|
||||
10月31日(土) 家内は今日明日と私達の住んでいる桃花園で「文化祭」があり、明日の模擬店でおでんを売るので、その準備 の為に大きな鍋と包丁を持って集会所に出かけて行きました。 ![]() 梗塞で倒れても頑張って旅行に来ている人達の話をして、同じ年代の私達も元気な内 は頑張ろうと言う話になりました。 お昼を食べてから、文化祭の会場になっている「老人いこいの家」に行き、出品している 作品を見ましたが、幼稚園や小学生の絵や書から団地住民の趣味の写真や日本画、水 彩画、木彫り作品や編み物、陶芸作品等の他にプロ顔負けの仏画や人形作品があり、皆 さん、熱心に見ていました。 家内も毎年、日本画や仏画を出品していますが、今年は日本画を出品していました。そ の他、舞台の上では鉄道模型のジオラマがあり、子供達が一生懸命見ていました。 明日はこの舞台で芸能発表会があり、どういう訳か私に司会者の役が回って来て、断る事も出来なくて、初体 験の司会をやる事になっていますが、どうなるか分かりません。。 10月30日(金) 昨日今日と中国ツアーの整理やホームページ「無尽陶舎」の更新をして、午後3時頃にやっと終わったので、午 後4時からプールに行きましたが、11月9日(月)から休みになるので水泳教室も無く、月末近くのせいか、私が 行った時にはプールは入場者18人となっていて人もまばらでした。 中国ツアーでかなり歩いたお蔭か、体重も変わりなく、体調もまずまずで、泳いでいても以前と同じ感じだっ たので安心して500m泳いだ後、流水プールの逆流を40分歩きました。今日は中国ツアーで頑張っていた人を 思い出しながら、こうやって日々続ける事が毎日元気に過ごせる秘訣だと思って頑張りました。 10月24日(土)~10月28日(水)クラブツーリズムの「世界遺産武陵源といにしえの長沙 5日間」のツアーに今回 も一人で参加しました。中国に一緒に行った人達がこぞって良かったと言う話を聞いていたので、早く行きた いと思っていたのですが、タイミングが合わなくて行けなかったのが、今回は日程が丁度良かったので行く事 にしました。今回のメンバーは夫婦4組、女性3人連れ1組、男性1人が4人の合計15人のツアーでした。 24日(土)午前9時半過ぎに家内に春日井駅まで家内に送ってもらい、午前11時過ぎに中部国際空港に着きまし た。クラブツーリズムのツアーカウンターで受け付けを済まし、添乗員のT.Yさんに説明を聞き、中国東方航空 のカウンターでスーツケースを預けましたが、私の受付が研修生でかなり時間を費しましたが、手荷物検査や 出国手続きはガラガラだったので午後12時頃には済みました。 機内食は2時頃になると聞いていたので、搭乗口近くの店でお茶とマフィンを買ってかるくお腹を満たしてお きました。午後1時15分から搭乗開始、MU530便はほぼ満席で定刻の午後1時40分に出発しました。上海浦東空 港第1ターミナルに現地時間午後3時10分に到着、入国手続きをして、そのまま、国内線乗換の手荷物検査を受 けて、張家界行きの203搭乗口近くまで行き、午後6時40分発の飛行機に乗るのですが、2時間ほど待ち時間が あるので自由行動となりました。 今回のツアーは長沙~セントレアの航路開通記念の一環で中国東方航空から80元の無料飲食クーポン券がツ アーメンバーに配られてので、その券を使って、皆さん、思い思いの食べ物や飲み物を注文して使っていまし た。私はコーヒー49元とチーズケーキ19元を注文しましたが、合計68元で80元ぴったり使うことは出来ません でした。 ![]() ![]() ![]() ![]() 午後6時前に再び203搭乗口に行くと、間もなく搭乗開始になり、10分遅れのMU5375便は午後6時50分に上海 空港を飛び立ち、張家界空港に午後9時に到着、女性現地ガイドの肖さんの迎えを受けて、午後9時25分に空港 を出発し、20分ほどで今日の宿泊ホテル「藍天大酒店」に着きました。今日は飛行機に乗っている時間は2時間 30分と2時間10分の4時間40分でしたが、待ち時間が長く一日仕事になりました。 25日(日)午前6時に起きて、午前6時30分からの朝食ビュッフェに行きましたが、思った通り、田舎のホテルな のでコーヒーはなく、飲み物はオレンジジュースと牛乳だけでお茶も無く、白湯があるだけでした。食べ物はパ ンがありましたが、私はお粥とそこで作ってくれる麺を食べましたが、これはなかなかおいしい麺でした。 午前8時にホテルを出発し、最初にホテルから10分の「天門山」に向かいました。ここは世界遺産の地域には含 まれていませんが、2004年から観光が始まった所で2006年にロシア軍アクロバット隊が”天文洞”を通った事 で話題になり、今では武陵源と同じ観光の一大メッカになっているそうです。 午前8時15分に到着しましたが、日曜日とあって早朝から観光客が中国最長の7455mのロープウエイに乗るた めに行列を作っていました。現地ガイドの肖さんの話によると、今日はどこに行っても行列で並ぶのが当たり前 だから中国人の割り込みを許さないように頑張ってくださいと言われました。待っている行列の間をカメラの 自在棒や最近流行の髪飾りを売る女性が行き来して商売をしていました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 2時間並んで、午前10時15分にやっと8人乗りのロープウエイに乗って天門山山頂に向かいましたが、ロープウ エイから下を見ると山頂に向かって九十九折の道がずっと続いていました。 およそ30分の飛行時間でしたが、私はS夫妻と若い中国人5人のグループと一緒に乗りましたが、彼らの中に 赤ん坊がいたので夫婦と兄弟親戚かなと思っていたら、同級生のグループという事でなかなか感じの良い若 者たちでした。乗っている間の揺れで私とSさんが気持ちが悪くなり、私の常備している酔い止めの薬を飲み ました。天門山山頂駅に着いてから崖沿いの桟道を歩き、新しくできた”瑠璃桟道”に行きましたが、足元も壁も 手すりも全部透明になっている50m程の桟道を歩きましたが、思ったほど怖くありませんでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() その後、昔、ロシア軍のパイロットが通った事で有名になった”天門洞”に向かいましたが、標高1500mから500m を下がる為に作ったエスカレーターを利用しましたが、長さ100m位のエスカレーターを10回近く乗り継いで 行きましたが、まるで洞窟の中を通っているようなもので、風が冷たくて、私は持って行った上着を着て、寒さ を凌ぎましたが、こんな世界一のような物を作るのは中国らしいと思いました。 ”天門洞”は穴の高さ130m・幅37m・奥行30m余りで天国への門と言われているそうです。