5月31日(水)
今日で5月も終わりですが、8日間も旅行をしていると、1ヶ月があっという間の感じがします。家内は第1水曜日
が休みだったので、今日はお茶も日本画もあるので、フルタイムの一日だと言って、午前9時過ぎにクルーズの
お土産を持って稽古に出かけて行きました。
私は家内に頼まれたクルーズの写真をプリントアウトしましたが、途中でL判の写真用紙が無くなったので、他の
買い物も兼ねて、午前10時過ぎから買い物に出かけましが、久し振りに行った「ケーズデンキ」が内装を一新し
ていたのは知りませんでした。
午後3時から市民プールに行きましたが、月末のせいか、人が少なくて、ゆったり泳げて良かったのですが、以前
にも思った事ですが、もう少し、皆さんが利用すると良いと思いました。
5月30日(火)
午前10時から「初めての韓国語」の3回目があったので出席しました。今日は何故か欠席者が多くかったのです
が、偶然なのか、1,2回で挫折したのか分かりません。
羅先生は私達に一生懸命教えてくれるのですが、私の場合は片耳しか聞こえないので、発音が上手く聞き取れ
なくて、間違って聞いている事が多く、表音文字のハングルは聞き取りが大切なので、自分でふりがなを付けて
覚えるしかなさそうです。努力しないで分かるようになりたい思う方が虫が良すぎると思いますので、時間が
出来れば、予習復習をしっかりやらなければと思っています。
今日も母音と子音を組み合わせた文字を習いましたが、覚えてしまえば簡単だと思いますが、完全に読み方を
覚えても、単語が覚えられなければ、意味が無いので、記憶力が無くなった私達には大変だと思いますが、この
講座の間に少しでも覚えられたらと思っています。
午後2時半から「東海岡山県人会」の決算書の監査をする為に名古屋の事務所まで行きました。もう一人の監事
のK.Fさんと2人で書類に目を通し、捺印して監査は簡単に終了しました。監査が終わってからO.H会長から県人
会の事を聞くと、今の事務所は来月出る事になっているが、次の事務所が決まっていないのが頭痛のタネにな
っていると言ってました。30分程話して事務所を出てから、K.Fさんと久し振りだからお茶を飲もうと「コメダ」に
言ってお茶をしました。K.Fさんは私より5歳も若いのですが、右ひざと左足踵が長く歩いていると痛くなるので
困っていますと言ってました。津山市出身ですが、大学受験で岡山浪人時代に私の母校の補習科という塾という
か予備校のような施設に通っていた事もあり、和菓子屋「翁軒」の”調布”が好きで、「翁軒」が私の友人のT.M君
の店だと分かって、一層、親しみが湧いて、会えば良く話をするようになりました。
1時間程、昔話をして別れましたが、来月の岡山県人会の総会はK.Fさんが欠席なので、私が監査報告をする事に
なったので、申し訳ないと言ってましたが、只、読むだけですから気にしないでくださいと言っておきました。
5月28日(日)
クルーズの疲れがあったのか、目が覚めたら、午前7時半過ぎでした。朝食後、家内に言われて庭を見ると、シモ
ツケがピンクの花を咲かせ、青紫で八重のクレマチスが咲いていましたが、クルーズに出かける時は小さな蕾
だったシャクヤクは花が終わっていました。レモンやゆずは小さな実が付いていている物があり、何とか落ちず
に大きくなってほしいです。一方、梅の実はかなり大きくなっているので間もなく収穫出来る思います。
    
今日は”春日井クリーン作戦”の日なので、午前8時30分のサイレンを合図に家の周辺と言っても側溝を綺麗にし
、その後は担当地区の三角公園に行って、公園の大掃除ですが、今の時期はまだ雑草も少なく、落ち葉を集めな
がら、近所同士やゴルフ仲間と最近の団地内の話題や情報を聞く場になりましたが、私と同じ年で心房細動の事
で相談され、その後が気になっていたO.Nさんと会い、状況を聞くと、薬を飲みながら安定した状態が続いてい
て、たまにゴルフにも行ってると聞き安心しました。
午前9時50分に終了のサイレンが鳴り、”春日井クリーン作戦”は終了しましたが、家に帰ってお昼を食べ終わった
頃にクルーズのスーツケースが届きました。中の洗濯物を出したり、着なかったシャツやズボンを整理して、私の
仕事は終わりですが、家内の方は、それから、大量の洗濯物がありますからもう一仕事です。
午後3時から家内が「お茶の時間ですよ。」と言って、徳島で一生懸命歩いて探し
て買った「澤鹿文明堂」(徳島市富田橋4-55-5)の”澤鹿”をお茶うけに出してく
くれました。
家内が店の中の雰囲気が良くなかったから、どうかなと心配していましたが、案
に相違して、中々のお菓子だと思いました。
一見、小豆の蒸しパンのような感じに見えますが、小豆と山芋のしっとりした生
地の蒸し菓子で、甘さもあっさりした感じで、中に大納言小豆の粒が入っていま
す。”澤鹿”の名前は中のしおりに「さざ波の 澤面にうつる 小鹿かな」という
句から来ているようです。
午後4時から久しぶりに市民プールに行きましたが、今頃の時期で日曜日とあって、多くの家族連れが来ていま
したが、25mプールのスイミング専用コースは、それ程、人がいないので、何とか500m泳いで、40分の逆流ウォ
-キングをして帰ると、裏のYさんの息子さんが釣ったばかりのマサバとゴマサバを1匹づつ持って来て、マサ
バは刺身で食べられると言ったので、早速、家内に下ろしてもらって日本酒と一緒に食べたら最高でした。
5月20日(土)~5月27日(土)ダイヤモンドプリンセスの「新緑の九州と四国・韓国8日間」のクルーズに行って来ま
した。今回のクルーズは昨年7月の「北海道・サハリンクルーズ」に行った時に申し込んだものですが、まだ先だ
と思っていましたが、いつの間にか出発の日が来て、夫婦そろって出かけられる事はお互いが元気で過ごせた
お陰だと感謝の気持ちになるクルーズ旅行でした。
20日(土)午前5時半過ぎに起きてPGAのゴルフ中継を見ましたが、石川遼選手は今回も予選落ちで、あと、5回
の出場試合で来年のシード権を獲得するのは難しいと思いました。
午前6時過ぎに家内が起きて来て、朝食後、ゴミ出しをしてからスーツケースを玄関先に置いてからは午前9時10
分のバスの時間まではする事が無いので、家内は庭の草抜きをしていましたが、私は旅行前に腰を痛めたら、元
も子も無いので、テレビを見て時間を潰しました。
午前9時10分発のバスで春日井駅に向かい、中央線で名古屋駅へ、午前10時9分発のひかりで新神戸に着き、新
神戸から地下鉄で三ノ宮に行き、そこからポートライナーで神戸ポートターミナルに午後12時に到着しました。
2年ぶりの神戸ポートターミナルですが、前に来た時にやった乗船手続きの記憶が薄れていましたが、長い行列
を見て少し思いましました。指定された番号の受付に行き、Eチケットとパスポート、健康状態質問票にクレジット
カードを出して手続きが終わり、クルーズカードを貰って、そのまま出国したのですが、次は乗船前に簡単な荷物
検査があって、初めて乗船デッキを通って「ダイヤモンド・プリンセス」に乗り込めました。
   
B519キャビンは11階の真ん中より少し後方の右舷側にありました。船室に入り、去年と同じ造りの部屋だと確認し
、バルコニーに出て見ると、船の前方も後方も同じ位に見えたので、中央に近い部屋だと思いました。目の前の
神戸ポートターミナルや神戸市内もよく見えて、クルーズ出発には申し分ない日だと思いました。
   
先に宅急便で送ったスーツケースはまだ着いてい無かったので、先にお昼を食べる事にして14階の「ホライズン
コート」に行きました。この船にも3回目になるのでメニューもある程度分かっているため、適当に取って食べまし
たが、私達の座った席が入口に近く、何気なく壁に貼ってある地図を見たら、今回の航路が描いてあり、瀬戸内
海を通るようになっていたので、スタッフに確認すると、間違いなかったので、家内と2人で大喜びしました。
部屋に帰ると私のスーツケースが届いていたので、整理をしましたが、今の時期は温度の変化が分からない為、
長袖、半袖を適当に詰め込んでいたら、1週間分で良いはずが2週間分も入っていると家内が呆れていました。
午後3時からJTBの乗船説明会が7階前方の「クラブ・フュージョン」あったので参加しました。今回のJTBの参加
者は300名程度と言ってましたが、来ている人のクルーズカードを見ると、1回目のブルーの人より2,3回目のゴ
ールドや4,5回目のルビーのカードの人が目につくという事はリピーターの人が多いのかなと思いました。
午後4時からは船の催事の中心になる5階「アトリウム」で”鏡割りセレモニー”あるので、そちらに移動して見学
し、航海の無事を祈って日本酒を頂きました。
   
午後4時45分からは船に乗ると必ず参加する必要がある”緊急避難訓練”があり、部屋にいて警笛音が鳴ったら
、船室にある救命胴衣を持って指定された緊急避難場所に行き、30分程度、船の遭難時の緊急避難脱出の方法
や救命胴衣の着かたを教えてもらいました。
 午後5時半前に終わり、部屋に救命胴衣を置きに帰ってから、
今回の夕食会場になっている「インターナショナル・ダイニン
グ」に行きました。私達が1番だと思ったら既に1組のご夫婦
が先に来ていました。その後、もう1組のご夫婦が来られ、自
己紹介で奈良市のS山さん、大阪富田林のH川さんと分かり
ました。8人掛けのテーブルで残った2人の方は今日は席に着
かれませんでした。話を聞くとS山さんやH川さんも私達と一
緒で3回目のクルーズと言ってましたから、同じような人を相
席にするのかなと思いました。
午後7時過ぎに食事が終わったので、その足でプリンセスシアターに神戸伝統芸能ショー「木村優一&太鼓楽団
大地の会」の和太鼓ショーを見に行きました。太鼓は名古屋で義妹もやっていて、春日井市も”転輪太鼓”という
各地の大会で優勝している団体がありますが、私は和太鼓の音はいつ聞いても、聞いている人を引き込む力が
あると思っていますが、今夜の和太鼓ショーも聞いていると、力が湧いて来る音だと思いました。
21日(日)午前4時50分に目が覚め、バルコニーに出て見ると、丁度、朝日が出て来るところでした。日の出の時
間が午前4時54分になっていましたからグッドタイミングでした。日曜日とあって釣り船が沢山出ていたので、ど
の辺を航行しているのかと思って家内と話していたら、隣の船室の方が「まだ神戸沖ですよ」と教えてくれまし
た。隣の方はK畑さんと言われ、神戸に住んでいて、自分の住んでいる所を海から眺める事が無いので、今回の
クルーズは楽しみですと話していました。
神戸港を出て間もないせいか、パイロット船が側についていましたが、いつの間にか姿が見えなくなりました。
午前5時半過ぎに「明石海峡大橋」の下を通過して間もなく「あれが明石の天文台です。」とK畑さんに教えてい
いただき、神戸と明石の境目になっているそうです
午前6時過ぎに「ホライゾンコート」に朝食を食べに行き、サラダとゆで卵など軽く食べましたが、普段がリンゴ
半分とトーストパン1枚なのでお腹いっぱいになりました。旅行に出ていつも思う事ですが、私達も日頃の食事よ
りは沢山食べる事が多いのですが、他の人の皿の上を見て、あんなに沢山食べられるのかと思います。
   
