6月30日(金)
朝からジメジメした天気でしたが、夕方には少し晴れ間の見える天気になりました。大雨が続いていた九州地方
でも、朝方、土砂崩れで家が倒壊する被害も出て、どうなるか、心配されましたが、午後からは雨も止んでこれ
以上の被害は無さそうでホッとしました。
昼過ぎに家内のお茶の稽古仲間からメールで「タレントの宮地佑紀生さんが逮捕されたニュースが出ています」
と言って来たので、調べてみると、27日の生放送中に共演の神野三枝さんの足を蹴ったり、マイクで唇に怪我を
負わせたと言う理由で逮捕され、本人も認めているという事でした。
”宮地佑紀生(本名:由紀男)”は東京や大阪では知られていませんが、この辺ではトップに位置しているタレント
で、家内の名古屋の大須小学校の同級生で家内は当然ですが、私も親しみを感じていただけに残念の一言です
が、何が原因でそんな事になったのか知りたいと思います。
いずれにしても、今は1つのスキャンダルでタレント生命が断たれる時代だけに、暴力で逮捕と言うのは67歳にも
なって、何故?と言う気がするだけに今後を注視したいと思います。
6月29日(水)
午前中は曇りでしたが、午後から雨が降りだし梅雨らしい天気になりました。家内はお茶の稽古に出かけました
が、今日は終わってからお昼に食事会があると言って、先日、大須骨董市で買った風呂敷を自分でリサイクルし
て作った洋服を着て行きました。
私はたまには練習しておこうと思い、午前9時半過ぎに王子ゴルフ練習場に行きました。幸い、打席が空いてい
たので、直ぐに練習できましたが、久し振りにクラブを持ったら、重く感じたので、せめて、週一くらいは練習しな
ければ、こんな感じになるのかなと思いました。
お昼は昨日の残り物で済ませ、午後1時過ぎに中部大学の「日本語の歴史」(蜂矢真郷教授)の講義に行きました
が、今日は”連濁”について聞きましたが、”連濁”というのは2つの語が複合して1語を構成する時(前項+後項=
複合語)に後項の語頭が清音から濁音に変わる事で、鼻(ハナ)+血(チ)→鼻血(ハナヂ)や三日(ミカ)+月(ツ
キ)→三日月(ミカヅキ)などが例ですが、該当しない語も沢山あるそうです。他にも色々な例を挙げて話があ
りましたが、理解出来たような出来ないような感じでしたが、興味深い話だった事には間違いありません。
6月28日(火)
昨夜から降りだした雨のせいか、半袖では肌寒い朝になりました。家内は「誠武館」の婦人剣道の稽古で出かけ
たので、私は久し振りに腰の治療を受けに「皿貝接骨院」に行きました。
5月の”中国武当山・神農架旅行”で酔い止めの薬を4日間連続服用し、階段をかなり歩いてから、足のむくみとい
うか張りが直ぐに引かなくなって、検査をしても異常が無く、先生からは歳のせいで循環が悪くなっているのが
原因だろうと言われました。それでも、椅子に長く座って作業をしていると足が少しむくんで来るので、足をもう
一つの椅子の上に乗せて作業するようにしていますが、早く元に戻ってほしいと思って治療に行きました。
午後3時過ぎから市民プールに行きましたが、先日の日曜日が嘘のように空いていていましたが、午後5時から
は水泳教室の子供達が来て賑やかになっていました。
6月27日(月)
朝からカラッとした気持ちの良い天気になり、家内も来月8日からの「北海道・サハリンクルーズ」の用意を始め
ました。7月と言っても気温はこちらとは違うので着る物も何を持って行くのか悩ましい季節です。
午前9時過ぎにいつもの様に家内が義母の所に出かけたので、私も中部大学のオープンカレッジの「アジアの歴
史A」の講義に行きました。来週、再来週は用事で出席できないし、その次は試験なので私としては今日が最後
の講義でしたが、今日は”大モンゴル帝国”について聞きました。私達の認識では「元」の時代ですが、「元」とい
うのは大モンゴル国が1206年から連邦制の国家体制で”大ハン(モンゴル中核国)”が①キプチャク・ハン国(南ロ
シア)②イル・ハン国(西アジア)③チャガタイ・ハン国(西トルキスタン)④オゴタイ・ハン国(東トルキスタン)の4大
ハン国を緩く統合していて、ジンギス・ハンの孫のフビライ・ハンが1271年にモンゴル中核国を「大元ウルス」と称
して首都を大都(北京)に建設して始まりました。従って、歴史上では「大モンゴル帝国」は1206年~1388年迄で
すが、「元」(大元ウルス)は1271年~1368年となるそうです。
去年と今年、同じ「アジアの歴史A」(一谷和郎准教授)の講義を受けて、やっと、少し中国の事が分かった気がす
るので、今後は機会があれば中国現地に足を運んで、更に理解を深めたいと思っています。
6月26日(日)
午前中は湿っぽい天気でしたが、午後からは爽やかな風の吹く天気になりました。家内が「かがり火草が満開に
なっている」と切り花にして花瓶に挿していたので、庭を見ると赤紫の”かがり火草”が増えていっぱい咲いてい
ました。近くにある”ニンジンボク”も沢山青紫の花を付けているし、”ハギ”がいつの間にか咲き始めているのに
気がつきませんでした。家内が遅めに始めたゴーヤと朝顔のグリーンカーテンも網目の半分くらいまで成長し、
黄色の花が沢山咲いてていました。
今の時期は少し目を話していると、いつの間にか咲いて終わっていたり、咲き始めていたりしますが、私は花の
好きな家内に言われて、初めて庭を見て気が付くことが多いので申し訳ないと思っています。
   
午後から家内に頼まれた食パンを買いに行き、午後4時から市民プールに行きましたが、日曜日とあって、今日は
いつもの何倍もの家族連れや小中学生が来ていて、夏近しの感じが強くなっていました。
6月25日(土)
午前11時から名古屋国際ホテルで「平成28年度:第71回東海岡山県人会総会」があるので家内に春日井駅まで
送ってもらって出席しました。去年までの逓信会館は名古屋駅から結構歩いたので、今年の会場は地下鉄の駅に
近くて助かります。
毎年、お馴染の副会長のMKさんの司会で午前11時からO.H会長の挨拶で始まりました。続いて来賓の挨拶として
宮地俊明岡山県副知事の最近の岡山県の取り組みや今後の予定の話があり、「晴れの国おかやま」のキャンペ
-ンが活発に行われていると感じました。引き続き、愛知県の川島毅県民生活部長から大村知事のメッセージの
代読があってから、事務局の平成27年度の決算・事業報告と28年度の予算・事業計画の報告が終わってから、私
とK.Fさんで監査報告をして総会は終了しました。
   
