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 10月24日(木)~11月3日(

  岡山の兄に誘われて「オーストラリア旅行(エアーズロック・シドニー・ケアンズ)」に行きました。当初は
  兄の友人も誘って行こうと計画したようですが、最終的には2人で行く事になりました。
  
本来は25日(金)出発予定だったのですが、台風27号の影響で関西空港からの出発が危ぶまれたの
  で1日早く出発することになり、24日(金)に出て、1日目はケアンズのホテルに1泊してエアーズロック
  に移動することにしました。

  
24日(木)1日目は午前中、東部市民センターの中国語同好会に出てからお昼を家で済ませて、家内に
  春日井駅まで送ってもらい、関西国際空港に向かいました。午後4時半過ぎに関空に着きましたが、台
  風はまだまだ大東島付近にいるので一日早い出発は早とちりだったのかも知れません。
 午前中、中国語同好会があったので出席してからお昼を食
 べて家内に春日井駅まで送ってもらい、名古屋から新幹線
 で京都に行き、関西空港線「はるか」で関西国際空港に午
 後4時32分に着きました。
 
同行する岡山の兄と午後5時半過ぎに合流してジェットス
 ター航空の搭乗手続きを済ませ、夕食をして午後825
 発のJQ16便で定刻通り出発しました。機内はそれなりに乗
  客はいましたが、空席も目立ったので旅慣れた兄は2列・4列・2列の真ん中の4席全部が空いている
  席を見つけ確保して1時間ほどして横になって寝ていました。私は寝られるかどうかは自信が無かっ
  たのですが、睡眠薬を飲んで2人席に何とか横になるといつの間のか眠りにつき起こされるまで5時
  間はぐっすり寝られました。


  
25日(金)2日目:
現地時間午前5時10分(日本時間午前4時10分)に定刻通りケアンズ空港に到着し、
  入国手続きを済ませ、タクシーで20分程で今日の宿泊先の「パシフィックインターナショナルホテル」
  に荷物を預けて市内のマクドナルドで朝食を済ませました。
朝食後、午前830発の汽車でケアンズ
  駅を出て世界遺産の熱帯雨林「バロンゴージ国立公園」内のキュランダ村に向かいましたが、「キュラ
  ンダ鉄道」
鉱山の物資輸送の為に1891年にに開通した古い鉄道で1067mmの狭い間隔のレールが使
  用されていて客車も1900年代初頭の客車でオーク材が使用されているそうです。

   列車はゆっくりと進み、途中のバロンフォール駅では10分間の停車時間を取って海抜329m落差265
  の”バロン滝”の眺めを楽しみ、間もなく「キュランダ駅」に到着しました。
  

   キュランダには取り立てて何というものはありませんが、ゆっくりとした時の流れを感じながら町を散
  策して地元工芸品やアポジリニアート、ショッピング、食事等を楽しむ感じです。帰りはキュランダから
  スカイレールに乗って熱帯雨林の上を通ってカラヴォニカ駅に着き、タクシーで帰ってきました。
  ホテルに午後2時過ぎにチェックインし、ベッドに横なった途端に寝てしまいましたが、睡眠薬がまだ聞
  いているのかと思いました。午後4時近くまでホテルにいて兄がカジノに行くと言うのでつきあいまし
  たが、私には何が何だかわからないのでスロットマシンを少し楽しみましたが成績はいまいちでした。
  私は一端ホテルに帰り午後5時半過ぎにカジノに行き、兄と一緒に夕食を食べに行きました。
  今夜はシーフードにしようと地元老舗レストラン「バーナクル・ビルズ」にいきましたが、兄はオイスター
  (生ガキ)19豪ドルとバラマンディ(オーストラリアを代表する魚)(34豪ドル)のオーブン焼き、私はオイ
  スターのオーブン焼き(23豪ドル)と伊勢海老ハーフのオーブン焼き(100豪ドル)に地元産ビールを注
  文しました。店は雑誌などに載る店で店員の態度やサービスも良いのですが、値段は日本より高いか
  なと思うような感じでした。
  

  26日(土)3日目:午前5時に起床、兄が岡山から持ってきた桜アンパンを食べて、午前6時前にタクシ
  ーを呼んでケアンズ空港に行きました。20分程で着いたので兄がコーヒーを買いに行ったついでにク
  ロアッサンを買ってきましたが、食べたらお腹いっぱいになりました。
 午前75分から入場開始し、QF1851便は午前725
 (日本:6時25分)に定刻通り出発し、ケアンズより30分の
 遅い時差のエアーズロック空港に午前940分(日本:9時
 10分)の到着、約3時間のフライトでした。
 空港からも「エアーズロック:現地名ウルル」「オルガス:
 現地名カタ・ジュタ」
が見えて、空港も飛行機から降りて歩
 いて事務所に行くような小さな空港で、ここが岩でできた
  2か所の観光だけの所だという事がよくわかりました。空港内の「AVIS」でレンタカーを予約してあっ
  たので、車でホテルまで行きましたが、日本と同じ左側通行で車もほとんどいないので緊張すること
  もなく運転できました。
 午前10時過ぎに今日の宿泊先の「デザートガーデンホテ
 ル」
に着き、すぐにチェックインできたのでホテル内の案内
 図を見ながら自分達の部屋のある棟を探すのですが、私
 達の部屋はプールの近くでプールでは家族連れが泳ぎ、
 芝生で日光浴をしている人が見えました。
 部屋で一休みしてから昼食を
Geckos Caféで食べまし
 たが、メニューを見てもよくわからないのでピザのスモー
  ルとシーザースサラダを注文しましたが、それだけで私達は腹いっぱいになりました。
 昼食後も外は熱いので部屋で休憩し、午後4時過ぎにホテ
 ルを出て、兄が明日の朝陽の写真を撮る場所の確認に下
 見に行きましたが、「ウルルーカタジュタ国立公園」の入園
 料が3日間有効で135ドルも取られました。
 ウルルを一回りしてからもう一か所の岩の観光名所のカタ
 ジュタに行きましたが、こちらも大小36個の岩の塊は見ご
 たえのある風景でした。
  午後5時半過ぎにウルルに戻りましたが、途中で良い撮影場所が見つかったので、そこで夕日に照ら
  されるウルルを撮るために待機していましたが、最終的には夕日が弱くて兄の思う真っ赤に染まるウ
  ルルは撮れませんでした。それでも、初めての私から見ると夕日に染まるウルルの赤い姿を見られた
  上に反対側の45km先のカタジュタが夕日の中で小さく浮かんだ風景はとても満足でした。
  
  午後7時頃にホテルの戻り、シャワーを浴びてからホテルのレストランに行きましたが、予約が無いの
  で断られたので、昼に行った
Geckos Caféで食ベルことにしました。土曜日と言う事でかなり混ん
  でいましたが、何とか席があったので直ぐには座れました。注文は2人で野菜サラダと兄はステーキ
  サンド、私はパスタとビールを注文しました。私のパスタは良かったのですが、兄の頼んだサンドイッチ
  はサンドイッチというよりハンバーガーでその上、肉が固くて悪戦苦闘していました。会計が終わって
  出てきた兄が「これで60ドルは高すぎる。」と愚痴を言ってました。午後9時過ぎに夕食を済ませ部屋
  に帰ると兄は疲れたと言ってすぐにベッドに入っていましたが、私は運転した割には疲れはありません
  でした。

