1月31日(日)
家内は来月ある「中央公民館まつり」に「蓮華会」が参加する為に先月から”絵心経”を描いていましたが、今日
、やっと描きあがったと見せてくれました。12月に描き始めて一気に描くつもりだったようですが、正月があっ
たり、タイ旅行をしたりで中々進まなくて本人も焦っていたようですが、旅行から帰ってから、時間があれば集
中して描いていたので、何とか間に合ったようです。
何年か前にも描いた事があるのですが、その時は絵だけの”絵心経”だったのですが、今
回は般若心経の横に絵があるので、分かりやすくて面白いと思いました。例えば最初の
『魔訶般若波羅』と言う字の所がお釜を逆さ間に描き、般若の面、人間の腹を描いて「ま
か はんにゃ はら」と読ませているのは良く考えていると思います。
元々は字の読めなかった庶民のために般若心経の文言を絵で表現したもので、元禄年
間の田山(現在の岩手県八幡平市田山地区)で「善八」という人によって描かれたものが
最初ですが、間違いが多かったので、文化初年、南部藩御用印判師「舞田屋」が盛岡で改
良したものを出し、それが日本各地に広まって残っているそうです。
”めくら心経”とも言われ、現代では人権上好ましくない表現として使うことが憚られているそうですが、詳細
は分かりません。
去年11月からメンテナンスを行っていた「春日井市民プール」が、今週火曜日の26日から再開されたので、午後
3時過ぎから久し振りに行きました。日曜日とあって冬場でも家族連れが結構来ているのに驚きましたが、25m
プールのスイミング専用レーンは空いていたので、400m~500m泳いでから流水プールを逆方向で40分位歩
きました。3ヶ月も休んでいたので、心配でしたが、何とか予定はこなせたので安心しました。
1月30日(土)
昨日、一日中降り続いた雨も午前8時頃には止みました。昨日に続き今日も冷え込みは無く、気温は5度以上は
ある感じでした。タイから帰ってから厳しい寒さが無かったお蔭で風邪もひかず、体調もやっと普通の感じにな
りましたが、午前9時過ぎに2週間ぶりにモスバーガーの店に行くと、ゴルフ仲間で風邪で欠席と言う人がいて、
先週の寒さで風邪をひき、未だに体調が戻っていないと言うのは、やはり、歳もあるのかなと思いました。
午前10時前にお開きになってから「皿貝接骨院」で腰の治療をしてから、理容室「ライオン」に行きましたが、お
客でパンチパーマを掛けている人がいる上に待っている人が3人もいたので、出直す事にして帰って来ました。
今どきは歳をとっても(60歳以上?)パーマをかける人はいるんだと認識を新たにしました。
1月29日(金)
久し振りに朝から一日中雨の天気になりましたが、冷え込みは少し緩んだ感じでした。午前中、「南部中国語同
好会」があったので、南部ふれあいセンターに行きましたが、第5金曜日のせいか駐車場はガラガラでセンター
内の会議室も使っているのは私達だけのようでした。同好会はどこも月2回が多く、中には月1回の団体もある
ようですが、いずれにしても第5の曜日を使う事は無さそうです。
現在、同好会のメンバーが7人になって存続の危機に立っているので、O.M先生も自分の主催する中国茶のお茶
会でも会員になりそうな人を誘って、増員の努力をしています。今日も先日のお茶会で声を掛けた2人が来てく
れるかもしれないと言ってましたが、来なかったのでガッカリしていました。やはり、途中から入って来る人はあ
る程度中国語をやっていた人でないと無理なので、条件に会う人は少ないかもしれません。
午後からは「坂下パソコン同好会」がありましたが、こちらはメンバーの数は多すぎる位いるのですが、先生の
方がソフトの多様化で色々のパソコンを持っている人がいるので、どれを基準に資料を作ったり、教えたりする
のが良いか困っているようです。今は新しく出て来るパソコンが前にあった機能を省いたり、新しい機能を入れ
たりしているので、何が無くなり、どんな機能が新しく導入されたか調べるのも大変なようです。
私達は使うだけで、パソコンの基本的な事が理解できていない分、全て、先生が頼りなので先生の方も大変だ
と思いますが、頑張って色々な事を教えてほしいと思っています。
1月28日(木)
午前10時から義父の十三回忌が「阿弥陀寺」(名古屋市守山区)であったので家内と一緒に参列しました。本来
は先週21日(木)が命日だったのですが、私達がタイ旅行の予定があったので1週間後の今日になりました。
参列は家内の兄夫婦が施主で私達夫婦と義妹の5人だけの法事だったので、去年の母
の25回忌と比べ、少し淋しいと思いましたが、兄夫婦の考えでこういう形にしたので私
達はこれで良いと思いました。
午前10時から住職のお経が始まりましたが、住職と言っても12年前の義父の葬式の時に
はまだ学生で、先代の住職の横に立っていただけの感じでした。10年前に先代の住職が
亡くなって、義父の三回忌をお願いした時に初めて住職としてお経をあげていましたが
、その時はまだ読んでいる感じだったのが、今日のお経は自信に満ちており、終わった
後も前回は直ぐに引き上げたのが、今日は簡単なお説教までしてくれて、本当の住職ら
しくなっていました。やはり、人間は経験を積んでいくと成長するのが良くわかりました。
十三回忌が終わってから、「浜木綿本店」(昭和区山手通り)で食事をしながら話しましたが、終わって別れてか
ら帰り道に考えていたら、亡くなった義父の話があまり出ずに、今、介護施設にいる義母の話がほとんどだった
と思いました。やはり、人間は亡くなった人よりは生きている人を大切に思うんだなと再認識しました。
1月26日(火)
朝起きて新聞を取りに行き、温度計を見ると-3℃を指していました。昨日の朝、タイから帰って来て名鉄電車の
車掌さんが今朝は寒かったと話していたのを聞いて、春日井の最低気温を調べると-5℃となっていたので、
昨日が一番冷え込んだと思いますが、それに次ぐ寒さかなと思いました。ニュースでも昨日の冷え込みで九州
では水道管の破裂で断水が各所で起きていると言ってました。
家内は昨日の午後ゆっくり休んだからと言って、午前中、「誠武館婦人剣道部」の稽古に
出かけ、昼を大急ぎで食べて、義母の所に出かけて行きました。元気だと言っても一日フ
ルタイムで動くのは少し心配ですが、本人は大丈夫と言って出かけて行きました。
ツアーに来ていた現役の人達も今日から仕事だと言ってたので67歳の家内も仕事だと
思えば当然かもしれません。
私は午前中は疲れ休みと寒さ慣れと思って家でゆっくりしていましたが、庭の梅の木を
見ると梅の花が咲いているのが分かり、良く見ると2カ所で咲いていました。
昨年は2月12日が初咲きで、ここ数年はずっと2月に咲いていますが、1月に咲いたのは
2009年の1月29日以来です。一番早かった2007年が1月27日ですから、その記録を1日更新した事になります。
ちなみに一番遅かったのは2012年の3月1日が我が家の梅の木の記録です。今年は暖冬になりますと言ってい
た気象庁の予想は確かに当たっていると思いますが、桜の開花も早くなるという予想も当たるかどう注目した
いと思います。
1月21日(木)~1月25日(月)「バンコクと世界遺産アユタヤ遺跡5日間」(クラブツーリズム)のツアーに家内と一
緒に参加しました。本来は同じクラブツーリズム主催の中国旅行に1人で行く予定でしたが、不催行になったの
で代りに日程の良かった、このツアーに申し込みました。
タイには友人のパサテンポ氏の親友Uさんが仕事でずっとバンコクに住んでいて、以前はパサテンポ氏もよく
遊びに行ってた関係で話を聞いていたので、一度、行ってみたいと思っていたのと仏教の三大遺跡(アンコール
ワット・アユタヤ・ボロブドゥール)の1つ”アユタヤ遺跡”に行きたいと思っていたので、良い機会だと思い、家内
と一緒に行く事にしました。
一行は夫婦4組・女性2人連2組・母娘1組・男性2人連1組・男性1人の17名で添乗員なし・現地ガイドの案内でバン
コク、アユタヤ遺跡巡りの予定です。
21日(木)は午前5時前に起きて様子を見ると雪は降っていなかったので、安心して朝食をたべて、家内と一緒
に次男に春日井駅まで送ってもらいました。
午前7時4分の特別急行で午前7時40分にセントレアに到着、ツーリズムカウンターで受け付けを済ませてから、
スーツケースを持ってJALチェックインカウンターで搭乗手続きをして、両替えに行き、1万円をタイバーツに両替
しましたが、1万円で2,700バーツでした。
手荷物検査、出国手続きも時間的に人が少なかったのでスムーズに済み、午前8時30分には中にいました。免税
店で家内は口紅を2個(6,800円)買いましたが、私は次男のタバコ(3,200円)を1箱買いました。
JL737便は定刻の午前9時55分から搭乗開始しましたが、出発は20分遅れの午前10時40分の出発になりまし
た。出発して間もなくドリンクサービスがあり、好きな飲み物の他にミネラルウォーターとおやつ(あられ1袋)が
配られました。モニターにバンコクまでの飛行距離4,529km、飛行時間5時間55分と出ていました。
午後12時頃から機内食が出ましたが、私はハンバーグで家内は鶏肉入りご飯にサケを選びました。中味は可も
無し不可もなしだと思いましたが、デザートにハーゲンタッツのバニラアイスクリームが出て来たので好印象に
なりました。6時間の飛行時間だと思って文庫本を3冊も持って乗りましたが、機内にある映画の種類が新作か
ら面白そうな作品が沢山あったので、映画1本と本1冊で時間が足りないくらいでした。
飛行機は定刻の現地時間午後2時50分(日本時間午後4時50分)にスワンナプーム国際空港に着陸、長い長い
通路を15分歩いて入国審査場所に行くと、また長い行列で審査を経て、スーツケースを受け取り、到着ロビーで
現地ガイドのワラポンさんに会えたのが午後4時でした。
   
