旧満州国の足跡をたどる中国東北懐旧の旅8日間 2019年3月23日(土)~3月30日(土) 紀行編 日々雑感へ 食事編へ |
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3月23日(土) セントレア~大連空港~大連西駅~ハルピン |
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中国南方航空CZ620便 |
セントレア16番搭乗口 |
機内はほぼ満席 |
620便の機内食(チキン) |
午後1時20分:機内から見た大連近郊 |
午後1時30分大連到着 |
午後2時:入国手続き |
午後2時10分:大連北駅へ |
旅行通じての現地ガイド娄(ロウ)さん |
大連北駅 |
大連北駅の広い構内 |
大連北~哈爾濱西の切符 |
大連北駅:午後3時35分発 |
車内は満席 |
午後4時58分:按山西駅 |
午後5時29分:瀋陽駅 |
午後5時48分:瀋陽の建物に沈む夕日 |
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午後8時5分:哈爾濱西駅到着 |
午後8時20分:哈爾濱西駅出発 |
午後8時30分:夕食会場「関東鉄鍋炖」 |
ゆばを麺の様にした料理:味付けは美味しかった |
午後9時15分:哈爾濱市内を走る |
宿泊ホテル「哈爾濱香格里拉大酒店」 |
ホテルフロント |
ホテルロビー |
3月24日(日) ホテル~ハルピン市内(スターリン公園・松花江眺望・中央大街他)~長春市 |
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ホテル朝食会場入口 |
朝食ビュッフェ会場 |
麺コーナーの女性シェフ |
私の朝食:麺・パン・コーヒー |
ホテル内の庭に雪が残っていた |
ハルピンシャングリラホテル |
ホテルの前の通り |
ハルピンの現地ガイド:陳さん |
旧東清鉄道本社:旧満鉄哈爾濱支社 |
車両製造のプレート |
昭和13年満鉄大連工場製の車両 |
昭和10年川崎重工製の機関車 |
午前9時40分:聖アレクセーエフ大聖堂 |
大聖堂前の広場でコマ?を回す人 |
午前9時50分:旧哈爾濱大和ホテル |
ホテルのロビー |
ホテルの廊下:奥の両側に部屋がある |
2階への階段:なかなか雰囲気があった |
午前10時:ハルピン駅全景 |
午前10時10分:聖ソフィア大聖堂 |
昔の日本の小学校:今も小学校として使用 |
松花江沿いにあるスターリン公園 |
3月24日現在で松花江はまだ凍結していた |
観光船も休業中 |
太陽島行きのロープウエイ乗り場 |
6人乗りロープウエイ |
この辺の松花江は半分溶けていた |
太陽島のロシア公園 |
公園内の展示館 |
100年前のロシア人の生活の様子 |
ロシア公園の様子(何も無かった) |
ロープウエイからの松花江の景色 |
中央大街の広場 |
中央大街の石畳:石の厚みは30cm |
中央大街:全長1450m幅21mのハルピンを代表する大通り(両側に歴史的な建物が並んでいる) |
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バロック様式の建物 |
ルネサンス様式の建物 |
現在もホテルとして使用している |
折衷式の建物 |
昼食会場の「欧夢巴西餐庁」 |
「欧夢巴西餐庁」の店内の様子 |
午後2時前:ハルピン駅 |
安全検査を受けて駅構内へ |
広い構内の待合所 |
午後2時20分:ホームへ |
午後2時33分発の列車 |
午後3時57分:長春西駅に到着 |
現地ガイドの祁(き)さん |
長春西駅 |
長春市内へ |
立派な警察署 |
すぐわかるテレビ塔 |
今も病院で残っている日本統治時代の建物 |
こちらも病院として使われている建物 |
旧満州国国務院:吉林大学の基礎医学院 |
夕食会場「向陽屯」 |
「向陽屯」の店内 |
今日の夕食(詳細は食事編に掲載) |