その後、愛知・岡山両県の観光案内競演と言う名目で愛知県から「服部半蔵忍者隊」の内3人が来て、簡単なパ
フォーマンスをして、次の予定があるらしく直ぐにいなくなりました。岡山県からは「岡山観光キャラバン隊」の
”ももっち、うらっち、えみっち”が出て来て、岡山県内の観光地スライドの説明がありました。
記念講演として「トヨタ・モビリティ基金の取り組みについて」という事で事務局長代理の青山伸さんから話を聞
きました。内容はトヨタ自動車が社会貢献で20臆~30億の基金を使って、世界中でモビリティ(移動性・可動性)
に関する事で困っている所に対して補助金を出して活動を助けたり、自ら相談に乗ったりしているそうです。
現在、世界で日本、タイ、ベトナム3カ国で4カ所のプロジェクトに取り組んでいるそうですが、その1カ所が”岡山
県美作市上山地区”になり、その活動内容が報告されましたが、165人しかいない過疎の地区に対しての移動手
段や活動見守り、健康見守りの取り組みの活動をNPO法人とトヨタが一緒にやっていると聞いて、さすが、世界
のトヨタだと嬉しくなりました。
講演をされた青山伸事務局長代理も現地に行って田植えまでしたと言ってましたから、今後の取り組みの成果
がどうなって行くのか、岡山大学や美作市も関わっているだけに成功してほしいと思いました。
   
記念講演後、O.H会長や来賓で鏡割りが行われ、美作市長の乾杯の音頭で懇親会がスタートしました。私は岡山
市出身のテーブルに座って話していましたが、私の高校の先輩でたまにゴルフも一緒にするH.Aさんが私の友人
と親戚だった事が分かり、世間は狭いと言うか岡山は田舎だなと言う話で盛り上がりました。
午後2時前になり、最後に出席者全員で岡山県民愛唱歌「みんなのこころに」を合唱し、M.S副会長の閉会の挨拶
でお開きになりました。終わってから思う事は年に1回しか会えなくても、この会に顔を出していれば、私が元気
だと分かってもらえるし、新しい出会いもあるので、自分の為と思って来年も出席しようと思っています。
6月24日(金)
昨日というか、この所ずっと話題になっていて日本にもリーマンショック以上の影響があるだろうと言われてた
、イギリスのEU離脱の国民投票の結果が午前中に”離脱派”の過半数が決定的になったと、日本だけでなく、世
界的な株下落の原因になり、日本でも日経平均が最終的に1,286円下落し、14,952円と15,000円を切ってしまい
ました。イギリスでは残留を訴えていたキャメロン首相が辞意を表明し、今後のイギリスの動向がきになりますが
、今日明日にどうこうと言う事は無さそうですが、この流れがヨーロッパ全体に広がる懸念もあるようで、今後
が注目されます。
私達には何でそんなに大きな影響が出るのか理解できませんが、専門家が揃って言ってる事ですから、経済的
にどういう形の影響が出るのか、今後、注目していかなければと思っています。
6月22日(水)
今日から「第24回参議院選挙」が始まりました。6年前は姪が岡山選挙区から自民党公認で立候補し、家族・親戚
も応援の為に総動員で協力した事が思い出されます。
私自身、若い時に何度か選挙の経験があるので、勝敗は別として、精神的にも経済的にも家族の大変さを見て
いたので、岡山の兄から娘(姪)が立候補するかもしれないと聞いた時には、絶対、辞めさせるべきだと言いまし
たが、兄は本人がやりたいと言ってるから任せるしかないと言って来たので、私も立候補が決まれば、出来るだ
けの事はしてやろうと思いました。
その後、正式に出馬が決まり、2010年6月24日(木)の「第22回参議院選挙」告示日の10日前から岡山に入り、娘
の出産の為に7月4日(日)の予定日の帰宅まで20日間応援しました。7月11日(日)の投票日の開票には立ち会え
ませんでしたが、結果は残念ながら落選と言う厳しいものだっただけに、その場にいて本人や家族の苦労を労
ってあげたかった気持ちが思い出されます。
今回の選挙でも同じような気持ちで応援している家族や親戚がいると思いますが、せっかく、応援するなら、良
い結果が出てバンザイ三唱が出来ると良いと思います。
6月20日(月)
昨夜、午後9時過ぎに寝たせいか、午前3時半頃に目が覚めてしまい、寝られそうにないので、そのまま、起きて
ゴルフの「全米オープンゴ選手権」を見ていましたが、アメリカのダスティン・ジョンソンが通算4アンダーでメジ
ャー初優勝をしました。飛ばし屋でメジャー優勝のチャンスは何度かありましたが、最終日でミスをして逃がして
いただけに喜びは格別だと思います。
家内はいつもと同じように義母の所に出かけ、私は午前中の3,4時限目の中部大の「アジアの歴史A」の講義に
に行きました。今日は”王安石:第6代皇帝神宗趙頊(ちょうきょく)の宰相”の財政改革について聞きましたが、当
時の宋は北からの侵略対策の為に防衛費が増加して国は赤字財政になっていたので、財政再建の為に3つの新
法①均輸法(特産品の政府買い上げ②青苗法(農民への低利融資)③市易法(商人への低利融資)で経済を拡張
させれば税収も増え、財政再建につながるという考え方は方法は別としてアベノミクスの考え方と共通する部
分があるのかなと思いました。
この改革は成果は上がりましたが、旧法党の”司馬光”等の反対で挫折したそうですが、一谷和郎准教授は中国
の歴史上で”王安石”は数少ない好きな人の一人だと言ってました。
6月15日(水)~6月19日(日)クラブツーリズム主催の「世界遺産 黄山と古き良き屯渓・呈坎八卦村 5日間」の旅に
参加しました。今回のツアーは12名で夫婦2組、男性4人組、女性2人連、男性1人連れが私とMSさんでした。
15日(水)午前5時半に家を出て、午前7時前に中部国際空港に着きました。クラブツーリズムの受付カウンター
に行くと、去年、一緒に梅里雪山に行った田原市のMSさんと会いました。MSさんとは不思議な御縁があり、7年
前に上海旅行で最初に一緒になり、昨年の梅里雪山と今回で3回目になります。人柄も良く中国語が堪能なので
心強い限りです。その上、燃油サーチャージ3千円が帰って来たので、得したような気分になりました。
中国東方航空のカウンターで搭乗手続きをしましたが、先日と一緒で通路側は満席だったので真ん中の席にし
ました。引き続き、手荷物検査と出国手続きをしましたが、空いていて直ぐに入場できました。
いつもの様に次男のタバコを買ってから22番搭乗口に行きました。MU292便は満席にちかく、定刻の午前9時に
出発しましたが、いつもより気流が悪く、途中、少し揺れ、現地時間(日本の-1時間)午前10時20分に到着しまし
た。機内食は出発1時間後に魚料理が出ましたが、まずまずの味でした。
   