午後4時10分に空港を出発しましたが、渋滞もあり今日から3日間の宿泊先「ウインザースウイートホテル」に着
いたのは午後5時10分でした。部屋に入り荷物を少し整理して、午後5時半に再びロビーに集合し、夕食会場の他
のホテルの3階にあるタイスキレストラン「テンテン(TenTen)」に行きましたが、タイスキは日本の寄せ鍋と同じ
で、野菜や肉、魚のすり身団子などを店の若い女店員が作って小椀に取ってくれるので、私達は好みのタレに付
けて食べるだけです。最後に作ってくれた”おじや”は抜群の味でしたが、ビールの220バーツ(約800円)は高い
と思いました。
   
午後7時20分に店を出てタイ式マッサージを受ける7人を帰る途中で降し、ホテルに着いたのは午後8時10分で
した。
22日(金)午前4時過ぎに目が覚めたので、早すぎると思いましたが、日本なら6時過ぎだと思い、そのまま起
きて旅行記を書いたりして過ごしましたが、家内はまだ寝ていました。
午前6時から朝食ビュッフェが開くと言うので6時過ぎに行きました。料理の種類は中国と違って生野菜も置い
て置いてあり、玉子料理もオムレツ・目玉焼き・ゆで卵・スクランブルエッグがあり、パンや麺、ご飯は白米・炒飯
・お粥類の他、味噌汁や寿し、茶碗蒸し等もあり、日本人と西欧人を意識したメニューだと思いました。
   
ホテルは34階建でスクンビット通りのBTSプロムポーン駅の近くにあり、この周辺は日本人を始め外国人の多く
住む地域だそうです。
午前8時にホテルを出て、最初に”ワット・プラケオ(王宮寺院)&王宮”に行きました。(*タイ語でお寺の事をワ
ットと言うそうで、今後、ワットとつく所は総てお寺を意味します。)このお寺は王室の寺院で唯一僧侶のいない
寺院として有名との事ですが、入場する前に今日の午後から行く予定のアナンタサマコム宮殿の為に何人かの
女性が巻きスカートを買うと言うので、小さな台に並べられた製品を見ながら選んでいました。家内も100バー
ツ(350円)なら安いと1枚買いました。
このお寺の本堂にはヒスイで作られたエメラルド色をした仏像が祀ってあることから”エメラルド寺院”とも呼ば
れています。高さ66cm膝幅48cmのエメラルド仏は纏っている金色の衣を暑季・雨季・寒季によって衣替えを行う
そうです。本堂の回廊には叙事詩ラーマーヤナのタイ版「ラーマキエン」の壁画が描かれています。
   
本堂北側には3つの違う様式の塔が建っていて、仏舎利が収められているミャンマー様式の”プラ・シ・ラタナ・
チェデイ”、ラマ1世が作った仏教の経典『金の法則』を収めるためのタイ様式の”プラ・モンドップ”、『ロイヤル・
パンテオン』と呼ばれるラマ1世から8世の彫像を安置したクメール様式の”プラサート・プラ・デッビドン”と、いず
れも黄金色に輝く派手な塔ですが、外から見るだけで”エメラルド寺院”以外は建物内は入場禁止になっていま
す。最後にレセプションホールとして使用されている”チャクリ・マハ・プラサート宮殿”の前で護衛に立っている
衛兵と勝手に記念写真を撮って出てきました。
   
午前10時前に出て来て迎えのバスを待っていましたが、少し待たされ、近くの渡船場まで行くのも渋滞で30分
近く掛かりました。バンコク市内は渋滞が慢性化しているので、歩いた方が早いと思いますが、暑くて汗が出て
疲れるのでバイクタクシーを利用する人が多いとガイドのワラポンさんが言ってました。
次に午前10時半に船でチャオプラヤ川の対岸にある”ワット・アルン”に行きました。”ワット・アルン”とは夜明けの
お寺という意味なので”暁の寺”と言われているそうです。タイ最大の高さ81mの大仏塔から見る眺めは素晴ら
しいそうですが、残念ながら工事中で入場できませんでしたが、ライトアップされた夜景も美しいそうなので、
明日のディナークルーズを楽しみにしたいと思います。30分ほどいて、再び、船で戻り、”涅槃寺”と言われてい
る”ワット・ポー”まで歩いて行きましたが、途中には色々な屋台があり面白そうでした。
   
”ワット・ポー”は1832年にラマ3世によって建立された体長46m高さ15mもある寝釈迦仏(涅槃仏)が安置されて
いることから”涅槃寺”と呼ばれているそうですが、長寿を意味する長い耳朶や螺鈿細工で描かれた108の絵が
ある足の裏、悟りを開いた釈迦の表情などが見所ですが、足の裏は工事中で見られませんでしたが、その大き
さや細工の見事さには圧倒される感じでした。
   
午前11時半に見学を終わり、昼食のレストランに向かいましたが、ここでも渋滞で40分もかかりましたが、感心
するのは運転手がイライラせず、普通に待っているのはタイ人の大人しい性格を表していると思いました。
午後12時10分過ぎに中華レストラン「シャングリラ」に着きました。この店の料理の味は日本人向けにしているの
かどの料理もおいしい味付けでしたが、北京ダックだけはあまりおいしくありませんでした。
午後1時に店を出て、宝石店兼土産物店行きましたが、誰も1,2階の宝石や貴金属売り場には行かず、3階の土産
物売り場に行って買っていましたが、私達は何も買いませんでした。続いて、ラテックス(天然ゴム)の店に行き
ましたが、ここでは枕を買う人とマットを買う人がいました。
   