  27日(4日目
今日も午前5時に起きて朝食抜きでエアーズロックの朝焼けの写真を撮りに出かけ
  ました。日の出の時間を確認していないので午前6時過ぎだと想定して午前520分頃にホテルを
  出発して10分もすると東?の空が少し明るくなっていました。
  
  まだ夜明け前の写真を少し撮ってから日の出の名所に出かけましたが、すでに多くの人達が今や遅し
  と待ちかまえていましたが、日の出と言っても直接太陽が出てくるのを見ると言うのではなく、太陽
  が出てきてエアーズロックを照らし出す瞬間を見ると言うのが主な目的です。勿論、地平線の先から
  出てくる日の出も良かったのですが、太陽の光に照らされて映りだされるエアーズロックの姿はやは
  り見のもだと思いましたが、エアーズロックが4回目だという兄は今回の日の出は良くなかったとぼ
  やいていました。彼の思っているシーンは真っ赤に燃えるようなエアーズロックを撮りたいという願
  いがあるのでそれには程遠かったようです。
  太陽が少し上がってから次の場所に移ろうと午前6時半過ぎにその場所を出発してアポリジニの大切
  にしている人間の脳に見える場所や聖地である水のある場所に行きました。ここは砂漠地帯のこの地
  方では珍しく1年中水がたまっている聖地として昔から原住民に崇められている場所だそうです。小
  さな池のような所ですが、小鳥が沢山飛んで来てバードウオッチングが趣味の兄は大喜びでした。
  池に行く途中に昔の点描画が残っている場所で日本人のネイチャーガイドが日本人の団体を案内して
  いるのに出会いましたが、オーストラリアが好きで来て住んでいる人がいるのかなあと思いました。
  
  午前740分頃にエアーズロックの登山口の所に着くとかなりの車が駐車していましたが、登山口は
  閉まっていたので説明書きを読むと、午前8時に管理事務所の人が来て、その日の条件を考慮してOK
  なら午前8時以降に登山が許可になると書いてあったので、今日はどうなのか、午前8時まで待つこ
  とにしました。午前8時になると担当者が来て今日は登山は出来ないと言ってましたが、理由は多分
  風が強くてダメになったと思いました。
 これ以上いても仕方が無いのでホテルに帰り、一休みして
 軽い朝食を食べに行きましたが、ホテルの朝食は128
 ル(2,800円)もするので、「Kulata Academy Cafe」に行
 きコーヒーとトーストで済ませましたが、2人で1,400円で
 済みました。
 朝食後、部屋で過ごして午前1040分にチェックアウトし
 てレンタカーで空港に行く途中でガソリンスタンドで満タン
  に給油したら20リッターで43ドルだったのでガソリンは日本より高いと思いました。
  午前11時過ぎに空港に着き、車を返してチェックインに行ったらシドニー行きのお客が行列していて30
  
分近くもかかりました。ヴァージン航空1628便は現地時間1235分を少し遅れて出発し、シドニーに
  現地時間午後455分に到着しましたが、空から見たシドニーは人口430万人の都会だけあって、高
  層ビルが立ち並び、写真でお馴染みのオペラハウスも見えて素晴らしい景観でした。エアーズロックよ
  りは時差が1.5時間早く実質飛行時間は2時間50分でした。
  
  シドニーは気温が20℃くらいでかなり涼しいというか少し寒い感じでした。空港からホテルまでタクシーで高
  速道路料金も入れて30分かかって55ドルでした。午後5時半に今日から3日間を過ごす「メリトン・サービス・ア
  パートメント」
にチェックインしましたが、大きな1LDKの部屋で自炊も出来るようにキッチンセットから洗濯機ま
  で揃ろっていて、14階からの眺めも良く、岡山の兄も今まででは一番だと喜んでいました。
  

  少し休憩して夕食は兄お気に入りのステーキ屋「フィリップス・フート」に行き、フィレステーキ35ドル:3,500円)
  を食べましたが、この店は肉を注文して自分で味付けをして焼いて食べるシステムなのでかなりリーズナブル
  になっているそうです。日本人観光客にも人気の店らしく私達が行った時にも2組の日本人のグループが食べ
  に来ていました。
  
  夕食後、昔の街並みの残るロックスを散策しながら、港に行き、対岸の”オペラハウス”を見ていたら、いきなり
  花火が上がり、驚きましたが、ライトアップされたオペラハウスをバックに見た花火はほんの一瞬でしたが、印
  象深いシドニーの夜になりました。時間が午後810分でしたが、何のための花火なのか理由もわかりません
  が日曜日の恒例行事なのか、この時だけの何かの記念なのか不思議な花火でした。
  得した気分になったせいでもないと思いますが、帰る途中に兄はカジノに寄ると言うので一緒に行き
ました
  が、日曜日とあってなかなか盛況でしたが、私はスロットマシンで20ドル負けました。午後10時頃にホ
  テルに帰り着いて明日の予定が特にないのでゆっくりしてテレビを見ていたら12時過ぎていました。

  28日(月)5日目:昨日、遅かったので起きたのは午前7時過ぎでしたが、兄は午前8時過ぎに起きてき
  ました。朝食は午前9時過ぎに兄が連れていきたいと言っていたロックス地区の「パンケイクス・オン
  ザ・ロックス」
に行き、”ブレックファーストセット13.5ドルを注文しましたが、ボリュームがありすぎてお
  腹いっぱいになりましたが、それでも食べきれなくて残してしまいました。
  
  その後、昔の面影を残した”ロックス”の街を散策しながら、サーキュラーキー駅を通って昨夜も見た湾
  の反対側にある「シドニーオペラハウス」まで歩いて行きました。シドニーのシンボルの”ハーバーブリ
  ッジ”
も目の前にあり、世界遺産になっているだけのことはあり、大勢の人が見物に来ていましたが、
  コンサートチケットを買いに来ている人たちもいました。
  オペラハウスは1973年に完成し、今年40周年を迎えたそうですが、完成までの経過はデザインした
  デンマーク人ジョーン・ウオッツオンが予算で折り合わず途中で帰国し、その後、3人の建築家に引き
  継がれ14年の歳月と1200万ドルの費用がかかったそうです。4つの劇場とリハーサルスタジオや
  図書館、レストランなどがあるそうです。中に入って見ましたが、会場内には行けなかったのでトイレに
  入ってみるとモダンな手洗いがありました。
  
  その後、オペラハウスの反対側から傍にある王立植物園(ロイヤルボタニックガーデン)を少し散策し、
  タクシーで「フィッシュマーケット」に行きました。ここは魚市場のような所で新鮮な魚介類を売ってい
  る店が調理した魚や伊勢海老、カキ、カニ等を売っていて、そこで食べられるので多くの人達が昼食
  を食べに来ていました。
  私達は朝食が遅いうえに食べすぎていたので、2人で茹でエビ6匹と生かき6個の盛り合わせ18.5
  ル食べましたが会場内には東南アジアからの観光客が多く目につきました。新鮮でおいしかったので
  お腹がすいていればもっといろいろなものが食べられたと思いますがそれが残念でした。
  
  
そこから「ダーリングハーバー」に歩いていこうと歩きましたが、いつまでたっても着かないので途
  中で聞くと、どうやら反対の方向に歩いていたようで仕方が無いのでタクシーを拾って行きました。
  シドニーに来てからタクシーを利用することが多く、1回で1,500円から3,000円くらいかかっている
  のでタクシー代だけでもかなりの出費になりそうです。
  午後3時半頃にダーリングハーバーからタクシーでホテルまで帰ってきました。ホテルで疲れを取っ
  て近くの「チャイナタウン」で軽い夕食を食べることにしました。
  
