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 11月30日(水)
  第5水曜日ですが、先週が祝日で休みだったので、家内はお茶の稽古と日本画同好会が両方ともあると言いな
  がら、午前9時過ぎに出かけて行きました。私は午前中、腰の治療に行き、明日のゴルフに備えました。
  午後は中部大学の
「伝統芸能論」(永田典子教授)の講義に出席しましたが、今日は「萬歳」について聞きました
  が、私達が知っているのは
”三河万歳””尾張萬歳”ですが、他にも東北では”会津萬歳”とか”秋田萬歳”があり
  、この地方の近くで
”越前萬歳”とか”伊勢萬歳”、離れた所で”伊予萬歳”もあるそうです。基本的には2人か3人
  の掛け合いで、持つ物も扇や鼓が基本ですが、太鼓や三味線、胡弓、拍子木なども使用しています。口調もゆっ
  くりした萬歳から今でも通じる早いリズムで掛け合う萬歳もあり、太夫と才蔵の2人組がボケとツッコミになり、
  人数が3人とか、もっと多い数の場合もあるのも現代に通じる原型が見られます。
   

 
 「萬歳」のもとは年頭にあたり、言霊(ことだま)の力により、その年がより良いものであるように1年を司る歳神
  に感染させるという呪術が早くから行われ、平安時代後期には
「千秋(せんず)萬歳」と呼ばれていたのがそれ
  で、正月7日迄の子日(ねのひ)と卯日(うのひ)に権門などに所属した
「キヨメ」が主家に対して、この呪術を行
  っていたのである。その後、権門の力が衰えて来たので「キヨメ」の仕事に従事していた者は新しい仕事場を求
  め、京都町衆などに祝福の呪芸を子日や卯日だけでなく正月全体の行事に拡げました。
  以上が京都の祝福芸の変遷ですが、後に
”萬歳”の中心になる三河国では徳川氏の一族松平家忠の「家忠日記」
  によると家忠の館に家忠を旦那と仰ぐ舞々が大勢やって来て、舞を三・四番演じたが、この時期には
”千秋萬歳”
  は演じていなかったらしい。その後、豊臣秀吉が京都・大阪・堺の
”陰陽師”を大量に清州の荒地開拓に出向かせ、
  この陰陽師達が尾張で”千秋萬歳”という祝福芸能を残していった。
  新しい祝福芸能を受け継いだ尾張・三河の舞々たちは、それを携えて各地を回わった。
”三河万歳”は徳川家康の
  時代になり、諸国の大名に出世した縁故を頼って、江戸を中心に関東一円をテリトリーにしたのはその為である。
  
”尾張萬歳”は名古屋城下や西国をテリトリーとし、三河万歳や尾張萬歳が巡回できなかった所ではそれぞれの
  国の陰陽師や下級宗教芸能者がそれぞれのテリトリーを分割し、何処の町でも正月では
”萬歳”の鼓の音が聞か
  れるようになったそうです。



 11月29日(火)
  家内は午前9時過ぎに「誠武館婦人剣道」の遠足で”名古屋城と白壁町散策”に出かけて行きました。風は冷たい
  のですが、陽が当たる所は暖かく感じるので名古屋城の城郭の中は暖かいと思います。
  私は明後日、今年最後のゴルフが三重県の鈴鹿CCであるので、午前10時過ぎに王子ゴルフ練習場に行きました
  が、いつも様に顔馴染のメンバーが既に練習していましたが、その中に
85歳のK.Kさんが当たり前のようにいる
  のは頭が下がります。自分が85歳までやる自信はありませんが、少しでも近づきたいとは思っています。
  午後3時過ぎに市民プールに行きましたが、寒くなって来ると、さすがに人も少なくなって来て、25mプールも泳
  ぎやすくて楽です。今は500m~600m泳いで、流水プールを逆方向に40分位歩くのが私のペースですが、少し
  ハードかもしれませんが、頑張って続けたいと思います。



 11月28日(月)
  今日は家内が義母の所に行く日ですが、2ヶ月位前から義母の様子が悪くなり、家内や義妹が話しかけても反応
  がなくなり、大丈夫だろうかと言ったので、私を見て分かるかどうかで判断する事にしました。
 義妹とは午前11時45分に
「生楽館」で落ち合う事にしていたので、そ
 の前に松坂屋南館で開催中の
「再興第101回院展」を見に行きました
 が、26日(土)から始まったばかりで、月曜日でも大勢の人達が詰め
 かけて熱心に鑑賞していました。
 今回はいつも招待券を送って頂く
”田淵俊夫”画伯が院展理事長にな
 って最初の院展なので、どんな作品を出展しているのか楽しみでし
 たが、
「飛鳥川心象 春萌ゆ」という水墨画の作品で、この中で緑を
 表した積りですと招待状に書いてあったので、家内は本当に緑っぽく
  見えるかどうか期待していたそうですが、残念ながら、そこまでには見えませんでしたが、作品は見事な仕上が
  りだと思いました。今回は7階の松坂屋美術館が第1会場で8階のマツザカヤホールが第2会場になっていたので
  、第1会場を見終わって第2会場に行きましたが、こちらの方が明るい会場で私には見やすいと思いましたが、第
  1会場の照明が暗いのは意図があっての事だと思いますが、1つ1つの作品を集中して見る場合はちょっと暗い方
  が良いかもしれないと思いました。
  午前11時過ぎに松坂屋の地下で義母のおやつと明日の食パンを買ってから「生楽館」の駐車場に行き、義妹と会
  って、一緒にデニーズでお昼を食べてから義母の入所している
「生楽館」に行きました。
 部屋に入って今までと同じように、大きな声で
「こんにちは!どうですか?」と声を掛けまし
 たが、前回までは私の顔を見て、
「makotoさん、すいませんねえ」と言ってたのが、今日はチ
 ラッと見ただけで、挨拶も反応も無かったので、やはり、脳の働きが急激に落ちてボケが来
 たかなと思いました。それでもと思い、何度か話しかけましたが、同じようにチラッと見るだ
 けで、それ以上の反応はありませんでした。
 今日は28日で
「大須骨董市」をやっているので、ずっと部屋にいても仕方がないと思い、午
 後1時過ぎに大須に出かけ、1時間ばかり見て回りましたが、こちらの方も何の収穫も無く、午
 後3時過ぎに
「生楽館」に戻った所、義母は入浴時間で不在だったので、義妹も家内もお風
  呂の後は疲れて、寝てしまうから待っていても話は出来ないからと言われて帰る事にしました。
  帰りの車の中で自分達の将来も義母を手本として、しっかり考えなければいけないと話しましたが、具体的に何
  をするべきかは答えが見つかりません。先ずはお互いが毎日を元気に過ごす事が一番だと思いますが、その為
  にはと考えると???ばかりです。



 11月27日(

  朝から小雨がぱらつく日のせいか、温度計は10℃と寒さはあまり感じませんでした。上のmn実は我が家に来て
  も早起きらしく、私が午前6時半過ぎに階下に行くと、既に起きて居間で待っていました。
下のnt実も家ではなか
  なか起きないそうですが、今朝は午前7時過ぎに起きて来て
「おばあちゃんは?」と言ってましたが、肝心のお
  おばあちゃんの家内は、昨日、孫の世話で疲れて、午前8時過ぎに起こすまで寝ていました
  午前11時前にみんなでアメリカの”ブラック・フライデイ”を真似したバーゲン中の
「イオン」に行きました。一回り
  してみましたが、特に買う物も無かったので、お昼を食べようとフードコートに行きましたが、空いているテーブ
  ルも無く、7人で一緒に食べるのは難しいと思い、ここから長女夫婦は別行動にして、私達夫婦と次男は孫2人を
  連れて5人で
「LIVIN」「サイゼリア」に行きました。
  満席でしたが、6番目で15分程待って席に着き、それぞれパスタやピザを注文して食べま
  したが、399円や499円のメニューで味もボリュウムも満足させてくれるのですから、流
  行るのも当然だと思いました。
  お昼が終わってから、次男が姪2人に以前から鯉のエサやりに連れて行くと約束していた
  ので、家内が出かける時に用意した食パンの端切れを持って
「落合公園」ひょうたん池
  に行きましたが、雨のせいか、鯉の姿は見えず、持って行ったエサのパンを池に投げ入れ
  ましたが、反応は無く、孫2人は仕方がないので、お互いが鯉になった積りでエサのパン
  を食べさせていました。家内も私も大笑いで思わずカメラのシャッターを切っていました。
  後から次男が釣りに来ている人に聞くと、鯉は結構いるようですが、やはり、雨の降っている時は水が濁るせい
  もあって、鯉が少ない上に、日曜日は釣り人が捨てて行くエサが沢山あるので、そちらを食べるのでパンの切れ
  端は人気が無いとの事でした。
  雨の中では公園で遊ぶことも出来ないので、家に帰って、いつもの様に家内が孫2人の面倒を一生懸命みてい
  ました。午後5時から早目の夕食を食べて、長女一家は帰って行きましたが、後片付けを終わって、床暖の入った
  居間で横になった家内は手足を伸ばしながら
”孫は来て良し、帰って良しの”の顔をしていました。