その先には999段の 急な階段があり、ケーブルカーもありましたが、私は自分の足で降りましたが、今回のメンバーで最年長78歳 のKさんが歩いて下りているのに驚きました。Kさんは30年前に脳梗塞で倒れ、右半身が不自由で平地でもビッ コで杖を突きながら歩いている方なので、こちらが励まされている気がしました。15分程で降りた後は膝がガ クガクで明日が心配になりました。それでも歩いて上がってくる人の事を考えたら楽な方だと思いました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 午後12時45分にグリーンバスで下まで降りて、張家界市内に昼食を食べに行きました。「風味楼」はテーブルの 上に、ある程度の料理が並べてあり、私たちが席に着いてから残りの料理が出てきました。部屋に入って壁紙 が至る所で剥がれているのを見て心配しましたが、料理の味付けは良く、特にチャーハンは中国で食べた中で は1,2を争うチャーハンだと思いました。他の料理の味付けも日本人向けに唐辛子を減らしているせいか、私好 みでおいしい料理でした。 午後2時15分に店を出て、世界遺産「武陵源風景名勝区」にある「張家界国家森林公園」の「金鞭渓景区」に行 きました。金鞭渓は西遊記の撮影にも使用された所で武陵源の岩峰群を下から眺める所ですが、明日は上から 眺める「天子山自然保護区」に行く予定になっています。 森林の中を歩いて行くと、子供を抱いた母親に見える”母子峰“や370mの直立した”金鞭岩“、地震の時に上の 岩が落ちた”金鞭崖“などが見られました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 午後4時半に金鞭渓を出発し、午後5時に今日・明日の宿泊先「天子大酒店」到着しました。先にチェックインをし てから午後5時50分にホテル内のレストランで夕食をたべましたが、魚料理以外はお昼のレストランとほとんど 同じでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() 夕食後、午後6時45分にホテルを出発し、他のホテルのお客を乗せてオプションの「天門狐仙山水音楽ショー」 を見学に行きました。ショーの内容は全く分かりませんが、山の麓に小屋や池を作り、そこを舞台にした野外劇 場はスケールの大きさが中国ならではと思わせる所がありましたが、私は昼間の疲れで睡魔には勝てず、3分 の1は眠ていたので、入場料400元が高いか安いかわかりませんでした。ショーは午後8時20分からと聞いてい ましたが、ショーの前に掛け軸のオークションをやっていて、始まったのは午後8時35分で終了したのが午後10 時でホテルに着いたのは午後11時でした。どれ位歩いたかと万歩計を見たら23,500歩でした。 ![]() ![]() ![]() ![]() 26日(月)も午前6時前に起きて、午前6時10分に行ったら、午前6時開店と言ってるのに拘わらず、開いたのは 午前6時15分でした。このホテルも昨日の「藍天大酒店」と同じようにお茶は無かったのですが、コーヒーらしき ものがあったので、気分的に楽になりました。このホテルは目玉焼きと麺を作ってくれる所があったのが良い 所で、私は麺に何を入れたら良いのか聞くと自分の好みでどうぞと愛想なくと言われました。 今日も午前8時にホテルを出て10分ほどで武陵源の入口に着き、カードと指紋認証で入場、バス乗り場で昨日 と同じように並びましたが、月曜日とあって昨日ほどの人は出ていなかったので、20分程並んでバスに乗れま した。 ![]() ![]() ![]() ![]() 最初に行ったのは「袁家界自然保護区」に行くための高さ326mの“百龍エレベーター”ですが、ここでもエレベ ーターに乗るために15分ほど並びましたが、下から見た景色もなかなか見事でした。 上に上がってから、袁家界センター行きのバスでまた並び、着いてから、「袁家界自然保護区」より300mほど高 い「天子山自然保護区」を先に見ようとバスで移動しましたが、曇りの天気の上に霧が出てきて、上に行くほど ひどくなり、午前11時に天子山センターに着いた時には30m先を見るのがやっとの感じになりました。 ![]() ![]() ![]() ![]() “賀龍公園”まで行くと、何故か、マクドナルドがあり、そこを集合場所にして自由散策になりましたが、女性が花 を捧げているように見える“仙女散花”や、天子山の名所になっている筆のような岩が連なる“御筆峰”も何も 見えないのであきらめてマックでコーヒーを飲んで時間をつぶしました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 午前11時45分に天子山からバスで袁家界に戻り、「袁家界旅客センター」の中でで昼食を食べました。九寨溝 のようなバイキングかなと心配しましたが、幸い、個室に案内され普通の地元料理が出て来て安心しました。 午後1時過ぎから「袁家界自然保護区」を歩きましたが、“百条絶壁”は遠くにかすかに見えただけで、うっすら としか写真には写りませんでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() それでも袁家界で一番のシンボルで谷底から350mの高さの自然橋“天下第一橋”は近かったので見るが出来、 写真にも撮れましたが、“乾坤柱”や“峰林”は全く見えず、代りに”神亀向天”という岩が撮れました。午後2時に は見学を終了して、再び、百龍エレベーターまで戻り、行列をして乗り込み、降りてから、またバスに乗り“十里 画廊”に行きました。 ![]() ![]() ![]() ![]() トロッコ電車に乗って15分ほど観光しながら奥に行くと、名物の3姉妹がいる”三姐妹峰”が見えました。午後4 時過ぎに戻ってきて、再び、行列をしてバスに乗り、入口に戻ったのは午後5時でした。 そこからお茶店「金湘紅」に寄って、紅茶や黒茶を試飲をして、午後6時に夕食会場の「清源閣酒楼」に行きまし た。この店は竹筒料理の店らしく、この地方特産の竹筒を使ったご飯やインゲンの煮物、焼売が出ていました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 午後6時40分に店を出てホテルに帰ったのは午後7時前でしたが、今日のオプションの「湘西少数民族ショー」 を見る人は部屋で休憩してから出かけたようですが、私は見ないので部屋に帰ってゆっくりしました。 今日の万歩計は18,900歩でした。 27日(火)昨日と同じように6時15分に朝食に行ったら、丁度、レストランが開いたところでした。今日は炒麺と 目玉焼きに白菜炒めとコーヒーで済ませました。私達と同じテーブルに中国人の男性が1人で座って来て、皿に 大盛りの料理を食べてから、又次の料理を取りに行っていましたが、中国人は本当によく食べると思いました。 