  午後6時半過ぎにホテルを出て、歩いて5分もかからない所にある「チャイナタウン」は横浜や神戸ほ
  どの規模はなく、通りの両側に何軒かの中華料理店があり、その他は所々に店がある程度でした。私
  達は「龍珠酒樓(NINE DORAGONS)」という店で兄が鳥炒麺19.5ドル、私が蝦湯麺24.5ドルを注文し
  ましたが、値段が高いだけあって味付けはおいしい麺でした。
 夕食後、昼間行ったダーリングハーバーに夜景を見に行くのにタクシーばかりで
 は高くつくので公共交通のバスで行くことにして乗ったら、それが無料バスだっ
 たのは驚きでした。決まった所を循環するバスで何路線かそういうバスが走って
 いるそうです。
 夜景の写真を撮った後は兄は恒例のカジノに行くので私も同行しましたが、ダー
 リングハーバーから歩いて10分もかからないような所でした。私は仕方が無い
 のでスロットマシンで時間をつぶしましたが、いつものように負けましたが、兄は
  少し勝ったようでした。午後9時過ぎにホテルに帰ってきましたがチャイナタウンはまだ賑やかでした。

  29日(火)6日目:午前5時半過ぎに起きて外を見ると少し霧が出ていました。昨日、買ってきたクロアッ
  サンを温めてインスタントコーヒーで朝食を済ませた午前6時頃に兄が起きてきました。
  今日は午前中、シドニー郊外にある世界遺産「ブルーマウンテン」に観光に出かけるので、予約してあ
  ったガイドが午前7時過ぎに迎えに来てくれました。日本人ガイドの勝さんは59歳で日本から留学した
  30年以上前にこちらの女性と縁があって結婚し、以来、30年以上オーストラリアに住んでいるそうで
  す。彼の車のランドクルーザーで我々2人だけの観光ツアーの案内をしてくれることになっていて、す
  ぐに出発しました。西へ100km位の所にある世界遺産に登録されている「ブルーマウンテン公園」
  渓谷美で有名で伝説のある岩”スリーシスターズ”を中心に世界一急こう配のトロッコ電車やケーブ
  ルカーやロープウエイがある「シーニックワールド」で楽しむ半日ツアーです。
  
  午前9時過ぎにブルーマウンテンの中心地カトゥンバに着き、ガイドお勧めのイーグルホークポイント
  からの眺めを楽しんでから、「シーニックワールド」に行き、35ドルで乗車券を購入し、世界一急こう配
  のトロッコ電車に乗りましたが、今年の3月に安全重視の新型の車両が導入され、却って恐怖感が無く
  なったそうです。ケーブルカーからの眺めもなかなか良いと思いました。10時過ぎまで楽しんで帰り
  にカトゥンバの街中を通り、近くのルーラでお茶を飲んでから11時過ぎに出発し、午後12時半頃にシド
  ニー市内に入り、シドニーの中心街シティにある「シドニータワー」の下で降ろしてもらい、ガイドの勝
  さんと別れました。お昼をシドニータワーの6階のフードコートで食べましたが、色々な種類の料理が
  あり、多くのサラリーマンたちが昼食を楽しんでいましたが、私達はタイ料理の焼きそば25ドルを注文
  で作ってもらいを食べました。
  
  昼食後、古いショッピングモール「ストランド・アーケイド」を通って「QVB(クイーンビクトリアビルディン
  グ)」
を見て、歩いてホテルに午後2時半過ぎに戻りました。夕方までホテルで昼寝をしたり、お茶を飲
  んだりして休憩し、午後7時前に夕食を食べに出ました。岡山の兄が今日は日本料理が食べたいと言
  うので近くにあった「冨士屋」に行きましたが、この店はなかなか近代的で料理は画面で注文する方
  式でした。兄は天ぷらうどんを注文し、私は日本酒とおつまみに小エビの唐揚げ、小魚の天ぷら、揚げ
  だし豆腐を注文しました。味は普通でしたが、時間が早いせいかお客もあまりいないうえに日本人は
  私達だけでした。夕食後、今夜も兄がカジノに行くので私も行って今日はコンピューターによるルーレ
  ットゲームをしましたが、ほんの少しだけ勝ちました。午後10時頃にホテルに引き揚げてきました。
  

  30日(水)7日目:午前6時に起床し、兄が寝ているので、隣の部屋でひげそりをしたり本を読んでいる
  内に兄が午前8時過ぎに起きてたのでホテルの前の「スターバックス」でコーヒーとハムとチーズサン
  ドで朝食を済ませました。朝食後、今日はシドニーからケアンズに移動するので10時過ぎにチェックア
  ウトするので、それまでの時間、近所の散策に出かけました。
  
  町を歩いていて目立つのはバスが異常に多いように思いました。ガイドブックなどを見るとうまく利
  用すると安くて便利だと出ているのですが、昨日のガイドの勝さんに言わせるとバスの路線が多くて
  乗るのが難しいので余りのらないと言ってましたが、今朝の街中を見るとバスで通勤する人たちが多
  いことはバスの多さでよくわかります。

  午前1020分に空港までの送迎の車が来ることになっていますが、10時半になっても来ないので心
  配しましたが、20分近く遅れてやっときました。空港までは40分程度で到着、午前11時半前にはチェッ
  クインも終わり、後はすることがないので搭乗口で読書をして時間をつぶし、12時半過ぎにフードコー
  トでタイの麺155ドルを食べ、再び搭乗口で本を読みながら出発時間を待ちました。
  
  ヴァージン航空1421便は定刻通り210分の出発し、ケアンズには現地時間午後420分(日本時間
  :午後3時20分))に到着しました。ホテルまでタクシーで行き25ドルでした。今日から4日間は「ヒルトン
  ケアンズ」
に泊まりますが、兄が初心者の私のために一流のホテルを選んでくれたと思いました。
  ホテルで夕方までゆっくり休憩し、午後6時半過ぎに、夕食を食べにOGビーフがおいしいと地元でも
  人気の店「ホッグス・プレス・カフェ」に行きました。この店はガイドブックにも出ているせいか日本人の
  お客も多く、私達が行った時も地元の家族連れや観光客で既に賑わっていました。従業員も親切で気
  持ちの良い対応をしてくれたのでこちらも気分が良くなりました。300gのステーキ2人前とビールを
  2本飲んで84ドルは安いと思いましたが、食べる事に一生懸命でステーキの写真を撮るのを忘れてし
  まい半分食べてから撮る羽目になりました。
  
  夕食後、ホテルに帰る途中に大橋巨泉のやっている土産物店「OKSHOPがあったので入ってみました
  が、土産物になりそうな品物があったので、後日、来ることにしました。
  兄はホテルに帰る前に隣のホテルがカジノなので寄り道をしましたが、私はホテルに帰ってからシャ
  ワーを浴びてから様子を見に行きましたが、カジノには三々五々と日本人がいてスロットマシンやコン
  ピュータールーレットをやっていました。