 11月26日(土)
  今朝は昨日より寒いと感じて温度計を見ると、2℃を指していました。午前9時過ぎに久し振りにゴルフ仲間の集
  まるモスバーガーの店に行きました。今、オーストラリアのメルボルンで開催されている
”ワールドカップ”の松山
  や石川の話をしたり、高知県で開かれている
”カシオ・ワールドオープン”で池田勇太が優勝すれば賞金王は間違
  いないというような話題を1時間ばかりして家に帰ると、午前10時過ぎに長女一家がやって来ました。
 今日は午後1時から
上の孫のmn実の七歳の写真を撮るというのです
 が、去年、七五三で七歳のお参りを済ませたのですが、本人が写真を
 撮ってないと言ってるので1年遅れの記念撮影になったようです。
 お昼を食べてから、午後12時半過ぎに長女一家4人は予約してある

 「スタジオアリス」
に出かけ、家内は買い物ついでに付き添いで一緒
 に出かけて行きましたが、私は家で留守番しながら
”ワールドカップ”
 を見ていました。
 今日は1つのボールを交互に打つフォアサムでしたが、松山・石川の
           日本チームは1アンダーで通算7アンダーの4位で明日の最終日に臨む事になりました。
 午後3時から市民プールに行き、午後5時過ぎに家に帰ると、長女が
 今日撮った
mn実の写真と東京の長男の所のkm花の3歳の写真をパ
 ソコンに取り込んでくれました。
km花の写真は長男が私の携帯電話
 に送ろうとしたが、送れなかったので、長女に頼んだようですが、夜
 になってその件で長男からメールが来ていました。
 長女の所は
下のnt実6歳で七五三とは関係ありませんが、上のmn実
 と一緒に記念写真を撮っていましたが、今日は3人の孫の着飾った可
 愛い写真が一度に見られて家内も満足そうでした。
  この子達が大きな病気や事故に遭わず、このまま素直な明るい子に成長してくれる事を祈りたいと思います。



 11月25日(金)
  目が覚めたら午前7時だったので、そのまま起きて新聞を取りに行った時に温度計を見たら、3℃だったので、も
  う少し冷え込んだかもしれませんが、午前中は家の中にいれば気持の良い暖かい日になりましたが、午後は雲
  が出て肌寒く感じるようになりました。
  午後2時過ぎから家内が、明日、娘一家が泊りがけで来るから、食事の買い出しに行くと言うので一緒に行きま
  した。先に
「LIVIN」のATMでお金を下ろして買い物をする積りでATMにいくと、25日という事もあって、行列が出
  来ていたので、私は家内がお金を下ろすまでに自分の物でも見ようと思って、3階の紳士物コーナーに行くと、
  ジャケットが50%OFFになっていて、着てみると、ピッタリで軽かったので、直ぐに決めましたが、久し振りに良い
  買い物が出来たと思いました。
  その後、
「ナフコ」に行って、家内が食料品を買っている間に「ゴルフカーニバル」にフェアウエイウッドを見に行
  きましたが、こちらの方は自分が思うような掘り出し物は見つかりませんでした。



 11月24日(木)
  今日から冷え込みが強くなるという天気予報でしたが、春日井は思ったより冷え込みませんでしたが、東京近郊
  では初雪が降り、積雪も記録したのでスリップ事故に注意しないと大変そうな感じでした。
  午前10時から
「東部中国語同好会」に行き、終わってから今後の事について相談しました。というのは、会計を担
  当している
H.Mさんから、今のままだと12月で余剰金が無くなり、同好会の運営が赤字になるのでどうしましょう
  と言われたので、会員の皆さんに3ヶ月6,000円の会費を7,000円に値上げしたいと状況を話した所、全員が同好
  会を続けたいという気持ちが強く、会費の値上げは全員一致で決まりました。
  私自身は2006年から始まって、10年間、何とかやって来ましたが、これ以上、会費の値上げや先生の謝礼の減額
  で同好会を続けるのはやめようと思っていたので、皆さんの熱意が私の気持ちを変えてくれた事に感謝です。
  午後から中部大学の
「映画研究」(小川順子准教授)の講義で、何年か前に見た「喜劇 にっぽんのお婆ぁちゃん」
  (1962年:今井正監督)をもう一度見ましたが、50年以上前に老人問題を取り上げて、喜劇映画として作った
”今
  井正監督”
の社会を見る目の鋭さを感じました。出演者も主演の”都蝶々””北林谷栄”をはじめそうそうたるメ
  ンバーが出ていて、渥美清や三木のり平がちょい役で出演しているのも凄いと思いました。
  有吉佐和子の老人のボケ問題を書いた
「恍惚の人」が」ベストセラーになったのが、10年後の1972年で、翌年、
  主演
”森繁久彌”監督”豊田四郎”で同名で映画化され、話題になったのですから、主題は少し違いますが、いず
  れにしても、現在、私達が直面している問題を40年、50年前から取り上げている事は映画が持つ力の凄さを認
  識するべきだと思いました。


 11月23日(水)
勤労感謝の日
 
 今日は祝日ですが、大学は休みではなく、「伝統芸能論」(永田典子教授)の講義があるので出席しました。今日
  は先週、中世の芸能民の概要を聞いた中の
「相撲」について講義がありました。
  相撲に類するものは世界各国に昔からあり、5000年前の古代バビロニアの遺跡から取り組んだ姿の人形の青銅
  置物が発見され、2500年前のエジプトのナイル河横穴にある壁画には相撲かレスリングの様な絵画が沢山描か
  れているそうです。同時代のインドでは
”悉達多(しっだるた)太子”(釈迦の幼名)が相撲に勝って姫を得た事が、
  釈迦一代記の
「本行経(ほんぎょうきょう)」にあり、この教本を409年にインド人が漢訳した時、梵語(ぼんご)の
  ゴダバラを「相撲」という新語で表現し、これが6世紀中ごろ日本に伝来すると、以前からあった「争い」「抵抗」
  等を意味する大和ことばの動詞である
「すまふ」に当てはめ、やがて「すまひ」の名詞に変化し、のちに音便化し
  て今の
「すもう」になったとの事です。
  日本でも古墳時代の
「めんぐろ古墳遺跡」(島根県浜田市)から出土した”須恵器”にかた
  どられた相撲人形によっても知ることが出来る。神話・伝説としては神代の「国譲り」の争
  いが、
”建御雷神(たけみかづちのかみ)””建御名方神(たけみなかたのかみ)”の力比
  べによって解決したことが
「古事記」にあり、「日本書紀」には”野見宿禰(のみのすくね)”
  
”当麻蹶速(とうまのけはや)”の力比べの伝説が記されています。
  弥生時代には五穀豊穣の吉凶を神に占う農耕儀礼として相撲が広く行われていた事が明
  らかにされており、神事として普及し発展してきたようです。史実として初めて記録され
  たのは、642年(皇極天皇1)百済の使者をもてなすために、宮廷の衛士(えじ)に相撲をと
  らせたという記述が
「日本書紀」に見られるそうです。
  神事だった相撲が今の様な形になったのは江戸時代になってからですが、そういう話は来週の講義で聞く事に
  なり、今日はここまででしたが、永田教授は先週と今週の講義を聞くと、先生らしくない人柄のようで、学生にも
  ざっくばらんに話しかける姿は好感が持てました。



 11月22日(火)
  午前6時過ぎに目が覚めたので、そのまま、新聞を取りに行って、テレビを点けたら「福島県沖で震度5、M7.3の
  地震が発生!、津波が来ますから直ぐに避難してください。」」
とアナウンサーが繰り返して叫んでいました。
  NHKは勿論ですが、民放各局も同じ様に放送していましたが、何故か分かりませんが、私の持っていたリモコン
  が操作が出来なくなり、NHKに固定されたままになったので、リモコンの入力切替ボタンを押して、HDMIにして
  チャンネルが変えられるようになりましたが不思議な気がしました。緊急時に自動的にスイッチがそういう風に
  なるのかどうかわかりませんが、沢山の人に情報を知ってもらおうとするなら、テレビやラジオのスイッチが自
  動的に入るのは良い事だと思いました。
  幸い、その後の情報では津波は来たのですが、被害は出なかったようで安心しましたが、テレビで地元の様子を
  見ていると、まだ
”東日本大震災”の記憶が残っているだけに、避難した高台から不安そうに海を見ている人達
  の姿が印象的でした。
  この地方は地震も無く、朝から雲一つない天気になり、日中は20℃を超すような暖かい日になりました。午前9
  時前に昨日出来なかったゴルフの練習に行きましたが、打っている内に汗ばんで来るほどの暖かさで、こんな日
  は練習よりもラウンドした方が良いと思いました。
  お昼を食べ終わった頃、婦人剣道の稽古から帰って来た家内が昨日今日と剣道八段の昇段審査が東京の
「日本
  武道館」
で行われているのですが、家内達を教えているK.M先生も今日の午後の部で受けるそうですが、昨日の
  結果が1,000人受けて合格者がたった6人だったそうですから、かなり狭き門だと思いますが、頑張ってほしいと
  思います。朝の地震で新幹線が一時止まって心配していましたが、
K.M先生は何とか東京には行けたようです。