午後3時に今回のツアーで一番服装にうるさいと言われている王室専用の迎賓館「アナンタサマコム宮殿」に
行きました。男性は普通の服装(短パン・ランニングシャツは駄目)ならOKですが、女性はロングスカート又は巻
スカート着用が条件で、大きなバックやかばんは入場門のロッカーに預け、小さなカメラや携帯電話は敷地内の
預かり所のロッカーに預けなければ建物内には入れないそうです。
中に入るとタイ王室に関わる現代の美術工芸品が展示されていて、ガイドレシーバーで日本語の解説を聞きな
がら見学できるのですが、金細工の玉座や象御台、仏塔、木彫の製品、タイシルクの大きな刺繍などタイ国立の
職人集団が1年から3年の歳月をかけて制作した作品を見せる為の展示館のようで技術的には素晴らしいと思
いましたが、宗教的な物が無いのに何の為に服装の制限があるのか理由が分かりませんでしたが、午後4時過
ぎまで見学し、次にタイシルクの店に案内されました。
この店は小さな店ですが良心的な感じで、他の店でも感じた事ですが、中国の店の様にずっと付き纏う事はな
いのでゆっくり選べたせいか、家内は大きめのシルクのスカーフ2枚と小さな小物入れ10個を買いました。
午後4時45分に店を出て、夕食会場に向かう途中、例によって渋滞にはまりましたが、ガイドもそれを計算して
いるのか、焦るわけでも無く午後5時半にはタイ古式舞踊と伝統的タイ料理の店「NOPPARAT」に着きました。
店に入るとテーブルの上には既に揚げてある天ぷらとえびせんが置いてあり、席に着くとタイカレーとトムヤ
ムクン、キャベツ炒め、魚といんげん炒め、タイ米が出て来ました。食事をしながら待っていると午後6時半近く
から古式舞踊が始まりましたが、説明が英語だけで踊りの内容や仮面舞踊劇の筋書き分からないのが残念で
したが、タイの古式舞踊がこんなものと分かっただけでも良かったと思いました。
   
午後7時に終了後、店を出て、ニューハーフショーに行く人達10人は隣にあるマンボ・キャバレーに移り、残った
私達7人はバスでホテルに戻りました。
23日(土)今日は夕方までオプショナルツアーの『バンコク郊外終日観光(昼食付)』に行くので、午前7時出発と
言われ、午前5時半に起きて、午前6時から朝食を急いで食べて、出発の用意をしてロビーに行きました。
午前7時にホテルを出発し、バンコクから南西90kmの所にある「ダムヌン・サドゥアック水上マーケット」に向かい
ました。出発して少しして見えたメナム川の橋の上からの朝日に輝く景色は中々のものでした。1時間位走ると
道の両側に塩田が広がっていて、道路脇ではビニール袋に入れた塩を売っていたので、誰かが買いたいと言う
と、買って帰るには重すぎて無理だと言われました。
   
午前8時20分に”ヤシの里”と言う所でトイレ休憩しましたが、そこでヤシの砂糖を作って売っていたので多くの
人が買っていました。その他、ココナツミルクの取り方をガイドのワラポンさんが実演して見せてくれましたが、
茶色のなったヤシの実(ココナツの実)を半分に切り、内側の白い実を掻き取り、それを絞ればココナツミルクに
なるそうです。ちなみにヤシの砂糖はヤシの花の根元を切って出た樹液を煮込んだ物が砂糖になるそうです。
午前8時40分に出発し、近くにある焼き物工房に寄って”ベンジャロン焼”の絵付けを見学しました。絵付けと言っ
ても日本のノリタケのような繊細な手書きではなく、女性が一定の模様を描いていましたが、それでも神経を
集中してやらないと失敗するので大変だと思います。そこでは可愛い象の塩入れを買いました。
   
午前9時過ぎに出発し、15分程でダムヌン・サドゥアックの舟乗り場に到着し、そこから小舟に乗って運河を巡っ
て水上マーケットの中心に向かいました。この運河はラマ4世(1851~1868)に作られ、1967年に伝統文化保護
と観光誘致の為に水上マーケットとして開発したそうです。運河の両側にはヤシの木やバナナが自生しており
、その中の所々に水上生活者の家があり、綺麗な花も見られました。
   
30分程遊覧してから「ダムヌン・サドゥアック水上マーケット」の中心に着きましたが、そこには、果物や生活用品
を積んだ小舟が観光客目当てに次から次へと来ていました。運河沿いにも土産物店があり、船に乗った観光客
が品定めをしていました。
   
私達は船を降りて自由に買い物をする事になりましたが、最初にフルーツの盛合わせ250バーツ(900円)を買
って食べてみました。中味はドリアン・バナナ・マンゴー・マンゴスティン・ランブータンと5種類の果物が入ってい
ましたが、ドリアンは聞いていたような臭みはありませんでしたが、甘みも無く、フルーツの王様という感じはし
ませんでした。ランブータンも初めて食べましたが、特に美味しいとは感じませんでした。他の果物も本来の収
穫時期ではなかったいのでおいしさも今一つと言う感じでした。
家内は売店で自分用の象柄のTシャツを500バーツを300バーツで買いましたが、私がベンジャロン焼のコーヒ
-カップを2500バーツを850バーツで買ったので、もっと安く買えたかもしれないと悔しがっていました。
    
午前10時40分に水上マーケットを出発し、「サンプラーン象園」に向かい、午後12時10分に着いて、そのまま園
内のビュッフェレストランで昼食を食べました。ここのビュッフェはタイ料理がメインで思ったより良かったと言う
か、食べたのが麺とスープと果物ですから何とも言いようがないかもしれません。
   
午後1時に入場し、最初に象のいる所で記念写真を無料で撮って貰い、1時20分から40分までマジックショーを
見ましたが、久し振りにカミソリの刃を何枚も飲み込み、最後に糸を飲んで、引っ張るとカミソリの刃に糸が通っ
て連なって出て来る手品を見て懐かしく思いました。
   
午後1時45分からエレファントショーが始まりましたが、最初は普通にお座りやボール蹴りなどを見せて、最後は
少し物語風の象の上で戦う戦闘場面を見せて終わりました。終わってから希望する人はサトウキビを買って象と
写真を撮っていました。
   
午後3時前に象園を出てホテルに午後4時過ぎに着いたので、ディナークルーズに出発する午後6時半まで自由
行動になったので、近くにあるショッピングセンター「エンポリウム」に行ってみましたが、下の方の階にはブラ
ンドショップがあり、上の階にはスーパーがあり、日用品や食料品が買えましたが、特に買いたい物も無かった
ので、見ただけで帰って来ました。
午後6時半に集合して40分にチャオプラヤー川の「ディナークルーズ」に行きましたが、例によって、渋滞に嵌ま
り、「River City」に着いたのは午後7時20分でしたが、出航が午後8時予定なので、それまで建物内を散策しま
した。1階にある「ナラヤ」は布小物の専門店ですが、安くて面白いものがあり皆さん結構買っていました。3階に
は骨董店がありましたが、店は閉まっていたのでウインドウから見ただけですが、仏像のようなものが多くて、
私達には高嶺の花のような品物がほとんどでした。
   
午後7時50分から「Chao Phraya PrincessⅣ」に乗り込み、午後8時に出港して間もなく、夕食のビュッフェが始
まりました。料理は思ったより良い内容で、量も次から次へと出て来るので、慌てて取りに行かなくても大丈夫
でしたが、最初は様子が分からず、皆さん、一斉に取りに行ったので少し混雑しました。
出航して15分程でライトアップされた”ワット・アルン(暁の寺)”見えて、その後、15分経つと”ワット・プラケオ(王
宮)”が見えました。さらに上流まで行きラマ8世橋を越えてUターンして下流のキング・タクシン橋まで下り、折
り返して戻って来ると2時間後の午後10時でした。このクルーズは見所は2カ所ですが、食事が良くてゆったりし
した感じですが、楽しむ人たちは船上で踊りを楽しんでいたので、私は他の人にもお勧めだと思いました。
   
