かる地下蔵があったり、酒造所にあった瓶燗機
  等は初めて見たので興味深いものでした。
  
  次に
「龍源寺間歩」に行きましたが、観光する人は片道2.3kmをレンタサイクルか徒歩で行くのです
  が、私達はできるだけ近くまで車で行って、そこから歩こうと思い、車を走らせたら“ここより関係車
  両以外進入禁止”の所に駐車場があったので、そこから歩きましたが、それでも1kmは上り坂の山道を
  歩きました。
  
“間歩”(まぶ)とは銀鉱石を採掘するための坑道のことで人一人がやっと通れるほどの坑道が石見
  銀山には大小600余りが点在しているそうです。
「龍源寺間歩」は江戸時代前期“大久保間歩”に次ぐ
  2番目の大坑道で昭和18年まで稼働していたそうです。本来の長さは600mありますが、平成元年に
  157mの所から新しく坑道が設けられ、観光用に公開された坑道です。中に入ると30度以上の所を歩
  いてきた汗で濡れた体が一瞬で冷えるほどで坑道内の温度計は15度を指していました。坑道の途中
  にも所々に横に掘り進んだひ押し坑や溜った水を100m下の永久坑道に排水する竪坑もあり、当時の
  ノミの跡も残っていて坑夫の苦労が偲ばれました。
  

  午後12時頃に
「石見銀山」を後にして、お昼を食べるところを探しながら国道9号線に戻り、走ってい
  たら太田市にイオンがあったので、そこで何か食べようと入りました。フードコートには食べたいもの
  もなかったので、3日間朝晩日本食だったのでパンコーナーでサンドイッチとコーヒーを買ってフード
  コートに持って行って食べましたが、後で同じイオンの敷地内にマクドナルドやすかいらーくがあるこ
  とが分かり少しがっかりしました。
  午後2時前に出発し、少し行くと
「宮本たたら遺跡・桜井家址」の案内板があり、どんな所か見たいと
  家内が言ったので行くことにしました。9号線から入ってしばらく行くと左桜井家の表示があったので
  そちらの道路を行くとだんだん細い山道になり、こんな所に本当にあるのだろうかと心細くなりまし
  たが、廃家があったのでその近くだと思い進むと「桜井家墓地」があり、更に進むと広場のような所
  があり、看板が立ててありました。
 由緒書きによると桜井家初代三郎左衛門直重が寛永17
 (1640年)に来村し、たたら製鉄事業を起こし、その後、13
 
代直廉が明治23年(1890年)松江に移住するまでの約
 250
年間、出雲松平藩の庇護を受けながら大工業として
 発展したとありました。
 もう一枚の看板には明治15年(1882年)317日桜井家の
 たたら大鍛冶場から出火し、桜井本宅をはじめ山内70
  が全焼し再起の力を失った。山内300人は転業者が続出し、桜井家の当主も松江に移住し、最盛期に
  は170世帯700人、生産量も宮本地区だけで和鉄年産7,700余貫を生産し賑わいを見せたが、今では
  その面影も見い出せないとありましたが、本当にこんな山奥にそんな製鉄をやっていた場所があっ
  たとは広場だけでは想像もできない感じでした。

 午後2時半過ぎにたたら遺跡を出発し、時間があったので
 出雲市内に行ってみましたが、特に当てもなかったので
 JR出雲市駅の神社の屋根をかたどった駅舎を見て今日の
 宿
「ホテル玉泉」に向かいました。
 午後4時半に玉造温泉街に着きましたが、ここは大きな旅
 館が多く私達の泊まった
「ホテル玉泉」もなかなか立派な
 旅館で入口を入って正面の奥には立派な庭が広がってい
  て思わず目を見張りました。温泉も透明なお湯で浴場も広くて気持ちもゆったりしました。

  夕食後、民謡とどじょう掬いのショーがあったので見に行きましたが、地元の”どじょう掬い踊り”を初
  めて見ましたが、物語風の踊りの中で顔の表情が面白くて思わず見入ってしまいました。

  
8月10日(土)午前5時半に起きて朝風呂に行きましたが、今日も気持ちの良い?天気になりそうな空
  を眺めながら露天風呂に浸かって目を覚ましました。
  朝食は380畳の大広間でのバイキングでしたが、所々で魚を焼く匂いがするので、見ると干物を食べ
  る人は自分で小さなコンロに固形燃料に火をつけて焼いていました。家内も今まで焼き立てを食べる
  ことはあっても、自分で焼きながら食べたことはなかったと言ってましたが、人の焼くのを見るだけ
  で私達は食べませんでした。
  