機内で出入国カードが貰えなかったので、入国審査の手前でカードを貰って書きましたが、最終的には他の人達
と同じような時間で入国して、午前11時20分に迎えに来ていた現地ガイドの汪さんの所に行きました。
午前11時40分にバスで上海浦東空港を出発しましたが、午後12時50分に浙江省に入り、午後1時に「嘉善SA」
でトイレ休憩をしましたが、お昼は出ないと言われたので、ガイドの汪さんに教えてもらった「五芳斎」で”豚肉入
りちまき”7元を買って食べましたが、アツアツで結構おいしかったです。
   
午後1時15分に出発し、しばらく走っている内に土砂降りの雨が降りだし、どうなるかなと思っていたら、次のトイ
レ休憩の「龍崗SA」に着いた午後3時50分頃には小降りになっていました。
午後4時に出発し、空いている高速道路を走っていると、ガードレールにぶつかって真横になっている車がありま
したが、幸い、空いていたので、みんな横をすり抜けて走って行きました。20分後に浙江省から安徽省に入ると、
日本で言う、徽州様式のうだつの付いた屋根の家が目立ってきました。高速道路の両側も3月に通った時は菜の
花畑だった所が水田になっていて、田植えをしている所もありました。
   
午後5時半に屯渓ICを出て、夕食会場になっている黄山市屯渓の「豊澤花」に午後5時45分に着きました。
部屋に案内されると、直ぐに料理が運ばれ、12人座っても余裕のある大きなテーブルの上に次々と乗せられま
した。3月にこちらに来た時と似たような料理もありましたが、珍しくおこげ料理や名物の豆腐料理が出ました。
私は豆腐料理と玉子料理がおいしいと思いましたが、12人となると考えて料理を取らなければいけないので、
沢山は食べられませんでした。
   
午後6時半に店を出て今日の宿泊ホテル「黄山国脈大酒店」に着いたのは午後6時45分でした。小さな街だとホ
テルまでそんなに時間が掛からないので気分的に楽です。
6月16日(木)午前5時半頃に起きて窓から市街を見ると高層のビルはありませんが、建築中のマンションが5棟
も見えました。朝食まで時間があったので、ホテルの近くを散策しましたが、既に営業している屋台があって大き
なゴマ団子を売っていましたが、買って食べる勇気はありませんでした。コンビニも開いていましたが、屯渓は観
光の街のせいか車は少なく通りは静かでした。
   
午前6時半に朝食会場に行くと恵那から来ているYTさん夫婦しかいませんでしたが、その内、皆さんが来ました
が、私達のツアーメンバー以外、お客さんをほとんど見かけないので経営は大丈夫だろうかと他人事ながら心
配になりました。
   
料理の種類も適当でゆで卵やちまきがあるのでまずまずだと思いました。最初、お湯や鉄板が温まっていない
からと断られた麺と目玉焼コーナーも15分位経ってから始まったので麺を注文して食べましたが普通でした。
今日は黄山山頂泊りなので、トランクはホテルに預けてリュックに必要な荷物だけを持って、午前8時半にホテル
を出発し、ガイドの汪さんの話を聞きながら、古き良き街「呈坎(ていかん)」に向かいました。
   
   
屯渓西ICから高速に乗り、午前9時15分に「呈坎」に到着、ここは1800年前から風水の良い街として発展し、今
でも昔の村の佇まいや生活を残していて、現在も2800人が住んでいるそうです。風水で村の入口を祝う”永興
湖”を通り、人しか通れないような道を歩いて街並みを見ましたが、街中では年寄りが何をするでもなく”環秀橋
(1303年完成)”の東屋に座っていたり、橋から川を見ると、川の傍では昔ながらのやり方で洗濯物を棒で叩きな
がら洗濯をしている女性が何人もいました。
   
街の中心にある「羅東叙」の祠は立派な建物で間口が11間あり、これは孔子廟と紫禁城以外ではここの建物だ
けだそうで昔の隆盛が偲ばれます。
午前11時に「呈坎」を出発し、午前11時50分に湯口インターを出て、昼食会場の「中外運黄山建国酒店」に午後
12時に到着しました。料理は昨夜と似たような料理でしたが、地元の野菜か山菜らしいのですが、炒めると赤い
汁の出る菜っ葉が初めて食べるものでした。
   
12時40分に昼食会場を出て、黄山風景区の入口にある雲谷ロープウエイ行きのバス乗り場まで移動し、ここか
らは専用のバスでロープウエイ乗り場まで曲がりくねった、杉と竹が混在する山道を30分上って、標高700mの
雲谷索道(ロープウエイ)の雲谷寺駅に着き、そこから標高1500mの上駅まで12分で上りましたが、昔は歩いて
3時間かかったそうです。外は霧が出始め、雰囲気は良かったのですが、視界は遠くまで見えずいまいちだった
かもしれません。
   
ロープウエイ上駅に到着後、駅から出た所からの景色が始めて見る黄山の景色だったので、何処を見ても絶景
見えました。先に標高1683mの”始信峰”に行きましたが、途中には樹齢800年の”黒虎松”を見て、30分程で始信
峰に着きましたが、下の方は霧でほとんど見えませんでした。近くには猿がいて食べ物を物色していました。
   
午後3時に今日の宿泊ホテル「北海賓館」に着きましたが、夕日鑑賞までは時間があるのでMSさんと二人で”光
明頂、飛来石”に出かけました。午後3時40分に出かけ、午後4時半に標高1840mの”光明頂”着きましたが、ここ
も霧で遠くの方はほとんど見えませんでした。行くまでに上りの連続で苦しかった分、景色を期待しましたが、そ
うは問屋はおろしませんでした。
   
光明頂から下って黄山の象徴”飛来石”までは30分程度でしたが、途中から霧が晴れて、”石柱峰”が顔を出し、
陽が射して来て見えた黄山の峰々はまさに絶景でした。”飛来石”に着いた時は素晴らしい景色が見えたので黄
山の天下一と言われる理由が分かりました。”飛来石”は高さ15m、厚さ1.5m~2.5m、幅7m、重さ約544tという大
きな石ですが、根っこの接地面積が少ないので天から飛んで来たのだろういうのが名前の由来だそうです。
   