  31日(水)8日目:朝6時過ぎに起きてホテルの前のプロムナードを歩いてみましたが、多くのオーストラ
  リア人がジョギングや散歩をしていました。マリーナにはグレートバリアリーフの島々に行くクルーズ船
  の他に立派なヨットやボートが停泊していました。午前7時頃に部屋に帰ると兄が起きてきたので一緒
  に朝食を食べる所を探しましたが、結局、最初の日に食べたマクドナルドでホットケーキとコーヒーにな
  りました。午前8時過ぎにレンタカーの予約をしている「ハーツ」に行き、手続きをして午前840分頃
  にケアンズを出発し、「バリン湖」に向かいましたが、途中には世界一長い曲がりくねった道(16km)と
  して有名な「ギルスハイウエイ」を通って午前10時にバリン湖のティハウスに着きました。
  
  ここは色々な鳥が来る所らしいのですが、季節がこちらでは夏の始めなので多くの鳥は見られません
  でしたが、それでも“ヤブツカツクリ”という鳥が見られたのは良かったと思いましたし、衝撃的だった
  のは注文した”ストロベリーシェイク”のカップの大きさがコーヒーカップの3倍もあり、量も2人で飲ん
  でも飲みきれない量だったのと“ビッグパインツリー”を見に行った森の中で“エリマキトカゲ?”らしい
  野生のトカゲを見られたことです。

   午前10時半過ぎにバリン湖を出て、次に“カーテンフィッグツリー”を見に行きましたが、元の植物に寄
  生したフィッグツリー(イチジクの木)の根がカーテンのようになって広がっていて見事な姿になって
  いました。午前11時半頃にそこを出て、”ハスティーズ湿地国立公園”に寄りましたが、兄によると珍し
  い鳥はいなかったようですが、初心者の私にすれば目にする鳥は全部珍しい気がします。
  
  午後12時半頃に出て、”グラナイト渓谷”ロックワラビーを見に行きましたが、ここは岩場に住むワラ
  ビー(小型のカンガルー)を餌付けしてあり、来た人がワラビーに餌をやってふれあう事が出来るので
  観光客には喜ばれているようで私も餌やりを体験しました。場所が辺鄙な所にあるせいかメジャーな
  観光地ではないようで人はあまりいませんでした。岩場を良く見るとあちこちにワラビーが出入りし
  ているのが分かりましたが、どこに住んでいるのかはわかりませんでした。私はそこでつがいの七面
  鳥を見ましたが、七面鳥がこんなに大きな鳥だとは思いませんでした。
  
  午後2時前にグラナイト渓谷を出て、マリーバに向かいましたが、途中でバナナ園があり、こんな所で
  バナナが出来るのかなと不思議な感じでしたが、看板にバナナ園と書いてあったので間違いないと
  思いました。
  マリーバの町の手前をキュランダの方に向かう途中に「ジャクエスコーヒー園」という看板があったの
  で兄と寄ってみようと午後2時半過ぎに行ってみましたが、期待したようなコーヒー園ではなかったの
  でコーヒーとパンケイキを食べただけでコーヒーは買わずに出てきました。ただ、コーヒー園の敷地内
  に大きなアリ塚が並んでいて珍しい光景を見られたのが良かったと思いました。
  
  コーヒー園からキュランダへの途中で遠くの山から煙りが上がっていたのでこちらでも山火事が起こ
  っているのかなと思いました。オーストラリアでは乾期になると山火事は日常茶飯事なのでオーストラ
  リアの人はあまり気にしてないようです。
 午後4時過ぎにキュランダ経由でケアンズに帰ってき
 て給油をしてホテルで一休みしました。
 午後7時頃に夕食は和食が良いと兄が言うのでガイド
 ブックに出ていた店を探しましたが分からなかったの
 で、お土産屋のOKショップの店員さんが教えてくれ
 た「お茶茶」に行き、兄はヒレカツ定食を注文し、私は
 ビールと枝豆、冷や奴、野菜にかき揚げを注文して全
 部で27ドルでしたから随分安い夕食になりました。

  1日(金)9日目:
午前420分に起床、ひげそりと洗顔だけで午前440分に出発し、バードウオッチ
  ングのためにケアンズから北へ約110kmの”デインツリー”に向かいましたが、兄が110km1時間半で
  走るつもりで予定しているので、初めての道をそれも途中はカーブの多い海岸の道もあるのでかな
  りの集中力で走り、何とか午前615分に到着しましたが、70kmから100kmで走ったのでかなり疲れ
  を感じました。
  
  午前6時半過ぎに地元の若いガイドのマリーの案内でデインツリー川の船着き場を出発しましたが、私
  達の他にはスウエーデンからきている老夫婦とオーストラリア人の1人の5人でした。ガイドのマリーは
  13
歳の時に東京にいたと言うので少し日本語が出来ましたが、ガイドの基本は英語なので全く分から
  ない私は兄の説明で探鳥をしました。今回見た鳥等は以下の写真です。
  
  
  昔買ったニコンの双眼鏡が今回初めて役に立ちましたが、使い慣れていない身には鳥を見つけるの
  がなかなか大変でしたが、それでも珍しい鳥を見るのは楽しいものだと思い、兄が長年、野鳥の会で
  色々な所に鳥を見に行く理由が少しわかったような気がしました。初心者の私にはうまく写真に収め
  ることはなかなか難しいことですが、それでも何羽かの鳥の写真が撮れました。
 2
時間60ドルのコースでしたが、午前9時過ぎまで探鳥
 をして船着き場に戻ってきてから近くの食堂で簡単な
 朝食を食べ、デインツリーを出発し、ポートダグラスに
 向かいましたが、途中のモスマンで以前、兄が鳥を見
 たという製糖工場の近くに行ったら、1本の木に無数
 の”メタリックスターリング”がいて子育てをするのに
 出会いました。兄も「初めて見た」と言ってましたが、
 私自身もあんなに多くの巣が1本の木に作られている
  のは壮観で本当にいつまでも見ていたい感じでした。近くに製糖工場のサトウキビの搾りかすがある
  のでそれが餌になっているのかもしれません。

  午前11時半にモスマンを出て、ポートダグラスに着きましたが、街に入る前にガイドブックに出ていた
  「レインフォレストハビタット」に行きました。ここは熱帯雨林をそのまま野生動物の保護区にした所で
  小さな動物園の感じでいろいろな鳥や動物を見る事が出来ました。
  
  
  1時間程見て、町の中央に行くと車を駐車する場所もなかったので、ただ車を走らせて町の様子を見
  ただけで、以前、兄一家が来たときに義姉のYokoさんが海に落ちたという港の方に行ってみました
  が、兄も記憶がはっきりしないので桟橋だけ見て、お昼はポートグラスから20分程走った所にある兄
  のお気に入りのTHALA BEACH LODGEに寄ってピザとケチャップライスを食べました。
  海の見える食堂に案内されると、すぐそばの木がホテルの作った小鳥の水場になっていて、モスマン
  で見た”メタリックスターリング(オナガカラスモドキ)”が群れていましたが、そこに”レインボウレリキ
  ード
(ゴシキセイガイインコ)”という綺麗で少し大きなインコが来て、自分だけで水浴びをしていまし
  たが、その内、仲良く水場で遊んでいました。
  
  午後2時までそこにいてケアンズに向かう途中で以前、兄一家が宿泊したというリゾート地パームコ
  ーブに寄りましたが、海岸では日光浴をしたり泳いだりしている人もいてオーストラリアも夏が近いと
  思いました。その後、ケアンズに午後3時過ぎに着き、レンタカーを返すためにガソリンを満タンにして
  ハーツに行き車を返して、明日のグリーンアイランド行きのチケットを買いに行き、半日コース(AM8:30
  