午前8時にホテルを出て、すぐに2日目の午後に行った「張家界国家森林公園」の内の“黄石寨景区”に行く予定 でしたが、その前に竹製品の店「湘竹坊」に行きました。竹製品と言っても、この店は竹を繊維状にして色々な 製品を作っていて、最初に実演で竹の繊維で作ったタオルや布巾、ショール、窓ふきなどを見せられ、あとは自 由に買い物をどうぞと言われ、かなり買っている人がいたので、私も孫のTシャツでも買おうと思いましたが、 気に行ったデザインが無かったので買いませんでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() 店を出て午前9時に“黄石寨景区“のロープウエイ乗り場に着き、少しだけ行列し、標高1092mまで7分のロープ ウエイに乗って上まで行きましたが、今日は視界も良くロープウエイからの眺めが最高でした。最初に近くにあ る「六奇閣」と言う展望台の3階から”黄石寨”の”岩峰林”を上から眺めましたが、昨日と違って、霧もなく空気 も澄んでいる感じでよく見えました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 1階の売店で以前、家内に買った小物入れを添乗員のT.SさんとメンバーのSさんの奥さんが1個25元を負けて くれるように交渉していたので、私も買うからと交渉し6個100元で買いましたが、もう少し安く買えたかなと 思いました。次に2つの峰が迎えてくれるように立っている”双門迎賓“を見てから、“黄石寨景区“で一番有名 な5本の指を広げているような”五指峰“を見て“黄石寨景区“の観光と同時に世界遺産「武陵源風景名勝区」全 体の観光が終わりました。今日は曇ってはいましたが、昨日の雨で少し空気がきれいになった感じで遠くまで 見えたので、ガイドの肖さんが観光には最高の天気になりましたと言っていました。 午前11時30分に再びロープウエイで降りて、”黄石寨”から「張家界国家森林公園」の広場まで戻り、振り返って 見ると、武陵源の人気が分かるような気がしました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 入口近くのレストラン(食堂?)「毛姐酒店」でお昼を食べましたが、今までと違って、結構、唐辛子を使った料理 もありました。店は2階で1階では果物を売っていたので、ミカンやカキを買っている人がいました。 午後12時40分に店を出て、張家界市内に戻り、「砂絵博物館」を見学しました。ここは李軍声という人が岩を砂 状にしたものや自然のものを張り付けて絵にした砂絵という分野を開発し、2005年の愛知万博にも出品して 好評を博し、愛知県美術館が買い上げたと言ってましたが、箱根の大涌谷を描いた作品もあり、ここは展示作 品を販売している博物館で、他の地域でもあるものと同じ感じでした。ただ、この建物から見た遠くの山々の景 色は絵のように見事な風景でした。 ![]() ![]() ![]() 午後2時10分に博物館を出発し、一路、400km先の湖南省の省都長沙に向かいました。高速道路の近くから見 える所に一戸建ての家が多いので、ガイドの肖さんに聞くと、田舎は建築費が安いので立てる人が多いと言っ ましたが、綺麗な家が多く、最近、建ったという事はそれだけ豊かになって来た証拠だと思いました。 途中、常徳市の熱市SAと益陽市の益陽SAでトイレ休憩をして、午後6時20分に長沙ICを降りて、午後7時に夕食 会場のレストラン「樹巣河鱻」に着きました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 長沙に住んでいる現地ガイドの肖さんから、長沙料理の一番の名物は“毛沢東の好きな紅焼肉”で、今日はこの 料理をぜひ食べてくださいと言われていたので楽しみにしていたら、出てきた料理は豚の角煮と同じだなと 思いましたが、もっと、脂分が多い豚肉でした。お店は観光客用でなく一般の中国人が来る店なので日本人向 けの味付けはしていないと言ってましたが、皆さん、「おいしい!おいしい!」と言いながら食べていました。 午後7時40分に店を出発し、今日の宿泊先「華店大酒店迎賓楼」に向かい、午後8時半に到着しました。 本日の万歩計は半日がバスの移動だったので10,300歩でした。 28日(水)午前6時に起き、最終日なので荷物の整理をして、午前7時からの朝食に行きました。このホテルは5 つ星というだけあってビュッフェの料理は種類も質も4日間では最高でした。従業員の躾も出来ていて気持ち の良い対応と笑顔が良かったと思います。 ![]() ![]() ![]() ![]() 午前8時30分にホテルを出発し、長沙市内の湘江の西側にある岳麓山の麓の湖南大学の構内にある「岳麓書 院」に向かいましたが、湖南省の省都である長沙市は人口700万人ですが、これから発展するのか、目下、高層 ビルやマンションが建築中ですが、他の都市ほど多くはありませんでした。 午前9時頃に大学の駐車場に着き、そこから大学のマイクロバスで移動して、毛沢東の像がある所まで行きまし た。折角だからと銅像の前で今回のツアーメンバー全員の集合写真を初めて撮りました。 そこから歩いて「岳麓書院」に行きましたが、ここは中国4大書院の1つに数えられ、北宋の開宝9年(976年)に 創建された学問機関で、今でも残っているのはここだけで”千年学府”と呼ばれているそうです。 ![]() ![]() ![]() ![]() 敷地内には清時代の建物も残っているそうですが、日中戦争で壊された物も多く、その後、再建されたものが 公開されているようです。私たちが見た建物では”御書楼”が清時代のものでした。その後、長沙出身の毛沢東 が若い時に好んで来ていたという中国4大名亭1つ”愛晩亭”に行きましたが、特にこれという場所とは思えま せんでした。 大学構内と言っても中国の大学は1つの街を形成していて、普通に車が通っていて店屋も沢山あり、強いて違 うとすれば歩いているのがほとんど学生だという事です。特にここはガイドの肖さんが卒業したという湖南師 範大学と湖南大学が混在しているそうで、敷地が共用されていると言うのは日本の大学とは全く違う感じで、 この地区だけで10万人の大学生が住んでいるそうです。午前10時頃に見学が終わり、大学の車で駐車場まで 送ってもらい、長沙空港に向かいました。幸い、渋滞も無く、午前11時前に長沙空港に着き、12時からのチェック インを待つ間にケンタッキーの店でコーヒーとチキンを軽く食べておきました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 午後12時からのチェックインもその後の出国手続き、手荷物検査も国際線の乗客が少ないせいか、スムーズに 済んで、午後12時30分には41番搭乗口に着きました。