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 4月30日(月)
振替休日
  
ゴールデンウイーク前半が終わりますが、昨日、高速道路では大型観光バスが居眠り運転で防音
  壁に衝突し、
7人が亡くなり、39人が重軽傷という大きな事故がありました。
  最近、運転を誤って家やコンビニに突っ込んだり、若者の居眠り運転で登校中の学童の列に突っ
  込み、付き添いの妊婦と小学生が亡くなった事故等、車に関する事故のニュースが毎日のように
  報道されていて心が痛みます。孫が幼稚園に行くようになり、幸い、通園バスの利用なので通園
  中の交通事故の心配は少ないのですが、それでも事故に遭わないようにと願っています。
  車が無ければ買い物や通勤通学にも困る地域では必要だと思いますが、
一つ間違えば凶器にな
  
事を肝に銘じて安全運転に心がけなければと思います。


 4月29日(
昭和の日
  今日は私の中では”天皇誕生日”という思いが強く、昭和64年から”みどりの日”になって、やっと
  慣れてきたかなと思ったら、平成19年から
”昭和の日”になりましたが、家内に聞くと”みどりの日”
  と答える位ですから、
”昭和の日”は私も含めて馴染んでいる人が少ないように思います。
  「国民の祝日」と言っても最近の若者は土日休みが定着しているせいか、祝日は単なる休日であ
  って
”何の日”かはあまり意識が無いようですが、そういう時代だから仕方が無いと片付けて良
  いのだろうかと考えるのは私が歳とった証拠かもしれません。

 昨日、今日と暖かさにつられてか十二単や
卯の花の中に大きな蜂が沢山来
 ていると家内が言うので行ってみると、大きな虫が来ているので調べると
 ハナアブの一種で
”カクモンハラブトハナアブ”というアブのようでした。去
 年までは気がつかなかったのか、今年初めて来ているのか分かりませんが
 花の中をあちらこちらで蜜を吸っていました。
 
オオデマリも花を沢山付けて後少し満開になりそうだし、も小さな実を沢
 山付け、
仙台萩も黄色の花を咲かせ、オダマキはそこら中に種が飛んだのか
           あちこちで紫の花を咲かせ、我が家の庭も春本番の様を呈しています。
  



 4月27日(金)
  旅行の疲れを取る間もなく、家内は義母の夕食の世話があるので午後から名古屋東市民病院に
  出かけて行きました。私は来週、
元同僚のK.K君ホールインワン記念コンペがあるので久し振り
  に王子ゴルフ練習場に行きましたが、練習グリーンが使えなかったのでショットとアプローチだけ
  やって帰って来ました。
  夜、家内が帰って来て今日は義母が元気が無くてほとんど目を閉じていて、夕食もあまり食べな
  かったと言うので少し心配ですが、昨日、義妹が行った時にはよく話し、食事も一人でちゃんと食
  べたと言ってたので日によって体調に波があるようです。


 4月26日(木)

  
朝起きた時には降っていた雨も午前9時頃には曇りになっていました。朝食は久し振りに和定食と
  いう感じでみそ汁に焼きのり、温泉たまご、塩シャケ・蒸し物の他に夕食の時にもあった地元産の
  野菜のバイキングコーナーも出ていました。
  急ぐ旅ではないので家内は9時半頃まで部屋で昨日取ってきた桜の枝を
  スケッチしていました。午前10時前にチェックアウトして
高遠城址公園に向
  かう事にしましたが、その前に松本市内をウオッチングしようと松本城近
  くの市営駐車場に車を止めて少しだけ散策する事にしました。
  松本城の桜は昨日からの雨でかなり散ってしまったようなので、松本初
  の夜店が始まった場所で
四柱(よはしら)神社の参道として発展してきた
  細い路地のような道に玩具・骨董屋・駄菓子屋等が軒を連ねている
”縄手
  通り”
に行ってみました。平日の午前中とあって来ている人はほとんどいなくてお店の方もまだ
  準備中の所もあり、骨董屋を少し覗いてみましたが、これという物も無さそうだったので早々に引
  き揚げて来ました。
 松本ICから長野道に乗り、岡谷JCTで中央道東京方面に行き、諏訪ICで下り
 て高遠に行くのですが、お昼を4月20日にリニューアルオープンした
”諏訪湖
 SA”
で食べる事にして寄りました。
 
”諏訪湖SA”は建物が新しくなり、置いてある商品の内容も充実していると思
 いました。飲食もスターバックスが入り、レストランやフードコートもブライトン
 ホテルが運営するようになっていました。
 私はレストランで食べてみたかったのですが、家内がスターバックスのサンド
  イッチが良いと言うので家内に合せてサンドイッチとコーヒーでお昼を済ませました。
  午後12時半過ぎに出発し、諏訪ICで下りて国道20号線から152号線に入り、
  
”さくら名所百選”に選ばれている”高遠城址公園”に向かいました。途中の
  道路が全く混んでないというか車がほとんど通ってないので桜は散ってし
  まったのかなと思っていましたが、公園内の駐車場に行ってみると花見の
  バスや乗用車がけっこう来ていました。
  700円の駐車料と500円の入場料を払い、城内に入ると1500本あると言わ
  れているピンクの
”タカトオコヒガンサクラ”の花は散り始めていましたが、
  かえって地面をピンクに染めて風情があり、まだまだ花を付けている木もあるので花見を楽しん
  でいる人達が大勢いました。
  
”タカトオコヒガンサクラ”はやや小振りで赤味を帯びその可憐さと規模の大きさは「天下一の桜」
  と称されるほどで長野県の天然記念物に指定されているそうです。
  午後3時前に家路につきましたが、伊那ICから中央道に乗ったら雨が急に降って来たので、
「今回
  の旅行では傘をさす事が無くて良かったね。」
と家内が喜んでいました。
  午後5時前に家に着きましたが、今回の旅行は
”高山村の五大桜”を見る事が目的だったのです
  が、時期が早すぎてというか今までで一番遅い開花時期になった為にほとんど見られませんで
  したが、機会があればもう一度来て見たいと思いました。
  それでも
”おいしいフランス料理”を食べられ、”楽しいふれあいコンサート”に触れあえたのは良
  い思い出になった旅になったと思います。