鍋料理の使う大鍋 |
宿泊ホテル「長春シャングリラホテル」 |
ホテル入口 |
ホテルクローク |
ホテルロビー |
ホテル部屋からの夜景① |
ホテル部屋からの夜景② |
3月25日(月)長春市内(旧関東軍司令長官邸~偽満皇宮博物院他)~瀋陽市(中街~夜景) |
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午前5時40分:ホテルからの景色 |
ホテルからの景色:雪が残っている |
ホテルの朝食ビュッフェ会場 |
私の今朝の朝食 |
ホテル前の通り |
歩道にあった展示物:芸術品? |
長春シャングリラホテル |
ホテル前の通りは賑やかだった |
9時20分:旧関東軍司令官邸 |
今は金融業者の事務所になっていました |
旧関東軍司令部:現中国共産党吉林省委員会 |
こちらも日本統治時代の建物:ショッピンモール |
偽満皇宮博物院入場門 |
旧満州国の印 |
偽満皇宮博物院:同徳殿 |
大広間 |
参拝室:実際にはあまり使われなかった |
皇帝溥儀の寝室:ここは使用されていない |
日本間もあった |
便見室:主に日本の役人と会った部屋 |
映画ホール |
従業員の寮 |
緝熙楼:溥儀と皇后婉容、妃譚玉齢の住居 |
1階ホール |
溥儀の寝室 |
皇后婉容の寝室 |
皇后婉容の喫煙室:アヘンを吸っていた部屋 |
妃譚玉齢の寝室 |
西御花園 |
ホ西御花園の中 |
偽満皇宮博物院出口 |
旧御用競馬場 |
昼食会場:向陽屯老店 |
向陽屯老店の店内 |
大鍋で作られた料理 |
テーブルに並んだ料理 |
岸信介元首相の旧居 |
旧神武殿 |
旧新京ヤマトホテル:現長春友誼賓館 |
旧満州中央銀行:現中国人民銀行 |
長春駅 |
11番線ホーム |
午後2時52分発の列車 |
列車の中:日本の新幹線と同じ座席 |
車窓から見える平屋の一軒家 |
途中、風力発電の風車が沢山あった |
午後4時17分:瀋陽北駅到着 |
瀋陽北駅ターミナル |
瀋陽の現地ガイド:王さん |
瀋陽市内も高層住宅が数多くあった |
中街:瀋陽市の中心で多くの人が来ていた |
地下鉄の中街駅も近くにあった |
中街にある夕食会場「老辺餃子店」 |
この店は190年の歴史がある老舗 |
受賞の経歴やメニューが分かる額 |
午後5時30分:店内の様子(食事編の掲載) |
午後6時40分:夕食後ホテルへ |
午後7時:宿泊ホテル「クラウンプラザ」 |
午後7時40分:西塔街(コリアタウン)散策 |
北朝鮮直営店:平常館 |
韓国側の店 |
道路の右側が北朝鮮:左側が韓国になっている |
午後8時30分:屋台街 |
多くの人達が来ていた |
屋台街から見たテレビ塔(直ぐ近くにある) |
屋台街の近くの店で買った白酒(三陶老害) |
3月26日(火) 瀋陽市(ホテル)~撫順(露天掘り・戦犯管理所)~瀋陽故宮 |
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午前5時30分:ホテルからの景色 |
ホテル前の道路:時間が早いので車も少ない |
午前6時:朝食ビュッフェ会場 |
まだ早いので人も少ない |
彼は愛想が良かった |
私の朝食(焼きビーフン・目玉焼き入り麺) |
午前8時30分:撫順に向けて出発 |
郊外から瀋陽市内に行く電車 |
郊外の団地の大きなシンボルマーク |
撫順友誼賓館でトイレ休憩 |
撫順西露天坑の全景(東西6.6km・南北2km・深さ約200m):今でも坑道があり採掘している |
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下の状況:ダンプやユンボが小さく見える |
奥の方にはコンベアがあり石炭を運んでいた |
撫順戦犯管理所(日本統治時代の撫順典獄) |
日本の戦犯や愛新覚羅溥儀が収容されていた |
戦犯管理所の模型 |
内部の様子 |
満州皇帝溥儀夫婦が一時収容されていた |
溥儀夫婦の部屋 |
収容されていた愛新覚羅一族の写真 |