MU2563便は定刻通り長沙空港を出発し、順調な飛行で 定刻の15分前の午後6時に中部国際に到着しました。 スーツケースを受け取り、ツアーメンバーと今回の添乗員T.Yさんに別れの挨拶をして家路に着きました。その 後もスムーズに電車が連絡したので、家内に迎えに来てもらい、午後7時半過ぎには自宅に着きました。 ![]() の内のNさん夫婦とSさん夫婦2組のご主人が、かって、脳こうそくで倒れたことの ある人達でしたが、皆さん、元気になってツアーに参加して長い距離を歩いていた のは凄いと思いました。 メンバーも良い人達が多かったので楽しいツアーでしたが、それにも増して、今回 は添乗員のT.Yさんが気遣いの出来る素晴らしい女性だったので、皆さん気持ち良 く旅行できたと思います。 唯一、残念だったのは天気で、日本でもそうですが、こちらでも私たちのツアーの 直前まではずっと好天が続いていたのですが、2日目から曇りの天気になり、一番 見ごたえのある3日目の“天子山”観光の時に霧で見えなかったのが、悔しい限りでした。 それでも4日目の“黄石寨“から眺められたのでまだ良かったと思っています。ただ、今の中国はどこに行って も中国人観光客が多く、特に今回の場合は人気の観光スポットだけに行列しなければエレベーターやロープウ エイに乗れず、待ち時間だけでもかなりの時間を費やしたのはもったいないと思いました。今後の中国の観光 地は国内の観光客でどこでもこんな感じになっていくのかもしれませんが、元気な内に1つでも多くの世界遺 産を見たいと思っています。 10月23日(金) 午前中、明日から「世界遺産武陵源といにしえの長沙 5日間」のツアーに行くので、荷物のチェックをしました が、最近は旅慣れて来たせいか、直前にならないと準備をしなくなったので、時々、忘れ物をする事がありま す。昨日もこのツアーの添乗員さんから電話があり、ざっとした持ち物を言われた時にパジャマを入れてない 事に気づき、早速、補充しました。 午後から11月1日(日)の団地の文化祭の芸能発表会の打ち合わせがあるので「老人憩いの家」に行きました。 と言っても私が出演するわけではなく、今年の実行委員長のM.Sさんから司会を頼まれたので、経験は無かっ たのですが、断ると迷惑をかけると思い引き受けました。 打ち合わせは簡単に終わりましたが、出演の若いお母さんの合唱グループの代表と話していたら、私の知人の 娘さんで、私の長女の1学年下で同じピアノのK林先生に習っていた事が分かり、お互い、急に親しみを感じて、 打ち合わせもスムーズに進みました。同じ団地内に住んでいても全く知らない人も沢山いますが、話してみる と、共通のつながりがあるので、日頃のお付き合いが大切だとしみじみ感じました。 10月21日(水) ”天高く馬肥ゆる”の日が続いていますが、今日は第3水曜日で、家内は午前中、お茶のお稽古、午後は「味美日 本画同好会」で日本画の制作とフルタイムの一日です。 私は久し振りに午前中、ゴルフの練習に行きました。午前9時に行った王子ゴルフ場では既に何人かのゴルフ仲 間が練習を始めていました。暑くも無く・寒くも無い時期なので練習にも最適の時期ですが、私自身は当分ゴ ルフの予定はありませんが、球を打つ感覚だけは無くさないようにしたいと思って練習しました。 早目のお昼を食べて、「春日井まつり」に使った法被と幟を岡山県人会事務所に返しに行きました。その後、帰 りにお世話になった方のお礼にあげたいと思い、ラシックの地下で”大地のかりんとう”を買って帰りました。 午後4時から2週間ぶりに市民プールに行きましたが、珍しく、ガラガラで水泳教室の子供達を除くと大人は僅 かで、午後5時半過ぎの流水プールは私が1人だけで歩いている状態でしたが、私が帰る午後6時前には次の 水泳教室の子供達が来ました。水泳教室だけは賑やかでどの教室も満杯状態のようで、子供に泳ぎだけは習 わせておきたいと言う親の気持ちが表れていると思います。 10月20日(火) 午前8時半に健康診断で「東野内科クリニック」に行きました。胸部レントゲン、心電図、腹部エコーを終った後、 胃カメラの検査、最後に採血をして検診は終了ですが、今日はインフルエンザの予防注射も申し込んでいたの で予防注射をしてもらって、午前11時に本日の予定は終了しました。 ![]() の車は買った時に表面処理をしてあったので、2ヶ月位ほったらかしにしてあっ ても洗車をすると、本当に綺麗になるで助かります。 午後は3時20分から中部大学の「中国国際関係研究」(大澤肇講師)に行きまし たが、今日の講義は日本統治下の1930年(昭和5年)に起こった抗日暴動”霧社 事件”を描いた「セデック・バレ」の前半の一部を見ました。私は2013年に公開さ れた映画「セデック・バレ」も昭和5年に起きた”霧社事件”も全く知らなかったの で、こんな事件があったのかと衝撃を受けました。今の親日的な台湾を考える と、日本統治下の台湾では日本人と漢人・原住民とが多少の摩擦があるとしても、以前、見た台湾映画「KANO」 の様に仲良く付き合っていたと思っていましたが、双方の死者が1,000人近くにもなった、こんなにひどい殺戮 事件が起こっていた事は初めて知りました。 監督・脚本を担当しているウェイ・ダーションは大ヒット映画「海角七号 君想う、国境の南」の監督や前回見た 「CANO」のプロデューサーで脚本を担当しているので、統治下の日本をかなり良く研究していると思います。 10月19日(月) 「春日井まつり」の疲れがあったのか、普段は夜中にトイレに何回か起きるのですが、昨夜は1回起きただけで、 久し振りに朝までぐっすり寝られました。2日間立ちっぱなしだったので、足の張りがかなりあり、明け方、こぶ らがえりが起こらないか心配して寝ましたが、幸い、何事も無くてホッとしました。 2日間共天気が良かったので、商品も早々と完売したので、払えるものは早く払っておこうと思い、午前9時過 ぎに郵便局に行き、大手饅頭に支払い、次に三菱UFJ銀行で吉備団子の代金を振り込みました。後は大口のブド ウの代金を支払うのですが、農協や農業大学校の請求金額が分からないので、お世話になった、県庁OBのM.N さんに金額の確認を早めにしてくれるようにお願いしました。 郵便局に行った時に局長の奥さんから、おいしいと聞いていたので、大手饅頭を買いたいと思って行った時に は売り切れだったので残念だっと言われ、申し訳ないと思いましたが、嬉しい気もしました。 支払いが終わり、帰りに「SG接骨院」に行くと、奥さんから「ブドウがおいしかった」とお礼を言われ、こちらこ そ、買っていただいて有難いと思いました。 「春日井まつり」のお世話も大変なので、やめたいと思う事も度々ありますが、こういった人たちと話をすると もう少し頑張って喜んでもらいたいと思う気持ちも出てきます。 10月18日(日) 今日も朝から素晴らしい天気で祭り日和になりました。