 4月25日(水)

  朝6時半にホテルの無料サービスの朝食を食べましたが、簡単な弁当の他に地元産の野菜を使っ
  たサラダや茹で野菜やゆで卵、生卵、みそ汁、パン、コーヒー等があり、私達には十分でした。
 午前8時にホテルを出発、もう一度、参道を走って善光寺周辺を見
 学した後、須坂市の
”臥竜公園”に行きました。日本の”さくら名所百
 
選”
に選ばれただけあって着いたのは午前9時前でしたが、カメラ
 を持った人達があちらこちらで竜ヶ池の周りにある満開の桜を撮っ
 ていました。
 ここの桜は湖面近くに張り出している枝もあるので、湖面に映る桜
 がなかなか見事で写真にはもってこいだと思いました。
  竜ヶ池を一周して入口にある須坂市立博物館にこの時期だけ展示している
譜(じゃくふ)の桜”
  
(250の桜を細密に描いた図譜)を見学しましたが、展示してあったのはコピーをした一部分だけ
  で桜を描く上で参考にしたいと思っていた家内は複製品でも購入したかったようですが販売して
  いませんでした。

  午前940分に今回の旅行の目的の「高山村の5大桜」を見るために公園を出発し、最初に“水中
  のしだれ桜”
に行きました。高山村に入ると“水中のしだれ桜→”の案内看板が出ていたのでそれ
  に添って走っていたら山の方に入り、狭い道を行くとやっと着きました。
  遠くから見てみてもどこにあるのか分からなかったのは日当たりのよいほんの一部が少しだけ咲
  いている以外はまだ咲いていなかったからだと現地について納得しました。例年より遅く今頃が
  見ごろだと出ていたので安心していましたが、今年は特に遅くて、あと1週間位しないと見ごろに
  ならないようでした。樹齢250年位と言われている割には立派な姿をしているので咲いたらきっ
  と素晴らしいだろうと想像できました。

  次に“赤和観音しだれ桜”に向かいました。こちらは全く咲いていませんでしたが、折角来たのだ
  から山の上にある
「赤和観音堂」まで行きお参りしてきました。急な山を登っていくと宙に浮いた
  ような感じで建っている観音堂は下から見るとなかなかのもでした。

  3番目の“黒部のエドヒガン桜”は樹齢500年といわれていますが、形は一番良いと思いましたが、
  大きさは5つの中では一番小ぶりな感じでしたが全く咲いていなくて、他の桜は村の人達が地元
  の野菜を売ったり、お茶のサービスをしていましたが、ここには誰もいませんでした。
  次いで
“中塩のしだれ桜”に行きましたが、ここの桜が唯一4分咲き位で見られました。樹齢が150
  年位で若く日照時間が長い感じなのでそんなことで咲くのが少し早いのかなと思いました。
  最後に
“坪井のしだれ桜”に行きましたが、こちらも日の当るところが少し咲きピンク色になってい
  る所があるくらいで咲いていないのと同じ感じでした。樹齢600年以上といわれているだけのス
  ケールの大きな桜なので満開になれば素晴らしいと想像できるような姿でした。
 

  午後12時頃までいて小布施町に向かいました。名前は知っていたのですが、今まで来たことがな
  くて今回が初めてなのでどんな街なのか楽しみでした。まずお昼を食べようと蕎麦屋を探しまし
  たが駐車できるところを探している内に
「桜井甘精堂」のやっているお食事処「本店・泉石亭」に入
  りました。家内はとろろそば840円、私は一茶御膳(栗おこわとざる蕎麦)1,500円を食べました
  が、どちらも普通でした。
  昼食後、小布施の町を少し散策しましたが、特に見たい所も無く、大勢の観
  光客が町を歩いていましたが、皆さん何処に行くのだろうかと思いました。
  私達は車で
葛飾北斎”八方睨み鳳凰図”の天井画で有名な「岩松院(がん
  しょういん)」
に行きました。
  このお寺は戦国の武将福島正則の霊廟もあり、裏庭の池は小林一茶の
「や
  せ蛙 負けるな一茶 これにあり」
の俳句のきっかけになった蛙合戦の池と
  言われているそうです。
  21畳もの大きさに描かれた鳳凰図は180年前に描かれたとは思えないような朱・鉛丹・石黄・岩緑
  青・ベロ藍・藍等の鮮やかな色が今もそのまま残っていて
北斎の最晩年の作品として有名です。