PM12:0084ドルのチケットを買ってホテルに帰りました。
  夕方まで休憩し、午後7時頃に夕食を「カフェ・チャイナ」で中華料理を食べようと行きましたが、以前、
  兄が行った時とは様子が変わり、会計でメニューを見て料理を注文をしてお金を払い、番号札を貰っ
  て料理が来るのを待つのですが、厨房を見ても女の子ばかりで不安になる感じで、出てきた料理も想
  像通りのもう一つぱっとしませんでした。店も年数が経つと良くなる店も悪くなる店もありますが、こ
  の店は後者の方になるようです。

  2日(土)10日目:
オーストラリア旅行も今日が最後で明日は飛行機に乗って日本に帰るだけです。午前
  6時前に目が覚めましたが、時間が早いのでベッドで本を読んで午前6時間前に起きました。
 外は雨が降っていたので今日の”グリーンアイランド”行き
 はどうなるのかなと思っていましたが、当日のキャンセル
 は駄目だと聞いたので、取り敢えず、行くことにして朝食
 を食べて、午前8時過ぎに船の乗り場に行くと多くの人達
 が来ていました。
 午前8時半出発のグリーンアイランド行きは小雨にも拘らず
 多くの乗客が乗って出発時間10分前にグリーンアイランド
  に向けて出航しましたが、出航後、間もなくコーラル海に出ると風雨が強くなり、船が上下に揺れて大
  変でしたが、追い風に乗ったのか午前95分にはグリーンアイランドに着きました。
  船から桟橋に降りると風と雨が吹き付けて大変だったので、私達はしばらくの間、待合場のような所
  で待って雨が弱くなったので桟橋から島に向かいましたが、途中にグラスボトムボート(船底から海底
  を見る船)乗り場があり、私達のチケットは乗船券が付いていたので、雨宿りを兼ねて乗り込むと船が
  日本人ツアー用だったので気軽に話しながら30分の海底の旅を楽しみました。
  
  ガラス越しに見える魚はかなりの数が見え、途中では餌をまいて魚とかもめが群がるシーンもあり、
  海亀や大きなシャコガイも見えてなかなかのものだと思いました。
  ボートから上がる頃には雨も上がっていたので、島に行き散策道を歩きましたが、土曜日とあって悪天
  候にもかかわらず多くの観光客、それも日本人がたくさん来ていました。私達はシュノーケリングはし
  ないので砂浜をあるいてバードウオッチングをしましたが、鳥も結構いましたし、海の中に根を張った
  まま枯れている木等興味深い物もありましたが、長く居てもする事が無いので茶店で休憩して午後
  12
時発の船でケアンズに帰ってきました。
  

  昼食をしようと歩いていたら寿司を売っている店があったので、スモークサーモン巻とシュリンプ巻き
  とお茶を買ってきて部屋で食べましたが、合計9ドルの一番安い昼食になりました。ゆっくり部屋で休
  憩して、兄は午後2時過ぎからカジノに出かけましたが、私は部屋で片付けをしたり、ホームページの
  書き込みをして過ごしていたら、1時間ほどして兄が少し勝ったと言って帰ってきました。

   午後5時過ぎから兄が最後のバードウオッチングと言って”エスプラネード”を歩きに行きましたが、丁
  度、満ち潮で干潟が無くなっていたので鳥は見られず、最後の夕食は午後6時半頃に最初の日に食べ
  たシーフードレストラン「バーナクル・ビルズ」に行きました。
  
  私はガイドブックに出ていた”マッドクラブ(泥カニ)”とオーブン焼きオイスター、兄はオイスターとエ
  ビ入り焼き飯を注文しました。マッドクラブというのがカニだと分かっていましたが、食べたこともな
  いし、どんなカニか分からなかったのですが、出てきたら大きな爪のカニでその爪が異常に硬くて食
  べるのが大変でしたが、おいしいカニでした。カニだけで食べるのに30分位かかりました。午後7時半
  に食事が終わり勘定をしたら200ドルでしたが、早い時間帯は割引があり、26ドル引いてもらって174
  ルでしたが、それでも高いと思いました。

  3日(11日目:午前6時過ぎに起床し、今回の旅行で初めてホテルのレストラン「HANUMAN」で朝食ビ
  ュッフェを食べました。午前7時半頃にレストランに行くと既に大勢の人達が来ていましたが、その中の
  半分以上が日本人だったのは驚きでした。ヒルトンホテルにはJTBのデスクがあるので日本人のツア
  ー客が多いのは当然ですが、それでも、昔よりはかなり少なくなっていると言うのですから、以前は
  本当に多かったんだなと思いました。
  
  午前9時前にタクシーでケアンズ空港に行き、荷物を預け出国手続きをしましたが、空いていたので直
  
ぐに終わり午前10時前には国際線待合室に入れました。特にする事もないので本を読んで、午前11
  時20分頃にLCCは機内では昼食が出ないので、お昼にチキン入りパイを食べ、午前11時40分過ぎか
  ら搭乗手続きが始まり、午後12時前には機上の人となりました。
  ジェットスター
JQ15便は定刻の午後12時20分に出発し、日本時間午後6時45分定刻より少し早く着きま
  した。入国手続きをして新大阪で岡山の兄と別れ、新幹線で名古屋に向い、春日井の家に着いたのは
  午後10時半頃でした。

  *今回の旅行は
岡山の兄(鳥見人)から誘われて兄弟2人だけの初めての海外旅行でしたが、スタート
  で台風の直撃を心配して1日早く出発したハプニングはありましたが、それ以外はオーストラリアには
  何回も来ている旅慣れた兄の案内で
エアーズロック・シドニー・ケアンズを回りましたが、普通のツアー
  では行かないような所にも行き、レンタカーの運転も日本と同じ左側通行なので緊張する事もなく快
  適な走行が出来ました。今回は7時間の飛行時間でしたが、何とか寝られたので苦痛に感じる事もな
  く過ごせたのは楽でした。私個人としては1度は行きたいと思っていた
”エアーズロック”に行き、現実
  にどんな所かと言う事が分かったのが一番の収穫だと思っています。これからも兄に誘われたら出来
  るだけ行きたいと思っていますが、
”バードウオッチング”で兄の行くようなジャングルや湿地帯、高地
  にはあまり行きたくないと思っています。



 10月24日(木)
  今日から11月3日(日)まで岡山の兄(鳥見人)と2人で「オーストラリア(エアーズロック・シドニー・ケア
  ンズ)旅行」
に出かけます。本来なら明日の出発予定でしたが、台風27号の予想が25日に近づくと言
  うので予定を1日早めて今日の夜の出発にしましたが、今になってみると天気予報を信じた私達の早
  とちりだったと反省していますが、もう一度変更するわけにもいかず、今夜の関空発ジェットスター
  
JQ16便で行く事にしました。
  旅行の様子については順次更新して行き、改めて旅行アルバムで報告しますので少々お待ち下さい。



 10月23日(水)
  家内はお茶の稽古に出かけたので、私は明日からのオーストラリア旅
  行は関空から出発なので関西空港までの切符と、来月6日に
孫のkm花
  のお宮参りの為に東京に行くのでその切符を
ジパング倶楽部を利用
  して買う為に春日井駅に行きました。
  新聞で春日井駅の建て替え工事の為に仮駅舎が出来た事は知ってい
  ましたが、今日、初めて仮駅舎を見ましたが、従来の駅舎から少し南
  の方にこじんまりした駅舎がありました。
平成27年度末に供用開始
  定なので、それまでは多少の不便はありますが、新しい素敵な駅舎に変わると思って、皆さん我慢し
  て待っていると思います。