午前8時前に家内と家を出て会場に行き、今日の販売分 を並べましたが、昨日の量の三分の一にもならない量なので直ぐに準備が出来ました。 昨日に引き続きでS.Kさん夫婦が午前9時前に来てくれ、その後、H.Tさんと昨日の来る予定のU.Hさんが手伝い に来てくれ、小牧在住のM.Kさんと高蔵寺のM.Sさんも来てくれたので、一気に賑やかになりました。 午前11時頃に東海岡山県人会のO.H会長が奥様と2人で顔を出してくれ、手伝いの皆さんに挨拶をしていました が、なかなかできる事では無いと思いました。 今日の天気と人出を考えると早々に売り切れになると思いましたが、思ったほど出足が早くなかったので、完 売になったのは午後1時前でした。隣の宮崎県も同じ頃に売り切れになったので、お互い顔を見合わせてガッツ ポーズをしました。というのも、去年は2県共、土曜日にほとんどの商品が売り切れてしまい、日曜日に売る商 品がほんの僅かだったので、午前中の早い段階で完売になり、お客様からの苦情が多かったので、反省として 、今年は日曜日の午前中は商品が無くならないようにすると言う目標が達成できたからです。 午後から暇が出来たので、留守番を頼んで物産展の他の県の売り場を見て回りましたが、今年から新しく出店 した長野や山形が産直の野菜やリンゴを売っていて人気になっていました。特にリンゴは競争が激しく4カ所で 売っていたので、買う方は喜んでいました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 午後1時にパレードを見に行きましたが、丁度、パレードのメインの「道風平安朝行列」が来たところでした。平安 三蹟と言われた小野道風・藤原佐理・藤原行成に小野小町を加えた行列で次男が小さい時に子供武者の姿で 参加したのが思い出されました。ただ、パレードの進行がスムーズにいかないのか、行列も立ち止まっては進 む、立ち止まっては進むと言う感じなので、待っている人達も待ちくたびれた様子でした。 午後3時頃からなら良いだろうと思い、簡単な片づけを他の方には帰ってもらい、家内と2人で午後4時の閉会 を待ち、午後4時半の交通開放になってから車に荷物を持って帰宅しました。 今年の「春日井まつり」は家内とS.Kさんの奥さんに2日間共手伝ってもらって本当に助かりました。今までは男 だけの売り場だったので、何となく粗雑さが目立ったのですが、女性が2人いるだけで雰囲気が柔らかくなっ た感じで良かったと思います。2人の女性に感謝!感謝!です。 10月17日(土) 天気予報では朝から小雨の降る天気予報でしたが、久し振りに天気予報が外れ、天気の良い日になりました。 今日明日と「第39回春日井まつり」が開かれ、私の所属する東海岡山県人会も参加して盛り上げていますが、 同じ県人会でも業者に委託して出店している所と、岡山県と同じように県人会の人達が手作りでやっている所 があります。岡山県は私が責任者でやっているので午前7時半に家内の車と2台で出発し、市役所北の会場に 行くと、既に多くの出店者が店の用意をしていました。私達も大急ぎで荷物を降し、準備を始めた午前8時頃に 手伝ってくれる県人会のK.MさんとS.Kさん夫婦が来てくれました。 ![]() ので、商品を並べ、観光用の岡山県の幟を立てれば準備完了です。 本来は午前10時からですが、毎年来ている常連さんのような人は午前9時前から買い に来てくれ、ピオーネや大手饅頭を早々と買ってくれます。 今年は去年の様に早く売り切れにならないように天気予報を見て、2日間とも天気が 良ければ、商品を増やそうと思っていたのですが、昨日の天気予報では小雨が降るか もしれないと言っていたので、商品は例年と同じ量にしたら、朝から晴天なので去年の ような感じになるかも知れないと思いました。 案の定、午後2時前に今日の分が売り切れになり、その後、買いに来てくれた人達には明日は少し入って来ます からとお詫びをしましたが、今日しか来られない人が多く申し訳ないと思いました。 10月16日(金) 午前中、「南部中国語同好会」があり、前回、国慶節の時の北京を見たいと休んだY.Kさんが元気に出てこられ ました。9月27日から10月7日まで行ってたそうですが、行き帰りの飛行機は中国人の観光客とは反対方向の 移動だったので、青島からの帰りの飛行機は20名しか乗っていなくてガラガラだったそうです。 北京の天安門や故宮はテロを警戒していたのか入場禁止になっていたそうですが、空気は工場などが操業禁 止になったり、車の乗り入れも制限されていたので、思ったより綺麗だったそうです。 午後から「坂下パソコン同好会」があり、終わってから急いで家に帰りました。というのは、明日からの「第39回 春日井まつり」で売るブドウ類や大手饅頭、吉備団子が16時~18時着の宅配便で来る事になっている為です。 午後4時過ぎに商品が着いたのですが、今までは出荷先によって宅配業者が違っていたのですが、今年は何 故かヤマト運輸1社で全部の品物が着いたので、受け取るのが一度で済んだので少し楽でしたが、その後の仕 分けは大変でした。1時間程でブドウの種類の確認を済ませ、車に積み込みましたが、何とか私の車1台に積み 込めたので、明日はそのまま会場に行く事が出来ます。 10月15日(木) ![]() た。会場は”Golf5カントリー四日市コース”ですが、このコースは私が4年前に同じ中国 五県ゴルフ大会で使った時は四日市リバティゴルフ倶楽部と言う名前だったのですが、 その前に岡山県主催でやった時には四日市東急ゴルフ倶楽部という名称でしたから、 ゴルフ場の有為転変を象徴しているようなゴルフ場かもしれません。 私の感覚からすると、経営が変わると、ほとんどのゴルフ場は以前より良くなっている ゴルフ場がほとんどですが、残念ながら、ここは変わっていないと言うか、少し悪くな っていると思いました。と言うのは、電動カートの前の風防用のボードが劣化して前が見 難くて困ったので、一緒にラウンドしたメンバー全員がダメ出しをしていました。 肝腎のスコアの方はティショットもアプローチもまずまずで、パターも3パットが1回しかなかったので前半が 44、後半が42のトータル86という、私としては久しぶりに良いスコアが出たせいか、成績の方も68人中15位 で飛び賞にありつけました。 10月14日(水) 午前中、下の孫のnt実の幼稚園の運動会があったので、家内と一緒に見に行きました。今年は年中組になった せいか、行進の時も一生懸命に手を振って歩き、かけっこもビリでしたが、最後までちゃんと走り、親子競争の ボール運びや踊りもしっかり出来ていたので、1年で随分成長したと思いました。身長はまだ小さいのですが、 このまま順調にいけば、年長組になる来年は、もっと、頑張ってくれるような気がして、来年の運動会が楽しみ になりました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 午前11時半頃にnt実と婿のnao君の出番が終わったので、私と家内は近くにあるそば工房「沙羅餐本店」でお 昼を食べる事にしました。 ![]() ![]() 店の様子は全く記憶が無くて、玄関を入って直ぐに蕎麦打ちをして いる所があり、そこを通って2階に上ると店内という感じで広い店 内はL字にカウンター席が15席あり、テーブルが4人掛けと6人掛け が3卓ずつとゆったりした造りになっていました。 お昼は”昼席セット”という6種類のお値打ちメニューがあり、私も 家内もその中の「天ぷらセット」1,850円を注文しました。最初に一 口蕎麦と蕎麦豆腐が出て、続いて二八蕎麦と天ぷらが出てきまし た。蕎麦は名古屋を代表する店だけあって、久し振りに喉越しの良い蕎麦らしい蕎麦を食べた気がしました。 出て来てすぐに食べ始め、写真を撮り忘れたのでお店のメニューから引用しました。 午後12時過ぎに店を出て、家内を義母のいる施設に送ってから、私は「第39回春日井まつり」に使う、法被と幟 を取りに東海岡山県人会の事務所に行きました。その後、栄のラシックとブックオフに寄ってから、もう一度、義 母のいる施設に戻りました。義母は家内から話を聞いていた通り、以前よりは元気そうで、私にも気を使う余裕 がありました。今年90歳を迎えますが、この調子ですと100歳までは行きそうなので私達夫婦も頑張らないと いけないと思いました。 10月13日(火) 今日は2ヶ月に一度の家内の愛知医大の定期検診の日なので、午前8時過ぎに家を出て愛知医大病院に行きま したが、2ヶ月前に来た時には残っていた旧病棟の解体工事が始まっていて、3割程度は進行しているように見 えました。担当のW.M先生によると、思ったより簡単に壊されていると言っていたので、次に来た時にはかなり 解体が進んでいると思いました。 検査結果は特に変わりなかったので、次回(2か月後)の予約をして、久し振りに「サンマルク尾張旭店」でお昼 を食べる事にしました。丁度、午後12時頃に着きましたが、2,3年前に行った時には無かったランチメニュー(焼 きたてパン食べ放題付き)が出来ていたので、家内は生パスタランチ890円と紅茶200円、私はミルフィーユと んかつランチ1,090円とコーヒー200円を注文しました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 間もなく、焼き立てのパン①(スティッククロアッサン・チョコチップ・キャロット)が回って来ましたが、どれも焼 きたてでおいしいパンでした。次に家内のパスタ(カルボナーラ)が来ましたが、生パスタで温かい内に食べて 下さいと言われ、おすそ分けで食べましたが、モチモチしておいしいパスタでした。2回目のパン②(クロアッサ ン・ガーリック・シナモン)が来たので3つとも食べましたが、パンの焼き立ては昔の給食のパンでもおいしかっ たくらいですから、どれを食べてもおいしいと思います。 私の注文したミルフィーユとんかつが来ましたが、中にチーズを挟み込んでミルフィーユにしてありましたが、 トマト風味のデミグラスソースと合っておいしいとんかつでした。次に来たパン③(オニオン・ハードロール)も 焼きたてでおいしかったのですが、さすがにお腹がいっぱいになって、次に来たパン④(トマト・アップル・シュガ ーフランス)は無理やり食べた感じでしたが、それでも11個も食べたとは自分ながら驚きでした。 10月12日(月)体育の日 体育の日に相応しい天気になりましたが、幼稚園や小中学校で体育の日に運動会をやっているのかどうか知 りませんが、近くの松原神社の祭りで餅投げがあったのは間違いないようです。 私は今週の木曜日に「東海地区・中国五県ゴルフ大会」があるので、少し球を打っておこうと王子ゴルフ練習場 に行きましたが、祝日で混んでいるかなと思いましたが、午前9時過ぎに行くと1階打席が空いていて、直ぐに 練習が出来ました。 「ラグビーワールドカップ2015」で日本はアメリカに28対18で勝ち、3勝をあげましたが、ポイント差で3位にな り、準々決勝には進めませんでしたが、国内だけでなく世界中に日本のラグビーを見せて注目を浴びたと思 いますので、4年後に日本で開かれる大会に期待したいと思います。 10月11日(日) 昨夜から降っていた雨は明け方にはかなり強くなっていたようですが、私が起きた午前6時頃には小雨模様に なっていて、天気予報通りに午前10時頃には上がっていました。 家内は久し振りに何も予定が無いと台所や食器棚の引き出しの中を整理していましたが、私は今週末の「第39 回春日井まつり」の準備を手伝ってくれるK.Mさんに駐車券を届けたり、ブドウを入れる容器の買い物に行った り、事務用品を揃えたりしました。心配している天気は何とか良さそうですが、今一つはっきりしないので、もう 1日2日様子を見てから、商品の注文を変更するかどうか見極めたいと思っています。 10月10日(土) 今日から3連休の人もいますが、我が家には関係ない休みです。午前9時過ぎにいつものモスバーガーの店に 行き、いつもながらのゴルフ談議で、私は先日のビッグフォース会の報告をしたり、今開催中の男子プロの大会 や韓国で開催中の”プレジデントカップ”の話を1時間程して、SG接骨院に腰の治療に行きました。 夜は第2土曜日なので午後6時から安全協議会の幹事会があり、D.N会長から「役員選出検討会」の内容の説明 がありました。私の住んでいる自治会も高齢化の波が押し寄せ、毎年、順番で回って来る組長の仕事を出来な くなる人が出て来たので、夫婦共80歳以上の所帯や一人暮らしの高齢者で諸事情のある人については組長を 免除できるようにして、過去、自治会の幹事をやった人が免除される規定は廃棄し、再任OKにしたと言う事で したが、私が以前から当然だと思っていた事なので良かったと思いました。 その後、午後7時から団地内の安全パトロールがありましたが、私のいる5丁目の参加者はいつもは多いのです が、今夜は珍しく4名と淋しい限りでしたが、みんなでしっかりパトロールをしました。 10月9日(金) 今日も天気が良く、気温が上がりそうなので、家内は毎年やっている換気扇の掃除を始めました。換気扇を分 解し、油分の付いている部品を表に持って行き、ビニール袋に入れて太陽の光で油を自然に落として、後は洗 剤で洗って綺麗にすれば終了というやり方です。 本来なら男の私がやるべきだと家内が言うのですが、私がやろうとしないのでいつの間にか家内の仕事に なってしまい、私は足りないものがあったりすると、買い物を頼まれるのが私の役目です。今日も換気扇を塗り 直すペンキが欲しいと言われ、私が買ってくると、家内が綺麗に塗り直して仕上げました。 家内が換気扇の掃除をやっている間に、庭を見るとシュウメイギクが白い花を咲かせ始めていましたが、近く でピンク色の可愛い花が咲いていたので、家内に聞くとそれもシュウメイギクだと教えてくれました。