愛新覚羅溥儀が裁縫をしている様子 |
収容所内の理容室た |
日本戦犯の写真がある建物 |
戦時中の写真(日本人には心が痛む) |
収容所内の生活写真 |
中国で行われた裁判の様子 |
収容所内の講堂(色々な催事が行われた) |
午後12時:撫順出発 |
午後1時過ぎ長春市内へ |
午後1時20分:昼食会場「在水一方酒店」 |
上品な味付けの良い店だった |
午後2時20分:瀋陽故宮博物院到着 |
入場門:瀋陽故宮は初代ヌルハチ創建 |
崇政殿:2代目ホンタイジの1636年に完成 |
今回のツアーメンバー |
崇政殿内の玉座 |
八角形の大成殿 |
3階建ての鳳凰楼 |
清寧宮:妃の住居 |
清寧宮:奥の建物が位の高い妃、手前は低い妃 |
文溯閣:四書五経等の所蔵庫 |
祭礼用の御車 |
道路のマンホールの蓋 |
88階建て350mの瀋陽一のビル |
旧日本統治時代の建物 |
旧奉天駅(現瀋陽駅):東京駅に似ている |
日本統治時代の郵便局:今も郵便局 |
毛沢東の銅像:北京に向いている |
旧ヤマトホテル(現遼寧賓館) |
旧ヤマトホテル玄関 |
歴史的建造物の証明看板 |
ホテルのロビー:雰囲気がある |
エレベーターも昔のまま |
ホテル内で夕食 |
夕食会場:15人が座れる大きな円卓 |
テーブルセッティング |
食後に感想を聞く添乗員と現地ガイド |
3月27日(水) 瀋陽(ホテル)~昭陵~鞍山市~丹東市 |
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朝食ビュッフェ会場 |
私の朝食(麺・目玉焼き・ゆで卵・ベーコン・野菜) |
午前7時30分ホテル出発(市内は渋滞) |
午前8時過ぎ北稜公園(昭陵)到着 |
入口から電動カートで移動 |
カートで昭陵(ホンタイジ夫婦の陸陵)に向う |
石碑坊(順治・康煕年製) |
正紅門(1649年創建) |
神道にある神獣の像 |
神道にある象の像 |
神道の奥ある「神功聖徳碑亭」(1688年創建) |
中にある石碑 |
隆恩門(方城の入口) |
隆恩殿 |
角楼 |
方城内部 |
隆恩殿と宝頂(太宗:ホンタイジと皇后の陸陵) |
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月牙城 |
石祭台 |
午前9時40:に三台子インターから高速へ |
高速道路で鞍山市へ向う |
午前10時30分:井泉服務區でトイレ休憩 |
午前11時15分:鞍山IC通過 |
午前11時40分:旧昭和製鉄所到着(現鞍鋼) |
今も使用する鉄道 |
鞍山市街地へ |
午前11時50分:鞍山駅 |
鞍山駅前通りの大正通り |
旧郵便局(現在も郵便局と銀行) |
旧日本人街(現東風街) |
街路樹が育っていた |
昔の平屋の家 |
2階建ての家 |
旧鞍山満鉄病院(現鞍山鉄鋼病院) |
病院の中 |
午後12時15分:昼食会場「天津包子舗」 |
お店の売りの包子(思った程では無かった) |
午後2時10分:首山ICから高速道路へ |
高速で丹東市へ |
午後3時:旧満鉄の遺跡を通過 |
丹東まで135kmの看板 |
午後5時10分:料金所を通過して丹東市内へ |
鴨緑江まで11km |
丹東市街地へ |
建築中のマンション |
午後5時40分:鴨緑江(向う側が北朝鮮) |
夕食会場「江都酒店」(北朝鮮料理店がある |
15人が座れる大きなテーブル |
始めて飲んだ平壌ビール |
北朝鮮の歌と踊りを披露する女性(大学生) |
宿泊ホテル「福瑞徳大酒店」(鴨緑江沿いにある) |
ホテルのロビー |
3階まで吹き抜けになっている |
ホテルの中① |
ホテルの中② |
3月28日(木)丹東市内(鴨緑江断橋・虎山長城・一歩跨)~大連市内(夜景・路面電車) | |
午前5時45分:窓からの景色(鴨緑江は後側) |
ホテル窓からの景色:天気は良い |
ホテルの朝食ビュッフェ会場 |
料理は種類が豊富だった(料理編へ) |
私の朝食;目玉焼き・野菜・麺 |
玉子香餅・海鮮餅・煎餅菓子 |