 10月22日(火)
  午前中に「皿外接骨院」に行き、腰の牽引と電気治療を受けて、25日からのオーストラリア行きの為に
  かかりつけ医の
「東野内科クリニック」で睡眠薬を貰いました。というのは飛行機が午後8時25分発の
  夜行になるので、いつも寝られないのは苦痛なので今回は良く眠れる薬にしてもらいましたが、効果
  の方は当日になってみなければ分かりません。
  午後12時頃に家についてパソコンを見ると一緒に行く岡山の兄から
「25日の出発を24日出発に変更
  した。」
とメールが来ていました。台風27号のコースが25日には、丁度、関西方面に来そうなので、私
  がメールで
「一日早く出発しよう。」と言った事に対しての返事でした。
  台風27号の進路が右に行くのか、左に行くのか分からない状況の中での結論ですが、私個人的には
  早くして良かったと思っています。従って24日(木)から11月3日(日)までの間は更新が出来なくなり
  ます。



 10月21日(月)
  「春日井まつり」で2日間ほとんど立ちっぱなしだったので、朝起きる時にさすがに両足が張っていま
  したが、それでも何とか元気に起きられたので、自分でまだまだ大丈夫だと納得させました。
  今日は中部大学の
「中国国際関係研究」(大澤肇講師)が1,2時限目にあり、先週の1947年に起きた
  2.28事件を取り上げた映画
「情常城市」を振り返りながら、台湾の変遷と中国本土との関係を聞きま
  したが、1949年に中国共産党に敗れた蒋介石が台湾に逃れ、国民党政権を樹立し、今日まで維持でき
  たのは冷戦構造の中でアメリカの後ろ盾があってのことだと知りました。
  午後から
「世界地誌」(末田智樹准教授)が5,6時限目にあり、今日は学生がバルセロナについて発表
  しましたが、港町のバルセロナには世界遺産が9つもあり、
”サクラダファミリア”をはじめ7つの建築
  物が
ガウディの作品になるそうです。発表したY.T君は真面目そうで発表の仕方も十分に調査した結
  果を資料として持っているので自信がありそうでなかなか良いと思いました。
  講義終了後、
「春日井まつり」で仕入れた大手饅頭や吉備団子の支払いを振込し、祭で使った法被を
  クリーニングに出したりと忙しい一日でした。



 10月20日(

  「第37回春日井まつり」の2日目は最悪の条件になりました。天気予報では朝
  から雨ですが、昼頃に小降りになり、午後3時頃には降り止むと言ってたので
  すが、現実は一日中降り続き、一時的にはかなりの降りになり、
”全国お国巡り
  物産展”
の会場もほとんど人がいませんでした。
  昨日の人出が嘘のように客足は落ちて、午前10時頃に恒例のパレードの中止
  が決定したので更に人出が少なくなるのが予想されました。岡山県人会のブ
  ースでもお客さんが少しでも来てくれたら有難いと皆さん頑張って、昨日、売
  れ残ったと言うより今日の為に残したブドウや吉備団子、大手饅頭を一生懸命売りました。
 途中からほとんど人が通らなかったので、トイレに行った時に室内の会場を
 見ましたが、こちらの方は外の会場と違って大賑わいでした。
 市役所の庁舎内の会場は元々いろいろな催しが予定されているので人は
 多い所ですが、それでも例年と比べるとかなり人が多いと思いました。文
 化フォーラムのステージも屋外のメイン会場が中止になったので多くの人
 が詰めかけていました。
 午後2時過ぎになっても例年売り切れで苦情の出る大手饅頭がかなり売れ
  残っていたので、待っていても駄目だと思い、商品を持って春日井まつりの事務局や知っている所に
  売りに行って買ってもらいました。お陰で午後3時過ぎに残りの商品も余禄の備前焼を除いて何とか
  完売になりホッとしました。こんなに苦労するなら来年以降どうすべきか考えなければと思います。


 10月19日(土)
  今日明日と開かれる「第37回春日井まつり」”全国お国巡り物産展”に参加しているので午前7時過
  ぎに家を出て会場に行きました。家内と次男にも商品や資材運びを手伝ってもらうので一緒の時間
  に出発し、会場での岡山県のブースの設営もやってもらいました。一緒に春日井まつりを担当してい
  る県人会の
K.MさんU.Hさんも程なく到着して、みんなで岡山県のブースを作り、目途が経った所で
  家内と次男は引き上げて行きました。
  昨夜から天気予報では午前中は小雨が降る予報だったので、今年は市制70周年という事で商品を多
  めに注文した為に売れ残ったらどうしようと心配でしたが、今日は午前9時頃から薄日が差すような
  天気だったので、お客さんの出足も良くて、アベノミクスの影響なのか売れ行きも好調でブドウ類は
  昼過ぎに本日分が早々と売り切れになりました。大手饅頭や吉備団子も午後3時頃には売り切れにな
  り、昨日の心配は何だったのかと思いました。
  
  
”全国お国巡り物産展”の会場内のステージでは物産展に参加している宮崎県や秋田県、徳島県等の
  県人会を含め、いろいろな踊りや太鼓が披露されて多くの観客が来ていました。私が好きなのは隣
  同士の売り場の宮崎県の
”日向ひょっとこ踊り”や秋田県の男鹿の”なまはげ太鼓”等が地方色豊かで
  良いと思います。
  夕方、4時で今日の行事は終了になるので店じまいをしましたが、今年はギリギリの時間まで会場内に
  お客さんがいて賑やかな春日井まつり初日になりました。



 10月17日(木)
  
「第15回東海地区・中国五県ゴルフ大会」”花の木ゴルフクラブ”(瑞浪市日吉町)で開催されたので
  参加しました。例年20組80名前後の参加者だったのですが、ここ2,3年は高齢化で参加者も少しずつ
  減少してきて、今年は18組72名の予定だったのが、入院や体調不良、仕事等で最終的には17組65名
  の参加になったそうです。岡山県もいつもは15名前後参加するのが、今回は当初の12名が9名まで減
  ってしまい、幹事の広島県には申し訳ない事をしました。
  今日、一緒に回ったメンバーは広島・島根・山口の初めての人達ばかりでした
  が、皆さん、気持の良いメンバーだったので、強風の吹いた昨日とはうって変
  わった青空のもとで本当に楽しいラウンドでしたが、スコアの方は最近の平均
  スコアになってしまった
48.47の95でした。
  
”花の木ゴルフクラブ”は1番ホールから400ヤードを超えるようなホールで始
  まり、私にはパーオンするのが難しいホールが多い上に、手入れの行き届いた
  グリーンは攻め方さえ間違わなければ2パットで行けそうですが、奥につける
  と3パットが当たり前のようなホールが数多くあるので、私には100を切れた事を喜ぶべきなのかもし
  れません。表彰式には縁がありませんでしたが、幹事が広島県なので
広島菜漬
安芸の宮島銘菓:桐
  葉菓(とうようか)
を参加賞として貰って帰りました。