 午後3時過ぎに小布施を出発し、今日の宿泊先の松本市郊外の浅間温泉
「玉
 之湯ホテル」
に向かいました。このホテルはインターネットの口コミで評判が
 良かったので予約したのですが、当初26日の宿泊予定を4日前に一日早めて
 25日の今日にしてもらったのですが、最初の予約条件と一緒で結構ですと
 言われ感じが良かったので気持ち良く泊まれそうでした。
 午後4時半に到着、着くと直ぐにさくら茶が出され、宿帳を書いている間に荷
 物を部屋に運んでくれていて、その後、部屋に案内されました。
  午後6時30分から夕食をお願いしたのでその前に風呂に行きました。露天風呂が新しい檜の浴槽
  だったので久し振りにヒノキの香りがするお風呂に入りました。
 夕食は
前菜の信濃旬彩盛り吸い物刺身・チョイス料理
 で私が
牛陶板焼、家内が信州豚柔らか煮焼き物酢の
 物
・食事として館主手打ち信州そば切りのおろし冷かけ
 デザート
でしたが、どの料理も食器にも気を使ってあり、
 楽しく食事が出来ましたが、コース料理以外にもバイキ
 ングコーナーで地元産の取りたて野菜の天ぷらや煮物、
 漬物がお客さんの評判も良かったようです。
  私達はお腹いっぱいでもう食べられないと思っていた時に出て来た館主手打ち信州そば切りの
  おろし冷かけ
には驚かされました。細切りの蕎麦で少し甘めのつゆとの相性もピッタリで喉越し良
  く自然にお腹の中に入って行く感じで食べられました。
  夕食後、午後8時30分から館内の
ふれあい広場「車座」”ふれあい
  コンサート”
があると案内があったので家内が様子を見に行ったら5
  人しかいなので淋しいから少しだけ参加する事にしました。
  私達の後か2人参加したので9人のためのミニコンサートになりまし
  た。演奏は地元で活動している南米ウルグァイの小型ハープ
”アル
  パ”の奏者”市原すみさん”
という方でした。私達は直ぐに帰る積りで
  したが始まると初めて聞く
”アルパ”の音色と演奏の市原すみさんの
  語りと最初の5人組の兄弟会の方々の楽しい雰囲気に乗せられて最後まで楽しみました。途中か
  らは館主(社長)の歌や全員で埴生の宿や荒城の月等を歌い最後には
「玉之湯ホテル」の歌まで
  覚えさせられるという余興まであり楽しい経験になりました。



 4月24日(火)
 
 今日から長野市方面に23日で”高山村五大桜花見旅行”の予定ですが、一昨日、家内は義母や
  孫の入院で両方の世話をしていたつけが来たのか腰を痛め、昨日、剣道仲間が通っている
「ひか
  り整体院」
に行き、「明日も来てください。」と言われ朝一番に治療を受けに行きました。

 午前9時半過ぎに帰ってきてから出かけましたが、中央道を通って長野道に
 入り梓川SAで昼食を食べ、長野ICを出て最初の目的地松代町に着いたのが
 午後1時半でした。

 松代町は松代藩10万石の城下町として今もその面影
 を残している町ですが、最初に桜で有名な
”松代城(海
 津城)城址公園”
に行きました。今が満開の桜はなかな
 のものでしたが、ここよりは松代藩の藩士の子弟の学
  問・武芸を奨励するために8代藩主真田幸貫が建設を目指し、9代藩主真田
  幸教の安政2年(1855年)に開校した
“文武学校”という文学所や御役所の
  ほかに柔術所や剣術所、弓道所、槍術所等があり、私達が行った時にも弓
  道所や槍術所で練習している人達がいて今も使われていることがすごいと思いました。その後、
  隣にある真田幸教の隠居所として使われていた
”真田邸”を見学しましたが、工事や修復中の所
  が多かったので午後3時に出発して
”善光寺”に向かいました。

 ”善光寺”は一光三尊阿弥陀如来を本尊とする無宗派
 の単立寺院
山号は「定額山」(じょうがくさん)と言
 うそうです。
 山内にある
天台宗の「大勧進」と25浄土宗の「大
 本願」と14
によって護持・運営されていて「大勧進」
 の住職
は「貫主」
と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙さ
 れた僧侶が務めていて、
「大本願」は、大寺院としては
  珍しい尼寺
であり、
住職は「善光寺上人」と呼ばれ、門跡寺院ではないが代々公家出身者から住
  職を迎えています。
善光寺の住職は
「大勧進貫主」「大本願上人」の両名が務めることになって
  いるそうです。

 立派な金剛力士像のある”仁王門”の近くに車を止め、
 表参道の仲見世通りを歩いて
”山門”を通り、”本堂”
 参拝しましたが、さすが1400年以上の歴史があるとい
 うだけに仲見世通りも何となく雰囲気があり、東日本
 一の木造建築物という
”本堂”も立派でしたが、私が感
 心したのは本堂から表参道を一直線で進むとそのまま
 長野駅まで通じていることでした。

  今日の宿泊先の
「アイランドホテル」も駅の傍だったのですぐに着きました。午後5時にチェックイ
  ンして夕食はインターネットで評判の良かったホテルの前のフランス料理
Chez MaSaに行きまし
  た。Aコース3,990円を注文しメインは私が魚:スズキ、家内が肉(信濃牛)にしました。アミューズ、
  オードブル、スープ、メインディッシュ、デザート、ドリンク、パンでしたがどれをとっても味付けが良
  くオーナーシェフとサービスを担当する奥さんの息もぴったりで気持ちの良い店でした。
  


 4月23日(月)
  本来なら、先月、雨で延期になった「桃球会」のゴルフコンペだったのですが、昨日の天気予報が
  雨で再び延期になったので、私は
パサテンポ氏の見舞いに行きました。
  今日は偶然、家内の従兄で
パサテンポ氏と私の友人でもある一宮のI.Y君が見舞いに来ると連絡
  があったので、お昼に会って11階の
「アゼリア」で一緒に食事をしながら話しました。
  2週間ぶりに見る
P氏は松葉杖から発明者の名前に由来する”ロフストランドスク
  ラッチ”(前腕部支持型杖)
を使用するようになっていました。この杖はステッキ
  の様な形状の杖にカフと呼ばれる肘(腕)を固定するサポート機構が備えられ
  ていて、普通は片手だけで使用する事が多いのですが、今の彼の場合はまだ
  両手で使用するように言われているそうです。平らな場所なら片手でも十分の
  ようですが、階段とか段差のある場所では両手の方が良いようです。
  
I.Y君も半年くらい前に階段で尻もちをついて以来、坐骨神経痛のような症状に
  悩まされていると話し、私は
慢性腰痛の事を話しましたが、私達の歳になると健康の話が多いと
  言う事を今日も実感しました。