10分程、景色を堪能して、夕日鑑賞の場所”排雲亭”に向かい、午後5時50分に着きましたが、丁度、遠くに晴れ
間が見え、絶景でしたが、太陽は西の山影に沈んでいくのが分かり、雲も出て来て、”排雲亭”から夕日を見るの
はとても無理だと思いました。
   
待ち合わせ時間には間があるので、近くの「排雲楼」でコーヒーを飲みながら、後から来る夕日鑑賞のメンバー
を待って、午後6時50分に合流し、もう一度、”排雲亭”に行きましたが、他のメンバーには夕日は無理だとは言
いませんでしたが、午後7時過ぎに他のメンバーも諦めたのでホテルに向かいました。
午後7時40分からホテル内のレストランで夕食を食べましたが、料理は同じような種類で、珍しく汁の麺が出た
ので皆さんが争って取ったせいで私の口には入りませんでしたが、多分、コシの無い麺でがっかりしたと思いま
す。逆に魚料理は誰も箸を付けず料理が可哀想な気がしました。ビールを注文しましたが、山頂値段で缶ビール
が15元でした。
   
食事が終わって帰る途中にマッサージ屋があり、MSさんが交渉して足マッサージ50分で2人で200元になった
のでやりましたが、慣れないせいか、かえって痛くなったような気がしました。
午後9時半に部屋に帰り湯船に少しだけお湯を入れて足を揉んでおきましたが、明日の朝の状態はどうなってい
るのか心配です。
6月17日(金)ご来光鑑賞の為に午前4時半集合になっていましたが、午前3時半に目が覚めたので、そのまま
起きましたが、昨夜のマッサージは効き目がなくて、かえって、ふくらはぎが痛くなっていました。外の夜空を見
ると星空だったので、ご来光は見られそうだと思いました。
午前4時半にホテルを出て、鑑賞場所の”清涼台”に向かって歩いて行くと、既に大勢の人が思い思いの場所で
ご来光を待っていました。
   
   
午前5時2分に雲の下から太陽が顔を出して来た時にはどよめきのような何とも言えない声というか、感激した
唸り声のような声や拍手が出ていました。
10分程見てから、ガイドの汪さんの案内で黄山の象徴の1つ”猴子観海”を見ましたが、名前の通り、猿が海を見
ているように見えて、朝日を浴びた姿は、なかなか雰囲気のある岩だと思いました。他の所を見ても朝日に映え
る黄山の峰々は何処をみても、見所ばかりのようでした。
   
午前5時40分にホテルに帰り、午前6時から朝食ビュッフェの会場に行きましたが、思ったより料理や飲み物があ
り、外人用にパンやオレンジもあり、食べ過ぎの感じになりました。一休みして、午前7時半に出発する”光明頂・
飛来石”を見に行くメンバーを見送りにロビーに行き、私は昨日行ったので今日は留守番しますと行って皆さんを
送りだしました。
メンバーが出発してから無尽陶舎の原稿を作り、一段落してから、昨日、見えなかった”始信峰”からの眺めを見
ようと思って行ってみると、天気の良いせいか人が行列して並んでいたので、諦めて、すぐ下から眺めて帰って
来ましたが、昨日良くわからなかった名物の松の名前や岩の名前が確認出来てプラス面もありました。
   
一度、ホテルに戻って、以前、NHKテレビで見た片岡鶴太郎が「北海賓館」の要人専用の宿泊棟から描いていた
”筆架峰”や”夢筆生花”がある景色をホテルの前の展望台から眺めました。
   
午前10時半頃に”光明頂・飛来石”に行ったメンバーが素晴らしい眺めだったと言って帰って来たので、私も行け
ば良かったかなと思いましたが、実は左ひざが心配であまり無理は禁物だと思って留守番にしたので、仕方が
なかったと思っています。
午前11時に下に降りる為に雲谷ロープウエイ乗り場に向かいましたが、途中で名物の松や70kg~80kgはありそ
うな荷物を運ぶ”強力さん”を見ながら、30分程でロープウエイ上駅に着き、そのまま、下に行きましたが、この
時間に降りて行く人はほとんどいないようで、何人でも好きなように乗ってくださいと言われましたが、私達は
来た時と同じメンバー4人で降りて行きました。昨日と違って、視界も良く、前方に見える岩山は、今にも落ちそう
な岩がいくつかあり、名前は分かりませんが”飛来石”と同じように天から落ちて来たとか、神様が乗せたと言っ
てもおかしく無い感じでした。
   
午後12時にバス乗り場に着き専用バスに乗って、下のバス駐車場まで移動し、自分たちの乗ってきたバスに乗り
換え、午後12時40分に昼食会場の「黄山環球大酒店」に着きました。料理はお馴染みの徽州料理でしたが、最後
に出たトウモロコシを揚げたピザのようなデザートは初めての料理でした。
   
午後1時20分にレストランを出て、屯渓の街中にある「安徽中国徽州文化博物館」に行きましたが、徽州商人の歴
史とか文化が分かるようにしてありましたが、大した博物館ではなさそうでした。
午後3時に博物館を出発し、午後3時25分に茶店「謝裕大茶行」に着きました。ここは屯渓でただ一つのお茶の
製造会社という事で黄山毛鋒と祁門紅茶、菊茶を試飲しましたが、私個人的には太平猴魁が欲しかったのです
が、特級品が60g680元(100g20,000円位)と言われると高すぎて手は出ませんでした。代わりにお茶請けとし
て出してくれた黒ごまと白ゴマのお菓子を買いました。
   
午後4時30分に茶店を出て15分で「屯渓老街」に到着しました。45分のフリータイムの間にお茶でも探そうと歩
いていると、現地ガイドの汪さんに茶店の中から呼び止められて、私の求めている茶があると言われて店に入り
、私の希望通りに”太平猴魁”を10gずつ袋に入れて貰いました。他には山胡桃をMSさんと知多市のKTさんが買
ったので、私も買いましたが、食べると日本のクルミよりも小さくて硬いそうです。「屯渓老街」は宋・明代の商家
が今も残る、古い街並の商店街で
   