 11月21日(月)
  家内はいつもの様に義母の所に出かけるので、私はその前にゴルフの練習に行きましたが、打席が空いていな
  かったので、練習はやめて、久し振りに
「皿貝接骨院」に腰の治療に行きました。
  先日のToa道路のOB会でも脚立から落ちて、腰を痛めたと思っていたら胸椎を骨折していたとか、第5腰椎と仙
  骨の部分を手術するという人がいて、歳と共に思わぬ事で骨や関節を痛めた話が多かったので、元々、腰痛や
  関節痛の持ち主としては他人事とは思えず、腰や関節のケアをしっかりやらなければと思っています。
  この所、年賀状の事が気になっていますが、それに伴って
”喪中はがき”も多くなっていますが、最近は親が亡く
  なりましたと書いてあると、ほとんどが90歳以上で、時には100歳を超えている場合もあり、何となく、天寿を全
  うした感じで気持ちも軽くて済みますが、夫や妻が亡くなったと言うと、私達より若い場合が多くなって来たの
  で心が痛むと同時に、いつ自分の番が来るのか分からないと思うようになりました。
  ボケや死の問題は避けては通れない問題ですが、出来る事なら、もっと、10年20年先になってほしいと願うのは
  私だけでしょうか。



 11月20日(

 
 朝5時過ぎに目が覚めたので、そのまま起きて、”ATPツアーファイナル”の準決勝、錦織圭対ノバク・ジョコビッチ
  の試合を見ましたが、疲れからか、錦織にしては珍しく、粘りもなく1:6、1:6の完敗でした。やはり、1年を締めくく
  る大会ですから、もう少し頑張ってほしかったのですが、あの小さい体で世界中を渡り歩いて試合をして、ファイ
  ナルに出るのは大変だと思いますし、世界ランキング1位2位に勝つのは、もっと、大変な事だと再認識しました
  が、来年こそは頑張って4大大会(グランドスラム)の1つでも取ってほしいと思います。
  午後4時過ぎから市民プールに行くと、日曜日とはいえ、今頃の時期になると、さすがに夕方には人も少なくな
  り、25mプールのスイミングコースには4人しかいなくて自分のペースで泳げました。



 11月19日(土)
  朝から小雨の降る日でしたが、寒さは思った程ではありませんでした。家内は日本画同好会が「味美公民館」
  展覧会をやるので、午前9時過ぎに作品を持って出かけて行きました。
  私は午前11時30分からToa道路の中部OB会
「第14回鯱会」”名古屋栄東急REIホテル”であるのですが、家内
  に送ってもらえないので、午前10時12分発のバスで出かけました。
 出かける頃から雨が強くなりましたが、名古屋市内のホテルに着い
 た頃には小降りになっていました。午前11時30分から総会が始まりま
 したが、今年は役員の改選時期ではないので、特に事案もなく、出
 席者からも意見が無かったので、15分程で終了し、午後12時から現
 役幹部を交えた懇親会が始まりました。
 最初に
O.Y会長から挨拶があり、本社のOB会は東京の談合問題で公
 正取引委員会から調査を受けている関係で今年は中止になったが、
 出先のOB会は地元の判断に任せると言われたので、中部支部は支社
  長とも相談して開催する事にしましたと出席者に報告がありました。続いて
S.T支社長から会社の状況について
  報告があり、今は大変な時期だが、会社の財務内容や体制はしっかりしているので、全く、心配ありませんと言っ
  てましたから、その言葉を信じて待ちたいと思いました。
 乾杯の後、懇親会が始まりましたが、今回は中部支社の女性社員で
 初めて定年退職した
T.Sさんが初出席し、皆さんに挨拶していました
 が、会社にいた当時より若くなったように見えました。鯱会が出来た
 当時の管理部長で現在は奈良に在住の
G.Kさんも大阪に転勤以来、
 初めて出席し、皆さんに懐かしがられていました。
 私が退職してから12年経ちますが、現役の幹部も少しづつ入れ替わ
 り、今では半数の人が私の知らない人になりましたが、その内、ほと
 んどが知らない社員になるだろうと思うと少し淋しい気持ちにもな
  りますが、そうなる事が組織の活性化に繋がると思うので当然かもしれません。出席者の近況報告を聞いたり、
  社員の経歴を聞いたりしている内に午後2時になり、
S.Tさんの閉会の挨拶と一本締めでお開きになりましたが、
  最後に今回初めて全員の集合写真を撮り、来年の元気な再会を約束して散会しました。今年の物故者は2人だっ
  たので、来年は欠ける人がいない事を祈りたいと思います。


 11月17日(木)
 
 昨日今日と朝晩は多少冷え込みましたが、日中は暖かく感じる日になりました。家内は昨日の夕方、家に帰って
  から喉がおかしいと体温を計ったら、
37.9度あったので、薬を飲んで、早目に寝ましたが、朝起きて来た時に、少
  し楽になったと言い、体温を計ったら、37.2度だったのでインフルエンザではなく、単なる風邪かなと言ってまし
  たが、油断は禁物だと思って、今日一日は大人しくするように言いましたが、午前中は先日の健康体操の遠足の
  写真が出来ていたので集会所に持って行きました。午後からも日本画の
臼井治先生が味美公民館で仏画の市民
  講座をやるので人集めの為に出かけて行きました。夕方、帰って来た時にどうかなと思って様子を見たら、顔は
  元気そうだったので、朝と変わらないと思い、少し安心しました。
  我が家の恒例の
”クリスマス飾り”を、一昨日、家内が出して飾っていたのですが、バタバタして写真に撮るのを
  忘れていたので、午前中、写真に撮りましたが、最近は新しく増えた仲間がどれかも分からなくなって、飾ってあ
  る全体の写真しか撮らなくなりました。それでも、これを見ると、年末が近づいて来たなと思います。
   


 11月16日(水)
  第3水曜日なので家内は午前中お茶の稽古と午後から日本画同好会のフルタイムの稽古日なので、私は午前中
  はゴルフのお疲れ休みでゆっくり家で過ごし、午後から久しぶりに中部大学の
「伝統芸能論」の講義に出ました
  が、この講義は前半と後半で先生が変わる事になっていて、8回目の今日からは
「民俗芸能」”永田典子教授”
  が担当になりました。
  第1回目の今日は
「中世の芸能民」という事で概要だけの講義でしたが、平安時代は芸能と言っても範囲が広く
  今でも残っている”平曲”(へいきょうく:琵琶法師が平家物語を語る)や千秋萬歳(せんずまんざ:三河万歳など)
  、猿曳き(さるひき:猿回し)、放下(ほうか:輪鼓の芸=中国駒回し)等の他、ささら説経(大きな傘の下でササラ
  を擦りながら説経を語る)やたち君(夜、道端で客を引く)、相撲取り、巫女まで芸能民として見られ、他にも多様
  な職業が芸能としてあったようです。次回以降、詳細な講義があるようなので楽しみに出席したいと思います。


 11月15日(火)
  今年最後の「桃球会」のコンペがあったので出席しました。思ったより欠席者が増えて5組18名になりましたが、
  心配された天気は、雨の心配は無くなり、時々、太陽が顔を出す上々の日になりました。
  プレーの方は9月以来のゴルフでしたが、アウトはティショットもアイアンショットも良く、ロングホールでバーディ
  を取って、その後も何度もパーを取れるチャンスがあったのですが、1m位のパーパットを何度も外している内に
  ダブルボギーが続き、結局、
アウトは45でした。インに入っても同じような1m位のパーパットを外し、それでも、何
  とか43か44で上れると思っていたら、最終の18番でOBが出た上にアプローチも失敗し、9打も叩き、
インは47
  
トータル92という結果になり、所詮、これが今の私の精一杯の力だと思いました。
  
優勝は80歳のE.Sさんでアウト49、イン54、トータル103、ハンデ30、ネット73の1オーバーでの優勝でしたが、80
  歳になっても元気にプレーできる事が凄いと思います。今回の参加メンバーの平均年齢が75歳で80歳以上の方
  が3人いますし、腎臓透析をしている
隣のI.Kさんも久しぶりに参加して、スコアは別として、元気になった姿を皆
  さんに披露しました。今回が第153回というこの会がいつまで続くか分かりませんが、72歳の若手としては皆さ
  の元気を貰って頑張らなければと思います。

  夕方、帰って来る時には既に日も暮れて真っ暗になっていましたが、雲が掛かってい
  たので、夕食の時に話題の
”スーパームーン”を見るのは無理かなと家内と話してい
  たのですが、天気予報では晴れとなっていたのに可笑しいわと、午後9時半頃に家内
  が外を見たら、雲一つない澄んだ夜空に大きめの月が良く見えました。
  早速、カメラを持って撮ろうとしましたが、倍率をあげてカメラを構えても手振れが
  ひどく、上手く撮れないので三脚を持って来て撮ったら、何とかうまく撮れました。
  今のデジタルカメラの凄いと思うのは人間の目より確かなレンズを備えているのか、
  後から見ると、自分の目で見たものより細かい部分が写っているのが分かりました。
  月の表面がどういう風になっているのか分かりませんが、カメラを通じて見える部分
  にも凹凸だけは良く分かります。



 11月14日(月)
  家内はいつも様に義母の所に出かけて行きましたが、午前9時過ぎにCCネットの回線をヒカリファイバーに変更
  する為の工事業者が来たので、私は終了するまで家にいる事になりましたが、2時間程度と聞いていたのです
  が、最終的に終わったのは午後1時頃でした。ヒカリに変更したのでインターネットが早くなるのか聞くと、無線ル
  ータ-が対応している機器なら早くなるはずですと言われても、自分ではわからないので、再来週、娘一家が
  来た時に
婿のnao君に確認してもらう積りです。
  午後から我が家の電話の子機の1台が調子が悪くて、ずっと使えない原因が、説明書を読んでいて、充電池かも
  しれないと思い、近くの
「エイデン」に子機を持って行って相談すると、11年前の機種なので充電池はあるが、充
  電器は店に無いので、出来るかどうかは自宅の子機の充電器で試して下さいと言われました。言われてみれば、
  尤もな話なので、家に帰って、さっそく、試したら途中までは充電しているので大丈夫のようですが、充電に10時
  間掛かるので明日の朝には分かると思います。