 4月22日(

  午前中、「平成24年度桃花園安全協第9回総会」が集会所であったので役員として出席しました。
  午前10時に開会し
O.T会長挨拶の後、来賓挨拶でH.N市会議員や春日井警察署の生活安全課S係
  長
、春日井市のN市民安全課長、安全な街作り担当のM主幹が挨拶されましたが、皆さんの共通し
  た話は防犯への対策といつ来るかしれない東南海地震の事でした。
 防犯ということでは春日井市が空き巣と車盗難の発生率で全国上位になっ
 ている現状を何とかしたいと補助錠の採用や垣根や庭木を伐採して見通し
 を良くするような啓蒙活動をしてほしいと言ってました。
 遅れて来た
伊藤太市長は災害時に情報源として避難所にテレビが無いと困
 るので各学校にテレビを配置したり、王子製紙と商工会議所と春日井市で王
 子製紙の作っているティッシュペーパー
”ネピア”の春日井市内での売り上げ
 の2%を春日井市に還元し、市はそのお金を学校の耐震化や安全対策に使う
  という協定書を交わしたと話していました。
  引き続き議事に入り、活動報告や決算報告の承認の後、24年度の役員改選があり、
O.T会長が仕
  事が忙しくなったので退任する事になり、
新会長にD.Nさんを選任しました。その他の役員は留任
  し私も理事として残る事になりました。
  新会長として挨拶をした
D.Nさんは65歳以上の世帯が33.3%になった高齢化率を考えると今後
  心配されている
”孤独死”を民生委員と協力して少しでも無くしたいと話されましたが、それが私
  達の住んでいる地域の現状を表していると思いました。



 4月21日(土)
  午前中、家内は今後の義母の事を相談するために実家に行きました。昼頃に娘から上のmn実の検
  査結果が良かったので、午後から退院する事になったが、
娘婿のnao君は仕事でいない為、手伝っ
  てほしいと電話があったので家内にも連絡して家内が帰って来てから一緒に大同病院に向かいま
  した。午後3時前に着き、まとめてあった荷物を積み込んで娘の所に行きましたが、子供達は家に
  着くと元気いっぱいにはしゃいでいましたが、まるで、狭い病室で動く事もままならなかったストレ
  スを発散しているようでした。やはり自分達の家が一番のようです。
  大腿骨骨折で入院している義母にしても自分の家が一番だと思いますが、その家に帰る事が出
  来るかどうかは
”神のみぞ知る”という事になりそうです。


 4月20日(金)
  入院している孫にずっと付き添っている娘が咳が出て体調がいまいちなので病院で診察を受け
  るのに病室に留守番がいるというので今日も応援に行きました。
  先日の続きで片付けをすると言う家内を娘の家に降ろして病室に行くと、2
  人の孫は仲良くベッドの上でテレビを見ていました。
上の孫のmn実はすっか
  り元気になってお話も良くするし、心配は無いようですが、
下の孫のnt実
  はまだ37度台の熱が出たり出なかったりで、ご機嫌は良いのですが、食事
  もほとんどしないので少し心配です。
  それでも、娘が診察に出かけて病室にいなくても2人とも特に泣く事もな
  くいい子にしていたので助かりました。
  お昼頃に娘が診察を終って薬を貰って病室に帰って来て、お昼に家内の作った弁当を3人で食べ
  始めたので、私も家内を迎えに行き昼食を食べに行きました。

 今日は家内が名古屋東市民病院に入院中の義母の夕食に付き添う日で、夕
 方まで時間があったので松坂屋本店で開催中の
「第67回春の院展」(4月14
 日~22日)に行きました。
 会期も後2日のせいか平日にも拘わらず大勢のファンが来ていましたが、今
 回は招待券を送ってくれた同人の
田淵俊夫先生以外の家内の知り合いの先
 生は入選していないかったので、サッと見ただけでしたが、春季展賞を受賞
 した作品などは私好みではありませんでしたが、奨励賞の12作品の中には
  何点か好きな作品がありました。
田淵先生の作品”秋燃ゆ”は紅葉を描いていますが、相変わらず
  草花を描くとさすがと思う出来でした。

  午後4時過ぎに会場を出て病院に着きましたが、義母は思ったより元気で夕食もほとんど一人で
  食べていました。義妹や家内がボケを心配していましたが、家内との話の内容を聞いている限り
  その心配はなさそうでしたが、リハビリをやっているといっても30分程で、後は一日の内ほとんど
  がベッドの生活ですから、筋肉の衰えから来る動作や歩行が困難になると思うので、退院後の生
  活をどうするのか考える事が先決だと思いました。



 4月19日(木)
  今年初めての「遊楽会」のコンペがあったので参加しましたが、今
  回は日吉ハイランド倶楽部の
「さくら茶屋杯」と重なったので両方
  のコンペに参加する形になりました。
  この辺ではソメイヨシノは
”ちり果て”になっていますが、日吉は瑞
  浪市でも少し高い所にあるので、今が見頃で本当に満開の桜の中
  でのラウンドになりました。
  スコアの方は
アウト47、イン44の91でしたが、この所、忙しくて練習
  もほとんどしてなかった割にはまずまずのゴルフでした。ティショットは右にプッシュアウトする玉
  が多い割には何とかボギーで収まり、3パットもありましたが、
上がり3ホールが連続パーだったの
  で気分良く終われたのが次回につながると思いました。


 4月18日(水)
  入院していた近所のK.Kさん隣のI.Kさんが退院して来たと思ったら、入れ換わりに義母や2人の
  孫が入院と落ち着かない4月もいつの間にか半ばも過ぎて、我が家の庭も春たけなわという感じ
  で
タイ釣り草がたくさん花を付けていかにも鯛が釣れたように見えています。
  月初めは蕾だった
ボケ白と赤のハナズオウも満開になり、十二単も青紫の花を何重にも咲か
  せ、いつの間にか
シャガもあちこちで白い花を咲かせて楽しませてくれています。
  
  午前中、病院までアイスパックを届けに行き様子を見ると、
上のmn実は熱も下がったせいか元気
  に遊んでいました。
下のnt実も元気なのですが、鼻水が出て熱が上がったり下がったりというの
  が心配です。何とか早く2人の症状が落ち着いてくれる事を願うばかりです。