朝食後、船内を散歩しましたが、卓球台で卓球を楽しむ人やプールで泳ぐ人、朝から日光浴をする人等、過ごし
方は千差万別だと思いました。私達は先方の15階デッキに行き、瀬戸内海の景色を楽しみましたが、本当に島の
多い所だと思いました。瀬戸内海は昔から海の交通の要所でしたから、その影響なのか、貨物船やフェリーとす
れ違う事も多く、小さな釣り船や漁船が航行するのですから10万トンを超える様な大型客船の航行にはかなり
神経を使うだろうと思っていたら、難所と思われる所を航行する時は”エスコート船”が前方を航行し、小さな船
がいると注意して避けてもらったり、コースを変えてもらったりして露払いの役目をするそうですが、その為に
1時間数万円というお金を”エスコート船”に払うそうです。大型船の航行も狭い所を通過するのは大変です。
午前9時半頃、子供の時に宇高連絡船や臨海学校へ行く船の中から見た大槌・小槌の島の間を通過しましたが、
昔、先生から、何かの物語で、大昔、岡山と香川の境界を決める時に樽を流したら大槌島と小槌島の間を通った
ので、それが境界になったと言う話を聞いたのが懐かしく思い出されました。他にも地図では小さい時に親戚同
士で海水浴に行った小豆島や男木島(鬼ヶ島)、小学校の臨海学校で行った豊島や本島の近くを通過したので
すが、小豆島以外は良く分かりませんでした。
   
午前9時50分に「瀬戸大橋」の下を通過しましたが、船では一番高い18階のスポーツコートから見ると、中々の迫
力でした。当然、船の高さや橋の下の高さ、潮の干満も分かって通過しているから心配は無いと思いますが、近
くで見ると心配になりました。
「瀬戸大橋」の通過を見た帰りに通りかかった「エアロビクス・スタジオ」前で”足裏診断”というのをやっていた
ので、家内と一緒に足裏のスタンプを取って貰って、健康状態を見てもらう積りでしたが、10人位の足裏をスタ
ンプで取って、1人の女性のスタンプを例にカカトの修正靴底を1足199ドルで売る為の催しだったので、スタンプ
だけ貰って部屋に帰って来ました。部屋に帰ってから昨日から調子の悪い室内テレビの調整を頼みに行くついで
にパソコンを「インターネット・カフェ」に持って行って、100分69ドルのコースを選びました。
午後12時過ぎに「ホライゾンコート」でお昼を食べに行き、食べ終わる頃にもうすぐ”しまなみ海道”の「来島海
峡大橋」ですと案内があったので、もう一度、18階のスポーツコートまで行きました。「来島海峡大橋」は自転車
で渡る人が多いと聞いていましたが、船から見ると橋の上で大勢の人が手を振っていたので、日曜日でサイク
リングで橋を渡っている人達かなと思いました。
   
 今日は午後4時から乗船3回目・4回目の人達だけを招待する
”ウエルカムバックパーティ”がプリンセスシアターであるの
で参加しました。家内は今日のドレスコードがフォーマルなの
で、夕食の時間も考えて、着物を着て行くと言うので、私も
背広に着換えて行きました。プリンセスオーケストラやプリン
セスシンガーズの演奏や歌の後、抽選会があり、4人の人に
シャンパンや無料サービスの権利がプレゼントされましたが
、残念ながら、私達には幸運が舞い降りて来ませんでした。
午後5時前にパーティが終わり、5階のアトリウムに来ると、
午後7時からの”ウエルカムパーティ”の”シャンパングラスタワー”が完成していたので、家内と2人で記念写真
を撮って貰いました。
 午後5時半からの夕食は2日目で全員が揃い、改めて、自己
紹介をしましたが、新しく同席した方は滋賀県甲賀市のN川
さんで昭和18年3月生まれでした。奈良市のS山さんが同じ
昭和18年生まれの3月で、富田林のH川さんが昭和19年2月
で私が昭和19年1月ですから、偶然とはいえ同じ年代が揃っ
た感じです。女性の方も家内が昭和23年ですが、他の奥様
も似たような年代かなと思いました。
夕食はメインは家内が”フィレ肉のグリル”で私が”シュリンプ
ダニエル”にして他に”田舎風ファルファッレパスタ”を2人で
シェアする事にしました。フィレ肉もシュリンプもそれぞれ2人で少しずつ分けて食べましたが、味は良いと思い
ました。ファルファッレパスタと言うのが何か分からず注文したのですが、出て来たのはペンネだったので意外で
したが勉強になりました。
午後7時前に食事を終わってから、皆さん早々に”ウエルカムパーティ”の”シャンパンウォーターフォール”に参加
する積りで5階アトリウムに向いました。私は、去年、一度参加したのでどうでも良いと思っていましたが、家内が
参加すると言うので一緒に行列に並びました。午後7時からレストラン総支配人のルイージ・パスカーレの主導で
”シャンパンウォーターフォール”が始まりました。20分程経って、私達の順番になりましたが、今年は総支配人の
肘を支えるだけで記念写真を撮ったので、何となく物足りなさを感じました。パーティの途中で船の幹部の紹介
がありましたが、去年、クッキングショーをやった総料理長のパオロ・メリオも6階から手を振っていました。
   
ウエルカムパーティを30分程で切り上げて、午後8時からのプリンセスシアターであるハーモニカ奏者「アイデ
ン&クリス・メイ」によるバラエティショーを見に行きました。ハーモニカだけで観客を飽きさせないようにする
のは大変だと思いますが、世界チャンピオンに2度輝いたと言うだけあって、なかなか見事な演奏を聞かせてく
れました。
22日(月)今朝は午前5時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きてバルコニーに出ると、太陽は水平線の少し上
に登っていましたが、なかな見事な日の出の景色だと思いました。
どの辺を航行しているのかなと思って陸地を見ると、大きな煙突が見えるので、山口県の徳山とか宇部辺りか
なと思いました。午前7時頃に朝食を食べて部屋に戻って一休みして、午前8時過ぎに関門海峡に近づいたので
船前方の16階プラチナバーの上にある展望所に「関門海峡大橋」通過の様子を見に行きました。
   
午前8時15分に通過したのですが、私達のいる場所の少し前が船の一番高いマストの様なものが建っているので
すが、それが橋げたの下にぶつかるかと思うくらいギリギリを通ったので、見学に来ていた人達も感心していま
した。午後からの「船の物知り博士になろう」と言う講座で質問すると、元日本丸の山下船長と言う人が船の高
さとか橋桁の下から海面までの距離、潮の干満、風の強さによる波の高さを計算して1mの余裕があれば船長は
通れると思うそうですが、今日の場合は2m位の空間があったと思うと話してくれました。
「関門海峡大橋」を通過すると、間もなく、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘で有名な「巌流島」が見えてきまし
たが、小さな島で今では公園になっていて、遠くから二人の決闘シーンの銅像が見えました。
関門海峡は本州と九州の間にある狭い海峡で直ぐに通過すると思っていたら、実際にはS字になっていて、通過
するのに20分以上掛かり、本州側には、以前、旅行で行った展望所や下関タワーが見え、九州側には門司の街並
や昔の八幡製鉄所の高炉の煙突が残っていたりして船でしか分からない事が多く、今回、瀬戸内海から関門海
峡を通れたのは本当に良かったと思いました。
   
お昼を食べて、午後1時30分から教養講座「船の物知り博士になろう」に行きました。講師は元山下汽船の船長
だった東さんと元日本丸の船長の山下さんでしたが、実際に話したのは瀬戸内海通過の時に船内放送で説明を
していた東さんでした。話の内容は主に船の構造や種類の事で、私が聞きたかったのは、長い海上生活の中での
体験談やダイヤモンド・プリンセスの話だったので、話の途中で私も含めて何人かの人は寝ていたようです。私
は最後の質疑応答で関門橋の通過の件で山下船長が自分の体験談を話してくれたので満足しました。
   
午後3時頃に韓国釜山港に入り、午後3時半に「ガンマン・コンテナターミナル」に着岸しました。釜山には施設の
整った旅客ターミナルもあるそうですが、この船は大きいのでコンテナターミナルにしか着けないそうです。
私達は現地ツアーに申し込んでいるので、午後4時に集合場所の「ホイールハウスバー」に行き、手続きをして順
番を待ち、船内に設置されている韓国入国手続きをしてギャングウエイ(下船口)から釜山港に降りました。
私達の申しんだ”梵魚寺とチャガル市場ツアー”は午後5時に港を出発し、北の方に50分程走ると山の中腹にある
「梵魚寺」に着きました。「梵魚寺」は新羅時代の678年に創建された韓国5大寺院の1つで、秀吉の朝鮮征伐の時
にほとんど焼失し、当時の物は三層石塔だけで、本殿は朝鮮王朝時代に再建された建物ですが、山の中腹にある
お寺だけに雰囲気は良いと思いました。
   
午後6時40分にお寺を出発し、市内にあるロッテホテル横の免税店に案内されましたが、車中で中年の女性ガイ
ド辛さんのCCクリーム以上に韓国で人気になっている化粧品の”マジッククッション”の話を聞き、最初にその商
品の売り場に行きました。試しに1人の女性がやってもらうと顔の半分をやった所とやってない所の差がハッキ
リ出たので、家内をはじめ、かなりの女性が買っていました。
午後8時に免税店を出て、「チャガル市場」を見学しましたが、ここは韓国最大の水産物市場で色々な魚貝類が
扱われているそうです。時間があれば、1階の店で買った物を、2階に持って行って調理してもらって食べる事も
出来るそうですが、今日は時間の都合で見学だけですと言われました。実際に中に入って見ても、魚やカニ等の
種類が沢山ある割りには明るくて清潔な感じで時間があれば食べたいと思いました。
   
値段も日本の半分程度の感じでした。午後8時40分頃に市場を出て、船に戻ったのは午後9時頃でしたが、港に出
ていた土産物店にも特に買いたい物も無かったので、少し見て、船室に戻ってから夕食に行きました。「ホライゾ
ンコート」も時間の割にはツアーから帰ってきた人でごった返していました。
23日(火)目が覚めたら午前5時過ぎででしたが、そのまま起きて、旅行記の整理をして、午前6時半頃に家内が
起きたので、午前7時から朝食に行きました。午前7時10分頃に長崎港の入口にある「ながさき女神大橋」を通過
しましたが、14デッキから見ると感じませんでしたが、18デッキにいたら、橋桁までの高さ65mと言ってましたか
ら、きっと、関門海峡橋と同じようにギリギリで緊張感があったと思いました。
午前8時に長崎港「松ヶ枝埠頭」に着岸しましたが、長崎港には「ダイヤモンド・プリンセス」を作った「三菱重工業
長崎造船所」があり、船にとっては故郷に帰って来たという事になります。
午前9時過ぎから入国手続きが始まると言うので、午前9時15分に集合場所の「サボイ・ダイニング」に行き、順
番に下船し、入国の手続きをして長崎の街に入りました。
   