午後5時30分に「屯渓老街」を出て、午後6時に夕食会場の「黄山尺家」に着きました。本来なら宿泊ホテルで食
べる予定でしたが、今日は結婚式の披露宴があるので外で食べてほしいと言われて、この店にしたそうです。
この店の料理も今までと同じでしたが、味はまずまずでした。午後6時30分にレストランを出発し10分程で一昨
日泊まったホテルに着きました。今日も良く歩いたので、マッサージ希望者が五人いましたが、私はお願いしま
せんでした。
6月18日(土)午前5時に目が覚めたので、そのまま起きて無尽陶舎のチェックをしてから、午前6時半に朝食に
行くと一昨日泊まった時より宿泊客が多いのか、既にかなりの人が食べていました。メニューは先日とほとんど
同じで、私はちまきとゆで卵を食べ、お湯が温まってからワンタンを食べましたが、スープの味が良くて美味しい
と思いました。
午前8時に屯渓に別れを告げ、杭州に向けて出発しました。黄山ICから高速に乗り、午前9時20分に「龍崗SA」で
トイレ休憩をしましたが、近くに武装警察の演習場があるらしく、訓練をしているのか、鉄砲の音や火薬が爆発す
る音が聞こえました。ガイドの汪さんの話ですと、軍隊は外国に対して対応するだけで、国内の事は全て警察の
対応になり、一般の人民警察と治安の人民武装警察があるそうです。
   
午前9時半にSAを出発し、午前10時50分「龍鶏IC」を降りて走っていると、石屋が並んでいる所がありましたが
、この辺が石の産地かどうかは分かりません。
午前11時20分に昼食会場の「香都楼」に着きましたが、この店は3月に来たことがある店でしたが、どんな料理
を食べたのか良く覚えていませんでしたが、味はまずまずの店でした。
ここで屯渓在住の現地ガイドの汪さんは交代し、代りに上海在住の女性ガイドの張さんが今日と明日の帰国まで
面倒を見てくれるそうです。
   
ツアーメンバーの一人が娘に頼まれたので真珠クリームを買いたいと言うので、高速道路の入口方向だから寄
ることになりました。午前11時50分にレストランを出て、午後12時15分に真珠屋に着き、説明を聞いていましたが
、結局、値段が高いから買うのは止めたと言ってましたが、それなら、行かない方が良かったと思ました。
午後12時40分に真珠屋を出て、高速道路に乗り、午後2時半に「楓涇SA」でトイレ休憩をしましたが、このサービ
スエリアはなかなか充実していて、日本と同じように果物や野菜を売っていて、私は中国に来始めて10年以上に
なりますが、初めてソフトクリーム10元を食べましたが、日本と変わらない美味しいソフトクリームでした。
   
午後2時45分に「楓涇SA」を出発し、途中の高速道路が渋滞していたので、かなり、予定より遅れると思ってい
ましたが、上海区に入ると土曜日のせいか、ガイドの張さんが首をかしげるくらい道路が空いていたので、午後
4時半に「豫園」に着きました。こちらの方は土曜日とあって、人がいっぱいで歩くのにも不自由さを感じるくら
いで40分間のフリータイムでMSさんとぶらぶらしていたら、面白い図柄のTシャツ屋「路上海」があったので家
内用に1枚99元を買いました。
   
午後5時20分に「豫園」を出て、外灘にある夕食会場「致龍餐店」に着いたのは10分後でした。店に入って席に座
ると直ぐに料理が出始めて一気に全部の料理がテーブルの上に乗りました。
   
今回のツアーはアルコールを飲む人が私とMSさんの2人しかいないので、食事の時間が極めて短くなっている
感じで、料理が一気に出ると、競争のように自分の分を確保しないと直ぐに料理が無くなってしまいます。
今回の夕食も30分もするとほとんどなくなり、食べ終わると皆さんが出て行くので、私もMSさんも落ち着かな
くて午後6時10分には傍にある外灘の散策に皆さんについて行きました。
前回、来た時には上海万博前だったので、工事中だった黄浦川沿いの散策道も綺麗になっていて、記念塔が立っ
ていたのも初めて見ました。
   
向かい側にはお馴染みのテレビ塔や森ビルの上海ヒルズに上海一の高層ビル上海中心が聳え立っていました。
20分程、記念写真を撮ったり、外灘や対岸の開発区の景色を楽しんで、午後6時半に今日の宿泊ホテル「上海江
蘇飯店」に向かい、午後7時にホテルに到着しました。
6月19日(日)午前4時に目が覚めたのでそのまま起きて、最終的な荷物の確認をしてトランクを締めたら、ベッド
にパジャマが置いたままになっていたので、もう一度、やり直してトランクを締めました。最近はこういう事が多
いので、がっかりする事はなくなりました。
ホテル13階から見ると、そんなに街の中心ではありませんが、さすがに上海は都会だと思う高層ビルやマンショ
ンが建っていますが、ホテルの近くのビルの谷間に一角だけ古い家並みが集中している所があり、上海でもまだ
こういう所があるのが中国かなと思いました。
   
午前5時半にチェックアウトをして、リンゴとヨーグルト、水、弁当(食パン1枚と菓子パン2個)を受け取り、上海浦
東空港に向かいました。午前6時半に第一ターミナルに到着し、空港ビルに入る時に簡単な荷物チェックをしてい
ましたが、先日の空港内での火炎瓶事件が影響しているのかなと思いました。
搭乗手続カウンターには大行列が出来ていて、どれくらい掛かるのか心配しましたが、思ったよりスムースに進
み、30分程で手続きが終わり、そのあとの出国手続きや手荷物検査も大した時間が掛からず、午前7時半には場
内に入れました。216番搭乗口を確認してから、店屋を覗いて見ましたが、特に買いたい物も無いので、早目に搭
乗口に行きました。
   
MU529便は午前9時前から搭乗開始になり、午前9時20分には滑走路手前まで移動しましたが、結局、出発したの
は午後9時45分でした。1時間程して機内食が配られましたが、この飛行機はJALとの共同運航という事で3人も
日本人アテンダントが乗っていて日本語が通じるので本当に楽でした。
MU529便は順調に飛行し、午後12時40分に中部国際空港に到着しました。入国審査、手荷物受け取りを終り、午後
1時7分のスカイミューに乗り、金山経由で午後2時に春日井駅に着きました。今日は家内が”健康体操祭”で出か
けているので、バスで帰る都合上、駅前のモンシェルでパンセット380円を食べて、時間調整をして、午後2時42
分のバスに乗り、午後3時過ぎに家に着きました。
今回の「世界遺産・黄山と古き良き屯渓・呈坎八卦村5日間」の旅は何とか天候とメンバーに恵まれたと思いま
した。賑やかな女性2人組、仲の良い御夫婦2組、写真仲間の男性4人組と一人旅の私達2人、特にMSさんと一諸
だったのは本当に良かったと思いました。
念願だった”黄山”の素晴らしい景色も見られ、一つの宿題が終わったような気分ですが、中国にはまだまだ見
たい所があるので機会があれば又訪れたいと思っています。
6月14日(火)
家内が「アサガオが咲いた。」と言うので、行って見るとゴーヤのグリーンカーテンの下の方に一輪だけ朝顔が
咲いていました。ゴーヤと一緒にアサガオの種も巻いていたそうですが、ゴーヤが先に芽を出し、蔓が上に行っ
た後、朝顔が芽を出して花が咲いたようです。他でもピンクのカラーの花が他の草に隠れていましたが、一輪だ
け咲いているのが見つかりました。アジサイも色づきは鮮やかになりませんが、裏のアジサイはピンクになり、
表の方のアジサイは薄いブルーに色づいて咲いています。
   