 4月17日(火)
  孫二人が入院しましたが、家内はウイルス感染の危険性がある孫の面倒をみる事が出来ない持病
  なのでせめて娘の家の片付けでもしてやりたいと言うので一緒に南区の家に出かけました。
  家に行く前に大同病院に寄って病室には入らず娘に孫の様子だけ聞き、
上のmn実の熱が下がって
  、
下のnt実は悪化していない事を確認して娘の家に向かいました。
  家の中は元々片付けが苦手な娘が子供達の急な入院で散らかりっぱなしになっていたので、家内
  は大掃除を始めました。私は2階のフトンを全部天日干しにして掃除機を掛け、普段、家ではやった
  事の無い仕事をする羽目になりました。夕方までかかってある程度綺麗になったのでゴミを持っ
  てもう一度病院に寄って帰って来ましたが、途中で夕食を食べて家に着いたら午後9時前でした。



 4月16日(月)
  朝、娘から連絡があり、上の孫のmn実が風邪で具合が悪くなり、病院に行くので下の孫のnt実
  面倒を見る為に来てほしいと言ってきましたが、家内は義母の所に行かなければならないので私
  が一人で応援に行きました。
  午前9時過ぎに着き、3人と一緒に大同病院に行きましたが、小児科は患者でいっぱいでした。診
  察でレントゲンと血液検査をする事になり、時間がかかりそうなので私と
下のnt実は一度娘の家
  に帰って待機する事にしました。午後2時過ぎに娘から
mn実”マイコプラズマ肺炎””胃腸炎”
  入院する事になったと電話があったので、もう一度nt実を連れて病院に行きましたが、病院に行
  く前にオムツを替えたら
nt実が下痢をしていたので、この子も感染しているかも知れないと思い
  ました。午後3時過ぎに病室に行くと
mn実は点滴をしていましたが、熱が39℃もあり、少し飲んで
  も直ぐに吐いてしまいベットでぐったりしていました。
  
nt実の下痢の話をすると看護師さんから「上の子が肺炎で入院したと言えば救急で直ぐに診ても
  らえますよ。」
と言われたので、娘はnt実を診察に連れて行きました。結果はマイコプラズマは検
  査しませんでしたが、胃腸炎の菌が多いので入院する事になり、
姉妹揃って入院という緊急事態
  になりました。
  私自身、30年前に娘が
マイコプラズマ肺炎で入院して以来、我のカテーテル治療の入院や家内
  の白内障の手術の入院はありましたが、それらは予定された入院だったので慌てる事もありませ
  んでしたが、今回の場合、急でそれも2人一度に入院となると娘も動揺すると思いましたが、私が
  見た所、それ程、動揺する事も無くしっかりしているので見直しました。
  やはり、2人の子の母として子供を守るという気持がそうさせているのかなと改めて
”母は強し”
  という言葉を実感しました。午後7時過ぎまで病院に居て婿のnao君がいるので娘と一緒に娘の
  家まで行って春日井に帰って来ました。長いようであっという間の一日でした。



 4月15日(

  午前10時から伊藤太後援会と新しい春日井を作る会が主催する「明日への活力講演会」があった
  ので家内と一緒に行きました。
 今回の講師は
健康エンターテナーの己抄呼(みさこ)という私も家内もあま
 り馴染みのない人だったので、ご近所の皆さんに声を掛けるのは遠慮して私
 達夫婦だけで出かけました。
 会の方は主催者の後援会長や後援会連合会副会長の挨拶の後、
伊藤太市長
 の市政方針の話があり、平成24年度の主な事業として災害対策事業や震災
 対策、子育て支援・教育の充実で待機児童ゼロの現状、JR春日井駅周辺整備
 の話があり、その後、
己抄呼さんの講演会が始まりました。
  「笑う体操~誰でも・どこでも・簡単に」と題した講演は出だしから会場に来
  ている人達に両手を挙げさせて
”一日一回両手を1分間上げて深呼吸して両
  手を下ろせば血液の循環が良くなる”
と言いながら自分のペースに引き込ん
  で始まり、背骨をほぐす運動とか腰・お腹をリラックスさせる運動を巧みな話
  術で会場全体を笑いの渦に巻き込みながら進めていくテクニックは素晴らし
  いと思いました。
  1時間半の時間があっという間に過ぎて会場に来ている人全員が笑顔になっ
  ていたのは確かで、最後に己抄呼さんと一緒に来ていたカメラマンの人が撮った会場に来た人
  達の笑顔を画面に流していましたが、皆さん、本当に良い笑顔をしていました。
  私達が知らない講師でも楽しく充実した講演会がある事が分かったので、これからは近所の皆さ
  んにも声を掛けてみんなで行くようにしたいと思いました。



 4月14日(土)
  元TOA道路の先輩O.Sさんから連絡があり、去年の中部支社のOB会以来5ヶ月振りに会いました。
  午前11時に落ち合って近くの
「サイゼリア」に行きましたが、この店は長居しても大丈夫だし、値段
  も安いので去年からは私達の定番になっています。今日も
ドリンクバーとパスタで579円で3時間
  ゆっくり話せたのですから本当にお得だと思います。
  お互いの近況や元の会社の同僚や現役の連中の動向を話しましたが、お互い共通して感じてい
  るのは知っている現役の社員が少なくなって会社が遠くなっているという事でしたが、私の知人
  で会社が無くなっている人もいるのですからその人と比べればまだ幸せだと思います。
  昨日の診察で腰痛の心配が少し解消されたので20日ぶりに王子ゴルフ練習場に行き1時間練習し
  ましたが、思ったより玉が当たったので安心しました。
  義母の病院に行った家内が帰って来て
「昨日より少し元気になった。」と話していたのでこのまま
  元気になって来週からリハビリが出来るようになれば安心ですがどうなりますか。