「松ヶ枝埠頭」は直ぐ近くに「大浦天主堂」や「グラバー園」がありますが、私達は最初に「大浦天主堂」に行きま
したが、ここの正式名は「二十六聖殉教者天主堂」と言うそうで、1597年に殉教した日本二十六聖人の為に捧げ
られ、1865年に完成したもので国宝に指定されています。中に入ると中央祭壇の奥にステンドグラスの十字架上
のキリストがあり、向かって右には信者発見のマリア像、左にはイエスズ聖心像があり、信者席に座るとカトリック
の信者ではありませんが敬虔な気持ちになります。隣には旧羅典神学校があります。
「グラバー園」は前に行ったので、今回はパスして「長崎竜馬の道」を通って、「オランダ坂」に行きました。ここ
は、かって外国人居留地だった所で、昔は外国人の事を”オランダさん”と呼んでいて、多くの”オランダさん”が
石畳の坂を歩いていた事から名付けられたそうです。
   
さらに少し歩くと、右に「唐人屋敷跡」という大きな門があり、説明書きを読むと、昔は唐人屋敷があったそうで
すが、今では奥の方に4つのお堂が修復改築されて残っているそうですが、見学には行きませんでした。
午前11時15分頃でしたが、直ぐ近くに「長崎新地中華街」があったので、お昼を食べる事にして、中華街に向いま
した。中華街の真ん中辺りには修学旅行の中学生がたむろして、肉まんやごま団子を頬張っていましたが、私達
はチャンポンを食べる積りで店を探しましたが、味は分からないので、外から見て、お客さんが多い店が無難だ
と思い、満席に見えた中国菜館「江山楼」に入りました。店に入ると待っている人がいて、10分程、待たされて席
に案内されました。メニューを見ると、チャンポンも皿うどん(細麺・太麺)も特上1,500円、上1,000円、並800円と
同じなので、どうせ長崎で食べるならと私が特上チャンポン、家内は細麺の特上皿うどんを注文しました。店員
に聞くと、麺の量と味は一緒で具材の質と量で決まっていると言ってました。
   
待っている人が多かったので、時間が掛かると覚悟していたら、10分程で出てきました。チャンポンの方は具材
は良いと思いましたが、スープの味は私の好みの名古屋のチャンポン”たなべ”の方が良いと思いました。皿うど
んはこの店は少し上品な感じで味も良いと思いました。
午後12時に店を出て、鎖国時代にも唯一外国との交流があった、「出島」に行き、2000年から復元事業が進んで
いる出島を訪れました。明治期の「旧出島神学校」(1878年創立:日本最古の神学校)と長崎内外クラブは別とし
て、現在は16棟の建物が復元され、今は表門橋を復元工事中でしたが、箱根の関所と同じで、歴史の1ページに
出て来る所を当時の姿に復元して見せる事は歴史の勉強にもなり、良い事だと思いました。
   
午後1時に出島を出て、世界遺産「軍艦島」正式名は端島(はしま)に行く予約をしている「高島海運」に歩いて行
きましたが、途中で市電や不思議な”大波止の鉄玉”を見ました。受け付けをして”誓約書”を提出しました。
出発が2時で乗船開始が午後1時40分なので、近くのコーヒー店で一休みしてから、乗船に指定されている乗船
桟橋に行くと、修学旅行の中学生に団体と一緒だと言われました。
午後2時に軍艦島上陸船「ブラック・ダイアモンド」は出港し、停泊中の「ダイヤモンド・プリンセス」や三菱長崎造
船所第2ドックに入っている”自衛艦あきづき”や世界一と言われているドックを見ながら、午後2時30分に高島に
上陸し、ガイドの方からこの地区の歴史と軍艦島の概要を聞き、資料館を見学しました。軍艦島にはトイレが無い
為、ここでトイレを済ませ、午後3時に再び乗船し、軍艦島に向かい、最初は島を外から周遊し、「軍艦島」と名付
けられた地点と思われる所から写真撮影をしました。
   
  
午後3時半に上陸しましたが、今日は1年間の中でもベストテンに入る静かな海で皆さんは運が良いと言われまし
たが、私も乗船する前に酔い止め薬を飲みましたが、確かに飲まなくても大丈夫の感じでした。
この島は1890年に三菱の経営になり、狭い島に人口が増えて、1916年に日本最初の鉄筋コンクリート造りの高層
住宅(30号棟アパート)が建設され、最盛期には約5,300人が住み幼稚園から中学校まであり、商店のほか映画
館やパチンコ屋等娯楽施設も揃っていたそうですが、岩の島の為、木々が無いため、PTAなどがアパートの屋
上に土を運んで花や野菜を育て、日本初の屋上菜園だったそうです。石油が石炭にとって代るようになり、1974
年1月15日に閉山になり、4月20日には無人島になったそうです。
   
 当時の事を知る方から聞いた話や思い出をガイドの方が話し
てくれましたが、何十年か振りに戻って来た元住民が廃墟を
見て、写真も撮らずに帰ったとか、只、黙って見ていたと言う
話は修学旅行の中学生にはピンと来ない話が多かったと思
いますが、年配の私達には身につまされる物がありました。
午後4時20分に島を出発して、帰る途中、日本最古(1869年)
のドックと言われている「小菅修船場跡」を遠くから見ました
が、150年前作られたと思うと機会があったら行って見たい
と思いました。午後5時に長崎港に帰って来て、そのまま、2
km近くを歩いて船まで戻りましたが、ダイヤモンドプリンセスが真正面から見られるとは思わなかったので、歩
いてきて良かったと思いました。
今日の夕食は”クラブシャック”という29ドルで新鮮な魚介類の蒸し料理を楽しむ催しを申し込んでいて、午後8
時からのシーティングなので、それまで船室で休憩しましたが、疲れて、いつの間にか寝ていて、目が覚めたら
午後6時過ぎでした。バルコニーに出て見ると船は既に岸壁を離れていて、歓送の高校生のチアダンスが小さく
見える程度でした。家内がプリンセスシアターの「プロダクションショー」を見てから食事に行こうと言うので一
緒に行きました。午後7時半にショーが終わって出て来ると、丁度、レディスナイトの抽選会寸前だったので、家内
も参加しましたが当たりませんでした。
   
午後8時に会場に行くとまだ食べている人達もいて、時間が掛かる料理かと思っていたら、人出不足なのか、料
理やデザート、ドリンクの段取りが悪くて時間が掛かっていたようです。私達が前菜とスープを飲み終わって、メ
インを待っている午後8時45分に隣の部屋のIsi川さんが帰る所でしたが、午後6時30分からのシーティングと言
ったので、2時間以上も掛かったのかと驚きました。
私達の時には順調にメインで頼んだ”ロイヤルズ・ミックス・スチーマー”(カニ・エビ・貝・野菜の蒸し料理)が出て
来ましたが、日本と違ってカニの身を取りやすいように包丁を入れる様な処理はしていないので、自分で殻を
切るなり、割るなりして食べなければ駄目なので時間が掛かるのは仕方がないかなと思いましたが、味の方も
少し、塩辛い感じがして日本国内のカニ料理店にはかなわないと思いました。
   
午後9時半に食べ終わり、会場の「ホライゾンコート」を出ると、14階デッキで「ズンバ・デッキパーティ」が開かれ
ていて、音楽に合わせて沢山の人が踊っていましたが、私は部屋に帰ってシャワーを浴びたら、2万歩近く歩い
た疲れがドッと出た感じで、家内がシャワーから出て来るのも知らずに寝てしまいました。
24日(水)午前6時半に目が覚めましたが、昨夜の疲れが残っていて、眠気がありましたが、バルコニーに出て見
ると、丁度、宮崎県「油津港第9号岸壁」に近づき始めた所で、午前7時に着岸する予定になっています。
もう少し寝ていたいと思いましたが、無理に起きて、午前7時に朝食を食べに行きました。朝食メニューも色々あ
りますが、何時も似たような料理を取るのは仕方がないのかなと思います。食べる前は今まで食べていない物
を食べようと思うのですが、いざとなると、自分の食べたい物を選ぶのは人間の本能のような気がします。
   
疲れた体に鞭打って、午前8時40分に油津港第9号岸壁に下船し、シャトルバス(5ドル)で油津駅まで行き、そこか
ら飫肥駅にバスか電車で行く予定でしたが、バス停に様子を見に行くと、丁度、来たバスが臨時バスで「飫肥城」
まで行くと言うのを聞き、そのまま乗車しました。
午前9時40分に「飫肥城」駐車場に着き、案内所で飫肥市内の7つの施設を見学できる入場券が610円だと言わ
れ、直ぐに購入しました。最初に「豫章館」に行きましたが、ここは明治2年に元藩主伊東裕帰が飫肥藩知事に任
じられて移り住んだ場所で、邸内に有った樹齢数百年の大楠にちなんで「豫章館」と名付けられたそうです。縁
側に座って庭を眺めるとなかなか趣きがありました。
   
次に「大手門」から入り、昭和54年に全国各地の資料を参考にして建てられた武家屋敷「松尾の丸」を見学しまし
たが、ここには蒸し風呂があり、九州ではここでしか見られない逸品との事でした。続いて「飫肥城歴史資料館」
や日本外交の基礎を築いた明治の外交官小村寿太郎を顕彰した「小村記念館」、飫肥の商人「旧山本猪平家」、
「旧高橋源次郎家」等を見学しましたが、私の印象に残ったのは本丸跡に立っている樹齢80年程度の杉林です。
「癒しの森」と命名され、ここから眺めるとすぐ下にある飫肥小学校や飫肥中学の生徒にとっては城跡の中にあ
るというのは、そんな遊び場は滅多にないので最高の環境になっていると思いました。
   
午前11時40分に飫肥城の駐車場に戻ると、数人の人が並んでいて、油津行きは臨時バスも定時のバスも来ない
とぼやいていましたが、やっと、午後12時18分の油津行きのバスが来たので、全員、そのバスに乗り込みました
が、満員でドアの開閉もままならない状況で、地元の人達にとっては大きな迷惑に他ならないと思いました。
来る時の臨時バスは直行で20分程で来ましたが、帰りの普通のバスは所々で地元の人が乗り降りするので40分
近く掛かり、午後1時前に油津バス待合所に着きました。油津の駅前にはシャトルバスが待機していて、直ぐに乗
れて、10分程で港に着きました。部屋に戻り、荷物を置いてから午後1時半頃にお昼を食べに行きましたが、夕食
事も考えて、軽く、そうめんを食べました。
今夜は2度目のフォーマルナイトだったので、私は1度目と同じ背広ですが、家内は違う着物を着て出かけました。
私達は2日連続夕食のテーブルに来ていなかったので、他のメンバーとは久し振りの再会という感じでしたが、
皆さんからもいろいろ話しかけられ、隣の甲賀市のN川さんは弁護士なので現役という事になり、ご本人は自由
業だから休みも自由に取れますと言ってました。料理の方は朝の船内のモーニングショーで司会の「ミキコ」が
ロブスターと大きなシュリンプが好きだと言ってたのでメインは”ロブスターテールと大エビの網焼き”を家内も
私も注文しました。前菜は久し振りにエスカルゴがメニューにあったので”ブルゴーニュのエスカルゴ”を頼み、家
内は”カニ、貝柱、エビのティアン”を頼みました。デザートは”チョコレート・ジャーニー”をシェアーしました。
   