午前9時前に「ホテル玉泉」を出発し蒜山に向かいました。蒜山は私にとっては蒜山ジャージーヨーグ
  ルトで馴染み深い名前ですが、実際には行ったことが無くて高原で牧場というイメージはあるのです
  が、目で見たことが無いので、今回、現地を知りたいと思い行くことにしました。
  午前10時過ぎに米子道蒜山ICを出た所に
道の駅「風の家」があり、
  産地直売をやっていて大勢の人達でにぎわっていたので私達も寄
  ってみました。何種類もあるトウモロコシやトマト、スイカ、大根、なす
  など新鮮な野菜や果物が並んでいて、県内県外から来た買い物客
  や観光客で溢れ返っていました。
  家内も朝どりのトウモロコシがおいしそうだと岡山の兄の所にお土
  産に買っていましたが、トウモロコシは直ぐ茹でるのが最高で時間
  が経つに従って甘味が無くなると言ってました。
 次に
「蒜山ジャージーランド」に行きましたが、大勢の人が牛乳
 やチーズを買いに来て賑わっていましたが、私はジャージーソ
 フトクリームを食べて、草原の中にいるジャージー牛を遠くから
 見て、奥にある道の駅「蒜山」に行きましたが、特に何も無いの
 で引き返し、蒜山ICから岡山に向かいました。
 蒜山SAでお昼を食べる事にして私は2011年第6回B-1グランプ
 リで1位になった
”蒜山焼きそば”を家内は温かい”蒜山そば”食べ
  ました。”蒜山焼きそば”はジンギスカンのたれを使った焼きそばでソースや塩を使った焼きそばとは
  やや違った甘味があるのが好まれるかも知れません。

  途中の久世JCで間違えて中国道大阪方面に入ったので、これも亡くなった母が自分の実家の墓参り
  に行くように導いたと思い、次の院庄ICで降りて母の実家のIshida家の墓参りをしました。
  墓参りを終えて再び院庄ICから岡山に向かい、午後2時頃に岡山総社ICで下りて、JA山手西の直売
  所に桃を買うつもりで行きましたが、どれも1500円以上なので目の保養だけして出てきました。
  午後3時半前に岡山の兄の所に寄り、旅行のお土産を渡してお茶だけごちそうになって、今日の宿泊
  先、岡山駅前の
「三井ガーデンホテル」にチェックインしてからレンタカーを返しに行きました。

  午後6時半頃までホテルで休憩し、午後7時から今回の旅行の楽しみでもある食事会に出かけました。
  メンバーは
68歳の新婚のK.K君夫妻と私の小学校から中高大学まで一緒で今回の食事会の会場の
  
割烹「ままかり」を用意してくれた老舗和菓子屋のT.M君夫妻と私達夫婦の3夫婦6人で、勿論、K.K
  君の奥様とは全員初対面になります。
  午後7時にほぼ同じ時間に揃ったので、さっそく、お祝いの乾杯をして
K.K君
  ら再婚に至るまでの話があり、
新婦のY子さん(昭和34年生)とは去年の8月
  にお見合いをし、本人は一目ぼれだったのか、その日に送って行った時にご両
  親に挨拶をして気に入られたのか、その後、順調にお付合いをして今年の3月
  に入籍したそうです。
  新婦の
Y子さんは東京の大学でデザインの勉強をして、設計事務所でデザイ
  ンやディスプレイの仕事を外国に行き来しながら、東京でずっとやって来たそ
  うですが、ご両親や自分の将来を考えて3年前に故郷の井原市に帰って来たそうです。
 そんな2人の話を聞きながら、45年前の
T.K君の奥様との出会い
 や私達の結婚のいきさつ等を話している内にみんなが打ち解け
 て、和やかな雰囲気になりました。家内は2組の夫婦を見ながら
 嬉しそうにどちらのご夫婦も奥さんが主導権を持っていると感じ
 たようですが、その点は我が家も同じだと思います。
 
割烹「ままかり」の主人は私達男3人の高校の後輩で瀬戸内の魚
 にこだわった料理を出してくれると評判ですが、今日は料理をゆ
  っくり味わうというよりは、
K.K君夫妻の話を聞いたり、2人の様子を見ている方がメインだったので、
  料理は後回しで写真も2枚ですが、しゃれた盛り付けの料理でした。
  女性はお酒を飲めなかったので、男3人だけ飲みましたが、話が弾んだ分、お酒もすすみ、かなり飲ん
  だと思って時計を見たら、午後9時半になっていたので、又の再会を約束してお開きになりました。