帰りの迎えのバスがなかなか着かず、15分位待たされ、ホテルに着いたのは午後10時半は過ぎていました。今
日は朝7時から長い一日だったと思います。
24日(日)今日は集合が午前10時とゆっくりなので、皆さんゆっくりのようで、午前6時半に私達が朝食に行った
時にはツアーメンバーは誰もいませんでした。午前7時頃になってやっと1組のご夫婦が来ましたが、他のメン
バーは来なかったので、疲れてゆっくり寝ているのかなと思いました。
朝食後、部屋に戻って日本の様子を知りたいとNHKを見たり、HPの原稿を作ったりしていたら、午前9時過ぎに
停電になり、直ぐに復旧すると思っていたら、ガイドのワラポンさんが来て、今日から4日間工事で停電するので
、スーツケースを持って降りてほしいと言って来たので、用意をしてあった荷物を持って非常用エレベーターで
ロビーに行き、カードキーをフロントに返して集合場所に行くと、既に何人かの人が集まっていました。時間が早
かったので外に出て見ると、夜明けに降った雨のせいか、昨日までと違い、かなり涼しい風が吹いていました。
午前10時過ぎにホテルを出て、免税店「キングパワー」に行きましたが、買うものも無かったので見て回るだけ
でした。家内も地元ブランドで面白そうなものがありましたが、値段が高くて、日本で買った方が良いものが買
えそうだ言ってやめました。
   
午前11時15分に店を出て、最後の観光地、世界遺産”アユタヤ遺跡”に向かいました。バンコクから北へ76kmの
所にあり、周囲を川に囲まれているアユタヤ遺跡は1991年に世界遺産に登録されました。
午後12時半に着きましたが、北に来ただけでなく、今日は昨日までとは全く違う気候になっている感じで、気温
も5度以上低くなっていると言ったガイドのワラポンさんも今までで一番寒いと言ってました。
昼食は「River View Place」でインターナショナルビュッフェを食べましたが、ここでも昨日と同じような麺料理
とガイドお薦めのタイ米と短い米粉麺(ギアムイー)にタイカレーを食べました。特に麺料理は麺が4種類もあっ
たので極細米粉麺(センミー)と細い米粉麺(センレック)を食べましたが、中太麺がおいしいと思いました。家
内は玉子の麺(バミー)を食べていましたが、他に幅広の米粉麺(センヤイ)もありました。川沿いにあるこの店
は料理がおいしいと評判のようで、私達が行った時も沢山の観光客が来ていましたが、広いので問題ありませ
んでした。
   
午後1時45分に店を出て最初に”ワット・プラ・マハタート”に行きました。このお寺はアユタヤ王朝時代には44m
の黄金の仏塔があったと伝えられていますが、ビルマの侵攻で破壊され、残っている仏像もほとんどが頭部が
ない仏像ばかりですが、発掘調査の時に頭部が菩提樹の根に包み込まれて発見され有名になりました。
1956年の発掘調査で多くの黄金仏や宝飾品が発見され、現在は国立博物館に展示されているそうです。
   
1時間程見学し、午後2時50分に出て、10分で”ワット・プラシー・サンペット”に着きました。駐車場からお寺に行く
までに市場のようにお店が並んでいて食べ物や工芸品などを売っていました。中を歩いていると鉄板の上に手
で小麦粉の塊を直に敷いて、せんべいのようなものを作っている店が何軒かあったので食べてみたいと思い
ましたが、買う時間も無くて未練が残りました。
   
市場を出て、少し行くと手前に黄金の大仏を納めた”ウィハーン・プラ・モンコン・ボピット”があり、ここは1958年
に再建されたお寺で高さ12.45mのタイ最大の黄金の大仏が安置されています。このお寺に先の行きましたが、
ここでもガイドのパラポンさんがお参りの仕方を教えてくれました。中に入ると大きな黄金色に輝く大仏が鎮座
していて沢山の人が参拝して20バーツで買った蓮の花を供え、小さな金箔を仏像に貼っていました。
   
その後、アユタヤ最大の寺院遺跡”ワット・プラシー・サンペット”に行きました。境内にはアユタヤ王朝3代(8代~
10代)の王様の遺骨を納めた3基の仏塔(チェディ)が建っています。建立された1500年当時は黄金色に輝いて
いた塔も、今では白く風化していますが、クメール様式の見事な尖塔は当時の栄華を偲ばせるに十分な雰囲気
があります。
   
午後4時前に見学を終わり、象乗り体験に行きましたが、途中で寒さでたき火をしている人達がいましたが、私
達には気持のよい涼しさと思っても、タイの人にはかなり寒く感じるようです。
10分間で300バーツ+チップ20バーツの=320バーツの料金です。象乗り場に行き、階段を上がって台の上か
ら象が来ると2人で乗るのですが、象も背の高い立派な象と背の低い小さめの象では乗る時も乗ってからも乗
り心地が違うと思いました。私達が乗った象は小さめの象で歩いていても大きく揺れていましたが、前の人が
乗った象は立派な象でほとんど揺れないので、楽だったと言ってました。遺跡内を回るコースもありますが、私
達は300m程の所を往復して体験しただけで十分だと思いました。
   
午後4時半に最後の”ワット・ロカヤ・スター”に行きましたが、ここには1956年に復元された全長29mの涅槃仏が
あるだけで、周囲には寺院も本堂もありませんでした。私はここで20バーツのお賽銭で蓮の花と線香、金箔を
貰って、タイ式のお参りをしました。バスに乗る前に小さな屋台で真鍮製の小さな象を70バーツで買いました。
   
午後5時に今回のツアーの観光がすべて終了しました。夕食はアユタヤ市内にある「長政」という店に行きまし
たが、アユタヤはタイがシャムと言っていた時代に国際都市と栄え、16~17世紀には日本人が1500人位暮らし
ていて、山田長政は1619年に日本人町の頭領になったそうです。今では日本人町跡は重要史跡になっているそ
うですが、ほとんど何も残っていないそうです。
「長政」と言うので日本料理かと思ったら、普通のタイ料理の店でしたが、来ているお客さんはほとんど日本人
で従業員も日本人がいました。店のある建物の上は日本人向けの賃貸マンションになっているそうです。
   
午後6時半に店を出て空港に向かい、途中、トイレ休憩を取り、スワンナプーム空港に着いたのは午後8時30分で
した。時間があったので夏用の服装から冬用に着換え、荷物を整理してからJALのチェックインカウンターで搭
乗手続きをしました。現地ガイドのワラポンさんとはここで分かれましたが、彼にはタイの色々な事を教えても
らえて良かったと思いますが、日本語の発音がもう一つだったので、タイの地名やお寺の名前が分からず、困
る事があったので、もう少し勉強して良いガイドになってほしいと思いました。
エスカレーターを2階に上がり、手荷物検査を受けてから再び1階に降りて来て、出国手続きを終わって中に入っ
ったのが午後9時でした。
JL738便は出発時間が午前0時40分が30分遅れの午前1時10分に変更になっていたので、出発まで4時間もあ
り、使い残したお金が1200バーツ残っているから、買い物でもしようと、広いショッピング街を少し歩きましたが
、家内が疲れたというので、コーヒーショップで休憩して時間を潰しました。
午後11時過ぎにG3搭乗口の近くまで行くと、他のメンバーも行く所が無くて三々五々集まっていました。午前0
時頃にJALの飛行機が搭乗口に着いたので、時間は遅れても出発できると思って安心しました。午前1時から搭
乗開始になり、50分遅れの午前1時30分に出発しました。
   
25日(月)
昨夜、現地時間午前1時30分(日本時間:午前3時30分)に出発する時に睡眠薬を飲んで寝たのせいか、乗って直
ぐに「携帯品・別送品申請書」を貰って書いた後は、ドリンクサービスを受ける間もなく、直ぐに寝てしまい、目が
覚めたのが、朝食の機内食を配っている日本時間午前8時30分でした。
いつも夜間の飛行機は座席に座ったままでは寝られないので、今回も「東野内科クリニック」のK.M先生にお願
いして、睡眠薬を持っていきました。いままでは横になると寝られるのですが、座ったままだと薬を飲んでも寝
られなかったのが、今回、貰った薬(マイスリー)は飲んで間もなく眠くなり、目覚めも良かったので、あっという
間に日本に着いた気がします。
出発する時の前日は飛行機が飛ぶだろうかとかやきもきしましたが、帰りも10年に一度の寒波が来ると騒がれ
て、無事に帰って来れるか心配していましたが、昨日の天気予報では晴れて問題なさそうなので安心していた
のですが、午前8時にセントレア上空に来ると、雪が降っていて10分後に着陸すると滑走路も雪で白くなってい
ました。
昨日のアユタヤは25℃前後でしたが、その前のバンコクでは毎日30℃~32℃の日を過ごしていたのが、いき
なり、-3℃の世界に戻って来たのですから、寒さが一段と身にしみました。
早速、セーターとダウンのチョッキを着て、その上にダウンのコートを着ると丁度良い感じになりました。入国審
査を終わり、スーツケースを受け取ってから、馴染みになった人達に挨拶をして、名鉄乗り場に行くと、ミュース
カイの前の準急が5分遅れで出る所だったので、午前9時前にその電車に乗りました。
   