家内は午前9時過ぎに「誠武館」の婦人剣道の稽古に行きましたが、出掛けに「今日は暑くて大変そう!」と言っ
てましたが、外に出ると日差しが強く、30℃を超える様な日になりそうでしたが、午後は曇って来ました。
私は明日から「中国・黄山5日間の旅」ですが、向こうも異常気象のようで、黒龍江省では雹や雪が降り、道路が
洪水のように冠水しているニュースが流れていましたが、今回の黄山は朝日や雲海を見たいと思っているので、
何とか大雨だけは勘弁してほしいと思っています。
午後3時過ぎから市民プールに行きましたが、明日からの旅行で黄山の階段をかなり登らなければならないと
聞いているので、あまり無理をしない程度に泳ぎ、水中を歩いて帰って来ました。
6月13日(月)
家内はいつもの様に午前9時過ぎに義母の所に出かけたので、私は少し早かったのですが、午前10時前に中部大
学に行き、図書館で雑誌を読みながら時間を過ごし、午前11時15分からの「アジアの歴史A」(一谷和郎准教授)
の講義に出席しました。
今日の講義では宋代の新しい儒学の考え方の”朱子学(宋学)”についての解説で朱熹(しゅき)の「理気二元論」
「理」:自然と人を存在させている絶対原理=”本然の性”:善なるもの
「気」:濁り、偏り、邪魔な現実の状態 =”気質の性”:逸脱した本然の性(非善なるもの)
⇒”気質の性”(非善なもの)を”本然の性”(善なるもの)に戻すことが人の道。その行いを「修養」という考え方
の”朱子学”が「士大夫」(科挙に合格した支配階級の官僚)に浸透し、個人の「修養」が重視されるようになった
のが宋代です。日本でも徳川政権は朱子学を国の教えとして奨励したそうです。
宋時代(北宋:960年~1127年/首都・開封 南宋:1127年~1279年/首都・杭州)は科挙の改革で”士大夫”(文人
官僚)が国を動かし、政治・経済・文化の面で支配し、武人(軍人)は文人官僚の指示でしか動けなかったという話
を聞き、”岳飛”(関羽とならぶ中国の英雄)が悔しい思いをしながら戦っていた理由が分かりました。
6月12日(日)
家内は午前8時過ぎに稽古に通っているお茶の先生が当番月になっている市民茶会の手伝いで「春日井市文化
フォーラム」に出かけて行きました。
私は午前中は家で今週の15日(水)から行く”黄山と古き良き屯渓・呈カン 5日間の旅”の用意をして、午後は食
パンを買ってから、この所、中国に行くと雨に降られることが多いので、旅行用のレインウエアを探しに行きまし
たが、軽くて良いと思えば値段が高いし、安い物は防水性や透湿性に問題があるので、もう少し探そうと思い、
今日は見ただけで帰って来ましたが、梅雨の季節はレインウエアの種類が多いので、早く良いものを見つけたい
と思います。
6月11日(土)
午前9時頃にいつもの様にモスバーガーにお茶を飲みに行くと、顎痛で先日の「桃球会」を欠席したM.Nさんが元
気そうな顔を出していました。M.Nさんの話ですと、MRIの検査結果が出て、やはり、神経から来る痛みが原因で、
神経が当たらない様にする手術しか方法が無いそうですが、春日井市民病院では手術実績が1例しかなく、成功
の保証も無く不安なので、M.Nさんとしては”神の手”と言われている千葉の方にいる先生が近くに来ていると良
いと思ったそうですが、生憎、来てないので、今後は痛み止めを使いながら、一生付き合っていく覚悟をしたと
言ってました。今は安静にしていて炎症が治まっているせいか、痛みが無くなったので、ゴルフの練習でも始め
ようかと思えるようになったそうです。
午前10時前にお開きにして私は腰の治療の為に「皿貝接骨院」に行きました。最近は同じ姿勢が続くと、次の動
作をしようとすると、筋肉が硬くなっていて、直ぐに腰が伸びないので、しっかり治療をして痛みを軽くしておこ
うと思って通っていますが、なかなか効果が現れません。
6月10日(金)
朝から初夏の様な日になり、日中もかなり暑い日になりました。家内が「”タニワタリ”の花が咲いた。」と嬉しそ
う言って来たので、見に行くと丸いボールの様な形に小さい花がいっぱい付いていました。近くには2,3日前に
咲いたばかりの”マツモトセンノウ”と”セージ”がオレンジ色の花と紫色の花を付けていました。”ハンゲショウ”
もも葉が白く化粧をしたようになっていました。
我が家の庭も家内のお蔭で色々な花が咲いて、季節ごとに楽しませてもらっていますが、私は見るだけで水遣
りも雑草抜きもほとんどしないので、これからは家内がやぶ蚊と戦いながらの手入れが大変です。
   