同じよう にタデも白い花がヤナギタデと言い、少しピンク色の花を付けているのがサクラタデと言うそうです。他には 何度も咲いているシモツケがまた濃いピンク色の花を所々に咲かせてくれているし、写真にはなかなかうまく 撮れない水引きも小さな花を付けています。自然の移り変わりは少し目を離すと、いつの間にか夏から秋にな り、その秋も少し深くなっていると感じさせる今日の庭です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 10月8日(木) 今日も朝から風は強く吹くことはありましたが、この地方は気持のよい過ごしやすい天気になりましたが、北 海道では大荒れの天気で洪水警報まで出た所があり、床上や床下浸水の所もあったようです。 ”第3次安倍内閣”が発足しましたが、安倍首相が新しく掲げたスローガンに「一億総活躍社会」の担当大臣に岡 山5区選出の加藤勝信衆議院議員が就任しましたが、少し縁のある私としては頑張ってほしいと思う反面、具 体的な目標(国内総生産:GDP600兆円、出生率1.8%、介護離職ゼロ)を達成するのは3年や5年のタイムスケジ ュールでは不可能に近い気がしますし、10年20年の期間では長すぎるので工程表をどうするのか注目です。 昨日の夜、食べ過ぎたので午後3時からプールに行きましたが、駐車場の車が多い割にはプールには人が少な く、午後4時半過ぎると水泳教室に来た子供達の他には大人が数人しかいませんでした。室内プールは私達に は有難いですが、7月8月の夏休みシーズンを別としたら、経費的には監視員や空調の費用を考えると大赤字 だろうなと思いますが、プールに来る事が生き甲斐の人もいるので閉鎖だけはしないでほしいと思います。 連日、ノーベル賞が話題になっていますが、今夜はノーベル文学賞の発表があるというので、通称ハルキスト と言われる村上春樹ファンが集まっていたようですが、今年もチェリノブイリ原発事故で被害を受けた人々の 証言を集めた作品「チェリノブイリの祈り」の女性作家”アレクシェービッチ”にノーベル文学賞が決まり、彼らの 希望は来年に持ち越されました。 10月7日(水) 昔のソフトボール仲間のゴルフコンペ「ビッグフォース会」が”明智ゴルフ倶楽部ひるかわゴルフ場”であったの で参加しました。私も車を出してメンバーを乗せて行ったのですが、最近は料金を考えて高速道路を使わずに 一般道路で行く事が多いのですが、今日も恵那まで国道19号線を通って蛭川まで行きましたが、午前6時半に 出て午前8時前に着いたので、少し、時間は余分にかかりましたが問題はありませんでした。 ![]() 日は天気も良かったので最高のゴルフ日和になりました。 肝腎のゴルフの方はショットやアプローチはまずまずでしたが、グリーンが難しく、3パ ットが何回か出たので前半45、後半48のトータル93でした。 ラウンド終了後、春日井まで帰って来て、団地の近くの中華料理店「川楽」で食べ放題飲 み放題3,240円で表彰式を兼ねて親睦会をやりました。自分達が食べたい料理を2,3人 前ずつ注文し、好きな飲み物を飲む方式ですが、平均年齢70歳になった今日のメンバ ー8人は全員健啖家で次から次へと注文し、15種類以上の料理を食べたのですから驚き ですが、自分もそのメンバーに入っていたと思うと信じられません。 ![]() いましたが、神岡町の観測施設”スーパーカミオカンデ”でニュートリノに重さがある事を発見し た功績で受賞したそうですが、私達には理解できなくても地球の為に役立つ研究に違いないと 思います。 私が記者会見で感じたのは自分の先生で2002年にノーベル物理学賞を受賞している小柴晶俊 東大名誉教授や共同研究をしていて2008年に亡くなった先輩の元宇宙線研究所長戸塚洋二氏 に対して、敬意を持って話している姿はこの人の謙虚で真面目な人柄を表していると好感が持て ました。特に戸塚洋二さんの名前は私は全く知らなかったので、今回の事で、大変な発見をしてい た方で、本来なら梶田隆章所長と共同受賞していたと思うような人がいた事を知って良かったと思いました。 10月6日(火) ![]() 飾り、テレビでもどこのチャンネルを回してもこのニュースでした。大村教授の経歴や人 柄が紹介されるのを見ていると、確かに、今までの受賞者とは少し違って、農家の長男で 跡継ぎの為に高校では農作業の手伝いと部活のスキーで勉強も出来なかったのが、高 校3年生から勉強して山梨大学に入学、卒業後、夜間高校の教師になり、生徒に触発され て、もう一度、勉強しようと大学院に進み、研究者として歩み始めています。 大学院修了後、山梨大学でワインの発酵の研究がきっかけで、微生物の菌の発見を研究 課題にして、それを製薬会社との共同で特許や販売をして、売り上げに応じて報酬を得 ると言う産学共同の先駆けの形態で研究費を稼ぐと言うやり方は凄いと思います。その 上、報酬で得たお金を病院設立や温泉施設の建設、美術館の建設に使っているのですか ら、普通の学者とは考え方が違うと思います。 今朝のテレビを見て、改めて、日本だけでなく世界中の人達に尽している、こんな日本人がノーベル賞を貰っ て本当に良かったと思いました。 夜になって今度はノーベル物理学賞に「梶田隆章:東京大学宇宙線研究所長」が受賞したとニュースが流れ、去 年に続いて連続して受賞すると言う日本の基礎研究のレベルの高さが証明された気がしました。 ![]() ![]() の講義に行き、先週の前半を見た「KANO」の後半を見まし た。この映画は昭和6年の甲子園大会に初出場した台湾の ”嘉義農林学校(嘉農)”の代表になるまでと甲子園大会の 決勝戦進出までを、日本人・台湾育ちの漢人・台湾原住民の 混成チームを通じ、当時の民族間の抱えた問題を超えて、 ひたむきに頑張る球児達を実話をもとに描いています。 台湾では2014年2月に公開され、興行収入10億円という大 ヒットになり、5月までロングランされ、9月にも再上映されたそうです。 映画を見ていて思った事は、中国映画や韓国映画と違って、戦前の日本人に対して悪意のある描き方は全く見 られず、野球部監督の近藤兵太郎(永瀬正敏)の人間性や水利事業の灌漑用水:嘉南大圳(かなんたいしゅう) を完成させ、今でも台湾で尊敬されている八田與一を登場させて好意的に扱っているのは日本人としては見 ていてホッとしました。 その上、決勝戦の相手校が中京商業(今の中京大中京高校)で投手が3連覇を達成した伝説の名投手吉田正男 というのも地元愛知県の人間としては微妙な気持ちでした。 10月5日(月) 午後から中部大学の「アジアの歴史B」(一谷和郎准教授)の講義に行きましたが、この講義は中国の近代から 現代の歴史を取り上げて教えてくれるそうですが、大まかに言うと200年位前からを近代と考え、清朝の第6 代皇帝の乾隆帝(1711~1799:在位期間1735~1795)以降の歴史という事になります。 