夕食後、私達恒例の同じテーブルの人達との記念写真を撮りましたが、家内の隣の富田林のH川さんの奥さんは
いつも目をつぶった写真しかないのとぼやいていたそうですが、確かに3枚撮った写真の内2枚は目が閉じてい
ましたが、1枚は綺麗に撮れていました。
   
午後7時に夕食が終り、今日はプリンセスシアターで”ダニエル・カ”の「マジック&イリュージョン」があるので、
家内が早めに行こうと言うので、30分前に行きましたが、マジックを好きな人が多いのか、既に前の方の中央部
はほとんど埋まっていたので、私達はやや後ろの見やすい席に座りましたが、午後8時前には満席で立っている
人も結構いました。マジックショーそのものはテレビなどで良く見る、椅子が空中に浮かんだり、当人の瞬間移動
でしたが、いつ見ても不思議だなと感心します。午後9時前に終わり、部屋に帰ってから、旅行記や写真の整理を
しようと思って始めると、30分もすると眠くなり、午後10時前に寝てしまいました。
25日(木)午前6時過ぎに目が覚め、表を見ると曇っていたので、雨かなと思って、バルコニーに出て見ると、雨
がポツポツ降っていましたが、傘がいるかどうか位の雨でした。午前6時半過ぎに着岸予定の「高知新港第七埠
頭」に近づきましたが、岸壁では地元の人が雨の中を大漁旗を振りかざし、歓迎の意を表していました。
午前7時に「ホライゾンコート」に朝食を食べに行き、サラダと玉子とハムのマフィンを食べましたが、冷めてい
たので、いまいちでしたが、焼き立てなら美味しいだろうと想像は出来ました。
   
午前9時前に下船し、シャトルバスで”はりまや橋”に向かいました。午前9時半頃に”はりまや橋”近くのバスセン
ターに着き、船内からインターネットで予約していたニッポンレンタカーに行き、車で最初に「龍河洞」に向いまし
たが、心配した雨もポツポツのままで、渋滞も無く、午前10時40分には「龍河洞」に着きました。
「龍河洞」は国の天然記念物で全長4kmの内1kmが見学できるそうです。中に入ると、思ったより通路が狭くて、
私でもかがんでやっと通れるような所が何カ所かあるので、外国人のツアーだと入口で断られる人もいると思
いました。石花殿とか雲の架け橋、飛竜の滝、王簾の滝と色々な名前の付いた鍾乳石がありましたが、私が興味
があったのは、ここが弥生時代の住居跡で”神の壺”と名付けられた弥生時代の壺が2000年で鍾乳石に同化し
つつある事でした。何万年後か何十万年後には完全に同化して姿が消えるかもしれませんが凄いと思います。
   
   
午前10時半頃に見学を終り、駐車場に下りて行く途中に「世界珍鳥センター」無料という矢印があったので、寄っ
てみたら、”尾長鶏”をはじめ天然記念物の薩摩鶏や軍鶏などがいて驚きました。そこにいた”尾長鶏”は尻尾の
長さは3m程度でしたが、係の人に聞くと長い物は10m以上にもなり、記録では15mと言うのがあるそうですが、
寿命が12,3年なのにと思ったら、”尾長鶏”は胴毛は抜け替わりますが、尾毛は抜け替わることなく、1年に1m以
上も伸びるそうですから納得がいきました。
午前11時40分に龍河洞を出発し、次に、先日、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」という番組で見た、香南市赤岡にある
「絵金藏」に向いました。ここは”絵師の金蔵”という人の絵が23点収蔵されていて、町興しでこれを起爆剤に観
光客を呼び込もうと頑張っている女性がいて、すぐ横に「弁天座」という昔の芝居小屋まで作ったそうですから
凄いパワーだと思いました。「弁天座」は貸切で中は見られませんでしたが、「絵金蔵」は最初に20分強のビデオ
を見てから実際の絵を見ましたが、薄暗い所に飾っていて提灯を持って見学すると言う事でしたが、絵の内容が
歌舞伎を題材にした春画というか泥絵のような感じなので、演出効果も兼ねてのパフォーマンスだと思います
が、意味はないように思いました。元は狩野派の絵師だけに技術的には素晴らしいものを持っている人だと分か
る庶民の生活を描いた小さな巻物は見ごたえがありました。
   
午後1時まで見て、お昼を何処で食べようかと、そこの人に聞くと、カツオのたたきは無いが、テレビでも出てい
た”中日そば”の「とさや」を教えてくれました。歩いて5分もかからない「とさや」はうどんの出汁のラーメンを
中国と日本の架け橋として考えたそうですが、味は完全に日本だと思いました。
その後、家内がテレビを見ていて「おもしろそう」と言っていた、近くにある骨董店?「おっこう屋」に寄ってみま
したが、この家は本来は「長木屋」という脇本陣だった古民家だったのを廃屋になってはいけないと町民のいら
無くなった物を置いて売っているそうですが、余りにも雑然とし過ぎて手の付けようがない感じでした。店の女
主人が家内にコーヒーを勧めてくれたので、ご馳走になりましたが、訳の分からない内に人が集まって、最後に
記念写真を撮って別れてきました。
   
午後2時過ぎに店を出て、高知市内に午後3時過ぎに着いたので、取り敢えず「ひろめ市場」に行く事にして駐車
場を探して、駐車した場所が、偶然、「ひろめ市場」の屋上でした。下に降りて市場の中に行くとカツオのたたきを
食べている人がいて、羨ましいと思いましたが、時間が中途半端なので諦めて、市場内を散策して、家内は芋け
んぴを揚げている店で”塩けんぴ”をお土産に買いました。
   
レンタカーが午後4時返却になっているので、午後4時半過ぎにバスセンターに家内と荷物を置いて、ガソリンス
タンドで満タンにしましたが、支払ったお金が307円でしたからハイブリット車の燃費の良さを再確認しました。
丁度、午後4時に車を返して、シャトル乗り場のバスセンターまで行き、船に戻ったのは午後4時半でしたが、港に
出ていた土産物屋で糸ワカメが安いと家内は追加のお土産を買っていました。
夕食は今日も皆さん揃っての食事になり、私は”シーフードシチュー”、家内は”豚カツ”を頼み、”レンズ豆のケー
キ目玉焼き添え”をシェアする事にしました。皆さん今日の1日の行き先を話したら、JTBツアーの付いているN川
さんは大歩危小歩危に行かれたそうですが、後の皆さんが「龍河洞」に行ってたのは偶然ですが、面白いと思い
ましたが、さすがに「絵金蔵」に行ったのは私達だけでした。
   
夕食後、午後7時から7階の「エクスプローラーラウンジ」で外人女性落語家の「ダイアン吉日」の落語があった
ので聞きに行きましたが、去年、聞いた時よりも上手になっていると言うか面白いと思いました。
26日(金)午前6時過ぎ、小松島港に近づいた時に珍しく汽笛が鳴ったので、何事かと思って、バルコニーに出て
見ると、パイロット船がすぐ傍を航行していたので、おかしいなあと思っていたら、間もなく、船の前を何十艘と
いう漁船が横切って行くのが見えたので、揃って漁に出発したのか、抗議の意味があって前を横切ったのか分か
りませんが、なかなか見られない光景を見ましたが、午前7時に「赤石岸壁」に無事に着岸しました。
   
午前6時半過ぎに朝食に行きましたが、港を見ても、何もない感じで、テントが何張りかあるのですが、南小松島
駅までの交通手段はどうなるのか心配でした。というのは前日のJTB便りでも船のシャトルバスはありませんと
書いてあり、交通手段はタクシーがありますと出ていたので、朝食後、JTBのツアーデスクに行き、再度、確認す
ると同じ返事でした。取り敢えず、早目に下船して様子をみようと家内と午前8時に下船しました。
歩いて行くと、小松島市役所が巡回バスを出してくれたので、南小松島駅近くを通るので、JR線で徳島駅に行け
る事が分かりホッとしました。巡回バスに乗って待っていると、間もなく出発し、20分程で市役所前まで行き、そ
こから駅まで歩きました。7分程で「南小松島駅」に着き、260円の切符を買い、午前9時発の電車で徳島に向いま
した。電車は2両編成で乗り降りはボタン式で自分達で”開閉ボタン”を押してドアを開けて乗降するのは初めて
の経験でした。
   
午後9時20分頃に徳島駅に着き、「ポッポ街」という駅近くのアーケード商店街を通って寺町に向いましたが、駅
に近い割には完全なシャッター街で開いている店が1,2割という感じで、本当に淋しい感じでした。
「ポッポ街」を出て、10分余り歩くと「寺町界隈」に着きましたが、確かにお寺や神社は多い感じですが、近代的
な建物の春日大社や屋根の部分だけ宝輪になっているコンクリート造りのお寺とか全く寺町という感じはありま
せんでしたが、”宝竜水”という名水の水場があったのが救いでした。
   
次に、歩いて近くの「阿波踊り会館」に行きましたが、実演時間が午前11時からなので、阿波踊りは見学せずに、
土産物を少し買って、家内が雑誌で見た和菓子屋「澤鹿文明堂」を探しに長いアーケード街を通って行きました。
住所が富田橋4丁目となっているのを見て、観光地図で富田橋を探して、近くまで行って、洋品店でおよその場
場所を聞き、近くまで行って、もう一度聞いて、やっと、午前11時前に着きましたが、スマートホンがあれば簡単に
行けたのにと、家内と2人で話しました。
お店はこじんまりした店で、家内は期待が大きかった分、表から見た店構えと店内の雰囲気が違うので、少し、
ガッカリしたようですが、取り敢えず、この店の銘菓「澤鹿」2,160円1本を買っただけでしたが、家内にはお菓子
は食べてみなければ分からないよと言っておきましたが、帰ってからのお楽しみです。
   
次に、地図に出ていた「中洲水産中央市場」が近いので、歩いて行く事にしました。15分程で着きましたが、想像
していたような市場でなく、水産物を中心に小さな色々な種類のお店が10軒位集まって商売をしている感じで、
その中の乾物を扱っている店の主人に灰ワカメは無いかと聞くと、今は灰ワカメを作る灰が無くなっていて、ほ
とんどありませんと言ってました。家内は糸ワカメが100g1200円と安かったので買いましたが、他の野菜や魚の
店も安いのだろうと思いました。
そこから、再び、徳島駅に歩いて向かいましたが、家内も私も流石に疲れて、途中の公園で一休みしてから駅に
行きました。午前11時50分頃に徳島駅に着いたので、お昼を駅ビルの中の徳島ラーメンの「岩田屋」で食べまし
たが、以前、食べた味を覚えていないので、こんなものかなと思いましたが、味噌味の様な醤油ラーメンで独特
の味でした。私達が帰ろうとした時に隣の船室の神戸のK畑さん夫妻が入って来られ、お互い、不思議なご縁を
感じました。
昼食後、午後1時43分の徳島発で南小松島駅まで帰りましたが、帰りの電車は初体験の1両編成でした。駅からは
臨時巡回バスの停留所まで歩き、乗ってからも来る時は直行でしたが、帰りは何カ所か停留所に寄り、クルーズ
の人を拾いながらで、岸壁に着いたのは午後2時半過ぎでしたが、地元のゆるキャラも頑張って、愛嬌を振りま
いていたせいではありませんが、家内は港の店でも糸ワカメが安いと買っていましたが、重さは別としてスーツ
ケースに収まるかなと心配していました。
   