家内が先日から骨董市で買って来た大きな布団風呂敷で自分の洋服を仕立てていましたが、ミシンの調子が悪
くなり、メーカーの「蛇の目ミシン」に連絡すると、修理に行きますと言われ、午後2時過ぎに蛇の目ミシンの修
理マンが来て、故障個所は分かったのですが、修理出来たとしても18,000円程度掛かるそうですが、残念なが
ら、35年前のミシンで今では部品が無いので、修理は無理ですと言われたそうです。昔なら一生使うと思われ
たミシンでもさすがに35年間も経つと部品が無くなっても仕方がないのかなと思いました。
6月9日(木)
家内は福祉協力員として社会福祉協議会の「第189回 6月度ふれあいサロン」の担当になっているので、午前9
時前に会場の「老人いこいの家」に出かけて行きました。
私は午前10時から「東部中国語同好会」なので、午前9時半に家を出て東部市民センターに向かい、午前10時前
に部屋に入るとO.M先生から、仕事の関係で休んでいるH.Nさんが仕事の部署が変わり、忙しくて同好会への出
席が難しくなったので、退会しますと連絡があったと言われました。私は現役の人が平日に仕事で来られなくな
るの仕方がない事だと思いますし、今まで続けてくれた事に感謝したいと思います。
とは言っても、これで残る会員は6人になったので、これ以上の減員は同好会の解散を覚悟しなければならない
と思うので、残ったメンバーで新入会員を見つけるように頑張らなければと思いました。
6月8日(水)
朝起きると天気予報は曇りでしたが、青空が見える梅雨の晴れ間の天気でした。家内はお茶の稽古で出かける
為、和服を着ていましたが、私は午前8時半過ぎに王子ゴルフ練習場に行きました。
練習をしていると、昨日、ゴルフに行った隣のI.Kさんも練習に来たので様子を聞きました。I.Kさんは腎臓透析を
始めてから1年以上経過して、体力的に少し自信が付いてきたらしく、3ヶ月位前から練習を再開し、昨日、同じ透
析仲間のメンバー2人と3人で2年ぶりに「富士可児カントリークラブ」行くと聞いていました。
結果を聞くとスコアの方は3人共、トータル100を超えたそうですが、1ラウンドを普通に回って来れた事が凄いと
思いましたが、I.Kさんはゴルフ場に行く前に40分間もウオーキングをしてからゴルフ場に行き、プレーしたと言
うのですから、スタミナについては全く問題ないと思いました。腎臓透析をしていると、色々制限はあるようで
すが、食事や運動も調整しながらやれば、普通に出来ると聞いているので、私も機会があればI.Kさんと一緒に
プレーしたいと思っています。
練習後、「皿貝接骨院」で腰の治療をしてもらい、家に帰って、お昼を食べ終わった頃にガスメーターの定期取替
の業者が来て、ガスの元栓を切って、メーターの取替をしようとしましたが、メーターが止らないと言うので、考
えられるとすれば、”エネファーム”だと言うと、担当者に電話して聞いていましたが、答えはエネファームは元を
切ってから1時間半以上経過しないと完全にガスが止まらないから、取替は1時間半後にやる事になりました。
私は午後2時から「第40回春日井まつり」の”全国お国巡り物産展”部会の第1回打ち合わせ会議があったので、
市役所に行きました。打ち合わせでは基本的には例年通りの場所でやる事で決まりましたが、第40回の記念で
参加する県人会か団体を1つか2つ増やしたいと市役所の方から話があり、部会としても了承しました。次回の開
催を8月にやる事を決めて午後3時半に会議は終わりました。
6月7日(火)
朝から梅雨空でしたが、午前8時半頃に家を出て、家内の2ヶ月に1度の定期検診で愛知医大病院に行きました。
新病棟が出来て2年になるので、最近は”NABIT:ナビット”(患者案内端末)システムが浸透して来たせいか、患者
の方も慣れて来て、待っている時間に好きな所でお茶を飲んだり、本を読みながら待つ人達も多くなっているよ
うに見えます。私はいつも文庫本を持って行きますが、家内は病院内にある書棚に面白い本があると、それを見
ながら待っています。幸い、今日は午前10時の予約時間で30分遅れだけで診察になり、特に変化も無く、問題な
かったので、2ヶ月先の予約をして終了でした。
 薬も120番待ちでしたが、思ったより早く出来上り、午前11時20分には
病院を出られたので、お昼は調べておいた蕎麦屋に行ったら、火曜日
定休だと分かり、それなら、久し振りにハンバーグを食べようと、「マ
・メゾン春日井店」に行きました。
10年位前に家内と一緒に行ってから、その後、南部中国語同好会の食
事会でも何回か来たのですが、ここ2年位はご無沙汰でした。
ハンバーグランチ(新鮮サラダ・スープ・ハンバーグ・ドリンク・デザー
ト・パン又はライス)1,420円を食べましたが、この店独特のデミグラ
スソースも以前とは変わっていない感じで、安心して食べられる感じでした。
以前、月に1回の定期検診の時には毎回のように何処かでランチをしていましたが、2ヶ月に1回になってからは
他に用事があったり、早く帰る必要があったりして、ランチをする機会が少なく、今日は久しぶりのランチでした
が、最近では私達の代わりに剣道のK.M先生夫妻が火曜日の「誠武館」の稽古帰りにお二人でランチをしている
話を聞き、私達が刺激になっているとすれば嬉しい事だと思います。
6月6日(月)
家内はいつもの様に義母の所に出かけて行きましたが、私は来月のクルーズのオプションの申込みや旅行代金
の支払いの段取りをする為に郵便局に行き、手続きをしてきました。
午後からは中部大学の「アジアの歴史A」(一谷和郎准教授)の講義があったので出席
しました。今日は唐代717年に第9回遣唐使と派遣され、中国の科挙に合格し、玄宗皇
帝に仕えた阿倍仲麻呂や吉備真備、玄昉の他に”井真成”(せいしんせい:いのまなり)
という人物がいた事を初めて聞きました。
”井 真成”は2004年に陝西省西安市内の工事現場から発見された墓誌に「日本人の
留学生”井真成”が開元22年(734年)に死去したので『尚衣奉御』と言う官職を遺贈さ
れた」と記されているそうで、これは中国で発見された最初の日本人の墓誌であり、
現存の石刻資料で「日本」と記述した最古のものだそうです。墓誌が残っていたという事はかなり優秀な人物
だった可能性もあると思いますが、詳細は分かってないようです。
中部大学から帰ってお昼を食べて、一休みしている時に娘から電話があり、ナメクジの退治方法を聞くついでに
孫のnt実が幼稚園で遊んでいて、舌を切って血が止まらなかったので、大同病院の口腔外科で舌の先を2針縫
ったと言ったので、ナメクジよりそちらの話が大事だと思いました。幸い、大事には至らなくて、nt実本人も元気
そうなので安心しました。
6月5日(日)
昨日、テレビで梅雨入りしたと言ってたように朝から雨が降っていましたが、昼前には陽の射す日になりました。
 家内がアジサイが咲いているが色づきがもう一つだと言ってました
が、土に関係があるのかもしれません。グリ-ンカーテンで植えたゴ
ーヤも成長が遅い割には花が咲き始めています。