 11月13日(

  午前8時30分から「春日井クリーン作戦」があり、家の周辺の道路や側溝を掃除した後、担当の地域に行って清掃
  をするのですが、私は今日は家内が
剣道六段の昇段試験が午後からあるので、担当の三角公園の掃除を途中で
  やめて帰って来ました。
 午前10時過ぎに家を出て、試験会場の名古屋市の
「枇杷島ス
 ポーツセンター」
に向かいました。剣道の昇段試験は年齢の
 近い人を4人1組にして、その内、2人と試合をして、その様子
 を試験官6人が見て〇×を付け、4つ以上で合格、3つ以下で
 不合格となるようです。
 六段の昇段試験は午前中、若い人達の試験があり、午後から
 は何歳以上か分かりませんが、年齢の上の方の人達が受験
 するそうですが、今回の最高齢は昭和6年生まれだと言うの
 ですから、85歳の人が昇段試験を受けています。午後からも
  A~Fの若い順に6つのグループに分けられ、家内(68歳)は今まではEグループの最後の方だったのが、今回は
  Fグループの4組目と言うのですから、一番高齢者のFグループ(100人位)は65歳から85歳の人達がいる事に
  なります。
  私は午前11時過ぎに会場に着き、待っていても仕方がないので、家内を下ろしてから栄の方に行きました。お昼
  を何処で食べようかと思いましたが、丁度、
「餃子の王将」があったので、十数年振りに入り、餃子とちゃんぽん
  を食べました。単身赴任で滋賀の近江八幡市と三重の亀山市に住んでいた時には、良く食べに行ったのですが、
  退職して春日井に帰って来てからは一度も行った事が無かったので、懐かしかったし、味も同じだと思いました。
  午後2時過ぎに試験が終わったと連絡があったので、会場に行くと、合否は家内たち前半の人は午後3時頃にあ
  ると言うので、待っていたら、残念な結果報告でしたが、家内の方は試験が終わった安堵感が強いのか、落胆し
  た様子はありませんでしたが、後から悔しさは出て来ると思いました。



 11月11日(金)
  朝起きて新聞を取りに行くと、さっきまで雨が降っていたのか通路が濡れていましたが、空は雲が切れて青空が
  見えていました。午前中、旅行の写真の整理をしながら、
「無尽陶舎」の中国旅行の書き込みをしました。
  2,3ヶ月前から急に空咳が出るのが気になっていたので、午前9時頃に
「坂井耳鼻咽喉科」に電話して予約をした
  ら、
114番だったので、昼頃になると思い、早目のお昼を済ませ、午前11時30分に電話で確認すると、まだ73番
  を診察中だったので、まだ1時間以上は掛かると思いました。
  午後12時半に行くと、まだ94番でしたが、この頃になると来ない人もいて、私の診察は
午後1時頃になりました。
  診察の結果は特に喉に異常もなく、潰瘍の様なものも見当たらないので、空気の温度差やアレルギーのせいで
  空咳が出ていると言われ安心しました。
  気持もスッキリしたので、床屋に行き、頭もスッキリしてから来週15日(火)に
「桃球会」があるので、王子ゴルフ練
  習場で1時間練習をして家に帰り、午後4時過ぎからプールに行きましたが、行った時の入場者数が24人で25m
  プールには5人しかいませんでした。5時からは水泳教室の子供達が30人来たので賑やかになりました。


 11月10日(木)
  今季一番の冷え込みなると、昨日の天気予報で言ってましたが、今朝の温度計を見ると5℃を指していました。
  家内は健康体操の遠足で豊川・渥美半島方面に出かけて行きましたが、今年は会長さんを引き受けているので
  24名の参加者を引率して行くのは大変だろうと思います。
  午前10時から
「東部中国語同好会」があったので出席しましたが、終わってから、会計のH.Mさんから今の6人の
  メンバ-だと12月で余剰金が無くなるのでどうしましょうかと相談がありました。
  12月で終了するか、継続するのなら、3ヶ月6,000円の会費を7,000円にすれば、何とかトントンでやっていけると
  言われたので、12月に他のメンバーに相談する事にしました。
  テレビではアメリカ大統領選挙で
”ドナルド・トランプ”の当選が確定した昨夜からその話題ばかりで、今後の日米
  関係がどうなるのか気になる所です。



 
115日(土)~119日(水)「世界遺産泰山・曲阜と青島・梁山泊5日間」の旅に出かけました。今回は初めて大阪
  のクラブツーリズム主催のツアーに参加しましたが、かなり、お値打ちなツアーという事で一行は29名という中
  国ツアーでは久しぶりに大人数の団体でした。
  
115日(土)午前6時前に起きて、朝食が午前7時からなので、午前740分岸和田駅発の急行に乗る為に出発
  の用意をしてから1階のレストランに行きました。朝食は食べきれないくらいで、卵2,3個分のオムレツにハムが2
  枚、ソーセージ2切れ、ほうれん草炒め、トウモロコシのマヨネーズあえに野菜サラダにパンが2個とオレンジジ
  ュースまで付いていたので食べきれなくて残してしまいました。
   
  午前7時20分にホテルを出ましたが、5分もかからない内に岸和田駅に着いたので、少し、駅前で時間をつぶし、
  午前7時40分発の関西国際空港行きの急行に乗りましたが、車内は大きなスーツケースを持った人達がいっぱい
  で、座れませんでした。午前7時57分に空港に到着、第1ターミナルの北団体カウンターで受付をしましたが、大
  阪のクラブツーリズムは説明も簡単であとは自分でやって下さいという感じでした。搭乗手続きや手荷物検査も
  思ったほど時間がかからず、出発ターミナルに入ったのは午前8時50分頃でした。免税店で次男のたばこを買っ
  て、少しターミナル内を見学しましたが、セントレアよりは大きいと思いますが、他の国の国際空港に比べると本
  当に小さいと思いました。16番搭乗口はウィングシャトルに乗って移動するのですが、直ぐに着き、時間があった
  ので、少しだけ旅行記を記しました。
  全日空NH977便は午前10時30分に搭乗開始、午前10時55分に離陸しましたが、機内は90%位の乗客でしたが、
  私は中国人の団体の隣の通路側席だったので、空いていた一番後ろの席に移動しました。午前11時30分に機内
  食が出ましたが、味噌味の野菜と豚肉煮にミートボール、野菜サラダ、デザートで、やはり、日本の航空会社の機
  内食は良いと思いました。
   
  飛行は順調でしたが、青島空港上空に近づくと大気は少し汚れている感じがあり、遠くはもやっていました。現
  地時間午後12時30分に到着、
「青島流亭国際空港」はそんなに大きな空港ではないので入国手続きも簡単に短
  時間で済み、午後1時20分には現地女性ガイドの
”唐合梅”さんに迎えられ、大型観光バスで午後1時40分にシ博
  に向かって出発しました。
  今日の青島の昼の気温は20度とかなり暖かい日になっていましたが、唐さんは今回の山東省を巡るツアーは

  行程1,350km
になり、気温は7度から15度くらいになる予定で、泰山の頂上はもう少し寒いかもしれないと言っ
  てました。
  集まったツアーメンバー29名は夫婦6組、女性2人連れ2組、男性4人連れ1組、2人連れ2組、1人参加の女性2人、
  男性3人のという内訳でしたが、遠くは私と岡山の男性2人、山口の夫婦でした。
  青島付近の青銀高速道路は交通量が多くなり、片側2車線を4車線にする拡幅工事中ですが、路肩が仮の所があ
  あるので運転手は気を使って運転しないと危ないと思いました。
   
  午後3時に
「イ坊服務区」でトイレ休憩しましたが、中にいくつか店屋は入っていて賑わっていました。2時間程、
  走って来ると、曇って冷たい風が吹いていたので、か
  なり、寒く感じました。高速道路を走っている間中、モヤはひどく慢性のスモッグのような感じでした。イ坊を過ぎ
  ると高速道路の両側にはいろいろなビニールハウスが並んでいましたが、山東省は野菜や果物の収穫量は中国
  一でこの辺のビニールハウスは野菜を作っているそうです。

  臨シICを午後4時に出て、午後4時20分に
「斉文化博物館」に行きましたが、ここは最近出来たばかりの博物館で
  すが、午後4時半までに入らなければとガイドの唐さんが焦っていましたが、何とか間に合って入館し、館内ガイ
  ドの女性の説明を唐さんが日本語で説明してくれました。
   
  入ってすぐのホールにある斉の
”始祖太公望呂尚”や英雄を描いた銅板の大きさにはさすが中国と驚かされまし
  た。斉文化は太公望が斉の国に封じられた紀元前1000年頃から始まり、西周で発展し、春秋、戦国で繁栄し、秦漢
  まで続いたそうですが、そういった関係の資料が収められているそうです。
  大急ぎで石器や銅器、鉄器を見たので何をどう見たのか記憶がはっきりしませんが、私がシ博で見たいと思っ
  いた
”殉馬坑”は見学予定もなかったし、現在は工事中らしいので、その一部を復元した模型は印象に残っていま
  す。その他、複製品の
”孫子兵法竹簡”や漢代(BC202年~AD8年)の小さな”兵馬俑”は面白いと思いました。
   