車掌さんに雪の様子を聞くと、雪が降っているのは三重県から流れて来る知多半島だけで、他の所は大丈夫だ
と言ってました。それでも、15分遅れて金山駅に着き、春日井駅に着いたのは午前10時20分だったので、バスの
時間まで間があったので、パン屋の「モンシェル」でコーヒータイムをして、午前10時42分のバスで家に着いた
ら丁度、午前11時でした。
帰って直ぐにトランクの中を整理し、洗濯物を出し、お土産の整理をしてから、お昼は家内はさっきパンを食べた
から食べないと言うので、私は自分でラーメンを作って、残っていたカレーを入れてカレーラーメンにしました。
午後からは2人共疲れている上に寒さも厳しかったのでゆっくり家で過ごしました。
今回の「バンコクと世界遺産アユタヤ遺跡5日間」のツアーは中国ツアーが不催行になった代わりに行ったので
すが、元々、一度は行きたいと思ってた国であり、特に世界三大仏教遺跡の1つ”アユタヤ遺跡”には、1度は行く
積りだったので良い機会でした。
今回のメンバー17名の内、全員と話したわけではありませんが、まだ現役の人が4人いて、最年長が72歳の私
というのですから、思っていたより若い人が来ていると思いました。現役の人達は全員が明日から仕事ですと
言ってましたが、日本人は基本的には真面目な働き人間だと思いました。
1月20日(水)
昨夜寝る時には星空でしたが、朝起きて外を見ると銀世界になっていたので驚きました。昨日の天気予報では
雪がちらつく程度かなと思っていましたが、10cm近く積もっていたのは予想外でした。
 名古屋市内でも9cm、犬山では14cmの積雪があったと言いますか
ら、春日井で10cm程度でも当たり前だと思いますが、久し振りの大
雪であちらこちらでスリップ事故や転倒する人が続出しているよう
でした。
本来なら家内は午前中はお茶の稽古があったのですが、先生から
も無理はしないでとメールがあったので、雪道は怖いからと休みに
しました。しかし、午前10時頃から雪も止み、時折、青空の見える天
気になったので、午後12時に待ち合わせをして新年会を兼ねたラン
チを一緒に食べて、午後1時30分から始まる「味美日本画同好会」には行きました。
私も道路の様子を見がてらお昼を食べに出ましたが、団地内の幹線道路も陽が射しだしてからはほとんどの雪
が溶けていたので、このまま、天気が続けば明日からの「タイ(バンコク・アユタヤ)ツアー」も何とか出発できそ
うですが、来週の天気予報を見ると、帰国予定の25日(月)前後に更に強力な寒波が来る予定なので、無事に
空港に着けるかどうかも心配です。
1月19日(火)
家内は「誠武館」の婦人剣道の稽古に出かけたので、私は月1度の検診でかかりつけ医の「東野内科クリニック」
に行きました。いつもは診察時間の終わる午前11時半過ぎに行くのですが、今日は混んでいる事を覚悟で早目
の午前10時に行くと、不思議な事に誰もいなくて、直ぐに診察になり、先日亡くなったと聞いたT.Yさんの話を
しましたが、K先生はT.Yさんの件で患者に対してどの程度まで踏み込んで治療や手術の話をするべきか、医者
の難しさを感じたようでした。
家内が剣道から帰って来て、お昼を食べてからK.Yさんの奥様にお悔やみに行きましたが、留守だったので、夕
方、出直して会えたので話を聞いた所では、K先生からは冠動脈の90%狭窄があり、長年の糖尿病の影響で、カ
テーテル治療は無理なので心臓のバイパス手術を勧められていたのですが、ご主人がそこまではしたくない
と拒否をしていたそうです。奥様や息子達のお嫁さんのいう事も聞かず、自分の好きなタバコも吸っていたそ
うですから、起こるべくして起こった心筋梗塞だったかもしれませんが、K先生やご家族からすると首に縄を付
けてでも手術をやっておけば、もっと長生き出来たという思いがあるのかもしれません。
全ては結果ですから何とも言えませんが、私自身は率先して自分から先生にお願いして冠動脈のカテーテルや
カテーテルアブレーション治療をやったお蔭で元気でいられるのでやって良かったと思っています。
1月18日(月)
この地方では久し振りに朝から雨の日になりましたが、東京では雪の日になり、交通網が乱れて大変な様子が
テレビに映し出されていました。寒波が東北北海道だけでなく、全国的な影響を及ぼしそうな状況になって来
ましたが、私も今週の21日(木)からタイ(バンコク・アユタヤ)に行く予定にしているので、早く寒波が緩んでほ
しいと思っています。
午前8時過ぎに長女からSkypeがあり、婿のnao君の乗っている車(トヨタボクシー)が10年以上になっていて、
去年から買い替えを考えていたのですが、今年になって気持ちが盛り上がったのか、先週の日曜日に各社(トヨ
タ・ニッサン・ホンダ)の販売店で候補の車を見て、営業マンと話した結果、昨日、トヨタのボクシーに決めたと言
って来ました。家内と「ayu夫婦ならこういう結果になるね」と話していた通りの結果だったので、思わず家内と
と顔を見合わせました。長女もnao君の買いたい車を買うと考えていたので良い結果になったと思います。
家内は雨でも関係なしで義母の所に出かけて行きましたが、帰りに雪が降らないでほしいと言いながら車に乗
っていました。
1月17日(日)
今朝は昨日よりも寒く-2℃でこの冬一番になりました。午前11時30分から団地安全協議会の新年会があるの
で、準備の為、午前9時30分に会場の「老人憩いの家」にビンゴの賞品を持って行きました。
午前11時30分前に来賓の伊藤太市長や市役所の西川市民安全課補佐、春日井警察署の浅野
生活安全課係長が揃ったので新年会は11時30分ピッタリにD.N安全協議会会長の開会の挨拶
で始まり、T.S自治会長の挨拶、続いて伊藤太市長の挨拶、春日井警察の浅野宏係長から昨
年度の春日井市内の犯罪発生状況の話があり、現在、春日井警察管内で最も力を入れてい
る事案2件について注意とお願いがありました。
1つは振り込め詐欺に関してですが、一昨年が27件1億6千万円、昨年が52件1億2千万円と
被害金額は減少していますが、件数は倍近くなっているので、警察としては市内の金融機関
に100万円以上の現金を下ろしたり振り込んだりする時には必ず警察の方に連絡して確認す
る事になっているので理解してほしいと言う事です。
もう1つは車の盗難や車上荒らしに関しても春日井は県内上位なので盗難防止装置〈ブザー)やバンパーの盗
難防止ねじ等を取り付けてほしいと言ってました。
H.H社会福祉協議会会長の乾杯の音頭で新年会が始まりました。私は末席の役員席に座っていましたが、市長に
随行して来た秘書課長と運転手が市長と一緒に直ぐに席を立ったので、その後の席がいつもお世話になってい
る”かかりつけ医”のK.M先生の隣の席だったのでそちらに移りました。
    