 4月13日(金)
  半月前から腰の痛みが強くなり、その後、少し楽になりましたが、痛みが無くならないので気にな
  って久し振りに
「伊藤整形外科・内科・腰痛クリニック」(丹羽郡扶桑町)に行きました。
 この病院は行くと直ぐにレントゲンや
MRI検査で調べてくれるので検査結果
 を早く知りたい時にはここに行って診察してもらいますが、勿論、
伊藤不二夫
 院長
もテレビや講演等で腰痛の権威として名前の売れてる先生なので診断
 は信用出来ると思っているからです。私が着いた時にも多くの患者さんが受
 付のロビーで待っていました。
 午前9時前に受付をして先生の診察後、MRI検査を受け、検査の結果では3年
 前の画像よりは
第3と第4、第4と第5の間の椎間板がすり減って薄くなり、動
  きが悪くなっているのが原因だと言われましたが、直ぐに手術ではなく腰の牽引や柔軟運動をし
  て動きを柔らかくすればまだ大丈夫だと言われたのでホッとしました。今日の所は
背骨矯正とブ
  ロック注射をして、次回(1ヶ月後)、もう一か所の患部、頸椎のMRI検査をしてもらう事にしました。
  会計の時に16,400円と言われた時に少し驚きましたが、明細書を見たらブロック注射の後で院長
  が手技で
背骨矯正を30秒位やってくれたのですが、それが手技・手術で25,700円の30%7,710
  
となっていたのは衝撃でした。健康保険の点数がどうなっているのか私達には分かりませんが
  こういうかたちで収入を稼いでいるとしたら
”医は仁術”ではなく”医は算術”だと思いました。

  お昼過ぎに家に帰って昼食を食べて、家内が義母の入院している
「名古屋市立東部医療センター
  東市民病院」
に行くので私も見舞いを兼ねて一緒に行きました。義母は今日からリハビリ開始と聞
  いていましたが、ほとんど食欲が無く体力的にも酸素吸入が取れず、リハビリが出来る状態では
  ないので来週から開始する事になりました。
  名古屋市立の病院は赤字経営が多いので経営立て直しの一環なのか、人員を少なくして患者の
  家族に負担をしてもらう事を考えているように感じました。(それが正しいかもしれませんが)
  例えば、患者が食事を食べなければ
家族が付きっきりで3食を食べさせてほしいとか洗濯物入れ
  のカゴを用意してとか病院の紙おむつを1枚使ったから返して下さいと言われました。
  他の病院ではそこまで言わないと思いますが、市民病院はそれだけ経営が苦しいのかなと思い
  ましたが、それとは別に患者の立場より自分達病院側の立場に立って物事を処理し過ぎているよ
  うに感じました。確かに少ない人員で多くの患者を見なければいけないという事は理解できます
  が、ここでも
”医は仁術”という言葉が死語になりつつあるような気がしました。


 4月12日(木)
  朝起きると昨日の雨で散るかと思っていた我が家の前の”一本桜”が少し
  花びらを落とした程度で満開の状態を保っていたのでホッとしました。
  家内は痛くて動けないと言う実家の義母を義姉と一緒に病院に連れて行
  くので朝早く出かけましたが、本当に動けないようだと入院させる事にな
  るかもしれないと言って出かけて行きました。
  午前中、私が会長になっている東部の
「中国語同好会」があり、今日は新し
  く入会したいという人が来る事になっているので早めに出かけました。
  午前10時前に
新入会希望のH.Mさんが来られたので皆さんに紹介し、H.Mさんにも自己紹介しても
  らいました。
H.Mさんは3月末に退職して4月から何をやろうかと考えた時、会社に通勤途中で聞
  いていたラジオ講座で興味を持った中国語を勉強したいと思い入会されたそうです。
  今回と次回は見学という事で
O.M先生の教え方や今私達のやっている事を体験して頂いた上で、
  来月から正式に入会して頂く事にしましたが、講義について来られるだろうかという私の心配は
  杞憂だったようで、実際に始まって見ると聞く力や発音は私よりはレベルが上のようで、通勤で毎
  日、ラジオ講座を聞いていた効果がはっきり表れていると思いました。ご本人も熱心に勉強する
  人のようで追い抜かれるのは時間の問題だと思いますが、そんな事より新しいメンバーが増えた
  事の方がはるかに嬉しい事です。

  お昼過ぎに実家に行った家内からメールがあり、義母は
右大腿骨骨折で東市民病院に入院、手術
  になり、午後2時30分から手術開始、2時間程で無事に終了したそうですが、あれほど骨が丈夫だ
  と思っていた義母が
大腿骨骨折していたとは思いもしませんでしたが、88歳という年齢を考えれ
  ば当然かもしれません。
  帰って来た家内の話ですと先生は今日は安静にして、明日から直ぐにリハビリを開始するそうで
  すが、年寄りは一日遅れるとそれだけ筋肉が衰え、寝たきりになりやすいので一日でも早くリハ
  ビリを開始するのが良いそうです。
パサテンポ氏を見ているとリハビリの効果が良く分かるので
  義母にも頑張ってほしいのですが
88歳の人がそこまで出来るかどうか心配です。