 10月16日(水)
  午前6時に起きて外に出てみると、風はかなり強く吹いていましたが、雨はほとんどやんでいました。
  
台風26号は東海地方では暴風大雨警報や波浪警報が出ましたが、大きな被害は無かったので良かっ
  たと思っていたら、伊豆大島で
1時間で122.5ミリ、3時間雨量が335ミリで24時間雨量は824ミリと私
  達の所では想像できないような猛烈な雨を観測して、住宅が流されたり、浸水していて大きな被害
  が出て、死者行方不明者も50人以上でまだ被害の詳細も掴めてないようでした。
  今日からドイツに旅行予定の家内の
剣道仲間のS.Tさんは昨夜の内に今日の午前10時の出発が午後
  11時に変更になり、多分、問題なく出発できると思うので遅れた分、楽しんで来てほしいと思います。



 10月15日(火)
  台風26号の影響なのか朝から今にも降り出そうな雲行きの天気でしたが、明後日の”中国五県ゴルフ
  コンペ”
に備えて練習に行きました。王子ゴルフセンターはいつもと同じで天気には関係なく大勢の人
  達が練習に来ていました。
  練習が終わった後、SG接骨院に行き電気治療と牽引をしてもらって家に帰ると、テレビのニュースで
  気象庁が首都圏を
「10年に1度」の勢力の台風が襲うおそれがあると厳重な警戒を呼びかけていま
  した。夕方になると何処の放送局も
台風26号が今夜半に関東地方に上陸か、かすめて行くと大々的
  に取り上げているので、今回は本当に来るかもしれないと思い、夕方には我が家の雨戸を閉めて台風
  に備えました。



 10月14日(月)
体育の日
  
今日は”体育の日”で家内は春日井市制70周年記念事業の剣道教室のお手伝いで落合公園体育館
  に午前8時前に出かけて行きました。中部大学は休日に関係なく今日は普通に講義が行われたので、
  私は午前中
「中国国際関係研究」(大澤肇講師)の講義に行きました。今日は休日の講義と言う事と
  台湾に関する所なので大澤先生の配慮で1989年に制作され大ヒットし、ヴェネチア国際映画祭グラン
  プリ受賞の
『非情城市』(候孝賢:ホウシャオシエン監督・トニーレオン主演))を鑑賞しました。
  
『非情城市』は1947年に台湾で発生した2.28事件を描いた作品で、2月27日にヤミのタバコ売り(本
  省人)を大陸から来た
外省人(当時の国民党)の警察が取り締まった時にひどい扱いをしたのをきっ
  かけに外省人と
本省人(1945年以前に来ている人)との対立を描いた作品で、台湾の歴史上では戒
  厳令の出ていた1947年から1987年までは語られる事が無かった事実を描いた作品でトニーレオンの
  出世作と言われているそうです。(*トニーレオンは香港人で台湾語が話せないので耳の聞こえない
  聾唖者として出演しています。)
  私は全く知らない映画でしたが、BGMに日本の歌が使われていたり、所々に普通に日本語が出て来る
  ので24年前にこんな映画が出来ていたと思うと何となく嬉しい気持ちになりました。


 10月13日(

 
 今朝はこの所の温かさとはうって変わって我が家の温度計は12℃と冷え込みましたが、日中は雲一
  つない天気で25℃を超える陽気になりました。家内は月当番のお茶会の手伝いで朝早く
「レディアン
  春日井」
に出かけたので、私は今月の25日から行くオーストラリア旅行の用意をしました。
  午後から王子ゴルフセンターにバンカーとパターの練習(会員は無料)に出かけたら、隣の”松原神
  社”が賑やかなので帰りに覗いたら、今日が
”秋祭り(豊年祭り)”「午後3時半から餅投げがあるか
  らぜひ来て下さい。」
と知ってる人に言われたので、一度、家に帰って、午後3時半前に出直すと境内
  には各町内を練り歩いた、それぞれの子供神輿が並んでいて、広場では今年厄年の人達が厄払いで
  投げる紅白の餅が矢倉の上に名前別に積まれていました。
  
  午後3時半になると今年厄年の人達が矢倉に上がり、餅拾いに来た人達に向って一斉に紅白の餅を
  投げ始めました。地元の
伊藤太市長も大勢の人達と一緒に待っていましたが、上手く拾えたかどうか
  は分かりませんが、私は運良く2つゲットする事が出来ました。



 10月12日(土)
  午前中、来月2日から始まる外壁塗装工事の3者打合せをやりまし
  た。今回は最初の建築業者の住友林業の関連会社
「住友林業ホーム
  テック㈱」
に仕事をお願いしましたが、さすがに大手業者の関連会社
  だけあって、1回目の打合せの時から
営業担当者のT.Mさんがその日
  に打合せをした内容を必ず打合せ記録にして私に署名を求めていた
  のですが、今日の3者打合せでは初めて収入印紙を貼った3者会談確
  認書というのを作成して署名捺印をしました。
  この確認書が施主の私達に大切なものだという事を認識させるという点では分かり易くて良いと思
  いますが、私個人的には200円の印紙がもったいないと思いました。ただ、1つ1つの事をこれだけき
  ちんと確認していく会社なら仕事もきちんやってくれるだろうと信じられます。
  私自身も建設業の営業をやっていましたが、こんなに細かく打合せの度に記録して施主に署名を貰っ
  た事は無いので、次回の会社のOB会で営業や現場担当者に最近の会社の方針を聞いてみようと思
  っています。


 10月10日(木)
  今日は49年前(1964年)の東京オリンピック開会式の日です。当時、私は大学3年生で麻雀をやりなが
  ら窓の外を見ると自衛隊のブルーインパルスの5機のジェット機が青い空に五輪のマークを描いてい
  たのが思い出されます。先日、開催が決まった2020年の東京オリンピックの開会式がどんな開会式な
  るのか、何とか頑張って見たいと思っています。
 午後3時過ぎにプールに行くと、さすがに今頃になると常連さんがほとんどで、
 午後4時過ぎるとガラガラになり、今日の25mプールと流水プールを合せても私
 の他に10人程しかいませんでしたが、午後5時前になると5時からの水泳教室に
 通う子供達が来るので少し賑やかになります。
 プールからの帰りに東京の長男からのメールに気がつき、開いてみると先月10
 日に生まれ、丁度、生後1ヶ月になる
km花の沐浴後の気持ち良さそうな顔の写真
 が添付されていました。
  生まれた時より大きくなっているのは当然のことですが、顔つきもしっかりして来ているような気が
  するのは”じじばば”のひいき目でしょうか。家内も
「大きくなったわねえ。」と感心していましたが、今
  の所、何事も無く順調に育っていると聞くと安心しているようでした。



 10月8日(火)
  今日は家内の定期検診の日で愛知医大に行きましたが、新病棟も順調に工事
  が進行しているようで、建物の一番上に名前の入った看板も完成し、遠くから
  見ても愛知医大だと分かります。担当の
WM先生「来年、5月には予定通り開
  院です。」
と言ってましたが、来年のゴールデンウイーク中に引っ越しをして新
  病院での診察を開始するそうです。規模は病室の基準が変わって一人当たり
  の面積が広くなった関係でベッド数は少なくなるそうですが、その分、色々な
  面で良くなると思います。
 検査結果は特に異常は無かったのですが、薬の待ち時間が1時間以上ありそうな
 ので、その間にランチでもしようとインターネットで評判の和食処
「華花(はなは
 な)」
(長久手市長湫市ヶ洞)に行きました。
 この店は自然薯が売り物らしくお客さんのほとんどが注
 文していたので私は
”とろろそば・とろろごはんランチ”
 (信州そば・天ぷら盛合せ・自然薯とろろ汁・麦御飯・香の
 物・デザート)1,480円、家内は
”信州そば・鮪山かけ丼ラン
  チ”
(信州そば・鮪山かけ丼・小鉢・香の物・デザート)1,150円を注文しました。
  信州そばは普通でしたが、自然薯のとろろ汁は自慢するだけあってダシ汁で
  伸ばした味はご飯に掛けても、とろろ蕎麦にしてもおいしかったです。
  私達は午後12時前に着いたので直ぐに席がありましたが、後から来た人達は20、30分待っている状
  態でしたが、それでも次から次へとお客さんが来ている店は最近では珍しい気がしました。