K.M先生から元旦に4丁目のT.Yさんが心筋梗塞で亡くなった事を聞いて驚きました。T.Yさんとは家内とT.Yさ
んの奥さんが子供が幼稚園の時からお付き合いをしていた関係でたまに一緒に食事をしたり、お茶を飲んだり
していました。子供が大きくなってからは、たまに営業していた頃の「富士寿し」やK.M先生の「東野内科クリニッ
ク」で会うくらいでしたがいつも元気そうだっただけにショックでした。
午後1時過ぎになり、新年会恒例のビンゴ大会が始まり、数字を読むたびに皆さん大騒ぎで、早々とリーチが掛
かっても、なかなかビンゴにならず、ヤキモキしましたが、間もなく、最初のビンゴが出ると、次々とビンゴが出
て1時間程で皆さんビンゴになりました。
午後2時前にO.M桃栄会会長の閉会の挨拶と一本締めで新年会は終わり、全員で片づけをして、午後2時過ぎに
全ての予定が終了しました。
1月16日(土)
今年初めて-1℃と零下になる寒い朝でしたが、風は無く、それ程、寒い日と言う感じはありませんでしたが、全
国的にはインフルエンザの流行の兆しが出て来たようです。いつもの様にゴルフ仲間とお茶をしてから「皿貝接
骨院」に腰の治療に行きましたが、寒くなってきたせいか、私が終わって帰る午前11時頃にはお客さん(患者?)
は誰もいませんでした。
帰りに日本酒を買おうと思って「リカーマウンテン」に寄りましたが、日本酒の種類が多くて何を買って良いの
か分からないので、お店が進めていた全国新酒鑑評会金賞受賞藏の青森の桃川㈱の”ねぶた”と言う純米酒を
買いましたが、店内を良く見ると、日本酒だけでなく焼酎にしてもワインにしてもピンからキリの種類があり、何
処のお酒が自分に合っているのか探すのも大変だと思いました。
毎日のように晩酌する人なら色々と試して選べると思いますが、私の場合は週に1回位しか飲まないと1本飲み
終わるのに時間がかかるので、どうしてもいい加減なお酒になってしまいます。
1月15日(金)
今日は午前中「南部中国語同好会」があり、午後から「坂下パソコン同好会」があり、フルタイムの1日でした。中
国語同好会には久し振りに見学者が来たので、何とか入会してもらおう、皆さんでサービスをしていましたが、
終わった後でレベルが高いから、O.M先生の入門講座がグリーンパレスで予定されているので、まずはそちらで
勉強してからにしますと言われました。私達の「中国語同好会」はレベルは大した事は無いのですが、それでも、
全く経験が無い人だと漢字の発音のピンインが分からないので大変だと思うので、入門講座を終わってから入
ってもらえば、私のレベルは直ぐに追い越すと思います。
「パソコン同好会」の方も似たようなもので、初心者には難しいと思いますが、キーボードがある程度分かるよ
うになれば、同じような事を繰り返しでやっているので大丈夫だと思います。
今日も以前にやった”文章の編集”があったのですが、ほとんどの人が習った事の半分位しか覚えていないの
で、皆さん、先生に初めから教えて貰っていましたが、歳をとったグループを教え慣れているK.N先生には当た
り前のようで、嫌な顔一つせず教えてくれました。K.N先生は本当に良く出来た人でどんなレベルの人にでも丁
寧に説明し、同じ事を聞かれてもちゃんと答えています。この同好会の雰囲気の良いのはメンバーと先生の相
性が良く、年齢もほとんどが60代以上で話が合うので気楽にやれるからだと思います。
1月14日(木)
久し振りに冷え込んだ朝だったので温度計を見ると0℃を指していました。この冬は我が家の温度計がまだ零
度以下になった事が無いので、寒い日が続くと言う今週末から来週にかけて何時零下になるのか注目です。
午前10時から今年初めての「東部中国語同好会」があったので出席しました。例によって最初
のヒアリングは皆さん苦戦を強いられていましたが、教材になると基礎に戻ったので、私も含
め、前からいる人達には復習になり、まだ初めて間もない人にとっては、丁度良いレベルなの
で、当分、この教材で行けると良いと思います。
帰りに畑をやっているM.Yさんから「畑に寄って野菜を持って行って」と声を掛けられたので、
お言葉に甘えて畑に寄りました。立派な白菜2玉と大根2本、チンゲン菜6株も貰いましたが、
とても食べきれないと思っていたら、M.Yさんが寒い時だから新聞紙に包んで外に置いておけ
ば、長持ちすると教えてくれたので試してみようと思います。
1月12日(火)
先週末、1年近く前に会ってからご無沙汰して気になっていた元TOA道路の先輩O.Sさんと連絡が取れたので、
今日の午前11時に小牧の「エアポートウオーク」で会う約束をして、同じ仲間のK.Tくんにも連絡したら、都合が
良いと返事が来たので3人で会う事にしました。
午前11時前に着き、約束の3階のフードコートに行くと、リニューアルしたのか去年よりは店の数が増えて、食事
もバラエティに富んでいるので、何を食べようか迷う感じですが、私が最初に着いたので、マックで100円のコ
ーヒーを飲みながら2人を待つ事にしました。間もなく江南在住のK.Tくんが着いた時に津島在住のO.Sさんから
電話があり、間違えて隣の小牧空港に行ったので少し遅れると言って来ました。
ここで会うのは今回で3回目なので、まさか間違うと思いませんでしたが、考えてみれば、我々の歳になると、1
年近くも来ていないと、そういう事があってもおかしくないと再認識しました。
10分程遅れてO.Sさんも着いたので、30分程お茶を飲みながら話してから、お昼を食べる事にしましたが、私は
着いた時にチャンポンの「リンガーハット」が出店していたので、この店の焼きソバを食べると言ったら、他の2
人はチャンポンにしました。食事は空席の多い窓側の席に移動してゆっくりしていましたが、午後1時頃になると
広いフードコートが7~8割埋まっていたのは驚きでした。3連休明けの平日のお昼でこの混雑なら経営的には大
丈夫だろうと思いました。
午後2時頃まで昔の先輩や同僚の話をして過ごし、私が午後3時20分からの中部大学の「中国国際関係研究」の
最後の講義があるので、お互い覚えていれば半年後の再会を約束して別れました。
「中国国際関係研究」(大澤肇講師)は最後の講義と言っても台湾映画「海角7号 君想う、国境の南」を見る事
でした。この映画は2008年に台湾で公開され、台湾映画史上歴代1位のヒットになったそです。
監督のウェイ・ダーション(魏徳聖)は「KANO」や「セデック・バレ」など日本統治下の時の出来事や事件を扱っ
た映画を手掛けている人で台湾映画の巨匠、故エドワード・ヤン(楊徳昌)の後継者と言われているそうです。
物語は日本統治下で教師(中孝介)をしていた男性が好きになった教え子日本名小島友子(梁文音)に敗戦で日
本に帰国する船の中の7日間に書いた7通の手紙と現代の台湾の物語を阿嘉(アガ:范逸臣)と友子(田中千絵)
にラップさせながら描いています。
    