今年の梅雨は雨が少ないと言う予想ですが、関東地方では今年にな
ってから雨が少ないので、このまま雨が少ないと大変になりそうで
すが、一方、ヨーロッパでは豪雨でセーヌ河が氾濫しそうで、フラン
スではルーブル美術館や川沿いにある施設が閉館を余儀なくされて
いるそうです。私はヨーロッパもパリも行った事が無く、地理的な事
が分かりませんが、パリにいる姪や姪の勤務している会社は大丈夫だろうかと思っています。
世界的にも異常気象が起こっていて、アメリカで洪水があったと思ったら、ブラジルでは北部が干ばつで南部が
洪水になり、オリンピックも心配になってきますが、無事に開催してほしいと願うだけです。
6月4日(土)
いつもの様に午前9時頃にお茶を飲みに行くと、先日の「桃球会」を欠席したM.NさんとK.Hさんが来ました。M.N
さんは右顎の奥の痛みでゴルフスイングをすると痛みがひどくなる神経痛のような症状で欠席でしたが、MRIの
検査をしたのですが、結果が出てないので気晴らしに顔を見せたようです。K.Hさんは奥様が今月下旬に狭窄症
の手術が決まったと言ってましたが、腰椎にボルトを入れる手術でなかなか難しいようです。
皆さんそれぞれ事情を抱えていますが、みんなで集まって話していれば、少しは気が紛れるので、こういう場が
ある事は歳をとってからは良い事だつくづく思います。
 午前10時前に家に帰り、家内が2,3日前から「梅が落ち始めたから取
ってほしい」と言ってたので、天気も曇り空でそんなに暑くなかった
ので、作業着に着換えて、梅の実の収穫をしました。今年はいつもの
年より多い感じでしたが、大きさにバラつきがあり、取り終わってみ
れば、ここ4年間では一番多い6.2kgでしたが、その前は6kg~7kgの
収穫があったので例年通りかもしれません。
家内も毎年、梅酒にしようか、梅ジュースにしようかと迷いながら、漬
けていますが、今年は何になるのか楽しみです。
午後4時過ぎから市民プールに行きましたが、駐車場が混んでいた割にはプールの方は思ったより空いていまし
たが、その分、ゆっくり泳げるので私には有難い事だと思っています。
6月3日(金)
今朝は温度計は見ませんでしたが、10度近くまで下がっていると思いました。家の中では半袖では寒くて、薄手
のカーディガンを着て、丁度良いくらいでした。
今日は第1金曜日なので、午前中は「南部中国語同好会」、午後は「坂下パソコン同好会」ありましたが、先月の
第3金曜日は旅行の為に欠席したので、両方とも1ヶ月ぶりの出席でした。今月も来月も第3金曜日は旅行で欠席
の為に同好会は月1回しか出席できないので、申し訳ない気がしますが、先生には「月1回しか出席できなくても
辞めずに続けます。」とお願いして、先生方も了解してくれたので、月1回でも続けるつもりです。
午前9時過ぎ、中国語に出かけようとしている時に家内が「臨時ニュース!、臨時ニュース!」と言って、先月28
日から行方不明になっていた田野岡大和君が無事に見つかったというニュースがテレビで流されているのを見
て喜んでいました。私も家内も1週間近くになっても見つからないので、多少、悲観的な見方になっていただけに
見つかったと聞き、両親がどんなに喜んでいるだろうかと思いました。
しつけでやったという父親のインタビューを聞いて、本当に子供の事を心配している気持が伝わって来ていたの
で、見つかってホッとしたと思います。詳細はこれからですが、やんちゃな子供だからこそ生き延びる事が出来
たような気がしますが、6日間をどう過ごしたのか聞いてみたいものです。
6月2日(木)
今日は「Toa道路OB会」のゴルフコンペが三重県の”フォレスト芸濃ゴルフクラブ”であったので参加しました。午
前7時50分集合だったのですが、現在、名神高速道路の集中工事をやっている最中なので、東名阪道も渋滞す
るかもしれないと思い、午前6時に家を出ましたが、思ったり空いていて午前7時半には着きました。
今日は4組16名の参加者で、私は最後の4組目のスタートでした。今日は天気も良かったの
ですが、風が強く、ショットもパターも風に悩まされ、フォローだと少し楽でしたが、アゲン
ストで10m近い風では私の力では2番手大きいクラブでも戻されて何ともなりませんでし
た。その上、このコースは総てのホールに池が配置されていて、一緒にラウンドしたメンバ
-のH.M君も10個以上池に入れていました。
それでも、昔の仲間とのゴルフは楽しく、昔話や最近の会社の状況を心配しながらも、お
互いの近況や冗談を言いながらのプレーはミスショットも笑いになりました。スコアの方
はアウト50・イン48でトータル98と何とか100が切れたので、この風の中なら上出来だと
思いました。優勝は一緒に回ったS.T君で52.50のトータル102でハンデ28.8がつき、ネット73.2という、100を超
えての優勝ですから、他のメンバーのスコアもあまり良く無かった事になります。
6月1日(水)
早いもので今日から6月ですが、梅雨入り前の天気にしては爽やかな風の吹く、初夏のような日になりました。
家内は第1水曜日ですから、午前午後ともお茶と日本画のフルタイム稽古日で出かけて行きました。私の方も月
初めで午前中は「無尽陶舎」の更新を少しやり、午後からは中部大学の「日本語の歴史」(蜂矢真郷教授)に出席
しました。この所、新聞では中部大学の話題が多く、先日の消防団結成に続き、今日は京都大学と連携協定を結
ぶと言う記事が出ていました。
内容は中部大学が4月に「創発学術院」を新設し、京都大学も「高等研究院」を新設、共に世界レベルの研究者が
新たな学問分野づくりを目指し、研究者が従来の学問の枠組みにとらわれずに研究に専念できる場を作ると言
う目的で中部大学からはノーベル賞候補にも挙がる有機化学者の山本尚教授、京都大学からは数学の最高峰フ
ィールズ賞受賞者の森重文特別教授、京都大学霊長類研究所のチンパンジー研究の第1人者松沢哲郎特別教授
がコーディネーターとして参加するそうです。
本当は明日の午後から中部大学で森重文特別教授と松沢哲郎特別教授の記念講演が行われると聞いたので、
行きたかったのですが、明日は会社のOB会のゴルフコンペが”フォレスト芸濃ゴルフ倶楽部”(三重県津市芸濃町)
で開催されるので講演会は諦めました。
 昨日、テレビで火星が11年ぶりに最接近する「スーパーマー
ズ」があるというニュースがありましたが、昨夜はこの地方は
雲が掛かって見えなかったので、今夜はどうかなと思って、
午後8時過ぎに南東の空を見ると赤い火星がいつもより輝い
て見えました。
早速、デジタルカメラを出して来て写真に撮りましたが、私達
のカメラでは火星らしさを撮るのは無理でしたが、目で見た
明るさは十分感じられたので良かったと思いました。
娘の所からもSkypeがあり、孫達も土星を見たと言って来たので、土星ではなく火星だと言って訂正しておきま
した。
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