  大急ぎで主なところだけ回って午後5時過ぎに見学は終わり、その後、今日の宿泊ホテル
「斉都大酒店」に行き
  ましたが、昔は立派な4つ星ホテルだった面影はありますが、午後5時半過ぎにチェックインをして、部屋に入っ
  て、シャワーや空調を試してみると、シャワーの湯はぬるいままだし、部屋のエアコンは全く効かず、厚着をして
  凌ぐしかなさそうでした。
   
  夕食はホテル2階のレストランで食べましたが、料理はまあまあの感じでした。部屋に帰って、少し経ってガイドの
  唐さんが様子を見に来ましたが、本人も分かっているので、何も言い訳はせずに謝って、明日は良いホテルです
  からと言って引き揚げていきました。寝る時は寒さ対策で掛け布団を2枚にして寝ました。

  11月6日(午前5時に目が覚めましたが、寒くて起きるわけにいかないので、ベッドに入ったままでテレビを見
  ていました。午前6時過ぎに起きて用意をしてからホテルの近くを散策しましたが、日曜日のせいか車も人も少
  ないような気がしました。近くにアヒルを売っている店が2軒開いていましたが、こんなに早朝から買いに来る人
  がいるのかなと思っていたら、1軒の店に買いに来た人がいました。
   
  午前7時から朝食ビュッフェが食べられましたが、これが4つ星ホテルかと思うような内容で、本当に田舎のホテ
  ルの朝食と大して変わりませんでしたが、元々、朝はそんなに食べないので気にはなりませんでした。スーツケ
  ースを持って降りていたので、朝食後、キーを返してそのまま、バスに乗りました。
   

  午前7時40分にホテルを出発し、古い町並みの商店街が残っている
”周村”に向かいました。午前9時に周村の大
  街に到着しましたが、ここは2000年以上前から栄えた街で清朝時代に今の形になったようです。両側はレンガ
  造りの家並みが続き、かっては銀行だったとか酒屋だったとか、今では別の商売をやっている店の表に昔の商売
  の内容が書いてある店が何軒かありました。その中には今は骨董屋になっている日本の
「鈴木洋行」の跡もあり
  り、日本人の活躍の広さを感じました。
   
  
「周村大街」はなんといっても街並みに雰囲気があり、歩いていても昔を彷彿させる感じが十分ありました。街
  の中ほどに周村名物の
「天下第一村」”香酥焼餅”(薄焼き煎餅)の博物館と工場があり、今でも手作りで作る
  薄焼き煎餅はパリッとして、ゴマが付いていてなかなかおいしかったので私も2箱だけ買いました。
       更に街を歩いていると、タコ焼き器のような道具にウズラ玉子を1個1個割って凹んだ所に落とし、しばらくすると
  長い串で刺していましたが、時間が経つとひっくり返して焼き上がりらしいのですが時間が無かったので完成品
  は見る事が出来ませんでした。さらに奥に行くと”今日無税”という石碑が建っていて、昔はこの町は税金が免除
  されていたことがある証拠らしいです。

  
午前10時に周村を出発し、高速道路で、午後12時15分に昼食会場の泰山の
「美名山水酒店」に着きました。見慣
  れた料理の他に粟で作った紙のようなものが出てきて、北京ダックのように他の料理を包んで食べる為の物で
  、初めて食べましたが、どの料理に合うのか分かりませんでしたが、中国料理の奥の深さを感じました。他にも小
  エビの唐揚げや蕎麦?とピーマン炒め、わかめ炒め等の料理が10種類以上出てきました。
   

  午後1時10分に昼食会場を出発し、バスで泰山の登山コースの1つ
”桃花源索道コース”駐車場に午後1時30分に到
  着しました。そこからグリーンバスでロープウエイ下駅(標高800m)まで行き、ロープウエイ上駅(標高1300m)に
  午後2時20分に到着しました。ここから延べ700段の階段を上って、泰山の頂上
“玉皇頂(1545m)“に行くのです
  が、泰山に上るコース3つの内で一番楽なコースという話でした。
   

  ゆっくり歩いて最初に
「南天門」につきましたが、ここはどのコースから上がって来ても、本当の泰山の入り口の
  ような所で、この先の
「天街坊」の碑坊を通れば天街があり、ホテルやレストラン、土産物屋が集中している所で
  す。さらに上がって行くと
“五岳真形士”という石碑があり、これは1300年前の金宋時代に建てられた石碑で、中
  国の5嶽(東嶽泰山・南嶽衝山・中嶽嵩山・西嶽崋山・北嶽恒山)について記してあるそうです。
   

  天街から急な階段を上って行くと、頂上への最後の関門、
「西神門」をくぐると「碧霞祠」があります。「碧霞祠」
  は宋代に創建された道教の寺院で
”玉皇大帝”の妹”碧霞元君”が祀られています。
  午後3時15分に崖に多くの碑文が刻まれている
“唐摩崖”に到着しました。ここで有名なのは唐の玄宗皇帝が封
  禅の儀式を行ったときに彫られたもので、立て13.3m、横5.3mの壁面に996文字が刻まれているそうです。
   

  午後3時30分に泰山の頂上
“玉皇頂”1545mに到着し、記念撮影をして、最も位の高い神”玉皇大帝”が祀られて
  いる
「玉皇殿」にお参りをして、近くにある漢の武帝の時代に建てられた“無字碑”を見ましたが、これが2100年
  前のものかと思うと凄いと思いますが、ここからの眺めが言葉に表せないという事で何も記されていないと言
  うのが、本当なんだろうかという疑問も起こりますが、昔だったら素晴らしい眺めだったと想像はできました。
   
   
  見学が終わり、頂上から降り始めた所に有名な
”五嶽独尊”の石碑があり、大勢の人が写真を撮るために並んで
  いたので、諦めて、石碑と日の出の名所”日観峰”の方に行く人々の写真だけ撮りました。更にゆっくり歩いてい
  ると、ガイドの唐さんが周恩来夫人の碑ですと教えてくれた文字に!マークが付いているのは他には無いと言
  ってました。そんな話をしながらゆっくり歩いてロープウエイ上駅まで戻ったのは午後4時10分で、定員6人乗り
  のロープウエイにもう一度乗って、下駅まで降りて、そこからグリーンバスで駐車場まで降りました。

  午後5時に泰山の来た時の
“桃花源索道センター”に戻り、再び、観光バスに乗って、今日の宿泊先泰安市の「宝
  盛大酒店」
に向かい、午後5時50分に到着しましたが、明日の観光でまた泰山のふもとの「岱廟」に来るので往
  復の時間が無駄だと思いますが、旅行会社の事情で仕方がないのでしょう。
  ホテルで夕食を食べると聞いてから部屋に行きましたが、入った部屋には応接間があり、その奥に寝室があり、
  1人では使いようがない広さでした。中国でこんなに広い部屋に1人で泊まるのは初めてのことです。
   
  午後6時半から2階の個室
“名流閣”での夕食は素晴らしいと言えるような料理が出ました。豆腐料理が名物で料
  理の盛り付けや味付けはもちろんですが、従業員の態度もよく、お茶や足りない皿やお椀を頼むとすぐに対応し
  てくれて、久し振りに気持ちの良い夕食でした。
   
  唯一残念だったのか部屋のエアコンがまだ使えなかった事ですが、部屋自体が昨日のホテルより暖かかったの
  で寒さはそれほど感じませんでした。

  
11月7日(月)午前5時半過ぎに起きて、午前6時半からの朝食に行きました。昨日のホテルよりは種類も多くて良
  いと思いました。麺と水餃子をやっていたので麺を食べましたが、中国の麺の感じで、水餃子を食べた人はおい
  しいと言ってました。デザートも充実していてケーキが見やすいように棚に並べられていました。
   

  午前730分にホテルを出発しましたが、外はかなりの雨が降っていました。午前840分に泰山の麓
「岱廟」
  に到着、私たちは裏門の
「厚蔵門」から入場し、後ろから見学する事になりました。入ってすぐに目についたのが
  大きく高い銀杏の木でしたが、この木は「岱廟」で一番高い
銀杏で樹齢1,000年以上と言われているそうです。
   
  
「岱廟」は戦国時代(BC403~BC221)には既に廟が建っており、現在の「岱廟」はおよそ1,000年前の北宋時代に
  拡張された敷地や建物が基になっているので、古木が多いのは当然かもしれません。
  次いで、正殿の
「天殿(てんきょうでん)」に行きましたが、ここは古代の皇帝たちが神を祀った場所で、北宋の
  1009年の創建で高さ22.3m・幅48.7m・奥行19.8mで間口9に対して奥行が5の比率の宮殿様式が採用されてい
  て、
北京故宮の大和殿曲阜孔子廟の大成殿と並び、中国古代三大宮殿1つに数えられています。
  中には玉皇大帝が祀られており、壁には高さ3.3m長さ62mもある宋代の壁画が描かれていました。屋根の上の
  飾りは7つで北京の故宮より少ないそうです。
   