見終わった時に温かい感情に包まれ、この映画がヒットしたのが何となくわかるような気がしました。私達にと
っては劇中で時々出て来る歌も馴染みがあり、最後のクライマックスに歌われた”野玫瑰(野ばら:ドイツ民謡)”
は小学校唱歌として習ったので台湾人にも親しまれていたのは以外でした。
主演の阿嘉役の范逸臣(ファン・イーチェン)の歌やギターの上手さは俳優兼歌手だから当然だと思いますが、
友子役の田中千絵の中国語の上手さには驚きました。2006年から台湾に渡って中国語を勉強しながら活動して
いるそうですが、台湾で人気があるのも当たり前だと思いました。
1月11日(月)成人の日
今日は成人の日ですが、家内は祝日は関係なしで義母の所に出かけて行きました。私は団地安全協議会の新年
会のビンゴの賞品を買おうとフレッシュフーズ「FEEL(フィール)」に出かけました。
ここ3年ばかり私の担当になって毎年の事ですが、折角なら、予算が少なくお金は安くても
貰った人が嬉しいと思うものにしたいと頭を悩ませていますが、中々、思うような物は買
えません。大幅値引きになっている品物が良いと思っても御一人様3個限りという条件が
付いていると50個近く買う事は無理なので、諦めて、少しお得感のある商品を20個~30
個単位で4~5種類買って組み合わせて袋に詰めて、1等~3等を少し良い賞品にして作る
ようにしています。
今日も一回りして”節分の豆”と”しるこサンドスティック”、”炒りゴマ”、”花かつお”、”サケ
茶漬け”等を買って来て、春日井まつりの時に使った岡山県人会の袋に入れて46個の賞品
を作りましたが、1人300円までの予算ではかなり苦しいので、来年はもう少し値上げしてほしいと思っていま
すがどうなりますか。
夕方、家内が帰って来て、名古屋市内で成人式の振り袖姿の女性を見たと言ってましたが、私は買い物に行った
だけなので、成人式帰りの若い人は見ていませんが、ニュースで見ると、ちゃんとインタビューに答えている姿
を見ると、若い人でもしっかりした考えを持っている人達も沢山いると思いました。
1月9日(土)
午前9時過ぎにいつものモスバーガーの店に行き、集まったゴルフ仲間に年始の挨拶をして、午前10時前に解散
したので、その足で名古屋の久屋広場で今日から11日(月)まで開かれる「第10回名古屋春節祭」に行きました。
2007年に第1回春節祭が始まった時からほとんど来ていますが、回を重ねる毎に盛んになって来ていると思い
ますが、最初は春節(旧正月)に近い時期に開催していたのが、第6回からは3連休に合わせて今の時期に開く
ようになって、より賑やかになって来たかもしれません。
今日は天気にも恵まれたせいか、私が着いた午前11時前には既にかなりの人達が来ていました。午前11時から
開会式に続いて、10周年記念特別来日の”文化中国・四海同春”芸術団の演技の一部が上演されましたが、午後
1時30分から本番があるせいか、男3人の雑技や鉄道文工団の踊りも今一でした。本来は午後の演技を見ない
と何とも言えませんが、私の目的は中国観光の資料を集める事なので、そちらの方はバッチリ貰って来ました。
お昼を会場内のお店で食べようかどうか迷いましたが、以前、刀削麺や肉まんを食べた時には、私の好みでは
なかった記憶があるので、そのまま会場を後にしました。
    