  8月11日(午前7時から朝食に行くと既に席がいっぱいで少し待ってから案内されました。久し振り
  にトーストとコーヒーの朝食を食べましたが、私達にはこちらが合っているようです。
  午前9時前に
「三井ガーデンホテル」を出て、トランクを岡山駅構内のローカーに預け、岡山の兄の所
  に行ったら、朝一番の飛行機で来た東京の兄が既に着いていました。
  一休みして午前10時前に円山にある墓参りに行きましたが、既に30℃を超えて35℃近くになってい
  るような感じで、少し歩いただけで汗びっしょりになりました。
  お墓から帰ると
義姉のYo子さんがいつもと同じようにテーブルの上に次から次へとご馳走を用意し
  ていました。今年は、毎年、帰岡しているパリ在住の姪のMikaや埼玉にいる姪のMikiの娘のMomoちゃ
  んがタスマニアにホームステイに行っていない上に10階に住んでいるMiho一家も海水浴に出かけて
  いないので、大人ばかりの落ち着いたお盆になりました。
  
  
  午前11時半から始まった食事会は
ワタリガニハモ鯛の荒煮ローストビーフ、子芋の煮物の他に
  今年は今では幻の魚と言われている
アコウの煮付け、ハモの吸い物が出て来たので、本当に有難い
  と思って食べました。勿論、義姉の手作りの
穴子ずしは出ていましたが、食べきれないのでお土産に
  頂いて帰りました。
  午後4時前に東京の兄が飛行機の時間があるので先に帰って行き、私達も午後5時前に岡山の兄に駅
  まで送ってもらい、午後5時40分ののぞみ138号で帰って来ました。
  今年の墓参りを兼ねた山陰・山陽の旅行は4つの目的と1つの楽しみがあり、結果としてはいずれも達
  成できたので満足な旅でした。特に現存12天守閣の内、まだ行ってなかった2つのお城に行けた事と
  新婚の
後輩K.K君夫妻奥様Y子さんに会えた事は本当に良かったと思うと同時に異常な暑さの中
  を私に付き合ってくれた
妻のMikoさんには「ありがとう」と言いたいと思います。


 8月6日(火)
  昨夜からの雨が降り続いて、場所によって1時間当たり110mmも降った刈谷市や扶桑町のような所
  もあり、各地で大雨洪水警報が出ているようですが、幸い、春日井ではそこまで降りませんでした。
 家内の定期検診で愛知医大に行きましたが、建築中の新病院の中央棟や外来診
 療棟の足場が取れてその姿を見せていました。
今年の11月に竣工し、来年5月に
 開院
の予定ですが、見ている限りでは順調に進んでいるようなので予定通りに
 開院出来そうです。
 家内の方は血液検査で特に変わった事も無かったので、
 1時間待って3分間の診察で終わりましたが、薬を貰う時
 間が1時間以上の待ち時間だったので、先にお昼を食べ
  てもう一度薬を取りに来る事にして、藤が丘の
「キッチン心」(名東区藤が丘)
  と言う店で
”おもてなしランチ”1,680円を食べました
  ワンプレートの上にカニクリームコロッケ・貝柱とナスの餡かけ・新鮮サラダ・鯛
  のムニエル・デミグラスハンバーグ・マグロの刺身が乗っていて、それにライ
  スと赤だし付きですから1品1品が少なくてもお腹いっぱいになりました。料理も手を抜く事無く、シッ
  カリと作ってあり、味付けも良かったので久し振りに満足なランチでした。



 8月5日(月)
  家内は午前9時過ぎに名古屋の義母の入所しているホームに出かけましたが、30分程して電話があ
  り、
「家の方は雨は降っている?」と聞いて来ましたが、「地面がやっと濡れるくらい降っている。」
  言うと、
「ここは前が見えない程降っている。」と興奮していました。
  後から聞くと、前の方が白くなっていると思っていたら、それが滝の雨のカーテンの感じで、その中に
  入った途端に前が真っ白になり、車の運転が怖くて路肩に止まっている車が結構いたそうです。
  8月に入っても依然として気圧が不安定で、晴れたと思ったら急に雲が出て雨になる事も珍しくあり
  ませんが、今日もその例にもれなかったようで、午前中、私がプールに行く時も途中でかなり降って
  いましたが、車からプールに行く間は大して降らず、プールに居る間、外はかなり降っていましたが、
  帰る時には日が差していました。明後日から
山陰山陽地方(石見銀山・出雲大社・備中松山城等)に行
  くのですが、早く天気が安定してほしいと思います。