午後3時頃からスーツケースに荷物を入れ始めましたが、私は持って来たシャツの半分は着ないままスーツケー
スに戻しました。季節的に半袖か長袖か分からなかったので、どうしても無駄なものが多くなってしまいます。何
とか午後5時までにまとめて、午後5時半に夕食に出る時に船室の外に出しておきましたが、午後7時半過ぎに帰
って来た時もまだそのままでした。
クルーズで今夜の夕食が同じテーブルのメンバーが揃って顔を合わせるのが最後という事で、お互いの住所や
奥様の名前等を紹介、交換しました。最後の夜の夕食のメニューはハッキリ覚えている訳ではありませんが、い
つも同じようなメニューの気がしました。メインで私は”キンググリップ(白身魚)甘口カレーソース”、家内は”ニ
ューヨークカット牛ストリップステーキ”を注文しましたがどちらも食べた事がある味でした。
最後の夜にふさわしいと言うか夕日が綺麗に見えましたが、本来、徳島から神戸は直線で行けば直ぐですが、船
の場合は理由は分かりませんが、一端、太平洋上に出て、時差のある所まで行き、明日の朝、神戸港に戻って来る
ので、南下する船からは四国沖で夕日が見える事になります。
   
午後6時半過ぎから最終日恒例のレストランスタッフによる”アラスカパレード”があり、我々もナプキンを振って
盛り上げ、最後のデザートに”ベイクド・アラスカ・オン・パレード”を食べて、クルーズ最後のディナーが終わり、皆
さんとはご縁があれば、何処かで会えますねと言って別れました。
部屋に帰って、シャワーを浴びてから、少し、旅行記の整理をしようとしましたが、午後9時半過ぎには睡魔に勝
てず寝てしまいました。
27日(土)午前4時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きて、旅行記の整理をしている内に日の出になり、大阪湾
の向こうの建物の間から見える朝日がなかなか綺麗でした。
午前6時から朝食を食べに行きましたが、思ったより混雑していなくて、下船日の朝の割にはゆっくり食事が出来
ました。それでも、プールで泳いでいる人もいましたが、そのまま、次のクルーズに行く人だと思います。
   
朝食後、部屋に帰り、最後の荷物をまとめてから午前8時前まで旅行記を書いて、時間になったので荷物を持っ
て集合場所の「ヴィバルディ」に行きました。午前8時15分に下船案内が来て、6階の下船口でクルーズカードをチ
ェックして船を出て、昨夜出したスーツケースを受け取り、それと船からの荷物を持って、税関でパスポートと税
関申告書を提出してから宅配便に頼むスーツケースを出して、ポートターミナル3階の出口に行きました。
午前8時半過ぎに表に出ると、新神戸行きのシャトルバス乗り場があったので、少し待って、それに乗って、新神戸
駅まで行きましたが、私達の切符は”ジパング倶楽部”で、”ひかり”しか利用出来ないので、午前9時過ぎ駅に着
いて時刻表を見たら、午前9時29分発のひかり464号があったので、それに乗って名古屋まで帰り、駅のホーム
で夕食用の駅弁を買って、中央線で春日井に着いたのは午後12時10分でした。
   
バスの時間まで30分程あったので、駅前のパン屋「モンシェル」でサンドイッチランチを食べて、午後12時42分の
バスで桃花園の自宅に着いたのは午後1時過ぎでした。家に着いて、早速、買った土産を並べてみて、家内はこん
なに買っていたとはと自分で驚いていました。
今回のダイヤモンド・プリンセス「新緑の九州と四国・韓国8日間」のクルーズは瀬戸内海・関門海峡を通って釜山
に行くコースが魅力で去年の船の上で申し込んだのですが、その後、瀬戸内海が通れるかどうか出発するまで
分からなかったので、通れると分かった時は本当に嬉しい気持ちになりました。
現実に2日目の午前4時50分に目が覚めて日の出を見てから、「明石海峡大橋」、「瀬戸大橋」、「来島海峡大橋」
の下を通り、その間、私にとってはお馴染の小豆島や豊島、男木島、本島の名前を聞き、大槌島・小槌島の間を通
過したのは本当に良かったと思いました。特に瀬戸内海三橋の下を通る時の迫力は船の一番高い所がぶつかる
のではないかと思うくらい近い所を通るので流石だと思いました。3日目の「関門橋」を通り抜け、関門海峡の長
さが思ったより長く、S字になっていた事も印象深い思い出になりました。
それと、同じテーブルのメンバーもほとんど同じ年代で話が通じやすく、皆さん気さくに話されるので、夕食の時
間は楽しいひと時でした。今回のクルーズでダイヤモンド・プリンセスの3つの外国(台湾・ロシア・韓国)の港に行
ったので、一段落という事になるのでしょうか。
船上予約をすれば金銭的メリットが多く、魅力的なのですが、無理に予約して自分達の首を絞める結果になるの
も嫌なので、今回は家内の意見を尊重して予約はしませんでした。
5月19日(金)
今日も気持の良い日になり、私は午前9時半から中部大学の「日中思想比較研究」(大澤肇講師)があったので、
午前9時前に家を出て久し振りに大学に行きました。
今日は「インターネットと社会運動」について聞きましたが、2002年に”岳飛論争”と言うのがあり、これは高級
中学(高校)の歴史教科書で今まで”関羽”に次ぐ英雄として称えられていた”岳飛”が民族英雄ではない、と書
かれた事に対して青年層を中心にしたネットユーザーが抗議し、教科書執筆者への批判が殺到したそうです。
これは”岳飛”が南宋の漢族の武人で金を相手に勝利したのですが、金は女真族で後の満州族は清を建国してい
ますから、南宋(南朝)と金(北朝)の争いは中国の内紛であって、”岳飛”は外国を相手に国を守ったのではない
という解釈から英雄ではなくなったそうですが、900年近く英雄だった”岳飛”を違う解釈にしたのは歴史の歪曲
だと青年層がネットを使って抗議した例ですが、結果は教科書の記述は変わらなかったそうです。
2007年6月に厦門(アモイ)における「PX(パラキシレン)プラント建設計画」でパラキシレンが発がん性が高い
と住民ら1万人がデモしたのですが、この時、当局の情報封鎖を掻い潜って携帯電話やネットを使ってデモの参加
を呼び掛けたのですが、”散歩”という言葉でみんなが集まり、1万人になったそうですが、結果として市政府は
計画を中止したそうです。(*パラキシレン:ポリエステルの生産材料)
このように最近の中国ではネットを使って世論を左右する事が多くなり、ある程度豊かな青年層が中心に愛国主
義(ナショナリズム)を煽ったり、腐敗撲滅運動や不正義に反応したりしているようです。政府も党や政府批判で
なければある程度までは黙認し、問題になりそうだと圧力をかけるのが常套手段になっているそうです。
午後からは「坂下パソコン同好会」に行き、今日は”ハイパーリンク”について教えてもらいましたが、こういう方
面は皆さんあまり馴染みが無いので、K.N先生の言う通りにやってもうまくリンクがはれない為に時間切れにな
り、次回、改めて挑戦する事になりました。ソフトがどんどん更新されて、便利になったり、逆に不便になったりす
る事もあるので、私も訳の分からない現象に困りましたが、出来ないからと言って、差し迫って、使う予定も無い
為、ボツボツやって行こうと思っています。
夜は明日(土)から27日(土)までのダイヤモンド・プリンセス「新緑の九州と四国・韓国8日間」のクルーズの最終
確認をしましたが、家内も3回目になると慣れもあって、忘れ物があっても何処かで買えば良いと言ってました。
5月18日(木)
朝から雲一つない爽やかな天気で、風も微風で気持の良い日でしたが、日中は汗ばむような陽気になりました。
家内は午前10時から健康体操があるので、集会所に出かけましたが、ボツボツ害虫が出始めたと言ったので、私
は消毒をしましたが、庭を良く見ると、一年の家で今が一番色々な花が咲いていると思いました。
ざっと見渡しても、昔、母の日に次男が送ったクレマチスを地植えにしたものが八重や一重の4種類の花を付け
ています。家内の好きなシロバナシランや上品なオダマキの白い花があちこちに見られ、可憐なヒオウギの花
が目いっぱいに自分の存在を訴えていて、夏シュウメイギクも一面に可愛い花を見せています。他にも家内がお
茶の先生から頂いたシロイトソウも何とか根付いて、白い糸の様な花びらを付けた細長い花が咲いています。
今年はどうなるかと思ったレモンも、去年の様に花が落ちる事は無さそうで、多くの実が付くことが期待できそ
うです。ユズも良く見るとあちらこちらに花が咲いていて、去年よりも沢山収穫できそうです。レモンとユズは同
じ種類かと思って花を良く見ると、レモンの花は花弁が5枚だったり6枚や7枚もありますが、ユズは5枚の花弁が
きちんと付いていました。理由は分かりませんが花としてはユズの方がスッキリして良いと思います。
    