午前7時:朝の福瑞徳大酒店 |
ホテル前の散策路を歩く地元の人達 |
ホテル前を流れる鴨緑江 |
右は鴨緑江の中洲の島 |
ホテル前の道路:浜江中路 |
午前9時:ホテル出発 |
対岸は北朝鮮 |
鴨緑江案内図:上が北朝鮮・新義州、下が丹東 |
鴨緑江断橋(隣に中朝友誼大橋がある) |
北朝鮮側:20階以上のホテルを建設中 |
記念石碑 |
朝鮮戦争当時の群像 |
鴨緑江断橋:朝鮮戦争でアメリ軍により破壊 |
鴨緑江の真ん中が中朝国境 |
鴨緑江断橋から見て左が北朝鮮新義州、右が中国丹東(建物の様相が違う) |
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北朝鮮の品物を売っている |
鴨緑江断橋の下側 |
対岸の北朝鮮側の家:2階建てが多い |
中国側はフェンスに鉄条網の所が多い |
一部、フェンスが空いている:漁師の舟 |
この辺も植林している所が多かった |
午前10時40分:中朝国境にある一歩跨 |
直ぐ向こうが北朝鮮 |
本当に近い所に北朝鮮がある |
畑なのか人が見える |
虎山長城:清時代に破壊された物を復元 |
ここも復元された通路 |
奥に石楼が見える:時間が無くて見ただけ |
長城からみた北朝鮮の監視所 |
丹東市内に帰る途中の村 |
丹東市内:テレビ塔が見える |
錦江山公園 |
安東神社址 |
丹東市内 |
丹東の出入国管理局 |
昼食会場「双生漁港」 |
色々な魚介類があった |
佃煮のような品物 |
白魚の天ぷら |
午後1時40分:丹東駅 |
丹東駅構内 |
丹東駅午後2時47分発の列車で大連へ |
午後5時16分大連北駅に到着 |
長い構内から駅の外へ |
大連北駅から大連市内へ向かう |
大連市内 |
ロシア風の建物 |
午後6時30分:夕食会場「大江戸」 |
私の夕食:焼き鯖定食 |
午後7時20分:大連香格里拉大酒店到着 |
ホテルに荷物を置いて”大連夜景観賞”に出発 |
午後7時45分:路面電車の始発駅「華楽広場」 |
201路線の停留所一覧 |
座席も懐かしい木製 |
電車内で記念撮影 |
昔の大連市の写真があった |
1909年創業で100年以上の歴史がある |
午後8時10分:民主広場の停留所で下車 |
旧関東警察庁(大連警察本部) |
旧関東州庁(大連人民政府) |
旧裁判所(大連裁判所) |
市場通り |
市場の店で買い物 |
現地ガイドのロウさんがミカンを買ってくれた |
衣料品やぬいぐるみを売る店 |
大連一広い星海広場 |
星海広場にあるマンションとホテル |
星海広場から見たライトアップされた星海大橋 |
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エースコック?らしいネオン |
全長6.9kmの星海大橋 |
展望塔から見た大連市内の見事な夜景 |
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展望塔から見た大連の夜景 |
旧東本願寺 |
入り口から見た部屋の様子 |
窓側から見た部屋の様子 |
3月29日(金)大連市内(中山広場・南山地域)~旅順(東鶏冠山東堡塁・水師営・203高地)~大連市内 |
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ホテルの部屋からの景色① |
ホテルの部屋からの景色② |
朝食ビュッフェ会場(料理は食事編へ) |
手打ちで麺を打っていたが食べられなかった |
午前8時30分:大連シャングリラホテル出発 |
大連香格里拉大酒店(漢字)から中山広場へ |
旧大和ホテル(大連賓館) |
旧大連民政署(大連警察署) |
旧朝鮮銀行(中国工商銀行中山広場支店) |
旧横浜正金銀行(中国銀行遼寧省支店) |
旧大連市役所(中国工商銀行大連支店) |
旧中国銀行大連支店(中信銀行中山支店) |
旧台湾銀行大連支店(大連銀行中山支店) |
中山路:突き当り円球が友好広場 |