 10月7日(月)
  中部大学オープンカレッジの秋学期が9月から始まっていたのですが、先月は長男夫婦の出産やゴル
  フコンペで欠席したので、私にとっては今日が初日になります。
 今期は月曜日に2科目受講する事になり、1,2時限目が
「中国国際関係研究」(大
 澤肇講師)
、5,6時限目に「世界地誌」(末田智樹准教授)という時間割です。
 「中国国際関係研究」
は春学期に受けた大澤先生の講義が面白かったので、秋
 学期も受講するという社会人が多くて、3年生対象の選択科目ですが、教室に入
 った時に学生より多いような気がしました。
 講義の内容は中華人共和国と香港・マカオの特別行政区や台湾や周辺国との関
 係、世界中にいる華僑華人の状況等を紹介するという事ですが、大澤先生はそ
  の時その時であちらこちらに話題が飛ぶので、それが結構受講生に喜ばれているようです。
  
「世界地誌」は地誌学と観光地理学という初めて聞く学問を勉強するのですが、末田智樹准教授
  講義がなかなかユニークなので、今後が楽しみですが、理解できるかどうかは分かりません。
  今回の講義はどちらも大学3年生を対象にしている講義なので、出席している学生もそれなりに真面
  目に講義を聞いている学生が多いせいか教室も静かな感じです。



 10月6日(

  昨夜のNHKのニュースでおととし1年間に行われた不妊治療の体外受精の件数は26万9659件で、こ
  の体外受精で産まれた子どもは
3万2426人(12%)で、初めて3万人を超え、出産に至る割合は、30
  歳までは20%程度で推移しますが、その後は年齢とともに下がり続け、40歳で8.1%、45歳では0.8
  %となっているそうです。
  このニュースを聞いた時に今回の長男夫婦の出産は本当に良かったと思いました。長男夫婦も何年
  間か不妊治療を続け、今年で最後と思っていたようですが、運良く妊娠し、無事に出産出来たのは本
  人達の努力と医学の進歩のお陰だと思います。私の友人や近所の人でも子供が出来なくて、治療を
  している娘さんを持っている人がいますが、その人達にも早く朗報が届くと良いと思います。
  一昨日の長男からのメールだと子育ても2人で頑張っているようなので、
km花も何とかこのまま順調
  に育ってほしいと願うばかりです。


 10月5日(土)
  午前9時過ぎにいつものモスバーガー店に行き、今、行われているゴルフの”プレジデンツカップ”
  
”日本女子オープン””東海クラシック”の話をしながらお茶を飲み、午前10時半頃に解散した後、私
  
「SG接骨院」に腰の治療に行きましたが、途中、小学校の側を通ったら運動会の音楽が聞こえて来ま
  した。そう言えば、今日は春日井市内の小学校の運動会の日で車の中から運動場を見ると大勢の父
  兄がグランドの周囲を取り囲んで見物していました。
  我が家も子供達が幼稚園の時には義父や義母も楽しみに来ていましたが、小学校に上がると私と家
  内だけで見に行った記憶がありますが、我が家は徒競争が得意な子供がいなかったので、運動会の
  思い出が少ないような気がします。
  私自身の小学校時代の運動会の思い出は母が作って持って来てくれた重箱に入った弁当がおいしか
  ったという記憶だけが残っていますが、それが、一度だけだったのか、いつもだったのかは分かりま
  せんが、今となっては本当に懐かしい思い出です。


 10月4日(金)
  家内は東京に行ってる間、義母の所に行けなかったので先週は金曜日に行き、今週も金曜日の今日、
  出かけて行きました。私も先月は休んだ南部ふれあいセンターの
「中国語同好会」と坂下公民館の
  
「パソコン同好会」に行きました。
  
「中国語同好会」では、昨日、北京から帰って来たというY.KさんがPM2.5の影響なのか、天気もスッキ
  リせず、喉がピリピリしておかしかったと言ってました。
Y.Kさんの北京で看護師をしている中国人が最
  近は喉の変調を訴える患者が増えていると言うものの、まだまだ大気汚染に対する認識は強くない
  ようですが、このままで行くと何年後かに
”北京喘息”が蔓延するかもしれません。


 10月3日(木)
  昨夜の伊勢神宮内宮の式年遷宮の"遷御(せんぎょ)”の様子が朝のテレビで放送されていましたが、
  さすがに1,300年以上続く伝統行事だけに厳かなものだと思いました。
  今後、6ヶ月間は現正殿と新正殿の両方の正殿に参拝出来るそうですから、滅多にない機会なので、
  それまでに一度お参りしたいと思っています。



 10月2日(水)
  朝から日差しの強い30℃を超えるような暑い日でしたが、それでも、日陰に入ると爽やかな風が吹
  いて来て過ごしやすい感じでした。家内は午前中はお茶の稽古、午後は日本画とフルタイムの稽古日
  なので一日中不在でしたが、私は一昨日のゴルフの疲れが出たのか、何となく体がだるかったで、午
  前中は家で過ごしました。
  朝のテレビでは何処の局も昨日の安倍総理の来年4月からの
消費税3%アップの導入で国民生活が
  どう変わるのかという事を放送していましたが、どの局も同じような内容で見ている方はもっと別の
  切り口は無いのかと思ってしまいます。


 10月1日(火)
  一時秋らしくなったなっていたのが、この所、昼間の気温は30℃近くまで上
  がり、秋になるのを足踏みしているような9月が終わり、いよいよ、今年もあ
  と3カ月になりました。
  今日も晴れの天気で朝から蒸し暑い一日でしたが、午後からプールに行く途
  中で空を見ると秋の空になりつつあり、雲も秋らしい感じになっていると思
  いました。
  昨日、小説家の
山崎豊子さんが88歳で亡くなられたと聞き、年齢的には仕方
  が無いのかなと思いながら、惜しい人が亡くなったという感が強くありました。私が
山崎豊子という
  名前を最初に知ったのは映画
「白い巨塔」の原作者としてで、その後、「華麗なる一族」や「不毛地
  帯」、「大地の子」等の長編の社会派小説を書く作家として凄いなと思っていました。
  私自身は長編小説はあまり好きではないので小説は読んでいないのですが、テレビや映画で映像化
  される度に話題になり、見る機会が沢山あったので、あれだけの内容を書けると言うのはしっかり取
  材して書いているんだろうと思っていましたが、今日の毎日新聞の記者出身だったという新聞記事
  を見て納得出来ました。
  10月1日の庭では9月と同じように今年は沢山生った
レモンの実が大きくなり、やや黄ばんで来まし
  た。
ムラサキシキブの実が少し紫が濃くなり、セイジハギは相変わらず次々と花を付けて盛んに
  咲いていますし、あちこちに出ている
ミズヒキが小さな可憐な花をたくさん咲かせ、タデの仲間では
  珍しい
犬タデが今年も元気なので家内が喜んでいます。
  


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