    
5月17日(水)
午前4時半に目が覚めたので、そのまま起きて新聞紙とダンボールをゴミ出ししました。と言うのは今日は日吉
ハイランド俱楽部の”キリンビール杯”があり、ゴルフ仲間と参加する為に午前6時半に出発する事になっていた
のでゴミ出しと朝食を早めに済ませておこうと思ったのです。
6時20分に近所のK.Kさんと一緒に集合場所に行き、M.Nさんの車に同乗して出発しましたが、K.Kさんが私の出し
た新聞紙とダンボールを見て、「今日は燃えるゴミ(生ゴミ)の日だよ」と言われて、間違いに気づき、慌てて家
内に電話して持ち帰るように頼みましたが、自分ながら情けなくなりました。
午前7時半にゴルフ場に着きましたが、午前8時7分スタートなので、コーヒーを飲み、パターの練習をして10番か
ら出ましたが、最近の”キリンビール杯”は前半9ホールのダブルペリアで成績を決めるので、なかなか、うまくは
まって良い結果が出ていないので、今日こそ上位に入賞したいと思っていました。
10番ホールから15番ホールまではティショットもパターもまずまずで3オーバーで来たので、あと3ホールを無難
にいけば、期待が持てると思っていたのですが、16番からボギー、トリプルボギー、ダブルボギーで一気に6オー
バーも叩き、スコアの方は45になってしまいました。後半も6番ホールまではそこそこ出来たのですが、上がり3
ホールでOBが2つも出て、連続ダブルボギーで47と言うスコアでトータル92という結果になりました。
ラウンド後、クラブハウスに帰って来ると、既に成績表が貼ってあり、私はハンデキャップが3.6しか付かず、ネット
41.4で78位と言う結果になり、今回も賞には縁がありませんでした。隠しホールは私が3オーバーで来た10番か
ら15番までの全ホールで、私が6オーバーも叩いた上がり3ホールは1つも入っていなかったので、78位も当然だ
と思いました。
5月16日(火)
今日は午前10時から2回目の「初めての韓国語」があるので、「誠武館」の婦人剣道のある家内と同じような時
間に出て、中央公民館に行きました。午前10時10分前に着いたら、駐車場がいっぱいだったので、空いていた公
用車駐車場に停めて教室に行きました。
今日は最初に習った基本母音10音の復習と子音を組み合わせた字の発音を習い、子音の4種類までの組合せの
発音を先生が教えてくれた所で、それまで習った字を主に使った歌を教えてくれました。先生は耳から聞いて発
音するのが一番と言われますが、耳の悪い私にとっては聞き取るのは至難の業ですが、母音と子音を覚えれば
少し読めるようになるので、私に場合は目から覚えるしかなさそうですが、記憶力の衰えも相当なものですから
地道に根気よくやるしかなさそうです。
午後12時に終わって、家に帰ってお昼を食べ終わった頃に、昨日、長女から電話があった、
”母の日”のプレゼントの花が2日遅れで届きました。午後1時半頃に家内が帰って来て、長
女は、いつも、少しでも長持ちする方が良いから鉢植えのはずと言ってましたが、今週末
からクルーズでいないので、次男に水やりを忘れないように言って、枯れないようにしな
ければと思っています。
家内が長女にお礼のメールをしたら、その後、長女から返事があり、弟の次男に花屋にた
た経験があるから、しっかり水やりして枯らさないように言ってくれと連絡がありました。
午後3時から1週間ぶりに市民プールに行きましたが、何故か今日は人が少なく、3時から
4時迄は25mプールでウオーキングコースで歩いている人はゼロで、スイミングコースも私を入れて3人しかいま
せんでしたが、こんな日もあるのかなと思いました。午後4時からは親子水泳教室があったので賑やかになりま
した。
5月15日(月)
昨日、家内の六段合格祝いでワインを飲み過ぎて、早々に寝たのですが、目が覚めたら午前6時半過ぎでした。
午前9時過ぎに長女からSkypeがあり、「遅れましたが母の日のお花が明日着きます」と言って来ましたが、家内
は長女らしいと笑っていましたが、家内は自分よりは婿のnao君のお母さんに送ったかどうかが気になっていた
ようですが、そちらは、昨日、直接渡したと聞き安心していました。
家内は何時ものように義母の所に出かけるからと言って、Skypeの途中、午前9時半前に出かけて行きました。私
は午前中、昨日の事をHPに書き込む整理をしてからウオーキングがてら個人番号カードの申込書をポストに入れ
に行きましたが、風があっても気持ちよく、新緑が目に沁みてウオーキングにはピッタリの時期だと思いました。
午後4時半過ぎに帰って来た家内が、今日、義母の所に行った時に、丁度、お医者さんが部屋に来ていて、認知症
の検査の様な事をやっていたそうですが、お医者さんの質問や話しかけに義母は面倒くさいのか、目を閉じたま
まで返事もしなかったのですが、お医者さんが3つの言葉を言ってみてと言った時に義母がスッと行った時には
家内も義妹も驚いたそうですが、後の話にはほとんど返事をせず、目を閉じたままだったので、お医者さんはど
ういう判断をするのかなと思ったそうです。
5月14日(日)
今日は”母の日”ですが、午後から家内の六段の昇段試験があるので、午前10時半頃に家を出る予定にしていた
ら、東京の長男から母の日のお花を贈ったからと電話があり、その後、3歳の孫のkm花と代わりましたが、普通に
話が出来るようになって、こちらの問いかけにもちゃんと返事が出来て、子供の成長の早さを感じました。
 午前10時半の出発時間になっても宅配便が来ないので、次男に受け
取るように頼んで、試験会場の名古屋の「枇杷島スポーツセンター」
に出かけました。午前11時半前に会場に着き、家内を降ろしてから私
は名古屋駅周辺出来た高層ビルを探索したいと思って、”ミッドランド
スクエア”近くの1時間300円のコイン路上駐車をして、最初に”大名古
屋ビルヂング”に行って見ました。地下1階と3階にレストラン街があり
、1,2階に三越伊勢丹や専門店が入っているようでしたが、昔のイメ
ージは全く無くなっていて、以前に入っていた店もあるかも知れませ
んが、私の知っている店は無くなっていました。地下1階で少し行列が出来ていた店があったので、何かなと思っ
っら、柳ケ瀬の「ツバメヤ」だったので、折角だからと思い”黄金わらび”(10切入869円)をお土産に買いました。
 次に”JRゲートタワー”に行きましたが、こちらの方は人がいっぱいで
エレベーター乗り場では整理員が出て、乗客を制限していました。
私はワンフロワー毎にチェックしようと思い、エスカレーターを利用し
て12、13階のレストラン街に行きましたが、2階から8階までは高島屋、
9,10階にビッグカメラ、11階にユニクロとジーユーが入っていました。
レストラン街でお昼を食べようかなと思っていましたが、着いた途端
に各店の行列を見て諦めました。
37店舗あり、その内、33店舗が東海地区初出店という話題のレストラ
ン街だけに日曜日の行列は当然だと思いましたが、隣の”JRセントラルタワーズ”のレストランも39店舗あるそう
ですから、お客の立場からは選び放題ですが、これからの競争を考えると、76店舗にとっては大変な競争になる
と思いました。
隣の”JPタワー名古屋(KITTE名古屋)”にも行きたかったのですが、時間が無くなったので、駐車位置まで戻り
、改めて、300円を投入し、昼食をミッドランドスクエア4階のそば処「沙羅餐」で”天ぷらと二八蕎麦”1,240円を食
べました。偶然、カウンター席の一番端の席で蕎麦を茹でるのが良く見えたので、ゆで時間を計ったら、お湯に入
れて15秒でザルで掬いながらかき混ぜ、30秒で上げて直ぐに冷水に晒していました。以前、蕎麦打ちに凝ってい
たパサテンポ氏が「細切りなら30秒」と言ってたのを思い出し、彼の蕎麦が懐かしくなりました。出て来た蕎麦
は細切りで喉越しが良く、前に食べた時にそばつゆが少し舌を刺す感じがあったのですが、今回はまろ味があり
、私好みで美味しいお蕎麦とバッチリかみ合っていました。
午後2時前に車に戻り、家内が終わるのが午後3時頃だと思うので、「枇杷島スポーツセンター」に戻り、車の中
でひと寝入りして、午後3時前に館内の試験会場に行くと、丁度、家内の立ち合いが始まる所でした。
 昇段試験は2人と対戦して、勝ち負けは別として技や打ち込み方を見
るそうですが、今日の家内は1人目はいまいちでしたが、2人目は私
が見ても、今までで一番良いと思いました。
終わってから家内が出て来て、会った時にその話をすると、家内も同
じ様に感じていて、2人目は上手く出来たが、1人目の人は勝手が違っ
て失敗したと言ってました。
暫くして、結果発表があり、見に行った家内が出て来ないのでどうし
たのかなと思っていたら、最後の方に出て来て、「やった!」という
顔をして、そのまま、形の試験会場に向かいました。
今回は同じ「誠武館婦人剣道」のE.Yさんも一緒に合格し、見に来ていた、いつも指導し
て頂いているK.M先生も2人一緒に合格して本当に良かったと喜んでいました。
私自身、家内の「六段試験合格」という結果は考えてもみなかったので、家内の顔を見
て、こみ上げるものがありました。8年前に五段に合格した時にはこれで終わりと家内
も考えていたのですが、3年前、女性で77歳で7段に合格したO.I先生から何時までも
挑戦しなければ駄目と言われ、貴女が申込まないなら私が出すからとO.I先生に背中
を押され、受験資格の出来た2014年5月から挑戦を始め、6回目という予想外の早さで
合格出来たのは不思議な感じです。今回、家内の相手をした大阪の男性も一緒に合格
しましたが、その人は36回目で合格したと言ってましたから、10回、20回と受験している人も沢山いる様でした。
家内は「誠武館館長」で市長の伊藤太先生に最初に報告し、その後、帰りの車の中から同じ誠武館のH.K先生や
T.S先生、婦人剣道仲間の皆さんにメールや電話で報告していましたが、その間にもあっと言う間に合格の知ら
せが伝わり、メールや電話でお祝いが来ていました。
今朝、試験会場に行く途中、家内が、先日、K.M先生から「貴女は日頃の行いが良いので運が良ければ合格できる
かもしれませんねと言われた」と言ったので、私が「健康体操のお別れ会でアフタヌーンティーをやって良い事
をしたから合格出来るかもね」と冗談を言ったのが、まさか、本当になるとは夢にも思いもしませんでした。
午後5時半頃に家に着くと、長男からの”母の日”のプレゼントのお花が届いていました。毎年
の事ですが、今年の母の日は家内にとっても忘れられない母の日になったと思います。
夜は本来なら外食でもしてお祝いをする所ですが、日曜日で混んでいるし、家内が家で簡単
にお祝いしましょうと言うので、夕食の時にスパークリングワインで乾杯して祝いましたが、
家内も次男もグラスに口をつける程度なので、私が一人で飲みながら話しましたが、家内に
とっては今回の合格は嬉しいのは当然ですが、一番嬉しかったのは8年前の五段の合格で、
嬉しさが3ヶ月位続き、思い出しては嬉しさに浸っていたそうです。
今回の六段合格で嬉しさがどれくらい続くのか分かりませんが、少なくとも今週末からの
”ダイアモンドプリンセス「釜山クルーズ」”は気持の良いクルーズになるのは間違いなさそうですが、そんな話
をしている内にワインを1本空けてしまいました。
5月13日(土)
朝から雨の降る日になり、昨日の暑さが嘘のような肌寒い日になりました。午前9時過ぎにモスバーガーの店に
行くと、いつものメンバーがいて、一昨日の日吉ハイランド俱楽部の「ロイヤル会」でM.Nさんが先月に続いて連
続優勝した話題が出ていました。私は昨日の県人会コンペの話をして、ハーフで2アンダーの34を出した人がい
ると言うと、ゴルフ仲間も驚いていました。プロやアマチュアのローハンデの人なら分かりますが、一般のゴルフ
ァーで34というスコアは余程の事が無いと出ないと誰でも思っているからです。
午前10時前に解散して家に帰り、来週20日(土)からのクルーズ用のスーツケースの回収を午前中にしてあるの
で、私と家内のスーツケースを玄関に出しておいたら、午前10時半過ぎに佐川急便が回収に来てくれました。
午前11時半頃に次男も一緒に3人で「個人番号(マイナンバー)カード」用の証明写真を撮りに行きましたが、1枚
しか必要なくても4枚800円というのは高いような気がするので、1枚300円位にして、必要な人は枚数を追加す
るシステムにしてほしいと思いました。「個人番号カード」も申請書は1年以上前に来ていましたが、本当に必要か
かどうか疑問だったので、そのままにしておいたのですが、昨日、証券会社から連絡があり、個人番号をぜひ登
録してくださいと言って来たので、それなら、家族3人分を申請しようと思い写真を撮りに行ったのです。
午後4時半過ぎに家内は「誠武館」に出かけ、私は午後6時から団地安全協議会の役員会に出かけ、引き続き、天
気が回復したので夜間パトロールをしましたが、今日の参加者は日中の天気が悪かったので、パトロールが中止
になると思って欠席した方もいるのか、いつもよりは少ない参加者でした。
5月12日(金)
今日は「東海岡山県人会ゴルフコンペ」が”明智ゴルフ俱楽部かしおゴルフ場”(岐阜県川辺町)であるので出席し
ました。高速道路を使わず、国道41号線を通って行くので、午前8時半集合でしたが、渋滞があると困ると思って
、午前6時半過ぎに家を出て、尾張パークウエイを走り、善師野ICから国道41号線に出て走ったら、心配した渋滞
も無く、午前7時半過ぎには”かしおゴルフ場”に着いていました。
今日の組合せは幹事のY.Mさんが年齢順に組んだので、73歳の私は4組中3組目の午前9
時14分のスタートで、74歳のK.Tさん、70歳のK.Nさん、69歳のK.Aさんと一緒でしたが、私
とK.Nさんはゴールドマークから打ちましたが、74歳のK.TさんはK.Aさんと同じ白マークか
ら打ってスタートしました。
今年4回目のゴルフでしたが、アウトは今日もティショットが良く当たり、2打目もうまく打
てて、パターも1m位のパターがほとんど入ったので、上がった見たら41というスコアでし
た。インに入っても13番までは1オーバーと良かったのですが、14番で短いパーパットを外
してからパターがおかしくなり、3パットが3回も出て、終わってみたら、43でトータル84と
いう結果になりましたが、それでも、最近のベストスコアでしたから自分なりには満足のいくラウンドでした。
成績の方は優勝が幹事のY.Mさんでアウト40、イン34のグロス74、ハンデ3.6でネット70.4という驚異的なスコア
を出し、私はハンデが8.4しか付かず、ネット75.6で7位でしたが、賞品には縁がありませんでした。
5月11日(木)
昨日の夜も雨が降ったらしく、朝起きて新聞を取りに行くと路面がまだ濡れていました。家内は午前5時半頃から
起きて、「アフタヌーンティー」の用意をしていましたが、昨夜もチョコレートケーキやアップルケーキを焼き、今
朝も抹茶ケーキやスコーンを焼いていました。
 サンドイッチも大きなお盆2つに出来ていて、フルーツポンチもこれか
ら作るらしいので疲れが出なければ良いと思いますが、来た人に喜
んで貰いたいという家内の気持ちは分かるので止められません。
と言うのは、前にも書きましたが、健康体操仲間のY.Aさんが夫婦で
名古屋市天白区のマンションに引っ越しする事になったので、家内が
自分で健康体操のお別れ会として「アフタヌーンティー」をやる事に
なり、それが健康体操のある今日の午後になり、参加者が16人にな
ったそうですが、我が家の居間と食堂を使っても、やっと、全員座れ
るかどうかだと思います。
私は午前10時から「東部中国語同好会」があるので、午前9時半に家を出るまで、庭にパラソルを立てたり、物置
から予備の椅子を出したりして手伝って出かけました。中国語が終わってから、その足で「エアポートウォーク」ま
で行き、フードコートの「リンガーハット」でチャンポンを食べてから、「ミッドランドシネマ名古屋空港」で久し振り
に日本映画「無限の住人」(木村拓哉主演)を見ました。この映画を見る積りで行ったわけではなく、たまたま、時
間が合ったから入ったのですが、今日は木曜日でレディスデーのせいか、女性が沢山入っていました。
映画自体は中味のストーリーや特殊撮影に見所がある訳ではなく、ただ、キムタクファンには賛否両論が出る様
な殺陣の連続でエンターテイメントとして楽しむだけなら良いと思いました。
夕方、家に帰ると家内が「疲れたあ・・」と言って横になっていましたが、顔は満足そうでしたから、参加した皆さ
んが喜んでくれたのが分かりました。
5月10日(水)
昨夜からの雨も朝には止んでいましたが、空はどんよりした曇りのままで、今にも降りだそうな日になりました。
午前9時過ぎに家内はお茶の稽古に出かけたので、私は給油がてら車の洗車に行きました。この所、黄砂が飛ん