 4月10日(火)
  朝から暖かく花曇りで花見には絶好の日になりました。今日は家内の愛知医大の定期検診日です
  が、家内は剣道の稽古仲間が
落合公園”お花見会”をする事になっているので検診が終わった
  ら後から駆けつける事にして病院に出かけました。
  午前9時半過ぎに着き、採血が終わって午前11時の診察予約時間まで
パサ
  テンポ氏
の様子を見に病室に行ったら2、3歩ですが松葉杖無しで歩いたの
  で家内は驚いていました。
  家内が会った1ヶ月前は車椅子だったので余計にそう思ったかもしれませ
  ん。彼が
「お茶を飲みに行こう」と3Fの喫茶店まで行くのに私が友人と一
  緒に行った2週間前は松葉杖でゆっくり歩けるようになったと感心したの
  が、今日は松葉杖でスタスタと歩いて行くのを見るとリハビリの大切さを
  改めて感じました。
  ただ、一度座ると立ちあがるまでに時間がかかるし、スムーズに動けないので本人としては歯が
  ゆく感じているようですが、私達からみると会う度にリハビリの効果が出ているのが分かるので
  70歳という年齢を考えると回復力が凄いと思います。
  午前11時の予約が実際の診察は午後12時20分と遅れ、会計を済ませ、薬を貰うのに更に待ち時間
  があったので、もう一度、
パサテンポ氏の顔を見に寄ったところ、彼に以前から聞いていた岡崎の
  Sさん
がお見舞いに来られて初めて会えたので診察時間の遅れもたまには良い事があると思い
  ました。
  遅くなったので
”お花見会”は解散してと家内がメールしたら、皆さんが「貴女が来るまで待ってい
  る。」
と言われたと言うので、午後1時半過ぎに病院を出て、名古屋ICから名神高速を使い、大急ぎ
  で
落合公園に家内を送って行きました。
  午後2時過ぎに着きましたが、平日ならいつもガラガラの駐車場が満車で明日の天気予報は雨だ
  けに今日が見頃と花見に来ている人達が多い事を物語っていました。



 4月9日(月)
  昨日の朝は-1℃と冷え込みましたが、日中は日差しが出て15℃位まで上がり、今日の朝は4℃
  
昼間は20℃を超える暖かい日になったので我が家の前の”一本桜”がほぼ満開になりました。
  今月3日に咲き始め開花の速度は寒さのせいで遅いかなと思いましたが、結果としてはそれ程の
  違いは無く、約1週間強でほぼ満開になりました。
  
  家内は実家の義母の世話に行きましたが、私は
「東海岡山県人会」の事務所に出かけ、5月のゴル
  フコンペの出欠を確認しました。今年も去年と同じ位の参加者になりそうですが、まだ1ヶ月以上
  あるのでもう少し待ってから組合せを考えようと思って帰って来ました。



 4月7日(土)
  朝は0℃と冷え込み、外は冷たい風の吹く日でしたが、車の中や家の日当たりの良い所では暖か
  く感じる1日になりました。午前中、かかりつけ医の東野内科クリニックに行き、持病の薬(降圧剤、
  高尿酸改善剤、血栓塞栓剤等)を貰って帰って来ました。
 昼食後、家内が今描いている絵に行き詰ったので、息抜きに小牧市にある
メナード
 美術館
”開館25周年記念「田淵俊夫展ー技のひみつ」”に行こうと言うので一緒
 に行きました。
 名古屋美術館でも今日から
「いのちの煌めき 田淵俊夫展」が始まっていて、先日、
 田淵先生から
「第67回春の院展」(4月14日~22日)を含む3展覧会の招待券を送
 って頂いたので、まず、一番近いメナード美術館に行くことになりました。
 家内は
”技のひみつ”という言葉に魅かれたようですが、私はプロの画家の技法や
 道具、材料が分かっても肝腎の腕が伴わないと所詮無理だと思いますが、家内は
  会場内にある解説を読んで納得顔でうなずいていましたが、本当に参考になったのかどうかは出
  来上がった絵を見なければ分かりません。どんな絵が出来上るでしょうか?



 4月6日(金)
  午前中、南部ふれあいセンターの「中国語同好会」に行きましたが、月に2回(第1、第3金曜日)な
  ので2回連続休むと1ヶ月半振りにメンバーと会う感じなので本当に
「お久しぶり」と言われます。
  お昼前に終わり、今日は小学校の入学式なので帰る途中で入学式帰りの親子連れを何組か見まし
  たが、今の時代を表していると思ったのは普通なら両親か母親と一緒が普通ですが、
父親と子供
  の2人連れ
がいたのは女性の社会進出や地位向上を象徴しているのかなと思いました。
  今年は桜が遅れたお陰で今日の入学式は名古屋では満開、春日井でも私の所は4、5分咲きです
  が、市内では7、8分咲きなので桜の下での良い思い出になる思いました。



 4月5日(木)
  今朝は家内に庭に連れ出され、芽を出し始めたシモバシラ破れ傘たいつり草サンショを観察
  しました。冬の間は毎朝茎の根元に霜柱が出来るのでこの名前が付いた
シモバシラは枯れた茎の
  傍から出ていました。開くと破れた傘の様になる
破れ傘もあちこちから芽を出して今にも葉を広
  げそうです。花が鯛のようで連なって咲く
たいつり草も赤いつぼみが付いています。毎年、実を採
  って家内がちりめん山椒を作るのが楽しみな
サンショも小さな葉が出始めています。
  今日も朝はやや冷え込み、その後は陽が出たり雨が降ったりと落ち着かない天気でしたが昼間
  はまずまずの暖かさだったので我が家の前の桜も遅まきながら1~2分咲きになったようです。こ
  ういう植物を見ていると、多少、時期が違っても出番を心得ていて、必ず自分の仕事をしていると
  思いますが、私達はどうなんだろうと考えてしまいます。
  


 4月4日(水)
  今日から中部大学の新学期が始まったので社会人対象の”2012オープンカレッジ春学期”も今日
  が初日になりました。
  私が今学期選択したのは
「疾病病態学概論」(下方薫教授)「新聞研究A」(水野雅夫教授)です
  が、今日は5、6時限(午後13時35分~)で
「疾病病態学概論」があったので受講に行きました。
  下方教授は医学博士で名古屋大学を定年退職後、中部大学の生命健康学部
  の教授として招かれ、専門は内科学で文部省や日本学術振興会の委員を長
  くしていたそうです。
  講義は人体の構造と機能を知るという主題だったので、最近、病気や事故に
  関して人間の体がどうなっているのかなと思う事が多かったので、文化系し
  か縁の無かった私には良い機会だと思いこの科目を選択しました。
  第1回の今日は
消化器系器官(口、咽頭、食道、胃、小腸、大腸、膵臓、肝臓、胆
  嚢)
についての講義でしたが、なかなか興味深い話が聞けて勉強になりました。
  例えば肝炎には
A型肝炎(食物から感染)、B型肝炎(性行為、血液から感染。良いワクチンがある)
  