 8月4日(

  午前5時に目が覚めたのでそのまま起きましたが、新聞を取りに庭を出ると秋の爽やかさを感じるよ
  うな涼しい朝だったので、今年は夏が早く来た分、秋も早めに来るのかなと思いました。
  午前6時前に娘と
上の孫のmn実が起きて来ましたが、mn実は子供ながらいつも早起きなのでこちら
  が感心させられます。対照的に
下のnt実は朝はゆっくり寝ているので同じ姉妹でもそれぞれ個性は
  違うと思います。
  娘一家は午後4時頃に帰って行きましたが、今回も孫二人がおばあちゃんと別れるのが嫌だと泣くの
  で、家内も
「又すぐ来るのだから」となだめていましたが、自分自身、ホッとする気持ちと可哀そうと
  いう気持ちが入り乱れているので
”孫は来て良し、帰って良し”の言葉がぴったりのようでした。


 8月3日(土)
  上の孫のmn実の通っている幼稚園の宿題に夏休みにやった事や食べた物をシールで貼るというのが
  あり、その中に”花火”とか”スイカ割り”、”トウモロコシ”等があり、家内はそれを達成させる為にスイカ
  を買ったり、皮つきのトウモロコシを買って来たりして準備が大変でしたが、昨日今日でシールが随分
  貼れたようです。
  午前中にトウモロコシの皮を剥いて茹でて食べ、昼からは庭でスイカ割りをして割ったスイカを食べ、
  夕方からは団地の「桃花園納涼まつり」があり、子供達にはただで綿菓子やポップコーンが配られ、
  スーパーボール掬いとアートバルーンも無料なので大喜びでした。食べ物も唐揚げやフランクフルト、
  みたらし団子、五平餅、フライドポテト等があったので夕食代わりになりました。
  
  「桃花園納涼まつり」も一昨年からやぐらを組んで本格的な盆踊りをやるようになり、昔ほどではあり
  ませんが、年々、参加者が増えて来て賑やかになっていると思います。今年は33歳になった次男も一
  緒に行きましたが、会場では次男の同級生や先輩後輩が家族連れで何人か来ていて、久し振りの再
  会で旧交を温めていましたが、つい最近まで一緒に遊んでいたと思っていた若者がいつの間にか小
  さな子供の親になっているのを見ると、時の移りの早さを感じました。


 8月2日(金)
  今日は第1金曜日なので午前中、南部ふれあいセンターの「中国語同好会」があり、午後は坂下公民
  館で
「パソコン同好会」がありました。中国語のO.M先生は大連に住んでいるお母さんが具合が悪いの
  で7月下旬にお見舞いを兼ねて里帰りをしていたそうですが、先生の話を聞くと中国で付き添い婦を
  頼むと、普通の家庭(先生のお母さんの場合)だと住み込みで食事付きで1カ月3,000元(50,000円程
  度)で、病院だと5,000元ですが、お産をした後だと1カ月だけ付き添って10,000元というのが相場だ
  そうですが、お金が無いと付き添いも頼めないし、病院にもかかれないので役人や党幹部が収賄で
  お金を稼ごうとするのは当たり前のようです。
  先生によると今の中国は
”習近平体制”になって、そういった腐敗防止のために躍起になって、いろい
  ろな方策を打ち出しているので、その効果が表れてくればもう少し良くなると言ってましたが、私は
  何百年も続いてきた悪習がそんなに簡単に無くなる事はないだろうと思いました。

  明日は私の住んでいる団地の
「桃花園納涼まつり」があるので、夕方、娘の所
  に孫達を迎えに行きました。
上のmn実は微熱があったのですが、本人が楽しみ
  にしているし、熱も下がって元気なので大丈夫だろうとみんなで来る事になり
  ました。
  夕食後、花火をする事になりましたが、前回、我が家で花火をした時に
下のnt
  実
の長靴の中に火花が入り、やけどをしたのでmn実nt実も自分で花火を持
  つのが怖いと言って、家内や娘が花火をして孫2人は見て楽しむ結果になりま
  した。この調子だと今年の花火は大人が楽しんで、子供は見物して満足する事になりそうです。


 
8月1日(木)
  今日から8月ですが、東部市民センターの「中国語同好会」使用申込みの当番だったので午前9時前
  に市民センターに行きました。以前は申込み受付が到着順だったので早い人は午前6時前から並んで
  大変でしたが、去年から申込みの順番が抽選になったので、早く行っても遅い番号を引くと待ち時間
  が長くなるだけなので、皆さん時間を調整して来るようになりました。今日も
2番目の受付の人が44
  番
の申込み順の札を引いてガッカリしていましたが、私は42番目の受付で抽選の結果、申込み順は12
  番
の札を引いたので午前9時半頃には全て終わりました。
  
  8月1日の我が家の庭は、今年も家内が作った
ゴーヤのグリーンカーテンが1階の屋根まで届き、居間
  に日が差さないので少し涼しいような気がします。
ゴーヤも次々と黄色の花が付き、実が次から次へ
  と成り過ぎて困っています。庭の木々も緑が濃く茂って夏の庭らしくなっています。


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