  
次に
「東御座」に行きましたが、ここは元代の1347年に創建され、元代や明代に貴人が休憩した場所で、今では
  文物陳列館として皇帝の祭品などが展示されているそうです。
  続いて、
「秦泰山刻石」を見ましたが、この石碑は紀元前219年、秦の始皇帝が封禅の儀式を行った際に泰山山
  頂に建立されたものですが、彫られているのは
”李斯(りし)”という大臣によるもので、泰山に現存する最も古い
  石碑で、当時は222字刻まれたそうですが、現在、確認できる文字は9字になっているそうです。
  つぎに
「漢柏」(コノテガシワ:日本のカシワとは違うヒノキ科の常緑樹)を見ましたが、これは漢の武帝が封禅の
  儀式を行った時に植えられたと記されている
書籍(水経注)があり、現存するのは5本のみですが、樹齢2000年
  以上と思うと凄い木に見えます。事実、木の表面は古木を感じさせるには十分な雰囲気があります。
  岱廟内には歴史を感じさせる古木が至る所にあり、表面がタオルを絞ったようになっている木もあり、どうして
  こうなるのか不思議な感じがしました。

  そこから少し歩いていくと、大きなカメに乗った石碑が両側にありましたが、岱廟で最大の
”亀趺碑(きふひ)”
  北宋の1124年に建てられた高さ9.25mの
「大宋東岳天斉仁聖帝碑」と岱廟で最も古い北宋の1013年に創建され
  た
「宣和重修泰岳廟記碑」です。
   
  最後に正面になる
「正陽門」から出ましたが、「正陽門」の前には1672年に創建の「岱廟坊」がありますが、坊上
  には8体の石獅子がいました。午前10時過ぎに見終わって午前1010分に
「水滸伝」の舞台として有名な梁山の
  の
「梁山泊」に向かって出発しました。

  
途中の道路の両側には一面の白菜畑が広がっていて、収穫の最盛期なのか所々で働いている姿も見えました。
  野菜高の日本にはうらやましいような景色でした。
  午前1120分に給油の為にガソリンスタンドでトイレ休憩を取りましたが、女性には大変できつい田舎のトイレだ
  ったようです。
  午後1230分に梁山ICを通過し、午後1250分に昼食会場の
「杏花村大酒店」のレストラン「水湖酒楼」に到着
  しました。この店の料理も初めて食べるようなものが出て、みなさん喜んでいましたが、最初に名物おじさんの
  焼きパン?が出て来て、焼き立ては皆さん美味しいと言って食べていました。他にも酢レンコンとか細切白菜の
  醤油の様なタレを掛けたものとか、スープに揚げ麺を入れて食べるとか今までにない料理でした。私が面白いと
  思ったのは粟の皮に細ネギを1本載せて、味噌や塩の様なものなど種類の調味料をつけて巻いて食べるのは初
  めての経験でした。
   
   

  午後140分に店を出て、
「梁山泊(梁山寨)」の入口に到着しましたが、、入口脇に「水滸伝」の作者“施耐庵”
  石像が立っていました。400段の階段を上ると聞いて、しり込みする人もいましたが、ガイドの唐さんのゆっくり
  上がりましょうという言葉に励まされ、全員行くことになりました。
  入り口からゆったりして階段を少し上がると、岩に文字が刻まれている所に
“水泊梁山”とか他の文字が刻まれ
  ていましたが、中国はこういう摩崖が本当に好きなんだと思いました。
   

  そこから
「水滸伝」英雄108人の数の階段をさらにあがると「“逼上梁山”屏風」と書いてある石板の彫刻を屏風
  にに例えている新しいものが飾られていましたが、豹子頭・林衝が雪の夜に梁山に登る場面を描写しているとな
  っていました。ここからは梁山市内が一望でき、そこから更に上がると、梁山泊の頭首
“宋江”が馬を使って物資
  を運んだという
「宋江“馬道”」があり、その先に、ここから色々な所を見ながら号令を出したという「号令台」
  ありましたが、本当にここからの眺めは素晴らしいと思いましたが、それにしても、中国の山は石の山だとよく分
  かります。
   

  更に進むと
「黒風亭」があり、順位第22位の”李達”が山の状況を見た所でその近くにあだ名黒旋風と言われた
  ”李達の石像”がありました。更に歩くと
「寨墻遺址」があり、ここは「忠義堂」の防御城壁の役目をしている場所
  です。そこから、少し上がると
「花栄像」があり、順位第9位であだ名は“小広”で弓が得意の女傑です。
   

  
更に上っていくと午後250分に
「忠義堂」に到達しました。「水滸伝」の中心的な建物で、“宋江”「梁山寨」
  
の頭首になったときに聚義堂と言われていたのを「忠義堂」に改名したそうです。中には水滸伝の108名の英雄
  の幟と椅子があったので、頭首宋江の椅子に座って記念写真を撮りました。
   

  
午後3時頃に
「忠義堂」から一気に下っていきましたが、登りと違い30分程で入り口まで到着しましたが、足の不
  自由な主人を支えているご夫婦は10分程遅れて来たのですが、仲の良いご夫婦でいつも奥さんが笑顔でご主
  人の手を取って話しかけながら歩いているのは感心します。
  全員が揃ったところで、午後4時前に今日の宿泊地の曲阜に出発し、午後5時半過ぎに曲阜の街に入りましたが、
  街灯が提灯の形をした通りを通って、午後550分に今日の宿泊ホテル
「闕里賓舎(けつりひんしゃ)」にチェック
  インしましたが、今日のホテルも何故か控えの間が付いていて、昨日のホテルと同じような感じでした。
   
 
  午後630分からホテルの夕食会場に行きましたが、今日は孔子の弟子の
”顔回”の子孫の”第14回国際交流大
  会”があるというので、世界中から顔氏の一族が集まって、大きな劇場のようなホールでは会議と宴会が始まろ
  うとしていました。
孔子が第79代と言ってましたから、何代目の顔回の子孫がいるのだろうかと興味はあります
  が、そういう催しがあるのはいかにも中国らしいと思いました。
  私たちの夕食も大きな個室でテーブルが6つもある部屋でしたが、行った時には中国人グループが帰る所で食
  事が始まった時には私たちのグループだけでした。このホテルの料理も昼間のレストランと比較しても遜色ない
  料理が出てきて全部おいしいと思いました。今夜は同じテーブルに座った2組の夫婦の話が面白くて、さすが、
  大阪のおばちゃんという感じで楽しい夕食でした。
   

  
11月8(火)午前5時半過ぎに起きて、昨日の傘やレインコートを処理し、旅行記をチェックして、朝食が午前7時
  からだというので、その前にホテルの近くを歩いてみましたが、前が「孔子廟・孔子府」という場所ですから、ま
  だ静かな感じでした。
   
  
午前7時からの朝食は5分前に行くとまだ開いていませんでしたが、直ぐに開いたので、席を確保してから料理
  を取りに行きましたが、昨日の中国人の一団が泊まっているだけに混雑して、横入りも当たり前ですから、ツアー
  の人が怒っていましたが、聞く耳持たずという感じでした。私も並んでいましたが、馬鹿らしくなって、後ろの方
  に行き、お粥と万頭、煮卵に炒め野菜を少しだけ取って食べました。

  午前7時50分にバスに荷物を置いてから、今日だけの現地ガイド
”修さん”に連れられて「孔子廟」の入り口に行
  くと、歌が聞こえて来たので、何事かと聞くと、今から“入場式”をやるので、みんなが見に来ていると教えてく
  れました。昔は1年に1回でしたが、今は観光用に、毎日、午前8時からやっているそうです。
  
「孔子廟」は孔子の亡くなった紀元前478年に魯国の哀公が孔子を祀る為に建てたもので、当時は3部屋だけだ
  ったのが、明清時代に増築が繰り返され、
南北1km、総面積2万㎡、部屋数466になったそうです。
  午前8時20分に
「仰聖門」を通って、入場口から入りましたが、パスポートを見せて、バッグやリュックは機械を通
  し、人間はセンサーのある所を通ってチェックを受け入場しました。ここまでうるさくやっている中国の世界遺産
  は他にないと思いました。
   
  清の乾隆帝の書いた額のかかっている1745年に再建された
「櫺星門(りょうせいもん)」を通って、孔子廟第2の
  門、明代の
「聖時門」を通って歩いていると、後ろから入場式の時の官服を着た人に先導された一団が来ました
  が、後でわかったのですが、この一団は孔子にお礼参りをする会社の人たちで
「大成殿」に向かっていったよう
  です。第3門の
「弘道門」は明代の1377年創建で、第4の門の「大中門」は金代には第1門だったそうです。
   

  第5門の
「同文門」の東西には祭祀を司る人が身を清めた斎宿があります。第6の門の「奎文閣(けいぶんかく)」
  
は宋の1018年創建で中国でも有名な古代木造建築です。工事中の「大成門」は一部塗り直しが終わって綺麗に
  なっていましたが、この門は第7門で、その奥にある
「杏壇」は孔子が弟子に学問を教えた所で、その後ろに本殿
  の
「大成殿」があります。
   

  
「大成殿」は宋の1018年創建で清代の1728年の改築の時に皇宮建築様式を許され、現在、中国3大宮殿建築の
  1つに数えられています。
「大成殿」の中央には孔子が祀られていますが、顔の一部が隠れているので全部は見
  られません。私たちが着いた時には先程の一団が孔子様に対してお礼の儀式をやっている最中でした。こういっ
  た儀式は30万元程度の寄付が必要ですから、お金が儲かった会社がお礼参りとしてやっているようです。
   