C型肝炎(血液から感染)がありますが、A型肝炎は私の年代の聴講生は衛生状態の良くない時代
  に育っているので免疫が出来ているのでまず心配ないそうです。
 また
ポリープの場合、胃に出来たポリープはほとんど良性で心
 配ないが、大腸のポリープは良性悪性があり、良性でも悪性化
 する事もあるので注意が必要とか、
食道がんは若者にはまず
 ないという話等興味深く聞けました。
 ただ、教授が癇癪持ちなのか、大きな教室で少しでも話し声がす
 ると急に怒り出して学生の所に行って退室させる事が3度ばかり
 ありましたが、私が今まで受けたオープンカレッジの講義の中で
  は一番静かな教室だと思うので余りにも神経質すぎるのではと思いました。いずれにしても今後
  が楽しみな講義になりそうです。
  午後6時から
「東海岡山県人会」の役員会が「濱匠」(名古屋市中区)であったので出席しました。
  
O.H会長になって初めての総会を控えて24年度以降の会長方針を出席役員に話し、役員の任期を
  4年にして4年間は全力で頑張る気持を皆さんに伝えて了解を求められました。
  私は引き続き副会長としてゴルフ部の部会長を引き受ける事になりましたが、腰痛を抱える身で
  ゴルフが何時まで出来るのか分かりませんがそれまではやる事にしました。



 4月3日(火)
  天気予報では発達した低気圧が日本海を通過するので荒れた天気になると言われていました
  が、
午前6時に12℃と暖かい朝で午前中は雨が降ったりやんだりでしたが、三重や静岡では波浪
  警報が出ていました。
  家内はお茶の先生が中部国際空港からフィンランド航空でヨーロッパに出発するので大丈夫だろ
  うかとや心配していましたが午前10時30分に予定通り出発していました。昼前からは風が強くな
  り、時折、叩きつけるような雨も降り、まるで台風のような感じで中部空港線も運転見合わせにな
  ったので午前中の出発で良かったと思いました。
  家内が晩御飯の買い物に行かなければと言うので、強風の中を出か
  けましたが、幸い、その時だけ雨が小降りだったので助かりましたが、
  家に着いて暫くすると大降りになり、その後、2時間ばかりは嵐のよう
  でしたが、ニュースでは各地の様子を伝えていましたが、日本海側で
  はトラックが横倒しになるような突風も吹いたようでした。
  低気圧が過ぎた午後5時過ぎには雲間から太陽が顔を出しました。
  家内が
「こんな時は虹が出るかもしれない。」と言っていたので外を
  見ると本当に大きな虹が出ていたのは驚きでした。

 昨日からの暖かさで我が家の前の
”一本桜(富士寿司の桜)”がやっと咲き
 ました。虹の写真を撮りに行った時に良く見たら2、3ヶ所の小枝の先に花が
 咲いているのが分かりました。
 例年ですと3月末に咲き始め4月5日頃に満開になる事が多いのですが、今
 年の開花はここ数年では一番遅いと思います。名古屋市内でも
鶴舞公園
 
名古屋城もやや遅れ気味で今週末が見頃だとニュースで言ってましたが、
 7日(土)にある
上の孫のmn実ちゃんの入園式もそうですが、今年は入学式
  も満開の桜の中でやれそうなので親子にとっては良い思い出になると思います。



 4月2日(月)
  家内はいつも通り実家の義母の所に出かけましたが、今日は月1回のお医者さんにも連れて行か
  なければ成らないので大変だと思います。
  私は午前9時からの
「中国語同好会」の東部公民館使用の申込みに高蔵寺
  の東部市民センターに行きました。毎月1日に申し込むのですが1日が土日
  ですと月曜日が申込み受付日になるので4月は2日になりました。
”東部公
  民館”
では50数団体が登録しているので会場に早くついても申込み受付
  は抽選なので順番によっては1時間半以上かかる事もあります。
  私も今日はくじ運が悪く42番目だったので受付が終わったのが午前10時
  過ぎていました。
  帰りにここ数日、腰の調子が悪いのでいつも行く
「皿貝接骨院」に回って治療を受けてテーピング
  をしてもらって帰って来ましたが、朝は2℃と寒かったのですが、昼過ぎには暖かくなっていたの
  で、今日あたり我が家の前の
”元富士寿司の桜”が咲いているかなと思って見ましたが、うっすら
  とピンクにはなっているのですが開花はまだのようでした。



 4月1日(

  いつの間にか今日から4月です。寒かった2月、3月も昨日の朝が14度で今朝は3度と今の時期特
  有の気温の変化が続いているので体調の維持が大変です。
  それでも一時ほどの肌を刺すような寒さは無くなり、春本番も真近になっているようです。我が
  家の庭も遅まきながら
、白、ピンクの椿が今が盛りと咲き誇り、ここ数年、日当たりが悪いので
  葉っぱだけが出て花が付かなかった
スイセンが今年は数輪咲きました。
  
  
ボケはもうすぐ真っ赤な花を咲かせそうで、赤と白のハナズオウもあと少し咲きそうです。ムスカ
  リ
はあちらこちらで紫の花を咲かせ、上の孫のmn実「ブドウみたい!」と喜んでいました。
  
  夕方、娘一家が母子の入園式の洋服を買って南区に帰って行きましたが、
mn実ちゃんが今週末か
  ら始まる幼稚園での集団生活に早く馴染んでくれると良いと思います。

  
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