午前9時10分:旧日本人街だった”南山地域” |
南山地域:楓林街(高級住宅街の雰囲気) |
南山地域:楓林街 |
楓林街にある旧ドイツ領時間 |
旧日本人住居? |
結婚式の前撮りをしていた:午前9時30分出発 |
龍源工芸品友諠商店 |
店内の様子 |
展示物 |
本来は琥珀が専門の店 |
午前10時30分:旅順へ出発 |
全長6.9kmの星海大橋を通る |
星海大橋から見た星海広場と海水浴場 |
高層マンション群が並んでいる |
午前11時45分:東鶏冠山北堡塁到着 |
リスの仲間が木の実を食べていた |
死傷者9,000人出た日露戦争激戦地の慰霊塔 |
ロシア軍の大砲の模型 |
北堡塁の入口 |
ロシア軍の銃撃痕 |
日本軍の爆破口 |
北堡塁:宿舎址 |
作った時期の違いが分かる北堡塁天井 |
北堡塁:キッチン址 |
北堡塁から水師営に行く途中市場があった |
造花の店 |
午後12時30分:昼食会場(水師営脇のレストラン) |
中には魚介類がいっぱいあった |
1905年1月5日:日ロ将軍会見の場「水師営} |
当時を復元した建物(中は撮影禁止) |
当時の会見所を示した石碑 |
昭和5年に日本によって作られた碑 |
乃木将軍(2列目左2人目)ステッセル中将(左端) |
昔の水師営の写真 |
午後2時15分:日露戦争最大の激戦地203高地入口 |
今では公園になっていて桜の名所らしい |
途中にはロシア軍の迎撃砲の模型があった |
乃木将軍によって建てられた慰霊塔 |
昔の陣地址 |
203高地占領後、日本軍の旅順口港に向けた大砲 |
203高地の砲台から見た旅順港の景色 |
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旧粛親王府(東洋のマタハリ:川島芳子旧居) |
旅順ヤマトホテル址 |
ロシア時代の建物も残っている |
帝政ロシア時代1900年創立:旅順駅 |
旅順駅全景(ロシア風) |
旅順駅の銘板 |
再開発地区になっている大連港付近 |
大連港ビル |
日本船が出入りしていた埠頭 |
フェリー埠頭:近くには高層ビルがあった |
大連市内へ戻る |
旧満洲鉄道本社:大連鉄道局 |
午後7時前夕食会場「天天漁港」到着 |
「天天漁港」店内:ピンぼけだが店内はいっぱい |
注文品の車エビ・アワビ・カキ |
マキガイ・ホタテ貝 |
3月30日(土)大連~セントレア |
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午前5時50分:大連空港到着 |
空港ロビーは午前6時入場なので少し待った |
午前6時:空港ロビーに入場 |
名古屋行の搭乗手続き |
出国手続きを終わり搭乗口へ |
早朝のせいもあって空いていた |
午前7時30分発の案内板 |
CZ619便 |
CZ619便の機内:ほぼ満員 |
CZ619便の機内食(ほとんど食べられなかった) |
今回のツアーではかって日本統治時代満州と言われた、中国東北地方の遼寧省、吉林省、黒龍江省 を回りましたが、日本とは縁が深い所が多いだけでなく、日本統治時代の建物が沢山残っていて、良 かったと思っています。また、丹東では中朝国境の鴨緑江に掛かる鴨緑江断橋を見たのも印象に残って いますし、隣のある友誼大橋も北朝鮮との間を往来する列車がニュースで出て来るので、現実に見ら れて印象に残りました。 15名のメンバーの中には90歳の女性が1人で参加されていたのも驚きでしたし、自分の励みにもなりま した。その上、かって中国旅行で一緒になった人も2人いたのも心強く思いました。 今回の中国東北部の旅行で、ざっと、中国国内を回った事になるので、次回以降はまだ見ていない 世界遺産が1つでもあれば、他の場所が2回目でもコースや価格が良ければ行きたいと思っています。 次回の中国旅行がいつになるのか分かりませんが、自分自身楽しみにしたいと思っています。 |
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