  「大成殿」の裏には孔子の奥さんの
“兀官氏(かつかんし)“を祀っている北宋時代に創建され、清代に改築された
  
「寝殿」があります。そこから右にターンして、少し歩くと、古い魯の時代の「魯壁」が少しだけ残っていて、傍
  には
「孔宅故井」と書かれた、孔子の家で使っていたという井戸があり、周りの石柵を叩くと何故か良い音がし
  ます。近くの
「詩礼堂」は孔子が息子を教育した場所です。
   

  午前930分に
「孔子廟」の見学を終わり、「毓粋門」を出て、隣の「孔府」に行きましたが、行くまでの道路の両
  側には土産物屋の屋台や物売りの荷車などが出ていました。少し歩くと「孔府」の入場口に着きました。
  ここは
“衍聖公府(えんせいこうふ)“とも言われた孔子の嫡子が暮らした邸宅で、現在、敷地内には460もの部
  屋があるそうです。入場の仕方も同じでパスポートを見せて、荷物チェックを受けました。
「孔府大門」を通った所
  に大きな
”エンジュの木”がありましたが、特に銘板もなかったのですが、ガイドの修さんに聞くと樹齢2000年以
  上と言ってましたが、あちこちにそんな古木があると、謂れのある木しか銘板を付けないのかなと思いました。

  「聖人の門(二門)」
を通ると、明の1502年創建の壁がない「重光門」があります。“儀門”とも呼ばれ、特別の行
  事のみに使用されたそうです。
   

  その先に
「大堂」があり、主人の“衍聖公”が勅命を受けたり、官吏と面会した公的に重要な場所で、“六代含飴”
  という扁額が掛かっていましたが、これは清の順治帝から第66代目の孔興燮に下された勅命で、6世代の家族
  が一つ屋根の下に飴のように甘く仲良く暮らしなさいという縁起の良い額なので、これにちなんだ飴が作られ
  ているそうです。大堂の中には儀礼に使う道具類や
“寿”の石碑がありましたが、この碑は清の西太后からの贈
  り物だったそうですが、今は西太后が悪者扱いなので粗末に扱われていました。
   
   
  
「内宅門」を通って居住区に入りましたが、「前堂楼」は第76代目、「後堂楼」は第77代目が暮らしていたそうで
  すが、77代目は1949年に台湾に逃げたので、孔子の本当の嫡子の系統は今は台湾にいて、第79代目と子供の
  第80代目が元気に暮らしているそうです。持って行った財宝の一部は台湾の故宮博物院に収められているそう
  です。最後の
「花園」の手前に売店があり、先程の“六代含飴”の言葉にちなんだ飴を売っていたので、皆さん、
  たくさん買っていましたが、私は1(20元)だけ買いました。
   

  
「花園」の中に小さな舞台があり、丁度、舞曲をやっていましたが、京劇の時のような歌い方で、独特のメロディ
  でした。奥の方には当時から温室があったようで、其の後を利用して柑橘類を育てていました。
   
  午前1020分に見学が終わって歩いてバスの所に行く途中で見事に紅葉した”櫂の木”がありましたが、誰かが
  私の故郷岡山の“閑谷学校”の櫂の木の紅葉を思い出したと言ってました。その近くには市内観光用の馬車が何
  台か停まって客待ちをしていました。
   
  この後は希望者だけ60元払って
「孔林」に行くことになりましたが、29名のうち22名が参加しました。バスで10
  
分ほど走った所にある
「孔林」は孔子3代をはじめとする孔家代々の墓があり、世界で最も長く続いている一族
  の墓地になるそうです。ここの入場も同じような感じですが、パスポートを忘れた人がいましたが、ガイドさんの
  交渉でOKになりましたから融通は利くようです。敷地があまりにも広いのでカートに乗って回りましたが、墓地
  内には石碑のない土饅頭だけの墓も無数に見られました。
   

  
「孔子墓」“洙水橋”と書かれた門の奥にありますが、墓門を通ると、参道の両側に獅子や龍の石像があります
  が、何故か全部笑っている石像で、孔子様の墓に来るとみんなが笑顔になるという意味らしいです。少し行くと
  
”子貢手植櫂”と書いた石碑があり、孔子の弟子の”子貢”が植えた櫂で今は根だけが残っていました。
   

  最初にあるのは孔子の孫で
“中庸”の著者で有名な”孔(こうきゅう)”の墓で、その先の孔子の墓の隣には孔
  子の息子で孔子より早くなくなった
”孔鯉(こうり)”の墓があります。”孔子墓”は石碑がふたつあり、手前の石碑
  は明の1413年に”黄養正”という書家によるもので、後ろの石碑は孔家第50代目の
”孔元”が作ったものです。墓
  の傍には弟子の子貢が墓守をしたと言う小屋が復元されていました。
   

  
見学が終わり、再び、カートで入り口まで戻り、午後1230分にバスでホテルまで戻り、お昼を食べました。私達
  の個室の隣の会場では結婚式が行われていて、なかなか賑やかでしたが、1階のレストランでも別の結婚式をや
  っていたので、今日は日が良いのかなと思いました。料理の方は昨日の夜とは違っていますが、どの料理もなか
  なかのものでした。
   

  午後150分にホテルを出発し、一路、青島に向かって出発しました。高速道路の曲阜インターの近くには
”孔子
  列国行”
の石像があり、孔子が弟子たちと馬車で列国を巡る様子が表現されています。
   
  午後1時に高速道路に乗り、途中、
「費県服務区」「諸城服務区」でトイレ休憩をして、全長41.25kmで世界最長
  の
「青島膠州湾大橋」を通って青島に入りました。青島に入ると午後5時過ぎの通勤時間帯で、渋滞があちこち
  であり、夕食会上の
「恰情楼」に着いたのは午後6時過ぎでした。
   
  この店は海鮮料理が売り物らしく、出てきた料理も今までの中国料理にはなかった貝柱や小さなあさりや牡蠣、
  海の魚が出て、豪華な最後の晩餐になりました。午後740分に店を出て今日の宿泊先
「黄海飯店」に着いたの
  は午後8時でした。このホテルは海の近くに建っていて朝日が見えるとガイドの唐さんが言ってました。

  11月9日(水)午前5時過ぎに起きて、少し旅行記の整理をして、朝食の前にホテルの前を歩きましたが、思ったよ
  り冷え込んでいましたが、通りは静かでした。午後7時前に帰ってきてホテルの部屋から見ると、朝日が見えて来
  ましたが、今日は寒い分、空気がきれいで海の方もよく見えました。
   
  早い班は午前750分から
「青島ビール工場見学」があったのですが、50元払って朝から試飲のビールも飲め
  ないと思い参加しませんでしたが、参加者は10名だったそうです。

  
2班は午前910分集合なのでゆっくり朝食を食べましたが、メニューの数が珍しい焼き栗や生野菜、お粥類
  、スープ類をはじめ30種類以上で驚きました。といっても、私が食べられる量はほんの僅かで、目玉焼きとウイン
  ナー、キャベツ炒めと万頭に揚げパンを食べましたが、麺をやっている所が分かったので、少し食べたら、麺は普
  通でしたが、スープが美味しくて驚きました。
   

  午前920分に早出組が帰って来たので、全員揃って、青島市内観光に出発し、ドイツ風の建物がある街並みを
  見ながら、青島で最初にできた建造物の
「桟橋」に行きました。
   
  青島は1898年に膠州湾を99年間の租借地としたドイツのモデル植民地として街並みや街路樹、上下水道などが
  整えられ、今なお残る西洋風の町並みや青島ビールなどドイツがこの町に与えた影響は大きいそうです。
  1930年に長さ440mの
「桟橋」ができて突端にある「廻潤閣」は当時の姿のままで、青島ビールのラベルのデザ
  インはここがモデルになっていて、デイトスポットになっているそうです。

   
  青島湾の中には青島の命名のもとになった小さな島があります。ドイツ占領時代に当時のウィルヘルム2世が小
  さな島を見て青い海にぴったりで青島と名付けたのが青島の名前に由来らしいです。午前1040分に桟橋を出
  て、真珠の店
「珍珠展覧中心」に行きましたが、今はだれも真珠には興味を示さなくて20分程で出てきました。

  次にドイツ占領時代には別荘地で風光明美な
「八大関景区」というところに行きましたが、バスから両側の景色
  を見ただけで、どこが良いのか全く分かりませんでした。最後にお土産屋と言われ、皆さん、最後の元を使う積り
  だったのが、新市街のビルが立ち並ぶ一角にある4つ星ホテルの「青島敦大酒店」の中にある小さな店だったの
  でがっかりしたようですが、それでも、最後の元を使い切ろうと買い物をしている人もいました。
   
  午前1120分に店を出て、青島流亭国際空港に向かい、午後1210分に到着、荷物を整理して全日空の受付で
  搭乗手続きを済ませ、ここで5日間お世話になった
ガイドの唐さんと別れ、出国手続きに行きました。搭乗手続き
  は待ち時間もなくスムーズでしたが、出国手続きで少し待たされ、手荷物検査は今までより細かくチェックしてい
  いるので、かなり時間が掛かりましたが、それでも午後1時前には入場できました。
   