でいるせいか、先日の引き戸の研磨をした木の粉なのか分かりませんが、車が黄色っぽく汚れている感じだった
ので、洗車機に掛けてスッキリしました。
この所、鼻炎がひどくなって、毎朝、鼻水が止まらくて、ティッシュペーパーを3、4日に1箱位を使っている感じに
なっていたので、午前8時半過ぎに「坂井耳鼻科」に予約をしたら73番でしたから、午前11時半に病院に行くと、
丁度、65番の診察中でした。20分程待って診察になり、先生に鼻炎の薬をお願いして、アレルギー用の吸入をし
てもらいました。処方箋を持って薬局に行くと、昨日の「石川内科」もそうでしたが、「坂井耳鼻科」も薬は全部、
ジェネリック薬品を使うようになっていました。私達、患者にとってみれば効果が一緒ならば、安い方が良いのに
決まっていますから、どちらが良いか聞かれると、ジェネリックを選ぶと思いますから大手薬品メーカーも特許
が切れる前に新薬を開発しなければ、特許が切れてしまえば沢井製薬の様なジェネリック薬品メーカーに売上を
奪われるので大変だと思います。
5月9日(火)
午前10時から市民講座の「初めての韓国語講座」の第1回目があるので、午前9時半に家を出て、会場の中央公
民館に行きました。受付に行くと定員20名と聞いていたのですが、随分、多くの人が来ていると思ったら、最初
の館長の挨拶で本来は20名だったのですが、先生の好意で申込者34名全員を受け入れましたと言ってました。
 先生は”羅 今雅(ナ グマ)”と言う女性で、1963年生まれで、1996年
に来日し、子供が20歳になるそうです。
羅先生は講義が始まって直ぐに、出席者に自分の名前を”ハングル”
で書いて自己紹介するように日本語のハングル表記した表をくれま
した。そもそも、”ハングル”というのは「韓国語の音を表わした表音
文字」の事です。私はいきなりの事で戸惑いましたが、講座名と違い
、参加している人のほとんどが初めてではないらしく、私の隣にいた
男性は20年位前から始めていて、途中、時々中断していたのですが、
先生の言ってる事は分かると言ってました。今日が初回という事で先生の方も歌を交えたり、冗談を言ったりし
ながら、一生懸命に教えてくれたので、私の方もこれから少しでも勉強して韓国時代劇を楽しめる様になりたい
と思っています。
午後3時から市民プールに行って、午後5時過ぎに出て来て、家に帰る途中に「石川内科クリニック」に行きました
が、先月、行ったのは午前中でかなり混んでいましたが、今日はそれ程でもありませんでした。それでも、30分程
待たされ診察になり、血液検査の結果を聞きましたが、今までと大して変化はなく、クレアチニンが少し規定値
より高く続いているのは腎機能低下だから、飲んでいる薬を考えて、水分をしっかり取って排尿を促し、腎臓に負
担を掛けないように心掛けて下さいと言われましたが、ただ、今のままの生活でも20年間は大丈夫ですと言わ
れたので、神経質にならなくても良いと思いました。
5月8日(月)
家内はいつもの様に義母の所に出かける予定でしたが、義妹から電話があり、孫が熱を出したので、病院に行っ
てからになると連絡があり、待ち合わせ時間を遅らせ、家内が買い物をして施設で落ち合う事にしていました。
私は午前10時過ぎに今月20日からの「釜山クルーズ」の新神戸までの新幹線の切符を春日井駅まで買いに行き
ましたが、駅前の改修工事が未だに終わらないのはどうしてかなと思いました。
と言うのは、去年の10月に橋上駅舎と自由通路が完成した後は駅前の整備工事だけのように見えるですが、そ
の後、整備工事が進展している様子がほとんど見られず、工事が何時終了するのか、説明書きがあれば納得して
我慢できますが、何もないので気になります。
午後12時過ぎに家に帰ると、昨日の続きで次男が引き戸の研磨をやっていましたが、私が「いい加減で良いよ」
と言うと、次男は「もう少し残っているから」と言いながら続けていましたが、小さい時から図画工作が苦手な
私からすると、好きでないと出来ないと思いました。
 午後4時過ぎに家内が義母の所から帰って来たので「持って行っ
た写真の反応はどうだった」と聞くと「今日は寝てばかりで駄目
だった」とガッカリしていました。
実は先日、家内が出窓に可愛い”かごめかごめ”の木目込み人形
を出して来て飾ったので、どうしたものと聞くと、昔、義母が作っ
たと言ったので、さっそく、写真に撮って印刷しました。
顔の表情が実に可愛い人形だったので、私は写真を義母に見せ
れば、何か思い出して話すかもしれないと、家内に写真を持って
行くように言ったので反応を聞きたかったのですが、どうやら、先週、私が行った時と同じだったようです。少し
でも刺激があればと思いますが、歳をとれば仕方がないのかもしれません。
5月7日(日)
朝食を終わってから、昨日、次男が途中までやっていた引き戸の研磨を少しやろうと思いましたが、今ある80番
の紙ヤスリより、もう少し荒い目ものが欲しいと思い、ホームセンター「コーナン」に行き、探しましたが、サンダ
ーに合う製品が無かったので、普通にある60番の紙ヤスリを買いましたが、同じ紙ヤスリでも裏側が紙と布では
48円と138円で90円も差があったので迷いましたが、試しに両方を買って帰りました。
 家に帰って、サンダーで少しやっていましたが、起きてきた次男が後
はやるからと言うので、私は家内が手作業で細かい所をやっている
戸の方に行き、買って来た紙ヤスリを使って手伝いましたが、使って
見て初めて値段の差が分かりました。裏が紙の方は使っている内に
直ぐに破れて使い物にならなくなりましたが、裏が布製の方は丈夫
で長持ちの上に使いやすく、値段の差が良く分かりました。
肝腎の研磨の方は私が不器用でうまく出来ませんが、サンダーを使
っている次男の方は相変わらず、自分の納得出来るまで仕上げる積
りで、黙々とやっていますが、家内の方は最後は塗装で何とかする積りで、手作業で頑張っていました。
私は作業は2人に任せて午後3時から市民プールに行きましたが、今日も子供達や家族連れが大勢来ていて、ゴ
-ルデンウィーク最終日を楽しんでいました。午後5時過ぎに家に帰る途中に家内からの携帯電話があり、出てみ
ると、上の孫のmn実でした。どうしたのか聞くと、下のnt実が今日はプールに行きたいと言ったのですが、いつ
も行くプールは連休で満員だと思い、娘が人気のあるプールをインターネットで調べると、「小牧市民プール」
が出て来たので、家族4人でプールに行った帰りに次男に連絡し、次男が内緒で来るように言い、私達夫婦にハ
プニングを仕掛けたようです。
私が家に着くと、夕食を食べに焼肉の「後楽園」に出かけましたが、時間が早かったので直ぐに席に案内されま
した。私達夫婦は焼き肉屋に来たのが、上の孫のmn実が生まれる前だったので8年振りでしたが、当時は注文は
従業員に直接頼んでいたのが、今はタッチパネルで注文すれば良いのですから簡単で便利になったと思いまし
た。久し振りに好きな塩タンや上ミノを食べ、生ビールを2杯も飲んで夕食を堪能して、静かだった連休最後の日
に思わぬ出費はありましたが、楽しいハプニングを仕掛けてくれた娘と次男に感謝です。
5月6日(土)
朝食が終わって一段落した午前7時半頃に、我が家の前で、一昨日、ゴルフに一緒に行った近所のK.KさんとI.Kさ
んが車を停めた人と話していると家内が言うので、表に出て見ると、先日まで白内障の再手術で入院していた
M.Mさんが通りかかったので、2人で再手術の事情を聞いていたようです。
私も一緒に話を聞きましたが、M.Mさんは、去年、白内障の手術をして調子は良かったのですが、先月、仕事で左
目を強く打ち、その日は大丈夫だったのですが、翌日、起きたら左目がぼやけて見えないので、あわてて、医者
に行くと、手術で入れたレンズがずれていたので、再手術したそうで、当分は安静が必要だと言ってました。
午前9時過ぎにいつもの様にモスバーガーの店に行きましたが、今日は先日のゴルフでニギリに勝ったK.Kさん
がコーヒーをご馳走してくれました。
午前10時前に解散して、久し振りに「皿貝接骨院」に行きましたが、連休で休みかも知れないと思っていましたが
、暦通りで午前中はやっていました。午前11時半前に家に帰ると、家内は数寄屋門の戸がカビで黒くなっている
ので漂白剤の原液で洗っていましたが、原液が強く過ぎたのか、表皮が剥がれてボロボロになっていました。
家内は紙ヤスリを使って研磨すれば綺麗になると言ってましたが、私は手でやるのは大変
だと思いましたが、お昼を食べている時に、次男が電動のサンダーでやる方が綺麗で楽だ
と言うので、お昼を食べ終わってから3人でホームセンター「コーナン」に行き、サンダーを
含む1台3役が出来るブラック&デッカー社の「コードレスマルチツール」を買って来ました。
早速、次男と家内が機能や使い方の確認をして、次男がサンダーの部品を付けて、木の表
面を研磨し始めましたが、計算外だったのは充電式と言っても、性能は職人さんが使うよう
な物でなく、1回40分の充電で実働11分しか動かないので、2個の充電池では休む時間が出
て来る上に、次男が凝り性で、私達は最後の塗装するから表面がある程度綺麗になれば、十
分だと思っていたのですが、次男は完全にツルツルにならないと自分が納得できないらしく、思ったより、仕事
が進まなかったことです。家内は明日中に研磨だけは終わっておきたいと言ってましたがどうなりますか。
5月5日((金)子供の日
昨日、ゴルフの疲れがあったにもかかわらず、夕食の時に缶ビールと先日のワインの残りを飲んだせいで、午後
9時半過ぎから寝たので、一昨日と同じように今朝は午前4時過ぎに目が覚め、寝られないと思い、そのまま起き
ました。今の時期は日の出は午前5時前ですが、午前4時過ぎると少し明るさが出て来て、午前4時半になるとす
っかり明るくなります。朝刊の配達は午前5時頃なので、それまで、「無尽陶舎」の書き込みをしていました。
朝刊が配達されたので、取りに行くと、雲は出ていましたが、今日も気持の良い日になりそうな感じでした。一面
には名古屋城天守閣の木造復元の件で事業費500億円のうち100億円を寄付金で賄うために、今から寄付を募
るそうですが、個人だけの寄付で100億円は難しいと思うので、法人からの寄付がどの程度集められるかによる
と思ので、名古屋の企業がこぞって寄付すれば達成できると思いますが、どういう結果になるのでしょうか。
午前6時半過ぎに家内が起きて来て、朝食が終わった頃に娘の所からSkypeがあり、上の孫のmn実が「冨士サフ
ァリパーク」の様子を話してくれましたが、本当に楽しかった事が分かりました。やはり、家族旅行は大きくなった
時の思い出になると思うので、何処でも良いから行っておくと、その時の不味かった食事や失敗等の方が記憶
に残っている事が多いので、子供達には色々な経験をさせておくと良いと思います。
午後3時過ぎから市民プールに行きましたが、さすがに「子供の日」とあって、多くの家族連れが来ていましたが
、いつもこれ位賑わっていると良いと思いましたが、年寄りには少し迷惑かもしれません。
5月4日(木)みどりの日
今日は久し振りにお隣のI.Kさんと1軒置いた隣のK.Kさんの3人で日吉ハイランド倶楽部にゴルフに行きました。
私自身、ゴルフを始めてからゴールデンウィークにゴルフをするのは初めてだと思いますが、今まではわざわざ
混んでいる時に行かなくても平日で十分だと思っていたのですが、先日、日吉HCからメンバー優待券が送られ
て来たので、何故だろうと思ってK.Kさんに聞くと、連休は意外とお客が少ないので、優待券を出したらしいと言
われたので、それなら、4日なら渋滞も無さそうだからと、何年かぶりで3人で行く事になりました。
午前6時半に家を出て、国道19号線で瑞浪まで行き、県道に入り、ゴルフ場まで行きましたが、全くスムーズに進
み、ゴルフ場に着いたのは午前7時半前でしたから普段とほとんど一緒の時間でした。
午前8時14分に予定通りアウトからスタートし、天気は文句のつけないような、そよ風の吹く気持の良い上天気で
したが、スコアの方は73歳の私が49で、86歳のK.Kさんが50、76歳で透析中のI.Kさんが58と、全員、納得でき
ないスコアでしたが、それが今の私達の実力だと認めざるを得ないと思いました。
お昼休みの食事は私とK.Kさんは麺類を注文しましたが、透析をしているI.Kさんは何も掛けない素揚げトンカツ
を注文し、調味料は自分専用に作った酢をメインにしたドレッシングの様なものを掛けて食べていましたが、水分
補給も汗のかきかたで調整している様で、そこまで徹底した管理をしているのは凄いなと思いました。
インのスタートは午前11時21分でしたが、10番を終わって、11番ホールに行くと、3
組待っていて、私達がティショットを打つ頃には5組も待っていましたが、その後は
スムーズにラウンド出来、午後2時過ぎに終わりました。結果は私が42とまずまず
のスコアでしたが、K.Kさんは50、I.Kさんは58でアウトと同じスコアでした。
今日はラウンドの途中の12番ホールでは満開の八重桜が私達の目の保養になり、
ヤマツツジもあちこちに咲いて楽しませてくれ、天気の良さを一層引き立ててく
れ、本当に気心の知れた人達との楽しいゴルフでした。
午後3時前ゴルフ場をに出て、別の道を帰る積りでしたが、ゴルフ場の人がそちら
の道は連休で渋滞していると教えてくれたので、来た道を帰りましたが、国道19号線に出ると、土岐市辺りから
車の量が多くなりましたが、渋滞で全く動かなくなる様な事もなく、1時間程で家に着くことが出来ました。昔な
ら近所のすし屋で一杯やる所ですが、お互い健康や歳なのでそのまま解散しました。
5月3日(水)憲法記念日
昨日、ワインを飲み過ぎ早き寝たせいか、午前4時半に目が覚め、寝られそうにないのでそのまま起きました。
今日から本当の意味でゴールデンウィークの始まりですが、娘一家が1泊2日で「富士サファリパーク」に行くと言
ってたので、道路情報を見ると、午前5時現在で東京からの下り車線は渋滞が始まっていましたが、上り車線はス
イスイだったので娘達もスムーズに行けるかなと思いました。
午前6時半過ぎに家内が起きて来た時に娘から電話が入り、午前5時に出発して、今、浜松の手前にいるが、下り
車線は渋滞がひどくて車が動いていない状態だが、上り車線はスムーズに走行できていると言って来ましたか
ら、家内も安心したようでした。
今日も気持ちの良い日だったので、午後2時過ぎから「落合公園」までウオーキングに行きましたが、祝日とあっ
て、家族連れがあちらこちらで弁当を食べたり、子供を相手にバトミントンをしたりして楽しんでいました。午後3
時過ぎに家に着くと、娘からメールがあり、冨士山5合目(海抜2300m)からmn実とnt実の防寒着を着た写真が
送られてきましたが、近くにはまだ雪が残っていて、気温も11度で寒いと言ってましたが、今日明日共、天気が良
さそうなので、子供達には楽しい思い出を沢山作って来てほしいと思っています。
5月2日(火)
朝から気持の良い日になり、家内はテレビで「今日は八十八夜です」というのを聞いて、早速、お茶摘みを始め
て、直ぐに「ボケにアブラムシが付いている」と言ってきたので、午前9時過ぎから庭を消毒をしました。
 1時間程で消毒が終わりましたが、家内のお茶摘みも同じような時に
終わり、今年のお茶の葉の収穫は3枚目を取っても102gしかありませ
んでしたが、一昨年が167gですから、家内が心配しているように木が
古くなってきた証拠かもしれません。
連休の合間ですが、午前11時15分から中部大学の「証券投資」(藤井
辰朗講師)の講義があるので、午前11時前に大学に行き、講義を終わ
って、お昼過ぎに帰って来ると、今年の新茶が28g出来上っていまし
た。一昨年が49gでしたから、茶葉と同じような割合で新茶も出来る
んだと思いましたが、作る家内は、結構、大変らしく、手が真っ黒になるそうです。
午後3時過ぎに市民プールに行きましたが、今日は年に一度の無料サービスの日だったので、得した気分になり
ましたと言うより現実に入場料200円がタダになったのですから得した事に違いありません。
中に入ると、平日にも拘わらず、子供達と一緒に親も来ているグループが多いと思いましたが、学校が早く終わ
ったのか、休んだのか分かりませんが、今日くらいは良いだろうと思いました。
5月1日(月)
今日から5月ですが、ゴールデンウィークの谷間の月曜日ですから学校はあるので、子供達にとっては3日(水)
からが本当のゴールデンウィークという事になるようです。
5月1日の庭は春が一気に来たようにコデマリとオオデマリが満開になり、何故か濃い青と薄い青色のオダマキ
があちこちで花を咲かせています。その傍ではアマドコロが小さな可愛い白い花を連ねて咲かせ始め、センダ
イハギは黄色の小さな花をいっぱい咲かせてアピールしています。
    