帰る途中で「プラザホテル勝川」に寄り、昨日、”pipi会員”誕生月プレゼントで貰った引換券で”プリン”を受け取
り、お昼に藤ラーメンを食べて家に帰りました。家に着くと、丁度、家内が写仏画を描いて一息入れようしていた
ので、デザートに2人でプリンを食べました。
午後6時から今年最初の団地安全協議会の役員会があり、1月17日(日)の新年会の打合せをし、去年と同じビン
ゴゲームの係を受け持つ事になりました。1人当り300円の予算で46人分の賞品を揃えるのが大変ですが、額は
別としてもらって嬉しい賞品を考えるのが喜びであり悩みでもあります。
1月8日(金)
朝の冷え込みはありましたが、風が無い分、昨日より暖かく感じる日になったので、午前中、久し振りに王子ゴル
フガーデンに練習に行きました。冬場だけに打席もいっぱいではなく、直ぐに練習が出来ましたが、お元旦から
ほとんど体を動かしていなかったせいか、何となく体が硬くなっている様で、打っていても違和感がありました
が、30球程打つと慣れてきました。1時間700円で250球程打ちましたが、さすがに腰の調子が悪くなって、最後
はアプローチだけにしました。私が練習を終わる頃に来月で85歳になる近所のK.Kさんが練習に来ましたが、本
当に元気で熱心だと思いますが、最近は目標にするには遠すぎて、私としてはまずは今年1年を元気に過ごす
事を目標にして、運よくK.Kさんの歳まで元気で行けたらベストだと思っています。
お昼を食べてから家内が「清水屋」に買い物に行くと言うので、一緒に行き、家内を店の前で降ろしてから、私
は市役所に行き、”pipi会員”の誕生月プレゼントを貰いました。と言っても「ホテルプラザ勝川」のプリン2個の
引換券でした。
1月7日(木)
天気は回復しましたが、寒気が近づいているのか、冷たい風の吹く一日になりました。一昨日
、買って来たタブレットのカバーが合わなくて、お金を無駄にしましたが、家に帰ってからイン
ターネットで”NEC-TW508/BAS”を入れて調べたら、「Amazon」で3点セット税込み1,699円
(ケースカバー・液晶保護フィルム1枚・タッチペン1本付き)で出ていたので、直ぐに注文してお
いたら、お昼前に届きました。
さっそく、開けて見るとカバーの色が赤なので少し抵抗はありましたが、タブレットがピッタリ
入り、保護フィルムも一昨日買ったカバーにも付いていて、上手く貼れなかったのが、今度は
上手く貼れて、その上、タッチペンも反対側がボールペンになっていて、この3点セットで一昨
日買ったタッチペン1本の値段1,728円より安いのですから、かなりの優れ物だと思いましたが、同時に自分が
最初からインターネットで調べて買えば、無駄なお金は使わなくて済んだのにと反省しました。
1月6日(水)
今年になってからずっと好天気が続いていましたが、今日は一日中曇りの天気になりましたが、寒さはそれ程
でもありませんでした。今日は今年最初の燃えるゴミ(生ゴミ)の日なので、我が家もいつもなら45L入りが1袋
ですが、今朝は他に2袋も溜まっていたので、早目に出そうと思って、午前7時過ぎに持って行くと、既にかなり
のゴミが出されていました。いつもは少なくても大晦日から正月三が日を含め昨日までに溜まったゴミは各家
庭共かなりの量になっていると思いました。
家内は午前中、表千家同門会の国宝茶室・如庵”有楽苑初釜”(1月1日~1月6日)が「名鉄犬山ホテル」であるの
で、お茶の稽古仲間と一緒に出かけて行きました。帰って来た家内にホテルの手前にある「犬山成田山」にお参
りに行く車で渋滞していなかったか聞くと、三が日を過ぎた平日のせいか普段と変わらなかったようです。
やはり、伊勢神宮や熱田神宮のようなメジャーな参拝場所ではないと三が日を過ぎても初もうでに行く人は
少ないようです。
1月5日(火)
家内は昨日は娘一家がいて、孫2人の面倒を見てやらなければと思って、義母の所へは一日延期し、今日行く事
にして、午前9時半前に出かけて行きました。
 私は午前中、家内に頼まれていた食パンとタブレットパソコンをセットアップし
た時に婿のnao君が保護カバーとタッチペンがあった方が良いと言ってたので
、近くの「エイデン」に見に行くと、私のタブレットパソコンはNEC-TW508/BAS
という型式ですが、店内にNEC-TE508/BAWのカバーがあり、実物を持ってい
たので外から当ててみるとピッタリだったので、大丈夫だと思いタッチペンと一
一緒に買って帰りました。
家に帰って、早速、着けようと試みましたが、本体がほんの少し大きいので、無
理やり装着するとカバーの爪の部分が直ぐ外れてしまいます。カタログの寸法
表を確認すると私のTW508の方が幅と厚みが1mm大きい事が分かり、その上、カメラのレンズの位置がカバー
とずれている事が判明し、カバーは無駄になり、返品も出来ないので代金3,218円をどぶに捨てたのと同じに
なりました。やはり、IT製品は同じ型式番号の製品を買った方が間違いないと再認識しました。
1月4日(月)
官庁や民間の会社でも半数近くは今日から仕事始めのようですが、婿のnao君の会社は6日からなので、娘一
家も今日まで我が家にいました。家内は孫2人を相手に孤軍奮闘で私は助手の立場であまり役に立っていませ
ん。それ以上に娘は骨休めばかりで困ったものですが、家内は家に来た時くらいは楽をさせたいと頑張って孫
の面倒を見ています。
今日も娘夫婦は午前中から買い物とお昼を食べに出かけたきりで、家内は孫2人を連れて、お昼のお好み焼き
と夕食の野菜を買いに行くと言うので、私は運転手としてお供しました。
 お昼を食べて、午後3時頃から家内と次男、孫2人の4人で中央公園
に行った後、娘夫婦が帰って来て、娘も中央公園に出かけて行きま
した。1時間程して帰って来てから、今度はトランプの”神経衰弱”を
みんなでやっていましたが、上のmn実は結構取るのですが、他の人
に続けて取られると泣き出すので、どうしてかなと思って聞くと、1
番になりたいからと言うので、そんな子には見えないので人は見か
けによらないと思いました。
次はmn実が次男に”スピード”をやろうと言うと、下のnt実が自分も
やりたいと言うので、次男がnt実に教えながら2人にやらしていると不満そうな顔でしたが、自分が勝ったの
で何も言いませんでしたが、負けると泣いたかもしれません。
午後6時過ぎに夕食を食べ終わって家に帰らなければならなくなると、下のnt実は時間前から泣き顔になり、も
う少しいたいと言いますが、上のmn実は我慢してバイバイしていましたが顔は泣いていました。
1月3日(日)
今日は昔の団地の自治会の役員をしていた時の新年会があったので、午前11時過ぎに家内と一緒に世話役の
K.YさんとS.Cさんを乗せて「かに道楽」に行きました。既にM.Mさん夫妻も到着していましたが、予約時間が午前
11時30分から2時間という事なので、予約時間まで待たされて部屋に案内されましたが、三が日の日曜日のせ
いか、予約だけで満員のようでどの部屋にもお客さんが入っていました。
去年はM.Mさん夫妻の娘さんが亡くなったので中止したのですが、M.Mさんの奥さんから、みんなに会いたいの
で、今年は再開してほしいと言われて2年振りにやる事になり6人で集まりました。
ビールとノンアルコールビールで乾杯をしてからお互いの近況や昔話、団地内の情報を話している内に時間が
あっという間に経ち、次男が来るから12時50分のバスでお先に帰りますと言ってたS.Cさんが乗り遅れたので、
家内が送って行って帰って来るまで残ったメンバーはお店で待つ事にして、話の続きをしている内に家内が帰
って来たので、午後1時半に精算をして店を出ました。
年に1回の顔合わせだから食後のコーヒーを飲もうと結婚式場のグランドティアラの喫茶に行きましたが、いつ
もはガラガラなのが珍しく賑わっていました。久し振りに会うと話は尽きませんでしたが、午後3時でお開きにし
て来年の再会を約束して解散しました。
家に帰ってテレビのニュースで「第93回箱根駅伝」は青山学院が6区から10区も首位で通過し、39年ぶりに完全
優勝した事を知りました。
 どういう訳か、夕食はチーズフォンデュをやる事になり、
例によって孫2人が具材の盛り付けを手伝う事になり、孫
2人で一生懸命具材を盛り付けて、完成した皿を写真に
撮ってくれと言われたので撮りましたが、私が思ってい
たより上手に仕上がっていたので驚きました。
夕食が終わった後も下のnt実がお手伝いをすると言っ
て、流し台に行き、食べ終わった食器を洗剤で洗っている
と、上のmn実もお手伝いしなければと、洗った食器を拭
く役目を引き受けて2人で仲良くやっている姿を見て家内や母親の娘が喜んでいました。私もこんな姿は良い
記念になると思い、動画と写真に撮りましたが、2人が20年後に自分達の姿を見て懐かしんでくれると良いと
思います。
1月2日(土)
午前7時過ぎに起きると、まだ誰も起きていなかったので、昨日までのゴミを片付けたり、食器を片付けている
内にsayaさんと家内が起きてきました。午前8時過ぎになると長男と孫のkm花が起きてきました。
 午前9時半頃に長女一家が来たので、毎年恒例の家族全員そろって
の写真を撮りました。この写真を見ると我が家の歴史が分かります
が、5人家族が長男が結婚して6人になり、長女が結婚して7人にな
り、孫が出来て今では10人になりました。
1年ぶりに会った従兄妹同士の孫3人は長女の所の7歳のmn実と5歳
のnt実が長男の2歳のkm花を一生懸命面倒みようとしていましたが
、最初、km花の方はお姉ちゃん達にちょっかいを出されるのを嫌がっ
ていましたが、直ぐに慣れて一緒に遊んでいました。
午前11時頃に長男の友人T君が昨日に続いて遊びに来たのですが、車から降りて来た時に女性と2人だったの
で、長男夫婦と家内は大喜びで、今日来たばかりの長女夫婦や次男も喜んでいました。相手の女性は高校の同
級生という事で長男も知っているらしく、共通の友人が何人かいるので話は通じやすそうでした。
T君は訳ありなのでと言ってましたが、我が家全員が彼の事を心配していたので、何はともあれ生涯の伴侶が
見つかったので、幸せになってほしいと願うばかりです。
午後12時前にT君と彼女が帰ってから、午後1時過ぎに長男一家が東京に帰って行きましたが、帰る頃には従兄
妹同士3人が仲良くなっていたので、次に会う時にはもっと一緒に遊べるようになるだろうと思いました。
長男一家が帰って、少し落ち着いたので、去年、買った”タブレットパソコン”のセットアップを婿のnao君にお願い
してやってもらいましたが、やはり、彼にお願いして良かったと思いました。私は説明書を読んでも理解できな
い事が多くてギブアップしましたが、彼にとっては簡単なようで、1時間位でスムーズに終わりました。
今日明日は「第93回箱根駅伝」がありますが、往路は青山学院が1区から1位をキープし、全区間、一度も首位を
譲ることなく往路優勝し、2連覇を達成しましたが、今回はテレビ中継を見ていても、11月に箱根に行った時に5
区の山登りのコースを車で走ったので力が入りました。走っている選手が写るとあんな急こう配の坂を走って
いるんだと思うと思わず「頑張れ!」と言いたくなりました。
12月31日~1月1日(金)
紅白歌合戦が終わってから村社「松原神社」に家内と長男の3人で初もうでに行きまし
た。いつもの年に比べると寒さもそれ程ではありませんが、それでも深夜ですからそれ
なりの寒さはありました。
鳥居をくぐると、去年までと違って、大きな木が工事の関係で伐採されているので、今ま
での雰囲気はなくなりましたが、その分、明るくなり歩きやすくなったと思いました。
午前0時過ぎに境内に着くと、既に100人位の人が並んでいました。私達も20分程並んで
お参りを済ませましたが、皆さん一様に今年の暖かさを話していました。
地元の伊藤太市長もご夫婦でお参りに来ていたので、年始の挨拶だけして帰って来て寝
たのは午前2時でした。
1月1日(金)元旦
目が覚めたら午前8時過ぎていたので着替えて下りて行ったら家内と長男の嫁のsayaさんがおせちの用意を
していました。毎年、同じような料理ですが、家内は何か1品新しい料理を考えて作っていますが、今年はどんな
料理が加わっているのかは見てのお楽しみです。
次男は帰って来ていなかったので、午前10時から長男一家と年始の行事という程ではありませんが、家族写真
を撮ってから「明けましておめでとう御座います。」の挨拶をして今年一年の無事を祈って始めました。
     
今年のおせち料理ですが、写真の他にブリとエビの塩焼きが出て、最後に雑煮を食べて終わりです。
午前9時半過ぎに次男が帰って来たので改めて新年の挨拶を全員でお祝いしました。
毎年の事ですが、今年もお酒を飲み過ぎて、テレビで「全日本実業団対抗駅伝」を見ながら寝てしまい、目が覚
めたらトヨタ自動車が2年連続優勝をしてました。今年は顔を見せないと思っていた長男の友人T君が仕事明け
で時間が出来たと言ってきたので、我が家で一緒に夕食を食べようと誘ったら来てくれたのですが、長男が彼
女を連れて来るかもしれないと期待していましたが、1人で来たので全員がガッカリしました。T君に彼女はどう
したのと聞いても、「全然駄目です」と言うので、この調子では一生独身かなと思いました。
新年あけましておめでとうございます。2016年が皆さまにとって良い年でありますように願っ
ております。今年も頑張って続けるつもりですのでよろしくお願い致します。
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