  出発は午後215分の予定で搭乗案内は午後145分というので、それまで旅行記を少しだけやりました。午後
  1時45分に9番搭乗口から予定通り搭乗したのですが、全日空NH978便は離陸の順番待ちで40分遅れで離陸し
  、暫くして機内食が出ましたが、魚の衣煮込みにうどんが付いていたのは初めてでしたが、行きと同じで日本の
  航空会社の機内食はおいしいと思いました。飛行も順調で日本時間の午後545分には関西国際空港に着陸し
  ましたが、実質飛行時間1時間50分という事になります。
  入国手続きで少し時間が掛かりましたが、午後615分には税関を通り、到着ターミナルに着きました。JR関西
  空港駅に着くと、特急はるかは出たばかりだったので、次の1846分のはるか48号にしました。新大阪駅に着い
  て、新幹線の駅に行くと“ひかり”は出たばかりだったので、次は午後826分までないので“のぞみ”の切符を
  買おうかと迷いましたが、もったいないので、“ひかり”で帰ることにして、家内に電話して帰宅が午後10時頃に
  なると言っておきました。午後912分に名古屋駅に着き、春日井まで中央線で帰り、家内に迎えに来てもらって
  家に着いたのは、丁度、午後10時頃でした。

  今回の
「世界遺産泰山・曲阜と青島・梁山5日間」の旅は初めて大阪出発のツアーに参加しましたが、29名のツア
  ーメンバーは、それぞれ、個性があって面白いメンバーだったので楽しい旅行になりました。岡山から参加して
  いた人もいて、田舎の話ができたし、中国通の人もいたり、世界中を旅しているご夫婦もいて勉強になりました。
  今回、1日目のホテル以外はすべて4つ星ホテルだったし、なんといっても良かったのは料理です。今まで中国に
  来ていて、今回は色々な料理が食べられた上に、本当においしい料理が多かったのは初めてだと思いました。
  現在、中国語同好会で使っている教科書に中国の八大料理の1つに山東省の
”山東料理”が入っているのが納得
  できる旅でした。



 11月4日(金)
  今日も秋晴れの天気になり、気温も7℃と昨日と同じような日になりました。私は午前中「南部中国語同好会」
  午後からは
「坂下パソコン同好会」に出た後、明日からの「世界遺産泰山・曲阜と青島・梁山泊5日間」の旅が関西
  国際空港からなので、今日、大阪まで入って、明日の朝、関西空港に楽に行けたほうが安心だと思い、岸和
  田駅近くの
「アパホテル」に泊まることにしました。
  
家に帰ってから家内に新しくなった春日井駅まで送ってもらい、午後4時半過ぎから春日井駅~名古屋駅~
  新大阪駅~なんば駅(地下鉄御堂筋線)-難波駅(南海電鉄)~岸和田駅(南海電鉄)と乗り継いで、ホテ
  ルに着いたのは午後7時半頃でした。一息ついてから駅の近くのラーメン屋で夕食を済ませましたが、岸和
  田は
”だんじり祭り”で有名なので、もっと賑やかだと思っていたら、駅の周辺は静かでした。



 11月3日(木)
文化の日
  今日は国民の祝日「文化の日」ですが、新聞を見ると憲法公布70年(昭和21年11月3日)の「文化の日」とあった
  ので、「文化の日」が憲法公布の日と言うのを初めて知った気がしました。5月3日の
「憲法記念日」は憲法施行
  の日(昭和22年5月3日)という事も改めて認識しました。
  今朝は
7℃と冷え込み、日中は冷たい風の吹く日になりました。特に北海道では早くも積雪があり、所によっては
  20cm近くも積もった所があったようです。
  午前中、昨日から明日まで開かれている
「第53回中部大学祭」を覗いて見ました。何年か前に一度行った事があ
  りますが、その時はステージを少し見て帰ったので、大学祭がこんなことをやっているのかと思った記憶だけが
  残っていますが、今回は各クラブや同好会が出している模擬店を見て、研究発表展も行って見ました。
  最初に10号館北広場の特設ステージに行きましたが、今日は午後12時から
「お笑いライブ2016」があるのです
  が、人気タレンが来るので行列は出来ていましたが、まだ時間が早くて開場していなかったので、模擬店の沢山
  出ているメインストリートに行くと、お好み焼きやタコ焼き、豚汁、スウィーツの店、焼き鳥等、バラエティーに富ん
  だ店のテントが並んでいて、学生さんが一生懸命呼び込みをしていました。私も何かお付き合いと思い、家内の
  お土産に大判焼き80円を2個買いました。
  その後、25号館に行き252Aゼミ室でやっている
”日本語日本文化学科”の発表展「文芸映画館」を見ましたが、
  内容は日本文学で映画化された作品の事を解説し、映画のポスターやパンフレット、書籍を展示して、パソコンで
  DVDを見られるようになっていました。
   


  午後3時からプールに行き、午後5時過ぎに家に帰ってから、午後6時過ぎに家内の誕生日祝いという事で次男と
  3人で近くにある
「ステーキの宮」に行きました。いつもはアルコールは飲まないのですが、家内の誕生日という
  事で料理と一緒に3杯分というデキャンターで白ワインを注文したら、ワイングラスに目いっぱい注いだ3杯分だ
  ったので飲みきれるかなと思いましたが、家内と2人で乾杯した後、1人でゆっくり楽しみながら飲み干しました。



 11月2日(水)
  
朝の冷え込みが強い予報でしたが、新聞を取りに行った時に温度計を見ると9℃だったので、思ったより高いと
  思いました。家内は午後の「日本画同好会」が臼井先生の都合で休みになったので、午前中のお茶の稽古は着物
  を着て出かける為に早目に着換えに2階に行きました。
  私は午前中にゴルフの練習をして、春日井駅で切符の変更をしたあとで腰の治療をする積りで、早目に午前9時
  前に家を出て、
「王子ゴルフ練習場」に行きました。既に隣のI.Kさんが練習していましたが、練習が終わって、先
  に出て行ったら、直ぐに帰って来て、自分の打席付近で何かを探しているの、理由を聞くと、車のキーをテーブル
  ルの上に置いたはずなのに無くなっていると言うので、私達の歳になると勘違いが当たり前だから、他もよく探
  してと、I.Kさんのズボンやキャディバックのポケット、他の打席のテーブルも探しましたが見当たらず、最後にキ
  ャディバックの大きいポケットのレインコートやタオルを全部出してみたら、ポケットの一番下にありました。
  本人には大きいポケットに入れた記憶は全く無く、何かの勘違いでテーブルの上に置いたと思い込んでいたの
  で、大きいポケットは探さなかったようですが、私も同じような事が良くあります。
  実はゴルフの練習が終わってから、春日井駅に切符の件で行ったのは、昨日、4日(金)の切符を買いに行ったの
  ですが、ジパングの乗車券購入証に書いた日付が中国に出発する5日(土)になっていたのを、切符を買って帰
  ってから気がつきました。中国ツアーの
出発が5日(土)ですが、名古屋からだと、当日の時間が心配だと思い、
  前日の4日(金)に岸和田のホテルに泊まる事にして、4日の切符を買う積りが、申込書には無意識に5日と書いた
  ようですが、私自身は4日と記入したと思い込んでいたようです。
  2つの例だけなく、我が家では思い込みや勘違い、物忘れは度々起こるので、家内も私もそういう事があっても
  、当たり前の事だと思うようにしているので、真面目な
I.Kさんにも、あまり、気落ちしないように言いました。


 11月1日(火)
  今日から11月ですが、1年の早さを感じるというか、今年もあと2ヶ月しかないと思うと本当に月日の早さを感じ
  ます。朝まで降った雨も止み、午前10時頃からは晴れ間も出て、気持ち良い日になるのかなと思ったら、午後か
  ら冷たい風の吹く日になりました。
  家内は婦人剣道で
「誠武館」に出かけたので、私は先月30日()から改装工事を終えて、利用が始まった春日
  井駅の見学を兼ねて、関西国際空港出発の中国ツアーの為、4日(金)の大阪までの切符を買いに行きました。
  午前10時過ぎに駅の待車場に着くと、結構、車が多かったので、見学の人も来ているのかなと思いました。駅舎
  のすぐ近くはまだ工事中の所もあったので、100%完成しているわけではありませんでした。それでも、旅行の時
  に、いつも、スーツケースを持って階段を上がり降りする時に苦労していたのが、上下のエスカレーターとエレベ
  ーターが出来た事で楽になったと思いました。エスカレーターで階上に上ると、南口への自由通路があり、これ
  からは自由に駅の南北の往来が出来るようになりました。北口から南口に向かって右側に切符売り場、中央右奥
  に改札口があり、私はジパング利用の30%Offの乗車券とひかり自由席の切符を買いました。
  帰りはエレベーターを利用して1階に降りましたが、降りた所に
「春日井情報発信センター(リリック:Rilick)」と言
  う所が有りましたが、春日井の魅力を伝える役目を担っているそうですが、頑張ってほしいと思います。
   

  11月1日の我が家の庭は、先日、家内が切った後、花が付いた一重のクレマチスとは別の
八重のクレマチスが白
  い花を3輪も咲かせ、
ハギも次から次へと咲いて目を楽しませてくれます。我が家のススキもやっと見頃になり、
  
マンリョウもほんの少しだけ色づいて来て、南天の実もオレンジ色になって来ました。
   


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