家内はいつもと同じように義母の所に出かけるので、今日は久し振りに「名古屋骨董祭」に行く予定もあったの
で私も同行する事にしました。午前9時半過ぎに家を出て、義母のおやつや好物を買う為にアピタ千代田橋店に
行き、ここで義妹と落ち合って、一緒に買い物をしてから昼食を食べ、義母の入所している施設に行き、顔を見ま
したが、チラッと見ただけで反応は無く、家内が大きな声で「makoさんが来たよ」と言っても、1年前なら表情が
変わったのですが、今日は特に変わることも無く、目をつむったままでした。
家内や義妹はいつもの事だと、当然のような顔でしたが、私としては話は聞いてはいましたが、少しは反応があ
ると思っていたので、義母の無反応には内心ガッカリしましたが、92歳で施設に入っている事を考えると、これ
が普通なのかなと思いました。
義母の顔を見て、午後1時過ぎに名古屋吹上ホールで今日から開かれている「名古屋骨董祭」に行きました。去年
の9月以来の開催ですが、今回、行ってみて感じたのは出店している店舗の数がかなり少なくなっていると思い
ました。その為、会場の中央部に広い休憩スペースが出来ていて、疲れたらお茶を飲みながら一休み出来るので
良いと言えば良いのかもしれません。
   
会場内をざっと一回りしましたが、店が少なくなったと言っても、数寄者にとっては掘り出し物を求めて来る事に
は変わりなく、見事な藍染が掛かっている店や古着の店には人だかりができていました。珍しいと思ったのは今
までもあったのかもしれませんが、今回は北朝鮮のミサイル発射の報道があったせいか、軍人用の鉄兜や水筒、
リュック等の専門の店が2店あり、その他、招き猫ばかりの店が出店していた事です。
私の基準からすると、とても商売になるとは思えない様な品物でも、好きな人がいるから、商売になっているの
は本当に世の中の巡り合わせの不思議な所だと思います。まさに”捨てる神あれば拾う神あり”が骨董の極致か
なと思います。
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