清朝は第4代康熙帝から第6代乾隆帝の時代が隆盛期で、その後は衰退していくのですが、そのきっかけにな ったのが、乾隆帝の死後、起こった”白蓮教徒の乱”や乾隆帝の時代の官僚(軍機大臣)だった”和珅”の8億両に もなる不正蓄財などですが、8億両と言うのは後の日清戦争での賠償金の2億両の4倍の金額ですから、額の 大きさが想像できます。その他、清朝の官僚は旗人(元々軍人だった幹部)・八旗(満州族の軍隊)・科挙官僚の 3本柱で運営していたそうですが、それぞれが変質して堕落したのも衰退の要因になったようです。 昔から中国の官僚は本俸(給料)が安く、贈答(付け届け:賄賂?)文化があったので、清朝後期には官僚の多く が、その恩恵を受けていたと思われますが、それは現代にも通じているようです。 一谷准教授の講義は黒板を使っての高校のような授業ですが、配布されたプリントに概要が書いてあって、詳 細は口述と黒板なので、私はその中から自分が必要だと思った事をノートに書き留めておいて、後から確認す るようにしています。 午後8時過ぎにテレビの速報で今年度のノーベル医学生理学賞が「大村智:北里大学特別栄誉教授」に決まった と知らせがあり、午後9時のニュースで記者会見も模様が放送されてましたが、私は全く知らなかった名前な ので、こんな立派な業績を残している人が今まで受賞していなかったのが不思議なくらいだと思いました。 明日の朝のモーニングショーはこの話題一色だと思いますが、お目出度い事だから良いと思います。 10月4日(日) 昨日の整枝で木に登る時に無理をしたので体がどうかなと思っていましたが、今日の時点では何ともないの で、明日以降、痛みが出るかもしれないと思っています。 昼前に郵便受けに訃報が入っていたので、誰かなと思って見ると、2つ裏の通りのF.Yさんが亡くなったとあっ たので驚きました。F.Yさんとは次男が小学生の時に1学年上にF.Yさんの息子さんがいて、一緒に「誠武館」で 剣道をやっていたので、お互い顔見知りでしたが、ゴルフの練習場で会っても、挨拶をする程度で親しく話をす る事はありませんでした。 ところが、5年前に家内と一緒に北京旅行に行った時に北京のホテルで会社のOBの人達と一緒に来ていたF.Y さんと、偶然、会う事があり、近くに住んでいる人間同士が外国で会うのは何か縁があると思いました。 それ以来、ゴルフ練習場や散歩の途中であったりすると、お互い近況を話すようになり、先日も練習場で会っ た時に、私は中国にはまって旅行に行ってる話をしたら、F.Yさんはタイが気に入って度々行ってると話をして 別れましたが、歳も近いし、まさかこんなに急に亡くなると思ってもみなかったのですが、F.Yさんのご冥福を お祈り致します。 10月3日(土) 朝からスッキリした青空が広がり、そよ風も少し肌寒いくらいで、秋らしい本当に気持のよい天気になりました。 午前中に前から気になっていたフクラの木の整枝をする事にして、今日は”燃えるゴミの日”なので早目に整 枝を始めて、少しでも今日中に処分したいと思い、午前8時過ぎから下の方の枝から切りました。 午前9時前に休憩を兼ねてゴルフ仲間の集まる店にお茶に行きましたが、今日のコーヒーは先日の「森林公園 ゴルフ場」でのミニコンペの優勝者M.Kさんの奢りと言われ、儲けた気分になりました。 ![]() ![]() る事にしましたが、枝が邪魔になって梯子が上まで届かないので、 途中から木に登りながらの整枝になりましたが、1ヶ月位前なら楽 に切れた枝が太くなっているので、鋸と木バサミを併用しながら 切りましたが、片足で踏ん張る時には足が大丈夫かなと心配にな るのは自分自身も70歳という意識があると思っています。 それでも、何とか一番上まで登り、全部の枝を切り終わったのは午 後12時でしたが、来年もやらなければならないと思うと自信はあ りませんが、整枝前の鬱陶しい姿と整枝が終わった後のスッキリしたフクラの姿を見比べると、何とか来年も出 来るように元気でいたいと思いました。 10月2日(金) 明け方、かなり雨模様のあれた天気でしたが、朝になると雨も止んで静かな晴れ間の見える天気になっていま したが、東北や北海道では”爆弾低気圧”のせいで40m以上の風が吹く大荒れの天気のようです。 午前10時から「南部中国語同好会」に行きましたが、話題は中国の国慶節の休みで来ている中国人観光客の話 で、景気が悪くなっていると言っても、買い物は相変わらずのようです。中国人の日本製品好きは老若男女問 わずのようで、先生も大連に帰る時には姉妹や親戚から化粧品や薬、日用品を頼まれるので、買って帰るのが 大変だと言ってました。 午後1時30分から「坂下パソコン同好会」があるのですが、今日は私が鍵当番なので、午後1時前にいきました が、既に4,5人の人が来て待っていました。幸い、公民館の担当の人が話の分かる人だったので、直ぐに、部屋 の鍵を渡してくれましたが、人によっては規則が午後1時からしか部屋を開けられないからと言って、1時まで鍵 を渡さない人もいるらしいので、役所の人間でもいろいろだなと思います。 10月1日(木) 今日からいよいよ10月ですが、台風から変化した低気圧が爆弾低気圧に発達し、全国的に大荒れな天気になり そうな予報が出ていますが、この地方はそれほど荒れ模様にはならないようです。 ![]() ![]() の当番でやったばかりだったのですが、今月の当番のU.Fさんが都 合が悪くなったので、私が代りに申し込みに行きました。午前8時40 分頃に行くと、受付の順番は25番でしたが、9時近くになると多く の団体の人が来て、全部で60人位の人が来ていたましたが、申し 込み順のくじを引くと15番の札だったので今日は運が良いと思い ました。 私が申し込み受付を終わったのが午前9時40分過ぎで、その後、 「S.G接骨院」に行き、腰の治療を受けてから家に帰りましたが、その頃にはかなりの雨が降っていました。 午後から近所のK.Kさんと市民病院に隣のI.Kさんのお見舞いに行きました。I.Kさんは以前から腎臓の調子が悪 く、担当の先生からは人工透析を勧められていたのですが、本人は食事療法で何とか頑張りたいと言ってたの すが、ついに限界が来たようで、今週から人工透析を始める事になり、慣れるまで1週間の入院をする事になっ たようです。病室に行くと本人は至って元気で透析が順調になれば、ゴルフも出来るようになると先生から言 われようで、顔の表情も前より明るくなったように見えました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 10月1日の我が家の庭はムラサキシキブが今が盛りと紫の実を付け、、ハギが以前より元気に咲いて、ホトトギ スが咲き始め、フジバカマやシロタデが秋を感じさせています。 |
||||
|
||||